home *** CD-ROM | disk | FTP | other *** search
/ DOS/V Power Report 1999 October / VPR9910A.BIN / OLS / sante_22 / sante_22.lzh / design.txt next >
Text File  |  1999-05-14  |  24KB  |  429 lines

  1.  
  2.                                  設計覚え書き
  3.                                                                 1998,99  櫻井
  4. ----------------------------------------------------------------------------------
  5.   (この文書は、興味のある方だけご覧ください。)
  6.  
  7.   注):この「設計覚え書き」は、作品の制作途中で考えていた事をその都度
  8.       書き足していったものです。完成したゲームの設定とは矛盾したり、
  9.       異なったりする部分もあります。
  10.  
  11.  
  12.   1.地図の設定
  13.  
  14.    三国鼎立を形成するのにどのようにしたら、一番良いかを考えた。
  15.   荊州を中心として三分されるように、城エリアの連結の強調と削除(制限)を
  16.   行った。
  17.   
  18.    魏は、1:河北  2:中原  3:関中の3つの地方に大別できる。
  19.   まず河北について。袁紹の旧領土で、冀州を中心にして、幽・并・青州の4州を
  20.   まとめることが出来る。地力も豊かで、中原とは防衛線が築きやすく、守りやすい。
  21.   黄河の障害があるものの、兵力を集中しやすく侵攻も容易。
  22.   守り易く、攻め易く、国力も豊かで、文化レベルもトップクラスで、人材も豊富。
  23.   つまり、国を建てるには最も優れた地方といえる。
  24.   にもかかわらず、袁紹が曹操に敗れたことを考えると、
  25.   地勢の力はリーダーとその補佐等の人的要因を、超えられないという事か。
  26.   (あるいは、天命を人力では覆せないということか?)
  27.   中原。多くの都市と街道がつながり、天下の中心地。国力は豊かだが
  28.   いったん制した後も、辺境の地方から侵食を受けやすい。
  29.   多くの都市と隣接しているため、守りにくく攻めにくい。電撃的に制圧し、
  30.   臨機応変に迎撃するなど、戦略的対応と外交的対処が常に求められる。
  31.   関中。文字どうり、「関」の中にある。献帝を庇護下に置き、ここに籠れば、
  32.   董卓やひいては、漢の劉邦や秦の始皇帝などのように、強大な敵を向こうに回して
  33.   有利に戦える。
  34.   馬超もすぐれた軍師や内政官や外交官がいれば、地勢的には曹操を討って
  35.   中原を制すことも可能だったかもしれない。その際に漢中と蜀の生産国化が
  36.   行われれば、天下平定も夢ではない。
  37.   魏は、呉に対するに寿春(合肥)に良将を置き、荊州に対するに南陽に良将を置き、
  38.   蜀に対するに長安に良将を置く必要がある。
  39.   呉蜀同時に常に侵攻されることを、出来うる限り避ける必要があり、
  40.   数多くの良将が守備に必要である。
  41.   強大な国力を持ってしても、有利でいられる防衛線は限られている。
  42.   一方、南陽から荊州を狙う以外は、天然の要塞(長江・蜀桟道)に阻まれ、たとえ
  43.   大兵力を集結させても侵攻は容易ではない。
  44.   相手方の過失と、圧倒的な人的、物量的優位が保たれない限り、武力統一は難しい。
  45.   (統一に目前まで迫りながら、結局出来なかった曹操を、本当は英雄的力量に
  46.   欠けていたのではないかと見る向きもあるが、地勢の力はやはり侮れないと
  47.   いう事だと思う。
  48.   数年がかりだったとはいえ、河北の袁紹を破った事だけで十分といえよう。)
  49.  
  50.    呉は長江以南の建業と武昌を中心として東西に形成され、この2拠点を
  51.   押さえることによって、北の魏と西の蜀に対応される。
  52.   中原と荊州の国力は大きく、その大敵に対し、東西に広い呉の国土を
  53.   同時に防衛するのは危険が多い。
  54.   外交を駆使し、どちらかに重点を置く事によって、保証された防衛体制を構築する
  55.   必要がある。
  56.   荊州に敵対勢力が存在しないならば、武昌から建業へ遷都(主力を移転)し、北魏に備える。
  57.   逆に、中原と和をなして、荊州や巴蜀に対するなら、武昌に遷都(主力を移転)し、
  58.   西蜀に備える。
  59.   史実においても、孫権はこの防衛策を採用し、何度か遷都を繰り返した。
  60.   また、荊州を取ることは、荊州に主力を置いても武昌まで同時に防衛範囲に入り、
  61.   荊州の南方も支配下に収められるので、呉にとっては非常にメリットが大きいと言える。
  62.   だが、長江の外に出た時は、真の実力が試されるので、明らかに有利でない限り、
  63.   軽々しく出ると、足元を失いかねない。
  64.   中原に進出して、背水の陣(?)を敷くよりは巴蜀にでて、甘寧や周瑜の策を取りつつ
  65.   戦略を作り上げるのが良案といえよう。
  66.   陸遜の立場で呉をシミュレートすると、やっぱり、江南だけで国の形が
  67.   定まりすぎていると思えてくる。
  68.   日本に当てはめると、関東の北条や四国の長宗我部のようなものか。
  69.   長宗我部といえば、「鳥無き島のコウモリ」ということで、まさに孫権にぴったりだ。
  70.   若かりし日は名君で晩年は暴君というのも、長宗我部元親とそっくりなのが、
  71.   妙な符合ではある。
  72.   
  73.   
  74.    蜀は成都に主力を置くことによって、漢中と巴を前線基地として防衛体制が
  75.   安直に成立する。外から蜀(益州)に進入するためには、悪路を長距離にわたって
  76.   進軍しなければならず、迎撃体制を整えるための時間的、地形的利点を容易に
  77.   得ることができる。
  78.   逆にいえば、長安や荊州を得るためには、同様の障害があり、侵攻は困難である。
  79.   漢の劉邦や秦の始皇帝から学んで、漢中と長安を本拠にすることによって、
  80.   中原への道を開く。ここで注意が必要なのだが、これはあくまで長安が最終防衛線で、
  81.   長安を失うことは蜀に押し込められて、中原への道も閉ざされることを意味する。
  82.   同地の内部的な混乱でもない限り、蜀から桟道を通っての再奪取はかなり難しい。
  83.   蜀を本拠にした政権が天下をとれないことは、歴史が示している。
  84.   史実において、諸葛亮と同様な対魏政策を持っていた魯粛が呉の宰相であるうちに、
  85.   長安を蜀のものに出来なかったことは、蜀にとって最大のマイナスであった。
  86.   荊州は豊かだが三国の接点であり、維持するためには大兵と良将の駐留、外交政策が
  87.   欠かせず、むしろ荊州を焦点として魏呉を争わせ、親呉の政策を臭わせつつ、
  88.   第三者的なキャスティングボードを握ったほうが、政治的に見れば良かったのでは
  89.   なかろうか。
  90.   荊州は地勢的には長安と同じなのだが、呉の戦略を考える時、荊州を中原への出撃拠点と
  91.   するには、呉との対決がそれ以上に大きな問題として迫られる。
  92.   恐らく、長安から中原を制していく過程においても、賢臣の多い呉がそのまま蜀と
  93.   共同歩調をとるとは考えにくく、荊州を呉のものに出来るようでいて出来ない状況を
  94.   演出できなければ順調な発展は期待できない。
  95.   長江上流を占める荊州を呉があきらめて、予・徐州に向かうことは、荊州が安全と
  96.   判断されない限り有り得ないと認識すべきである。
  97.   もちろん、豊かな荊州を完全に呉のものにされることも、出来る限り避ける必要がある。
  98.   実は、蜀にとって常に念頭においておく真の敵は、魏ではなく呉なのかもしれない。
  99.   
  100.   
  101.   2.城エリア(石高)の設定
  102.  
  103.    呉(建業)と会稽の関係のように、前者が本拠ないし大兵力駐留の防衛拠点の場合、
  104.   後者から国力を譲り受ける形でメリハリをつけた評価を行った。
  105.   国境をあいまいとし、隣国の生産拠点を併合していると考えて、史実(現実)性よりも
  106.   (概念的な)地勢を強調し重視した。
  107.   移民ルールを適用すれば、ゲーム中に国力の任意な移転が可能となり、
  108.   初期配置の城エリアの国力は史実性を重視して分散させることが出来る。
  109.   が、三国時代の軍事行動から作り上げた結果論的な戦略マップを用いた場合、
  110.   自然と民力を集中させて防衛を行う場所が限られてくるので、(それを念頭において
  111.   設計されたものであるから、なおさら当然。)残念ながら、省略した。
  112.   だが、移民ルールはマップやシステム的に自由度が高まれば、
  113.   ぜひとも採用すべきルールと考えている。
  114.   このルールのメリットは民を資源として移住させることにより、当時行われていた
  115.   戦争と侵略の意味がより明確になり、土地=資源では必ずしもなかったことを、
  116.   決定的にシミュレーションできることにある。
  117.   この事は、異民族の領土や永続的な統治が難しい他群雄との争地において、
  118.   人間を自勢力下に奪って(強制移民して)くれば、安定した生産力になり、
  119.   すぐさま国力増強につながった事を実現できる。加えて、その土地の国力を
  120.   落とすことによって敵対勢力を弱め、永続的な統治を容易にする事にもなる。
  121.   
  122.   また、その事に加えて蛮土を漢民族に反抗できる城エリアと理解し、多少大目に
  123.   評価した。(実際も、まとまってはいないものの、少なからぬ力を持っていたであろう。)
  124.   また、大きな州はしかたがないにしても、城エリア1つは1州(州都)に相当するのが、
  125.   拠点防衛上または史書記載上、望ましいだろうと考えた。
  126.   迎撃救援範囲設定のために、または大州を分割するために、作った城エリアは
  127.   州都から離れた他の放浪群雄や山賊等が盤踞する土地と考え、比較的小さな
  128.   城エリアとした。
  129.  
  130.  
  131.   3.城エリアの連結
  132.  
  133.    本来なら、付近にある城エリアはそれぞれすべて連結可能である。
  134.   だが、侵攻と迎撃救援範囲を考えた時、より史実的である状況を演出するために、
  135.   意図的な明確さをもってカットした。
  136.   それらを(たとえ未開路の設定にしても)連結させた場合、三国時代の史実的な
  137.   侵攻経路と、ひいては国の支配範囲がかなり異なってしまう危険性が高い。
  138.   異なってしまうことが悪いとは言わないが、このゲームにおいては、
  139.   戦略の可能性を限定することによって、より史実的な配置展開になる可能性を
  140.   増すことを尊重し重視した。とはいっても、異なった展開になる自由度が、
  141.   国盗りシミュレーションという性格上多く残っているため、自然に異なった
  142.   展開にもなって行くが。
  143.   
  144.   (ちなみに、ここで繰り返し言われている「史実性」とは、歴史的に発生した
  145.   (と一般に認定されている)行動のことを指すが、それによって他の行動と
  146.   矛盾するような行動は比較的否定的に評価した。つまり、矛盾すると
  147.   考えられるレアケースは「史実性」の範囲外とした。
  148.   (もっとも、「三国志」として語られるものが、歴史か否かという、
  149.   問題点もあるかもしれない。)
  150.   現実的に考えれば、古代戦の情報力に乏しい事による行動と、それを記載
  151.   している歴史+小説の不確実性が、矛盾を生むのは仕方がないといえるだろう。)
  152.   (実はそれ以上に、私の知識不足や、間違った思い込みによって生ずる矛盾のほうが
  153.   大きそうな気もしないではないが...。(汗))
  154.  
  155.   例えば、武陵から周りの越雋、南中、交州にも本来なら遠隔地として、交通路を
  156.   つなげても良かった。
  157.   しかし、そうすると、武陵の戦略的価値が高まり、重要な地域になりすぎる。
  158.   時代が三国時代の場合は、史実的に考えても特にその様な有用性は適切ではない。
  159.   武陵の価値は、長江を渡ることなく江南へ繋がるただ一つの道。これに尽きる。
  160.   しかも、三国志の戦略を考えるとき、無くてはならない最大の重要ポイントといえる。
  161.   これなくして、天下三分、呉の存続と滅亡は有り得ない。
  162.   シミュレーションゲームとしても、呉を攻めるには、是非ともこの<武陵の道>を
  163.   通って建業まで攻略してほしい。
  164.   呉はこのコースを逆にたどり、時計周りで領土を広げ、成都、漢中、長安、洛陽と
  165.   攻守併用で進んで行けば、比較的無難に天下を平定できるであろう。
  166.   
  167.   
  168.   4.武勇の内容
  169.  
  170.    言うまでもなく、豪傑、武将、智将、謀士、政治家などなどの人材の多様さが、
  171.   三国志の楽しさの最大要因のひとつである。
  172.   特にその中でも、軍団を代表する豪傑の個性がゲーム的な面白さになっている。
  173.   三国志ゲームをプレーする場合、好きな人はその人材の名前を聞いただけで、
  174.   ”詳細な”データを想起するだろう。
  175.   しかし、本来ならば人材に出会って、その真価を見抜いて、それを用いて行く過程が、
  176.   君主として人材を用いるシミュレーションゲームの本筋であるハズなのに、
  177.   名前を聞いただけで、更には、出てくる年代や位置まで熟知しているのでは、
  178.   攻略方法を初めから知っているゲームと似たものになってしまう。
  179.   これも、こういう楽しみ方としてはそれで良いのだが、三国志の君主として、
  180.   人材を用いて行く本来の面白さを出来るだけ引き出したいと考えた。
  181.   これを表すために、武勇の種類を「強打」「牽制」「弓術」という、
  182.   毎ゲームごとに基本値からランダムに生成される3つの値で表し、不確実性を作った。
  183.   基本値はすぐに目に見える戦果や、うわさ、実績というもので、現実においても
  184.   比較的判るものであるし、また、三国志をあまり知らないプレーヤーが不利に
  185.   ならないためにも、常に武将データ上に表示した。
  186.   能力のランダム性も、本来の人物像をあまりに損なうものであると、逆に楽しさが
  187.   半減してしまうので、ランダム要素をきつすぎず、弱すぎずと許容範囲内に収めた
  188.   つもりである。(基本値の設定数値の賛否は別項にて。)
  189.   3つにした理由は、これによって長所と弱点が生じ、武将を選択する面白さが
  190.   産まれると考えたためである。特に剛勇を誇る豪傑を、ランク下の武将を抜擢して
  191.   打ち負かすことは、これぞプレーヤーの力量(君主の仕事そのもの)と言えるだろう。
  192.   天下第一の有能な人材を配下にズラリとならべて、痛快に制覇して行くのも楽しいし、
  193.   渋い武将を使って、じっくりと国土を守り広めて行くのもまた面白い。
  194.   有能と信じていた人物が、実はランク下の人物にも劣っていたとか、その逆に、
  195.   あんまり当てにしていなかった人物が、実は思っていたよりずっと優秀であるとか。
  196.   こういうのこそが、人材運用ゲームの楽しさであると思う。
  197.  
  198.  
  199.   5.初期設定について
  200.  
  201.    能動群雄の所在地は劉備、孫策、呂布らが群雄として旗揚げした(足場を築けた)、
  202.   約193年のものにした。その後の進展を考えると、一番妥当な配置と思えたためで
  203.   ある。(群雄間のバランスや立地条件などから。)
  204.   人材は、プレーヤー群雄ごとのそのゲームにおける政策や、兵力・国力充実の
  205.   方向性を定める重要な部分なので、決められた部分を出来るだけ少なくした。
  206.   すなわち、荀彧や周瑜などの有力な建国時の功臣を人材登用に委ね、田豊などは
  207.   後の状況(監禁、獄死)を鑑みて存在自体を省いた。
  208.   呂布や袁紹は配下の進言をおろそかにしてしまい易いので、本人の責任でないのだが
  209.   配下の知恵者たちの才能は、多少低めに評価した。
  210.   兵糧は少し多めに、兵数は少し少な目にして、投資選択の幅を広げた。
  211.   史実的に考えれば、混乱期に発生した爆発的な兵数と、打ち続く災害による飢饉、
  212.   その日暮らしもできないほどの僅かな兵糧というのが、すべての群雄の状況であった。
  213.   貧しい農村では、人間の共食いが広く行なわれていたそうであるし。(日本でも、東北で
  214.   冷害による飢饉ともなれば、人を食べざるを得なかったし、世界共通ではある。)
  215.   ゆえに、兵糧を奪うため(!)の戦争が長く続いたようだが、シミュレーションゲーム的な
  216.   自由度を保ち、そういう雑多な不快要素を略し、かつ、ゲームバランスをとる事を重視して
  217.   初期配置を作った。
  218.   中立国は、各々の城エリアが攻略された状況に近い武将を守備隊に配した。
  219.   人材は、多すぎると対処が煩雑で、用途も不明瞭になり、物語的なキャラクター性も
  220.   減殺されてしまうことから、必要充分まで削り込んで統合した。
  221.   システム的にも1回の戦闘で参加する人物は2人までに絞ったので、副官的な人材は、
  222.   省略するのがシステムのバランス構築にもなった。
  223.   活躍するのは、本当に名前の知れた将軍(実際は部下達の名声が集約された者だが)である。
  224.   マイナーな人物が活躍しすぎるシミュレーションゲームは、個人的に好まないので、
  225.   有名であることや運も才能である、と考えて標準的に設定した。
  226.   恐らく、後のバージョンでも、武将の総数は増やさないと思う。
  227.   変更するとしても、文官と武官の割合や、登用年次や死亡確率の変更くらいであろう。
  228.   増やすとすると、涙を飲んで割愛した地方守備の将(李通、文聘、張嶷、張翼など)や
  229.   蜀滅亡時の名将(鄧艾、鍾会、姜維ら)であるが、個人的に諸葛亮の死(234年)をもって、
  230.   三国志の終焉(英雄時代の終幕)と感じているので、次世代の旗手である姜維たちは
  231.   追加しないと思う。
  232.   ギリギリ極端に言えば、費[示韋](ヒイ)すら三国志後の人材というイメージである。
  233.   
  234.   能動群雄については、まず、何をおいても袁紹について思うことが多い。
  235.   天の時、地の利、人の和すべてを兼ね備えながら、ただ袁紹その人に王者としての
  236.   器量や徳や天運が無かったばかりに天下を逃してしまった。
  237.   もし器量があれば、曹操が優秀であるとか、劉備や孫権が地方軍閥を組織できた
  238.   とかということをまったく問題とせずに、天下を、少なくても中原を統一できたであろう。
  239.   そうなれば、英雄・人傑が乱舞する「三国志」の世界もまた有り得なかったであろうが。
  240.   <歴史>が何かの手によって仕組まれたものであるなら、途中まで決まっていた袁紹の
  241.   次期王朝を、色とりどりの英傑が登場する神話的舞台に作り替えたようにも見える。
  242.   もちろん、袁紹や袁術や後継者や群臣の状況から見て、袁王朝が成立したとしても、
  243.   長期政権である可能性は、かなり低く、数年後にはまた農民反乱か内乱によって、
  244.   王朝が転覆したであろうが。
  245.   (つまり、隋や唐のあたりまでと似たような推移だったからだろうか。
  246.   神も同じく三国志のような動乱のほうが、面白いと思ったのだろうか。)
  247.   
  248.  
  249.   6.城エリア情報について
  250.  
  251.    城エリアの情報は可能な限り、不明瞭にした。これは現実的に考えて、
  252.   各地の状態を絶対的な数値として把握できないのが当然であり、
  253.   為政者の視野においても、自分の身の回りとそれに影響する情報にしか
  254.   目がまわらない(むしろ、気にもしない)と考えたためである。
  255.   各地個別の民の声や開墾状態、ましてや市場の大きさなど、群雄が掌握する範囲からは
  256.   あまりにもかけ離れている。こういった事は、その地に派遣された人物が責任を持って
  257.   気に懸け(これこそが地方官の仕事)、総合的な意見と結果を良い形で上に揚げてくる。
  258.   群雄はその報告(合計された総合データ)に目を通して、後は、
  259.   その地方に何か(例えば、飢饉とか戦争とか)が起こった時に、あるいは起こりそうな時に、
  260.   それに応じた人物を対処の任に就かせ、仕事を任せるというのが
  261.   より現実的で自然であると思う。
  262.   もちろん、曹操や諸葛亮のように、多くのことに自ら目を通す優れた政治家もいるだろうが、
  263.   それはちょっと有能すぎるのであって、このゲームにおいても、やり込んでセンスのある
  264.   プレーヤーは、表示されないデータも、様々な状況から無理なく読み取るだろう。
  265.   プレイ感覚としても、詳細なデータ数値表記によって、”いちずな”国盗りや内政に、
  266.   固執させてしまうようなものにはしたくなかった。
  267.   もっと、三国志的に、自由闊達に楽しく(?)戦乱を繰り広げるというものに
  268.   したかったためである。
  269.   (まあ、どうしても、生産拠点概念のある戦略シミュレーションの場合、デザイナーも
  270.   そしてプレーヤーも、やむをえない所があるとも思うが。)
  271.   
  272.   もう一つの理由は、民情を気にするのは優良な為政者の常であるが、
  273.   民は政治に満足しているとか、暴動が発生しそうだとかいう事を、ドキドキ推測するのが
  274.   本当であると思う。気に懸けていない時は、思わぬ暴動が発生してしまってから、
  275.   民心が低かった事に初めて気付くとか。
  276.   現在、民心が65だから、食料を2000施せば....。なんていう事は、市場調査と民情評価の
  277.   超高度な調査と心理分析による結果であるので、今も昔もほとんどありえないし、
  278.   残念ながら、予測と現実とは常に食い違う。
  279.   (これが可能ならば、きっと、住みよい国になるのだろうけれど...。特に今の日本とか。)
  280.   
  281.   
  282.   7.妻子(本拠)について
  283.  
  284.    当初から、妻子ユニットを作って、金銀財宝・兵糧と共に、守るべきエリアと
  285.   いうものを考えていた。これによって国の形がきれいにまとまるであろうし、
  286.   戦略的意味もより深いものになって、ゲーム的妙味も増すであろう。
  287.   また、劉備の妻子にまつわる、関羽の千里行や、趙雲の活躍なども可能であるなら、
  288.   雰囲気として三国志らしい。
  289.   本拠地は、その軍団の主体である兵達の出身地と家族である。三国志でいえば、
  290.   呂蒙が荊州を落とした時の荊州兵のエピソードに、それらしさがでている。
  291.   現実には、兵の本拠を取られても、多くの兵がついてくる事は考えにくい。
  292.   劉備軍や呂布軍の如くに(ヤクザ任侠集団や山賊のような)、現実の生活と生産活動から
  293.   遊離している存在以外は、本拠を失う事は軍の消滅を意味する。
  294.   ついて行くにしても、職業軍人や、群雄近くの貴族達とその隷属民だけであろう。
  295.   これによって、国を取るとはどういう事なのか、人を治めるとはどういう事なのかが
  296.   より明確に現われてくると思う。
  297.   今回は割愛したが、余裕と能力があれば、そのうちに是非とも追加したい要素である。
  298.   (前向きに評価すれば、妻子や本拠地をカットすることで、造るのも遊ぶのも、
  299.   ゲームが簡単で自由になったとも言える。)
  300.   
  301.   
  302.   8.屯田について
  303.  
  304.     屯田は、一般に評価されているほど、すごい事ではなかったと思う。
  305.    貴族や地主による小作貸し付けと同じ事であるし、当時、珍しくも無かったであろう。
  306.    例えば、日本の戦国時代に活躍した兵はほとんどすべてが農兵であり、農兵と言う事は
  307.    農業に日頃携わっている兵馬ということなのだから、屯田兵といえる。
  308.    その屯田兵より、信長などによって戦闘が日常化した際に造られたといわれる
  309.    兵士専門のほうが、異なった特殊なものであったと言われるほどである。
  310.    つまり、古代から中世(16世紀頃まで)にかけての兵制は屯田兵が普通であって、
  311.    戦争だけをしている兵隊のほうが、異常であったといえると思う。
  312.    もちろん、中国と日本は違うだろうが、人類の歴史で考えた時の兵制の推移は
  313.    世界で並行して行くものであるし、農業生産性の低い古代においては、
  314.    無産者(兵士)を養って行ける割合は、ずっと低かったと見るのが正しいであろう。
  315.    資料や解説を読むと、決まって曹操は屯田と青州兵によって強くなったとか、同じように
  316.    書いてあるが、大変疑問である。
  317.    実状は、莫大な黄巾賊の降兵を維持して行く為に、強兵は兵として、弱兵は農民に
  318.    戻した(戻さなければ明日が無かった)というのが真相なのではないだろうか。
  319.    精兵を選抜したから強くなったのであり、生産民を大量に得たのだから、軍費が
  320.    供出できたという事なのだろう。
  321.    その考えを補強するのが、袁紹軍の1/10の兵で勝利したといわれる、官渡の戦いである。
  322.    国力的にはほぼ互角で、戦乱も、両軍とも前年まで繰り返している。
  323.    (袁紹も公孫[王賛]を破ったのが199年。)
  324.    数十万の青州兵の多数を屯田兵として維持していたのなら、むしろ曹操軍のほうが
  325.    大軍であったと考えるのが普通で、少なく見ても同数規模であったはずである。
  326.    それが1/10だったということは、屯田が失敗していたか、その多くが屯田兵とは
  327.    名ばかりの純生産農民に戻ったばかりだったということだ。
  328.    もしくは中国的表現で勝者の曹操を称える為に、このような表現になったか。
  329.    いずれにしても、将校などの職業軍人と支配下の隷属民を除けば、ほとんど農民兵で
  330.    あったと言うのは、いつでもどこでも同じであったといえよう。
  331.    したがって、あえて”屯田”と言う場合には、<農政>と<効果的兵員維持>と位置づけ、
  332.    前者は繁栄値の上昇、後者は戦争に参加しない間は効果的な生産(維持効率)アップとした。
  333.  
  334.  
  335.  
  336.   あとがき
  337.    
  338.     予定外に長くかかった。当初の計画はフリーに出来るほどの安易なソフトに
  339.    なるはずだった。そもそも、やり始めはホームページ上で遊べるような
  340.    ゲームであったのだから。
  341.    ところが、これも付けたい、あれも付けたいで、ひと月延び、
  342.    敵国も、もう少しリアルに賢く動けば...で、ふた月延びた。
  343.    
  344.    ゲームソフトは、(作った事のある方ならご存知だとは思うが、)最も敷居が
  345.    低そうで、実は最も難しい。
  346.    作り始めは楽しくてスラスラ行くのだが、その後とその間を埋めるのが
  347.    非常に苦しいのだ。
  348.    特に、コーディング前後の資料作りや(これが無いと長丁場の開発は不可能)、
  349.    動作テスト(多様性のあるゲームだと、通常の数十倍くらいの殺人的多項目)だ。
  350.    だから、ちょっと話を集めれば、恐らく完成しないで日の目を見ていない
  351.    自作ゲームソフトなどは、ものすごく多いと思う。
  352.    企画やアイデアだけなら、ゲームユーザーの人口×3くらいはあると思う。(笑)
  353.    で、形になって表に出てくるのはいくつも無いのだから、はっきりしている。
  354.    もっと、手軽にゲームを作れる環境(開発&実生活)が整えば、これから
  355.    どんどん出てくるだろうし、きっとそうなって行くだろう。
  356.  
  357.  
  358.  
  359.    Ver1.2リリース前にて。(1999/2/15)
  360.   
  361.    今回、0人プレーをテスト用に造って、デバッグ用としてやってみた。
  362.   既存の三国志作品と比較すると、かなり派手に戦争が行なわれる。
  363.   それゆえに、外交の有用性が真に生かされているとも、感じる。
  364.   0人プレーでも、緊迫感がヒシヒシと伝わってきて、結構みていておもしろい。
  365.   そこそこ、史実的な時間で、領土が拡張されて行くのが観れるのも、良い点だ。
  366.   まさに、シミュレーションしているな、という気持ちも湧いてくる。
  367.   自分なりに、良く出来すぎたんではないだろうかと、思う。(笑)
  368.   すさまじい勢いで、自ら領土を切り取って行く、呂布や孫策の覇者ぶりもいいし、
  369.   袁紹や袁術のもたつく動きが、それらしくてよい。
  370.   曹操も、たまにボロ負けするが、すぐに盛り返して治めるのが、妙に史実的だ。
  371.   劉備にいたっては、流軍になってさまよっていても、
  372.   いつでも盛り返してくる危険性を孕んでいて、常に気がかりな存在となっている。
  373.  
  374.   三国志の主人公は曹操、劉備、諸葛亮...とよく言われるが、
  375.   既存の作品は「曹操タイプ」のゲームが主流であったと思う。
  376.   人材を集め(引き抜きまくり)、経済力を基盤に武力進攻を繰り返す。
  377.   ここには、戦争に負け続けて、放浪する劉備(や呂布)の姿は出てこないし、
  378.   少ない人材を嘆きつつ、守り難い蛮土を治め、万難を排して険阻をゆく
  379.   諸葛亮の姿も出てこない。
  380.   諸葛亮にいたっては、魏呉以上の優秀で豊富な(笑)2世達をバックに、
  381.   曹操のように正面から数の力で押して行く。
  382.   (念のために、光栄ゲームを嫌っているわけではありません。)
  383.   超ブランドの足元にも近寄れない作品であるかもしれないが、
  384.   内容的には、かなり勝っている作品であると(個人的に)感じ、
  385.   開発に携われたことを嬉しく思う。
  386.  
  387.  
  388.  
  389.    Ver2.0リリース前にて。(1999/4/16)
  390.   
  391.    今回は、いろいろ悩んだあげく、城エリアの数値データ表示機能を
  392.   追加した。
  393.   上記の本文で述べたように、支配地の状況は分かりにくくして
  394.   (ゲーム中では、守備将との個人面談でおおよそ分かる)おいた方が、
  395.   現実的ではあったのだが、ゲームをプレーする立場にたつと、
  396.   分かりにくくて安心できないという点では、ストレスを発生させる。
  397.   ゲームをやっていてストレスが生まれるのでは、本末転倒なので、(笑)
  398.   表示する事に決めた。(ゲームはやっぱり楽しめなくては。)
  399.   これによって、状況把握が容易になって、ゲームの難易度を下げる事にも
  400.   なってくれたと思う。
  401.  
  402.    今回、ユーザー登録を、個別パスワード方式に改めた。
  403.   噂には聞いていたが、インターネットでシェアウエアのパスワードを
  404.   たくさん公開しているものの中に、私の前作ソフトの
  405.   パスワードも、公開されていたのを見たからだ。
  406.   非常に腹立たしい。
  407.   今までの方式は、
  408.   「パスワードの管理が容易」、
  409.   「送金して、すぐにゲームが再開できる」、
  410.   「数人の仲間内でなら、仲良くパスワードを教えあって遊ぶ」、
  411.   という事を考えて、採った方式だったのだが、不特定多数の人々に
  412.   広く公開されるにいたっては、もはやそんなことは言ってられない。
  413.   善良なユーザーさん達に、多少のデメリットが加わるのは、非常に
  414.   申し訳なく思うが、こういった悪質な人達に対処するためにも、
  415.   ご理解をいただきたい。
  416.   悪質な利用者が後を断たないようであれば、公開されているパスワードを
  417.   入力すると、ハードディスクを破壊するような(問題の多い)隠しプログラムの
  418.   追加も検討の予定である。
  419.   (あくまで、今は予定どまりである。私としても、出来る限り実行したくはない。)
  420.   聞く所によると、現在既に、この対抗手段を内装したシェアウエアも
  421.   流通しているそうである。(^^;
  422.   驚きであるが、やっぱり、人は考える事はみんな同じか。(犯罪者も、そして被害者も。)
  423.   とは言っても、この手のソフトはまだ数種類だそうなので、
  424.   全シェアウエアでの報復プログラムの導入を、話し合った方がずっと効率的であろう。
  425.   本当なら、法律と警察が取り締まってくれれば最高なのだが、今は自衛努力しかない。
  426.   日本政府の重い腰は、当分あがりそうに無さそうだ。
  427.  
  428.  
  429.