Ruinart

LA PLUS ANCIENNE MAISON DE CHAMPAGNE FONDEE EN 1729

ルイナール社とシャンパンの起源

ルイナール社の歴史を語るとすれば、シャンパンの起源にまで遡らねばなりません。
オーヴィレールの修道院で、僧院の酒庫係ドン・ペニリョンの腹心の友であったベネディクト派修僧ドン・チェリールイナールが「泡の立つワイン」の製法の貴重な秘密を知ったのは、l8世紀初めのことでした。彼は、この秘密を甥のニコラ・ルイナールに伝え、このニコラ・ルイナールによって、l729年、最初のシャンパン酒造会社ルイナールが創立されました。

ルイナール社と歴史

ルイナール家の人々は、政治とシャンパンのピジネスとを持ぴつける事に長けていました。
創立者ニコラの息子、クロード・ルイナールは、ルイl6世の顧問を務めました。ランスの市長だったグロードの息子、イレネはクラン・シルリと呼ばれた彼の城に皇帝ナポレオン一世と皇后マリー・ルイーズを迎えました。
また、ランスの大聖堂で載冠式を行う為に同市を訪方れたフランス最後の王、シャルルl0世を迎えたのもイレネ・ルイナールでした。

国際的なルイナール

その後もルイナール家の人々はシャンパンの名を世界に広める事に貢献しました。
持に、アメリカにその名を広めたのは、エドモン・ルイナールで、彼はl830年代にアメリカの大焼領ジャグソン将軍に会見しています。一方、彼の息子エドガーば、旅行をすることきえ苦難な時代に、サングト・ペテルプルグ宮廷にロシア皇帝を訪ね、その結果ロシアは初めてシャンバンを輸入する国の一つとなったのです。

ルイナール……21世紀に向けて

現在、ルイナールは80ケ国に輸出されています。フランス大統領の公邸、エリゼ宮で用いられたり、パリーワシントンを結ぶコンコルドの初飛行でサーヴされたり、と世界で最もプレステージの高いシャンパンの一つとしての地位を確固たるものとしています。

ルイナールとシャンパン地方の土壌

ルイナールのシャンパンは、大地と天の縁組によって生まれた奇蹟といえます。
ケイ素を多量に含む粘土質の薄い層に覆われた土壌と、大西洋の穏和さと大陸性の厳しさを合わせ持つ気候とが、シャンパンを造り出しています。この土壌と気候の恵みを受けて、シャルドネ、ピノ・ノワール、ピノ・ムニエの各種の良質なぶどうが育つのです。
シヤンパンば異なるぶどう品種及ぴクリユのプレンドですから、充分なぶどうの供給はシャンパン造りには欠かせません。ぶどうやクリユを選ぶ事についてはルイナール社は非常に有利な立場にあります。250のクリユのうち、200ものクリユから選ぶことが出来るのでその年の最高品質のものを使えるのです。
特に、l7のl00%グラン・クリュとプリユミール・クリユから選ぶことが出釆るのです。このようにして、ルイナールのシャンパンは最良のシャルドネから造られたワインを常に使っているのです。

ルイナールの技術

ルイナールのシャンパンに用いられるぶどうが圧搾された後も、持に選ばれた最良のものだけが用いられます。
瓶酷後は3〜8年寝かせ、完壁な状態になるまで熟成させます。この間、シャンパンは、ローマ時代に造られ、史跡にも指定きれているルイナールの有名な地下酒庫(セラー)で、ゆっくり寝かせられるのです。ルイナールが造る5種類のシャンパンは、すぺて幾世紀にもわたって磨き抜かれた技術を駆使した、デリケートで長にわたる作業の結晶として、出釆上がります。この作業に携わるのは、クラフトマン(職人)と呼ぶよりもアーチスト(芸術家)と呼ぶにふさわしい人達です。

ドン・ルイナール


ドン・ルイナールのブラン・ド・ブランと・ロゼには、l8世組に広く用いられた長いネックの高貴なポトルが使われています。両方ともヴィンテージ・イヤ一にしか造られませんので、常にヴィンテージもので、すぺてグラン・クリユを用いてます。
ドン・ルイナール・ブラン・ド・ブラン:シャンパン地方の最も有名なセパージユ(品種)シヤルドネのみを用いています。
ドン・ルイナール・ロゼ:シャルドネとシャンバーニユのグラン・クリユ地区、プジーのピノ・ノワールとをプレンドした高品質なロゼです。

協力/
きつねや

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