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青空文庫
Blue Sky Collection
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No.
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著者名
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内村鑑三
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書籍名
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デンマルク国の話
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底本
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「後世への最大遺物 デンマルク国の話」岩波文庫、岩波書店
1946(昭和21)年10月10日第1刷発行
1976(昭和51)年3月16日第30刷改版発行
1994(平成6)年8月6日第64刷発行
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底本の親本
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入力者名
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ゆうき
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校正者名
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吉田亜津美
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作品について:1911(明治44)年10月22日、東京柏木の今井館で行われた講演を、後に内村自身が文章化した作品。初出は、『聖書之研究』第136号(1911年)。デンマークは1864年、ドイツ、オーストリアに迫られて開戦に追い込まれる。敗戦によって国土の最良の部分を失ったこの国は、困窮の極みに達する。そのヨーロッパ北部の小国が後に、乳製品の産によって、国民一人あたりの換算で世界でももっとも豊かな国の一つとなった。荒れ地を沃野に変えて国を蘇らせたのは、天然と神に深く信頼し、潅漑と植林の技術をもって樹を植える事に取り組んだ人の営為だった。
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著者について:1861.3.26〜1930.3.28。思想家。キリスト教の神髄は聖書の中にこそあるとして、個人による聖書研究を重視し、教会や典礼といった制度、形式を退ける無教会主義の創始者。高崎藩士の長男として江戸に生まれ、有馬英学校などを経て、札幌農学校に二期生として入学。ここで、「少年よ大志を抱け」で知られるウィリアム・クラークに感化を受けて、キリスト教徒となる。卒業後はいったん、官吏となって水産研究に当たったが、後に辞職して渡米。米国アマースト大学留学中に、同校の総長を務めていたジュリアス・H・シーリーの強い影響を受けて回心を経験する。『余は如何にして基督教徒となりし乎』は、この回心に至るまでの自伝。帰国後、教育勅語への敬礼を拒んだことが「不敬事件」とされ、激しい非難を浴びて全国を転々とすることを余儀なくされる。キリスト教に関わる論説の他、幅広い社会評論をものし、足尾鉱毒事件に際しては、銅山経営者、古河市兵衛を糾弾する論陣を張った。
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