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青空文庫
Blue Sky Collection
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No.
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著者名
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與謝野晶子
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書籍名
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私の生ひ立ち
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底本
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「私の生ひ立ち」刊行社
1985(昭和60)年5月10日発行
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底本の親本
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入力者名
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武田秀男
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校正者名
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福地博文
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作品について:雑誌「新少女」大正四年四月号から十二月号に連載。あわせて、「私の見た少女」として大正五年に発表された4編を収録。なお、挿絵は竹久夢二によるもの。
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著者について:1871-1942。明治11年12月7日、大阪府堺市生まれ。旧姓は、鳳(ほう)。本名は、志よう。1900年(明治33年)與謝野寛(鉄幹)によって創立された新詩社の社友となり、その新詩社の機関誌「明星」に短歌を発表。翌年、処女歌集「みだれ髪」を刊行。浪漫的な情趣をたたえた「明星調」は当時の青年層から熱狂的に支持された。與謝野寛との結婚後は、「小扇」「舞姫」「夢之華」などの歌集をあいついで刊行し、歌壇に女流歌人の第一人者としての名声を確立した。明治四十年代から大正期にかけての歌集・詩歌集に、「常夏」「佐保姫」「春泥集」「青海波」「夏より秋へ」「朱葉集」「火の鳥」「太陽と薔薇」などがある。昭和に入ってからも作歌活動は続き、「心の遠景」「白桜集」(遺稿)などの歌集が刊行されている。また、上記の短歌、「君死にたまうことなかれ」をはじめとする詩や小説、童話のみならず、源氏物語などの古典研究、婦人問題に関する評論活動、文化学院をよりどころとした女子教育など、多方面にわたって活躍する。
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