青空文庫収録ファイルの取り扱い規準策定に向けた論議
1999年5月17日 作成
1999年6月1日 修正
【論議の出発点となった「そらもよう」の記事】
1999年5月9日
太宰治『黄金風景』を登録する。入力は、深水英一郎さんと加藤るみさん。校正には、加藤るみさんがあたってくれた。
「インターネットの本屋さん『まぐまぐ』」では、電子メールで配信する「日本文学(e-text)全集」と名付けた企画を進めている。案内のページを見た方なら、ぴんときたかもしれない。太宰治の『黄金風景』は、この配信サンプルに使われている。深水さんは「まぐまぐ」を作った人。加藤るみさんは、同サイトの顔となって外部との対応に当たっている、「まぐまぐのリーダー的存在」だ。
実は深水さんからは、企画の検討段階で連絡をいただいていた。ファイル作成が始まると、「青空工作員の深水」を名乗って、「入力中の作品」への登録要請が寄せられた。電子メールでの配信という枠組みで進めるから、長めの作品は、全集では区切って送られる。ただし、バックナンバーを置く場所が用意されるから、「こことあそこのあいだが抜けて見つからない」と騒ぐような心配はない。加えて深水さんは、青空文庫も、少し毛色の変わったミラーとして使ってやろうと考えてくれた。ファイルをお預かりできれば、私たちは校正を重ねられる。T-Timeのルビ形式に対応させたり、エキスパンドブック版を用意したりといった味付けも施せる。外字リストの存在も〈味〉として認めてもらえると、担当している者としてはありがたい。そうした青空文庫のいくつかの機能を、深水さんは評価してくれた。
すでに青空文庫以外で電子化された作品に対して、どう対処するかという問題は、なかなかむつかしい。
相談してファイルの利用を認めてもらう。図書館的なサイトなら、相互に利用を認めあう。それぞれのサイトは独自の味付けに工夫を凝らし、省けた時間で、別の作品の電子化や後処理を進める。
とこんな形が取れればと、文庫の開設当初から、考えてはいた。事実、入力ファイルを送って下さる方には、そうした感覚で青空文庫を使ってくれる人もいる。けれど私たちの側からは、「使わせてください」とお願いしにくいケースもあった。どこか別の所にあるからといって、「自分で入れたい」と申し入れてくれる人の気持ちを、おさえることもしにくかった。
ところが深水さんは、大きな企画を自力で準備しながら、同時に青空文庫も認めてくれた。同企画のFAQに行くと、「すでにどなたかがデジタル化している場合は、転載が可能か問い合わせします」とある。はじめに連絡を頂戴したときにもお答えした内容ではあるが、「すでに文庫にある作品を配信される際は、当方のファイルを使ってください」と、重ねて申し上げた。
青空文庫のファイルの取り扱いルールは、「本のリスト」の冒頭に示してある。だが、山形浩生さんの批判にあるとおり、これでは曖昧だ(であるので、以下はこれを「ゆるふんガイドライン」と称する)。Newtonやザウルス、WorkPadといった小さな道具で読むために、ファイルを作り替えようと考えた場合、また、独自の編集を施して自分たちのサイトに置きたいと思い立った際など、誰にどう断ればいいのか、あるいはまったく断らなくて良いのかが明確でない。著作権の切れているものと切れていないものの、区別も示していない。
ただし、これまで現実にファイル利用の打診があった際には、次のように答えてきた。
著作権の切れていないもの:青空文庫には、作品の利用に関して回答する権利がない。著作権者に直接連絡を取って、判断を仰いで欲しい。
著作権の切れているもの:無料公開されるのなら、自由に使ってもらってかまわない。ファイルフォーマットの変更も、もちろん結構。ただし、ファイルに添えている入力者と校正者の名前は、削らないで欲しい。該当のファイルが青空文庫を舞台とした協力の中から生まれたものであることを、なんらかの形で分かるようにして欲しい。(「ファイルは青空文庫から」としてもらえれば、それで足りる。)
著作権切れのファイルを有料の商品に組み込みたいという依頼も、一件だけあった。DTPソフトの、加工サンプルとして使いたいという例だ。この際は、入力と校正に当たられた方に了解を求め、了承が得られたので、使ってもらった。
呼びかけ人の段階で、著作権切れの作品に関して「どうぞ」と答えることは、ゆるふんガイドラインの規定に照らせば、越権行為である。ただ、「入力や校正やファイル作成の作業を担ったことで、電子化テキストを〈縛る〉権利は生じない。現行法のどこにもそんな規定はないし、今後、〈縛る〉側で法整備をするべきでもない」あるいは、「電子翻刻者に与えられるべきものは、自らの心の充足と、利用する人の感謝以上のものであってはならない」という私たちの基本的な考え方は、折に触れて示してきた。この精神を運用上の方針に落とし込めば、「著作権切れファイルの利用は、原則自由。ただ作業者の名前は削らないで欲しい」という形でよいだろうと考え、そう対応してきた。
今回、「日本文学(e-text)全集」との連携が動き始め、先延ばししてきた点を山形さんから指摘してもらったのを機会に、私たちは青空文庫のファイルに関して、何ができて何ができないのか、一目見て分かるようにしたいと考えている。
基本は、これまでの対応方針どおりで良いのではないだろうか。少し悩ましいのは、商品に利用する際だろう。
例えば「まぐまぐ」は、株式会社まぐまぐによって運営されている。個々のメールマガジンは無料で配信されるが、経営は広告収入によって成り立っている。青空文庫の事務局機能を支える一助として、私たちのページも広告を入れている。厳密に見ていけば、有料と無料の線引きはかなり難しい。私自身は、商品への利用を拒んでも、意味はないのではないかと思い始めている。以下は個人レベルの腹案だが、著作権切れは一切自由。商売する人が現れれば、広告の出稿なり、資金援助なり、入力や校正への協力なりを要請してみる。「テキスト・アーカイヴィングの仲間になろう」と呼びかける。それで無視されれば、みんなでそろって念でもかけて、あとはさっぱり忘れてしまうのが、健康にもよいのではなかろうか。
ともあれ、ファイルの取り扱いルールに関する原案を、時を置かずに示そうと思う。すべての工作員の皆さんには、その形で協力できるか、直すとすればどこを直せばよいか、ご意見を賜りたい。作業に当たられていない方ももちろん、思うところがあれば聞かせて欲しい。独自の規準でアーカイヴィングを進めておられる皆さんには、我々が明示するファイル利用の原則を踏まえ、連携相手の候補に青空文庫を加えていただけるとありがたい。
広がり始めた波紋を、遠く広く行き渡らせるために、さて、もう一仕事。(倫)
【以降、みずたまりで交わされている論議】
青空文庫のファイルの取り扱いルール( 長谷)
99年05月10日06時53分
私の考えは、簡単です。個人が私的に使うのであれば無償。個人でも商業利用をするのであれば有償。
学校、法人、政府機関の場合は有料、無料を問わず有償とするというものです。著作権が切れた作品といっても、それを自力で入力する経費を考えれば、これは当然だと思います。
私としてはこれ以外を認めることはできません。
長いですけど(おおの)
99年05月10日10時22分
ファイルの取扱いについて、読みました。私の考え方は以下の通りです。
(入るかな?)
・青空文庫に籍を置く(リンクではない)著作権切れの作品については、利用は富田さんのお書きのルールで基本的には良いと考えます。他のサイトで図書館的に使用するのであれば、基本的にはファイルを持って行くのではなく、リンクで参照させるべきでしょうね。ここは、ネット上で紳士的にいきやしょう。
・リンクで使用している著作権切れの作品は、所有権はリンク先にあるものと考え、リンク先のルールに従ってもらいましょう。(見分ける方法を提供しないとまずいか?)ただし、何らかの支障があってリンク先がなくなるようなことがあれば、その際は、「青空文庫」に置かせてもらえないか?(青空文庫の所蔵品にできないか?)お願いしてみる。そして、置かせてもらえた場合には文庫のファイルと同様のルールで管理する。ただし、初期の入力者への謝辞は記載する。置かせてくれなかった場合には、あきらめて、また独自にファイルを入力する。
・著作権がある場合には、基本的には著作者の考えをファイル、図書カードに記載してもらう。しかし、青空文庫全体のバランスもあるから、配布は自由とする。「改変」「再利用」に関しては、テキスト・ファイルを使うなら「ゆるゆる」にしてもらう。改変、再利用がいやなら、T-Timeやエキスパンドブックの形式で提供してもらう。もし、青空文庫に籍(ファイル)を置くならば、電子物に関する著作権は無条件に全部青空文庫に譲渡してもらう。(契約書がいるか?)こちらも、リンク先がなくなるようなことがあれば、青空文庫にファイルを頂けないか?打診する。
・新しい著作権の残る作品を登録の際には、まずは富田さん達と申し出を入れて頂いた方とで、作品の内容と著作権の考え方を話して下さいな。で、納得頂けたら、登録する。
「著作権=お金」の構図が出来上がっているけれど、それだけではない気がします。出版界の商売の構図で、言いたい意見、発表したい作品、発表したい論文の大半が埋もれてしまいつつある。個人各自でウェブ上でギャーギャーやっても良いのかもしれないが、見てもらえる可能性は低くなる。読む方も、半信半疑で読むことになる。それを補う機能も青空文庫にははたして欲しい。
そのためには、今までの「紙の本」で著作を発表してきた方や故人の著作権をお持ちの方にも呼びかけるべきかもしれない。「もし、あなたの著作、意見が紙の本では残せないなら、廃版になってしまった本を預けて頂けませんか?」と。
文庫ファイルの取り扱い規準( 富田倫生)
99年05月10日14時12分
長谷さん、おおのさん、5月9日付の「そらもよう」に示した、「文庫ファイルの取り扱い規準」に関して、さっそくのコメントありがとうございます。
これまでは、明確に取り扱い規準を定め、納得した上で協力する形がとれていませんでした。当然、「私の考えは違う」、「そんなつもりではなかった」というご意見が出ると思います。
一方で、「より自由に活用できる」ことを目指し、もう一方で「より幅広い合意が得られる」ことを念頭に置いて、規準をまとめていきたいと思います。
すでに収録された作品に関しても、できるだけ規準にそって運用できないかと思います。けれど、入力、校正、ファイル作成に関わった方から、同意が得られない場合もあるでしょう。
個人的な見解ですが、そうしたファイルに関しては、関わった方の合意が得られるところまで制限を強め、明確にその旨を宣言し、その枠の中でのみ利用してもらうべきかと考えます。
念には念をいれよ(意味不明) ()
99年05月10日21時04分
ううむ。「みんなでそろって念でもかけ」ると、メールが毎日千通も届いたり、毎晩無言電話がかかったり、突然車道に飛び出したりするのかもしれませんが、その前に生命保険にはいらせるというのはどうでしょう?
でもそれって違法なのか?!(爆)
デジタルテキストの神様の祟りは恐ろしいものです(^^;
//もりみつじゅんじ
御値段は?(もりみつ)
99年05月10日21時12分
長谷さんへ。
たとえば私のホームページに置くためにはいくらぐらい払うことになるのでしょうか?(商用利用として)
それで支払先は入力・校正者でしょうか?それとも青空文庫あて?
私は公開してる以上無料になるのは仕方ないのではないかと思っています。。。(著作権切れのものに関しては)
//もりみつじゅんじ
規準を定める理由(富田・念・倫生)
99年05月10日22時23分
もりみつさん
取り扱い規準に並べる条項に関しては、いくつかすぐ頭に浮かびました。けれどそれらを列記してみても、どうも腑に落ちない感じが残って、ここ数日悩んでいました。
「なぜ、基準を設けるのか」という理由を、一言示せると、気持ちが落ち着くかなと思い始めました。「無料になるのは仕方ない」というよりは、明快にしておかないと、著作権の切れたファイルの利用に関しても、ある種の抑止がかかってしまう。「青空文庫」の提案に盛った初心をよりうまく機能させるには、「できることを可能な限り広くとって、明快に示した方が得策なのだ」と言えれば、すっきりするかなと思うのですが。
心は揺れる(富田・浮気心・倫生)
99年05月10日22時49分
おおのさん
著作権のある作品に関しては、
・図書カードから著作権者のページにリンクしている場合、複製や頒布の許諾如何は、著作権者と利用者とのあいだで取り決められるべきことだと思います。
・文庫のサーバーに収録する際も、基本的には青空文庫(及びそのミラーサイト)からダウンロードすることだけを許したと、限定的にとらえた方がいいように思うのですが、どうでしょう。
著作権の有効なものに関してはなぜ、そんなふうに限定的にとらえるかというと、生きている人の心は、ふらふらしたものだと思うからです。「永続的な財産権行使の放棄」など迫られると、ほとんどの人はしり込みするんじゃないかな。過渡期にあたってふらふら揺れながら、白田さんの「プロメテウス・キャンペーン」に触れて感化されたり、はたまた投げ銭システムに走ってみたりと、いろいろ自分の意志で決められる(そして、気持ちを変えられる)余地を残しておいた方がいいように思うのですが。
大変でしょう、きっと(大野晋)
99年05月11日09時34分
富田さん、お考えわかりました。
ただ、実際の運用を考えると、著作権者との間でその場、その場の対応を考えていくと、青空文庫での運用が大変なのではないでしょうか?
一回公開してしまえば、そのファイルは不特定多数の人達の手元に残ることになります。これが、紙の本なら、書店の本を回収するという手もありますし、そのうち、茶色になってしまうこともあるのでしょうが、電子の本では配布時と同じ形で残ることになります。
このファイルの運用をフレキシブルに扱っても、ネット上に広がったファイル達の統制はとうてい取れるとは思えません。
公開してしまったら最後なのだと思うのです。ただし、紙の本に関する権利を拘束したり、本人が改変したりする権利まで縛ることまではする必要もありませんし、そうしたいとも思いません。
ただ、自己増殖してしまうネット上のファイルという事実を公開する人にも認識してもらいたいのです。
利用方法を変えたいのなら、ファイルの内容自体をバージョンアップしていくしかないのではないでしょうか?これが、現状のネット上のファイルのルールだと思っています。
その前に、一つ一つ、著者毎に対応していくと、話がややこしくなって大変だなと思っただけなのですけど。ね。 ^^;
最低限、「投げ銭」⇒「無償」は可能だけど、「無償」⇒「投げ銭」はできないでしょう。
簡単で良いのでは?(おおの)
99年05月11日12時18分
長谷さん、もりみつさん。ども _(._.)_
利用料について、お二人の主張、ともに納得です。
で、ネット上の使用についてあまり「対価」を求めたくない、これも一理。
とはいえ、運営費用もかかっているし、入力・校正にあたった人の労にも報いて欲しい、これも一理。
まあ、一様、ネット上でも仁義があるはずですから、有料コンテンツに利用される普通の方はなんらかの見返りを考えてくれるのではないか?と。
で、仁義を無視する人は、いっくら書いても裏をかこうとするから意味がないと。
ということで、富田案くらいがよろしいのではないか、と。
その前に、現状の出版事情では、古い作家の出版物がなくなっても、古い作品が再度世に出るとはあまり考えにくいなあ、と昨晩思い当たりました。
夜の青空文庫(は、本家青空文庫を越えるか?)
99年05月12日00時15分
う。いやあ、低価格なら私が買って、無償公開(使用制限なし)しようかと思っただけなのですけど。まあ、青空文庫に同じものを登録するのはなんなので、夜空文庫(笑)でも作って使用制限なしのパブリックドメインなものを集めればいいかなあ。制限がついているのは配慮して、私が泣きながらまた電子化すると。めんどくさ。いろんな製品のCD-ROMに夜空文庫電子テキストアーカイヴをいれてもらう。電子テキスト日本文学全集CD-ROMを作って売る。なかなかいいかも。夜空文庫をよろしくう〜
とへんなことを考えるまえに、話の前提として、
1)著作権のあるのは著作権者にしたがう。(あらゆる著作物に同じ)
2)著作権がないものについては、いままではルールがよくわからなかったので、今後の方針を決めても今までのものに遡及効しない。
と思っているのですが、今までのものにもルールが適用されますか?さらに
3)今後はそのルールに従うものだけにするのか?それとも別ルールも許されるのか?
というのはまだ議論されるものなのだと思いますが。。。
いろいろとめんどうだな。というわけで、夜空文庫をつくれば利用制限なし。商用利用もオケイ!なので、青空文庫のルールはもはやどうでもいいや。という結論になってしまいました。(爆)
//もりみつじゅんじ
作業の分解(もりみつ)
99年05月12日00時33分
入力・校正・運営費用を考えると、たぶん、機能的に作業員とスポンサーに分けることができるかもしれない。ボランティアでやるのは、自分で作業をして、なおかつ、自分がその作業のスポンサーということになるのか。なるほど。資本主義的(?)見方だ。
すると相場はいくら位だろう?入力をバイトにやらせてしまうと楽かなあ。100円/頁ぐらいで入力してくれませんか?安すぎるか?じゃあ入力補助金ということでは?指定した作品を入力したら、その分補助金を差し上げます。(進行状態:入力募集中)とかね。
夜と朝のあいだ(富田・ピーター・倫生)
99年05月12日09時51分
もりみつさん
取り扱い規準のまとめ方としては、以下のような段取りを想定しています。(現時点では、呼びかけ人の合意を得ていない、個人的な考えです。)
1)みずたまりでもう少し、皆さんと論議する。
2)呼びかけ人から、原案を示す。(原案は、どこかに張り出し、工作員として働いてくれた方と、作品を提供してくれている著作権者全員に、「見てくれ。意見を聞きたい」と連絡を取る。)
3)意見を聞く。必要に応じて、頂戴した意見を張り出す。
4)みずたまりを使って、さらに論議する。
5)規準をまとめ、提示する。(より幅広い合意が形成できるものを目指すが、さまざまな見解の中からどれをとって、どれを捨てるかは、最終的には呼びかけ人が行う。)
6)それに同意できない人に手を挙げてもらい、その人が関わったファイルに関して個別のルールを作る。
7)「青空文庫収録ファイルの取り扱い規準は、こうだ」、と宣言する。
結構、道は長いし、大変です。精神的なスタミナを求められるでしょう。けれど、どれも必要なステップであると思います。
「夜の青空文庫」でご指摘いただいた「話の前提」のうち、
1)は、そのとおり。
2)は、該当ファイルの作成に関わった人からの拒否がなければ、遡及〈する〉。
3)は、「規準を受け入れてくれる方だけに、協力を仰ぐ」ことを考えています。(いずれも現時点では、私の個人的な考えです。)
大規模なテキストアーカイブと、ファイルの相互利用などを検討する際は、3)に特例をもうける必要が生じるかもしれません。ただ私自身は、「著作権切れ作品に関しては、できる限り例外なく規準が適用できるようにしたい」という気持ちが強いです。
お金を払うことで、「有償、無償を含めた第三者による将来のファイル利用まで承認」してもらえるのなら、金額によっては、青空文庫が支払ってよいのではないかと思います。(金のでどこは?>自分)
規準はあくまで、「できない」ことではなく、「できる」ことを明示するために必要なのだと思います。制限的な条項としては、「作業者の名前と底本情報を削らないでくれ」だけにとどめたいです。(少なくとも原案の段階では)
夜空文庫が買い取って「使用制限なし」で公開してくれるのなら、それをとってきて、青空文庫規準で運用しちゃうというのもいいかもしんないかな。もりみつさんには、「青空も、ほとんど制限なしに近いんだから、いいじゃんいいじゃん」とかいって。そしたら、怒る?
「sophia」を読んだ(大野・こんなのも好きさ・晋)
99年05月12日20時44分
アイゲッティとWEBを使って「sophia」を読んだ。
いろいろと入力予定と校正中のテキストを抱えてはいるが、面白そうなのでとにかく読んだ。
思想史の部分と全体の絡みについては、もう少し味わってみないとなんともコメントのしようがないが、一緒に流れるストーリーは若者らしくて私は好きだ。
富田さんの紹介によると、現役の学生さんらしい。なるほど、現在進行中な訳だ。
古い書物たちに埋もれそうだが、ぜひ、一度読んでみることをお勧めする。
TO富田さん:せめて、コピーライトの表示くらいはつけましょうよ。もしくは作者の許している使用範囲。
でないと、せっかくの作品がかわいそう。
長い言い訳( 富田倫生)
99年05月12日23時30分
大野さん
著作権者から登録要請を受けた場合、これまでは、ファイル中への著作権表示をお願いしてきませんでした。
ファイル作成を青空文庫で代行する場合も、作業手順の中に、「著作権表示をする」という項目を入れてきませんでした。
理由は、「表示を行わなくとも、著作者の権利は十分守られる」と判断しているからです。
以下、淡々と書きますね。
・何らの手続きも必要とせず、著作物を生み出した人が自動的に著作権を取得するという考え方が、「無方式主義」です。
・ベルヌ条約はこの立場をとり、日本は古くからこれに加わっています。つまり日本国内の権利保護の観点からは、(C)(ご存じのとおり、本当はCを囲むのは○)の表示には、法的な意味はありません。(だからこそJIS漢字コードにこの記号がなくても、ただちに「JIS撲滅!」とはならないわけでしょう。)
・ただしいくつかの国では、「方式主義」をとっています。かつては、アメリカもそうでした。
・そこで両方式を繋ぐための機能を盛り込んだ、万国著作権条約が生まれます。
・無方式主義の国の中では本来必要ないのだけれど、「(C) 著作権者 最初の発行年」と書いておけば、どんな必要条件を求める方式主義の国(ただし万国著作権条約には入っていてもらわないとダメ)でも、著作物が保護されることになりました。
・ただ問題のアメリカも、1989年にベルヌ条約に加盟しました。そのために、(C)表示の実際上の意義はずいぶん薄れています。(ベルヌ条約加盟国をマップした地図があったんだけど、見つかりません。見れば安心できると思います。)
・特に青空文庫に収録する著作物は、日本語による表現である上に、著者が明々白々です。(C)の形を借りて権利所有者を特定するまでもないと考え、「入れない」方針で望んでいます。(ただ、入れても毒というわけではないので、「とってください」とはお願いしていません。私もなぜだかしらないけれど、一つ入れてますね。)
・著作権者からの特別な許諾が書かれていなければ、該当のファイルには著作権法が保証しているすべての権利が認められています。具体的には、私的使用の範囲内でのみ、複写ができるだけでしょう。
・だから逆にご自分で踏み切れるのなら、より公開性を高めるための注記を、大野さんがおっしゃるとおり、著作権者には是非添えていただきたいと思います。
意趣返しをするようなつもりはまるでなくて、以下も淡々と書きますね。
登録要請のあった作品は、しっかり読み、誤字や疑問点などがあれば指摘したいと思います。今回の「sophia」に関しては、エキスパンドブック版も作り、著者のご希望を聞きながら、なんどかトライアルを重ねて表紙をまとめました。
なお私自身は法律にまったくバックグラウンドを持たない人間で、上記の解釈も、文庫の活動のためにやむなくかき集めた聞きかじりの一部です。誤りや不明確な点がありましたら、特にご専門の方は、よろしくご指摘ください。
夜明けですか (無脳な人)
99年05月13日00時30分
手順についてはわかりました>富田さん。そういうのでいいんじゃないかと思います。
電子化をお金で…ということになると、やっぱり市場的に、お買得に安けりゃ「買いますぜ」だし、ちょっと高いなら「自分でやりますよ」ということになるのだと思いますが、安く入力をしてくれる人がいるなら、私はサボって読むだけにしようかと(爆)
具体的には50年前の5月17日にお亡くなりの海野十三の入力を考えていますけど。。。(笑)
なんか、原石はどこにでも転がっていてだれでも手に取れるけど、磨くのはちょっと面倒。安く磨いて宝石にしてくれるなら買いますけど、高いなら自分で磨きますよ。みたいな。ああ、全く無能の人であることよ[詠嘆]。で、1度宝石にしてしまったものは、ボコボコ増殖してしまうから、{人間の数だけ増やしてしまえ|増えると希少価値がないから人には触らせないでおこう}。というところで分裂してしまうでしょうか。先に磨いてしまった人が負け《偉い!》なゲームですね。
なんだか損な気がするので磨かないぞ。でも磨きたいな。誰かこの心理を小説にしてください(笑)
//もりみつじゅんじ
Re 御値段(長谷)
99年05月13日06時26分
もりみつさん、大野さん、はじめまして
使用料ですか、収録した書籍あるいはロム一枚(一冊)からそれなりの料金までそのときの利用状況によるのではないでしょうか。また、電子ファイルは自由に複製ができるからといって、それを無批判に認めてしまう必要はないと思います。
大野さんのいう仁義という考え方に私も賛成で、仁義を重んずる人はなにも書かなくても著作権を慎重に取り扱うだろうし、そうでない人は何を言っても効果がないと言うことです。だからといって、何でも認めてしまうのは無政府状態をつくりだすようなものだと思うのです。
前の書き込みであのように書いたのは、書籍デジタル化委員会というサイトが私が訳した落窪物語のファイルに直接リンクをはっていたのです。直接リンクするのなら連絡くらいするのは最低限のエチケットだと思うのですが、その書籍デジタル化委員会からはなんの連絡も未だにありません。それには青空文庫内のファイルであることが明記されてはいましたが、しかし、リンクするのなら直接ファイルにリンクするのではなく各サイトにリンクすべきだと思うのです。
天に積む宝( 白田 秀彰)
99年05月13日08時56分
著作権法の専門家のはずの白田です。法律について考える人は、ほとんどの場合「権利の最大化」について考えるものでして、おおよそ、その趣旨で発言するのが仕事です。しかし、ここでは、どこかの教会の牧師の説教のような話をさせていただきたいと思います。
「人が生きている」ということは他の人々との間に関わりがあり、他の人に影響を及ぼすことであると考えましょう。私たちの一生は短く儚く、わずか100年も経たないうちに私たちのこの世での「しるし」は消え去ってしまうわけです。しかし、もし私たちの書いたものが私たちの生を越えて残り、それを読んで私たちの「しるし」に心動かされる人がいれば、私たちは永い命を保つことになるのです。それゆえに、作者の死後も読みつがれる作品は偉大なのだと思います。
青空文庫について言えば、すくなくとも読者の一人が、その作者の作品の一字一句を入力し、永遠の命を与えようとするほど作品を愛していることを証明しているわけです。これは、どんなに巨大な墓や石碑よりも永く残る、その作品の作者に対する愛の表現です。それゆえに、青空文庫の活動には、金銭的損得を越えた崇高さが存在するわけです。活動員として積極的に関与する方はもとより、単に青空文庫からファイルをダウンロードして自分のディスクに収め読む利用者の方たちも、作者を賛える記念碑に石を積む人なのです。私は、著作権の保護期間をすぎても青空文庫に収録されない作家たちを本当に可哀相に思います。逆に、青空文庫に収録された作家たちは、なんと幸せなのでしょう。
作品が長い年月を経てなお人々に読みつがれるためには、たくさんの読者から選んで頂かなければなりません。人の嗜好にはいろいろと個性がありますから、作品の命を長らえさせることを考えますと、できるだけ広い人に作品の存在を知ってもらい、そうした人たちに読みやすい状態に作品を置かねばなりません。作者を賛える記念碑に石を積むという目的のためには、著作権法の規定でいけば、氏名表示権と同一性保持権は維持しなければなりません。しかし、排他的独占権すなわち「お金を払わない限り読むことを禁止します」という権利は、いくらかの程度で、読んでくれるはずだった読者を拒絶することになります。
ですから、著作権法による保護期間が満了した作品については、青空文庫への貢献があなたの作品への愛であるなら、氏名表示権と同一性保持権が維持されている限り、どのような利用法であっても、拒絶する理由がないのです。もし、あなたが作品の入力の段階で「お金が欲しいなぁ」と思ったら、当てにならない対価を期待するよりも、堅実にお金になる仕事をした方がよいと思います。その作品が本当に優れたものならば、あなた以外の誰かがその仕事をしてくれるはずだからです。
青空文庫を文化事業として考えると話が違ってきます。主要な日本文学の電子テキストを整備し、青空文庫を永く運営することを目的とするならば、とうぜんあるべき古典的名作を誰かが入力す「べき」ですし、何がしかの対価を徴収して運営体制を整えたほうが、青空文庫という事業体を維持する結果となるでしょう。テキスト入力という「作品への愛」をより効果的に奨励し広めるためには、なんらかの経済的支援があることが望ましいでしょう。もし、誰かが青空文庫の仕事に「ただのり」して商売をするなら、排除するなり、対価を取るなりしなければならないでしょう。
だから、このように整理できます。青空文庫の利用について(A)「完全に自由にすべき」と考える人と(B)「何がしかの対価を取って体制を強化しよう」と考える人の間には、(A)「配布の段階での可能性を最大化しよう」という戦略と(B)「入力の段階での可能性を最大化しよう」という戦略の違いがありますし、(A)「愛と崇高さに対する人間の感情は金銭を越えた力を発揮する」という理想論と(B)「ある程度の規模のアーカイブを構築し維持していくためには資金が必要だ」という現実論が対峙しているわけです。
現実世界に青空文庫が存在するなら(B)の選択が当然選ばれるものと思います。しかし、青空文庫は電脳空間というまったく新しい環境に作られた図書館だと私は考えます。そして(ほんとうに無責任な希望ですが)、(A)の選択、すなわち「愛と崇高さ」に応える無償の行為が、巨大な知識と文化の宝庫を立派に維持できることを証明して欲しいと思うのです。儚く消えていく自分の「存在証明」を、自らの愛した作家の作品の末尾に記すことに「天に積む宝」を見ることができる人が多くいるのだ、ということを証明して欲しいと思うのです。
大学で研究中に戦前のイギリスの本を読む必要があり、かび臭い図書館に潜り込んで探し出しました。厚い革装の表紙を開けるとそこには目元凛々しい学生の写真と名前が記されていました。山本さんという方が大学に寄贈した本のようです。日付を見ると昭和18年でした。私はしばらくその写真を見つめました。そしてどういった経緯で山本さんは、そこここにペンで書き込みのある貴重な洋書を大学に寄贈していったかのを考えました。そのとき、暗い図書館の書庫で、私は私の大先輩からこの本を手渡されたような気分を感じたのです。
私たちは小さな存在で、100年もすれば大抵の人から忘れ去られてしまいます。私たちの衣食を維持するための「地上の宝」は必要です。しかし私たちは衣食を維持する以上の何かを求めて生きているのだと思います。100年後、青空文庫の作品を読み終えた誰かがあなたの名前をみて、あなたの事を考える夢を見てみませんか。
最後に、長文をお詫びします。
書籍デジタル化委員会からのリンクについて(富田倫生)
99年05月13日09時27分
長谷さん
論議の材料として、事実関係だけまず報告します。
・青空文庫は、始めた当初から「リンクは自由」と書いてきました。
・ただしここでも、「自由」と書いただけでは、どこまでできるかが不明確でした。そのために、「各ページのどこに張っても良いのか?」であるとか、一番極端な形としては、「収録ファイルを直接ダウンロードできないか?」という打診もありました。
・「自由」と書いた時点で、呼びかけ人は皆「どこでもOK」と考えていましたから、「どのページでも?」には、迷いなく「どうぞ」と答えました。
・別のサイトに作品名が書いてあり、そこをクリックすると青空文庫側にジャンプしてそのままファイルダウンロードが始まる(つまり青空文庫の存在がまったく見えなくなる)形に関しては、別に拒否するまでもないという意見と、「誰がどうやって作ったのかはっきり分かる、図書カードまでにしておいてもらおう」とする意見に、呼びかけ人の間で分かれました。まとめる方向には論議を導けず、「図書カードまでのリンクにとどめてもらう」を対応方針とすることにしました。
・長谷さんが「落窪物語のファイルに直接リンクをはっていた」と書かれている点を確かめてみましたが、現状では、書籍デジタル化委員会のリンク図書館からは、落窪物語の図書カードにジャンプするようになっています。
・書籍デジタル化委員会からは、事前にこうした形でのリンクをして良いかという打診はありませんでした。私も、同委員会の「リンク図書館」コーナーがかなり整備されてから存在に気付きましたが、その時は「いろいろテキストアーカイブが出てくる中で、一段上の階層に索引を用意するこうした試みは、意義深いな」と思いました。「やってよいか」と問われたら間違いなく「どうぞ」と答えたはずですし、「自由に」という宣言の範囲をそのように想定していましたから、後になって気付いた際も、抗議するようなことはしませんでした。ただ「ありがたい」と思っただけです。
・先の引っ越しに際しては、同委員会が張った青空文庫へのリンクが切れてしまうことを恐れました。青空文庫側の努力で、リンク切れを回避する方法を考える一方で、ファイル書き換えをお願いしてみようと、はじめて同意委員会に御連絡をとりました。その際、素早く対応していただけたので、リンク切れを回避することができました。
以上です。
リンク 書籍デジタル化委員会
ああ、いや、そのですね(大野・舌足らずごめん_(._.)_・晋)
99年05月13日17時05分
富田さん、あのですね。
「sophia」のコピーライトの話は、はじめの疑問は、「区別がつかないじゃないの?」つうところから出ているのですよ。
ここにはたくさんの著作権切れの本があるわけです。で、それよりも少ない量の著作権がまだ継続期間中の本もある。
で、著作権のある本については、きっと、書いた人それぞれの考え方があるわけです。きっと。
「私はかってに使ってもらっていいよ」という人もあれば、「ネット上の配布については自由で良いけど、紙に載せるときは著作権行使するよ」という人もいる。
で、ただ放って置くことによって、混同を招くんじゃないかと。
例えば、「タダの本がある」「著作権切れの本がある」という情報で読んでいる人達の中には、ここに集まった本の作家は、芥川も漱石も富田さんも同列に扱ってしまう可能性があるわけです。そして、著作権による保護ということを意識せずに、著作権侵害を犯してしまう可能性もある。一般の人なんかは、私もそうだったけれど、あまり著作権がどうのなんて考えない。書く方も、読む方も、使う方も、その傾向はある。
だから、せめて、著作権の留保されている作品には、なんらかの記述なり、見分け方が必要なんじゃないか?と、ちゅうことなのですが?
なんだか、ああせい、こうせい、ばかりで気持ちが重いのですが、特に若い、将来が十分にある人の作品なんかは、そういうところを気を付けてあげれば、そのうち、○×賞を取るような作家もここから育っていくのではないか、と、夢を持っているのですが。
ということで、分かって頂けましたでしょうか?
いつも、舌足らずで申し訳ないです。
でも、「sophia」は今までの青空文庫に無かったパターンで楽しかったです。
感じ悪いオヤジですみません(富田倫生)
99年05月13日21時40分
大野さんお気持ちを汲みそこなっていました。
こちらこそ、大仰な口をきいてすみません。
・取り扱い規準には、著作権のある作品の基本的な扱いも、わかりやすく書いておく。
・大野さんご指摘のように、一目でわかる「著作権有効」のマークを入れる。
・「もっと公開性を高めた扱いで良い」と決断された著作権者には、「どう扱って良いか」を一筆図書カードに書いておいてもらう。
といったことを検討していきましょう。
長谷様、リンクにつきまして( nani)
99年05月13日22時17分
まず長谷様に直接ご連絡差し上げなかったことをお詫び申し上げます。
早々に「落窪物語」関連のリンクを断ち切りました。
以下、事実関係について説明申し上げます。
当方では、リンクは原則としてそのサイト「トップページ」と必要な「作品テキスト」への直リンクをさせていただいております。
連絡は事前ないし事後に、可能な限り(mail先が不明な場合等を除いて)ページにある宛先へさせていただいているつもりです。
「直リンク」についてはそれなりの考えを持って張らせていただいておりますが、ここでの論議と錯綜を避けるため、今はあえて申し上げません。
長谷様の件につきましては、当方は「青空文庫」さんで公開されたものと認識し、「青空文庫」様のご意向に従った方向でリンクさせていただきました。
青空文庫様には、そのような形をご了解いただいているものと認識いたしております。
事実関係は富田様のご説明どおりですが、
>・書籍デジタル化委員会からは、事前にこうした形でのリンクをし
>て良いかという打診はありませんでした。
という部分に関しては、富田様の思い違いがあるかと存じます。
当方は「事前」に直リンクのお願いをし「図書カードへのリンク」という形でご了解をいただいたつもりです。
その旨を示す応答mailを富田様宛てに送付しますので、富田様の方でご確認の旨お示しいただけるかと存じます。
なお、「青空文庫様での公開ファイル」という認識のみで、長谷さまに直接ご連絡申し上げられなかったことにつきまして、重ねてお詫び申し上げます。
リンク 書籍デジタル化委員会
追記(nani)
99年05月13日22時54分
ひとこと付記しますと、
自サイトでの公開ファイルは「フレーム内」、他サイトでのファイルは「別ウィンドウ」で開くようにして、自他サイトの区別がつくように配慮はいたしております。(直リンク関連)
付録も商用利用ですよね? (もりみつ)
99年05月14日02時22分
長谷さん、こんばんわ。「無批判に認めてしまう必要はない」というのはもっともです。青空文庫のものにいろいろな制限があるのはそれでかまわないとも思います。しかし私は商品の付録として青空文庫が全部はいっていたりするとうれしいと思うわけです。しかし青空文庫は販売所ではないわけだし、そうすると手続きが面倒なので、自由に使える部分だけを夜空文庫にして置いとけば、世の中には青空文庫より夜空文庫の方が広まるだろうと。配布を最大限の戦略ですか、そういうの。青空文庫自体が販売してもいいわけですし、その場合は使用料も含めればよいのであまり問題ないかもしれませんけど。
しかし利用状況によって使用料、となるとホームページにのせるのは無理ですね(予測不能...^^;)
原稿料払わない出版社の話などよく耳にするような気もしますが、まあまともなら仁義を重んずるというのはわかります。しかし、いま話してるのは≪著作権が切れてる作品≫のことなのです。著作権を重んじてもなにもならないというか、逆に、著作権が切れている作品の配布の自由を制限するのは作品に対して仁義を守ってないと考えることもできます。(他にない特殊な底本から電子化するとか、校訂・編集の著作権を主張するとかなら出来るのかしら…)
というわけで、すでに電子化された作品の配布制限なしバージョンを再電子化したとして、入力者(と利用条件)が変わっているだけの同じテキストが出来ますが、それは仁義を重んじたということになりますか?(最初に電子化した人に配慮したいのは山々ですが、制限なしのが欲しい場合はしょうがないですね)
あっ、青空文庫丸ごとだと図書カードの作品紹介の著作権はどうなるんだ〜
作品に誤植があった場合、青空文庫を訴えたりすることは「できる」のでしょうか?免責?
書籍デジタル化委員会へのお詫び(富田倫生)
99年05月14日09時35分
書籍デジタル化委員会
nani様
貴サイトからの要請に対し、私が「図書カードへのリンク」をお願いした返答、確認いたしました。
先に「事前連絡がなかった」と書きましたこと、完全に私の誤りでした。
ご丁寧な配慮をいただきながら、私の方では確認の労を厭い、書籍デジタル化委員会への信頼を損ねました。まことに申し訳ありません。
先日私から、誤った記憶に基づいて「初めまして」とメール差し上げたことに、自分自身が引きずられた結果です。
今回の問題は、文庫呼びかけ人が、「リンクは自由」と書くにとどめ、「何ができて何ができないか」を明示してこなかったことに起因しています。
現在進めている、ファイル取り扱い規準の明確化に並行して、リンクに関しても、できることをはっきり示したいと思います。呼びかけ人、収録を申し入れてくださる方、工作員の皆さんが、明確化した方針を「一度は必ず」読むような仕組みも、考えていきます。
著作権切れ自由化で起こりうること(富田 dreamer 倫生)
99年05月14日10時38分
もりみつさん
すでに生じていることですが、同じ作品を複数の個人、グループが電子化しています。このうちの、どれが一番広く使われ、しばらくたったあとでどれが〈生き残って〉いるでしょうか?
もりみつさんご指摘のとおり、「配布段階での可能性を最大化できた」ものでしょう。
その生き残り戦略における勝利が、白田さんが示された理念の勝利(「愛と崇高さ」に応える無償の行為が、巨大な知識と文化の宝庫を立派に維持できる。)に、そのまま結び付くとは言えないと思います。「ああ、タダのやつがここにある。儲け儲け」とだけ受け取る人もいるはずです。
そこで飽かず、くじけず、説明と説得を繰り返し、ファイル生き残りの勝利を、理念の勝利に結びつけていきたい。そうした理念が世の基調となりうるのか、私には分かりませんが、少なくとも社会の一画で確かに息づいていて、あるよりどころとなっているような将来を引き寄せたいと思います。
「著作権切れに関しては、有償、無償を問わず自由」で合意を取り付けられればと考えているのは、それ故です。
では、そうした戦略を採ったとき、何が起こりうるでしょう。
1 雑誌社が、青空文庫を付録にする。
2 青空文庫をCD-ROMにして、売ろうとする人が現れる。
この二つは、必ず起こるように思います。
十分値段が安いのなら、私もノートブック用に一枚買うかもしれません。1にはかなり安くなることを期待できますから、2を試みる人も、配布のボランティアくらいの気持ちでかからないと、痛い目を見るでしょう。
自由化した当初、そうした市場メカニズムがうまく動き始めなければ、青空文庫がCD-ROM化して配布しても良いように思います。郵送の仕事を抱え込んで、大変な騒ぎになるでしょうが、タダで手伝ってくれる人さえいれば、往復の郵便料金プラス200円くらいで、配れるのではないでしょうか。
人というのは本当に同時に同じ事を考えるものだと思いましたが、図書カードやリストの類は、より安価なCD-ROM化を発行元に迫っていく際、交渉の札に使えるかなと、昨晩、考えていました。
再配布への門を大きく開こうとすれば、免責事項の記載は必要になるのではないでしょうか。夢想家も、現世に生きているのですから。
コメントを集約させてもらえないでしょうか?(富田倫生)
99年05月15日00時18分
ファイルの取り扱い規準に関する論議に加わった方、これから参加される方にお願いです。
本掲示板への書き込みの内、初期のものはすでに「過去の記事」置き場にしまい込まれました。これからも、どんどん退場していきます。
そこで、後からご覧になる方が論議の流れを一筋に終えるように、関連するコメントを一つの文書にまとめさせてはもらえないでしょうか。
・5月9日付のそらもよう記事を先頭に置き、
・以降のみずたまりへの関連コメントを、古い順に(みずたまり上の見え方とは逆に)並べると、一気に読む際には良いかと思います。
・もし皆さんに異論がなければ、行末に強制的に入った改行はとろうかと思いますが、どうでしょう?
長谷さん、大野さん、もりみつさん、白田さん、naniさん、よろしくご検討ください。(皆様には、メールでもお願いを差し上げます。)
限りなく夜にちかいブルースカイ (もりみつ)
99年05月16日05時03分
どんどん押し出すつもりはあまり(?)ないのですが、沢山書きこんですみません。
富田さんこんばんわ。複数の電子化でどれが〈生き残って〉いるか?という意味が???でしたが(残っていればどれでもいーじゃんと思った)、〈生き残るか〉どうかというと、利用に制限がある「ひもつき」のものはそのうち消えるのではないかと。だってへたすりゃ裁判とかにまきこまれかねないですから。仁義だけならまだしも、HTML化なりebk化なりに著作権を…とか。そういうのを使うより私なら安全のために制限なしのものを作ってしまいますけど。まあ需要とか他の要素も大きいかもしれませんが、制限があるとそれを管理するためのコストもかかるので結局マイナスな気がします。入力者が死んだらアクセスできなくなったりして。私の予想では、利用が面倒な青空は滅びるが、自由に使える夜空は永遠です。
前に書いたのでは、a)その電子テキストが制限なく使えるか。と、b)青空文庫まるごと配布できるか。とごっちゃに書いてしまったのですが、b)の簡単のためには
b1)関係者(著作者、工作員他)がそれ(まるごと配布)を認めておく
b2)その場合にいちいち許可や費用が必要なものは、青空文庫サイトに含めず、リンク先を示す図書カードのみ登録ということにする。リンク図書カードもだめなものは削除(泣)
b3)青空文庫サイトを浄化(リストラ?)して、リンクのものには「青空文庫管理ではありません。利用に関してはリンク先を参照してください。」と、また著作権きれてないものにもそのことを明示する
b4)サイトまるごと(またはzip,ebkをなくしてhtmlのみのミニサイズ版)で、その利用と寄付をお願いする。
そんなのはどうでしょう。
ところで私が「配布可能性を最大」というのは、利用(読書)を考えてるわけではなくて、工作員のリクルートが目標だったりします(爆)。「タダだ。儲け儲け」という人は多いかもしれませんが、存在を知って協力してくれるひとを発掘できるかもしれない。電子化なんて単に機械作業じゃないですか。誰でもできますよ。小学校でワープロの練習に一人2,3ページ打ってもらえばすぐに100ページ入力できますよ。入力者の欄に「〇〇小学校99年度五年二組 名前名前…」とか中学の文芸部(ってあるのか?)とかだったりしてもいとをかし。(児童を労働させるなって^^;)
もとにもどってa)は、制限があるのはリンクだけにして他のサイトに移ってもらう。利用自由なものは、青空文庫サイトに収録する。という「自由に使えるものを収集、それ以外はリンク図書カードだけ作成」方針でもいいんじゃないかと思います。ところで、テキスト(.txt)自体には入力者の名前とかはありますが、使用条件とか連絡先がありませんね。少なくとも青空文庫のメールかURLぐらいは必要では?でも利用は自由です、なら連絡はいらないのか...(^^; いやいや、すばらしいから寄付をしたいという人が現れるかもしれんから連絡先はテキストに入れるべきだよなあ。などと考えて、ふと気がつくと、限りなくグーテンベルグのetext形式に近づいてるのだった。この際、グーテンベルグの日本支部も兼任してください。(笑)
//もりみつじゅんじ
主観的には、同じことを言ったつもり(富田倫生)
99年05月16日13時04分
もりみつさん
「著作権切れ自由化で起こりうること」で私が書きたかったことは、もりみつさんによる「限りなく夜に近いブルースカイ」の最初の一節、そのものです。
他の方からも「生き残る」という表現が分かりにくいというご指摘を受けましたから、私の書き方が至らなかったんですね。(とここで終えたくもありますが、できるだけ立場を明確にする必要もあるかと考え、御指摘を私なりの言葉でなぞります。「なぞり」ですから、以下の文章を追うと、時間の無駄になる可能性があります。)
・ファイルの一部手直し(旧かな、旧漢字の現代表記への変更。あるいはその逆。ファイルフォーマットの変更。注記形式の変更)や、再配布などを考える人は、「自由な取り扱いを保証したもの」を使いたいだろう。
・片方に自由宣言付きがあり、もう一方にそうでないものがあれば、まず例外なく「安全」な方を使う。(使ってもらいたいと考えて公開する側からすれば、自由宣言に加えて、信頼性や読みやすさを高めるといった〈おまけ〉を付けておけば、さらに効果が上がる。)この選択が、何度も何度も繰り返される。
・自由宣言付きがなければ、自分で作業しなおした上で、宣言を付けて公開しようか、と考える人が出てくる。いろんな人が、繰り返し繰り返しそう考える。その内の何人かは、そうするだろう。
・たとえば青空文庫が宣言に踏み切らないなら、自由な取り扱いを保証する「夜空文庫」運動をはじめようと思う人が現れる。(少なくとも、もりみつさんが始めるだろう。その時、私は、夜空工作員になるだろう。)
ドミノ倒しのような、こうした一連のステップは、必ず現実化してくると思います。
自分で電子化にあたる動機はいろいろありうるでしょうが、それを公開しようとする際には、「人にも読んでもらいたい」という気持ちが絡んでいるはずです。
「自分が労力をかけたものを、勝手に使われたくはない。作業を担った者には、成果物を縛る権利が生じているはずだ。その侵害は許さない」と主張し、警告や抗議によって、目的を果たすことは、かなりの程度可能かと思います。(流用した上で多少校正でもかければ、現実には捕捉しようがないでしょうが、大半の人はより安心な、「入力し直し」を選ぶと思うので。)
ただ大きなかたまりとなってかかってくる相手は、いずれ必ず、自由宣言付きの代替ファイルを用意してくるのです。
制限付きのファイルは、そこに存在してはいるんだけれど、ほとんど利用されなくなる。「人にも読んでもらいたい」という気持ちは、結果的に生かされず、〈死蔵〉状態になる。一方、自由な取り扱いを宣言したものは、いろいろなところで、いろいろな人に広く読まれるだろう。
という意味で、「生き残る」と書きました。
「限りなく夜に近いブルースカイ」の二節以降のご指摘にも、ほとんどそのまま同意します。
ただ、複数の人の協力によって収録に至ったファイルに、合意が形成できずに制限が付くことは、かなり忍びないことです。そのためには、ねばり強い話し合いがきわめて大切だと思っている心情のところだけ、少し強調したい気がします。
青空文庫の機能(もりみつ)
99年05月17日00時17分
富田さんありがとうございます。そこまで書いていただけるとよくわかります。
ところで青空文庫分割案。といっても独占的に過ぎるというわけではなくて、頭を整理するためだけですけど、機能を分けて考えてみると。
1)電子化支援…入力・校正の交通整理とその情報公開
2)テキストアーカイヴ…電子化された作品の保持と訂正とその情報公開
3)電子図書館…各ファイル形式で公開して、図書カードをつくり、本のリストをメンテする
青空文庫では1)2)3)だけど、他で作成された利用自由なファイルをもらってくると2)3)だけで、リンク図書カードをつくるのは3)だけ。と考えると、わかりやすいかもしれない?
雑感(長谷)
99年05月17日07時05分
こんにちは長谷です
みずたまりを、関連する項目に一まとめにするのは賛成です。そのほうが話が見えやすくなると思います。
ところで、著作権に関する話ですが、私はそれで儲けようなどと考えているわけではないのです。もちろんそこから利益がえられれば嬉しいですが。有償と言っても感謝のメール一通でも良いわけです。最近、枕草子を訳し終わりました。現在は、うつほ物語を訳しています。現在下訳が半分程終わりました。私としては、これからも青空文庫に発表していきたいと考えているので、見過ごしにはできない問題なのです。
例えば、某社がPDFを普及させるために、青空文庫のファイルを使いたいなど言ってきた場合にまで、無償での使用を認める必要はないのではないかと思うのですけどね。サイトを維持運営するにも経費がかかるわけですから。
ロム化するのも、出版社等がはたして低価格で出すでしょうか、電子辞書などの価格を見ていると信じることができません。どこかの百冊入ったロムなどにしても一冊当たりにすれば確かに100円ですがロム一枚が一万円は高いのではと思われます。それなら10册1000円にして欲しい。(爆笑物でしょうか)
リンクについてもそのサイトを維持運営している人々に感謝する意味でもファイルに直接リンクするのではなくトップページにリンクすべきだと思います。
前にも、書いたように個人が私的に利用する場合に限り自由に使用できるというので十分ではないかと思うのですが。
追(長谷)
99年05月17日09時03分
もりみつさん
ファイルの配付を制限したからといってそれが著作権切れの作品の配付の自由を侵害することにはならないと思います。配付したい人は自力で入力すればよいわけですから。しかし、青空文庫の全ファイルを自力で入力しようとしたらどれほどの手間と経費がかかるでしょう。その経費、手間を省きたいというのであれば、かわってそれをおこった人、あるいは、サイトに対して、なんらかの対価を支払うべきだと思うのです。他人が苦労したその結果を何のことわりもなく、勝手に扱って良いはずはないと思うのですが。
ホームページ上に置きたいのであればそのサイトにリンクを張ればすむことではないかと思いますが。もちろん、数行程度の引用ならばかまわないでしょうが、それでも引用したという連絡くらいは欲しいと思います。あと、学校などで、テストのために数行程度引用するというのも、同様です。要するにファイルをそっくりそのまま使用できるのは、私的使用の範囲に限ると言うことです。
本の付録についても同様ではないでしょうか。
ファイル取り扱いに関する論議に加わってこられた皆さんへ(富田倫生)
99年05月17日09時34分
コメントを一つの文書にまとめる件には、皆さん方全員のご了解が得られました。これからさっそく形を整えて、分かりやすいところに置こうと思います。
揺れながら、考えを進めていく過程を示すことには、ためらいが付いて回るはずです。広いお心で了解してくださいましたこと、心から御礼申し上げます。
長谷さんの著作物の扱い(富田倫生)
99年05月17日10時00分
長谷さん
今回の論議を追ってくださる方の存在を頭に置きながら、確認のため、一言。
著作権法は、翻訳された作品に対し、訳者の独立した権利を認めています。長谷悟訳『落窪物語』は、長谷さんの著作物です。私が自由な取り扱いを提案している、「著作権の切れたもの」にはあたりません。長谷さんの著作物の扱いを決められるのは、長谷さんだけです。もし翻訳に当たられた『枕草子』と『うつぼ物語』を登録していただける場合も、ことは同様です。
長谷さんがお力を振るってくださったものの内、著作権切れに該当するのは、與謝野晶子『源氏物語』です。
著作権(長谷)
99年05月18日05時54分
富田さんの言われることはよくかっています。私が言いたいのは著作権が切れた作品であっても、我々が意図しない、あるいは、望まない使われ方をした場合、全て自由と宣言したのでは、その使用を止めようがないと言うことです。ですから、あくまで、青空文庫内の作品は、著作権が切れている、いないにかかわらず。しばり、をかけておいた方が良いと思うのです。
それと、ちょっと不思議なのは、このことについて他の人が発言しないことです。大勢、青空文庫に関わっている方は、いるはずですが。
ささやかな願い(小林 徹)
99年05月18日09時54分
長谷さん:
こんにちは。
あまり発言が多くないのは、私のように、活発に議論している方々のお話を辿るのが精一杯なのかもしれません。
私は、白田さんのおっしゃったように考えております。
長谷さんが危惧していらっしゃる「意図しない使われ方」の心配はしておりません。どちらかといえば、作品に「陽の目を見せられればいいや」というスタンスで入力しているものですから。
芥川や漱石等のメジャーな作家の作品などは、たしかに色々な使われ方をされるかもしれませんね。ただ、私には「望まない使われ方」というのが、あまりピンと来ません。
商業利用されたら、ってことでしょうか?
それでも、人の目に触れるチャンスが増えることですから、長い目で見れば作家・作品の為になるのではないでしょうか?
作品に手を加える(改変)ような使われ方は、もちろん言語道断ですが。
リンク CarlSchurichthomepage
リンク削除、ご連絡(nani)
99年05月18日15時42分
与謝野晶子訳『源&ィ語』もリンクを断ちました。失礼いたしました。
なお→「古典総合研究所」さんでも与謝野訳全巻分を公開されています。ご参考までに。
リンク 古典総合研究所
re ささやかな願い(長谷)
99年05月18日18時27分
小林さん初めまして
望まない使われ方というのは、例えば、青空文庫のファイルを収録したロムを高価で販売するといったことです。
著作権が切れている、いないにかかわらず、青空文庫内のファイルは全て青空文庫のコントロールの下に置くことによって、低価格で販売するという条件付きで無償でのファイル使用を認めるということもできるわけです。
自由に使用できると宣言したのではそれもできないでしょう。
商用利用(小林 徹)
99年05月18日19時56分
長谷さん:
どおも。
青空文庫のファイルを収録したロムを高価で販売されたとしても、私には特に問題には思えません。
あまり高価でしたら誰も買いませんし、、。
青空文庫で誰でもダウンロード出来るようにしてあれば、一時的にそうした商売をする人が出ても、やがては消えるのではないでしょうか。
むしろ「青空文庫」が、積極的に安価でロムを配布するというのも、良いかもしれませんね。
おそらく。。。(LUNACAT)
99年05月19日00時00分
長谷さん、こんばんは。
長谷さんのおっしゃりたいこと、私には、わかるような気がします。
もしかしたら勘違いかもしれませんが。
おそらく、
「私は、青空文庫で、無料のテキストをダウンロードし、感動して入力の手伝いを申し出た。もちろん私が入力したものは、私が読んだときと同じく、青空文庫から無償で配布されるものだと思っていた。
でも、なんで○×社が、それを無償で手に入れて、有償で配布するのか。私は○×社のもうけのために入力したのではない。有償でも、青空文庫がもうかるのなら文句は言わないけれど、それでは○×社の利益のためにただ働きしているようなものじゃないか。こっちは善意でやっているのに、それにただ乗りして甘い汁だけ吸う奴がいるのは許せない。それじゃやっていられない」
ということではないかと解釈しています。
そういう割り切れない気持ちになる、というのは、人間の心理として当然だと思います。利用に関して制限がなく、広く利用されるものが生き残ると言っても、それは搾取する側に都合がいいから利用されているだけじゃないか、という理屈も成り立ちます。私は、個人的に、そういう意見が出てきても否定できないと思っています。
CD−ROMなどに収録すれば、そこにあるのは、生きて動いているネット上の活動の抜け殻でしかない。その抜け殻と出会う人が、ネット上の生きた動きに感応して、さらに動かしていくことを考えてくれるだろうか、という危惧もあります。
そこから、どうやって状況を打開し、どうやって前進していくのだろう。
そういう疑問から、再出発するしかないのかもしれません。
自分自身でも、納得のいく答えは出せていません。
高校生だ♪(大久保友博(業界同名人在。PN考え中))
99年05月19日00時03分
わぁい♪ 高校生だぁ。飯田さん、自分も高校生です!(本好き)。よろしく!
と、挨拶はさておき、ずっと今の今まで著作権に関して発言を控えていました。
発言すると、今までのようにあらぬ方向へ突っ走ってしまうことを恐れて、自分自身を抑制していました。特についていけないわけではないのですが、どうにもこうにも、高校生の浅知恵ではなかなか良い考えも浮かんできません。感情のまま書いても、解決できる問題ではないでしょうから。
ただ、青空文庫のほうで著作権に対する対応が変わると、自分のホームページで「自分の訳したホームズ作品は、青空文庫の活用基準に準ずる」と書いているものですから、そこを変えなくてはなりません。自分としては青空文庫にファイルを置いてもらっている以上、扱い方はおまかせする考えでいます。
しかしもし、高額でのロム販売が起こった場合、対抗手段として安価で販売したとしても、先方の方が広告活動に力を入れて、大々的に発表しようものなら値段で勝てる問題ではないかもしれません。それに、青空文庫自体にお金の負担がかかると、これからが不安のように感じます。
最近は、「知名度」を恐ろしく思っています。質よりも、量よりも、知名度。最近の様々な業界を見て「情報操作」の力の強さをひしひしと感じます。そこを覆せて、かつ青空の信念を貫き通せる立場、そこさえ見つかればよいと思うのですが……(無責任な発言かな?)
Re:追(もりみつ)
99年05月19日01時54分
長谷さんのいうのもわからないではないですが、それなら著作権切れの電子化作業などやらないで、著作権がある作品の電子化を進めた方がよいと思います。しっかり料金をとることもできるとおもいます。なにも「著作権切れ」というコピー自由の世界で苦労しなくてもいいのでは。
「配付したい人は自力で入力すればよい」ということなので、制限なし版を入力しますが、その場合、最初に入力された制限付き版は無価値になってしまいます。(期待していた対価をもらえなくなる。) そういうのって嬉しくないですよね。それに対しては「買取」を提案してみたわけです。
スキャナで読み取り(20秒)OCRソフトで認識(10秒)で校正する。それぞれ微調整とかやっても2,3分で見開きが入力できて、校正に10〜20分ぐらい(ややこしい漢字が多いと時間がかかる…)で、校正の手間はちょっとかかりますが、一時間に10頁入力できたとして、時給千円だと1頁100円。1頁512文字として(笑)1文字2バイトでキロバイト当り100円。しかし外字が出てきたりしたら経費は一気に数倍になるかも(^^;ちょっと安いか…
逆にいうと、私の意見は「気軽にボランティアできないなら青空文庫での入力はお勧めしません」ということになってしまいますね。(^^; 排除するという訳でもないけど、「著作権切れ」の世界では、苦労に対しての対価はあまり期待できないのではないでしょうか。
というか、青空文庫でそんな将来的に無価値になりそうな電子化作業をやる意味があるとは思えません。もし夜空文庫が上書きしたら、単なる徒労。くたびればかりがもうかってしまいます。まあ、夜空が好きな人がどれだけいるかわかりませんけど。
高額での販売は、悪徳商法の範疇に入るような気がします。青空文庫があちこちで配布されていれば、そんなのにひっかかる人は、お金持ちだけだろうから、まあ、いいや(爆)
有名な(?)悪徳商法についてのサイトをリンクしておきます。(意味はありません)
リンク 悪徳商法?マニアックス
粋だねぇ(松本吉彦)
99年05月19日04時09分
「どんどんコピーしてくんねぇ。減るもんじゃあ、ねぇやな」という青空文庫がいいな。
「誰が何て言おうが、あの作品に惚れ(て入力し)たあんたは粋さ」
無粋な奴がどんな使い方しようが、あんたの粋なことにゃ変わりねぇ。
青空文庫のファイル管理について(長谷)
99年05月19日08時10分
対抗して低価格でロムを出すことについて、
対抗して低価格で同内容の物を販売するのは独禁法の不当競争に当たるのではないかと思います。これは、元ファイルを青空文庫が所有しているかどうかとかかわりのないことのはずです。もちろん先手を打って低価格で出してしまえばよいのですが。
LUNACATさんの言われているとおりです。ただ、私としては、自分のそのような感情を述べてもしようがないと思ったものですから、言わなかっただけです。
野球の読売巨人のマークは、以前は商標登録されていなかったのですが、それに、目をつけた業者が商標登録をしようとしたために、巨人が慌てて、商標登録をしたとかいう話です。その業者に商標登録をされてしまったら巨人自身が、巨人のマークを自由に使用できなくなるところでした。
青空文庫がファイルを自己管理しなければ、これと同じようなことが青空文庫でも起る可能性があると思うのですが。その場合青空文庫自身が自分のファイルを自由に使用できないといった事態もあらわれてくる可能性があります。
今日は雨、暗雲文庫(白田秀彰)
99年05月19日11時29分
白田@法律モードです。
独占禁止法は、市場における(1)自由競争の結果独占状態が生じた商品について、その市場支配力の行使による不当利益を防止すること、(2)不公正な取引により競合商品を排除して市場の独占を図る行為の禁止を目的にしています。この場合、知的財産権は、法律により独占権が付与されているので、むしろ「独占禁止法」の適用除外の対象となっています。すなわち、(1)の部分には関係しません。
第23条〔無体財産権の行使〕この法律の規定は、著作権法、特許法、実用新案法、意匠法又は商標法による権利の行使と認められる行為にはこれを適用しない。
では、青空文庫のように著作財産権による保護が満了した作品を自由に配布する場合はどうなるでしょう。著作権法の規定により財産権は消滅しています。ですから、ただで配布することも自由です。というより著作権法は知的財産ができるだけ低廉に多くの人のもとに届くことを一つの目的として開始されたのですから、これは「著作権法の目的」です。
青空文庫は不公正な取引により競合商品を排除しているでしょうか?市場競争においては、商品の価格は経済学の示す「均衡価格」に落ち着きます。独占禁止法はこの均衡価格を実現することを目的としています。知的財産権のような公共財(その便益を多くの個人が同時に享受でき、しかも対価の支払者だけに限定できないような財貨・サービス)についての均衡価格は、供給(知的財産の場合は複製と流通)にかかる費用が存在しないと仮定しますと、0円です。すなわち、無料で自由に配布されることが社会の効用を最大化させます。青空文庫は、著作権による排他的独占権が消滅した作品を(理論上の)「均衡価格」で配布しているのですから、これは公正な取引です。また、たとえば「夜空文庫」とか「国立国会図書館日本文学全文データベース(あればあったでいいなぁ)」とかいうものが市場に投入されることを排除していません。ですから(2)にも該当しません。
したがって青空文庫の活動は独占禁止法に関係しません。
逆に著作権法による保護が満了した作品の販売差止を請求する場合、その法的根拠が問われます。もう著作権法による保護は満了しています。どうなさいますか?
どなたかが発言されていましたが、青空文庫の内容を丸ごとコピーして有料で販売するというような(理論上ぜんぜん割の合わない)商売に乗り出そうという奇特な業者がいた、と仮定します。個々の作品については、権利が消滅していますが、青空文庫全体の分類整理体系は「データベースの著作物」を構成しているでしょうし、その意匠もまた保護の対象となります。図書カードもそうです。だから、差止請求を「どうしてもしたい」というときには、この部分での著作権を主張すればよいのです。
また、青空文庫収録作品を収めたものの、より便利な検索システムやより美しい表示や意匠を凝らして有料で販売するというような(わりと目ざとい)商売に乗り出そうという奇特な業者がいた、と仮定します。仮にその商品が高額であってもそれを買う人がいるなら、その業者は「便利な検索システム」「美しい表示や意匠」に費用を投入して、その部分(付加価値)で対価を得ているのですから、かまわないのではないですか?その業者がいくら「便利な検索システム」や「美しい表示や意匠」に投資したところで、収録作品への権利を獲得することはできません。だから、この業者が青空文庫に対して何らかの権利を行使することはできません。
仮に青空文庫収録作品を収めて、これといった付加価値もないCD-ROMを作成した業者がいたとして、商品に関する情報がきちんと世の中に流布していれば、だれも買わないはずです。仮に、買った人は「原野商法」に騙された被害者のような立場になるでしょうね。
有料で販売されているものがあるのに無料のものを配布することは不正だ、と主張されている人もいるようですが、青空文庫の場合は「無料」で配布されているものを誰かが「わざわざ有料」で配布する場合にあたります。なぜ青空文庫が遠慮しなければならないのでしょう?なにか該当しうる法文はありますでしょうか?商売をなさっている人は、その商売をしているという事実だけで、他人の自由を制限できるのでしょうか?
商標の問題について。私は商標法については(も?)ちゃんと知らないので、なんともいいようがありません。どなたか詳しい方にお願いしましょう。
ただ、このような事を言い出すと、私のWebページのタイトルも、なんでもかんでも商標として誰かに登録されちゃいそうです。恐い、恐いと思っていたら、みんなが商標登録しなければいけなくなるので特許庁は手数料・登録料がいっぱい入って嬉しいでしょうね。いや、事務が多くなりすぎて困るかも。
「青空文庫」を商標登録するためには、誰が代表者になるか、会社組織にするのか、登録手数料や登録料をどうやって捻出するのか...
もう、そこには「青空」はありません。誰かがポーンと基金を寄付してくれない限り、きっとその段階で、善意の結合で成り立つこの活動は停止してしまうでしょう。
世の中の害になるような法律が大手を振って存在するほど法が歪んでいるとは思えませんので、どこかの条文に安全機構があるような気がするのですが、具体的に示せませんのでここは留保しております。
(不正競争防止法がつかえるか?)
いやはや法律の話をはじめると頭の上に「暗雲」が立ち込めるような気がしてきます。「家庭の医学」とか読んでいると、自分がありとあらゆる病気の患者のような気分になってくるのと同じでしょうね:-)。
またまた、長文をお詫びします。
たとえば。。。(LUNACAT)
99年05月19日22時12分
「望まない形の利用」として、こんな例も考えられますね。
どこかで、『オトコのジョーシキ』などというようなタイトルで、いわゆるアダルトサイト系の写真集を中心とした雑誌風CD−ROM企画が出る。写真集の中身は、レイプシーンの写真など、人に不快感を与える可能性が高いもの。雑誌形式をとっているため、少し「教養系」のコンテンツも入れといたほうがカッコつくかな、ということで、「勝手に使っていい」とうたっている青空文庫のテキストも「ブンガクのコーナー」として入れる。そのテキストの入力者や校正者が女性で、ファイルに名前が記載されているとしたら、おそらくその人は、こういう形で公開されることが、とても不愉快だろう。もし写真集の提供サイトが有償でコンテンツを提供していたとしたら、同じ穴のムジナとみなされ、「青空文庫は、こんなところにテキストを提供して儲けているのか」と誤解されるかもしれない。テキストとの出会いの場は増えるけれど、イメージダウンにしかならないだろう。
もちろん、こういう輩は、もともと断りを入れてから利用するとは思えないので、「自由」と書いてあろうとなかろうと、結局大差はないでしょうね。しかし、不愉快な使われ方の例としては、ありうることでしょう。高額で売るというのは、それはそれで有効利用だと割り切ればそれまでだけれど、本当に不本意で不愉快な使い方も存在しうるということを心にとめておくことは必要なのではないかと思います。利用を制限するかどうかは別としても。
あれこれ(LUNACAT)
99年05月19日22時15分
新聞のコラムに、臓器移植に関連して、記者の知人が「タダってことはないんでしょう?」とつぶやいた、という話が載っていました。そのコラムによれば、人間の心理として「何かをあげるとき、タダというのは変」と思ったとしても無理もないことなのに、提供者側で「タダ」かどうかの問い合わせはほとんどない、とのことです。なんとなく言い出しにくいことなのかもしれない、と書かれていました。
いまのところ、青空文庫は「タダ」で、「断りもなく使っていい」テキストを提供する方向で合意をとろうとしています。おそらく、そう遠くないうちに、その方向で決定するでしょう。そのことについて、なんとなく納得がいかない、と思っている人もいるのではないかと思います。でも、臓器移植の場合と同様、何となく言い出しにくいのかもしれません。確かに、「使っていいよ」と鷹揚に構えているほうがカッコいいし、了見の狭い人間だと思われるのも嫌だし、と。
とはいえ、最終的には「自由化」の方向で決定するにしても、途中の課程で、それを疑問に思うという意見が出てくるのは当然だと思うし、その疑問を解決しながら進むというプロセスは、必要なことではないでしょうか。これまでの議論の大筋は、「使うことを前提にして、自由化推進派(?)が、それを正当化する理由を列挙している」ととらえられなくもない。そういう議論の進め方に抵抗があっても、反論に理屈が伴わなくて、言い出すことがためらわれているかもしれない。
もしそうであれば、「自由」という言葉の裏に、暗黙のプレッシャーが潜んでいることになります。そうでないことを願っています。
私個人は、自由化には反対ではないけれど、手放しで「完全自由化、安いよ、タダだよ、持ってけドロボー!」と叫ぶのはちょっと待て、と思っています。情報を受け身で消費するだけでなく、受け手の側でも、情報の連鎖の輪に連なってほしいと思うので。自由化、大いに結構。ただし、使う一方では豊かになれない。そこのところを考えて欲しいし、「考えて欲しい」という気持ちを伝えたい。
「利用が自由な電子テキストが生き残る。だから自由化しよう」という理論だけでは、そのあたりがいまひとつ見えてこなくて、もどかしい思いをしています。
「ご自由にお持ち下さい」と書かれたパンフレットは、無言で持って行ってもかまわないけれど、ひとこと「これ、もらって行きますね」と声をかけたほうが気持ちがいい。声をかけることで、新たな出会いが生まれる可能性も出てきます。パンフレットが手に入る、という物質的側面だけではなくて。
ネット上でも、それは同じではないかと思います。むしろ、一般的な社会生活よりも、ネット上でのほうが、こまめに声をかけることが必要かもしれません。ボランティアで入力や校正をして下さっている工作員の方々も、具体的な見返りというより、自分たちが力を貸して文庫に収録したテキストがきっかけとなって、さらに蔵書が増えていくことを願って下さっているのではないか、と、勝手に思っています。
手放しで開放しようという意見の人も、制限をつけたほうがいいという意見の人も、要するに電子テキストの幸福な未来を願っていることに違いはないでしょう。具体的な「幸福の形」は、各自で微妙に異なっているかもしれませんが、少なくとも、どれが絶対的に正しく、どれが間違っている、という性質のものではないと思います。
気になることがあれば、今のうちに言っておかないと損かもしれませんよ。
対価、報酬、、。(小林 徹)
99年05月19日23時35分
LUNACATさん
どうも、はじめまして。
(いつも「みずたまり」にお邪魔しておりますので、はじめましてという気がしないのですが、、。)
テキストの受け手側から何らかのリアクションが有った方が嬉しいのは、みなさんそう思っていることでしょうね。
ただ、それがどんな形のものかは、その受け手側にお任せして良いのではないでしょうか。もちろん「青空文庫」側からのヒントとして、たとえば寄付や工作員募集という言葉がトップページに入っていても良いとは思います。しかしそれはあくまでヒントであって、使用に制限を加えるものにはしたくないと私は思います。
テキストの使用は自由に、そして心ある受け手から「青空文庫」(の活動)を積極的に支援してもらう、というところでしょうか。
「望まない形の使用」については、、、ノーコメントということで(^_^;。
リンク CarlSchurichthomepage
Re:あれこれ (もりみつ)
99年05月20日00時35分
毎晩書いてるような気がする自由化推進派(笑)のもりみつです。なんでかというと、これまでそう思っていたからです。(^^; 工作員マニュアルを読んで、「自由に使えるテキストを電子化してるんだなあ。それならちょっと手伝うか」と思ったので、いまさら「制限があります」といわれると「えー自由に使えないのって無駄無駄無駄無駄(笑)オレはそんな無駄なことをしてしまったのかあ。青空文庫って詐欺だあ!悪徳商法!いや、商売じゃないから悪徳ボランティア団体!」とか思っている訳ですが、まあそれは言わないことにして(書いてるじゃねーか)議論してる、というか、自由化の説得をしてるわけです。おわり。
いや、もちろん、自由に使えるとか思ってもみなかったという方もいるだろうと思いますので、それはなんらかの落としどころがあるかもしれない(リンクだけに変更してもらうとか)とおもっています。で、LUNACATさんの"…「考えて欲しい」という気持ちを伝えたい"という部分は私も検討した結果、テキストファイルのヘッダとしてそれを書くという結論になりました。「このファイルは……ということで電子化され自由に……ということで、あらゆるボランティアの参加とあらゆる寄付を受け付けています…」と由来を書いておくのがよいかと。で、ヘッダをつけたまま配布してくれ。(テキストの配布に青空文庫の伝達を兼ねさせる)ヘッダを全部取ったものは青空文庫と無関係のものとして勝手にしてくれてもいいよ。(たとえば。。。望まない形の利用…に対する誤解とイメージダウンの防止)ヘッダがついていれば説明できると思うし、なければ青空文庫とは無関係と思われるでしょう。それ以外の処理をされているのだと、まあ悪意なのでしょうから反撃を(謎)
あー、私が丸ごと自由に配布といったのは「テキストファイル」でT-Time対応HTMLやエキスパンドブックや図書カードは違います。青空文庫(または作成者)のものです。それを勝手に売っていいことにしようということではありません。最初の方は整理できてなかったので、ヘンな提案になっていたかもしれません。
//もりみつじゅんじ
本を読みたい、タダだと嬉しい(丹羽倫子)
99年05月20日01時57分
って人が圧倒的だと思うんですよね、私もそうです。
校正は、その作業をするだけで「一冊タダで読めちゃう」うえに半ば強制的に「熟読する」わけだから、一冊分の購入費以上に元は取れてる気がする。さらに他のテキストも読めるのだからかなり得していると思っています。これが私と青空文庫との関係。
入力や管理する方々とは使う労力も違うし、もちろん校正担当者の中でも参加の度合いが違うから私の意見は受け手に近い立場だと言えるのかもしれません。
そこで受け手と青空文庫の関係は・・・
私はいままで通り、ボランティア精神に則ってというか出来る人は自分なりの方法で貢献をする、出来ない人はしなくていい、青空文庫は誰に対しても自由な提供をするという形が一番良いと思います。
悪用されたとして、それであぶく銭を手に入れる輩がいて不愉快な思いをすることがあっても、過去ログを見る限り青空文庫が実害を被るケースは無いのではないかと思うのですが。
著作権があるものは作者が主張すればいいし、著作権のないものはなおのこと。
私にすれば、青空文庫が存在してくれればそれでいい。
一方的な受け手が突出して増えたって気にしない。
むしろ青空文庫の存在を世の中に知らしめる事に貢献してくれてると考えればよいのでは。
受け手が増え、ボランティアも増え、悪用者の商品を買う人は減る、とならないかな。
あれこれ続き(LUNACAT)
99年05月20日03時16分
先ほどは失礼いたしました。日頃ダウンロード専用マシンと化しているセカンドマシンで、つながっているついでに書き込みをしようとしたら、見事にブラウザが固まってしまいました(それでも渾身の力をふりしぼって送信しているところが凄い(^^;))。。。慣れないことはしないほうがいいですね。
小林さん、初めまして。。。だったんでしたっけ。そういえばそうかな。
リアクションがあると嬉しい、というのは、何事につけ、そうだと思うんですよ。もちろん入力や校正に限らず、ボランティア全般について言えることだと思います。当然、強制すべきことではないですが、「あなたの笑顔が届けば、私は嬉しい」という感じですね。利用や配布が自由になればなるほど、リアクションを返しやすいしくみのようなものも、考えていければなぁ、と思います。
というわけで、もりみつさんの「ヘッダ」提案。
やはり、PGは老舗だけあって、試行錯誤もあれこれ重ねていて、ああいう形にたどりついたんでしょうね。なんだかんだ言っても、人間の考えることというのは、似たような道筋をたどるものなのかも。
昔、初めてPGのテキストをダウンロードしたとき、いったいどこから本文が始まるんだ?!と思ったけど、読んでいるうちに納得したことを思い出します。
丹羽さん、「読んで楽しかった、嬉しかった」というのが、ボランティア参加の原点ですよね。そう考えると、ここでみんなで盛り上がっているということ自体が、参加のきっかけを作っていくかもしれませんね。大いに盛り上がりましょう(笑)
ファイルの取り扱いについて(長谷)
99年05月20日06時18分
白田さんの書き込み、よく読ませていただきました。
で、その感想ですが、多少安心したと言うところです。私は何もしないでほうっておくのは、青空文庫の活動が最後には自由にできなくなるのではないかという危惧をいだいていたのです。いや、いまでもそう思っています。
それにしてもこの世の中、私のような、一般人が普通に考えることが通じないことが多すぎるように思われるのです。先の巨人のマークに関することなどを見ているとそのように思われるわけです。
私の青空文庫内のファィルの扱いに対する考えは、LUNACATさんの書き込まれていることに非常に近いと思います。
関係ない話ですが、今朝はサイバードッグの調子が非常に悪いです。二度勝手に終了してしまい、いまはネスケを使用して書き込みをしています。
規準作りのステップ(富田倫生)
99年05月20日13時58分
みずたまりでの論議を踏まえ、どこかのタイミングで、呼びかけ人から規準の原案を示そうと考えていました。
大きな方向付けに関する、さらなる発言を抑える気持ちは毛頭ありませんが、議論の流れを見ていて、そろそろその時期にさしかかってきたかなと感じています。
ファイル取り扱いの規準は、著作権の切れた作品に対してできることを、はっきり示すためのものです。
今回、これをまとめると同時に、「著作権の切れていないものをどう受け入れるか」に関しても、明らかにしようと思います。
「収録を望む作品に対して、青空文庫は選別をかけるのか否か。かけるのならどのような規準で選ぶのか」さらに「受け入れる作品のファイルは誰がどう用意し、どこに置くのか」といった流れを、明確に示そうと考えています。
ファイルの扱い方がはっきりしたら、その方針を認めていただいた上で作業への協力をいただきたい旨、これも短く、文書にまとめる必要があるでしょう。
工作員の皆さん、作品を提供する方々と、この場に集う人たちの関係を、すっきりと見渡せるようにしたいです。
「リンクは自由」と書きっぱなしにするのではなく、ここでも、できることをはっきり示そうと思います。
電子メールや掲示板システムで、やっかいな問題を論議する際、私はこれまで、とげとげしいやりとりのあり地獄に、繰り返し落ちてきました。
煮えくり返るような思いでキーボードを叩いたことも、しょっちゅうです。
今回の論議に加わられた皆さんが、言うべきことは言いながら冷静さを保ってこられましたことに、深く深く感謝しています。
私は皆さんを、尊敬しています。
結論(長谷)
99年05月21日06時34分
そろそろ、結論を出してもよい時期でしょう。出るべき意見はほとんど出尽くしたのではないかと思います。すべて自由にすると言う意見と、なんらかのコントロールをすべきという意見の二つに別れるのではないかと思います。
もりみつさんへのおたずね(富田倫生)
99年05月21日10時53分
エキスパンドブック版や少し工夫をこらしたHTML版に関しても、「自由に使ってかまわない」と宣言することには、なにか不都合があるでしょうか?
もりみつさんは工作員マニュアルを読んで、「自由に使えるテキストを電子化してるんだなあ。それならちょっと手伝うか」と思ってくださったそうですね。
「ファイル形式を問わず自由」と宣言することは、該当の文書を通じてもりみつさんと呼びかけ人が共有した青空文庫の基本精神を、裏切るような行為でしょうか?
富田さん、おそらくこういうい意味かと(大野晋)
99年05月21日13時10分
富田さん、もりみつさんの言っていた意味を私はこうとらえていますが。
プレーンテキストは作品をテキストに起こしただけの「作家の著作物」です。これは、もりみつさん主張の自由にすべきもの。
で、エキスパンドブック版やHTML版については、このままの形態で表示プログラムを変えたりされる分には問題ないのでしょうが、例えば、エキスパンドブックのフォーマットに手を加えられて別のものを作られてしまったり、中で使用している画像などに手を加えられたり、他に流用されたりされるのはまずかろう、と。
ともすれば、そういうことをやっていくと、他の著作権やボイジャー等の権利を侵すことを認めていることになりはしないか、という意味で「自由から除外」ということを言われたものと理解しました。
逆に、本としての体裁や編集結果を残して欲しいならば、エキスパンドブック版やT-Time版、HTML版を公開するのがよかろう、ということになるのではないでしょうか?
やや、蛇足かな?
すべりこみセーフかな?(今中)
99年05月21日17時55分
すいません、一言だけ。
公開したデジタルデータの使用を制限するのは困難ですから逆にどんどん使われるように(コピーが容易だというデジタルデータのメリットを最大限に活かす方向で)考えたほうがおもしろいと僕は思います。望まれない使われかたに対してはあらかじめ予防線を張るのではなくそんなふうに使う人のいない社会を目指す、と(そのためには望まれない使われかたをされたときに「念」よりも積極的な意見表明が必要でしょうね)。
もちろんこんな極端な理想主義が通用するなんて思っていません。でも「しばり」をかけたのではけっきょくいままでと変わらない気がするのです。それよりは変わっていく可能性のほうを僕は大事にしたいです。
たいして貢献もしていないのに無責任な発言ですが……(ああ、単にまぜっかえしているだけのような気がしてきた)
リンク Sturgeon'sTrashcan
ヘッダー方式(富田倫生)
99年05月22日00時11分
もりみつさん
「このファイルは、こうして作られ、こうして公開された。だからこそあなたは、このファイルをタダで読める。青空文庫はボランティアの参加と寄付を待っている」というヘッダーを付けることは、とても有力な選択肢だと思います。
プロジェクト・グーテンベルクのもののように延々と長いのは嫌だけれど、短く一言なら、それほどじゃまじゃないかもしれない。変なたとえですが、私が100人いれば、49人は「入れよう」という言うのではないかと思います。
以下は微妙なニュアンスにかかわることで、うまく伝えられる自信がありませんが、51人側の気持ちの表現を試みさせてください。
「インターネットをテキストのアーカイヴィングに利用できることは、私がみつけた」という自負を、マイケル・ハートさん(プロジェクト・グーテンベルクの主宰者)はお持ちのように思います。スタート時期がきわめて早いと、ハートさんは繰り返し強調されます。(この主張には、実態を的確に表していないところがあると思います。)先駆的に取り組んで、すばらしい成果を残してきたのに公的な支援が得られなかったと、厳しく糾弾されます。テキスト・アーカイヴィングに対する支援は、みんなプロジェクト・グーテンベルクに寄せて欲しい。ここにはそれだけの実績があるんだといった強い誇りを、ハートさんはこのプロジェクトそのものにお持ちなのだと思います。
一方青空文庫を、最初に呼びかけた連中は、いささか自尊心を欠いています。
すでに「大昔からやっているんだ」というプロジェクト・グーテンベルクがありました。日本にも、電子化した作品を公開していた人は何人もいたし、電脳倶楽部のPDDといった、運動を組織しようという試みもあった。岡島昭浩先生による、電子化作品のリスト作りも進められていました。
大きな流れへの成長を予感させる、そうしたさまざまな試みがあって、その中の一筋になれればと思って始めたのが、青空文庫です。正確を期して私の気持ちに限定すれば、大切なのは青空文庫ではなくて、インターネットをテキスト交換の道具として使おうという、大きな流れです。私は人生を破綻させかねない規模で青空文庫にかかわってしまい、今後もここであたふたとあがくと思います。でもそれは、大道を拓く私の手がかりが、たまたま青空文庫にあるからです。
大事なのは、大道。そして大道の真にかけがえのない礎は、電子図書館型の試みで言えば、「みんなに読んでもらおう」とそれだけを頭に置いて、力をふるう人の存在です。
テキスト・アーカイヴィングを、一つの試みが抱え込むなんて、あり得ない。青空文庫を協力の場として生まれたファイルには、テキスト共用の広い海を、どんどんわたっていってもらいたい。その時、いつまでもファイルと共にあって欲しいのは、すべての出発点である「人の心の証」、具体的には、入力者、校正者、ファイル作成者の名前です。
私たちはまた、考えや思いを交換する道具として本を使おうとする、長くて大きな流れの中にも、属していると思います。底本を示し、作業履歴を明らかにしようといっているのは、そのためです。
プロジェクトの意義を謳うヘッダーを冠しながら、私には実に大切に思えるその二つを欠いて送り出されたテキストは、大きな本の流れ、大きな電子テキスト化の流れから、孤立してしまわないか心配です。
青空文庫は、大切だ。けれどその大切さは、先人から受け取ったものを、次の世代に残していく歯車の一つとしての大切さだ。
そう思う気持ちが、ヘッダーに青空文庫の意義を謳うことを、ためらわせます。
まず、作品を読んでもらうことが一義。ファイルを贈ってくれた人の名を最後に示し、青空文庫の名前を添えさせてもらえば、ここはそれで十分じゃないかと思います。
事務局機能の維持は現実に大変だし、支援を得るための説明はウェッブページでも、その他、あらゆる機会をとらえて精一杯やりたい。けれど、ヘッダーなりフッターなりは、極力読むことのじゃまをしない、さらりとしたものにとどめてはと思います。
これに関しては、やはり感覚でしか語れませんでした。
曖昧な言葉を、長く連ねたこと、お詫びいたします。
リンク プロジェクト・グーテンベルクのヘッダー
姑息かもしれませんが、、。(小林徹)
99年05月22日01時36分
富田さん:
こんばんは。
たしかに延々と続くPGのヘッダー(但し書き)には、抵抗があります。読もうと思ってダウンロードした人にとっては、邪魔物のように感じられるかもしれません。
それでは、文末に付けたらいかがでしょうか。
同じ内容の但し書きでも、テキストを読み終って満足した気持で目にしたなら、「良い事をしているんだな。」と思ってフリーテキストアーカイブとそのために力を注いでいる人達に、しばし思いを馳せるかもしれません。邪魔に思う人も少ないかもしれません。
(いづれにせよ、簡潔なものの方が良いと思いますが。)
おっと。(小林徹)
99年05月22日01時40分
すいません。
下の書き込みで言いたかったのは、もしテキストに但し書きを入れるということに決まった場合の話です。
私自身は、ウェブページに但し書きを入れるだけで十分と考えております。
【ファイル取りまとめ者注:本ファイルでは、新しい書き込みを下に置くように順序を入れ替えています。小林さんが「下の書き込みで」と指摘されているコメントは、本ファイルでは上にきている、「姑息かもしれませんが、、。」を指しています。】
テキスト以外のファイル形式 (もりみつ)
99年05月22日01時48分
こんばんわ。もりみつです。指名されてしまった(^^; だいたいは大野さんが書かれているようなことですが、解説すると、
プレーンテキストはほぼ作品本体のデータといってよいので、期限が来たものは自由に複製できることは明らかです。でもHTMLやエキスパンドブック(EBK)はそれに何かを足した(加工した)ものに思えます。エキスパンドブックは作ったこと無いのでよくわかりませんが。青空文庫にあるものは、何も足してないストレートなテキスト自身(フォーマットを変えただけ)かもしれませんが、一般的には+αがあると思います。プレーンテキストは誰がやっても同じものが出来る(はず^^;)わけですが、HTML/EBK版は人によって違いが出るでしょう。
するとプレーンテキストに「自由に使える」と明示することと、HTML/EBK版等を「自由に使える」と宣言することの意味はレベルが違うように思えます。
「プレーンテキストが自由に使えるなら、すなわちそれを使ったHTML/EBKも自由に使える」ということにはならないのでは。私はそういう主張をしてるわけではありません。ということです。
「ファイル形式を問わず自由」というのでもいいかもしれませんが、その場合「TXTもHTMLもEBKも同じものにすぎない。+αなんてあるわけがない」と主張するか、「TXTは著作権切れなのでご自由にどうぞ。HTML/EBKはそれを読みやすく加工してやった上にその権利は主張しないから、有り難く感謝して自由に売り飛ばせ」みたいなのを明記するか、してほしいところです。
思いつく問題点は「著作権切れのものを加工したものには、権利を主張できない」と青空文庫が言ってるように思えること。例えば『河童』に自作の河童のイラストをつけてみたら、それも権利なしと扱われてしまった、みたいな。(フリーソフトウェアでは著作権の枠内でそういう戦略をとっていたと思います。自由に利用できるけど、それを拡張したものもフリーソフトウェアにしなければいけない。というのが利用条件)まあそういう戦略も考えられるかもしれませんが、青空文庫のが自由に使えるというのと一般的に著作権切れの加工物が自由に使えると言うことの区別ができればいいような気はします。
あまり自由化推進でもなかったか(^^;
searchme(もりみつ)
99年05月22日02時35分
eatme,drinkme,callme...なんか召喚されまくってるし、(^_^;;
富田さんも苦労が多いことで、お疲れさまです。では、青空文庫だけではなくて、日本語のテキストアーカイブをやっているところをまとめてですね、共通のヘッダーいやフッターですか、それをつけるようにするっていうと、どや? 底本・入力・校正・電子化されたところ(青空文庫とか電脳…とか)・電子化スポンサー(笑)・改訂履歴… みたいな必要のある情報をつけるフッターフォームをテキストアーカイブをやってる人に回して、共通のものを作成する。みんなにできるだけそれをつかってもらう。日本語文書電子化履歴共通フォーマットとかいって、標準化(笑)する。そこのウェブサイトに使ってるところのリストを置いておく。
それで、あとは「私を検索して」と書いておくだけにする。
青空文庫だけでないなら、電子化テキスト交歓連絡会とかをつくって、テキスト共用の広い海を深くしてしまうとか。(溺れたりして…)青空文庫だけじゃなくて他のところもまとめてCD-ROMに作ってほしいですね。(^^;
あー、書いてるだけでも疲れそうなことばっかりですね(爆)
個人的にはheaderはあってもなくてもいいです。(おいおい) 無い場合も、テキストの履歴を調べるためにアクセスするデータベースとそのテキストのシリアルナンバー(バーコード?)だけ1行いれてほしいかしら。自分が校正したのを忘れて再度校正するというのは避けたいし。
ヘッダ(LUNACAT)
99年05月22日05時48分
呼びかけ人同士がここで議論しているのも変ですが、なりゆき上、ここで意見を述べさせていただきます(笑)
グーテンベルクのヘッダは、超初心者およびヘビーユーザには逆効果だと、私も思ってます(笑)。あんまり長いと、読む前に目に入らなくなるだろうし、一度読めば、次からは自動的にスキップするだろうし。
ヘッダなりフッタは、極力シンプルにしたいというのには、異論はありません。
すべてのアーカイブを青空文庫に、と主張しようとも思いません。(そんなことをしたら、呼びかけ人は過労死するかも(^^;))
私が最低限入れたいな、と思うのは、「このファイルは、インターネット上の『青空文庫』という電子図書館のために、ボランティアにより入力、校正(HTMLやエキスパンドブックの場合は「作成」もかな)されたものである」ということを伝える一言。ネット上で配布されるとは限らないファイルに、ネットのしっぽをつけておきたいのと、ボランティアによる入力であることを示しておきたい、という理由から。
私が100人いれば、おそらく85人くらいは、そうしたいと言うでしょう。
遅ればせながら(かとうかおり)
99年05月22日12時37分
ダラダラダラダラしているあいだに論議が始まっていたことも煮詰まっていることもサッパリ知らぬ存ぜぬでおりまして、それでやっぱりダラダラゆえにいままでの経緯を追うのにすっかり時間がかかってしまいまして、さてそれじゃ私も意思表示をと思うとさらに話が先に進んでいたりして、ああそれじゃそこんとこまでちゃんと読んで把握してからにしようとか思っているうちに、反応がとっても遅れてしまいました。(言い訳&前置きが長すぎ…。)
つまるところ、当方は“自由化推進派”ってことになりますです。各論は、いまさら書いてもいままでの論議をなぞるだけになりそうだし、とりたてて新たにつけ加えるべきこともなさそうなので、割愛。
とかいいつつ、ヘッダもしくはフッタについてだけちょっとだけ。個人的には、各ファイルには原材料と製造元をフッタとして入れればそれで十分と思います。
「青空文庫ってこーゆーことやってんだよ」と簡潔に一言書き添えることの意義もわかりますが、そのへんは、フッタを見て「青空文庫ってなんじゃらほい」とか思った人が青空文庫にアクセスしたときに明らかになりさえすればよいのではないかと。
ヘッダについて(渥美浩子)
99年05月22日14時59分
意見を書き込むのが遅くなりましたが、私もテキストファイルは「自由に利用できる」に賛成です。
ヘッダ(もしくはフッタ)については、個人的には入力者や校正者の名前を直接入れるのには反対です。校正をやっている一人として、どこでどう使われるか予測できないファイルに自分の名前がくっついているのは、少し不安です。
LUNACATさんが、少し前に提案されているようなシンプルなヘッダがいいです。
興味を持った人は青空文庫にアクセスすれば、HP上で、協力した人たちがわかるようになっていればそれで十分だと思います。
詳しいヘッダをつけて欲しい(瀬戸俊一)
99年05月22日17時53分
はじめまして。以前に一度校正をやらせていただいて、それっきりご無沙汰の不良工作員ですが、よろしくお願いいたしますm(__)mメールをいただいて、後れ馳せながら皆さんの議論をざっと拝見しました。いろいろ考えさせられることがありましたが、わたしなりの感想を書いてみたいと思います。
まずはじめに、青空文庫の本は“誰でも自由にお金を払わずに利用できる”はずなのに、著作権の切れたものと、存続するものに分けて考えるのはおかしいと思いますが、いかがでしょう? まあ、これについては別の議論になると思うので、これ以上触れません。
テキストファイルとそれ以外に分けるという考えがありましたが、これは必要ないと思います。というか、HTMLは単なるテキストファイルだ(^^;“テキスト=作品のデータ”なのに対し、それ以外の各種フォーマットは、独自の編集を施した著作物であるのは確かですが、青空文庫では底本を明示したうえで、一定の変更を可として作業を行なっているということと、矛盾が生じてしまいます。
もちろん、明らかに独立した著作物とみなされるような編集もあり得るわけですが、それは最初に触れたように別問題です。
わたしは、すべてのファイルに『青空文庫宣言』『ファイルの詳細』『使用上の注意』を含む一定のヘッダをつけて、配布して欲しいと思っています。
ネット上に公開されてる文書を読むときは、必ず自分のPCにコピーして読むわけで、あとでこのコピーを見たときに、ファイルについての情報が不足していると悩まされることになります。たとえ煩わしく感じられる場合が多いとしても、簡単に加工できるのが電子データの利点でしょ。最初からないものはどうしようもないんですから。
あまりたくさん見たわけではないですが、青空文庫の場合、それがどこから持ってきたものかわかるようになってないし、最新版かどうかも簡単にわからない。
これはすごく不便です。
どこでどう使われるかわからないファイルに自分の名前がのるのは不安だ、という意見はよくわかるのですが、ネット上で公開する以上しかたがないです。匿名で参加するとかするしかない。
議論の本筋から離れていくといけないんでこのくらいにしますが、ファイルの取り扱いについては、なるべく制限はないほうがいい。ただし商用利用なら使用料を請求してもいいというくらいしか考えてません。
re:ヘッダについて(富田倫生)
99年05月22日21時34分
渥美さん個人の意志に反して名前を載せるようなことは、(少なくとも私個人は)まったく考えていませんでした。
最初から「当然」と決めてかかっていて、あえてその点を説明しなかったこと、申し訳ありません。
図書カードには名前を載せていいのか、ファイルには載せていいのかをあらかじめ決めてもらう。途中で気が変わったら、申し出てもらって、対応する体制がいると言うことですね。
今後の進行について(富田倫生)
99年05月22日22時44分
さまざまな異なった認識に基づいて、さまざまな意見が寄せられています。
けれど、段階を踏んで積み重ねられた論議の中からは、明確な対立点をもった選択肢が浮かび上がっているようにも思います。
著作権切れファイルの利用に関しては、
・「注記事項を削らない」という条件を示しながら、有償も含めた、複製、再配布の「自由」を宣言するのか。それとも「自由」とは言わずに、商品への利用などに対しては、「やめてくれ」と求めたり、青空文庫側が利用料を請求する余地を残しておいた方がいいのか。
ファイルに添付する情報に関しては、
・「ファイル作成の由来を示し、さまざまな協力を求めている」と書くのか、それはなしですませるのか。
が、対立軸となっていると、私は理解しています。
こうした異なった選択肢を踏まえながら、呼びかけ人は一つの「規準」案、「添付情報」案を示さなければいけません。
「規準」の文案に関する論議は、すでに進めてきました。
皆さんのご意見を聞きながら、添付する情報に関しても詰めてきました。
ただ、ファイルの由来と協力要請にかかわる文言を入れるか否かが、「規準」案にかかわってくるため、いまだに両者を提示できていません。
注記に関しては、呼びかけ人の中で決定的に対立していて状況は困難ですが、なんとか答えをひねり出して、なるべく早く「規準」案と、「注記事項」案を示します。
「規準」案を読んでいただき、ご意見を聞く。そこで我々が直すべきと判断したところは、直す。その上で最後は、皆さんに態度を決めてもらうことになると思います。
規準を「受け入れられない」と判断された方がかかわったファイルは、例外的な取り扱いとする以外の対処を、思いつきません。
一つ一つのファイルには、複数の方がかかわっています。その中のお一人からでも「受け入れられない」という判断が示されれば、該当のファイルは例外とせざるを得ないように思います。
フッタ(もりみつ)
99年05月23日10時49分
添付情報についてプレーンテキストファイルは、大きな電子テキスト化の流れに流される...?呑まれる??流れに乗る??ために履歴情報しか書かない(底本・入力・校正・バージョン等)。これは他の電子化をやってるところでも使えるようなものにして、相互に交流したときに情報が過不足なく扱えるようなものを想定。
HTMLやエキスパンドブックは、青空文庫で加工してるのだから、フッタ(ヘッダ)をつけて、テキストの履歴情報の他に、青空文庫の説明、著者について、作品について、入力(校正)者あとがき等を(紙の本にあとがきとか解説があるように)いれたりしてもいいかなあ。作品だけじゃなくて入力者のコメントぐらいは欲しいなあと思うことがあります。
しかしそうすると、さらに自由に使ってくれとはいいにくいので、制限がないっていうのはテキストだけでもいいような気がします。他で入力されたテキストを持ってきて、青空文庫のヘッダーをつけるのもおかしなことだし。
などとまた思いつきを書いてしまいました。
ファイル利用に関して(長谷)
99年05月24日05時58分
今日は長谷です
後から書き込みをされた幾人かの方が、少々誤解されているのではと思い書きます。今までの議論で、個人が自分のPCにダウンロードしてきたものを読む、あるいは、それをプリントアウトして読むといった、個人の私的な利用にまで制限をもうけようという議論は出ていません。なんらかの制限をもうけようというのは、それ以外の利用に関してです。
それと、これに関する議論のみを集めたファイルを富田さんが用意されていて、リンクがトップヘージの「青空文庫からのお知らせ」にあります。
ま、個性ですから(大野晋)
99年05月24日13時34分
ま、ヘッダやフッダにたーくさん書き物を入れるのも、自由に使って良いからということで何も入れないのも、まあ、アーカイブを提供するサイトの個性ですから。
あんまり、気にしませんけど、できればカッコよく、さらりとしていてくれると良いですね。
入力者の立場からは、如何に網羅的に作品、作家を集めていかれるかの方がやはり大切ですから。
という意味で、皆さんの意見も「根っこ」はあまり違いそうにないので、安心して意見を読ませて頂こうか、と達観モードに移行中です。
ただ、少し気にして置いて欲しいのは、「自由にして良い」は「読む」という行為を離れて、構成物に対してどう扱っても良いという意味になってしまう可能性があることは気をつけて欲しい。変に名前などを入れて、おかしな活動やサイトの片棒を担いでいるように思われることは避けたいですね。
ホームページに免責事項を入れるくらいにして、「あとはよしなに」くらいの方が問題が少ないと思うな。
活動のカンパは、気になった人と、ディストリビューターとして売りたいと思ったところから、ファイルの一括取得の手数料としてでも取ったらどうでしょうか?その前に、一括取得がうれしいくらいに(CD−ROM提供がありがたいくらいに)ファイルの数を増やさないと。
まだまだ、たくさん、集めたい本は残っているんだから。
公式CD-ROM希望(もりみつ)
99年05月25日01時35分
全部の作品に説明をつけなくても、青空文庫まるごとCD-ROMに入れてもらうようなことをすれば、目的は果たせるような気もします。これだと青空文庫がコントロールできるし、採算がとれそうなら1000円ぐらいで公式CD-ROMを売ってしまい、T-Timeを買った人に「ご一緒に青空文庫もいかがですか?」とバンドルするとか。(T-Timeは新しいのが出るそうですね。わくわく♪)え、工作員には無料で配布?(^^;(おいおい。嘘です…) そりゃ工作員やるしかないですね(爆)
しかし、いまいち方向性がわかりませんなー。テキストアーカイブが目的なのか?いろんな本を読んでもらうことをめざすのか?他のサイトの公開作品を貰ってくる/図書カードをつくってリンクするのか?他と協力するなら、どんどん貰ってきて、収録するべきのような気もしますし。
図書カードや書評や感想をつけたりして、i読書倶楽部(?)をすすめるのか?電子出版の可能性を示すのか?うーむ。オンライン読書ポータル(??)なのかなあ……それにしては有料の電子本をどこで探せばいいかわかんないよ〜ん。あ、無料というのが目的だったか。
それに文学専門なのかなあ?法律とかも増やすのかしら?ほかの専門書とかも入るようになるのでしょうか??
行く河の流れは絶えずして(LUNACAT)
99年05月25日07時13分
しかも元の水にあらず、、、と、朝っぱらから、何を言ってるんだか。
もりみつさん、おはようございます。
ネット上にある図書館ゆえ、青空文庫は、日々移り変わります。
また、使う人の思いにより、役割もあれこれと変わってくる。
テキストアーカイブもやって、集まったいろんな本を読んでもらって、他のサイトの公開作品も受け入れ、書評も募集したりして、オンライン読書ポータルとしても使える、なんて言うと、欲張りすぎ?!(爆)
あ、電子出版の可能性を示すのは、ポシブルブック倶楽部にお任せ下さい。
T-Time2.0の使い心地の研究なんてのもやります(と、呼びかけ人が突然ポシクラモードに変身することもある)
「自分はこう思っていたけれど、実は、こんな使い方もある」ということを発見していくのもまた、わくわくすることではないかと思ったりします。
「専門書を入力したい!」という動きがあちこちでシンクロして、突然専門書が充実してしまう、ということもあるかもしれないし、文学全集丸ごと収録してしまうかもしれない。方向付けというよりも、いろんな利用の仕方を紹介していくようなことができるといいかもしれませんね。
そういう文庫ですから、公式CD-ROMを作って売っても、買った翌日にはもう何作品も新規登録が出てたりすると、やはり買った人は怒るんじゃなかろうかと
(^^;)
そろそろ本棚の整理をしましょうよぉ(大野晋)
99年05月25日09時18分
本の数も500冊を超え、まあ、芥川文庫などと言われながらも「いろいろござれ」の世界になってきています。漱石作品も充実してきたし。
で、でございますね。そろそろ、本の一覧の本を分類分けしませんか?「今月の新刊」はそらもようを見れば良いと言うことにして、古典なのか、新作なのか、文学なのか、評論・随筆なのか、それとも詩なのか、一覧で解るようになると良いのでは?(一覧で出てくる本の色を変えるとかね。)
そろそろやっとかないと、後で一括処理するのも大変なのでは?
分類案賛成(とも)
99年05月25日18時37分
みずたまりでは、はじめまして。入力・校正のお手伝いをさせていただいております、菅野朋子です。
私も、大野さんの、本を分類わけしましょう案に賛成です。
すくなくとも、著作権切れの著者の作品のリストと、まだ著作権が残っているけれど、著者の好意でデータ公開している作品のリストは、別立てにした方がいいのでは、と、かねがね思っておりました。
(色をかえるのでもいいのですよ、もちろん。)
そうしたら、その作品と紙の本の世界での著作権というものの関係ももっと明確になるし、まだ著作権が生きている作品は、注意ぶかく扱ってもらえるのではないかと思うのですが・・・。
・・・性善説・・・でしょうかねえ。この考え方は。
それにしても。
私がここに書きこもう、書きこもうと思いつつも、忙しさにとりまぎれている間に、みなさまの会話がどんどん進んでしまっていたので、これは、もしかしたら、今さらなピンボケ意見かもしれませんが(笑)。
いや、その、いわゆるひとつの歴史といいますか… (もりみつ)
99年05月25日23時04分
「ネット上にある図書館ゆえ」ですね、日々移り変わってく青空文庫のスナップ写真といいますか、ある時点の記憶ともうしますか、発展と消滅(は、しないんだけど)の歴史的証言といいますか、そーゆーのがあってもいいかなあと。
昨日のネタ...「週刊アスキー1999-6-2:デジタルリーディング入門」「ASCII1999.6月号:(新連載)21世紀のグーテンベルグ」
いやな使われ方→アダルト→レイプ…で、なにかひっかかっていたのですが、やっとわかった。『藪の中』だ。そういえば黒澤明もつかっていたぞ(爆)
収録ファイルはどんなふうに使えるか(富田倫生)
99年05月27日09時17分
「ファイルの取り扱い規準」案をまとめました。
右に仕込んだリンクをたどって、読んでもらえます。
今後の進め方に関しても、ジャンプ先に示しています。
皆さん、ここまで、本当にありがとう。
確定と運用開始宣言に向けて、もう一段のご協力をお願いいたします。
想定した今後の進め方をたどれば、みずたまりにはしばらく、案に対する疑問と不満だけが書き込まれるはずです。
このような手順を組むことには不安がありましたが、この間続けてきた議論の中で、そして、直接寄せられたメールを読む中で、心に座をしめていった安心に身を委ねることに決めました。
You may say I'm a dreamer, but I am not the only one. と、今朝は、彼も歌っておりまする。
リンク 取り扱い規準案
ちょっとだけ(大野晋)
99年05月27日12時21分
「ファイルの取り扱い」について、ちょっとだけ。
著作権の保護に関する本にリンクしてあげると親切かもしれないと思います。
保護しなければいけないという意識が希薄なために、著作権違反を犯してしまうかもしれない若者たちのために。
本日、MP3関連サイトの運営をしていた若者が摘発されたとの記事を読んでの感想。
少し質問です(小林 徹)
99年05月27日16時22分
富田さん:
ご苦労様です。気づいた点がありましたので、書き込ませて頂きます。
「取り扱い基準案」中、「著作権の切れている作品」のところで【著作権法第二十条第二項四】が引用されていますが、よろしいのでしょうか。
もちろん道義的には、滅茶苦茶な改変は許せませんが、著作権の切れた作品に著作権法が適用されるのでしょうか。
識者のご教示をお願いします−−白田さん?
著作権切れ作品の中味に手は加えられるのか?(富田倫生)
99年05月27日18時04分
小林さん
私は青空文庫に関わる必要性から、著作権制度について付け焼き刃の知識を集めているだけです。頼りないです。ただ私が間違っても、白田さんのようなしっかりしたバックグラウンドをお持ちの方が正して下さると思うので、素人なりの理解で書かせてもらいます。
著作権と呼ばれる権利は、大きな二つの柱から成り立っています。
一つ目は、「使い方を決める」権利です。本やCDのような、内容を複製したものを作るか否か、著作者は自分で決められます。自分で決められるのだから、出版社やレコード会社に複製を作る許可を与え、見返りにお金をもらうという手が選べます。使い方を決められれば、作品を使って儲けようとする試みを、コントロールできるわけです。この権利が、財産権と呼ばれる所以です。財産権は、誰かに売り渡すことができて、著作者の死後50年たつと切れてしまいます。
著作権のもう一つの柱は、「内容を決める」権利です。表題はどう付けるのか、中味をどう書くのかは、著作者だけが決められることです。他の人が、タイトルを変えたり、文章を書き換えたりすることはできません。著作者人格権と呼ばれるこちらの権利は、あくまで著作者だけに認められます。財産権を買い取った人も、中味やタイトルに手は加えられません。著作者の死後50年たって財産権が切れたあとも、著作者人格権は引き続き保護されます。著作権法第二十条第二項に規定されたわずかな例外をのぞいては、原則的には、いつまでたっても中味は変えられません。
Re:ちょっとだけ(富田倫生)
99年05月27日18時34分
大野さん
「ファイルの取り扱い規準」では、まず「できることを明らかにしよう」と考えました。そこに、著作権法が禁じていることを書き込んでおかなくて良いのか、実はずっと迷い続けていました。
ですから、大野さんがそう指摘してくださったお気持ちは、とてもよくわかります。
「規準」は、青空文庫を訪れてくれた人に、まず最初に読んでくださるようお願いする一群の文書の一つになると思います。
・「規準」を読めば、文庫のファイルがどう使えるかがわかります。
・文庫を利用しているうちに、自分もファイルを作る仕事に関わりたいと思ったら、「工作員志願者へのお願い(仮題)」を読んでくれとあらかじめ説明しておきます。「お願い」からは「規準」にもどるよう導き、「あなたが作ってくれたファイルは、みんなにこんなふうに使ってもらいます。そうしてもらって、いいですね?」とあらかじめ、確認を求めます。さらに、工作員マニュアルも、読んでもらいます。マニュアルのはじめに置いた、「本という財産とどう向き合うか」を読んでもらえれば、どんな行為が著作権法違反に当たるかは、理解してもらえると思います。
・加えて、「青空文庫に自分の作品を載せたい」と思う方に、手続きや掲載規準をはっきり示す文書も、用意しようと考えています。
つまり、青空文庫という枠の中では、大野さんが指摘してくださった、「著作権法違反を犯さないための対応」は、文書相互の連携によってとれると思いました。そこで最終的には、それぞれの文書の役割分担を意識して、法が禁じていることを、「規準」には盛り込みませんでした。
文庫のファイルを、複製、再配布しようと考える人は、「本という財産とどう向き合うか」を是非、読んでくれと導くことで、大野さんのご指摘に応えようと思うのですが、どうでしょう?
リンク 本という財産とどう向き合うか
RE2:ちょっとだけョ(大野晋)
99年05月27日19時36分
全体の構成がこれまた大変そうですが、あい・あんだー・すたんど です。
ちょっとした、ローカルな繋がりのお遊びがお遊びだけに終われない、インターネットは恐い道具です。しかし、だからゆえ、大いなる可能性を感じるのでしょうけれど。
(MP3の件も、おそらく不特定多数の仲間と遊んでいるつもりだったのでしょうけれど。)
「規準案」を拝見しました(瀬戸俊一)
99年05月28日04時11分
この案に従えば、青空文庫からファイルを手に入れた人は自由にそれを再配布できるわけですから、二次配布、三次配布でファイルを手にする人がでてきますよね。
それらの人はこの基準でいう「あなた」には当たらないわけですが、これは再配布する人が別の取り扱い基準を設定することを考慮しているからなのでしょうか?それとも、再配布する人も同じ取り扱い基準を維持するように求めているのでしょうか?しかし有償で再配布する人が自由な使用を許すというのも考えにくいですね。
富田さんのお考えは、青空文庫というWebPageを中心に、自由な読書の環境を育てていこうという風に受けとっているのですが、ファイルがどんどんコピーされていけば、どこに飛んでいくかわからない。
迷子になったファイルはどんな扱いを受けるのだろうか、などと考えてしまうのは変ですか。
まったく別の疑問ですが、著作権の保護期間が変更されることは“絶対に”ないのでしょうか?青空文庫が著作権が切れていると判断して配布したものが、著作権を主張できる状態に戻ったりしたら、どうなるんでしょう。
青空の再配布(大野晋)
99年05月28日09時40分
青空文庫の著作権切れ収録物の再配布ですが、もし、青空文庫で提供している形で再配布されるなら、それは有償にはし難いでしょう。それは、ここで無償でマスター配布しているから。
もし、何らかの付加価値をつけて有償配布するならば、その付加価値に対する対価として価格が設定されていると考えるべきです。それで納得しないなら消費者は買わない。
あくまでも、マスターは青空文庫。それは無償!
ということで、私は心配ないと思いますよ。
それよりも、ファイルを読むということで、「本を読んだこと」を共有できる人が増える方が私はうれしい。
という想いでたくさんの本がここに集まっているのだと思っています。
ご懸念に対して思うこと(富田倫生)
99年05月28日14時30分
瀬戸さん
コメントありがとうございます。
大野さんのご指摘に、付け加えるものもないような気もしますが、文案検討中に、あるお申し入れを頂戴したこともあって、その際、思いめぐらしたことを書かせてもらいます。
瀬戸さんのご指摘は、以下のポイントに集約できるように思います。
「(何々から何々までの)注記情報は、何人もこのファイルから削除してはならない」とファイル自体に書き込んでおけば(悪意の削除がおこなわれる例外をのぞいては)、再配布が繰り返された場合も、注記の生き残りを担保できる。
そうしておかなければ、二次配布以降の実行者による条件付け(あるいは条件付けのし忘れによっては)、青空文庫の注記が削除される可能性がある。
論理的には、ご指摘の通りだと思います。
そうした可能性は頭にもありましたが、「案」にはそう書きませんでした。
理由は、以下の通りです。
著作権切れ作品に付加した注記を、複製、再配布にあたって「削らないでくれ」
と書くことは、私たちからの〈お願い〉です。これを無視しないよう縛る規定は、現行法にはないと思います。(この認識に誤りがあれば、ご指摘ください。)もしあったとしても、少なくとも現在の呼びかけ人グループには、無視する人に対し、ねばり強い交渉や訴訟を通じてでも、これを実行させようという気持ちはありません。私たちが割ける時間は、文庫自体を拡充する作業にすべて振り当てたいです。
そのように考えていますから、率直に言って「論理的な穴のなさ」は、お願いの実効性を担保しないように思います。無視したって罰せられないし、「削ろうかな、削るまいかな」と迷ったとき、「残そう」と思わせるような条件がないのなら、「穴のないお願い」をしておいても、無視する人は一定の割合で必ず出るでしょう。
では、何が「残そう」と思わせる条件になりうるでしょうか。
それは、青空文庫が元気に賑わっていることだと思います。
あそこでは、テキストの電子化がどんどん進んでいる。利用する人も多くて、タイプミス発見の情報も集まっており、ファイルが更新されている。ミスの少ないファイルを利用する上では、青空文庫のページに行って最新のものを入手してくるのが賢明だ。
加えて、大量のファイルを再配布する際、出所を明らかにしておかないと、「どこから持ってきたんだ」と怪しまれる可能性が高い。青空文庫というのは結構元気なようだから、「あそこのものを使った」と正直に言ってしまった方が公明正大な感じが出せて、自分の再配布プロジェクトにとっても有利に働く。
と思わせるに十分な状態を保つことこそが、注記の「長生き」を保証する、もっとも効果的な妙薬になるように思います。
もちろん、青空文庫を元気に保ちつづけた上で、さらに「何人もこのファイルから削除してはならない」と書けば、もっと強力だという論理は成り立つでしょう。けれど削除する人は、それでも削除するはずです。
さらにもう一点、ここはごくごく率直に言って、青空文庫が機能しなくなる可能性は、それほど低いわけではないでしょう。(事務局役を務めているからこそ、私には特に、そのおそれが強いのでしょうが。)
そうなったときには、私たちがここで考えたことと残した成果を、誰かにうまく引き継いでもらいたいと思います。
その仕事を、信頼して委ねられる人ほど、私たちが論理的に逃げ道のない注文を付けておけば、それを忠実に守ろうとするでしょう。
新しい人が、文庫の成果を引き継ごうとする際、注記を再整理できるくらいの穴は、あけておいた方が良いのではないかと考えました。
以下、もう一つのご懸念に対して。
著作権の保護期間が変更されることは、あり得ます。
長くなる可能性も、もちろんあります。
ただしそうなった際も、いったん切れたものが、再度保護の対象になるといった可能性は、ほとんど皆無に近いと思います。より長期化された保護の対象になるのは、新しく著作権切れを迎えるものでしょう。「来年で切れるはずだったものが、20年延長されたために、21年後になった」という形だと思います。
私には、いったん切れたものも再度保護の対象とするような形で著作権法の変更がおこなわれる事態は、想定できません。
「それでもそうなってしまったらどうするのか」と問われれば、変更が検討され始めた段階で精一杯反対し、そうなったあとも、抵抗の道を探ります。
具体的にどう抵抗するかは、運動全体への影響を考慮しながら、その時点で考えます。現時点で言えるのは、そこまでです。
最後に、青空文庫の方向付けに関しては、もちろん私も一所懸命考えていますが、事務局作業を分担している呼びかけ人が、無条件に私の考えを受け入れてくれるなどと言うことはまったくありません。特に今回のファイルの取り扱い規準に関しては、「工作員の考えが大きくどちらかに傾くかで決めざるを得ない」
と、仲間の一人から強く釘を差されていました。案は、皆さんの多くから支持してもらえるのではないかという期待が持てて、はじめて提出できたものです。由来に関する注記も、入れる形で「案」を示しました。記載事項も、みずたまりに寄せられたコメントを参考にしながら、固めていきました。
変にこだわっているかもしれませんが、私は、私たちの一人として振る舞っているつもりです。
基準案を読んで(Juki(O.Jukiko))
99年05月28日21時58分
校正担当のJukiです。
色々考えて、さあ今日書こうと思ったら既に基準案が出ていたので「しまった!」と後悔しております。
案については今のところおおむね賛成ですが、一点提案します。
「青空文庫収録ファイルの取り扱い規準案」のページ、
「著作権の切れていない作品」の項の中で
、
「図書カードまたはファイル中に、著作権者による特別の許諾が明記されていれば、あなたはその範囲内で、複製と再配布を行うことができます。」(改行しました)
とありますが、「図書カードまたはファイル中」の後に、
「もしくはリンク先のWebページ」の言葉を付け加えたほうが良いと思います。
リンクの取り扱い (もりみつ)
99年05月29日01時21分
別のとこから青空文庫のファイルにリンクするとき、著作権の切れている作品は「取り扱い規準」からファイルに直接リンクしてもいいような気がしますが、やっぱり図書カードにリンクした方がいいのでしょうか?切れてない作品も図書カードにリンクするべきなのでしょうか?
ちなみに私はリンクは無断でどこにでもしていいだろうと思っています。ただし、他のページやデータをインラインやフレームにいれてしまう場合を除く。
Re:ご懸念に対して思うこと(瀬戸俊一)
99年05月29日04時27分
わざと穴を残してある意味はよくわかりました。
ただ、質問した動機は、不正な改変を心配するというよりは、どんな環境にある人にも、そのファイルの意味を知ってもらえたらいいのになあ、ということです。
インターネット環境にない人とか、著作権に対する認識を異にする人が読んだらどうするだろう、などということを思い浮かべたのですが...
あまり現実的でない心配をするより、今できることをやろうというのは、おっしゃるとおりだと思いました。
わたしも屁理屈ばかり言ってないで、時間ができたら、またお手伝いさせていただきたいと思います。
ありがとうございます(LUNACAT)
99年05月29日07時36分
Jukiさん、
>今回、校正作業の範囲を越えて、色々な興味が出てきました。
>これだから工作員はやめられない!と思っております。
とのこと、そう言っていただけると、とても嬉しいです。本に関わっていく人それぞれが、いろいろな出会いを見つけていくことって、ほんとに楽しいですね。
八木さん、ようこそ。本は、読まれてこそ命を永らえるのだと思います。どうぞ、これからも、気軽に手に取って下さい。
瀬戸さん、いろいろと心配して下さって、ありがとうございます。
穴を見れば、誰かが落っこちないかと心配になる、というのは、とてもよく分かります。しかし、とりあえず、穴を埋めるより「ここに穴があるから気を付けてね」と立て札を立てておく、ということで、ひとまず進めていきましょう。
まとめレスで失礼しましたm(__)m
Re:基準案を読んで(富田倫生)
99年05月29日11時12分
Jukiさん
コメント、ありがとうございました。
ご指摘の点、直した方がいいですね。
いろいろなパターンを想定してみて、次のようにあらためると、漏れがないかと思います。
「図書カード、ファイル中、もしくは図書カードからリンクした作者にかかわるウェッブページに、著作権者による特別の許諾が明記されていれば、あなたはその範囲内で、複製と再配布を行うことができます。」
この線で、提案してみようと思います。
基準案を修正しました(富田倫生)
99年05月30日11時10分
「Re:基準案を読んで」と題した、上(↑)の書き込みの通り、「案」を修正しました。
トップページの「基準案掲載のお知らせ」からたどれる文書の関連する箇所に、加筆、修正を加えました。
リンクに関して(長谷)
99年05月31日06時35分
リンクはトップページだけに認めるべきではないでしょうか。特にファイルに青空文庫に関する記述を何もつけないときには。
そうしないと、青空文庫が何のために公開され、なにを発信したいのか知ることもなく、ただファイルを取ってきて終わりとなるのではないでしょうか。自分が発信したいことを理解してもらえずただファイルを持っていかれるだけというのでは、青空文庫を維持、運営する人にとってほとんど意味がないのではないでしょうか。
規準を読んで(藤下真潮)
99年05月31日13時29分
「青空文庫収録ファイルの取り扱い規準」を何度か繰り返し拝読させて頂きましたが、何点か不明点がありますので質問させてください。なお、この質問は、あくまで拙作(著作権のあるもの3点と著作権切れ1点)を青空文庫からリンクして頂いている者の立場からしております。
1.青空文庫収録ファイルとは、青空文庫のサーバー以外に置かれているファイルも対象ですか?(つまり、私のHP上に存在するリンクされているファイルも対象ですか?)
2.工作員の定義の中に私も含まれるのですか?基本的な質問で申し訳ありませんが、回答のほど宜しくお願いします。
リンク mashの本棚
Re:規準を読んで(富田倫生)
99年05月31日14時39分
藤下さん
おたずねの点について、お答えします。
1 そうです。(藤下さんの書かれた作品を念頭に置いて、答えています。著作権切れに関しては、「補足」で述べます。)
2 藤下さんが書かれた三作に関しては、含まれません。
著作権の切れた残りの一つに関して、藤下さんが工作員であるか否かは、現時点でははっきりしません。
「規準」を定めた段階で、藤下さんのページに置かれている著作権切れのファイルに関しては、ご相談して決めなければいけないことがいくつか生じます。それにどう答えを出すかで、私たちが想定している工作員の範疇に藤下さんが入るか否か、決まると思います。
以下、少し補足します。
・「規準」中「著作権の切れていない作品」に関する記述では、青空文庫はなにも独自の判断のようなものは示していないつもりです。著作権法の規定をそのままなぞりながら、利用者が現行法規の範囲内で、何ができるかを述べています。
・「規準」を定めた後、著作権の切れたファイルに関しては、青空文庫のページにすべてを置くようにするべきだろうと考えています。藤下さんが入力し、ご自身のページで公開されている『實語教』には、現在、図書カードからリンクを張っています。こうした形ではなくて、ファイルを青空文庫側に引き取らせていただき、標準的な処理、注記を施した後、文庫のページに置く形です。もちろんその際も、該当のファイルを例えば藤下さんがご自身のページで、少し違った形式で公開されることを妨げる気持ちは、まったくありません。
もしこうした提案を受け入れていただけるなら、『實語教』に関して藤下さんは、私たちが想定している工作員の範疇に入ると思います。
回答ありがとうございます(藤下真潮)
99年05月31日17時58分
著作権切れのものに関しては、私が想定していた考えとあまり差はありません。
青空文庫の趣旨に沿うようにしたいと思います(個人的にですが)。
著作権があるものに関しては、ちょっと迷っています。「青空文庫収録ファイルへの記載事項」の中の”著作権の有効な作品は、この取り決めに縛られないが、できうる限り、これに準拠する。”の一文は基本的には異存は無いのですが、問題のファイルは青空文庫からのリンクだけではないので、そうするとファイルを分ける必要があるかも知れません。その際は、同一性の保持をどうするかが、また悩ましくなります。(ファイルを預けられれば良いのですが、いまだに誤字や表現などに修正をいれてますし(^^;)
工作員であるかどうかを問い合わせたのは、打診メールが来るのかな?という疑問があったためです。あまり深い意味は無いです。
細かい点は、打診メールで対応したいと思います。
リンク mashの本棚
青空文庫テキストファイルの利用(安田一秀)
99年05月31日20時13分
今回、青空文庫から「外套」のテキストファイルをダウンロードさせていただきました。
自分好みのWindows95のヘルプファイル形式にして下記ホームページにて公開しています。
(1行の文字数以外は本文に手を加えていません。)
よかったらご意見を聞かせて下さい。
原テキストに「青空文庫収録ファイルへの記載事項」とされている項目が記載されていない場合はそのままでよいのでしょうか?
リンク 雑学レポート
藤下さん、訂正します(富田倫生)
99年05月31日22時09分
藤下さん
「ちょっと迷っています。」とお書きいただいて、該当の記述が配慮を欠いていたことに気付きました
「著作権の有効な作品は、この取り決めに縛られないが、できうる限り、これに準拠する。」という現状の記述では、作者に対してあまりに押しつけがましいですね。
著作権有効な作品は、その多くが書き手ご自身によってファイル作成されるのだから、想定している記載項目の多くは、そぐわないとも思い始めました。
ここは、「著作権の有効な作品は、この取り決めに縛られない。」とだけ書いておいて、もしも記載項目がなじむようなケースがあれば、その時に限って書き手とご相談し、この形に準拠すればよいように思います。
「できうる限り、これに準拠する。」という部分は削除したい旨、関連の文書で提案いたします。
HELPで読書(LUNACAT)
99年05月31日23時50分
安田さん、初めまして。
Windows代表呼びかけ人、LUNACATと申します。
HELPファイルは、電子出版の手段として紹介されていることもありますが、
HELPファイルで文学作品を本にしたものは、初めてお目にかかりました。本というものは、どんなかたちをしていても本なのだなぁ、と、改めて感じます。
矢印キーでのページめくりに慣れていると、クリックしてページをめくるのが少しおっくうな気もしますが、これは慣れの問題でしょう。
「ヘルプ」(ファイルのバージョン情報)が、なかなかお洒落。こういう工夫も楽しいものですね。
現在登録されている文庫のファイルには、「記載事項」が揃っていません。この場合でも、本文に手を加えずに使っていただいていますので、問題はないと思います。ホームページでも青空文庫のURLを紹介していただき、ありがとうございました。
Re:青空文庫テキストファイルの利用(富田倫生)
99年06月01日00時09分
安田さん
「原テキストに「青空文庫収録ファイルへの記載事項」とされている項目が記載されていない場合はそのままでよいのでしょうか?」
というおたずねに対しては、「やむを得ない」とお答えするしかないと思います。
「記載事項」の適用は、「規準」の成立と同時とするのが筋でしょう。
以降、ファイルを直していくわけですが、他の作業とも並行して進めざるを得ず、「いつまでに」というめどは示せません。その間、再配布を控えてくれとも言えないでしょう。(これまですでに転載されたものに関しては、「記載事項」
の形は取っていないわけですし。)
私たちとしては、なるべく早く直す。
再配布を検討される方には、できれば「記載事項」の完備したものから進めていただく。
こうした進め方を可能にするために、作家名の五十音順に直していくといったことを、検討します。
杓子定規にはなりますが、現状ではまだ「著作権切れのファイルは、青空文庫側に断りなく配布してかまわない」とする「規準」は適用されていません。ファイル作成にかかわった方の「規準」に対する見解も、未確認です。
現在、少し微妙な時期にあるので、これ以降の貴ページへの転載は、「規準」の成立に至るまで、しばらくのあいだ差し控えていただけませんでしょうか。
RE:リンクに関して(LUNACAT)
99年06月01日00時27分
長谷さん、こんばんは。
リンクに関してご心配いただき、ありがとうございます。
青空文庫のファイルに対する「リンク」は、現在のところ、図書カードに対して張っていただけるようにお願いしています。これが今後どうなっていくかは、まだはっきりしていません。
ただ、「取り扱い規準」の中で、ファイルの利用に関しては「自由」を原則とすることになりました。その場合、「リンクはトップページのみ」という制限をつければ、逆に、「リンク」でなく「ファイルを再配布する」という形での利用が増えると思われます。
「リンク」であれば、ファイルにミスがあって修正した場合など、利用者は最新のファイルを利用することができます。いわば、ファイルは生きて、成長しています。でも、「再配布」という形であれば、その時点でファイルは死んでしまいます。
できる限り生きたままのファイルを多くの人の手に渡していくためには、リンクをトップページのみに限るのは、やはりためらわれます。
それでも一人歩きをするかもしれないファイルに、「由来の文言」という形で、名札をつけようと思っています。青空文庫のURLも、そこにつけておきます。リンクであれ、再配布というかたちであれ、どこから来たかを忘れずにいてほしいという、精一杯の願いを込めるつもりです。
あとは、遠くまで旅をしたファイルが、新しい知り合いを見つけて、連れてきてくれるのを、私たちは待っています。
というのは、「きれいごと」かもしれません。
「世の中、きれいごとが通用するほど甘くないよ」と心配して下さるお気持ち、私はとても嬉しく思っています。
でも、この際、どこまで通用するか、ハラハラしながら見守ってみて下されば、もっと嬉しく思います。
私たちは、やはり甘いでしょうか。そうかもしれませんね。
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