当時二十キロメートルほどの下流の有明海の港まで米を積み出した。なだらかな傾斜の石畳「俵ころがし」の面形がいまもあり、河原に添った酒蔵には、住時の米倉も残っている。
山鹿は、また古くから知られた温泉地である。
阿蘇の雄大な自然が貯えた水のすばらしさは、細川藩藩公の茶の湯の水が汲まれたという故事にも分かる。
豊前街道が菊池川を渡ると、山鹿の南の玄関口になる。そこで出会う、三つの土造蔵の白壁と、大きな瓦屋根が重なりあう風景、これが八八、八九年金賞蔵の「千代の園」の醸造元である。
米と水に恵まれた銘酒を醸すにふさわしいこの地に「千代の園」の酒蔵が誕生し、酒技を磨き続けて、はや一世紀。熊本ならではの酒造りは、このロケーションなしにはあり得ない。