その早暁(そうぎょう)、まだ明けやらぬ上海(シャンハイ)の市街は、豆スープのように黄色く濁った濃霧の中に沈澱(ちんでん)していた。窓という窓の厚ぼったい板戸をしっかり下(おろ)した上に、隙間(すきま)隙間にはガーゼを詰めては置いたのだが、霧はどこからともなく流れこんできて廊下の曲り角の灯(あかり)が、夢のようにボンヤリ潤(うる)み、部屋のうちまで、上海の濃霧に特有な生臭(なまぐさ)い匂いが侵入していたのであった。
その日の午前五時には本部から特別の指令があるということを同志の林田(はやしだ)橋二(はしじ)からうけたので僕は早速(さっそく)、天井裏(てんじょううら)にもぐりこみ、秘密無線電信機の目盛盤(ダイヤル)を本部の印のところにまわしたところ、果して、一つの指令に接した。こんどの指令は近頃にない大物だ。
[#次の段落には、天地左右にオモテケイ囲み]
JI13ハ直チニ海龍(かいりゅう)倶楽部(クラブ)副首領「緑十八」ヲ殺害スベシ。但シ犯跡ヲ完全ニ抹殺スベキモノトス。本部JM4指令。 |