今も依然健在「山崎蒸溜所」72歳
1899年(明治32年)鳥井信治郎氏は大阪に鳥井商店を開業して、ぶどう酒の販売を始めました。
1906年(明治39年)になると店名を寿屋洋酒店と改称し、翌年かの有名な「赤玉ポートワイン」
を発売しました。
日本のウイスキーの父と言われる鳥井信治郎氏は本格的なウイスキーを日本で造るために、全国各地を
廻り、ウイスキー造りに適した環境、水質を入念に調査して山崎に決めたと言われています。その際に
山崎の水をスコットランドに送りウイスキー造りに適した水との証を得たといいます。余談ですが、千
利休がこの土地に茶室を構えたことでも山崎の水の良さが証明されています。
そこで、1923年(大正12年)鳥井信治郎氏率いる寿屋(現サントリー)によって日本初の本格的
なモルト蒸溜所が、京都の南西・天王山のふもとに誕生しました。正確な住所は大阪府三島群島本町大
字山崎ですが、豊臣秀吉の時代に城下町を造った近くで、蒸溜所のすぐ東側から京都になります。
多種蒸溜仕様
サントリーは如何にして「世界のどんなウイスキーにも負けない日本のウイスキーを」と言う創業者鳥
井信治郎氏の壮大なビジョンを守り、実行してきたのでしょう。それは日本の気候風土、日本人の嗜好
を如何に調査、研究しつつ、その環境にあったモルト原酒を造りあげることが絶対条件でした。モルト
原酒は一樽一樽、一つとして同じものはありません。そのことを熟知したサントリーは1966年(昭
和41年)山崎蒸溜所にウイスキー研究所を発足させました。原料となる麦芽、日本各地の水、3千以
上の種類の酵母の培養、と限りなく研究しています。それは、今もなお続けられています。
山崎蒸溜所においては、蒸溜器は伝統的なストレートヘッド型、さらにシンプルなストレートヘッド型、
そして中間にふくらみをもつバルジ型と3種類を使いわけています。蒸溜方法も直火蒸溜と間接加熱蒸
溜を採用しています。
駆け足ではありましたが、京都・山崎蒸溜所を解説させていただきました。日本人が日本人のために造
り上げた最良のモルトウイスキーをこの機会に是非お飲みいただけたら幸いでございます。また、たま
にはビジネスの合間にモルトウイスキー談義も楽しいかと思います。
ピュアモルト山崎12年
・山崎蒸溜所の蒸溜器
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