Q・樋口さんはゲ−ムの方を創られたりはしないんですか?
ゲ−ムはお客さんだから。みんな迂闊に手をだしていますよね。迂闊ですよねみんな。そういう人が作ったもので面白かった試しなんてないじゃないですか。一人だけ例外がいますけどね。佐藤雅彦さん。
IQはすごかったですよ。いってみればCMのTVプランナ−の人が創ったゲ−ムとかいうところで、「ヘン!」とか思っていたんですけど、やってみたらめちゃくちゃ良かったですね。と思ったらあの人って昔のル−ビックキュ−ブのチャンピオンなんですよね。「なんだ、元からそういう人なんじゃん」て思いましたが。つまり最高のゲ−マ−じゃないとゲ−ムが創れないというのは、つまりは最高の観客じゃないと映画を創れないというのと同じだと思うんです。映画観たことないのに映画創ろうとしても創れないじゃないですか。映画と同じようにゲ−ムにしても、最高のゲ−ムで「ゲ−ムとはこれだ!」というところまで体験化して言えて、しかも言ったことが誰よりも素晴らしいことじゃないとできないわけですよね。だから一時、映画的なゲ−ムとかいってみんな勘違いして創って、累累たる屍があるじゃないですか。そういうのを見るとこれは専門家にお任せしておいた方がいいという気持になります。だからパ−ツとしてのお手伝いだったらできるんですけど、それを全体でみるのは全然畏れ多くって。なにしろゲームヘタクソですから。俺。
Q・では、インタラクティブ性をもったDVDなんて以ての外ですね。
もう、何が面白いんだって感じですよね。DVDのインタラクティブ性なんて、いまさらゲームには追いつかないでしょ、ゲ−ムの世界がどんどん映画的な演出を咀嚼してきてるし。という話になると「ファイナルファンタジ−VII」なんて概念だけ聞いてお試し版やって「なんだこれ?」て思ったわけですよ。何がやりたいんだという感じだったんですよ。でも、いざ本チャンをやってみたら、面白いのなんの。不覚にも面白かったんですよね。CM見た感じではダメっぽい感じがしたじゃないですか?つまり映画的なものめざして、足元すくわれている感じがしたんですけど、やったらめちゃくちゃおもしろいんですよ。ただ、後半、戦闘が邪魔でしたね。戦わなくたって先に進めるんだから、おまえら死ぬために出てくるんじゃないとか思いましたね。(笑い)
となると、それまでゲ−ムとはかくあるべき、あくまでもム−ビ−とかは二次的要素だと思っていたんですけど、あそこまでやってしまうとゲ−ム的要素が不要になってくるんですよ。突然出てくるザコキャラしばいてると鬱陶しくなってくるわけです、私の場合。つまり本来必要とされているゲーム性を駆逐しちゃうほどの面白さが脅威です。インタラクティブであろうとなかろうと。
Q・では、DVDやCD-ROMはどういったものを創るべきだとお考えですか?
俺はDVDの一番いい使い方ってライブパフォーマンスの記録じゃないですか?マルチカメラで収録したミュ−ジシャンのライブ。それだけだと思いますけどね。普段あれだけカメラを回しているじゃないですか、でもほとんどの素材を編集段階で捨てているわけですよね。それを全部入れればいいだけじゃないとかと思うんです。一瞬しかないものを同時進行で見せるという切り取り方を自由自在に見られるというのであれば、演劇の中継とかそういうのもビデオで出したのをみたりしても、べたっとフィックスでみるのが理屈からいけば一番リアルですけど、そうもいかないからカットを割って寄ったり引いたりするわけじゃないですか。そうした瞬間に寄ったり引いたりというところに演出が発生して、臨場感が減退しちゃう。だってそれは、あくまでもそのステ−ジパフォ−マンスを記録する上では必要ないものですよね。観ているお客さんの生理でカメラが寄ったり引いたりできるあたりがDVDのスペックの有効利用法じゃないかと思います。ストリップとか。(笑)
Q・最高の映画を創るためには最高の観客になれ、最高のゲ−ムを創るためには最高のゲ−マ−になれと先ほどおしゃっていましたが、今の人たちは何を観て勉強すればいいんでしょうか?
量ですね。映画に限らずなんでもそうだと思うんですけど、広く深くじゃないですか。ゲ−ムでいえばブロック崩しとかスペ−スインベ−ダ−とかから始まって(笑い)とか思うんですけどね。引用できる引き出しはいっぱい持っておいた方がイザという時の対処に困らないでしょうし。
Q・最近観た映画とかのお薦めってありますか?
とりあえず、スタ−ウォ−ズはスパでお薦めしていましたけど、スタ−ウォ−ズを日本で一番早く観れるということで、あれは悪魔に魂を売ったんです。日本で最初の試写会に呼んでもらって。ただし、観て廃り顔で解説をしなくてはいけないという拷問が待っているんですよ。基本的に恥ずかしいですからね。人様の作品を批評するなんぞは10万年早いし、そういうのはそういう専門の人にまかしておけばいいわけですから。
Q・エヴァンゲリオンは正直いっていかがですか?
最近よくき聞かれるんですけどエヴァに関するコメントは控えているんです。「みんなおかしいよ」っていいますね。新鮮だとかいわれていますけど、うちは悪いけど10年前からあれをやっているんだというのがあるから、みんなおかしいですよ、今頃になって。あと恐いのが、ここまで来ちゃうと、その反動がいずれドッと来るわけじゃないですか。これだけみんなに消費されてしまったら後は捨てられる一方ですからね。流行ったものって絶対に廃れるものですから。せっかくチョロっとやっていた市川崑風タイトルも、ここまでなのかな・・・?
Q・真似が入っていたんですか?
特太明朝がガクガクッて入るんですけれども。誰も気付かないと思って大切に育ててきたものが、踏みにじられているような。作品そのものに対してはいつものことだし、OKなんですけど、流行るというのがですね、そこが壮大な自己矛盾なんですが、創ったものが受け入れられなきゃ嫌なはずなのに、受け入れれた瞬間に誤解して拡散していくじゃないですか。誤解された上で消費されて希薄になっていってですね、つらいなと思いますね。
Q・樋口さんの作品ってコンビネ−ションものが多いんですけど、将来的には樋口発という作品を考えられているんですか?
その時がく来るかもしれないし、来ないかもしれないですね。さっきのガメラをやるときに、どういう心理状態だったかというと、世界でこれをうまくやれるのは俺だとか、俺しかいないとか、他のやつにやらせたくないという感情が、突然降って湧いたんですよ。何かがとりついたんですよ。それと同じことが何かにおいてあったりとか、そうであればわかるんですけども。
俺思うんですけど、監督って職業じゃないですから。人格ですからね。他の人をみていても、何物かがやっぱり乗り移っているんですよ。そうじゃないとやっぱりできないんですよ。自分の尊敬している人の現場を観にいったり、尊敬している人と一緒にやるとやっぱりみんな乗り移っているんです。確かに乗り移らなくても仕事としてできるんですよ、職業として。でも俺はそういうのを見ると職業としてできないな、というのが見ちゃえば見ちゃう程、痛感するわけですよ。そういうのを観て、憧れれば憧れるほど、そうでなければやるべきではないなと。
話は変わるんですけど、ミニチュアを創っている方って、壊すために創るじゃないですか。心境としてはどうなんですかね。虚しさとかってあるんですか?
それは全くないですよ。欲しいものは結局作り物ではなくて、フィルムが欲しいんですから。あくまでもフィルムのための素材ですし。上手く吹き飛んだりするとたまらなくキモチいいんですよ。でも逆に中途半端に残ったりしたら、もったいないなって思いますね。ドカンとやって半分ぐらい残ったりすると、「せっかく壊れるんだからこわさないで別の所に使おう」とか云っちゃいます。貧乏性ですがフィルムに残ればこっちのものです。
Q・プロダクションシステムの方に話を戻させていただきますが、アメリカの場合はプロダクション制がうまくいっていて良い映画が多いんですが、日本というのは、音楽が売りなら音楽が、スト−リ−ならスト−リ−がという、セ−ルスを意識するあまりにコンビネ−ションがあまりよくないですよね。そんな中でガメラというのはすごくうまくコンビネ−ションがいってできた映画だと思うんですけど。
ひとつ、なぜ自分でやらないのかといったら、俺よりもいい人がいるからなんです。先ほどいったように、世界中で俺よりうまく撮れる奴がいないといったら僕がやりますけどね。でも、うまくやれる人がいるから、やる必要がないんです。
Q・特技監督の場合は、撮ったものを「ご自由に」と監督さんに渡すんですか?
いえ、こっちで編集して、つなぎこんだところで監督にみてもらって、「あともう少しないと」とか、「ここイラナイ」とかいわれるんです。
Q・金子監督はガメラでいきなりメジャ−路線にいって、あそこで何か変化があったんでしょうか?
それはすごく金子さんの気負いの中で、「そろそろ俺も40だし」という気持があったんでしょうね。ガメラを金子さんの中で転換点にしようとする意識はものすごく感じましたよ。
Q・金子さんとは、ガメラ以前にお付き合いはあったんですか?
いえ、ないですよ。『みんなあげちゃう』の時のアルバイトはしましたけど。五重の塔のミニチュアがでてくるんですけども、それを創ったぐらいで、あとはないですね。
Q・ではプロダクション的な流れで声がかかったんですか? それとも金子さんから声がかかったんですか?
いや。脚本の伊藤さんからなんです。『ウルトラマンパワ−ド』というのをその前にやってて、その時の脚本が伊藤さんだったんです。で、アメリカで作った『パワ−ド』の出来がもう凄まじくて。シリ−ズの中で一番ひどいと思いますからね。それまで『グレ−ト』が最下位だったのが、最下位を明け渡してもらうものを創ってしまったという。ひいき目にみてもひどいですからね。伊藤さんとはその時の復讐戦だって誓い合って。
Q・あれはハリウッドにだまされて創ったとお伺いしましたが?
いえ、ハリウッドにだまされたわけではなく、行った場所が違っただけなんですよ。ハリウッドというのもいろいろあって、俺の知っているハリウッドではなかったんですよ。
Q・去年、日本アカデミ−と横浜国際映画祭で受賞されましたよね。
中野良子さんと三好達也さんがプレゼンタ−でお二人に会えたのが嬉しかったですね。
まあ、賞はもらったことによって、俺がうれしいというよりも、みんなの励みになるだろうなと思います。だから賞金10万円貰ったんですが、みんなの帽子でも作ろうかということになって人数数えたら100何人にもなってしまったんです。100何人分の帽子どうやって作ろうかなって思ったら、知り合いの監督さんで台湾にいっている方がいて、「台湾で帽子つくると安いよ、オールカラーの刺繍でも一個100円で作れるよ」って言われたから、100個作ったんです。10万円で100人だったら飲み食いもできないじゃないですか。立ち食いそば屋で宴会になってしまうので、それも悲しいからじゃあ残るものにしようということに。
Q・ガメラの1と2ではどちらの方が思い入れが強いですか?
今は2の方ですね。自分でも好きだし、根本的な自分の欠点も見えるだけに、自己嫌悪もひとしおなんですけど。それ以上に皆さんのおかげでここまでできたというのがあって、いろいろあるけどOKというのが実は何作ってもあるんですが、それ込みでも2の方がはるかにいいですね。
Q・モノを作る場合は誰かに見せたいから作っているというのがあると思うんですけど、樋口さんの場合は誰に向けたメッセ−ジなんですか?
それって難しいんですけど、その度その度に言うこと違うんですよね。今はわかる人だけにわかればいいやという気持が強いですね。今まではほとんどそうではなかったんですけど。『ガメラ2』の場合は一人でも多くのお客様にということで、かなりオ−ルラウンドのつもりでしたね。結構、最近はひねくれだしましたね。実際、今年に入ってみて面白かった映画って、いってみれば大量の観客を動員する目的でつくられている映画よりも、小さい映画の方が面白かったりしますからね。
Q・おもしろい映画というのはワンカット・ワンシ−ンなんですかそれとも、映画全体ですか?
う〜ん、全体のト−ンですかね。両方なんですけどね実は。全体でも、あるカットがピピってくるからなりたっているわけですから。
Q・樋口さんの場合は、映画全体の中の特撮部分を撮られていますけど、全体を考えてそのシ−ンを撮影するんですか?
まあ、逆算はしていますね。そういうのはそういうので楽しめるわけですよ。まあ、『ダンデスピ−ク』のように特撮の部分は「わぁ−すげ−!!」と思うけれども、面白くないじゃないですか。びっくりするぐらいつまらないじゃないですか。1、2個所良かったらいい映画かといったら、だんだんそうじゃなくなっていますからね。それよりは『太陽の少年』とか『トレインスポッティング』の方が面白いと思いますね。
Q・ハリウッドへの進出とかは考えられないんですか?
それは全然ないです。ナショナリストなので。何が嫌かといったら、アメリカに行って作ったら、それは俺がすごいことではないわけですよ。アメリカがすごいわけですよ。
俺が行かなくてもアメリカはすごいままですし、俺が行くことによってアメリカがすごくなるんだったら行ってもいいけど、モノをつくって樋口というものがすごいという評価の対象になるのは日本しかないわけですよ。それは誰でもそうかもしれませんね。アメリカを利用して云々というよりはアメリカに利用されちゃうのが目に見えていて嫌だというのがありますね。自分の評価というのは日本でこんなことをやっているというのがかなりな部分じゃないですか?怪獣映画なのにこんなことをやっているとか、あくまでそこに枕言葉がつくわけですよ。だからこそそれを大切にしているんです。でも、大切にしつつ鬱陶しいなとも思うんですけど、日本で作らないと、誰かがやらなきゃいけないことですから。何様だ俺って(笑)
もうひとつ最大の理由は何かというと、自分の作りたい映画や自分が観たいものって基本的に日本が舞台じゃないと観たくないんですよ。日本に生まれて日本で育ってしまった以上、発想とか記憶の原点が日本に限定されてしまう。それが一番いいような気がするんです。人に見せるとかそういうのをまったく抜きにしてですよ。自分が見たいものは何かと考えたら、東京がとか、日本がとかそういうところから始まらないといけないんです。
Q・それって先ほどの良いゲ−ムを作るためには良いゲ−マ−でなければならないという部分と重なる部分がありますけど、樋口さんの持つナショナリズムが見る側にも伝わるということですね。
まあ、それは持っていないといけないだろうし、そこで嘘をついてしまうと、絶対顔にでてしまうので、「ごめんなさいこんなもの作っちゃって」っということになってしまうんです。基本的に小心者なんですよ。
Q・BEを自分の新しいことに挑戦するという総称にしようと思っているんですが、樋口さんがこれからやろうとしている部分や、こだわりについて少しお話ししていただけますか?
今やっている事って云うか、やろうとしている事は、作る順序を変えるって事かな?ガメラの1作目を作ったときには自分の作りたい、作らなきゃイケナイ画があって、それは今までと違う撮影方法でないと実現できないから、今までと違う体制を一から組んだんですけれど、それはもう問題だらけで、死ぬ思いして完成したわけですよ、私もスタッフも含めたところで。その反省を生かして二作目へと繋がっていくんですが、今度は反省を生かした結果によってどんどん今までの体制に近付いていくんですよね、当初の思い込みと裏腹に。そうするとこのままこの作り方でやっていったところで本来やりたかった事がどんどん出来なくなってきてつまらないというキモチが強くなってきちゃった。で、どうしたらいいのかなって考えていくと、また違う作り方がハッキリしてくるんですよ。勿論こういう画が欲しいって云う前提があって、その要求に合わせていくので、必然的に作り方が見えてくるわけですけれども。具体的にお話しできなくて申し訳ないのですが、勝算アリです。ていうか勝たないと我々のもとに二十一世紀がやってこないもんで。それはガメラの一作目をやったときとかなり精神状態が近いんですけど。そういったまだ見ぬビジョンを構築することに対して、今自分の中に乗り移っているものがあるんです。
Q・次の作品で変わろうとしているものは、自分自身なんですか?
それはそうです。この前も誘いこもうとして話をしていた人と大ゲンカになりました。「あんたは最低だ」とか言われてですね。そうなった時に初めて、今の自分にとって重要なのが作品じゃないってことに気づくんですよ、不思議な事に。
今の段階でつき動かされているものが作品の内容とかフィルムをつくるのとかそういうものではなくて、体制っていうかシステムをつくる喜びであるという自分のもう一つの側面があるわけです。フィルムを作ることだけではなくて、それをつくる時にどういう作り方をしていくかというところに対して、ものすごく強い執着を感じるんですよ。作品を作るというところに関しては、自分の中ではどちらかというと保守的にちゃんとやっていこうと、無理なことはやらない、出来ることも石橋を叩いてから渡ろうと。いろいろあるんですが、いつも叩きすぎて壊れてしまうんですけどね。壊れても破片があるからそこを渡っていけばいいじゃないとか、最近はいつも飛び石で渡っているんですけども。そういうのがいろいろあるんですが、そう考えるとフィルム作る時って保守的な考え方ですね。
だからこそ作品を作る上での体制づくりを大胆に構築したいし、もう一つ言えるとしたら『ウルトラマンティガ』を見てるとですね、もう俺ごときがやらなくてもいいやと思うんです。そういう体制だったらもう自分がやるよりも断然いいんだもん。テレビのスケジュールであれだけのことをやっている事を考えたらティガって凄いですよ、もう。だから違う自分、っていうか違うものを目指さなきゃって言い聞かせています。
--おわり--
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