『 その1-1 』
■ 「暑い…」 ![]() そこはフィリピン国際空港であった。 その男は、とあるテレビゲーム製作会社に勤めている。 彼が提唱した 「 3Dオーサリングツールは高くて買えないから、買える値段で高性能なのを作って売りましょうよプロジェクト(長い)。 」 がスタートし、某日本製パソコン版の開発を終え一息ついていたところへ、会社の命令で ( 自分から志願したという話もある ) 海外勤務となったのである。 彼の場合はその責任のある立場から ( だから自分で志願したんだって… ) 仕方ないのかもしれないが、悲惨なのはそのお付き合いとして連れてこられた奴である ( 彼の場合は「おまえ来月からフィリピンな。パスポート取っとけ」 ) 。 彼ら日本人2名とフィリピン人スタッフ2名らによってマニラ開発室設立業務と平行して3Dアトリエ ver1.0 は開発されたのである。 早いもので2年も経ってしまった。私はそんな事情で現在マニラ ( 正確にはマニラ首都圏マカティー市)に住んでいるのである。 Ver 1.0は約半年で完成させ、その後 Direct Draw に対応した高速版をリリース。 そしてついに98年4月にはモーションエディタを含んだ2.0を発売した。 ちなみにもう1名の日本人は1.0終了後帰国した。 今後はSEや音楽を含んだ編集ツールを作って一応総合3Dオーサリングツールとしての体裁は整える方向で進んでいる。 98年5月現在、編集ツール、レンダラーの新規開発。モデラーとモーションエディタのバージョンアップを柱として4名のプログラマーががんばっているのである。 ちなみにスタッフの内訳は日本人2名、フィリピン人2名である。 開発の方は超順調とまでは言わないが、それなりに進んでいるのである。 本来であればこの状況に満足するべきところであるが、 「何か物足りない!!」 この理由をずっと考えていたのである。 私はこの業界にはまり込んでしまってから14年が経過している。 ここ1~2年は3Dアトリエ関係の仕事、マニラ事務所の雑務ばかりやっていて、ゲーム開発から遠ざかっているのである。 「そうだそれだ!それに違いない!!」 ということで、やっぱし10年以上もゲーム開発に携わってきた人間は、そう簡単には足を洗えないのである。 |
その1-1 |
その1-2 |
その1-3 |
その1-4
『 サルのゲーム製作講座 』
目次 |
その 1 |
その 2 |
その 3 |
その 4 |
その 5 |
その 6 |
その 7 |
その 8 |
その 9 |
その 10 |
その 11
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