図書カード
青空文庫
Blue Sky Collection
No.
著者名 岡本綺堂
書籍名 半七捕物帳 帯取りの池
底本 「時代推理小説 半七捕物帳(一)」光文社、光文社文庫
1985(昭和60)年11月20日初版第1刷発行
底本の親本
入力者名 tatsuki
校正者名 菅野朋子

作品について:帯取りの池…池に美しい帯が浮いているのを見つけて取ろうとすると、たちまち巻き取られて飲み込まれる…。そんな伝説を持つ市ヶ谷にある池に、安政6(1859)年3月初めのある朝、派手な女物の帯が浮かんでいた。はじめは盗賊が捨てたとかと思われたが、帯の持ち主おみよが死んでいたことが判明。何者かがおみよを絞め殺して、帯だけを解いて池に投げ込んだのか? 半七は、おみよを囲っていた旗本を調べに雑司が谷を訪れたが、尋ね人の願掛けに鬼子母神に参詣していた清元の師匠と偶然出会ったことから、意外な事実が明らかになっていく。(ぷんきゅのちち)
ぷんきゅのちちさんによる、より詳細な解説はこちら
著者について:1872.10.15〜1939.3.1。劇作家、小説家。本名は敬二、別号に狂綺堂。イギリス公使館に勤めていた元徳川家後家人、敬之助の長男として、東京高輪に生まれ、江戸さながらの武家屋敷で育つ。幼くして歌舞伎に親しみ、父の影響を受けて英語も能くした。東京府立一中を終える前の1890(明治23)年に東京日日新聞に入社。以来、中央新聞社、絵入日報社などを経て、24年間を新聞記者として過ごす。この間、1896(明治29)年には処女戯曲『紫宸殿』を発表。岡鬼太郎と合作した『金鯱噂高浪(こがねのしゃちうわさのたかなみ)』は、1902(明治35)年に歌舞伎座で上演された。江戸から明治にかけて、歌舞伎の台本は劇場付きの台本作家によって書かれてきたが、明治半ばからは、坪内逍遥ら、演劇界革新の担い手に新作をあおいだ〈新歌舞伎〉が台頭する。二世市川左団次に書いた『維新前夜』(1908年)、『修善寺物語』(1911年)の成功によって、綺堂は新歌舞伎を代表する劇作家となった。1913(大正2)年以降は作家活動に専念し、生涯に196篇の戯曲を残す。コナン・ドイルのシャーロック・ホームズ物を原著でまとめて読んだのをきっかけに、江戸を舞台とした探偵小説の構想を得、1916(大正5)年からは『半七捕物帳』を書き始めた。

★大久保友博さんが作られた「半七捕物帳 執筆順リンク」はこちら

★ぷんきゅのちちさんによる「半七捕物帳の世界」はこちら


 テキストファイル ルビなし
 テキストファイル ルビあり 15K ZIP圧縮 1999/6/11/01
 HTML版 1999/6/11/01
 エキスパンドブック版 115K 1999/6/11/01


●テキストファイルをクリックすると、最新の圧縮されたテキストファイルが直接ダウンロードされるか、そのファイルが保存されているホームページにリンクします。
●HTML版をクリックすると、直接テキストがブラウザー上に現れるか、そのページがあるホームページにリンクします。
●エキスパンドブックをご覧になるには、エキスパンドブックブックブラウザ、およびヘルパーアプリケーションの登録が必要です。 (Macの登録方法Windowsの登録方法
前の図書カード トップページへ 次の図書カード
作家別 【あ】【か】【さ】【た】【な】【は】【ま】【やらわ】
作品別 【あ】【か】【さ】【た】【な】【は】【ま】【やらわ】
法律