小生の道標(みちしるべ)を指し示す。窓に映る己の影が、生きよと語る。
そして幾度目かの春はおとずれるのである。 春は出会いの季節と云う。 小生にもひとつの小さな出会いがあった。 それが、これらの詩である。 白庭(しらには)りうゆ、という名の魂。 西原勇梨という名の魂。 このうたたちとの出会いが何を暗示するのか。 何を描かせるのか。 抜粋し、共に感じる時間を、小生と共にしよう。 |
「Cry Rain」 〜 白庭りうゆ |
三行目の衝撃、そして四行目のリフレイン。 そこから簡潔にして色味の強い言葉が並ぶ。 全てを排し、ただ「僕」は泣く。 泣いた事にまんそくせず、さらに泣く。 涙はしかし、まんそくせぬ「僕」を嗤う。 雨に泣き、世を思い泣く。 これが人間だ。 これが生きると云う事だ。 そして「僕」は、はたして涙と和解する。 その率直さは小生にも深く染み入った。 |
「ていきいれ」 〜 西原勇梨 |
この作品に、小生、ニンマリとした。 題を敢えて仮名とし、内容のたおやかさ、はかなさを早くも饒舌に語る。 その昔、やさしい恋が終わり、男は孤独となった。 がしかし、変わらないのはこころ。 大切なのは心であると小さな、しかしはっきりとした声で囁く。 この心、届け。 昔の自分に、今のあの人に。 |
「君といた夏」 〜 西原勇梨 |
死を認め、受け入れ、そしてそこからどうするのか、と云う事を深く想う作品である。 夏が好きだった「君」と、「君」を好きだった自分とが等価であった時代。 その時代が死んだことが、ありありと語られる。 夏を、その夏を味わう時代を、「君」は奪っていったのではないか。 己の灼けた肌はまだ、「君」という存在を忘れてはいない。 「君」といた短い時代を忘れてはいない。 小生の赤茶色の時代もそうであった。 これからもそうであろう。 |
詩を作ってみればいい。生きている事を再びその身に刻むためにも。
詩のこころは誰にでもあるものではない。それは生きている者のみのうたなのである。