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酒の容器…1994年10月

今回は、日本酒の容器について話をします。

現在は誰でも日本酒というと、茶色や緑色、青白く透き 通った、あのガラスビンに入っているものだということ に疑念を持つ人はいないでしょう。もう既成概念として、 すっかり定着しているようです。ところが、歴史的に見 ると、酒の容器といっても、その用途によって種々のも のがありました。

酒造業者の酒蔵の中でのみ使われるものもあれば、酒造 業者から出荷されて酒問屋や小売屋へ行く段階、小売屋 から消費者の口へ入るまでの段階で、それぞれ異なった 容器が使われていた時代の方がずっと長いのです。酒と ガラスビンというコンビが定着したのはごく最近、昭和 も二桁になる頃からなのです。

昔は、酒のメーカーから問屋、小売屋までは四斗樽が使 われていました。四斗樽というのは、結婚式の鏡割りな どでおなじみの、72リットル入る樽です。それ以外にも、 二斗樽や一斗樽、五升樽なども用途に応じて使われてい ました。

【写真:源蔵徳利】

小売店から消費者の手に渡る際には、一升から二升入る 陶製の徳利、「源蔵徳利(げんぞうとっくり)」が使われ ていました。歌舞伎の忠臣蔵で有名な赤垣源蔵が討ち入 りの前に家族との今生の別離という名場面で使用された ために、その名にちなんで「源蔵徳利」と呼ばれている のです。

太平洋戦争の前頃までは、小売店がそれぞれ工夫した名 入れの源蔵徳利を作って家庭に貸したり、あげたり、ま た売ったりしていました。その徳利をぶら下げて子供が 小売店へ清酒を買いに行くと、小売店では四斗樽から枡 で計って徳利へ移して販売していました。夕方時に子供 がそれをつるして家へ持って帰ったり、店の主人や奥さ ん、店員が配達する姿は明治、大正、昭和の初期までの 町村の風物詩でもありました。

【写真:コルク栓の瓶】

その徳利は、ガラス工業の発展により、一升ビンという 外からも量がわかる便利な容器にとって変わられたので す。ガラスビンが普及したのも、ガラス工業だけでなく、 木の栓から輸入品のコルク栓、そして国産の王冠からプ ラスチックの栓にいたるまでの、口栓の技術革新や、美 しいラベルが安価に印刷できるようになった印刷技術の 革新等のバックアップがあったからです。

ガラスの一升ビンの時代も長く続きましたが、今や、 720mlや500mlといった小ビンや、紙パックの時代になっ てきました。それにつれて、容器を入れる箱も様々に変 化しています。これについてはまた別の機会にお話しし ましょう。

ところで、源蔵徳利は別名「貧乏徳利」とも呼ばれてい ます。この名前を聞いたことのある人も多いと思います が、その理由がわかりません。その事を調べて納得のい く結論が出たら報告したいと思っています。起源をご存 じでしたら、社長までご連絡をいただければ幸いです。


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著作・制作: 武重本家酒造株式会社
Copyright (c) 1994, Takeshige Honke Shuzou Corp.

初稿完成:1994/09/25、最終変更:1995/08/06