伸(の)び支度(じたく)

島崎藤村(しまざきとうそん)



 十四、五になる大概(たいがい)の家(いえ)の娘(むすめ)がそうであるように、袖子(そでこ)もその年頃(としごろ)になってみたら、人形(にんぎょう)のことなぞは次第(しだい)に忘(わす)れたようになった。
 人形(にんぎょう)に着(き)せる着物(きもの)だ襦袢(じゅばん)だと言(い)って大騒(おおさわ)ぎした頃(ころ)の袖子(そでこ)は、いくつそのために小(ちい)さな着物(きもの)を造(つく)り、いくつ小(ちい)さな頭巾(ずきん)なぞを造(つく)って、それを幼(おさな)い日(ひ)の楽(たの)しみとしてきたか知(し)れない。町(まち)の玩具屋(おもちゃや)から安物(やすもの)を買(か)って来(き)てすぐに首(くび)のとれたもの、顔(かお)が汚(よご)れ鼻(はな)が欠(か)けするうちにオバケのように気味悪(きみわる)くなって捨(す)ててしまったもの——袖子(そでこ)の古(ふる)い人形(にんぎょう)にもいろいろあった。その中(なか)でも、父(とう)さんに連(つ)れられて震災前(しんさいまえ)の丸善(まるぜん)へ行(い)った時(とき)に買(か)って貰(もら)って来(き)た人形(にんぎょう)は、一番(いちばん)長(なが)くあった。あれは独逸(ドイツ)の方(ほう)から新荷(しんに)が着(つ)いたばかりだという種々(いろいろ)な玩具(おもちゃ)と一緒(いっしょ)に、あの丸善(まるぜん)の二階(かい)に並(なら)べてあったもので、異国(いこく)の子供(こども)の風俗(なり)ながらに愛(あい)らしく、格安(かくやす)で、しかも丈夫(じょうぶ)に出来(でき)ていた。茶色(ちゃいろ)な髪(かみ)をかぶったような男(おとこ)の児(こ)の人形(にんぎょう)で、それを寝(ね)かせば眼(め)をつぶり、起(お)こせばぱっちりと可愛(かわい)い眼(め)を見開(みひら)いた。袖子(そでこ)があの人形(にんぎょう)に話(はな)しかけるのは、生(い)きている子供(こども)に話(はな)しかけるのとほとんど変(か)わりがないくらいであった。それほどに好(す)きで、抱(だ)き、擁(かか)え、撫(な)で、持(も)ち歩(ある)き、毎日(まいにち)のように着物(きもの)を着(き)せ直(なお)しなどして、あの人形(にんぎょう)のためには小(ちい)さな蒲団(ふとん)や小(ちい)さな枕(まくら)までも造(つく)った。袖子(そでこ)が風邪(かぜ)でも引(ひ)いて学校(がっこう)を休(やす)むような日(ひ)には、彼女(かのじょ)の枕(まくら)もとに足(あし)を投(な)げ出(だ)し、いつでも笑(わら)ったような顔(かお)をしながらお伽話(とぎばなし)の相手(あいて)になっていたのも、あの人形(にんぎょう)だった。
袖子(そでこ)さん、お遊(あそ)びなさいな。」
言(い)って、一頃(ひところ)はよく彼女(かのじょ)のところへ遊(あそ)びに通(かよ)って来(き)た近所(きんじょ)の小娘(こむすめ)もある。光子(みつこ)さんといって、幼稚園(ようちえん)へでもあがろうという年頃(としごろ)の小娘(こむすめ)のように、額(ひたい)のところへ髪(かみ)を切(き)りさげている児(こ)だ。袖子(そでこ)の方(ほう)でもよくその光子(みつこ)さんを見(み)に行(い)って、暇(ひま)さえあれば一緒(いっしょ)に折(お)り紙(がみ)を畳(たた)んだり、お手玉(てだま)をついたりして遊(あそ)んだものだ。そういう時(とき)の二人(ふたり)の相手(あいて)は、いつでもあの人形(にんぎょう)だった。そんなに抱愛(ほうあい)の的(まと)であったものが、次第(しだい)に袖子(そでこ)から忘(わす)れられたようになっていった。そればかりでなく、袖子(そでこ)が人形(にんぎょう)のことなぞを以前(いぜん)のように大騒(おおさわ)ぎしなくなった頃(ころ)には、光子(みつこ)さんともそう遊(あそ)ばなくなった。
 しかし、袖子(そでこ)はまだ漸(ようや)く高等小学(こうとうしょうがく)の一学年(がくねん)を終(お)わるか終(お)わらないぐらいの年頃(としごろ)であった。彼女(かのじょ)とても何(なに)かなしにはいられなかった。子供(こども)の好(す)きな袖子(そでこ)は、いつの間(ま)にか近所(きんじょ)の家(いえ)から別(べつ)の子供(こども)を抱(だ)いて来(き)て、自分(じぶん)の部屋(へや)で遊(あそ)ばせるようになった。数(かぞ)え歳(どし)の二つにしかならない男(おとこ)の児(こ)であるが、あのきかない気(き)の光子(みつこ)さんに比(くら)べたら、これはまた何(なん)というおとなしいものだろう。金之助(きんのすけ)さんという名前(なまえ)からして男(おとこ)の子(こ)らしく、下(しも)ぶくれのしたその顔(かお)に笑(え)みの浮(う)かぶ時(とき)は、小(ちい)さな靨(えくぼ)があらわれて、愛(あい)らしかった。それに、この子(こ)の好(よ)いことには、袖子(そでこ)の言(い)うなりになった。どうしてあの少(すこ)しもじっとしていないで、どうかすると袖子(そでこ)の手(て)におえないことが多(おお)かった光子(みつこ)さんを遊(あそ)ばせるとは大違(おおちが)いだ。袖子(そでこ)は人形(にんぎょう)を抱(だ)くように金之助(きんのすけ)さんを抱(だ)いて、どこへでも好(す)きなところへ連(つ)れて行(ゆ)くことが出来(でき)た。自分(じぶん)の側(そば)に置(お)いて遊(あそ)ばせたければ、それも出来(でき)た。
 この金之助(きんのすけ)さんは正月生(しょうがつう)まれの二つでも、まだいくらも人(ひと)の言葉(ことば)を知(し)らない。蕾(つぼみ)のようなその脣(くちびる)からは「うまうま」ぐらいしか泄(も)れて来(こ)ない。母親(ははおや)以外(いがい)の親(した)しいものを呼(よ)ぶにも、「ちゃあちゃん」としかまだ言(い)い得(え)なかった。こんな幼(おさな)い子供(こども)が袖子(そでこ)の家(いえ)へ連(つ)れられて来(き)てみると、袖子(そでこ)の父(とう)さんがいる、二人(ふたり)ある兄(にい)さん達(たち)もいる、しかし金之助(きんのすけ)さんはそういう人達(ひとたち)までも「ちゃあちゃん」と言(い)って呼(よ)ぶわけではなかった。やはりこの幼(おさな)い子供(こども)の呼(よ)びかける言葉(ことば)は親(した)しいものに限(かぎ)られていた。もともと金之助(きんのすけ)さんを袖子(そでこ)の家(いえ)へ、初(はじ)めて抱(だ)いて来(き)て見(み)せたのは下女(げじょ)のお初(はつ)で、お初(はつ)の子煩悩(こぼんのう)ときたら、袖子(そでこ)に劣(おと)らなかった。
「ちゃあちゃん。」
 それが茶(ちゃ)の間(ま)へ袖子(そでこ)を探(さが)しに行(ゆ)く時(とき)の子供(こども)の声(こえ)だ。
「ちゃあちゃん。」
 それがまた台所(だいどころ)で働(はたら)いているお初(はつ)を探(さが)す時(とき)の子供(こども)の声(こえ)でもあるのだ。金之助(きんのすけ)さんは、まだよちよちしたおぼつかない足許(あしもと)で、茶(ちゃ)の間(ま)と台所(だいどころ)の間(あいだ)を往(い)ったり来(き)たりして、袖子(そでこ)やお初(はつ)の肩(かた)につかまったり、二人(ふたり)の裾(すそ)にまといついたりして戯(たわむ)れた。
 三月(がつ)の雪(ゆき)が綿(わた)のように町(まち)へ来(き)て、一晩(ひとばん)のうちに見事(みごと)に溶(と)けてゆく頃(ころ)には、袖子(そでこ)の家(いえ)ではもう光子(みつこ)さんを呼(よ)ぶ声(こえ)が起(お)こらなかった。それが「金之助(きんのすけ)さん、金之助(きんのすけ)さん」に変(か)わった。
袖子(そでこ)さん、どうしてお遊(あそ)びにならないんですか。わたしをお忘(わす)れになったんですか。」
 近所(きんじょ)の家(いえ)の二階(かい)の窓(まど)から、光子(みつこ)さんの声(こえ)が聞(き)こえていた。そのませた、小娘(こむすめ)らしい声(こえ)は、春先(はるさき)の町(まち)の空気(くうき)に高(たか)く響(ひび)けて聞(き)こえていた。ちょうど袖子(そでこ)はある高等女学校(こうとうじょがっこう)への受験(じゅけん)の準備(じゅんび)にいそがしい頃(ころ)で、遅(おそ)くなって今(いま)までの学校(がっこう)から帰(かえ)って来(き)た時(とき)に、その光子(みつこ)さんの声(こえ)を聞(き)いた。彼女(かのじょ)は別(べつ)に悪(わる)い顔(かお)もせず、ただそれを聞(き)き流(なが)したままで家(いえ)へ戻(もど)ってみると、茶(ちゃ)の間(ま)の障子(しょうじ)のわきにはお初(はつ)が針仕事(はりしごと)しながら金之助(きんのすけ)さんを遊(あそ)ばせていた。
 どうしたはずみからか、その日(ひ)、袖子(そでこ)は金之助(きんのすけ)さんを怒(おこ)らしてしまった。子供(こども)は袖子(そでこ)の方(ほう)へ来(こ)ないで、お初(はつ)の方(ほう)へばかり行(い)った。
「ちゃあちゃん。」
「はあい——金之助(きんのすけ)さん。」
 お初(はつ)と子供(こども)は、袖子(そでこ)の前(まえ)で、こんな言葉(ことば)をかわしていた。子供(こども)から呼(よ)びかけられるたびに、お初(はつ)は「まあ、可愛(かわい)い」という様子(ようす)をして、同(おな)じことを何度(なんど)も何度(なんど)も繰(く)り返(かえ)した。
「ちゃあちゃん。」
「はあい——金之助(きんのすけ)さん。」
「ちゃあちゃん。」
「はあい——金之助(きんのすけ)さん。」
 あまりお初(はつ)の声(こえ)が高(たか)かったので、そこへ袖子(そでこ)の父(とう)さんが笑顔(えがお)を見(み)せた。
「えらい騒(さわ)ぎだなあ。俺(おれ)は自分(じぶん)の部屋(へや)で聞(き)いていたが、まるで、お前達(まえたち)のは掛(か)け合(あ)いじゃないか。」
旦那(だんな)さん。」とお初(はつ)は自分(じぶん)でもおかしいように笑(わら)って、やがて袖子(そでこ)と金之助(きんのすけ)さんの顔(かお)を見(み)くらべながら、「こんなに金之助(きんのすけ)さんは私(わたし)にばかりついてしまって……袖子(そでこ)さんと金之助(きんのすけ)さんとは、今日(きょう)は喧嘩(けんか)です。」
 この「喧嘩(けんか)」が父(とう)さんを笑(わら)わせた。
 袖子(そでこ)は手持(ても)ち無沙汰(ぶさた)で、お初(はつ)の側(そば)を離(はな)れないでいる子供(こども)の顔(かお)を見(み)まもった。女(おんな)にもしてみたいほどの色(いろ)の白(しろ)い児(こ)で、優(やさ)しい眉(まゆ)、すこし開(ひら)いた脣(くちびる)、短(みじか)いうぶ毛(げ)のままの髪(かみ)、子供(こども)らしいおでこ——すべて愛(あい)らしかった。何(なん)となく袖子(そでこ)にむかってすねているような無邪気(むじゃき)さは、一層(いっそう)その子供(こども)らしい様子(ようす)を愛(あい)らしく見(み)せた。こんないじらしさは、あの生命(せいめい)のない人形(にんぎょう)にはなかったものだ。
何(なん)と言(い)っても、金之助(きんのすけ)さんは袖(そで)ちゃんのお人形(にんぎょう)さんだね。」
言(い)って父(とう)さんは笑(わら)った。
 そういう袖子(そでこ)の父(とう)さんは鰥(やもめ)で、中年(ちゅうねん)で連(つ)れ合(あ)いに死(し)に別(わか)れた人(ひと)にあるように、男(おとこ)の手(て)一つでどうにかこうにか袖子(そでこ)たちを大(おお)きくしてきた。この父(とう)さんは、金之助(きんのすけ)さんを人形扱(にんぎょうあつか)いにする袖子(そでこ)のことを笑(わら)えなかった。なぜかなら、そういう袖子(そでこ)が、実(じつ)は父(とう)さんの人形娘(にんぎょうむすめ)であったからで。父(とう)さんは、袖子(そでこ)のために人形(にんぎょう)までも自分(じぶん)で見立(みた)て、同(おな)じ丸善(まるぜん)の二階(かい)にあった独逸(ドイツ)出来(でき)の人形(にんぎょう)の中(なか)でも自分(じぶん)の気(き)に入(い)ったようなものを求(もと)めて、それを袖子(そでこ)にあてがった。ちょうど袖子(そでこ)があの人形(にんぎょう)のためにいくつかの小(ちい)さな着物(きもの)を造(つく)って着(き)せたように、父(とう)さんはまた袖子(そでこ)のために自分(じぶん)の好(この)みによったものを選(えら)んで着(き)せていた。
袖子(そでこ)さんは可哀(かわい)そうです。今(いま)のうちに紅(あか)い派手(はで)なものでも着(き)せなかったら、いつ着(き)せる時(とき)があるんです。」
 こんなことを言(い)って袖子(そでこ)を庇護(かば)うようにする婦人(ふじん)の客(きゃく)なぞがないでもなかったが、しかし父(とう)さんは聞(き)き入(い)れなかった。娘(むすめ)の風俗(なり)はなるべく清楚(せいそ)に。その自分(じぶん)の好(この)みから父(とう)さんは割(わ)り出(だ)して、袖子(そでこ)の着(き)る物(もの)でも、持(も)ち物(もの)でも、すべて自分(じぶん)で見立(みた)ててやった。そして、いつまでも自分(じぶん)の人形娘(にんぎょうむすめ)にしておきたかった。いつまでも子供(こども)で、自分(じぶん)の言(い)うなりに、自由(じゆう)になるもののように……
 ある朝(あさ)、お初(はつ)は台所(だいどころ)の流(なが)しもとに働(はたら)いていた。そこへ袖子(そでこ)が来(き)て立(た)った。袖子(そでこ)は敷布(しきふ)をかかえたまま物(もの)も言(い)わないで、蒼(あお)ざめた顔(かお)をしていた。
袖子(そでこ)さん、どうしたの。」
 最初(さいしょ)のうちこそお初(はつ)も不思議(ふしぎ)そうにしていたが、袖子(そでこ)から敷布(しきふ)を受(う)け取(と)ってみて、すぐにその意味(いみ)を読(よ)んだ。お初(はつ)は体格(たいかく)も大(おお)きく、力(ちから)もある女(おんな)であったから、袖子(そでこ)の震(ふる)えるからだへうしろから手(て)をかけて、半分(はんぶん)抱(だ)きかかえるように茶(ちゃ)の間(ま)の方(ほう)へ連(つ)れて行(い)った。その部屋(へや)の片隅(かたすみ)に袖子(そでこ)を寝(ね)かした。
「そんなに心配(しんぱい)しないでもいいんですよ。私(わたし)が好(よ)いようにしてあげるから——誰(だれ)でもあることなんだから——今日(きょう)は学校(がっこう)をお休(やす)みなさいね。」
とお初(はつ)は袖子(そでこ)の枕(まくら)もとで言(い)った。
 祖母(おばあ)さんもなく、母(かあ)さんもなく、誰(だれ)も言(い)って聞(き)かせるもののないような家庭(かてい)で、生(う)まれて初(はじ)めて袖子(そでこ)の経験(けいけん)するようなことが、思(おも)いがけない時(とき)にやって来(き)た。めったに学校(がっこう)を休(やす)んだことのない娘(むすめ)が、しかも受験前(じゅけんまえ)でいそがしがっている時(とき)であった。三月(がつ)らしい春(はる)の朝日(あさひ)が茶(ちゃ)の間(ま)の障子(しょうじ)に射(さ)してくる頃(ころ)には、父(とう)さんは袖子(そでこ)を見(み)に来(き)た。その様子(ようす)をお初(はつ)に問(と)いたずねた。
「ええ、すこし……」
とお初(はつ)は曖昧(あいまい)な返事(へんじ)ばかりした。
 袖子(そでこ)は物(もの)も言(い)わずに寝苦(ねぐる)しがっていた。そこへ父(とう)さんが心配(しんぱい)して覗(のぞ)きに来(く)る度(たび)に、しまいにはお初(はつ)の方(ほう)でも隠(かく)しきれなかった。
旦那(だんな)さん、袖子(そでこ)さんのは病気(びょうき)ではありません。」
 それを聞(き)くと、父(とう)さんは半信半疑(はんしんはんぎ)のままで、娘(むすめ)の側(そば)を離(はな)れた。日頃(ひごろ)母(かあ)さんの役(やく)まで兼(か)ねて着物(きもの)の世話(せわ)から何(なに)から一切(いっさい)を引(ひ)き受(う)けている父(とう)さんでも、その日(ひ)ばかりは全(まった)く父(とう)さんの畠(はたけ)にないことであった。男親(おとこおや)の悲(かな)しさには、父(とう)さんはそれ以上(いじょう)のことをお初(はつ)に尋(たず)ねることも出来(でき)なかった。
「もう何時(なんじ)だろう。」
言(い)って父(とう)さんが茶(ちゃ)の間(ま)に掛(か)かっている柱時計(はしらどけい)を見(み)に来(き)た頃(ころ)は、その時計(とけい)の針(はり)が十時(じ)を指(さ)していた。
「お昼(ひる)には兄(にい)さん達(たち)も帰(かえ)って来(く)るな。」と父(とう)さんは茶(ちゃ)の間(ま)のなかを見※(みまわ)して言(い)った。「お初(はつ)、お前(まえ)に頼(たの)んでおくがね、みんな学校(がっこう)から帰(かえ)って来(き)て聞(き)いたら、そう言(い)っておくれ——きょうは父(とう)さんが袖(そで)ちゃんを休(やす)ませたからッて——もしかしたら、すこし頭(あたま)が痛(いた)いからッて。」
 父(とう)さんは袖子(そでこ)の兄(にい)さん達(たち)が学校(がっこう)から帰(かえ)って来(く)る場合(ばあい)を予想(よそう)して、娘(むすめ)のためにいろいろ口実(こうじつ)を考(かんが)えた。
 昼(ひる)すこし前(まえ)にはもう二人(ふたり)の兄(にい)さんが前後(ぜんご)して威勢(いせい)よく帰(かえ)って来(き)た。一人(ひとり)の兄(にい)さんの方(ほう)は袖子(そでこ)の寝(ね)ているのを見(み)ると黙(だま)っていなかった。
「オイ、どうしたんだい。」
 その権幕(けんまく)に恐(おそ)れて、袖子(そでこ)は泣(な)き出(だ)したいばかりになった。そこへお初(はつ)が飛(と)んで来(き)て、いろいろ言(い)い訳(わけ)をしたが、何(なに)も知(し)らない兄(にい)さんは訳(わけ)の分(わ)からないという顔付(かおつ)きで、しきりに袖子(そでこ)を責(せ)めた。
頭(あたま)が痛(いた)いぐらいで学校(がっこう)を休(やす)むなんて、そんな奴(やつ)があるかい。弱虫(よわむし)め。」
「まあ、そんなひどいことを言(い)って、」とお初(はつ)は兄(にい)さんをなだめるようにした。「袖子(そでこ)さんは私(わたし)が休(やす)ませたんですよ——きょうは私(わたし)が休(やす)ませたんですよ。」
 不思議(ふしぎ)な沈黙(ちんもく)が続(つづ)いた。父(とう)さんでさえそれを説(と)き明(あ)かすことが出来(でき)なかった。ただただ父(とう)さんは黙(だま)って、袖子(そでこ)の寝(ね)ている部屋(へや)の外(そと)の廊下(ろうか)を往(い)ったり来(き)たりした。あだかも袖子(そでこ)の子供(こども)の日(ひ)が最早(もはや)終(お)わりを告(つ)げたかのように——いつまでもそう父(とう)さんの人形娘(にんぎょうむすめ)ではいないような、ある待(ま)ち受(う)けた日(ひ)が、とうとう父(とう)さんの眼(め)の前(まえ)へやって来(き)たかのように。
「お初(はつ)、袖(そで)ちゃんのことはお前(まえ)によく頼(たの)んだぜ。」
 父(とう)さんはそれだけのことを言(い)いにくそうに言(い)って、また自分(じぶん)の部屋(へや)の方(ほう)へ戻(もど)って行(い)った。こんな悩(なや)ましい、言(い)うに言(い)われぬ一日(にち)を袖子(そでこ)は床(とこ)の上(うえ)に送(おく)った。夕方(ゆうがた)には多勢(おおぜい)のちいさな子供(こども)の声(こえ)にまじって例(れい)の光子(みつこ)さんの甲高(かんだか)い声(こえ)も家(いえ)の外(そと)に響(ひび)いたが、袖子(そでこ)はそれを寝(ね)ながら聞(き)いていた。庭(にわ)の若草(わかくさ)の芽(め)も一晩(ひとばん)のうちに伸(の)びるような暖(あたた)かい春(はる)の宵(よい)ながらに悲(かな)しい思(おも)いは、ちょうどそのままのように袖子(そでこ)の小(ちい)さな胸(むね)をなやましくした。
 翌日(よくじつ)から袖子(そでこ)はお初(はつ)に教(おし)えられたとおりにして、例(れい)のように学校(がっこう)へ出掛(でか)けようとした。その年(とし)の三月(がつ)に受(う)け損(そこ)なったらまた一年(ねん)待(ま)たねばならないような、大事(だいじ)な受験(じゅけん)の準備(じゅんび)が彼女(かのじょ)を待(ま)っていた。その時(とき)、お初(はつ)は自分(じぶん)が女(おんな)になった時(とき)のことを言(い)い出(だ)して、
私(わたし)は十七の時(とき)でしたよ。そんなに自分(じぶん)が遅(おそ)かったものですからね。もっと早(はや)くあなたに話(はな)してあげると好(よ)かった。そのくせ私(わたし)は話(はな)そう話(はな)そうと思(おも)いながら、まだ袖子(そでこ)さんには早(はや)かろうと思(おも)って、今(いま)まで言(い)わずにあったんですよ……つい、自分(じぶん)が遅(おそ)かったものですからね……学校(がっこう)の体操(たいそう)やなんかは、その間(あいだ)、休(やす)んだ方(ほう)がいいんですよ。」
 こんな話(はなし)を袖子(そでこ)にして聞(き)かせた。
 不安(ふあん)やら、心配(しんぱい)やら、思(おも)い出(だ)したばかりでもきまりのわるく、顔(かお)の紅(あか)くなるような思(おも)いで、袖子(そでこ)は学校(がっこう)への道(みち)を辿(たど)った。この急激(きゅうげき)な変化(へんか)——それを知(し)ってしまえば、心配(しんぱい)もなにもなく、ありふれたことだというこの変化(へんか)を、何(なん)の故(ゆえ)であるのか、何(なん)の為(ため)であるのか、それを袖子(そでこ)は知(し)りたかった。事実上(じじつじょう)の細(こま)かい注意(ちゅうい)を残(のこ)りなくお初(はつ)から教(おし)えられたにしても、こんな時(とき)に母(かあ)さんでも生(い)きていて、その膝(ひざ)に抱(だ)かれたら、としきりに恋(こい)しく思(おも)った。いつものように学校(がっこう)へ行(い)ってみると、袖子(そでこ)はもう以前(いぜん)の自分(じぶん)ではなかった。ことごとに自由(じゆう)を失(うしな)ったようで、あたりが狭(せま)かった。昨日(きのう)までの遊(あそ)びの友達(ともだち)からは遽(にわ)かに遠(とお)のいて、多勢(おおぜい)の友達(ともだち)が先生達(せんせいたち)と縄飛(なわと)びに鞠投(まりな)げに嬉戯(きぎ)するさまを運動場(うんどうじょう)の隅(すみ)にさびしく眺(なが)めつくした。
 それから一週間(しゅうかん)ばかり後(あと)になって、漸(ようや)く袖子(そでこ)はあたりまえのからだに帰(かえ)ることが出来(でき)た。溢(あふ)れて来(く)るものは、すべて清(きよ)い。あだかも春(はる)の雪(ゆき)に濡(ぬ)れて反(かえ)って伸(の)びる力(ちから)を増(ま)す若草(わかくさ)のように、生長(しとなり)ざかりの袖子(そでこ)は一層(いっそう)いきいきとした健康(けんこう)を恢復(かいふく)した。
「まあ、よかった。」
言(い)って、あたりを見※(みまわ)した時(とき)袖子(そでこ)は何(なに)がなしに悲(かな)しい思(おも)いに打(う)たれた。その悲(かな)しみは幼(おさな)い日(ひ)に別(わか)れを告(つ)げて行(ゆ)く悲(かな)しみであった。彼女(かのじょ)は最早(もはや)今(いま)までのような眼(め)でもって、近所(きんじょ)の子供達(こどもたち)を見(み)ることも出来(でき)なかった。あの光子(みつこ)さんなぞが黒(くろ)いふさふさした髪(かみ)の毛(け)を振(ふ)って、さも無邪気(むじゃき)に、家(いえ)のまわりを駆(か)け※(まわ)っているのを見(み)ると、袖子(そでこ)は自分でも、もう一度(いちど)何(なに)も知(し)らずに眠(ねむ)ってみたいと思(おも)った。
 男(おとこ)と女(おんな)の相違(そうい)が、今(いま)は明(あき)らかに袖子(そでこ)に見(み)えてきた。さものんきそうな兄(にい)さん達(たち)とちがって、彼女(かのじょ)は自分(じぶん)を護(まも)らねばならなかった。大人(おとな)の世界(せかい)のことはすっかり分(わ)かってしまったとは言(い)えないまでも、すくなくもそれを覗(のぞ)いて見(み)た。その心(こころ)から、袖子(そでこ)は言(い)いあらわしがたい驚(おどろ)きをも誘(さそ)われた。
 袖子(そでこ)の母(かあ)さんは、彼女(かのじょ)が生(う)まれると間(ま)もなく激(はげ)しい産後(さんご)の出血(しゅっけつ)で亡(な)くなった人(ひと)だ。その母(かあ)さんが亡(な)くなる時(とき)には、人(ひと)のからだに差(さ)したり引(ひ)いたりする潮(しお)が三枚(まい)も四枚(まい)もの母(かあ)さんの単衣(ひとえ)を雫(しずく)のようにした。それほど恐(おそ)ろしい勢(いきお)いで母(かあ)さんから引(ひ)いて行(い)った潮(しお)が——十五年(ねん)の後(のち)になって——あの母(かあ)さんと生命(せいめい)の取(と)りかえっこをしたような人形娘(にんぎょうむすめ)に差(さ)して来(き)た。空(そら)にある月(つき)が満(み)ちたり欠(か)けたりする度(たび)に、それと呼吸(こきゅう)を合(あ)わせるような、奇蹟(きせき)でない奇蹟(きせき)は、まだ袖子(そでこ)にはよく呑(の)みこめなかった。それが人(ひと)の言(い)うように規則的(きそくてき)に溢(あふ)れて来(こ)ようとは、信(しん)じられもしなかった。故(ゆえ)もない不安(ふあん)はまだ続(つづ)いていて、絶(た)えず彼女(かのじょ)を脅(おびや)かした。袖子(そでこ)は、その心配(しんぱい)から、子供(こども)と大人(おとな)の二つの世界(せかい)の途中(とちゅう)の道端(みちばた)に息(いき)づき震(ふる)えていた。
 子供(こども)の好(す)きなお初(はつ)は相変(あいか)わらず近所(きんじょ)の家(いえ)から金之助(きんのすけ)さんを抱(だ)いて来(き)た。頑是(がんぜ)ない子供(こども)は、以前(いぜん)にもまさる可愛(かわい)げな表情(ひょうじょう)を見(み)せて、袖子(そでこ)の肩(かた)にすがったり、その後(あと)を追(お)ったりした。
「ちゃあちゃん。」
 親(した)しげに呼(よ)ぶ金之助(きんのすけ)さんの声(こえ)に変(か)わりはなかった。しかし袖子(そでこ)はもう以前(いぜん)と同(おな)じようにはこの男(おとこ)の児(こ)を抱(だ)けなかった。


底本:「ふるさと・野菊の墓」少年少女日本文学館第三巻、講談社
   1987(昭和62)年1月14日第一刷発行
   1993(平成5)年2月25日第十刷発行
入力:もりみつじゅんじ
校正:柳沢成雄
ファイル作成:もりみつじゅんじ
1999年12月22日公開
青空文庫作成ファイル:
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●表記について

本文中の※は、底本では次のような漢字(JIS外字)が使われている。

見※(みまわ)して
見※(みまわ)した時(とき)
駆(か)け※(まわ)って