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スコッチ・ウイスキーの歴史ENGLISH Ver.
 ●イングランドに併合されたスコットランド
 ●英国政府公認の蒸溜所が誕生
 ●スコッチ・ウイスキーの製造プロセス
  ・醸造工程
  ・蒸溜工程
  ・熟成工程
DISTILLERY PACKAGE 1995 by SCOTLAND
スコットランドの蒸溜所マップ
モルト・ウイスキー・リスト
ブレンデッド・ウイスキー・リスト
グレーン・ウイスキー・リスト
モルトウイスキーの達人への道
モルトウイスキーの色 (濃さ・色彩 )に影響を与える要因
ウイスキー色は琥珀色?
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スコッチ・ウイスキーの歴史

スコッチ・ウイスキーが初めて蒸溜された正確な年代は明確ではありません。紀元前約800年頃にアジアにお いて初めて蒸溜が試みられ、エジプトを経由してヨーロッパにその技術が伝えられたことは一般に知られてい ますが、ウイスキーの蒸溜そのものの起源はっきりしていません。そして、蒸溜の技術がいつスコットランド に到来したかも未だに不明です。確かなことは、古代ケルト人がその技術を使い、彼らが作った火のような飲 み物に、ゲール語でウースカ・べーハ(u i s g e b e a t h a)「生命の水」という意味深い名前をつけたこと です。ケルト人にとって、心身の疲れを癒し、寒さを乗り越え、再び希望をよみがえらせてくれるその飲み物 の力はまさに神からの贈り物だったのです。技術がどこから来たにせよ、スコットランド人は蒸溜技術を完壁 なものにし、また豊かな自然の恵みを利用して、今日、スコットランドの歴史、文化、習慣に欠かすことので きないスコッチ・ウイスキーを造り上げました。スコットランドにおける最古の蒸溜の記録は1494年で、ス コットランド大蔵省が「修道士ジョン・コーにアクアヴィテを作らしむため、8ボルのモルトを」と公文書に記 戦したものです。それは約1,200Kgのモルトで、約1,400本のスピリッツを造るのに充分量で、蒸溜が当 時既に確立した技術であったことがわかります。
その頃の素朴な用具、また科学的知識の不足を考えると、当時造られたスピリッツは強烈で、時に有害でさえ あったと推測できます。
しかし、蒸溜技術の改善、進歩はそれほど古いことではありません。まず、16〜17世紀にはかなりの技術的 進歩が見られました。それは、修道院の解散によって、聖所を追い出された修道士たちは他にあてもなく、彼 らの熟練した技術を生かし蒸溜技術の発展に大いに貢献しました。そして、蒸溜の知識はたちまちに他に広が ったのです。ウースカ・ベーハから名づけられたウイスキーは最初の頃、ほかの蒸溜酒同様に「薬」としての 価値を認められて、健康の維持・長寿・腹痛の綬和・中風・天然痘やその他多くの病の薬として処方されスコ ットランド人は幼児期から人生の最後を迎えるまでウイスキーに親しむようになりました。
スコットランドの詩人で「エトリックの森の羊飼い」と呼ばれたジェームス・ホグ氏(1770年〜1835年) はウイスキーについて「人は毎口飲むべき最適の量を見つけだし、それを続ければ人は死ぬこともなく、永久 に生き、医者、スコットランドの教会の墓地はすたれてしまうのではないか」と言っています。スコッチ・ウ イスキーは長くて寒い冬の間の気付け薬として、また遠来の客をもてなす社交の主役として、スコットランド 人の生活に欠かすことのできないものとなりました。こうして高まっていったスコッチ・ウイスキーの人気は ついにスコットランド議会の関心を呼ぶようになり、17世紀後半にはモルトとその最終生産品に課税されるよ うになりました。

イングランドに併合されたスコットランド

1707年(江戸時代・富士山噴火)のイングランドとの連合法の成立以降は反乱するスコットランドの氏族を 服従させようと、ウイスキーの税率を除々に上げたため、ほとんどの蒸溜家はそれを嫌い地下(人里離れた谷 間)に潜るようになりました。自分達の土地で出来た大麦を使い時間と労力を惜しまず造り上げた飲み物に課 税されることに納得しない密造者と徴税官との間で、長い間血なまぐさい争いが起こりました。約150年もの 間、密造は常習的となりそれに対する罪の意識もありませんでした。 ユニークな話しとして「スコットランド教会の牧師たちは説教壇の下に貯蔵用のスペースを作り、違法のスピ リッツはしばしば棺に入れられて運ばれ、これは徴税官の厳しい追求から逃れるための効果的な手段として使 われていた」とあります。
1777年までに、エジンバラにある連合国の税務署に納税していた合法的な蒸溜所はたった8ケ所(英国政府 公認蒸溜所と言う表現はされていない。)で、未登録の非合法的な蒸溜所は約400カ所だったと言われていま す。しかし、それは辺鄙なハイランド地方やスコットランドの島々の違法蒸溜所に比べれば取るに足らない数 でした。密造者たちは上手に組織を造り、ヒースの茂みに複われた丘の人目のつかない所に隠れていました。 ある場所では、ピート(泥炭)の煙が嫌疑を招かないように約64メートルの地下道を通して、小屋の煙突から 煙が出るようにしているところもあったそうです。密造者たちは、徴税官が近ずいて来ると丘の頂上から頂上 へと信号を送るシステムを作ったりしました。
毎年14,000ケ所の違法な蒸溜所が押収されられていたのにもかかわらず、1820年代までにスコットランド で消費されたウイスキーの半分以上が、税金を払われずに飲まれていたのです。

英国政府公認の蒸溜所が誕生

このような法を無視した振舞いは、やがてスコットランドで最も優れた違法ウイスキーを造っていた大地主ゴ ードン公爵を動かしました。彼は貴族院で「政府は合法的なウイスキーを造ることによって利益がでるように すべきだ」と提案しました。(ウイスキー調停)公爵の力のかいがあって1823年に新しい物品税法が通過し ました。これはl 0ポンドのライセンス料金と1ガロン当たりのプルーフ・スピリッツに対する一定料金をを支 払うことでウイスキーの蒸溜が認められるというものでした。この注目に価する法の制定は今日のスコッチ・ ウイスキー産業の基礎を作りました。
1824年(江戸時代・文政8年)にその記念すべく蒸溜ライセンスをいの一番に取得した、蒸溜所はゴードン 公爵に最も近かったと言われていた「ザ・グレンリベット蒸溜所」をはじめ「ザ・マッカラン蒸溜所」「バル メナック蒸溜所」「フェッターケン蒸溜所」「リンクウッド蒸溜所」「ミルトンダフーグレンリヴェット蒸溜 所」でした。その後、10年余の間に密造者は殆どなくなり、大部分の蒸溜所が政府公認のライセンスを受ける ようになりました。また、今日の蒸溜所の多くはかっての密造蒸溜家によって使われた場所に建てられていま す。
さらに19世紀になると、スコットランドの地酒でしかなかったスコッチ・ウイスキーを世界的に有名にする
二つの事柄がありました。

スコッチ・ウイスキーの製造プロセス

スコッチ・ウイスキーはスコットランドで蒸溜され、そこで、樫樽で最低3年間熟成されて初めてスコッチ・ ウイスキーと呼ぶことができます。黄金色に実った大麦や小麦の畑。花崗岩の岩肌や、荒野に広がるピート 層をほとばしる清冽な湧水。そして冷く澄んだ空気。スコッチ・ウイスキーはスコットランドが授った豊か な自然の恵みの中で蒸溜された自然の飲み物です。スコッチ・ウイスキーの蒸溜と熟成の伝統的な技術は何 世代にもわたってはぐくまれてきました。一般に蒸溜所はウイスキー造りに最も必要とされる美しい自然環 境の中に置かれています。
スコッチ・ウイスキーには3つの種類があります。
モルト・スコッチ・ウイスキー
グレーン・スコッチ・ウイスキー
ブレンデッド・スコッチ・ウイスキー

醸造工程(ビールを造ります。)
モルト・スコッチ・ウイスキーは大麦麦芽(モルト)・水・イーストのみを原料として造られます。第一の 過程は麦芽製造です。大麦は、水槽の中で2〜3日浸した後、モルト・ハウスの床に広げられ発芽を促します。 次に一定の段階に達した発芽を止めるために、麦芽は蒸溜所のシンボル的な風景となっている独特のパゴタ 型の通風口が上部に備えられているキルン(乾燥室)で乾燥させます。スコットランドの荒野で採掘された ピート(泥炭)は伝統的には乾燥させる時の燃科として焚かれます。炉火からでる煙は金網状の床を通って 大麦麦芽を乾燥させるためにゆるやかに上昇し、ピートの独特の燻香が麦芽に焚きこまれ、この燻香は最終 的に出来上がるスコッチ・ウイスキーに独特の個性を与えます。大麦麦芽は乾燥するとトーストのようにパ リパリしています。大麦麦芽は、荒挽きに砕かれ、マッシュ・タン(糖化槽)の中でお湯と混合されます。 この過程で大麦の中の澱粉質がウォート(麦汁)と呼ばれる糖化液に変わります。ウォートを冷却し発酵槽 (ウォッシュバック)に移し、イースト(酵母)によって発酵させます。イーストはウォートを酸っぱいピ ールのような租アルコールに変えます。蒸溜所によって違いますが、発酵には約48時間を要し、ウオッシュ (発酵液)と呼ばれる液体が生成されます。

蒸溜工程(ビールからスピリッツを造ります。)
次は蒸溜によって発酵液(ビールのようなもの)からアルコールを分離する重要な過程に入ります。モルト・ ウイスキーは今でも白鳥の首型(スワンネック)をしたポット・スチル(単式蒸溜器)を使って2回ないし 3回蒸溜されます。最初の蒸溜は大きめのウオッシュ・スチル(初溜釜)、2度めは少し小さめの、スピリ ッツ・スチル(再溜釜)で蒸溜します。スチル・マンと呼ばれる蒸溜人が初溜釜の中の温度を上げると作業 が始まります。発酵液が少しずつ加熱されると、アルコールは気化し蒸溜器の白鳥の首の部分に上昇し、蒸 溜器の頭部を通り、冷却装置に送り込まれ、再び凝縮した液体に変わります。
ローワインと呼ばれる最 初の蒸溜液は集められ2回目の蒸溜が後溜釜で行われます。2回目の蒸溜ではスチル・マンは特に憤重な操作 が必要になります。と言うのはこの時流出してくるスピリッツの中溜液(ミドル・カット)のみがモルト原 酒として熟成・貯蔵の工程へと進むからです。この作業はスピリッツがスピリッツ・セーフ(検酒器)に流 れ込む時に行われ、そこでスチル・マンは液体の質、アルコール度数などを調べます。
最初に流れ出る部分、初溜液(フォアショット)と最後の部分、後溜液(フェイント)は、次に出てくるロ ーワインと一緒に再蒸溜されます。

熟成工程(スピリッツからモルト・ウイスキーに変身します。)
スコッチ・グレーン・ウイスキーは大麦麦芽と発芽していない大麦、小麦そしてとうもろこしを原科とします。 穀物は、蒸気圧により蒸し上げられ、この間に穀粒と水の混合物が撹拌されます。穀粒中の澱粉細胞が破裂す ると、この混合液はマッシュ・タン(糖化槽)に移されて、麦芽と一緒にされ麦芽のジアスターゼによって澱 粉が糖化します。糖化液は発酵させられて、パテント・スチル(連続式蒸溜器)で蒸溜されます。スコッチ・ モルト・スピリッツとそしてスコッチ・グレーン・スピリッツをいつ採取するかのタイミングの判断をするス チル・マンの手腕は蒸溜の技術にとって極めて重要です。合格基準に達したモルトとグレーンのスピリッツは 選ばれた、様々な樫(オーク)樽に詰められ、貯蔵庫で長い熟成を待ちます。ここで、奇蹟の時が始まるので す。長い熟成に耐えられると判断された樽そのものが最終的スピリッッの特徴、色などの品質に作用しますの で、樽の品質は使用前、中と注意深くチェック、モニターされます。樽の種類はオロロソ、フィノ、アモンテ ィリャドなどのシェリー酒造りに使用された樽、バーボン造りに使用された樽、あるいは新しい樫樽などがあ ります。樽のタイプはウイスキーの特徴とその一慣性を追求するマスタープレンダーによって決められます。 最低3年間熟成されたスピリッツのみが、モルト・スコッチ・ウイスキーとして法的に認められますが、実際 はほとんどのスコッチ・ウイスキーがもっと長く5年から15年、20年あるいは25年そして、時にはそれ以上 熟成されます。その長い間、スコットランドの冷たい新鮮な空気は樽の内部に浸透し、その中身を洗練させ、 蒸溜家のユニークな創造によりなめらかな黄金の味を授けます。樽の中のウイスキーの一部は年間を通して蒸 発し、天国へ消えてしまいます。これは「天使の分け前」と呼ばれています。


お酒は20歳を過ぎてから

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