ドイツ館を二等辺三角形の頂点に、底辺の南東端に四国霊場第一番札所霊山寺が、南西端に同じ二番札所極楽寺があって、ここは八十八か所巡礼のスタート地点でもある。鳴門鯛の蔵は、この霊山寺に近く、文化元年(一八○四)に創業、現社長松浦恭之助さんは八代目。松浦さんの話によると、いまの鳴門鯛の基礎を築いたのは、曽祖父と祖父、つまり五代目、六代目だそうで、六代目が残した「営業誌」と書いた和綴ノートによると、「明治十年に至り先代九平ココニ見ル所アリ、阿波国醸造怯ノ拙劣ナルト、酒質ノ濃厚ニシテ糖分糊生分ノ多キトハ、タダニ健康上ニ害アルノミナラズ、又以テ国産不振ノ原由ナルコトヲ慨シ、飄然各地ヲ視察シ大ニ得ル所アリ、ココニ於テ、専ラ之ガ改良ニ勉メ研鑽スルコト多年、一面ニハ杜氏渡辺重松ヲシテ醸造法ノ伝習ヲ受ケシメ、以テ経験ニ学理ヲ応用シ(中略)貯蔵桶ノ如キハ最良材ヲ擇ビテ之ヲ造り且原料ト水質トニ注意ヲ施シケレバ其ノ効、果シテ空シカラズ酒質醇美ニシテ濃厚ナラズ大ニ在来酒ノ面目キ改ムルコトヲ得タ」という。
現代の鳴門鯛もこの衣鉢を継いで、全画新酒鑑評会に四年連続入賞(昭56〜昭59)している。これは徳島県では最高の成績である。
社長さんのお宅で社長夫人のお手製の料理をいただきながら、鳴門鯛純米吟醸を賞味した。これは兵庫山田錦を50%まで磨いて造っている。料理はサトイモの田楽、イカと鳴門ワカメの酢のもの、タケノコの煮もの、ソバゴメの清汁などであった。
ほどよく冷えた純米吟醸は、豪快に走って雑ならず、軽快に流れてしかも深みあり。まさに「醇美ニシテ濃厚ナラズ」、特にフィニッシユの酸味のきらめき、そして一閃して残照となり、やがて消えてゆく余韻が印象的であった。ソバゴメの清汁のトリ肉やニンジン、チクワ、ミツバなどの具に、これはいちばんよく合ったようだ。