LAST UPDATE 1998/06/17


『 その1-1 』




■まずは趣旨説明である■

 ■ 「暑い…」

 今から2年前のある日。その男はつぶやいたのである。
 そこはフィリピン国際空港であった。 その男は、とあるテレビゲーム製作会社に勤めている。 彼が提唱した 「 3Dオーサリングツールは高くて買えないから、買える値段で高性能なのを作って売りましょうよプロジェクト(長い)。 」 がスタートし、某日本製パソコン版の開発を終え一息ついていたところへ、会社の命令で ( 自分から志願したという話もある ) 海外勤務となったのである。
 彼の場合はその責任のある立場から ( だから自分で志願したんだって… ) 仕方ないのかもしれないが、悲惨なのはそのお付き合いとして連れてこられた奴である ( 彼の場合は「おまえ来月からフィリピンな。パスポート取っとけ」 ) 。
 彼ら日本人2名とフィリピン人スタッフ2名らによってマニラ開発室設立業務と平行して3Dアトリエ ver1.0 は開発されたのである。

 早いもので2年も経ってしまった。私はそんな事情で現在マニラ ( 正確にはマニラ首都圏マカティー市)に住んでいるのである。  Ver 1.0は約半年で完成させ、その後 Direct Draw に対応した高速版をリリース。 そしてついに98年4月にはモーションエディタを含んだ2.0を発売した。 ちなみにもう1名の日本人は1.0終了後帰国した。
 今後はSEや音楽を含んだ編集ツールを作って一応総合3Dオーサリングツールとしての体裁は整える方向で進んでいる。 98年5月現在、編集ツール、レンダラーの新規開発。モデラーとモーションエディタのバージョンアップを柱として4名のプログラマーががんばっているのである。 ちなみにスタッフの内訳は日本人2名、フィリピン人2名である。
 開発の方は超順調とまでは言わないが、それなりに進んでいるのである。
 本来であればこの状況に満足するべきところであるが、
  「何か物足りない!!」
この理由をずっと考えていたのである。 私はこの業界にはまり込んでしまってから14年が経過している。 ここ1~2年は3Dアトリエ関係の仕事、マニラ事務所の雑務ばかりやっていて、ゲーム開発から遠ざかっているのである。
  「そうだそれだ!それに違いない!!」
 ということで、やっぱし10年以上もゲーム開発に携わってきた人間は、そう簡単には足を洗えないのである。



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