映 画 評 「人狼(JIN-ROH)」 原作・脚本 押井守 監督 沖浦啓之 音楽 溝口肇 キャスト 伏一貴:藤木義勝 雨宮圭:武藤須美 他 アニメーション制作 Production I.G 製作 バンダイビジュアル・ING 配給 バンダイビジュアル・メディアボックス 35mm/カラー/ビスタサイズ/DTS 98分 PG-12・映倫
公開初日、146号マスターアップを控える6月3日土曜。テアトル新宿にて 鑑賞。時はすでに遅く、並んだ段階では、500人を越えており、1回目の客は 入場済みで、2回目の立ち見の整理券しかとれなかった、という盛況ぶり。 もちろん、スタッフ挨拶日ということもあるが、現在は新宿での単館上映のた め、地方から出てきた人もけっこういたようであった。また、なぜか、フェスタ 68で見た顔もちらほらとあった(笑)。 閑話休題。 「人狼」という作品は、押井守のまさにライフワークと化している、犬という 生き方をモチーフとした「紅い眼鏡」「ケルベロス 地獄の番犬」に続く、三部 作的な位置づけをもった作品とされる。「人狼」では押井守自身は監督していな いのだが、原作と脚本を担当しており、実際に鑑賞するまでは、押井守の存在感 はひときわ大きい作品になると思われた。この作品が仮に「押井守作品」という 範疇に入っていなければ見ないでしまった作品かもしれない。 押井守には、エンターティンメント性の高い、かつそこそこの高配収が期待さ れ、一般受けもする原作付きのアニメーション映画の監督としての面と、自らの かなりひねくれた感性を基に作られるプライベートな映画をつくる監督、という、 かなりアンビバレントな二面性がある。 この作品は、後者の押井守が関わる作品であろう。無論、エンターティンメン ト作品においても、ひねくれた感性を、あるキャラクターに込めたりしてきたと いう点も指摘せねばなるまいが、それが全面に出てくるのは、やはり、この三部 作において顕著である。 特に今回の作品では、これまでの上記二部作であまり細微に描かれなかった、 「首都警のある世界」の内部で完結する。これまでは予算をはじめとする諸般の 事情で描けなかったと思われる細かい世界観の描写もアニメの企画として通す事 で可能になったということだろう。過去二作は、この「世界」はちらっと出てく るだけであり、かつその現場から離れたところでストーリーが展開するので、そ の点では、ようやく、全編を通して展開させられたのではないだろうか、と思う。 しかし、押井自身は今回は(次があるとすれば、わからないが)あえて監督をし ていない。 「攻殻機動隊」の作監・キャラデザの沖浦啓之が監督として起用されているが、 彼は若干33歳の新鋭監督だ(学年違うけど、今はオレと同じ歳だったりするぞ)。 ようやく、この世代が映画のディレクターの立場で進出してきたとも言える。こ れは喜ばしいことであり、30代前半の人間の感性が新たに付与された作品が作 られる時代になったということでもある。、また、「バブリーで新人類」と例え られた時代に青春を送った世代の日本の映像作家の感性がどこまで鍛えられ、世 代交代をし、世界に通用するものになっているのか、という試金石であるとも言 えるだろう。 とまあ、この映画のおかれたポジションは、斯くのごとくであり、オタク文化 論的にいって重要な指標となるであろう。 さて、映画そのものの紹介をする前に、まず「犬狼伝説」という角川から出て いる、原作押井守・作画藤原カムイの単行本二冊を紹介する。 ISBN4-04-713274-8 犬狼伝説 660円税別 ISBN4-04-713324-8 犬狼伝説完結篇 660円税別 これが、映画における原典であり、この作品の基本構造を押さえるポイントで ある。これを読んでおけば、どんな世界でナニが繰り広げられているのか、とい うバックボーンは一通り飲み込めるだろう。 「違った歴史をたどった日本」や「SF的兵装のギミック」という意味ではい わば「架空戦記もの」に近い気もするが、第二次世界大戦でも、第三次世界大戦 でもなく、昭和30年代という、「押井の青春時代に符合する時代」の「架空世 界」というのが特徴であり、もともとが、第二次世界大戦の架空戦記ブームより も古い時代に描かれた作品であり、どちらかというと時期的には小林源文あたり の戦争漫画と近い関係(といっても、内容的にはかなり違うのだが)にあるよう に思われる。 さて、犬狼伝説では、敗戦後の混乱を経た昭和30年代、経済政策の混乱によ り、首都にゲリラと失業者を大量に生んでしまったという設定の日本で、首都に 限定される治安維持部隊として設置された国家公安委員会直属の実働部隊である 「首都圏治安警察機構」、通称首都警が置かれている日本、これが舞台装置であ る。もちろん、警視庁(自治警)や自衛隊も存在しているが、武装した対テロ実 働部隊と諜報公安部隊をまとめ、きわめて柔軟にゲリラと対峙する部隊が存在す る、という設定だ。これは、映画の中でも変わらない設定である。 こうした中で徐々に進行する物語なのだが、この話の中の歴史の本筋は、官僚 機構のテリトリー争いの中で、鬼っ子となっていく首都警が解体していく話であ り、最終的には、この「首都警」がなくなることをもって、いちおう区切りのつ いた話である。「おじさん」たちの生き方とその最期といったものが描かれ、実 働部隊である特機隊(通称ケルベロス)の長である巽や、その副官で対敵諜報を 得意とする現場指揮官の半田、そして公安部長である室戸、政治的に力を持つ警 備部長の安仁屋、こうしたおじさん方が、かなりいい味を出しているのが犬狼伝 説の二冊の単行本の内容である。 もちろん、「紅い眼鏡」のキャラクターである三人も出てくるし、その中でも ミドリと自衛隊員にまつわる話は結構深いのだが、どちらかというと、全体を通 しておじさんに感情を移入して(いや、できない人も多かろうが)読むのがベタ ーだろう(って、ゲリラに感情移入できるほどキャラクター出てこないし)。首 都警幹部も犬なら、首都警実働部隊も犬、自衛隊員も犬の一種、自治警幹部も下っ 端もみな犬、犬、犬だらけの、犬の物語であるので、つまらんと思う人にはとこ とんつまらん話だろう。また、ヒューマニズム的な視点からみたら、逆説でしか 捉えられない物語ではあるのだが、そこもそこそこおもしろいのだが…。 ちなみに、「人狼」とは、もともと首都警特機隊の内部に、対敵諜報(実は対 自治警、および首都警公安部に対する内部諜報)を目的として、非公然かつ秘密 裏に組織されたウラ部隊の符号なのである。 また、この世界には、いわゆる過去の米ソの東西対立らしき外の世界構図がほ とんど出てこない。ゲリラは分派に分派を繰り返したセクトとだけ描かれ、特に その思想内容が語られることもない。この構造から見て、あくまで押井の内的な 世界の反映と捉えなければただのバイオレンス作品でしかなくなる。また、さら に言うと、よくよく検討してみると、可能性すらあり得ない設定の世界なので、 観る側はその点を注意しなければならないだろう。 まあ、原作のことはこれくらいにして。 肝心の映画の方では、主人公の名前は「伏」(ふせ)という名の一首都警隊員 が遭遇した戦闘から始まる。「伏」というのが、また、犬の動作「伏せ」から取 られた名前である。普通に「ふせ」と付けるなら、「布施」が妥当なところをあ えて「伏」とするあたりが、暗に、この男が人と犬の狭間にあることと、この男 の将来を暗示しているわけだ。映画では、原典のエピソードもいくつか出てくる のだが、この伏のエピソードに近いものでは「こういう男は殺される」という結 末になっているが、映画では全然違い、伏という男と、圭という女の生き様を描 くストーリーが進行する。 原典では人としては描かれなかったゲリラ(というかシンパの女性ですな)も 主人公として出てくるし、ひとつの物語として「大人の童話」的な仕上がりに昇 華しているのは、押井よりは沖浦監督の感性によるように思われた。 伏が、圭と出会い、そして人と犬の間を揺れ動く、と端的になにも考えずに書 くとこういうハナシなのだが、この物語の焦眉は、伏が、犬に食いちぎられる圭 の夢を見るシーンであろう。これは、物語のネタがばれていく事になるのであま り言わない方がいいのだが、圭が「赤ずきん」であり、かつ懐柔されている事に 気が付づく過程を表すとともに、かなりエログロな現実の暗喩となっており、そ のように見せずに描ききった、という点でまさに称賛に値する。もちろん、バイ オレンスなシーンではあるのだが…。 ※と、ここまで書いておいてナニだが、実は 記憶が曖昧になっていて(老化)、このシー ンの時点で、すでに、伏はそのことに気づい てしまっていたんだっけ? などと、ふと前 後関係に確信が持てなくなってしまっていた りする。もう一度観に行く前にマスターはアッ プしてしまうので、あえてこの評価自体は変 更しないが、前後関係が合ってなかった場合、 このシーンは、伏の良心の呵責の場面という ことになってしまう。まあ、それはそれで評 価される場面ではあるのだが、自分が観た印 象では、「知る前」という頭で観ていたので 強烈な印象があったのだ。だから、間違って いたとしたら、実は前後関係を見落とした上 でこういう印象をもってしまったのかも、と いう疑念があるので、注意。ボケてたら、笑っ てやって下さい。 また、「赤ずきん」の童話は、作中ずっと描かれるのだが、これは最後まで物 語のキーになるので、見る人は注意しながら観た方がよいだろう。 作画は鍛えられているだけあって、アクション、表情などの描写も、世界的に 「映画」として認められるだけの出来であったと思う。また話自体も高い密度で 人間が描写されており、その点では評価される作品であった。 ただ、個人的には微妙に不満がないわけではない。前半では確かに、首都警幹 部のおじさんたちが出てくるし、その存在証明も吐露してくれるのだが、あまり そこにはキャラクターとしての力点がなく、どんどん後景に追いやられていく。 どちらかというと、教官である塔部とか、わりと汚れていない感じのするおじ さん(この人も実は狸というか人狼なのだが)ばかりが目立ち、汚れきったおっ さんどもの呻吟して這い回るような様は、この映画のストーリーにはあまり絡ん でこない。どちらかというと、押井的感性主導での、そっちの犬の方ももっと見 たかったように思う。でも、それは無い物ねだりというか、違う映画として別枠 で完結させないといけないのだろう。その代わりといってはなんだが、辺見とい う男が贄として差し出されているのかもしれない。 詰まるところは今回のような男と女のドラマの方が、しっかりした構成の人間 ドラマになる、ということなのかもしれない。ちなみに、なんとか初日二回目の 上映に入れたので関係者挨拶も観ることができたのだが、押井守は、この映画を 見て何度も泣きました、といっている。伏役の藤木義勝は、「ケルベロス〜」で も主役を演じたが、タッパのある、でかい役者であった。対照的に、圭役の武藤 須美はちんまりとして可愛かったぞ。監督は「若造」という形容詞が似合うくら い若い感じのする好青年であった。が、手腕には今後も注目だ。 さて、私にとっては「泣く映画」かどうか問われれば、そうでもなく、絶賛か と問われると、そうでもない。ただ新鋭監督の処女作としては、なかなかの佳作 ではないかと評価するのが、妥当な線であるように思われる。 今後、順次地方公開(全国ではないと思われるが)されていく予定なので、気 になる人はProduction I.GのWebページ、 http://www.production-ig.co.jp/ で上映館をチェックしつつ、近くで上映される時に足を運んでみてはどうだろう か。まあ、どちらかというと、アニメファンよりも映画ファンにお薦めである。 初回上映を終わって出てきた人の、なんとも複雑な表情をみて、そう思った。万 人に薦められる作品でもないので、そのあたりはご諒解いただきたい。 <編集部 あいはら> ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ (EOF)