虞美人草

夏目漱石




        一

「随分遠いね。元来(がんらい)どこから登るのだ」
一人(ひとり)が手巾(ハンケチ)で額(ひたい)を拭きながら立ち留(どま)った。
「どこか己(おれ)にも判然せんがね。どこから登ったって、同じ事だ。山はあすこに見えているんだから」
と顔も体躯(からだ)も四角に出来上った男が無雑作(むぞうさ)に答えた。
 反(そり)を打った中折れの茶の廂(ひさし)の下から、深き眉(まゆ)を動かしながら、見上げる頭の上には、微茫(かすか)なる春の空の、底までも藍(あい)を漂わして、吹けば揺(うご)くかと怪しまるるほど柔らかき中に屹然(きつぜん)として、どうする気かと云(い)わぬばかりに叡山(えいざん)が聳(そび)えている。
「恐ろしい頑固(がんこ)な山だなあ」と四角な胸を突き出して、ちょっと桜の杖(つえ)に身を倚(も)たせていたが、
「あんなに見えるんだから、訳(わけ)はない」と今度は叡山(えいざん)を軽蔑(けいべつ)したような事を云う。
「あんなに見えるって、見えるのは今朝(けさ)宿を立つ時から見えている。京都へ来て叡山が見えなくなっちゃ大変だ」
「だから見えてるから、好いじゃないか。余計な事を云わずに歩行(ある)いていれば自然と山の上へ出るさ」
 細長い男は返事もせずに、帽子を脱いで、胸のあたりを煽(あお)いでいる。日頃(ひごろ)からなる廂(ひさし)に遮(さえ)ぎられて、菜の花を染め出す春の強き日を受けぬ広き額(ひたい)だけは目立って蒼白(あおしろ)い。
「おい、今から休息しちゃ大変だ、さあ早く行こう」
 相手は汗ばんだ額を、思うまま春風に曝(さら)して、粘(ねば)り着いた黒髪の、逆(さか)に飛ばぬを恨(うら)むごとくに、手巾(ハンケチ)を片手に握って、額とも云わず、顔とも云わず、頸窩(ぼんのくぼ)の尽くるあたりまで、くちゃくちゃに掻(か)き廻した。促(うな)がされた事には頓着(とんじゃく)する気色(けしき)もなく、
「君はあの山を頑固(がんこ)だと云ったね」と聞く。
「うむ、動かばこそと云ったような按排(あんばい)じゃないか。こう云う風に」と四角な肩をいとど四角にして、空(あ)いた方の手に栄螺(さざえ)の親類をつくりながら、いささか我も動かばこその姿勢を見せる。
「動かばこそと云うのは、動けるのに動かない時の事を云うのだろう」と細長い眼の角(かど)から斜(なな)めに相手を見下(みおろ)した。
「そうさ」
「あの山は動けるかい」
「アハハハまた始まった。君は余計な事を云いに生れて来た男だ。さあ行くぜ」と太い桜の洋杖(ステッキ)を、ひゅうと鳴らさぬばかりに、肩の上まで上げるや否(いな)や、歩行(ある)き出した。瘠(や)せた男も手巾(ハンケチ)を袂(たもと)に収めて歩行き出す。
「今日は山端(やまばな)の平八茶屋(へいはちぢゃや)で一日(いちんち)遊んだ方がよかった。今から登ったって中途半端(はんぱ)になるばかりだ。元来(がんらい)頂上まで何里あるのかい」
「頂上まで一里半だ」
「どこから」
「どこからか分るものか、たかの知れた京都の山だ」
 瘠(や)せた男は何にも云わずににやにやと笑った。四角な男は威勢よく喋舌(しゃべ)り続ける。
「君のように計画ばかりしていっこう実行しない男と旅行すると、どこもかしこも見損(みそこな)ってしまう。連(つれ)こそいい迷惑だ」
「君のようにむちゃに飛び出されても相手は迷惑だ。第一、人を連れ出して置きながら、どこから登って、どこを見て、どこへ下りるのか見当(けんとう)がつかんじゃないか」
「なんの、これしきの事に計画も何もいったものか、たかがあの山じゃないか」
「あの山でもいいが、あの山は高さ何千尺だか知っているかい」
「知るものかね。そんな下らん事を。——君知ってるのか」
「僕も知らんがね」
「それ見るがいい」
「何もそんなに威張らなくてもいい。君だって知らんのだから。山の高さは御互に知らんとしても、山の上で何を見物して何時間かかるぐらいは多少確めて来なくっちゃ、予定通りに日程は進行するものじゃない」
「進行しなければやり直すだけだ。君のように余計な事を考えてるうちには何遍でもやり直しが出来るよ」となおさっさと行く。瘠(や)せた男は無言のままあとに後(おく)れてしまう。
 春はものの句になりやすき京の町を、七条から一条まで横に貫(つら)ぬいて、煙(けぶ)る柳の間から、温(ぬく)き水打つ白き布(ぬの)を、高野川(たかのがわ)の磧(かわら)に数え尽くして、長々と北にうねる路(みち)を、おおかたは二里余りも来たら、山は自(おのず)から左右に逼(せま)って、脚下に奔(はし)る潺湲(せんかん)の響も、折れるほどに曲るほどに、あるは、こなた、あるは、かなたと鳴る。山に入りて春は更(ふ)けたるを、山を極(きわ)めたらば春はまだ残る雪に寒かろうと、見上げる峰の裾(すそ)を縫(ぬ)うて、暗き陰に走る一条(ひとすじ)の路に、爪上(つまあが)りなる向うから大原女(おはらめ)が来る。牛が来る。京の春は牛の尿(いばり)の尽きざるほどに、長くかつ静かである。
「おおい」と後れた男は立ち留(どま)りながら、先(さ)きなる友を呼んだ。おおいと云う声が白く光る路を、春風に送られながら、のそり閑(かん)と行き尽して、萱(かや)ばかりなる突き当りの山にぶつかった時、一丁先きに動いていた四角な影ははたと留った。瘠せた男は、長い手を肩より高く伸(の)して、返れ返れと二度ほど揺(ゆす)って見せる。桜の杖(つえ)が暖かき日を受けて、またぴかりと肩の先に光ったと思う間(ま)もなく、彼は帰って来た。
「何だい」
「何だいじゃない。ここから登るんだ」
「こんな所から登るのか。少し妙だぜ。こんな丸木橋(まるきばし)を渡るのは妙だぜ」
「君見たようにむやみに歩行(ある)いていると若狭(わかさ)の国へ出てしまうよ」
「若狭へ出ても構わんが、いったい君は地理を心得ているのか」
「今大原女に聴(き)いて見た。この橋を渡って、あの細い道を向(むこう)へ一里上がると出るそうだ」
「出るとはどこへ出るのだい」
叡山(えいざん)の上へさ」
「叡山の上のどこへ出るだろう」
「そりゃ知らない。登って見なければ分らないさ」
「ハハハハ君のような計画好きでもそこまでは聞かなかったと見えるね。千慮の一失か。それじゃ、仰(おお)せに従って渡るとするかな。君いよいよ登りだぜ。どうだ、歩行(ある)けるか」
「歩行けないたって、仕方がない」
「なるほど哲学者だけあらあ。それで、もう少し判然すると一人前(いちにんまえ)だがな」
「何でも好いから、先へ行くが好い」
「あとから尾(つ)いて来るかい」
「いいから行くが好い」
「尾いて来る気なら行くさ」
 渓川(たにがわ)に危うく渡せる一本橋を前後して横切った二人の影は、草山の草繁き中を、辛(かろ)うじて一縷(いちる)の細き力に頂(いただ)きへ抜ける小径(こみち)のなかに隠れた。草は固(もと)より去年の霜(しも)を持ち越したまま立枯(たちがれ)の姿であるが、薄く溶けた雲を透(とお)して真上から射し込む日影に蒸(む)し返されて、両頬(りょうきょう)のほてるばかりに暖かい。
「おい、君、甲野(こうの)さん」と振り返る。甲野さんは細い山道に適当した細い体躯(からだ)を真直(まっすぐ)に立てたまま、下を向いて
「うん」と答えた。
「そろそろ降参しかけたな。弱い男だ。あの下を見たまえ」と例の桜の杖を左から右へかけて一振りに振り廻す。
 振り廻した杖の先の尽くる、遥(はる)か向うには、白銀(しろかね)の一筋に眼を射る高野川を閃(ひら)めかして、左右は燃え崩(くず)るるまでに濃く咲いた菜の花をべっとりと擦(なす)り着けた背景には薄紫(うすむらさき)の遠山(えんざん)を縹緲(ひょうびょう)のあなたに描(えが)き出してある。
「なるほど好い景色(けしき)だ」と甲野さんは例の長身を捩(ね)じ向けて、際(きわ)どく六十度の勾配(こうばい)に擦り落ちもせず立ち留っている。
「いつの間(ま)に、こんなに高く登ったんだろう。早いものだな」と宗近(むねちか)君が云う。宗近君は四角な男の名である。
「知らぬ間に堕落したり、知らぬ間に悟ったりするのと同じようなものだろう」
「昼が夜になったり、春が夏になったり、若いものが年寄りになったり、するのと同じ事かな。それなら、おれも疾(と)くに心得ている」
「ハハハハそれで君は幾歳(いくつ)だったかな」
「おれの幾歳より、君は幾歳だ」
「僕は分かってるさ」
「僕だって分かってるさ」
「ハハハハやっぱり隠す了見(りょうけん)だと見える」
「隠すものか、ちゃんと分ってるよ」
「だから、幾歳なんだよ」
「君から先へ云え」と宗近君はなかなか動じない。
「僕は二十七さ」と甲野君は雑作(ぞうさ)もなく言って退(の)ける。
「そうか、それじゃ、僕も二十八だ」
「だいぶ年を取ったものだね」
冗談(じょうだん)を言うな。たった一つしか違わんじゃないか」
「だから御互にさ。御互に年を取ったと云うんだ」
「うん御互にか、御互なら勘弁するが、おれだけじゃ……」
「聞き捨てにならんか。そう気にするだけまだ若いところもあるようだ」
「何だ坂の途中で人を馬鹿にするな」
「そら、坂の途中で邪魔になる。ちょっと退(ど)いてやれ」
 百折(ももお)れ千折(ちお)れ、五間とは直(すぐ)に続かぬ坂道を、呑気(のんき)な顔の女が、ごめんやすと下りて来る。身の丈(たけ)に余る粗朶(そだ)の大束を、緑(みど)り洩(も)る濃き髪の上に圧(おさ)え付けて、手も懸(か)けずに戴(いただ)きながら、宗近君の横を擦(す)り抜ける。生(お)い茂(しげ)る立ち枯れの萱(かや)をごそつかせた後(うし)ろ姿の眼(め)につくは、目暗縞(めくらじま)の黒きが中を斜(はす)に抜けた赤襷(あかだすき)である。一里を隔(へだ)てても、そこと指(さ)す指(ゆび)の先に、引っ着いて見えるほどの藁葺(わらぶき)は、この女の家でもあろう。天武天皇の落ちたまえる昔のままに、棚引(たなび)く霞(かすみ)は長(とこ)しえに八瀬(やせ)の山里を封じて長閑(のどか)である。
「この辺の女はみんな奇麗(きれい)だな。感心だ。何だか画(え)のようだ」と宗近君が云う。
「あれが大原女(おはらめ)なんだろう」
「なに八瀬女(やせめ)だ」
「八瀬女と云うのは聞いた事がないぜ」
「なくっても八瀬の女に違ない。嘘だと思うなら今度逢(あ)ったら聞いてみよう」
「誰も嘘だと云やしない。しかしあんな女を総称して大原女と云うんだろうじゃないか」
「きっとそうか、受合うか」
「そうする方が詩的でいい。何となく雅(が)でいい」
「じゃ当分雅号として用いてやるかな」
「雅号は好いよ。世の中にはいろいろな雅号があるからな。立憲政体だの、万有神教だの、忠、信、孝、悌(てい)、だのってさまざまな奴があるから」
「なるほど、蕎麦屋(そばや)に藪(やぶ)がたくさん出来て、牛肉屋がみんないろは[#「いろは」に傍点]になるのもその格だね」
「そうさ、御互に学士を名乗ってるのも同じ事だ」
「つまらない。そんな事に帰着するなら雅号は廃(よ)せばよかった」
「これから君は外交官の雅号を取るんだろう」
「ハハハハあの雅号はなかなか取れない。試験官に雅味のある奴がいないせいだな」
「もう何遍落第したかね。三遍か」
「馬鹿を申せ」
「じゃ二遍か」
「なんだ、ちゃんと知ってる癖に。はばかりながら落第はこれでたった一遍だ」
「一度受けて一遍なんだから、これからさき……」
「何遍やるか分らないとなると、おれも少々心細い。ハハハハ。時に僕の雅号はそれでいいが、君は全体何をするんだい」
「僕か。僕は叡山へ登るのさ。——おい君、そう後足(あとあし)で石を転(ころ)がしてはいかん。後(あと)から尾(つ)いて行くものが剣呑(けんのん)だ。——ああ随分くたびれた。僕はここで休むよ」と甲野さんは、がさりと音を立てて枯薄(かれすすき)の中へ仰向(あおむ)けに倒れた。
「おやもう落第か。口でこそいろいろな雅号を唱(とな)えるが、山登りはから駄目だね」と宗近君は例の桜の杖(つえ)で、甲野さんの寝(ね)ている頭の先をこつこつ敲(たた)く。敲くたびに杖の先が薄を薙(な)ぎ倒してがさがさ音を立てる。
「さあ起きた。もう少しで頂上だ。どうせ休むなら及第してから、ゆっくり休もう。さあ起きろ」
「うん」
「うんか、おやおや」
反吐(へど)が出そうだ」
「反吐を吐いて落第するのか、おやおや。じゃ仕方がない。おれも一(ひ)と休息(やすみ)仕(つかまつ)ろう」
 甲野さんは黒い頭を、黄ばんだ草の間に押し込んで、帽子も傘(かさ)も坂道に転がしたまま、仰向(あおむ)けに空を眺(なが)めている。蒼白(あおじろ)く面高(おもだか)に削(けず)り成(な)せる彼の顔と、無辺際(むへんざい)に浮き出す薄き雲の※然(ゆうぜん)と消えて入る大いなる天上界(てんじょうかい)の間には、一塵の眼を遮(さえ)ぎるものもない。反吐は地面の上へ吐くものである。大空に向う彼の眼中には、地を離れ、俗を離れ、古今の世を離れて万里の天があるのみである。
 宗近君は米沢絣(よねざわがすり)の羽織を脱いで、袖畳(そでだた)みにしてちょっと肩の上へ乗せたが、また思い返して、今度は胸の中から両手をむずと出して、うんと云う間(ま)に諸肌(もろはだ)を脱いだ。下から袖無(ちゃんちゃん)が露(あら)われる。袖無の裏から、もじゃもじゃした狐(きつね)の皮が食(は)み出している。これは支那へ行った友人の贈り物として君が大事の袖無である。千羊(せんよう)の皮は一狐(いっこ)の腋(えき)にしかずと云って、君はいつでもこの袖無を一着している。その癖裏に着けた狐の皮は斑(まだら)にほうけて、むやみに脱落するところをもって見ると、何でもよほど性(たち)の悪い野良狐(のらぎつね)に違ない。
御山(おやま)へ御登(おあが)りやすのどすか、案内しまほうか、ホホホ妙(けったい)な所(とこ)に寝ていやはる」とまた目暗縞(めくらじま)が下りて来る。
「おい、甲野さん。妙な所に寝ていやはるとさ。女にまで馬鹿にされるぜ。好い加減に起きてあるこうじゃないか」
「女は人を馬鹿にするもんだ」
と甲野さんは依然として天(そら)を眺(なが)めている。
「そう泰然と尻を据(す)えちゃ困るな。まだ反吐(へど)を吐きそうかい」
「動けば吐く」
厄介(やっかい)だなあ」
「すべての反吐は動くから吐くのだよ。俗界万斛(ばんこく)の反吐皆動(どう)の一字より来(きた)る」
「何だ本当に吐くつもりじゃないのか。つまらない。僕はまたいよいよとなったら、君を担(かつ)いで麓(ふもと)まで下りなけりゃならんかと思って、内心少々辟易(へきえき)していたんだ」
「余計な御世話だ。誰も頼みもしないのに」
「君は愛嬌(あいきょう)のない男だね」
「君は愛嬌の定義を知ってるかい」
「何のかのと云って、一分(いっぷん)でも余計動かずにいようと云う算段だな。怪(け)しからん男だ」
「愛嬌と云うのはね、——自分より強いものを斃(たお)す柔(やわら)かい武器だよ」
「それじゃ無愛想(ぶあいそ)は自分より弱いものを、扱(こ)き使う鋭利なる武器だろう」
「そんな論理があるものか。動こうとすればこそ愛嬌も必要になる。動けば反吐を吐くと知った人間に愛嬌が入るものか」
「いやに詭弁(きべん)を弄(ろう)するね。そんなら僕は御先へ御免蒙(ごめんこうむ)るぜ。いいか」
「勝手にするがいい」と甲野さんはやっぱり空を眺めている。
 宗近君は脱いだ両袖をぐるぐると腰へ巻き付けると共に、毛脛(けずね)に纏(まつ)わる竪縞(たてじま)の裾(すそ)をぐいと端折(はしお)って、同じく白縮緬(しろちりめん)の周囲(まわり)に畳み込む。最前袖畳にした羽織を桜の杖の先へ引き懸(か)けるが早いか「一剣天下を行く」と遠慮のない声を出しながら、十歩に尽くる岨路(そばみち)を飄然(ひょうぜん)として左へ折れたぎり見えなくなった。
 あとは静である。静かなる事定(さだま)って、静かなるうちに、わが一脈(いちみゃく)の命を託(たく)すると知った時、この大乾坤(だいけんこん)のいずくにか通(かよ)う、わが血潮は、粛々(しゅくしゅく)と動くにもかかわらず、音なくして寂定裏(じゃくじょうり)に形骸(けいがい)を土木視(どぼくし)して、しかも依稀(いき)たる活気を帯ぶ。生きてあらんほどの自覚に、生きて受くべき有耶無耶(うやむや)の累(わずらい)を捨てたるは、雲の岫(しゅう)を出で、空の朝な夕なを変わると同じく、すべての拘泥(こうでい)を超絶したる活気である。古今来(ここんらい)を空(むな)しゅうして、東西位(とうざいい)を尽(つ)くしたる世界のほかなる世界に片足を踏み込んでこそ——それでなければ化石(かせき)になりたい。赤も吸い、青も吸い、黄も紫(むらさき)も吸い尽くして、元の五彩に還(かえ)す事を知らぬ真黒な化石になりたい。それでなければ死んで見たい。死は万事の終である。また万事の始めである。時を積んで日となすとも、日を積んで月となすとも、月を積んで年となすとも、詮(せん)ずるにすべてを積んで墓となすに過ぎぬ。墓の此方側(こちらがわ)なるすべてのいさくさは、肉一重(ひとえ)の垣に隔(へだ)てられた因果(いんが)に、枯れ果てたる骸骨にいらぬ情(なさ)けの油を注(さ)して、要なき屍(しかばね)に長夜(ちょうや)の踊をおどらしむる滑稽(こっけい)である。遐(はるか)なる心を持てるものは、遐なる国をこそ慕え。
 考えるともなく考えた甲野君はようやくに身を起した。また歩行(ある)かねばならぬ。見たくもない叡山を見て、いらざる豆の数々に、役にも立たぬ登山の痕迹(こんせき)を、二三日がほどは、苦しき記念と残さねばならぬ。苦しき記念が必要ならば数えて白頭に至って尽きぬほどある。裂いて髄(ずい)にいって消えぬほどある。いたずらに足の底に膨(ふく)れ上る豆の十や二十——と切り石の鋭どき上に半(なか)ば掛けたる編み上げの踵(かかと)を見下ろす途端(とたん)、石はきりりと面(めん)を更(か)えて、乗せかけた足をすわと云う間(ま)に二尺ほど滑(す)べらした。甲野さんは
「万里の道を見ず」
と小声に吟(ぎん)じながら、傘(かさ)を力に、岨路(そばみち)を登り詰めると、急に折れた胸突坂(むなつきざか)が、下から来る人を天に誘(いざな)う風情(ふぜい)で帽に逼(せま)って立っている。甲野さんは真廂(まびさし)を煽(あお)って坂の下から真一文字に坂の尽きる頂(いただ)きを見上げた。坂の尽きた頂きから、淡きうちに限りなき春の色を漲(みな)ぎらしたる果(はて)もなき空を見上げた。甲野さんはこの時
「ただ万里の天を見る」
と第二の句を、同じく小声に歌った。
 草山を登り詰めて、雑木(ぞうき)の間を四五段上(のぼ)ると、急に肩から暗くなって、踏む靴の底が、湿(しめ)っぽく思われる。路は山の背(せ)を、西から東へ渡して、たちまちのうちに草を失するとすぐ森に移ったのである。近江(おうみ)の空を深く色どるこの森の、動かねば、その上(かみ)の幹と、その上の枝が、幾重(いくえ)幾里に連(つら)なりて、昔(むか)しながらの翠(みど)りを年ごとに黒く畳むと見える。二百の谷々を埋(うず)め、三百の神輿(みこし)を埋め、三千の悪僧を埋めて、なお余りある葉裏に、三藐三菩提(さまくさぼだい)の仏達を埋め尽くして、森々(しんしん)と半空に聳(そび)ゆるは、伝教大師(でんぎょうだいし)以来の杉である。甲野さんはただ一人この杉の下を通る。
 右よりし左よりして、行く人を両手に遮(さえ)ぎる杉の根は、土を穿(うが)ち石を裂いて深く地磐に食い入るのみか、余る力に、跳(は)ね返して暗き道を、二寸の高さに段々と横切っている。登らんとする岩(いわお)の梯子(ていし)に、自然の枕木を敷いて、踏み心地よき幾級の階(かい)を、山霊(さんれい)の賜(たまもの)と甲野さんは息を切らして上(のぼ)って行く。
 行く路の杉に逼(せま)って、暗きより洩(も)るるがごとく這(は)い出ずる日影蔓(ひかげかずら)の、足に纏(まつ)わるほどに繁きを越せば、引かれたる蔓(つる)の長きを伝わって、手も届かぬに、朽(く)ちかかる歯朶(しだ)の、風なき昼をふらふらと揺(うご)く。
「ここだ、ここだ」
と宗近君が急に頭の上で天狗(てんぐ)のような声を出す。朽草(くちくさ)の土となるまで積み古(ふ)るしたる上を、踏めば深靴を隠すほどに踏み答えもなきに、甲野さんはようやくの思で、蝙蝠傘(かわほりがさ)を力に、天狗(てんぐ)の座(ざ)まで、登って行く。
善哉善哉(ぜんざいぜんざい)、われ汝(なんじ)を待つ事ここに久しだ。全体何をぐずぐずしていたのだ」
 甲野さんはただああと云ったばかりで、いきなり蝙蝠傘を放(ほう)り出すと、その上へどさりと尻持(しりもち)を突いた。
「また反吐(へど)か、反吐を吐く前に、ちょっとあの景色を見なさい。あれを見るとせっかくの反吐も残念ながら収まっちまう」
と例の桜の杖(つえ)で、杉の間を指す。天を封ずる老幹の亭々と行儀よく並ぶ隙間(すきま)に、的※(てきれき)近江(おうみ)の湖(うみ)が光った。
「なるほど」と甲野さんは眸(ひとみ)を凝(こ)らす。
 鏡を延べたとばかりでは飽(あ)き足らぬ。琵琶(びわ)の銘ある鏡の明かなるを忌(い)んで、叡山の天狗共が、宵(よい)に偸(ぬす)んだ神酒(みき)の酔(えい)に乗じて、曇れる気息(いき)を一面に吹き掛けたように——光るものの底に沈んだ上には、野と山にはびこる陽炎(かげろう)を巨人の絵の具皿にあつめて、ただ一刷(ひとはけ)に抹(なす)り付けた、瀲※(れんえん)たる春色が、十里のほかに糢糊(もこ)と棚引(たなび)いている。
「なるほど」と甲野さんはまた繰り返した。
「なるほどだけか。君は何を見せてやっても嬉(うれ)しがらない男だね」
「見せてやるなんて、自分が作ったものじゃあるまいし」
「そう云う恩知らずは、得て哲学者にあるもんだ。親不孝な学問をして、日々(にちにち)人間と御無沙汰(ごぶさた)になって……」
「誠に済みません。——親不孝な学問か、ハハハハハ。君白い帆が見える。そら、あの島の青い山を背(うしろ)にして——まるで動かんぜ。いつまで見ていても動かんぜ」
「退屈な帆だな。判然しないところが君に似ていらあ。しかし奇麗だ。おや、こっちにもいるぜ」
「あの、ずっと向うの紫色の岸の方にもある」
「うん、ある、ある。退屈だらけだ。べた一面だ」
「まるで夢のようだ」
「何が」
「何がって、眼前の景色がさ」
「うんそうか。僕はまた君が何か思い出したのかと思った。ものは君、さっさと片付けるに限るね。夢のごとしだって懐手(ふところで)をしていちゃ、駄目だよ」
「何を云ってるんだい」
「おれの云う事もやっぱり夢のごとしか。アハハハハ時に将門(まさかど)が気※(きえん)を吐いたのはどこいらだろう」
「何でも向う側だ。京都を瞰下(みおろ)したんだから。こっちじゃない。あいつも馬鹿だなあ」
「将門か。うん、気※を吐くより、反吐(へど)でも吐く方が哲学者らしいね」
「哲学者がそんなものを吐くものか」
「本当の哲学者になると、頭ばかりになって、ただ考えるだけか、まるで達磨(だるま)だね」
「あの煙(けぶ)るような島は何だろう」
「あの島か、いやに縹緲(ひょうびょう)としているね。おおかた竹生島(ちくぶしま)だろう」
「本当かい」
「なあに、好い加減さ。雅号なんざ、どうだって、質(もの)さえたしかなら構わない主義だ」
「そんなたしかなものが世の中にあるものか、だから雅号が必要なんだ」
「人間万事夢のごとしか。やれやれ」
「ただ死と云う事だけが真(まこと)だよ」
「いやだぜ」
「死に突き当らなくっちゃ、人間の浮気(うわき)はなかなかやまないものだ」
「やまなくって好いから、突き当るのは真(ま)っ平(ぴら)御免(ごめん)だ」
「御免だって今に来る。来た時にああそうかと思い当るんだね」
「誰が」
小刀細工(こがたなざいく)の好(すき)な人間がさ」
 山を下りて近江(おうみ)の野に入れば宗近君の世界である。高い、暗い、日のあたらぬ所から、うららかな春の世を、寄り付けぬ遠くに眺(なが)めているのが甲野さんの世界である。

        二

 紅(くれない)を弥生(やよい)に包む昼酣(たけなわ)なるに、春を抽(ぬき)んずる紫(むらさき)の濃き一点を、天地(あめつち)の眠れるなかに、鮮(あざ)やかに滴(した)たらしたるがごとき女である。夢の世を夢よりも艶(あでやか)に眺(なが)めしむる黒髪を、乱るるなと畳める鬢(びん)の上には、玉虫貝(たまむしかい)を冴々(さえさえ)と菫(すみれ)に刻んで、細き金脚(きんあし)にはっしと打ち込んでいる。静かなる昼の、遠き世に心を奪い去らんとするを、黒き眸(ひとみ)のさと動けば、見る人は、あなやと我に帰る。半滴(はんてき)のひろがりに、一瞬の短かきを偸(ぬす)んで、疾風の威(い)を作(な)すは、春にいて春を制する深き眼(まなこ)である。この瞳(ひとみ)を遡(さかのぼ)って、魔力の境(きょう)を窮(きわ)むるとき、桃源(とうげん)に骨を白うして、再び塵寰(じんかん)に帰るを得ず。ただの夢ではない。糢糊(もこ)たる夢の大いなるうちに、燦(さん)たる一点の妖星(ようせい)が、死ぬるまで我を見よと、紫色の、眉(まゆ)近く逼(せま)るのである。女は紫色の着物を着ている。
 静かなる昼を、静かに栞(しおり)を抽(ぬ)いて、箔(はく)に重き一巻を、女は膝の上に読む。
[#ここから引用文、1字下げ]「墓の前に跪(ひざま)ずいて云う。この手にて——この手にて君を埋(うず)め参らせしを、今はこの手も自由ならず。捕われて遠き国に、行くほどもあらねば、この手にて君が墓を掃(はら)い、この手にて香(こう)を焚(た)くべき折々の、長(とこ)しえに尽きたりと思いたまえ。生ける時は、莫耶(ばくや)も我らを割(さ)き難きに、死こそ無惨(むざん)なれ。羅馬(ロウマ)の君は埃及(エジプト)に葬むられ、埃及なるわれは、君が羅馬に埋(うず)められんとす。君が羅馬は——わが思うほどの恩を、憂(う)きわれに拒(こば)める、君が羅馬は、つれなき君が羅馬なり。されど、情(なさけ)だにあらば、羅馬の神は、よも生きながらの辱(はずかしめ)に、市(いち)に引かるるわれを、雲の上よりよそに見たまわざるべし。君が仇(あだ)なる人の勝利を飾るわれを。埃及の神に見離されたるわれを。君が片身と残したまえるわが命こそ仇なれ。情ある羅馬の神に祈る。——われを隠したまえ。恥見えぬ墓の底に、君とわれを永劫(えいごう)に隠したまえ。」[#ここで引用文終わり]
 女は顔を上げた。蒼白(あおしろ)き頬(ほお)の締(しま)れるに、薄き化粧をほのかに浮かせるは、一重(ひとえ)の底に、余れる何物かを蔵(かく)せるがごとく、蔵せるものを見極(みき)わめんとあせる男はことごとく虜(とりこ)となる。男は眩(まばゆ)げに半(なか)ば口元を動かした。口の居住(いずまい)の崩(くず)るる時、この人の意志はすでに相手の餌食(えじき)とならねばならぬ。下唇(したくちびる)のわざとらしく色めいて、しかも判然(はっき)と口を切らぬ瞬間に、切り付けられたものは、必ず受け損う。
 女はただ隼(はやぶさ)の空を搏(う)つがごとくちらと眸(ひとみ)を動かしたのみである。男はにやにやと笑った。勝負はすでについた。舌を※頭(あごさき)に飛ばして、泡吹く蟹(かに)と、烏鷺(うろ)を争うは策のもっとも拙(つた)なきものである。風励鼓行(ふうれいここう)して、やむなく城下(じょうか)の誓(ちかい)をなさしむるは策のもっとも凡(ぼん)なるものである。蜜(みつ)を含んで針を吹き、酒を強(し)いて毒を盛るは策のいまだ至らざるものである。最上の戦には一語をも交うる事を許さぬ。拈華(ねんげ)の一拶(いっさつ)は、ここを去る八千里ならざるも、ついに不言にしてまた不語である。ただ躊躇(ちゅうちょ)する事刹那(せつな)なるに、虚をうつ悪魔は、思うつぼに迷(まよい)と書き、惑(まどい)と書き、失われたる人の子、と書いて、すわと云う間(ま)に引き上げる。下界万丈(げかいばんじょう)の鬼火(おにび)に、腥(なまぐ)さき青燐(せいりん)を筆の穂に吹いて、会釈(えしゃく)もなく描(えが)き出(いだ)せる文字は、白髪(しらが)をたわし[#「たわし」に傍点]にして洗っても容易(たやす)くは消えぬ。笑ったが最後、男はこの笑を引き戻す訳(わけ)には行くまい。
小野(おの)さん」と女が呼びかけた。
「え?」とすぐ応じた男は、崩(くず)れた口元を立て直す暇(いとま)もない。唇に笑(えみ)を帯びたのは、半ば無意識にあらわれたる、心の波を、手持無沙汰(てもちぶさた)に草書に崩(くず)したまでであって、崩したものの尽きんとする間際(まぎわ)に、崩すべき第二の波の来ぬのを煩(わずら)っていた折であるから、渡りに船の「え?」は心安く咽喉(のど)を滑(すべ)り出たのである。女は固(もと)より曲者(くせもの)である。「え?」と云わせたまま、しばらくは何にも云わぬ。
「何ですか」と男は二の句を継(つ)いだ。継がねばせっかくの呼吸が合わぬ。呼吸が合わねば不安である。相手を眼中に置くものは、王侯といえども常にこの感を起す。いわんや今、紫の女のほかに、何ものも映(うつ)らぬ男の眼には、二の句は固(もと)より愚かである。
 女はまだ何(なん)にも言わぬ。床(とこ)に懸(か)けた容斎(ようさい)の、小松に交(まじ)る稚子髷(ちごまげ)の、太刀持(たちもち)こそ、昔(むか)しから長閑(のどか)である。狩衣(かりぎぬ)に、鹿毛(かげ)なる駒(こま)の人(あるじ)は、事なきに慣(な)れし殿上人(てんじょうびと)の常か、動く景色(けしき)も見えぬ。ただ男だけは気が気でない。一の矢はあだに落ちた、二の矢のあたった所は判然せぬ。これが外(そ)れれば、また継がねばならぬ。男は気息(いき)を凝(こ)らして女の顔を見詰めている。肉の足らぬ細面(ほそおもて)に予期の情(じょう)を漲(みなぎ)らして、重きに過ぐる唇の、奇(き)か偶(ぐう)かを疑がいつつも、手答(てごたえ)のあれかしと念ずる様子である。
「まだ、そこにいらしったんですか」と女は落ちついた調子で云う。これは意外な手答である。天に向って彎(ひ)ける弓の、危うくも吾(わ)が頭の上に、瓢箪羽(ひょうたんば)を舞い戻したようなものである。男の我を忘れて、相手を見守るに引き反(か)えて、女は始めより、わが前に坐(す)われる人の存在を、膝(ひざ)に開(ひら)ける一冊のうちに見失っていたと見える。その癖、女はこの書物を、箔(はく)美しと見つけた時、今携(たずさ)えたる男の手から※(も)ぎ取るようにして、読み始めたのである。
 男は「ええ」と申したぎりであった。
「この女は羅馬(ロウマ)へ行くつもりなんでしょうか」
 女は腑(ふ)に落ちぬ不快の面持(おももち)で男の顔を見た。小野さんは「クレオパトラ」の行為に対して責任を持たねばならぬ。
「行きはしませんよ。行きはしませんよ」
と縁もない女王を弁護したような事を云う。
「行かないの? 私だって行かないわ」と女はようやく納得(なっとく)する。小野さんは暗い隧道(トンネル)を辛(かろ)うじて抜け出した。
沙翁(シェクスピヤ)の書いたものを見るとその女の性格が非常によく現われていますよ」
 小野さんは隧道を出るや否や、すぐ自転車に乗って馳(か)け出そうとする。魚は淵(ふち)に躍(おど)る、鳶(とび)は空に舞う。小野さんは詩の郷(くに)に住む人である。
 稜錐塔(ピラミッド)の空を燬(や)く所、獅身女(スフィンクス)の砂を抱く所、長河(ちょうが)の鰐魚(がくぎょ)を蔵する所、二千年の昔妖姫(ようき)クレオパトラの安図尼(アントニイ)と相擁して、駝鳥(だちょう)の※※(しょうしょう)に軽く玉肌(ぎょっき)を払える所、は好画題であるまた好詩料である。小野さんの本領である。
「沙翁の描(か)いたクレオパトラを見ると一種妙な心持ちになります」
「どんな心持ちに?」
「古い穴の中へ引き込まれて、出る事が出来なくなって、ぼんやりしているうちに、紫色(むらさきいろ)のクレオパトラが眼の前に鮮(あざ)やかに映って来ます。剥(は)げかかった錦絵(にしきえ)のなかから、たった一人がぱっと紫に燃えて浮き出して来ます」
「紫? よく紫とおっしゃるのね。なぜ紫なんです」
「なぜって、そう云う感じがするのです」
「じゃ、こんな色ですか」と女は青き畳の上に半ば敷ける、長き袖(そで)を、さっと捌(さば)いて、小野さんの鼻の先に翻(ひるが)えす。小野さんの眉間(みけん)の奥で、急にクレオパトラの臭(におい)がぷんとした。
「え?」と小野さんは俄然(がぜん)として我に帰る。空を掠(かす)める子規(ほととぎす)の、駟(し)も及ばぬに、降る雨の底を突き通して過ぎたるごとく、ちらと動ける異(あや)しき色は、疾(と)く収まって、美くしい手は膝頭(ひざがしら)に乗っている。脈打(みゃくう)つとさえ思えぬほどに静かに乗っている。
 ぷんとしたクレオパトラの臭は、しだいに鼻の奥から逃げて行く。二千年の昔から不意に呼び出された影の、恋々(れんれん)と遠のく後(あと)を追うて、小野さんの心は杳窕(ようちょう)の境に誘(いざな)われて、二千年のかなたに引き寄せらるる。
「そよと吹く風の恋や、涙の恋や、嘆息(ためいき)の恋じゃありません。暴風雨(あらし)の恋、暦(こよみ)にも録(の)っていない大暴雨(おおあらし)の恋。九寸五分の恋です」と小野さんが云う。
「九寸五分の恋が紫なんですか」
「九寸五分の恋が紫なんじゃない、紫の恋が九寸五分なんです」
「恋を斬(き)ると紫色の血が出るというのですか」
「恋が怒(おこ)ると九寸五分が紫色に閃(ひか)ると云うのです」
「沙翁がそんな事を書いているんですか」
沙翁(シェクスピヤ)が描(か)いた所を私(わたし)が評したのです。——安図尼(アントニイ)が羅馬(ロウマ)でオクテヴィアと結婚した時に——使のものが結婚の報道(しらせ)を持って来た時に——クレオパトラの……」
「紫が嫉妬(しっと)で濃く染まったんでしょう」
「紫が埃及(エジプト)の日で焦(こ)げると、冷たい短刀が光ります」
「このくらいの濃さ加減なら大丈夫ですか」と言う間(ま)もなく長い袖(そで)が再び閃(ひらめ)いた。小野さんはちょっと話の腰を折られた。相手に求むるところがある時でさえ、腰を折らねば承知をせぬ女である。毒気を抜いた女は得意に男の顔を眺(なが)めている。
「そこでクレオパトラがどうしました」と抑(おさ)えた女は再び手綱(たづな)を緩(ゆる)める。小野さんは馳(か)け出さなければならぬ。
「オクテヴィヤの事を根堀り葉堀り、使のものに尋ねるんです。その尋ね方が、詰(なじ)り方が、性格を活動させているから面白い。オクテヴィヤは自分のように背(せい)が高いかの、髪の毛はどんな色だの、顔が丸いかの、声が低いかの、年はいくつだのと、どこまでも使者を追窮(ついきゅう)します。……」
「全体追窮する人の年はいくつなんです」
「クレオパトラは三十ばかりでしょう」
「それじゃ私に似てだいぶ御婆(おばあ)さんね」
 女は首を傾けてホホと笑った。男は怪しき靨(えくぼ)のなかに捲(ま)き込まれたままちょっと途方に暮れている。肯定すれば偽(いつわ)りになる。ただ否定するのは、あまりに平凡である。皓(しろ)い歯に交る一筋の金の耀(かがや)いてまた消えんとする間際(まぎわ)まで、男は何の返事も出なかった。女の年は二十四である。小野さんは、自分と三つ違である事を疾(と)うから知っている。
 美しき女の二十(はたち)を越えて夫(おっと)なく、空(むな)しく一二三を数えて、二十四の今日(きょう)まで嫁(とつ)がぬは不思議である。春院(しゅんいん)いたずらに更(ふ)けて、花影(かえい)欄(おばしま)にたけなわなるを、遅日(ちじつ)早く尽きんとする風情(ふぜい)と見て、琴(こと)を抱(いだ)いて恨(うら)み顔なるは、嫁ぎ後(おく)れたる世の常の女の習(ならい)なるに、麈尾(ほっす)に払う折々の空音(そらね)に、琵琶(びわ)らしき響を琴柱(ことじ)に聴いて、本来ならぬ音色(ねいろ)を興あり気に楽しむはいよいよ不思議である。仔細(しさい)は固(もと)より分らぬ。この男とこの女の、互に語る言葉の影から、時々に覗(のぞ)き込んで、いらざる臆測(おくそく)に、うやむやなる恋の八卦(はっけ)をひそかに占(うら)なうばかりである。
「年を取ると嫉妬(しっと)が増して来るものでしょうか」と女は改たまって、小野さんに聞いた。
 小野さんはまた面喰(めんくら)う。詩人は人間を知らねばならん。女の質問には当然答うべき義務がある。けれども知らぬ事は答えられる訳(わけ)がない。中年の人の嫉妬を見た事のない男は、いくら詩人でも文士でも致し方がない。小野さんは文字に堪能(かんのう)なる文学者である。
「そうですね。やっぱり人に因(よ)るでしょう」
 角(かど)を立てない代りに挨拶(あいさつ)は濁っている。それで済ます女ではない。
「私がそんな御婆さんになったら——今でも御婆さんでしたっけね。ホホホ——しかしそのくらいな年になったら、どうでしょう」
「あなたが——あなたに嫉妬(しっと)なんて、そんなものは、今だって……」
「有りますよ」
 女の声は静かなる春風(はるかぜ)をひやりと斬(き)った。詩の国に遊んでいた男は、急に足を外(はず)して下界に落ちた。落ちて見ればただの人である。相手は寄りつけぬ高い崖(がけ)の上から、こちらを見下(みおろ)している。自分をこんな所に蹴落(けおと)したのは誰だと考える暇もない。
清姫(きよひめ)が蛇(じゃ)になったのは何歳(いくつ)でしょう」
左様(さよう)、やっぱり十代にしないと芝居になりませんね。おおかた十八九でしょう」
安珍(あんちん)は」
「安珍は二十五ぐらいがよくはないでしょうか」
「小野さん」
「ええ」
「あなたは御何歳(おいくつ)でしたかね」
私(わたし)ですか——私はと……」
「考えないと分らないんですか」
「いえ、なに——たしか甲野君と御同(おな)い年(どし)でした」
「そうそう兄と御同い年ですね。しかし兄の方がよっぽど老(ふ)けて見えますよ」
「なに、そうでも有りません」
「本当よ」
「何か奢(おご)りましょうか」
「ええ、奢ってちょうだい。しかし、あなたのは顔が若いのじゃない。気が若いんですよ」
「そんなに見えますか」
「まるで坊っちゃんのようですよ」
可愛想(かわいそう)に」
「可愛らしいんですよ」
 女の二十四は男の三十にあたる。理も知らぬ、非も知らぬ、世の中がなぜ廻転して、なぜ落ちつくかは無論知らぬ。大いなる古今の舞台の極(きわ)まりなく発展するうちに、自己はいかなる地位を占めて、いかなる役割を演じつつあるかは固(もと)より知らぬ。ただ口だけは巧者である。天下を相手にする事も、国家を向うへ廻す事も、一団の群衆を眼前に、事を処する事も、女には出来ぬ。女はただ一人を相手にする芸当を心得ている。一人と一人と戦う時、勝つものは必(かなら)ず女である。男は必ず負ける。具象(ぐしょう)の籠(かご)の中に飼(か)われて、個体の粟(あわ)を喙(ついば)んでは嬉しげに羽搏(はばたき)するものは女である。籠の中の小天地で女と鳴く音(ね)を競うものは必ず斃(たお)れる。小野さんは詩人である。詩人だから、この籠の中に半分首を突き込んでいる。小野さんはみごとに鳴き損(そこ)ねた。
「可愛らしいんですよ。ちょうど安珍(あんちん)のようなの」
「安珍は苛(ひど)い」
 許せと云わぬばかりに、今度は受け留(と)めた。
「御不服なの」と女は眼元だけで笑う。
「だって……」
「だって、何が御厭(おいや)なの」
私(わたし)は安珍のように逃げやしません」
 これを逃げ損ねの受太刀(うけだち)と云う。坊っちゃんは機(き)を見て奇麗に引き上げる事を知らぬ。
「ホホホ私は清姫のように追(お)っ懸(か)けますよ」
 男は黙っている。
蛇(じゃ)になるには、少し年が老(ふ)け過ぎていますかしら」
 時ならぬ春の稲妻(いなずま)は、女を出でて男の胸をするりと透(とお)した。色は紫である。
藤尾(ふじお)さん」
「何です」
 呼んだ男と呼ばれた女は、面と向って対座している。六畳の座敷は緑(みど)り濃き植込に隔(へだ)てられて、往来に鳴る車の響さえ幽(かす)かである。寂寞(せきばく)たる浮世のうちに、ただ二人のみ、生きている。茶縁(ちゃべり)の畳を境に、二尺を隔(へだ)てて互に顔を見合した時、社会は彼らの傍(かたえ)を遠く立ち退(の)いた。救世軍はこの時太鼓を敲(たた)いて市中を練り歩(あ)るいている。病院では腹膜炎で患者が虫の気息(いき)を引き取ろうとしている。露西亜(ロシア)では虚無党(きょむとう)が爆裂弾を投げている。停車場(ステーション)では掏摸(すり)が捕(つら)まっている。火事がある。赤子(あかご)が生れかかっている。練兵場(れんぺいば)で新兵が叱られている。身を投げている。人を殺している。藤尾の兄(あに)さんと宗近君は叡山(えいざん)に登っている。
 花の香(か)さえ重きに過ぐる深き巷(ちまた)に、呼び交(か)わしたる男と女の姿が、死の底に滅(め)り込む春の影の上に、明らかに躍(おど)りあがる。宇宙は二人の宇宙である。脈々三千条の血管を越す、若き血潮の、寄せ来(きた)る心臓の扉(とびら)は、恋と開き恋と閉じて、動かざる男女(なんにょ)を、躍然と大空裏(たいくうり)に描(えが)き出している。二人の運命はこの危うき刹那(せつな)に定(さだ)まる。東か西か、微塵(みじん)だに体(たい)を動かせばそれぎりである。呼ぶはただごとではない、呼ばれるのもただごとではない。生死以上の難関を互の間に控えて、羃然(べきぜん)たる爆発物が抛(な)げ出されるか、抛げ出すか、動かざる二人の身体(からだ)は二塊(ふたかたまり)の※(ほのお)である。
「御帰りいっ」と云う声が玄関に響くと、砂利(じゃり)を軋(きし)る車輪がはたと行き留まった。襖(ふすま)を開ける音がする。小走りに廊下を伝う足音がする。張り詰めた二人の姿勢は崩(くず)れた。
「母が帰って来たのです」と女は坐(すわ)ったまま、何気なく云う。
「ああ、そうですか」と男も何気なく答える。心を判然(はっき)と外に露(あら)わさぬうちは罪にはならん。取り返しのつく謎(なぞ)は、法庭(ほうてい)の証拠としては薄弱である。何気なく、もてなしている二人は、互に何気のあった事を黙許しながら、何気なく安心している。天下は太平である。何人(なんびと)も後指(うしろゆび)を指(さ)す事は出来ぬ。出来れば向うが悪(わ)るい。天下はあくまでも太平である。
御母(おっか)さんは、どちらへか行らしったんですか」
「ええ、ちょっと買物に出掛けました」
「だいぶ御邪魔をしました」と立ち懸(か)ける前に居住(いずまい)をちょっと繕(つく)ろい直す。洋袴(ズボン)の襞(ひだ)の崩れるのを気にして、常は出来るだけ楽に坐る男である。いざと云えば、突(つ)っかい棒(ぼう)に、尻を挙げるための、膝頭(ひざがしら)に揃(そろ)えた両手は、雪のようなカフスに甲(こう)まで蔽(おお)われて、くすんだ鼠縞(ねずみじま)の袖の下から、七宝(しっぽう)の夫婦釦(めおとボタン)が、きらりと顔を出している。
「まあ御緩(ごゆっ)くりなさい。母が帰っても別に用事はないんですから」と女は帰った人を迎える気色(けしき)もない。男はもとより尻を上げるのは厭(いや)である。
「しかし」と云いながら、隠袋(かくし)の中を捜(さ)ぐって、太い巻煙草(まきたばこ)を一本取り出した。煙草の煙は大抵のものを紛(まぎ)らす。いわんやこれは金の吸口の着いた埃及産(エジプトさん)である。輪に吹き、山に吹き、雲に吹く濃き色のうちには、立ち掛けた腰を据(す)え直して、クレオパトラと自分の間隔を少しでも詰(つづ)める便(たより)が出来んとも限らぬ。
 薄い煙りの、黒い口髭(くちひげ)を越して、ゆたかに流れ出した時、クレオパトラは果然、
「まあ、御坐り遊ばせ」と叮嚀(ていねい)な命令を下した。
 男は無言のまま再び膝(ひざ)を崩(くず)す。御互に春の日は永い。
「近頃は女ばかりで淋(さむ)しくっていけません」
「甲野君はいつ頃(ごろ)御帰りですか」
「いつ頃帰りますか、ちっとも分りません」
御音信(おたより)が有りますか」
「いいえ」
「時候が好いから京都は面白いでしょう」
「あなたもいっしょに御出(おいで)になればよかったのに」
私(わたし)は……」と小野さんは後を暈(ぼ)かしてしまう。
「なぜ行らっしゃらなかったの」
「別に訳はないんです」
「だって、古い御馴染(おなじみ)じゃありませんか」
「え?」
 小野さんは、煙草の灰を畳の上に無遠慮に落す。「え?」と云う時、不要意に手が動いたのである。
「京都には長い事、いらしったんじゃありませんか」
「それで御馴染なんですか」
「ええ」
「あんまり古い馴染だから、もう行く気にならんのです」
「随分不人情ね」
「なに、そんな事はないです」と小野さんは比較的真面目(まじめ)になって、埃及煙草(エジプトたばこ)を肺の中まで吸い込んだ。
「藤尾、藤尾」と向うの座敷で呼ぶ声がする。
御母(おっか)さんでしょう」と小野さんが聞く。
「ええ」
私(わたし)はもう帰ります」
「なぜです」
「でも何か御用が御在(おあ)りになるんでしょう」
「あったって構わないじゃありませんか。先生じゃありませんか。先生が教えに来ているんだから、誰が帰ったって構わないじゃありませんか」
「しかしあんまり教えないんだから」
「教わっていますとも、これだけ教わっていればたくさんですわ」
「そうでしょうか」
「クレオパトラや、何かたくさん教わってるじゃありませんか」
「クレオパトラぐらいで好ければ、いくらでもあります」
「藤尾、藤尾」と御母さんはしきりに呼ぶ。
「失礼ですがちょっと御免蒙(ごめんこうむ)ります。——なにまだ伺いたい事があるから待っていて下さい」
 藤尾は立った。男は六畳の座敷に取り残される。平床(ひらどこ)に据えた古薩摩(こさつま)の香炉(こうろ)に、いつ焼(た)き残したる煙の迹(あと)か、こぼれた灰の、灰のままに崩(くず)れもせず、藤尾の部屋は昨日(きのう)も今日も静かである。敷き棄てた八反(はったん)の座布団(ざぶとん)に、主(ぬし)を待つ間(ま)の温気(ぬくもり)は、軽く払う春風に、ひっそり閑(かん)と吹かれている。
 小野さんは黙然(もくねん)と香炉(こうろ)を見て、また黙然と布団を見た。崩(くず)し格子(ごうし)の、畳から浮く角に、何やら光るものが奥に挟(はさ)まっている。小野さんは少し首を横にして輝やくものを物色して考えた。どうも時計らしい。今までは頓(とん)と気がつかなかった。藤尾の立つ時に、絹障(きぬざわり)のしなやかに、布団(ふとん)が擦(ず)れて、隠したものが出掛ったのかも知れぬ。しかし布団の下に時計を隠す必要はあるまい。小野さんは再び布団の下を覗(のぞ)いて見た。松葉形(まつばがた)に繋(つな)ぎ合せた鎖の折れ曲って、表に向いている方が、細く光線を射返す奥に、盛り上がる七子(ななこ)の縁(ふち)が幽(かす)かに浮いている。たしかに時計に違ない。小野さんは首を傾けた。
 金は色の純にして濃きものである。富貴(ふうき)を愛するものは必ずこの色を好む。栄誉を冀(こいねが)うものは必ずこの色を撰(えら)む。盛名を致すものは必ずこの色を飾る。磁石(じしゃく)の鉄を吸うごとく、この色はすべての黒き頭を吸う。この色の前に平身せざるものは、弾力なき護謨(ゴム)である。一個の人として世間に通用せぬ。小野さんはいい色だと思った。
 折柄(おりから)向う座敷の方角から、絹のざわつく音が、曲(ま)がり椽(えん)を伝わって近づいて来る。小野さんは覗(のぞ)き込んだ眼を急に外(そ)らして、素知らぬ顔で、容斎(ようさい)の軸(じく)を真正面に眺めていると、二人の影が敷居口にあらわれた。
 黒縮緬(くろちりめん)の三つ紋を撫(な)で肩(がた)に着こなして、くすんだ半襟(はんえり)に、髷(まげ)ばかりを古風につやつやと光らしている。
「おやいらっしゃい」と御母(おっか)さんは軽く会釈(えしゃく)して、椽に近く座を占める。鶯(うぐいす)も鳴かぬ代りに、目に立つほどの塵もなく掃除の行き届いた庭に、長過ぎるほどの松が、わが物顔に一本控えている。この松とこの御母さんは、何となく同一体のように思われる。
「藤尾が始終(しじゅう)御厄介(ごやっかい)になりまして——さぞわがままばかり申す事でございましょう。まるで小供でございますから——さあ、どうぞ御楽(おらく)に——いつも御挨拶(ごあいさつ)を申さねばならんはずでございますが、つい年を取っているものでございますから、失礼のみ致します。——どうも実に赤児(ねんね)で、困り切ります、駄々ばかり捏(こ)ねまして——でも英語だけは御蔭(おかげ)さまで大変好きな模様で——近頃ではだいぶむずかしいものが読めるそうで、自分だけはなかなか得意でおります。——何兄がいるのでございますから、教えて貰えば好いのでございますが、——どうも、その、やっぱり兄弟は行(ゆ)かんものと見えまして——」
 御母さんの弁舌は滾々(こんこん)としてみごとである。小野さんは一字の間投詞を挟(さしはさ)む遑(いと)まなく、口車(くちぐるま)に乗って馳(か)けて行く。行く先は固(もと)より判然せぬ。藤尾は黙って最前小野さんから借りた書物を開いて続(つづき)を読んでいる。
[#ここから引用文、1字下げ]「花を墓に、墓に口を接吻(くちづけ)して、憂(う)きわれを、ひたふるに嘆きたる女王は、浴湯(ゆ)をこそと召す。浴(ゆあ)みしたる後(のち)は夕餉(ゆうげ)をこそと召す。この時賤(いや)しき厠卒(こもの)ありて小さき籃(かご)に無花果(いちじく)を盛りて参らす。女王の該撒(シイザア)に送れる文(ふみ)に云う。願わくは安図尼(アントニイ)と同じ墓にわれを埋(うず)めたまえと。無花果(いちじく)の繁れる青き葉陰にはナイルの泥(つち)の※(ほのお)舌(した)を冷やしたる毒蛇(どくだ)を、そっと忍ばせたり。該撒(シイザア)の使は走る。闥(たつ)を排して眼(まなこ)を射れば——黄金(こがね)の寝台に、位高き装(よそおい)を今日と凝(こ)らして、女王の屍(しかばね)は是非なく横(よこた)わる。アイリスと呼ぶは女王の足のあたりにこの世を捨てぬ。チャーミオンと名づけたるは、女王の頭(かしら)のあたりに、月黒き夜(よ)の露をあつめて、千顆(せんか)の珠(たま)を鋳たる冠(かんむり)の、今落ちんとするを力なく支う。闥を排したる該撒の使はこはいかにと云う。埃及(エジプト)の御代(みよ)しろし召す人の最後ぞ、かくありてこそと、チャーミオンは言い終って、倒れながらに目を瞑(ねむ)る」[#ここで引用文終わり]
 埃及の御代しろし召す人の最後ぞ、かくありてこそと云う最後の一句は、焚(た)き罩(こ)むる錬香(ねりこう)の尽きなんとして幽(かす)かなる尾を虚冥(きょめい)に曳(ひ)くごとく、全(まった)き頁(ページ)が淡く霞(かす)んで見える。
「藤尾」と知らぬ御母(おっか)さんは呼ぶ。
 男はやっと寛容(くつろい)だ姿で、呼ばれた方へ視線を向ける。呼ばれた当人は俯向(うつむい)ている。
「藤尾」と御母さんは呼び直す。
 女の眼はようやくに頁を離れた。波を打つ廂髪(ひさしがみ)の、白い額に接(つづ)く下から、骨張らぬ細い鼻を承(う)けて、紅(くれない)を寸(すん)に織る唇が——唇をそと滑(すべ)って、頬(ほお)の末としっくり落ち合う※(あご)が——※(あご)棄(す)ててなよやかに退(ひ)いて行く咽喉(のど)が——しだいと現実世界に競(せ)り出して来る。
「なに?」と藤尾は答えた。昼と夜の間に立つ人の、昼と夜の間の返事である。
「おや気楽な人だ事。そんなに面白い御本なのかい。——あとで御覧なさいな。失礼じゃないか。——この通り世間見ずのわがままもので、まことに困り切ります。——その御本は小野さんから拝借したのかい。大変奇麗(きれい)な——汚(よご)さないようになさいよ。本なぞは大事にしないと——」
「大事にしていますわ」
「それじゃ、好いけれども、またこないだのように……」
「だって、ありゃ兄さんが悪いんですもの」
「甲野君がどうかしたんですか」と小野さんは始めて口らしい口を開(ひら)いた。
「いえ、あなた、どうもわがまま者(もの)の寄り合いだもんでござんすから、始終(しじゅう)、小供のように喧嘩(けんか)ばかり致しまして——こないだも兄の本を……」と御母さんは藤尾の方を見て、言おうか、言うまいかと云う態度を取る。同情のある恐喝(きょうかつ)手段は長者(ちょうしゃ)の好んで年少に対して用いる遊戯である。
「甲野君の書物をどうなすったんです」と小野さんは恐る恐る聞きたがる。
「言いましょうか」と老人は半ば笑いながら、控えている。玩具(おもちゃ)の九寸五分を突き付けたような気合である。
「兄の本を庭へ抛(な)げたんですよ」と藤尾は母を差し置いて、鋭どい返事を小野さんの眉間(みけん)へ向けて抛(な)げつけた。御母さんは苦笑(にがわら)いをする。小野さんは口を開(あ)く。
「これの兄も御存じの通り随分変人ですから」と御母(おっか)さんは遠廻しに棄鉢(すてばち)になった娘の御機嫌をとる。
「甲野さんはまだ御帰りにならんそうですね」と小野さんは、うまいところで話頭を転換した。
「まるであなた鉄砲玉のようで——あれも、始終(しじゅう)身体(からだ)が悪いとか申して、ぐずぐずしておりますから、それならば、ちと旅行でもして判然(はきはき)したらよかろうと申しましてね——でも、まだ、何だかだと駄々を捏(こ)ねて、動かないのを、ようやく宗近に頼んで連れ出して貰(もら)いました。ところがまるで鉄砲玉で。若いものと申すものは……」
「若いって兄さんは特別ですよ。哲学で超絶しているんだから特別ですよ」
「そうかね、御母さんには何だか分らないけれども——それにあなた、あの宗近と云うのが大の呑気屋(のんきや)で、あれこそ本当の鉄砲玉で、随分の困りものでしてね」
「アハハハ快活な面白い人ですな」
「宗近と云えば、御前(おまい)さっきのものはどこにあるのかい」と御母さんは、きりりとした眼を上げて部屋のうちを見廻わす。
「ここです」と藤尾は、軽く諸膝(もろひざ)を斜(なな)めに立てて、青畳の上に、八反(はったん)の座布団(ざぶとん)をさらりと滑(す)べらせる。富貴(ふうき)の色は蜷局(とぐろ)を三重に巻いた鎖の中に、堆(うずたか)く七子(ななこ)の蓋(ふた)を盛り上げている。
 右手を伸(の)べて、輝くものを戛然(かつぜん)と鳴らすよと思う間(ま)に、掌(たなごころ)より滑る鎖が、やおら畳に落ちんとして、一尺の長さに喰(く)い留(と)められると、余る力を横に抜いて、端(はじ)につけた柘榴石(ガーネット)の飾りと共に、長いものがふらりふらりと二三度揺れる。第一の波は紅(くれない)の珠(たま)に女の白き腕(かいな)を打つ。第二の波は観世(かんぜ)に動いて、軽く袖口(そでくち)にあたる。第三の波のまさに静まらんとするとき、女は衝(つ)と立ち上がった。
 奇麗な色が、二色、三色入り乱れて、疾(と)く動く景色(けしき)を、茫然(ぼうぜん)と眺(なが)めていた小野さんの前へぴたりと坐った藤尾は
御母(おかあ)さん」と後(うしろ)を顧(かえり)みながら、
「こうすると引き立ちますよ」と云って故(もと)の席に返る。小野さんの胴衣(チョッキ)の胸には松葉形に組んだ金の鎖が、釦(ボタン)の穴を左右に抜けて、黒ずんだメルトン地を背景に燦爛(さんらん)と耀(かが)やいている。
「どうです」と藤尾が云う。
「なるほど善(よ)く似合いますね」と御母(おっか)さんが云う。
「全体どうしたんです」と小野さんは煙(けむ)に巻かれながら聞く。御母さんはホホホと笑う。
「上げましょうか」と藤尾は流し目に聞いた。小野さんは黙っている。
「じゃ、まあ、止(よ)しましょう」と藤尾は再び立って小野さんの胸から金時計を外(はず)してしまった。

        三

 柳(やなぎ)※(た)れて条々(じょうじょう)の煙を欄(らん)に吹き込むほどの雨の日である。衣桁(いこう)に懸(か)けた紺(こん)の背広の暗く下がるしたに、黒い靴足袋(くつたび)が三分一(さんぶいち)裏返しに丸く蹲踞(うずくま)っている。違棚(ちがいだな)の狭(せま)い上に、偉大な頭陀袋(ずだぶくろ)を据(す)えて、締括(しめくく)りのない紐(ひも)をだらだらと嬾(ものうく)も垂らした傍(かたわ)らに、錬歯粉(ねりはみがき)と白楊子(しろようじ)が御早うと挨拶(あいさつ)している。立て切った障子(しょうじ)の硝子(ガラス)を通して白い雨の糸が細長く光る。
「京都という所は、いやに寒い所だな」と宗近(むねちか)君は貸浴衣(かしゆかた)の上に銘仙(めいせん)の丹前を重ねて、床柱(とこばしら)の松の木を背負(しょっ)て、傲然(ごうぜん)と箕坐(あぐら)をかいたまま、外を覗(のぞ)きながら、甲野(こうの)さんに話しかけた。
 甲野さんは駱駝(らくだ)の膝掛(ひざかけ)を腰から下へ掛けて、空気枕の上で黒い頭をぶくつかせていたが
「寒いより眠い所だ」
と云いながらちょっと顔の向(むき)を換えると、櫛(くし)を入れたての濡(ぬ)れた頭が、空気の弾力で、脱ぎ棄てた靴足袋(くつたび)といっしょになる。
「寝てばかりいるね。まるで君は京都へ寝(ね)に来たようなものだ」
「うん。実に気楽な所だ」
「気楽になって、まあ結構だ。御母(おっか)さんが心配していたぜ」
「ふん」
「ふんは御挨拶だね。これでも君を気楽にさせるについては、人の知らない苦労をしているんだぜ」
「君あの額(がく)の字が読めるかい」
「なるほど妙だね。※雨※風(せんうしゅうふう)か。見た事がないな。何でも人扁(にんべん)だから、人がどうかするんだろう。いらざる字を書きやがる。元来何者だい」
「分らんね」
「分からんでもいいや、それよりこの襖(ふすま)が面白いよ。一面に金紙(きんがみ)を張り付けたところは豪勢だが、ところどころに皺(しわ)が寄ってるには驚ろいたね。まるで緞帳芝居(どんちょうしばい)の道具立(どうぐだて)見たようだ。そこへ持って来て、筍(たけのこ)を三本、景気に描(か)いたのは、どう云う了見(りょうけん)だろう。なあ甲野さん、これは謎(なぞ)だぜ」
「何と云う謎だい」
「それは知らんがね。意味が分からないものが描(か)いてあるんだから謎だろう」
「意味が分からないものは謎にはならんじゃないか。意味があるから謎なんだ」
「ところが哲学者なんてものは意味がないものを謎だと思って、一生懸命に考えてるぜ。気狂(きちがい)の発明した詰将棋(つめしょうぎ)の手を、青筋を立てて研究しているようなものだ」
「じゃこの筍も気違の画工(えかき)が描いたんだろう」
「ハハハハ。そのくらい事理(じり)が分ったら煩悶(はんもん)もなかろう」
「世の中と筍といっしょになるものか」
「君、昔話(むかしばな)しにゴージアン・ノットと云うのがあるじゃないか。知ってるかい」
「人を中学生だと思ってる」
「思っていなくっても、まあ聞いて見るんだ。知ってるなら云って見ろ」
「うるさいな、知ってるよ」
「だから云って御覧なさいよ。哲学者なんてものは、よくごまかすもので、何を聞いても知らないと白状の出来ない執念深(しゅうねんぶか)い人間だから、……」
「どっちが執念深いか分りゃしない」
「どっちでも、いいから、云って御覧」
「ゴージアン・ノットと云うのはアレキサンダー時代の話しさ」
「うん、知ってるね。それで」
「ゴージアスと云う百姓がジュピターの神へ車を奉納(ほうのう)したところが……」
「おやおや、少し待った。そんな事があるのかい。それから」
「そんな事があるのかって、君、知らないのか」
「そこまでは知らなかった」
「何だ。自分こそ知らない癖に」
「ハハハハ学校で習った時は教師がそこまでは教えなかった。あの教師もそこまではきっと知らないに違ない」
「ところがその百姓が、車の轅(ながえ)と横木を蔓(かずら)で結(ゆわ)いた結び目を誰がどうしても解(と)く事が出来ない」
「なあるほど、それをゴージアン・ノットと云うんだね。そうか。その結目(ノット)をアレキサンダーが面倒臭いって、刀を抜いて切っちまったんだね。うん、そうか」
「アレキサンダーは面倒臭いとも何とも云やあしない」
「そりゃどうでもいい」
「この結目を解いたものは東方の帝(てい)たらんと云う神託(しんたく)を聞いたとき、アレキサンダーがそれなら、こうするばかりだと云って……」
「そこは知ってるんだ。そこは学校の先生に教わった所だ」
「それじゃ、それでいいじゃないか」
「いいがね、人間は、それならこうするばかりだと云う了見(りょうけん)がなくっちゃ駄目だと思うんだね」
「それもよかろう」
「それもよかろうじゃ張り合がないな。ゴージアン・ノットはいくら考えたって解けっこ無いんだもの」
「切れば解けるのかい」
「切れば——解けなくっても、まあ都合がいいやね」
「都合か。世の中に都合ほど卑怯(ひきょう)なものはない」
「するとアレキサンダーは大変な卑怯な男になる訳だ」
「アレキサンダーなんか、そんなに豪(えら)いと思ってるのか」
 会話はちょっと切れた。甲野さんは寝返りを打つ。宗近君は箕坐(あぐら)のまま旅行案内をひろげる。雨は斜(なな)めに降る。
 古い京をいやが上に寂(さ)びよと降る糠雨(ぬかあめ)が、赤い腹を空に見せて衝(つ)いと行く乙鳥(つばくら)の背(せ)に応(こた)えるほど繁くなったとき、下京(しもきょう)も上京(かみきょう)もしめやかに濡(ぬ)れて、三十六峰(さんじゅうろっぽう)の翠(みど)りの底に、音は友禅(ゆうぜん)の紅(べに)を溶いて、菜の花に注(そそ)ぐ流のみである。「御前(おまえ)川上、わしゃ川下で……」と芹(せり)を洗う門口(かどぐち)に、眉(まゆ)をかくす手拭(てぬぐい)の重きを脱げば、「大文字(だいもんじ)」が見える。「松虫(まつむし)」も「鈴虫(すずむし)」も幾代(いくよ)の春を苔蒸(こけむ)して、鶯(うぐいす)の鳴くべき藪(やぶ)に、墓ばかりは残っている。鬼の出る羅生門(らしょうもん)に、鬼が来ずなってから、門もいつの代にか取り毀(こぼ)たれた。綱(つな)が※(も)ぎとった腕の行末(ゆくえ)は誰にも分からぬ。ただ昔しながらの春雨(はるさめ)が降る。寺町では寺に降り、三条では橋に降り、祇園(ぎおん)では桜に降り、金閣寺では松に降る。宿の二階では甲野さんと宗近君に降っている。
 甲野さんは寝ながら日記を記(つ)けだした。横綴(よことじ)の茶の表布(クロース)の少しは汗に汚(よ)ごれた角(かど)を、折るようにあけて、二三枚めくると、一頁(ページ)の三(さん)が一(いち)ほど白い所が出て来た。甲野さんはここから書き始める。鉛筆を執(と)って景気よく、
一奩(いちれん)楼角雨(ろうかくのあめ)、閑殺(かんさつす)古今人(ここんのひと)」
と書いてしばらく考えている。転結(てんけつ)を添えて絶句にする気と見える。
 旅行案内を放(ほう)り出して宗近君はずしんと畳を威嚇(おどか)して椽側(えんがわ)へ出る。椽側には御誂向(おあつらえむき)に一脚の籐(と)の椅子(いす)が、人待ち顔に、しめっぽく据(す)えてある。連※(れんぎょう)疎(まばら)なる花の間から隣(とな)り家(や)の座敷が見える。障子(しょうじ)は立て切ってある。中(うち)では琴の音(ね)がする。
忽(たちまち)※(きく)弾琴響(だんきんのひびき)、垂楊(すいよう)惹恨(うらみをひいて)新(あらたなり)」
と甲野さんは別行に十字書いたが、気に入らぬと見えて、すぐさま棒を引いた。あとは普通の文章になる。
「宇宙は謎(なぞ)である。謎を解くは人々の勝手である。勝手に解いて、勝手に落ちつくものは幸福である。疑えば親さえ謎である。兄弟さえ謎である。妻も子も、かく観ずる自分さえも謎である。この世に生まれるのは解けぬ謎を、押しつけられて、白頭(はくとう)に※※(せんかい)し、中夜(ちゅうや)に煩悶(はんもん)するために生まれるのである。親の謎を解くためには、自分が親と同体にならねばならぬ。妻の謎を解くためには妻と同心にならねばならぬ。宇宙の謎を解くためには宇宙と同心同体にならねばならぬ。これが出来ねば、親も妻も宇宙も疑である。解けぬ謎である、苦痛である。親兄弟と云う解けぬ謎のある矢先に、妻と云う新しき謎を好んで貰うのは、自分の財産の所置に窮している上に、他人の金銭を預かると一般である。妻と云う新らしき謎を貰うのみか、新らしき謎に、また新らしき謎を生ませて苦しむのは、預かった金銭に利子が積んで、他人の所得をみずからと持ち扱うようなものであろう。……すべての疑は身を捨てて始めて解決が出来る。ただどう身を捨てるかが問題である。死? 死とはあまりに無能である」
 宗近君は籐(と)の椅子(いす)に横平(おうへい)な腰を据えてさっきから隣りの琴(こと)を聴いている。御室(おむろ)の御所(ごしょ)の春寒(はるさむ)に、銘(めい)をたまわる琵琶(びわ)の風流は知るはずがない。十三絃(じゅうさんげん)を南部の菖蒲形(しょうぶがた)に張って、象牙(ぞうげ)に置いた蒔絵(まきえ)の舌(した)を気高(けだか)しと思う数奇(すき)も有(も)たぬ。宗近君はただ漫然と聴(き)いているばかりである。
 滴々(てきてき)と垣を蔽(おお)う連※(れんぎょう)黄(き)な向うは業平竹(なりひらだけ)の一叢(ひとむら)に、苔(こけ)の多い御影の突(つ)く這(ば)いを添えて、三坪に足らぬ小庭には、一面に叡山苔(えいざんごけ)を這(は)わしている。琴の音(ね)はこの庭から出る。
 雨は一つである。冬は合羽(かっぱ)が凍(こお)る。秋は灯心が細る。夏は褌(ふどし)を洗う。春は——平打(ひらうち)の銀簪(ぎんかん)を畳の上に落したまま、貝合(かいあわ)せの貝の裏が朱と金と藍(あい)に光る傍(かたわら)に、ころりんと掻(か)き鳴らし、またころりんと掻き乱す。宗近君の聴いてるのはまさにこのころりんである。
「眼に見るは形である」と甲野さんはまた別行に書き出した。
「耳に聴(き)くは声である。形と声は物の本体ではない。物の本体を証得しないものには形も声も無意義である。何物かをこの奥に捕(とら)えたる時、形も声もことごとく新らしき形と声になる。これが象徴である。象徴とは本来空(ほんらいくう)の不可思議を眼に見、耳に聴くための方便である。……」
 琴の手は次第に繁くなる。雨滴(あまだれ)の絶間(たえま)を縫(ぬ)うて、白い爪が幾度か駒(こま)の上を飛ぶと見えて、濃(こまや)かなる調べは、太き糸の音(ね)と細き音を綯(よ)り合せて、代る代るに乱れ打つように思われる。甲野さんが「無絃(むげん)の琴を聴(き)いて始めて序破急(じょはきゅう)の意義を悟る」と書き終った時、椅子(いす)に靠(もた)れて隣家(となり)ばかりを瞰下(みおろ)していた宗近君は
「おい、甲野さん、理窟(りくつ)ばかり云わずと、ちとあの琴でも聴くがいい。なかなか旨(うま)いぜ」
椽側(えんがわ)から部屋の中へ声を掛けた。
「うん、さっきから拝聴している」と甲野さんは日記をぱたりと伏せた。
「寝ながら拝聴する法はないよ。ちょっと椽(えん)まで出張を命ずるから出て来なさい」
「なに、ここで結構だ。構ってくれるな」と甲野さんは空気枕を傾けたまま起き上がる景色(けしき)がない。
「おい、どうも東山が奇麗(きれい)に見えるぜ」
「そうか」
「おや、鴨川(かもがわ)を渉(わた)る奴(やつ)がある。実に詩的だな。おい、川を渉る奴があるよ」
「渉ってもいいよ」
「君、布団(ふとん)着て寝たる姿やとか何とか云うが、どこに布団を着ている訳かな。ちょっとここまで来て教えてくれんかな」
「いやだよ」
「君、そうこうしているうちに加茂の水嵩(みずかさ)が増して来たぜ。いやあ大変だ。橋が落ちそうだ。おい橋が落ちるよ」
「落ちても差(さ)し支(つか)えなしだ」
「落ちても差し支えなしだ? 晩に都踊が見られなくっても差し支えなしかな」
「なし、なし」と甲野さんは面倒臭くなったと見えて、寝返りを打って、例の金襖(きんぶすま)の筍(たけのこ)を横に眺(なが)め始めた。
「そう落ちついていちゃ仕方がない。こっちで降参するよりほかに名案もなくなった」と宗近さんは、とうとう我(が)を折って部屋の中へ這入(はい)って来る。
「おい、おい」
「何だ、うるさい男だね」
「あの琴を聴いたろう」
「聴いたと云ったじゃないか」
「ありゃ、君、女だぜ」
「当り前さ」
幾何(いくつ)だと思う」
幾歳(いくつ)だかね」
「そう冷淡じゃ張り合がない。教えてくれなら、教えてくれと判然(はっきり)云うがいい」
「誰が云うものか」
「云わない? 云わなければこっちで云うばかりだ。ありゃ、島田(しまだ)だよ」
「座敷でも開(あ)いてるのかい」
「なに座敷はぴたりと締ってる」
「それじゃまた例の通り好加減(いいかげん)な雅号なんだろう」
「雅号にして本名なるものだね。僕はあの女を見たんだよ」
「どうして」
「そら聴(き)きたくなった」
「何聴かなくってもいいさ。そんな事を聞くよりこの筍(たけのこ)を研究している方がよっぽど面白い。この筍を寝ていて横に見ると、背(せい)が低く見えるがどう云うものだろう」
「おおかた君の眼が横に着いているせいだろう」
「二枚の唐紙(からかみ)に三本描(か)いたのは、どう云う因縁(いんねん)だろう」
「あんまり下手だから一本負けたつもりだろう」
「筍の真青(まっさお)なのはなぜだろう」
「食うと中毒(あた)ると云う謎(なぞ)なんだろう」
「やっぱり謎か。君だって謎を釈(と)くじゃないか」
「ハハハハ。時々は釈いて見るね。時に僕がさっきから島田の謎を解いてやろうと云うのに、いっこう釈かせないのは哲学者にも似合わん不熱心な事だと思うがね」
「釈きたければ釈くさ。そうもったいぶったって、頭を下げるような哲学者じゃない」
「それじゃ、ひとまず安っぽく釈いてしまって、後(あと)から頭を下げさせる事にしよう。——あのね、あの琴の主はね」
「うん」
「僕が見たんだよ」
「そりゃ今聴いた」
「そうか。それじゃ別に話す事もない」
「なければ、いいさ」
「いや好くない。それじゃ話す。昨日(きのう)ね、僕が湯から上がって、椽側(えんがわ)で肌を抜いで涼んでいると——聴きたいだろう——僕が何気なく鴨東(おうとう)の景色(けしき)を見廻わして、ああ好い心持ちだとふと眼を落して隣家を見下すと、あの娘が障子(しょうじ)を半分開けて、開けた障子に靠(も)たれかかって庭を見ていたのさ」
別嬪(べっぴん)かね」
「ああ別嬪だよ。藤尾さんよりわるいが糸公(いとこう)より好いようだ」
「そうかい」
「それっきりじゃ、余(あん)まり他愛(たあい)が無さ過ぎる。そりゃ残念な事をした、僕も見ればよかったぐらい義理にも云うがいい」
「そりゃ残念な事をした、僕も見ればよかった」
「ハハハハだから見せてやるから椽側(えんがわ)まで出て来いと云うのに」
「だって障子は締ってるんじゃないか」
「そのうち開(あ)くかも知れないさ」
「ハハハハ小野なら障子の開くまで待ってるかも知れない」
「そうだね。小野を連れて来て見せてやれば好かった」
「京都はああ云う人間が住むに好い所だ」
「うん全く小野的だ。大将、来いと云うのになんのかのと云って、とうとう来ない」
「春休みに勉強しようと云うんだろう」
「春休みに勉強が出来るものか」
「あんな風じゃいつだって勉強が出来やしない。一体文学者は軽いからいけない」
「少々耳が痛いね。こっちも余まり重くはない方だからね」
「いえ、単なる文学者と云うものは霞(かすみ)に酔ってぽうっとしているばかりで、霞を披(ひら)いて本体を見つけようとしないから性根(しょうね)がないよ」
「霞の酔(よ)っ払(ぱらい)か。哲学者は余計な事を考え込んで苦(にが)い顔をするから、塩水の酔っ払だろう」
「君見たように叡山(えいざん)へ登るのに、若狭(わかさ)まで突き貫(ぬ)ける男は白雨(ゆうだち)の酔っ払だよ」
「ハハハハそれぞれ酔っ払ってるから妙だ」
 甲野さんの黒い頭はこの時ようやく枕を離れた。光沢(つや)のある髪で湿(しめ)っぽく圧(お)し付けられていた空気が、弾力で膨(ふく)れ上がると、枕の位置が畳の上でちょっと廻った。同時に駱駝(らくだ)の膝掛(ひざかけ)が擦(ず)り落ちながら、裏を返して半分(はんぶ)に折れる。下から、だらしなく腰に捲(ま)き付けた平絎(ひらぐけ)の細帯があらわれる。
「なるほど酔っ払いに違ない」と枕元に畏(かしこ)まった宗近君は、即座に品評を加えた。相手は痩(や)せた体躯(からだ)を持ち上げた肱(ひじ)を二段に伸(のば)して、手の平に胴を支(ささ)えたまま、自分で自分の腰のあたりを睨(ね)め廻していたが
「たしかに酔っ払ってるようだ。君はまた珍らしく畏(かしこ)まってるじゃないか」と一重瞼(ひとえまぶた)の長く切れた間から、宗近君をじろりと見た。
「おれは、これで正気なんだからね」
居住(いずまい)だけは正気だ」
「精神も正気だからさ」
「どてら[#「どてら」に傍点]を着て跪坐(かしこまっ)てるのは、酔っ払っていながら、異状がないと得意になるようなものだ。なおおかしいよ。酔っ払いは酔払(よっぱらい)らしくするがいい」
「そうか、それじゃ御免蒙(ごめんこうむ)ろう」と宗近君はすぐさま胡坐(あぐら)をかく。
「君は感心に愚(ぐ)を主張しないからえらい。愚にして賢と心得ているほど片腹(かたはら)痛い事はないものだ」
諫(いさめ)に従う事流るるがごとしとは僕の事を云ったものだよ」
「酔払っていてもそれなら大丈夫だ」
「なんて生意気を云う君はどうだ。酔払っていると知りながら、胡坐をかく事も跪坐る事も出来ない人間だろう」
「まあ立ん坊だね」と甲野さんは淋(さび)し気に笑った。勢込(いきおいこ)んで喋舌(しゃべ)って来た宗近君は急に真面目(まじめ)になる。甲野さんのこの笑い顔を見ると宗近君はきっと真面目にならなければならぬ。幾多の顔の、幾多の表情のうちで、あるものは必ず人の肺腑(はいふ)に入る。面上の筋肉が我勝(われが)ちに躍(おど)るためではない。頭上の毛髪が一筋ごとに稲妻(いなずま)を起すためでもない。涙管(るいかん)の関が切れて滂沱(ぼうだ)の観を添うるがためでもない。いたずらに劇烈なるは、壮士が事もなきに剣を舞わして床(ゆか)を斬(き)るようなものである。浅いから動くのである。本郷座の芝居である。甲野さんの笑ったのは舞台で笑ったのではない。
 毛筋ほどな細い管を通して、捕(とら)えがたい情(なさ)けの波が、心の底から辛(かろ)うじて流れ出して、ちらりと浮世の日に影を宿したのである。往来に転(ころ)がっている表情とは違う。首を出して、浮世だなと気がつけばすぐ奥の院へ引き返す。引き返す前に、捕(つら)まえた人が勝ちである。捕まえ損(そこ)なえば生涯(しょうがい)甲野さんを知る事は出来ぬ。
 甲野さんの笑は薄く、柔らかに、むしろ冷やかである。そのおとなしいうちに、その速(すみや)かなるうちに、その消えて行くうちに、甲野さんの一生は明(あきら)かに描(えが)き出されている。この瞬間の意義を、そうかと合点するものは甲野君の知己(ちき)である。斬(き)った張(は)ったの境に甲野さんを置いて、ははあ、こんな人かと合点(がてん)するようでは親子といえどもいまだしである。兄弟といえども他人である。斬った張ったの境に甲野さんを置いて、始めて甲野さんの性格を描(えが)き出すのは野暮(やぼ)な小説である。二十世紀に斬った張ったがむやみに出て来るものではない。
 春の旅は長閑(のどか)である。京の宿は静かである。二人は無事である。ふざけている。その間に宗近君は甲野さんを知り、甲野さんは宗近君を知る。これが世の中である。
「立ん坊か」と云ったまま宗近君は駱駝(らくだ)の膝掛(ひざかけ)の馬簾(ばれん)をひねくり始めたが、やがて
「いつまでも立ん坊か」
と相手の顔は見ず、質問のように、独語(ひとりごと)のように、駱駝の膝掛に話しかけるように、立ん坊を繰り返した。
「立ん坊でも覚悟だけはちゃんとしている」と甲野さんはこの時始めて、腰を浮かして、相手の方に向き直る。
「叔父さんが生きてると好いがな」
「なに、阿爺(おやじ)が生きているとかえって面倒かも知れない」
「そうさなあ」と宗近君はなあ[#「なあ」に傍点]を引っ張った。
「つまり、家(うち)を藤尾にくれてしまえばそれで済むんだからね」
「それで君はどうするんだい」
「僕は立ん坊さ」
「いよいよ本当の立ん坊か」
「うん、どうせ家を襲(つ)いだって立ん坊、襲がなくったって立ん坊なんだからいっこう構わない」
「しかしそりゃ、いかん。第一叔母(おば)さんが困るだろう」
「母がか」
 甲野さんは妙な顔をして宗近君を見た。
 疑がえば己(おのれ)にさえ欺(あざ)むかれる。まして己以外の人間の、利害の衢(ちまた)に、損失の塵除(ちりよけ)と被(かぶ)る、面(つら)の厚さは、容易には度(はか)られぬ。親しき友の、わが母を、そうと評するのは、面の内側で評するのか、または外側でのみ云う了見(りょうけん)か。己にさえ、己を欺く魔の、どこにか潜(ひそ)んでいるような気持は免かれぬものを、無二の友達とは云え、父方の縁続きとは云え、迂濶(うかつ)には天機を洩(も)らしがたい。宗近の言(こと)は継母に対するわが心の底を見んための鎌(かま)か。見た上でも元の宗近ならばそれまでであるが、鎌を懸(か)けるほどの男ならば、思う通りを引き出した後(あと)で、どう引っ繰り返らぬとも保証は出来ん。宗近の言は真率(しんそつ)なる彼の、裏表の見界(みさかい)なく、母の口占(くちうら)を一図(いちず)にそれと信じたる反響か。平生(へいぜい)のかれこれから推(お)して見ると多分そうだろう。よもや、母から頼まれて、曇る胸の、われにさえ恐ろしき淵(ふち)の底に、詮索(さぐり)の錘(おもり)を投げ込むような卑劣な振舞はしまい。けれども、正直な者ほど人には使われやすい。卑劣と知って、人の手先にはならんでも、われに対する好意から、見損(みそく)なった母の意を承(う)けて、御互に面白からぬ結果を、必然の期程(きてい)以前に、家庭のなかに打(ぶ)ち開(ま)ける事がないとも限らん。いずれにしても入らぬ口は発(き)くまい。
 二人はしばらく無言である。隣家(となり)ではまだ琴(こと)を弾(ひ)いている。
「あの琴は生田流(いくたりゅう)かな」と甲野さんは、つかぬ事を聞く。
「寒くなった、狐の袖無(ちゃんちゃん)でも着よう」と宗近君も、つかぬ事を云う。二人は離れ離れに口を発いている。
 丹前の胸を開いて、違棚(ちがいだな)の上から、例の異様な胴衣(チョッキ)を取り下ろして、体(たい)を斜(なな)めに腕を通した時、甲野さんは聞いた。
「その袖無(ちゃんちゃん)は手製か」
「うん、皮は支那に行った友人から貰ったんだがね、表は糸公が着けてくれた」
「本物だ。旨(うま)いもんだ。御糸(おいと)さんは藤尾なんぞと違って実用的に出来ているからいい」
「いいか、ふん。彼奴(あいつ)が嫁に行くと少々困るね」
「いい嫁の口はないかい」
「嫁の口か」と宗近君はちょっと甲野さんを見たが、気の乗らない調子で「無い事もないが……」とだらりと言葉の尾を垂れた。甲野さんは問題を転じた。
「御糸さんが嫁に行くと御叔父(おじ)さんも困るね」
「困ったって仕方がない、どうせいつか困るんだもの。——それよりか君は女房を貰わないのかい」
「僕か——だって——食わす事が出来ないもの」
「だから御母(おっか)さんの云う通りに君が家(うち)を襲(つ)いで……」
「そりゃ駄目だよ。母が何と云ったって、僕は厭(いや)なんだ」
「妙だね、どうも。君が判然しないもんだから、藤尾さんも嫁に行かれないんだろう」
「行かれないんじゃない、行かないんだ」
 宗近君はだまって鼻をぴくつかせている。
「また鱧(はも)を食わせるな。毎日鱧ばかり食って腹の中が小骨だらけだ。京都と云う所は実に愚(ぐ)な所だ。もういい加減に帰ろうじゃないか」
「帰ってもいい。鱧ぐらいなら帰らなくってもいい。しかし君の嗅覚(きゅうかく)は非常に鋭敏だね。鱧の臭がするかい」
「するじゃないか。台所でしきりに焼いていらあね」
「そのくらい虫が知らせると阿爺(おやじ)も外国で死ななくっても済んだかも知れない。阿爺は嗅覚が鈍かったと見える」
「ハハハハ。時に御叔父さんの遺物はもう、着いたか知ら」
「もう着いた時分だね。公使館の佐伯(さえき)と云う人が持って来てくれるはずだ。——何にもないだろう——書物が少しあるかな」
「例の時計はどうしたろう」
「そうそう。倫敦(ロンドン)で買った自慢の時計か。あれは多分来るだろう。小供の時から藤尾の玩具(おもちゃ)になった時計だ。あれを持つとなかなか離さなかったもんだ。あの鏈(くさり)に着いている柘榴石(ガーネット)が気に入ってね」
「考えると古い時計だね」
「そうだろう、阿爺が始めて洋行した時に買ったんだから」
「あれを御叔父さんの片身(かたみ)に僕にくれ」
「僕もそう思っていた」
「御叔父さんが今度洋行するときね、帰ったら卒業祝にこれを御前にやろうと約束して行ったんだよ」
「僕も覚えている。——ことによると今頃は藤尾が取ってまた玩具にしているかも知れないが……」
「藤尾さんとあの時計はとうてい離せないか。ハハハハなに構わない、それでも貰おう」
 甲野さんは、だまって宗近君の眉(まゆ)の間を、長い事見ていた。御昼の膳(ぜん)の上には宗近君の予言通り鱧(はも)が出た。

        四

 甲野(こうの)さんの日記の一筋に云う。
「色を見るものは形を見ず、形を見るものは質を見ず」
 小野さんは色を見て世を暮らす男である。
 甲野さんの日記の一筋にまた云う。
生死因縁(しょうしいんねん)無了期(りょうきなし)、色相世界(しきそうせかい)現狂癡(きょうちをげんず)」
 小野さんは色相(しきそう)世界に住する男である。
 小野さんは暗い所に生れた。ある人は私生児だとさえ云う。筒袖(つつそで)を着て学校へ通う時から友達に苛(いじ)められていた。行く所で犬に吠(ほ)えられた。父は死んだ。外で辛(ひど)い目に遇(あ)った小野さんは帰る家が無くなった。やむなく人の世話になる。
 水底(みなそこ)の藻(も)は、暗い所に漂(ただよ)うて、白帆行く岸辺に日のあたる事を知らぬ。右に揺(うご)こうが、左(ひだ)りに靡(なび)こうが嬲(なぶ)るは波である。ただその時々に逆(さか)らわなければ済む。馴(な)れては波も気にならぬ。波は何物ぞと考える暇(ひま)もない。なぜ波がつらく己(おの)れにあたるかは無論問題には上(のぼ)らぬ。上ったところで改良は出来ぬ。ただ運命が暗い所に生(は)えていろと云う。そこで生えている。ただ運命が朝な夕なに動けと云う。だから動いている。——小野さんは水底の藻であった。
 京都では孤堂(こどう)先生の世話になった。先生から絣(かすり)の着物をこしらえて貰った。年に二十円の月謝も出して貰った。書物も時々教わった。祇園(ぎおん)の桜をぐるぐる周(まわ)る事を知った。知恩院(ちおんいん)の勅額(ちょくがく)を見上げて高いものだと悟った。御飯も一人前(いちにんまえ)は食うようになった。水底の藻は土を離れてようやく浮かび出す。
 東京は目の眩(くら)む所である。元禄(げんろく)の昔に百年の寿(ことぶき)を保ったものは、明治の代(よ)に三日住んだものよりも短命である。余所(よそ)では人が蹠(かかと)であるいている。東京では爪先(つまさき)であるく。逆立(さかだち)をする。横に行く。気の早いものは飛んで来る。小野さんは東京できりきりと回った。
 きりきりと回った後(あと)で、眼を開けて見ると世界が変っている。眼を擦(こ)すっても変っている。変だと考えるのは悪(わ)るく変った時である。小野さんは考えずに進んで行く。友達は秀才だと云う。教授は有望だと云う。下宿では小野さん小野さんと云う。小野さんは考えずに進んで行く。進んで行ったら陛下から銀時計を賜(たま)わった。浮かび出した藻(も)は水面で白い花をもつ。根のない事には気がつかぬ。
 世界は色の世界である。ただこの色を味(あじわ)えば世界を味わったものである。世界の色は自己の成功につれて鮮(あざ)やかに眼に映(うつ)る。鮮やかなる事錦を欺(あざむ)くに至って生きて甲斐(かい)ある命は貴(とう)とい。小野さんの手巾(ハンケチ)には時々ヘリオトロープの香(におい)がする。
 世界は色の世界である、形は色の残骸(なきがら)である。残骸を論(あげつら)って中味の旨(うま)きを解せぬものは、方円の器(うつわ)に拘(かか)わって、盛り上る酒の泡(あわ)をどう片づけてしかるべきかを知らぬ男である。いかに見極(みきわ)めても皿は食われぬ。唇(くちびる)を着けぬ酒は気が抜ける。形式の人は、底のない道義の巵(さかずき)を抱(いだ)いて、路頭に跼蹐(きょくせき)している。
 世界は色の世界である。いたずらに空華(くうげ)と云い鏡花(きょうか)と云う。真如(しんにょ)の実相とは、世に容(い)れられぬ畸形(きけい)の徒が、容れられぬ恨(うらみ)を、黒※郷裏(こくてんきょうり)に晴らすための妄想(もうぞう)である。盲人は鼎(かなえ)を撫(な)でる。色が見えねばこそ形が究(きわ)めたくなる。手のない盲人は撫でる事をすらあえてせぬ。ものの本体を耳目のほかに求めんとするは、手のない盲人の所作(しょさ)である。小野さんの机の上には花が活(い)けてある。窓の外には柳が緑を吹く。鼻の先には金縁の眼鏡(めがね)が掛かっている。
 絢爛(けんらん)の域を超(こ)えて平淡に入(い)るは自然の順序である。我らは昔(むか)し赤ん坊と呼ばれて赤いべべ[#「べべ」に傍点]を着せられた。大抵(たいてい)のものは絵画(にしきえ)のなかに生い立って、四条派(しじょうは)の淡彩から、雲谷(うんこく)流の墨画(すみえ)に老いて、ついに棺桶(かんおけ)のはかなきに親しむ。顧(かえり)みると母がある、姉がある、菓子がある、鯉(こい)の幟(のぼり)がある。顧みれば顧みるほど華麗(はなやか)である。小野さんは趣(おもむき)が違う。自然の径路(けいろ)を逆(さか)しまにして、暗い土から、根を振り切って、日の透(とお)る波の、明るい渚(なぎさ)へ漂(ただよ)うて来た。——坑(あな)の底で生れて一段ごとに美しい浮世へ近寄るためには二十七年かかった。二十七年の歴史を過去の節穴(ふしあな)から覗(のぞ)いて見ると、遠くなればなるほど暗い。ただその途中に一点の紅(くれない)がほのかに揺(うご)いている。東京へ来(き)たてにはこの紅が恋しくて、寒い記憶を繰り返すのも厭(いと)わず、たびたび過去の節穴を覗いては、長き夜(よ)を、永き日を、あるは時雨(しぐ)るるをゆかしく暮らした。今は——紅もだいぶ遠退(とおの)いた。その上、色もよほど褪(さ)めた。小野さんは節穴を覗く事を怠(おこ)たるようになった。
 過去の節穴を塞(ふさ)ぎかけたものは現在に満足する。現在が不景気だと未来を製造する。小野さんの現在は薔薇(ばら)である。薔薇の蕾(つぼみ)である。小野さんは未来を製造する必要はない。蕾(つぼ)んだ薔薇を一面に開かせればそれが自(おのず)からなる彼の未来である。未来の節穴を得意の管(くだ)から眺(なが)めると、薔薇はもう開いている。手を出せば捕(つら)まえられそうである。早く捕まえろと誰かが耳の傍(そば)で云う。小野さんは博士論文を書こうと決心した。
 論文が出来たから博士になるものか、博士になるために論文が出来るものか、博士に聞いて見なければ分らぬが、とにかく論文を書かねばならぬ。ただの論文ではならぬ、必(かなら)ず博士論文でなくてはならぬ。博士は学者のうちで色のもっとも見事なるものである。未来の管を覗くたびに博士の二字が金色(こんじき)に燃えている。博士の傍には金時計が天から懸(かか)っている。時計の下には赤い柘榴石(ガーネット)が心臓の焔(ほのお)となって揺れている。その側(わき)に黒い眼の藤尾さんが繊(ほそ)い腕を出して手招(てまね)ぎをしている。すべてが美くしい画(え)である。詩人の理想はこの画の中の人物となるにある。
 昔(むか)しタンタラスと云う人があった。わるい事をした罰(ばち)で、苛(ひど)い目に逢(お)うたと書いてある。身体(からだ)は肩深く水に浸(ひた)っている。頭の上には旨(うま)そうな菓物(くだもの)が累々(るいるい)と枝をたわわに結実(な)っている。タンタラスは咽喉(のど)が渇(かわ)く。水を飲もうとすると水が退(ひ)いて行く。タンタラスは腹が減る。菓物を食おうとすると菓物が逃げて行く。タンタラスの口が一尺動くと向うでも一尺動く。二尺前(すす)むと向うでも二尺前む。三尺四尺は愚か、千里を行き尽しても、タンタラスは腹が減り通しで、咽喉が渇き続けである。おおかた今でも水と菓物を追っ懸(か)けて歩いてるだろう。——未来の管を覗くたびに、小野さんは、何だかタンタラスの子分のような気がする。それのみではない。時によると藤尾さんがつんと澄ましている事がある。長い眉(まゆ)を押しつけたように短かくして、屹(きっ)と睨(にら)めている事がある。柘榴石がぱっと燃えて、※(ほのお)のなかに、女の姿が、包まれながら消えて行く事がある。博士の二字がだんだん薄くなって剥(は)げながら暗くなる事がある。時計が遥(はる)かな天から隕石(いんせき)のように落ちて来て、割れる事がある。その時はぴしりと云う音がする。小野さんは詩人であるからいろいろな未来を描(えが)き出す。
 机の前に頬杖(ほおづえ)を突いて、色硝子(いろガラス)の一輪挿(いちりんざし)をぱっと蔽(おお)う椿(つばき)の花の奥に、小野さんは、例によって自分の未来を覗いている。幾通りもある未来のなかで今日は一層出来がわるい。
「この時計をあなたに上げたいんだけれどもと女が云う。どうか下さいと小野さんが手を出す。女がその手をぴしゃりと平手(ひらて)でたたいて、御気の毒様もう約束済ですと云う。じゃ時計は入りません、しかしあなたは……と聞くと、私? 私は無論時計にくっ付いているんですと向(むこう)をむいて、すたすた歩き出す」
 小野さんは、ここまで未来をこしらえて見たが、余り残刻(ざんこく)なのに驚いて、また最初から出直そうとして、少し痛くなり掛けた※(あご)を持ち上げると、障子(しょうじ)が、すうと開(あ)いて、御手紙ですと下女が封書を置いて行く。
「小野清三様」と子昂流(すごうりゅう)にかいた名宛(なあて)を見た時、小野さんは、急に両肱(りょうひじ)に力を入れて、机に持たした体(たい)を跳(は)ねるように後(うしろ)へ引いた。未来を覗く椿(つばき)の管(くだ)が、同時に揺れて、唐紅(からくれない)の一片(ひとひら)がロゼッチの詩集の上に音なしく落ちて来る。完(まった)き未来は、はや崩(くず)れかけた。
 小野さんは机に添えて左(ひだ)りの手を伸(の)したまま、顔を斜(なな)めに、受け取った封書を掌(てのひら)の上に遠くから眺(なが)めていたが、容易に裏を返さない。返さんでもおおかたの見当(けんとう)はついている。ついていればこそ返しにくい。返した暁に推察の通りであったなら、それこそ取り返しがつかぬ。かつて亀(かめのこ)に聞いた事がある。首を出すと打たれる。どうせ打たれるとは思いながら、出来るならばと甲羅(こうら)の中に立て籠(こも)る。打たれる運命を眼前に控えた間際(まぎわ)でも、一刻の首は一刻だけ縮めていたい。思うに小野さんは事実の判決を一寸(いっすん)に逃(のが)れる学士の亀であろう。亀は早晩首を出す。小野さんも今に封筒の裏を返すに違ない。
 良(やや)しばらく眺めていると今度は掌がむず痒(が)ゆくなる。一刻の安きを貪(むさぼ)った後(あと)は、安き思(おもい)を、なお安くするために、裏返して得心したくなる。小野さんは思い切って、封筒を机の上に逆(ぎゃく)に置いた。裏から井上孤堂(いのうえこどう)の四字が明かにあらわれる。白い状袋に墨を惜しまず肉太に記した草字(そうじ)は、小野さんの眼に、針の先を並べて植えつけたように紙を離れて飛びついて来た。
 小野さんは障(さわ)らぬ神に祟(たたり)なしと云う風で、両手を机から離す。ただ顔だけが机の上の手紙に向いている。しかし机と膝(ひざ)とは一尺の谷で縁が切れている。机から引き取った手は、ぐにゃりとして何だか肩から抜けて行きそうだ。
 封を切ろうか、切るまいか。だれか来て封を切れと云えば切らぬ理由を説明して、ついでに自分も安心する。しかし人を屈伏させないととうてい自分も屈伏させる事が出来ない。あやふやな柔術使は、一度往来で人を抛(な)げて見ないうちはどうも柔術家たる所以(ゆえん)を自分に証明する道がない。弱い議論と弱い柔術は似たものである。小野さんは京都以来の友人がちょっと遊びに来てくれればいいと思った。
 二階の書生がヴァイオリンを鳴らし始めた。小野さんも近日うちにヴァイオリンの稽古を始めようとしている。今日はそんな気もいっこう起らぬ。あの書生は呑気(のんき)で羨(うらやま)しいと思う。——椿の花片(はなびら)がまた一つ落ちた。
 一輪挿(いちりんざし)を持ったまま障子を開(あ)けて椽側(えんがわ)へ出る。花は庭へ棄(す)てた。水もついでにあけた。花活(はないけ)は手に持っている。実は花活もついでに棄てるところであった。花活を持ったまま椽側に立っている。檜(ひのき)がある。塀(へい)がある。向(むこう)に二階がある。乾きかけた庭に雨傘が干(ほ)してある。蛇(じゃ)の目の黒い縁(ふち)に落花(らっか)が二片(ふたひら)貼(へばり)ついている。その他いろいろある。ことごとく無意義にある。みんな器械的である。
 小野さんは重い足を引き擦(ず)ってまた部屋のなかへ這入(はい)って来た。坐らずに机の前に立っている。過去の節穴(ふしあな)がすうと開(あ)いて昔の歴史が細長く遠くに見える。暗い。その暗いなかの一点がぱっと燃え出した。動いて来る。小野さんは急に腰を屈(かが)めて手を伸ばすや否や封を切った。
[#ここから引用文、1字下げ]「拝啓柳暗花明(りゅうあんかめい)の好時節と相成候処いよいよ御壮健奉賀(がしたてまつり)候(そうろう)。小生も不相変(あいかわらず)頑強(がんきょう)、小夜(さよ)も息災に候えば、乍憚(はばかりながら)御休神可被下(くださるべく)候(そうろう)。さて旧臘(きゅうろう)中一寸申上候東京表へ転住の義、其後(そのご)色々の事情にて捗(はか)どりかね候所、此程に至り諸事好都合に埓(らち)あき、いよいよ近日中に断行の運びに至り候はずにつき左様御承知被下度(くだされたく)候(そうろう)。二十年前(ぜん)に其地を引き払い候儘、両度の上京に、五六日の逗留(とうりゅう)の外は、全く故郷の消息に疎(うと)く、万事不案内に候えば到着の上は定めて御厄介の事と存候。
「年来住み古(ふ)るしたる住宅は隣家蔦屋(つたや)にて譲り受け度旨(たきむね)申込(もうしこみ)有之(これあり)、其他にも相談の口はかかり候えども、此方(こちら)に取り極め申候。荷物其他嵩張(かさば)り候ものは皆当地にて売払い、なるべく手軽に引き移るつもりに御座候。唯小夜所持の琴(こと)一面は本人の希望により、東京迄持ち運び候事に相成候。故(ふる)きを棄てがたき婦女の心情御憐察可被下(くださるべく)候(そうろう)。
「御承知の通(とおり)小夜は五年前(ぜん)当地に呼び寄せ候迄、東京にて学校教育を受け候事とて切に転住の速(すみや)かなる事を希望致し居候。同人行末(ゆくすえ)の義に関しては大略御同意の事と存じ候えば別に不申述(もうしのべず)。追て其地にて御面会の上篤(とく)と御協議申上度と存候。
「博覧会にて御地は定めて雑沓(ざっとう)の事と存候。出立の節はなるべく急行の夜汽車を撰(えら)みたくと存じ候えども、急行は非常の乗客の由につき、一層(いっそ)途中にて一二泊の上ゆるゆる上京致すやも計りがたく候。時日刻限はいずれ確定次第御報可致(いたすべく)候(そうろう)。まずは右当用迄匆々(そうそう)不一」[#ここで引用文終わり]
 読み終った小野さんは、机の前に立ったままである。巻き納めぬ手紙は右の手からだらりと垂れて、清三様……孤堂とかいた端(はじ)が青いカシミヤの机掛の上に波を打って二三段に畳まれている。小野さんは自分の手元から半切れを伝わって机掛の白く染め抜かれているあたりまで順々に見下して行く。見下した眼の行き留(どま)った時、やむを得ず、睛(ひとみ)を転じてロゼッチの詩集を眺(なが)めた。詩集の表紙の上に散った二片(ふたひら)の紅(くれない)も眺めた。紅に誘われて、右の角(かど)に在るべき色硝子の一輪挿も眺めようとした。一輪挿はどこかへ行ってあらぬ。一昨日(おととい)挿した椿(つばき)は影も形もない。うつくしい未来を覗く管(くだ)が無くなった。
 小野さんは机の前へ坐った。力なく巻き納める恩人の手紙のなかから妙な臭が立ち上(のぼ)る。一種古ぼけた黴臭(かびくさ)いにおいが上る。過去のにおいである。忘れんとして躊躇(ちゅうちょ)する毛筋の末を引いて、細い縁(えにし)に、絶えるほどにつながるる今と昔を、面(ま)のあたりに結び合わす香(におい)である。
 半世の歴史を長き穂の心細きまで逆(さか)しまに尋ぬれば、溯(さかのぼ)るほどに暗澹(あんたん)となる。芽を吹く今の幹なれば、通わぬ脈の枯れ枝(え)の末に、錐(きり)の力の尖(とが)れるを幸(さいわい)と、記憶の命を突き透(とお)すは要なしと云わんよりむしろ無惨(むざん)である。ジェーナスの神は二つの顔に、後(うし)ろをも前をも見る。幸なる小野さんは一つの顔しか持たぬ。背(そびら)を過去に向けた上は、眼に映るは煕々(きき)たる前程のみである。後(うしろ)を向けばひゅうと北風が吹く。この寒い所をやっとの思いで斬り抜けた昨日今日(きのうきょう)、寒い所から、寒いものが追っ懸(か)けて来る。今まではただ忘れればよかった。未来の発展の暖く鮮(あざ)やかなるうちに、己(おの)れを捲(ま)き込んで、一歩でも過去を遠退(とおの)けばそれで済んだ。生きている過去も、死んだ過去のうちに静かに鏤(ちりばめ)られて、動くかとは掛念(けねん)しながらも、まず大丈夫だろうと、その日、その日に立ち退(の)いては、顧みるパノラマの長く連なるだけで、一点も動かぬに胸を撫(な)でていた。ところが、昔しながらとたかを括(くく)って、過去の管(くだ)を今さら覗いて見ると——動くものがある。われは過去を棄てんとしつつあるに、過去はわれに近づいて来る。逼(せま)って来る。静かなる前後と枯れ尽したる左右を乗り超(こ)えて、暗夜(やみよ)を照らす提灯(ちょうちん)の火のごとく揺れて来る、動いてくる。小野さんは部屋の中を廻り始めた。
 自然は自然を用い尽さぬ。極(きわ)まらんとする前に何事か起る。単調は自然の敵である。小野さんが部屋の中を廻り始めて半分(はんぷん)と立たぬうちに、障子(しょうじ)から下女の首が出た。
「御客様」と笑いながら云う。なぜ笑うのか要領を得ぬ。御早うと云っては笑い、御帰んなさいと云っては笑い、御飯ですと云っては笑う。人を見て妄(みだ)りに笑うものは必ず人に求むるところのある証拠である。この下女はたしかに小野さんからある報酬を求めている。
 小野さんは気のない顔をして下女を見たのみである。下女は失望した。
「通しましょうか」
 小野さんは「え、うん」と判然しない返事をする。下女はまた失望した。下女がむやみに笑うのは小野さんに愛嬌(あいきょう)があるからである。愛嬌のない御客は下女から見ると半文(はんもん)の価値もない。小野さんはこの心理を心得ている。今日(こんにち)まで下女の人望を繋(つな)いだのも全くこの自覚に基(もと)づく。小野さんは下女の人望をさえ妄(みだ)りに落す事を好まぬほどの人物である。
 同一の空間は二物によって同時に占有せらるる事能(あた)わずと昔(むか)しの哲学者が云った。愛嬌と不安が同時に小野さんの脳髄に宿る事はこの哲学者の発明に反する。愛嬌が退(の)いて不安が這入(はい)る。下女は悪(わ)るいところへぶつかった。愛嬌が退いて不安が這入る。愛嬌が附焼刃(つけやきば)で不安が本体だと思うのは偽哲学者である。家主(いえぬし)が這入るについて、愛嬌が示談(じだん)の上、不安に借家を譲り渡したまでである。それにしても小野さんは悪るいところを下女に見られた。
「通してもいいんですか」
「うん、そうさね」
「御留守だって云いましょうか」
「誰だい」
「浅井さん」
「浅井か」
「御留守?」
「そうさね」
「御留守になさいますか」
「どう、しようか知ら」
「どっち、でも」
逢(あ)おうかな」
「じゃ、通しましょう」
「おい、ちょっと、待った。おい」
「何です」
「ああ、好(い)い。好(よ)し好し」
 友達には逢いたい時と、逢いたくない時とある。それが判然すれば何の苦もない。いやなら留守を使えば済む。小野さんは先方の感情を害せぬ限りは留守を使う勇気のある男である。ただ困るのは逢いたくもあり、逢いたくもなくて、前へ行ったり後(うし)ろへ戻ったりして下女にまで馬鹿にされる時である。
 往来で人と往き合う事がある。双方でちょっと体(たい)を交(か)わせば、それぎりで御互にもとの通り、あかの他人となる。しかし時によると両方で、同じ右か、同じ左りへ避(よ)ける。これではならぬと反対の側へ出ようと、足元を取り直すとき、向うもこれではならぬと気を換(か)えて反対へ出る。反対と反対が鉢合(はちあわ)せをして、おいしまったと心づいて、また出直すと、同時同刻に向うでも同様に出直してくる。両人は出直そうとしては出遅れ、出遅れては出直そうとして、柱時計の振子(ふりこ)のようにこっち、あっちと迷い続けに迷うてくる。しまいには双方で双方を思い切りの悪(わ)るい野郎だと悪口(わるくち)が云いたくなる。人望のある小野さんは、もう少しで下女に思い切りの悪るい野郎だと云われるところであった。
 そこへ浅井君が這入(はい)ってくる。浅井君は京都以来の旧友である。茶の帽子のいささか崩れかかったのを、右の手で圧(お)し潰(つぶ)すように握って、畳の上へ抛(ほう)り出すや否や
「ええ天気だな」と胡坐(あぐら)をかく。小野さんは天気の事を忘れていた。
「いい天気だね」
「博覧会へ行ったか」
「いいや、まだ行かない」
「行って見い、面白いぜ。昨日(きのう)行っての、アイスクリームを食うて来た」
「アイスクリーム? そう、昨日はだいぶ暑かったからね」
「今度は露西亜(ロシア)料理を食いに行くつもりだ。どうだいっしょに行かんか」
「今日かい」
「うん今日でもいい」
「今日は、少し……」
「行かんか。あまり勉強すると病気になるぞ。早く博士になって、美しい嫁さんでも貰おうと思うてけつかる。失敬な奴ちゃ」
「なにそんな事はない。勉強がちっとも出来なくって困る」
「神経衰弱だろう。顔色が悪いぞ」
「そうか、どうも心持ちがわるい」
「そうだろう。井上の御嬢さんが心配する、早く露西亜(ロシア)料理でも食うて、好うならんと」
「なぜ」
「なぜって、井上の御嬢さんは東京へ来るんだろう」
「そうか」
「そうかって、君の所へは無論通知が来たはずじゃ」
「君の所へは来たかい」
「うん、来た。君の所へは来んのか」
「いえ来た事は来たがね」
「いつ来たか」
「もう少し先刻(さっき)だった」
「いよいよ結婚するんだろう」
「なにそんな事があるものか」
「せんのか、なぜ?」
「なぜって、そこにはだんだん深い事情があるんだがね」
「どんな事情が」
「まあ、それはおって緩(ゆ)っくり話すよ。僕も井上先生には大変世話になったし、僕の力で出来る事は何でも先生のためにする気なんだがね。結婚なんて、そう思う通りに急に出来るものじゃないさ」
「しかし約束があるんだろう」
「それがね、いつか君にも話そう話そうと思っていたんだが、——僕は実に先生には同情しているんだよ」
「そりゃ、そうだろう」
「まあ、先生が出て来たら緩(ゆっ)くり話そうと思うんだね。そう向うだけで一人(ひとり)ぎめにきめていても困るからね」
「どんなに一人できめているんだい」
「きめているらしいんだね、手紙の様子で見ると」
「あの先生も随分昔堅気(むかしかたぎ)だからな」
「なかなか自分できめた事は動かない。一徹(いってつ)なんだ」
「近頃は家計(くらし)の方も余りよくないんだろう」
「どうかね。そう困りもしまい」
「時に何時(なんじ)かな、君ちょっと時計を見てくれ」
「二時十六分だ」
「二時十六分?——それが例の恩賜の時計か」
「ああ」
旨(うま)い事をしたなあ。僕も貰って置けばよかった。こう云うものを持っていると世間の受けがだいぶ違うな」
「そう云う事もあるまい」
「いやある。何しろ天皇陛下が保証して下さったんだからたしかだ」
「君これからどこかへ行くのかい」
「うん、天気がいいから遊ぶんだ。どうだいっしょに行かんか」
「僕は少し用があるから——しかしそこまでいっしょに出よう」
 門口(かどぐち)で分れた小野さんの足は甲野の邸に向った。

        五

 山門を入る事一歩にして、古き世の緑(みど)りが、急に左右から肩を襲う。自然石(じねんせき)の形状(かたち)乱れたるを幅一間に行儀よく並べて、錯落(さくらく)と平らかに敷き詰めたる径(こみち)に落つる足音は、甲野(こうの)さんと宗近(むねちか)君の足音だけである。
 一条(いちじょう)の径の細く直(すぐ)なるを行き尽さざる此方(こなた)から、石に眼を添えて遥(はる)かなる向うを極(きわ)むる行き当りに、仰(あお)げば伽藍(がらん)がある。木賊葺(とくさぶき)の厚板が左右から内輪にうねって、大(だい)なる両の翼を、険(けわ)しき一本の背筋(せすじ)にあつめたる上に、今一つ小さき家根(やね)が小さき翼を伸(の)して乗っかっている。風抜(かざぬ)きか明り取りかと思われる。甲野さんも、宗近君もこの精舎(しょうじゃ)を、もっとも趣きある横側の角度から同時に見上げた。
「明かだ」と甲野さんは杖(つえ)を停(とど)めた。
「あの堂は木造でも容易に壊す事が出来ないように見える」
「つまり恰好(かっこう)が旨(うま)くそう云う風に出来てるんだろう。アリストートルのいわゆる理形(フォーム)に適(かな)ってるのかも知れない」
「だいぶむずかしいね。——アリストートルはどうでも構わないが、この辺の寺はどれも、一種妙な感じがするのは奇体だ」
舟板塀(ふないたべい)趣味(しゅみ)や御神灯(ごじんとう)趣味(しゅみ)とは違うさ。夢窓国師(むそうこくし)が建てたんだもの」
「あの堂を見上げて、ちょっと変な気になるのは、つまり夢窓国師になるんだな。ハハハハ。夢窓国師も少しは話せらあ」
「夢窓国師や大燈国師になるから、こんな所を逍遥(しょうよう)する価値があるんだ。ただ見物したって何になるもんか」
「夢窓国師も家根(やね)になって明治まで生きていれば結構だ。安直(あんちょく)な銅像よりよっぽどいいね」
「そうさ、一目瞭然(いちもくりょうぜん)だ」
「何が」
「何がって、この境内(けいだい)の景色(けしき)がさ。ちっとも曲っていない。どこまでも明らかだ」
「ちょうどおれのようだな。だから、おれは寺へ這入(はい)ると好い気持ちになるんだろう」
「ハハハそうかも知れない」
「して見ると夢窓国師がおれに似ているんで、おれが夢窓国師に似ているんじゃない」
「どうでも、好いさ。——まあ、ちっと休もうか」と甲野さんは蓮池(れんち)に渡した石橋(せっきょう)の欄干(らんかん)に尻をかける。欄干の腰には大きな三階松(さんがいまつ)が三寸の厚さを透(す)かして水に臨んでいる。石には苔(こけ)の斑(ふ)が薄青く吹き出して、灰を交えた紫(むらさき)の質に深く食い込む下に、枯蓮(かれはす)の黄(き)な軸(じく)がすいすいと、去年の霜(しも)を弥生(やよい)の中に突き出している。
 宗近君は燐寸(マッチ)を出して、煙草(たばこ)を出して、しゅっと云わせた燃え残りを池の水に棄てる。
「夢窓国師はそんな悪戯(いたずら)はしなかった」と甲野さんは、※(あご)の先に、両手で杖(つえ)の頭(かしら)を丁寧に抑えている。
「それだけ、おれより下等なんだ。ちっと宗近国師の真似(まね)をするが好い」
「君は国師より馬賊になる方がよかろう」
「外交官の馬賊は少し変だから、まあ正々堂々と北京(ペキン)へ駐在する事にするよ」
「東洋専門の外交官かい」
「東洋の経綸さ。ハハハハ。おれのようなのはとうてい西洋には向きそうもないね。どうだろう、それとも修業したら、君の阿爺(おやじ)ぐらいにはなれるだろうか」
「阿爺のように外国で死なれちゃ大変だ」
「なに、あとは君に頼むから構わない」
「いい迷惑だね」
「こっちだってただ死ぬんじゃない、天下国家のために死ぬんだから、そのくらいな事はしてもよかろう」
「こっちは自分一人を持て余しているくらいだ」
「元来、君は我儘(わがまま)過ぎるよ。日本と云う考が君の頭のなかにあるかい」
 今までは真面目の上に冗談(じょうだん)の雲がかかっていた。冗談の雲はこの時ようやく晴れて、下から真面目が浮き上がって来る。
「君は日本の運命を考えた事があるのか」と甲野さんは、杖の先に力を入れて、持たした体を少し後(うし)ろへ開いた。
「運命は神の考えるものだ。人間は人間らしく働けばそれで結構だ。日露戦争を見ろ」
「たまたま風邪(かぜ)が癒(なお)れば長命だと思ってる」
「日本が短命だと云うのかね」と宗近君は詰め寄せた。
「日本と露西亜(ロシア)の戦争じゃない。人種と人種の戦争だよ」
「無論さ」
亜米利加(アメリカ)を見ろ、印度(インド)を見ろ、亜弗利加(アフリカ)を見ろ」
「それは叔父さんが外国で死んだから、おれも外国で死ぬと云う論法だよ」
「論より証拠誰でも死ぬじゃないか」
「死ぬのと殺されるのとは同じものか」
「大概は知らぬ間(ま)に殺されているんだ」
 すべてを爪弾(つまはじ)きした甲野さんは杖の先で、とんと石橋(せっきょう)を敲(たた)いて、ぞっとしたように肩を縮める。宗近君はぬっと立ち上がる。
「あれを見ろ。あの堂を見ろ。峩山(がざん)と云う坊主は一椀の托鉢(たくはつ)だけであの本堂を再建したと云うじゃないか。しかも死んだのは五十になるか、ならんうちだ。やろうと思わなければ、横に寝(ね)た箸(はし)を竪(たて)にする事も出来ん」
「本堂より、あれを見ろ」と甲野さんは欄干に腰をかけたまま、反対の方角を指す。
 世界を輪切りに立て切った、山門の扉を左右に颯(さっ)と開(ひら)いた中を、——赤いものが通る、青いものが通る。女が通る。小供が通る。嵯峨(さが)の春を傾けて、京の人は繽紛絡繹(ひんぷんらくえき)と嵐山(らんざん)に行く。「あれだ」と甲野さんが云う。二人はまた色の世界に出た。
 天竜寺(てんりゅうじ)の門前を左へ折れれば釈迦堂(しゃかどう)で右へ曲れば渡月橋(とげつきょう)である。京は所の名さえ美しい。二人は名物と銘打った何やらかやらをやたらに並べ立てた店を両側に見て、停車場(ステーション)の方へ旅衣(たびごろも)七日(なのか)余りの足を旅心地に移す。出逢うは皆京の人である。二条(にじょう)から半時(はんとき)ごとに花時を空(あだ)にするなと仕立てる汽車が、今着いたばかりの好男子好女子をことごとく嵐山の花に向って吐き送る。
「美しいな」と宗近君はもう天下の大勢(たいせい)を忘れている。京ほどに女の綺羅(きら)を飾る所はない。天下の大勢も、京女(きょうおんな)の色には叶(かな)わぬ。
「京都のものは朝夕都踊りをしている。気楽なものだ」
「だから小野的だと云うんだ」
「しかし都踊はいいよ」
悪(わ)るくないね。何となく景気がいい」
「いいえ。あれを見るとほとんど異性(セックス)の感がない。女もあれほどに飾ると、飾りまけがして人間の分子が少なくなる」
「そうさその理想の極端は京人形だ。人形は器械だけに厭味(いやみ)がない」
「どうも淡粧(あっさり)して、活動する奴が一番人間の分子が多くって危険だ」
「ハハハハいかなる哲学者でも危険だろうな。ところが都踊となると、外交官にも危険はない。至極(しごく)御同感だ。御互に無事な所へ遊びに来てまあ善(よ)かったよ」
「人間の分子も、第一義が活動すると善いが、どうも普通は第十義ぐらいがむやみに活動するから厭(いや)になっちまう」
「御互は第何義ぐらいだろう」
「御互になると、これでも人間が上等だから、第二義、第三義以下には出ないね」
「これでかい」
「云う事はたわいがなくっても、そこに面白味がある」
「ありがたいな。第一義となると、どんな活動だね」
「第一義か。第一義は血を見ないと出て来ない」
「それこそ危険だ」
「血でもってふざけた了見(りょうけん)を洗った時に、第一義が躍然とあらわれる。人間はそれほど軽薄なものなんだよ」
「自分の血か、人の血か」
 甲野さんは返事をする代りに、売店に陳(なら)べてある、抹茶茶碗(まっちゃぢゃわん)を見始めた。土を捏(こ)ねて手造りにしたものか、棚三段を尽くして、あるものはことごとくとぼけ[#「とぼけ」に傍点]ている。
「そんなとぼけ[#「とぼけ」に傍点]た奴は、いくら血で洗ったって駄目だろう」と宗近君はなおまつわって来る。
「これは……」と甲野さんが茶碗の一つを取り上げて眺(なが)めている袖(そで)を、宗近君は断わりもなく、力任せにぐいと引く。茶碗は土間の上で散々に壊れた。
「こうだ」と甲野さんが壊れた片(かけ)を土の上に眺めている。
「おい、壊れたか。壊れたって、そんなものは構わん。ちょっとこっちを見ろ。早く」
 甲野さんは土間の敷居を跨(また)ぐ。「何だ」と天竜寺の方を振り返る向うは例の京人形の後姿がぞろぞろ行くばかりである。
「何だ」と甲野さんは聞き直す。
「もう行ってしまった。惜しい事をした」
「何が行ってしまったんだ」
「あの女がさ」
「あの女とは」
「隣りのさ」
「隣りの?」
「あの琴(こと)の主さ。君が大いに見たがった娘さ。せっかく見せてやろうと思ったのに、下らない茶碗なんかいじくっているもんだから」
「そりゃ惜しい事をした。どれだい」
「どれだか、もう見えるものかね」
「娘も惜しいがこの茶碗は無残(むざん)な事をした。罪は君にある」
「有ってたくさんだ。そんな茶碗は洗ったくらいじゃ追(おっ)つかない。壊してしまわなけりゃ直らない厄介物(やっかいぶつ)だ。全体茶人の持ってる道具ほど気に食わないものはない。みんな、ひねくれている。天下の茶器をあつめてことごとく敲(たた)き壊してやりたい気がする。何ならついでだからもう一つ二つ茶碗を壊して行こうじゃないか」
「ふうん、一個何銭ぐらいかな」
 二人は茶碗の代を払って、停車場(ステーション)へ来る。
 浮かれ人を花に送る京の汽車は嵯峨(さが)より二条(にじょう)に引き返す。引き返さぬは山を貫いて丹波(たんば)へ抜ける。二人は丹波行の切符を買って、亀岡(かめおか)に降りた。保津川(ほづがわ)の急湍(きゅうたん)はこの駅より下(くだ)る掟(おきて)である。下るべき水は眼の前にまだ緩(ゆる)く流れて碧油(へきゆう)の趣(おもむき)をなす。岸は開いて、里の子の摘(つ)む土筆(つくし)も生える。舟子(ふなこ)は舟を渚(なぎさ)に寄せて客を待つ。
「妙な舟だな」と宗近君が云う。底は一枚板の平らかに、舷(こべり)は尺と水を離れぬ。赤い毛布(けっと)に煙草盆を転がして、二人はよきほどの間隔に座を占める。
「左へ寄っていやはったら、大丈夫どす、波はかかりまへん」と船頭が云う。船頭の数(かず)は四人である。真っ先なるは、二間の竹竿(たけざお)、続(つ)づく二人は右側に櫂(かい)、左に立つは同じく竿である。
 ぎいぎいと櫂(かい)が鳴る。粗削(あらけず)りに平(たいら)げたる樫(かし)の頸筋(くびすじ)を、太い藤蔓(ふじづる)に捲(ま)いて、余る一尺に丸味を持たせたのは、両の手にむんずと握る便りである。握る手の節(ふし)の隆(たか)きは、真黒きは、松の小枝に青筋を立てて、うんと掻(か)く力の脈を通わせたように見える。藤蔓に頸根(くびね)を抑えられた櫂が、掻(か)くごとに撓(しわ)りでもする事か、強(こわ)き項(うなじ)を真直(ますぐ)に立てたまま、藤蔓と擦(す)れ、舷と擦れる。櫂は一掻ごとにぎいぎいと鳴る。
 岸は二三度うねりを打って、音なき水を、停(とど)まる暇なきに、前へ前へと送る。重(かさ)なる水の蹙(しじま)って行く、頭(こうべ)の上には、山城(やましろ)を屏風(びょうぶ)と囲う春の山が聳(そび)えている。逼(せま)りたる水はやむなく山と山の間に入る。帽に照る日の、たちまちに影を失うかと思えば舟は早くも山峡(さんきょう)に入る。保津の瀬はこれからである。
「いよいよ来たぜ」と宗近君は船頭の体(たい)を透(す)かして岩と岩の逼(せま)る間を半丁の向(むこう)に見る。水はごうと鳴る。
「なるほど」と甲野さんが、舷(ふなばた)から首を出した時、船ははや瀬の中に滑(すべ)り込んだ。右側の二人はすわと波を切る手を緩(ゆる)める。櫂(かい)は流れて舷に着く。舳(へさき)に立つは竿(さお)を横(よこた)えたままである。傾(かた)むいて矢のごとく下る船は、どどどと刻(きざ)み足に、船底に据えた尻に響く。壊(こ)われるなと気がついた時は、もう走る瀬を抜けだしていた。
「あれだ」と宗近君が指(ゆびさ)す後(うし)ろを見ると、白い泡(あわ)が一町ばかり、逆(さ)か落しに噛(か)み合って、谷を洩(も)る微(かす)かな日影を万顆(ばんか)の珠(たま)と我勝(われがち)に奪い合っている。
壮(さか)んなものだ」と宗近君は大いに御意(ぎょい)に入った。
「夢窓国師とどっちがいい」
「夢窓国師よりこっちの方がえらいようだ」
 船頭は至極(しごく)冷淡である。松を抱く巌(いわ)の、落ちんとして、落ちざるを、苦にせぬように、櫂を動かし来り、棹(さお)を操(あやつ)り去る。通る瀬はさまざまに廻(めぐ)る。廻るごとに新たなる山は当面に躍(おど)り出す。石山、松山、雑木山(ぞうきやま)と数うる遑(いとま)を行客(こうかく)に許さざる疾(と)き流れは、船を駆(か)ってまた奔湍(ほんたん)に躍り込む。
 大きな丸い岩である。苔(こけ)を畳む煩(わずら)わしさを避けて、紫(むらさき)の裸身(はだかみ)に、撃(う)ちつけて散る水沫(しぶき)を、春寒く腰から浴びて、緑り崩(くず)るる真中に、舟こそ来れと待つ。舟は矢(や)も楯(たて)も物かは。一図(いちず)にこの大岩を目懸けて突きかかる。渦捲(うずま)いて去る水の、岩に裂かれたる向うは見えず。削(けず)られて坂と落つる川底の深さは幾段か、乗る人のこなたよりは不可思議の波の行末(ゆくえ)である。岩に突き当って砕けるか、捲(ま)き込まれて、見えぬ彼方(かなた)にどっと落ちて行くか、——舟はただまともに進む。
「当るぜ」と宗近君が腰を浮かした時、紫の大岩は、はやくも船頭の黒い頭を圧して突っ立った。船頭は「うん」と舳に気合を入れた。舟は砕けるほどの勢いに、波を呑(の)む岩の太腹に潜(もぐ)り込む。横たえた竿は取り直されて、肩より高く両の手が揚(あ)がると共に舟はぐうと廻った。この獣奴(けだものめ)と突き離す竿の先から、岩の裾(すそ)を尺も余さず斜めに滑って、舟は向うへ落ち出した。
「どうしても夢窓国師より上等だ」と宗近君は落ちながら云う。
 急灘(きゅうなん)を落ち尽すと向(むこう)から空舟(からふね)が上(のぼ)ってくる。竿も使わねば、櫂は無論の事である。岩角に突っ張った懸命の拳(こぶし)を収めて、肩から斜めに目暗縞(めくらじま)を掠(から)めた細引縄に、長々と谷間伝いを根限り戻り舟を牽(ひ)いて来る。水行くほかに尺寸(せきすん)の余地だに見出(みいだ)しがたき岸辺を、石に飛び、岩に這(は)うて、穿(は)く草鞋(わらんじ)の滅(め)り込むまで腰を前に折る。だらりと下げた両の手は塞(せ)かれて注(そそ)ぐ渦の中に指先を浸(ひた)すばかりである。うんと踏ん張る幾世(いくよ)の金剛力に、岩は自然(じねん)と擦(す)り減って、引き懸けて行く足の裏を、安々と受ける段々もある。長い竹をここ、かしこと、岩の上に渡したのは、牽綱(ひきづな)をわが勢に逆(さから)わぬほどに、疾(と)く滑(すべ)らすための策(はかりごと)と云う。
「少しは穏(おだや)かになったね」と甲野さんは左右の岸に眼を放つ。踏む角も見えぬ切っ立った山の遥(はる)かの上に、鉈(なた)の音が丁々(ちょうちょう)とする。黒い影は空高く動く。
「まるで猿だ」と宗近君は咽喉仏(のどぼとけ)を突き出して峰を見上げた。
慣(な)れると何でもするもんだね」と相手も手を翳(かざ)して見る。
「あれで一日働いて若干(いくら)になるだろう」
「若干になるかな」
「下から聞いて見(み)ようか」
「この流れは余り急過ぎる。少しも余裕がない。のべつに駛(はし)っている。所々にこう云う場所がないとやはり行かんね」
「おれは、もっと、駛りたい。どうも、さっきの岩の腹を突いて曲がった時なんか実に愉快だった。願(ねがわ)くは船頭の棹(さお)を借りて、おれが、舟を廻したかった」
「君が廻せば今頃は御互に成仏(じょうぶつ)している時分だ」
「なに、愉快だ。京人形を見ているより愉快じゃないか」
「自然は皆第一義で活動しているからな」
「すると自然は人間の御手本だね」
「なに人間が自然の御手本さ」
「それじゃやっぱり京人形党だね」
「京人形はいいよ。あれは自然に近い。ある意味において第一義だ。困るのは……」
「困るのは何だい」
「大抵困るじゃないか」と甲野さんは打ち遣(や)った。
「そう困った日にゃ方(ほう)が付かない。御手本が無くなる訳だ」
「瀬を下って愉快だと云うのは御手本があるからさ」
「おれにかい」
「そうさ」
「すると、おれは第一義の人物だね」
「瀬を下ってるうちは、第一義さ」
「下ってしまえば凡人か。おやおや」
「自然が人間を翻訳する前に、人間が自然を翻訳するから、御手本はやっぱり人間にあるのさ。瀬を下って壮快なのは、君の腹にある壮快が第一義に活動して、自然に乗り移るのだよ。それが第一義の翻訳で第一義の解釈だ」
肝胆相照(かんたんあいて)らすと云うのは御互に第一義が活動するからだろう」
「まずそんなものに違(ちがい)ない」
「君に肝胆相照らす場合があるかい」
 甲野さんは黙然(もくねん)として、船の底を見詰めた。言うものは知らずと昔(むか)し老子が説いた事がある。
「ハハハハ僕は保津川(ほづがわ)と肝胆相照らした訳だ。愉快愉快」と宗近君は二たび三たび手を敲(たた)く。
 乱れ起る岩石を左右に※(めぐ)る流は、抱(いだ)くがごとくそと割れて、半ば碧(みど)りを透明に含む光琳波(こうりんなみ)が、早蕨(さわらび)に似たる曲線を描(えが)いて巌角(いわかど)をゆるりと越す。河はようやく京に近くなった。
「その鼻を廻ると嵐山(らんざん)どす」と長い棹(さお)を舷(こべり)のうちへ挿(さ)し込んだ船頭が云う。鳴る櫂(かい)に送られて、深い淵(ふち)を滑(すべ)るように抜け出すと、左右の岩が自(おのずか)ら開いて、舟は大悲閣(だいひかく)の下(もと)に着いた。
 二人は松と桜と京人形の群(むら)がるなかに這(は)い上がる。幕と連(つら)なる袖(そで)の下を掻(か)い潜(く)ぐって、松の間を渡月橋に出た時、宗近君はまた甲野さんの袖をぐいと引いた。
 赤松の二抱(ふたかかえ)を楯(たて)に、大堰(おおい)の波に、花の影の明かなるを誇る、橋の袂(たもと)の葭簀茶屋(よしずぢゃや)に、高島田が休んでいる。昔しの髷(まげ)を今の世にしばし許せと被(かぶ)る瓜実顔(うりざねがお)は、花に臨んで風に堪(た)えず、俯目(ふしめ)に人を避けて、名物の団子を眺(なが)めている。薄く染めた綸子(りんず)の被布(ひふ)に、正しく膝を組み合せたれば、下に重ねる衣(きぬ)の色は見えぬ。ただ襟元(えりもと)より燃え出ずる何の模様の半襟かが、すぐ甲野さんの眼に着いた。
「あれだよ」
「あれが?」
「あれが琴(こと)を弾(ひ)いた女だよ。あの黒い羽織は阿爺(おやじ)に違ない」
「そうか」
「あれは京人形じゃない。東京のものだ」
「どうして」
「宿の下女がそう云った」
 瓢箪(ひょうたん)に酔(えい)を飾る三五の癡漢(うつけもの)が、天下の高笑(たかわらい)に、腕を振って後(うし)ろから押して来る。甲野さんと宗近さんは、体(たい)を斜めにえらがる人を通した。色の世界は今が真(ま)っ盛(さか)りである。

        六

 丸顔に愁(うれい)少し、颯(さっ)と映(うつ)る襟地(えりじ)の中から薄鶯(うすうぐいす)の蘭(らん)の花が、幽(かすか)なる香(か)を肌に吐いて、着けたる人の胸の上にこぼれかかる。糸子(いとこ)はこんな女である。
 人に示すときは指を用いる。四つを掌(たなごころ)に折って、余る第二指のありたけにあれぞと指(さ)す時、指す手はただ一筋の紛(まぎ)れなく明らかである。五本の指をあれ見よとことごとく伸ばすならば、西東は当るとも、当ると思わるる感じは鈍くなる。糸子は五指を並べたような女である。受ける感じが間違っているとは云えぬ。しかし変だ。物足らぬとは指点(さ)す指の短かきに過ぐる場合を云う。足り余るとは指点(さ)す指の長きに失する時であろう。糸子は五指を同時に並べたような女である。足るとも云えぬ。足り余るとも評されぬ。
 人に指点(さ)す指の、細(ほっ)そりと爪先(つまさき)に肉を落すとき、明かなる感じは次第に爪先に集まって焼点(しょうてん)を構成(かたちづく)る。藤尾(ふじお)の指は爪先の紅(べに)を抜け出でて縫針の尖(と)がれるに終る。見るものの眼は一度に痛い。要領を得ぬものは橋を渡らぬ。要領を得過ぎたものは欄干(らんかん)を渡る。欄干を渡るものは水に落ちる恐れがある。
 藤尾と糸子は六畳の座敷で五指と針の先との戦争をしている。すべての会話は戦争である。女の会話はもっとも戦争である。
「しばらく御目に懸(かか)りませんね。よくいらしった事」と藤尾は主人役に云う。
「父一人で忙がしいものですから、つい御無沙汰(ごぶさた)をして……」
「博覧会へもいらっしゃらないの」
「いいえ、まだ」
向島(むこうじま)は」
「まだどこへも行かないの」
 宅(うち)にばかりいて、よくこう満足していられると藤尾が思う。——糸子の眼尻には答えるたびに笑の影が翳(さ)す。
「そんなに御用が御在(おあ)りなの」
「なに大した用じゃないんですけれども……」
 糸子の答は大概半分で切れてしまう。
「少しは出ないと毒ですよ。春は一年に一度しか来ませんわ」
「そうね。わたしもそう思ってるんですけれども……」
「一年に一度だけれども、死ねば今年ぎりじゃあありませんか」
「ホホホホ死んじゃつまらないわね」
 二人の会話は互に、死と云う字を貫いて、左右に飛び離れた。上野は浅草へ行く路(みち)である。同時に日本橋へ行く路である。藤尾は相手を墓の向側(むこうがわ)へ連れて行こうとした。相手は墓に向側のある事さえ知らなかった。
「今に兄が御嫁でも貰ったら、出てあるきますわ」と糸子が云う。家庭的の婦女は家庭的の答えをする。男の用を足すために生れたと覚悟をしている女ほど憐れなものはない。藤尾は内心にふんと思った。この眼は、この袖(そで)は、この詩とこの歌は、鍋(なべ)、炭取の類(たぐい)ではない。美くしい世に動く、美しい影である。実用の二字を冠(かむ)らせられた時、女は——美くしい女は——本来の面目を失って、無上の侮辱を受ける。
一(はじめ)さんは、いつ奥さんを御貰いなさるおつもりなんでしょう」と話しだけは上滑(うわすべり)をして前へ進む。糸子は返事をする前に顔を揚(あ)げて藤尾を見た。戦争はだんだん始まって来る。
「いつでも、来て下さる方があれば貰うだろうと思いますの」
 今度は藤尾の方で、返事をする前に糸子を眤(じっ)と見る。針は真逆(まさか)の用意に、なかなか瞳(ひとみ)の中(うち)には出て来ない。
「ホホホホどんな立派な奥さんでも、すぐ出来ますわ」
「本当にそうなら、いいんですが」と糸子は半分ほど裏へ絡(から)まってくる。藤尾はちょっと逃げて置く必要がある。
「どなたか心当りはないんですか。一(はじめ)さんが貰うときまれば本気に捜(さ)がしますよ」
 黐竿(もちざお)は届いたか、届かないか、分らぬが、鳥は確かに逃げたようだ。しかしもう一歩進んで見る必要がある。
「ええ、どうぞ捜がしてちょうだい、私の姉さんのつもりで」
 糸子は際(きわ)どいところを少し出過ぎた。二十世紀の会話は巧妙なる一種の芸術である。出ねば要領を得ぬ。出過ぎるとはたかれる。
「あなたの方が姉さんよ」と藤尾は向うで入れる捜索(さぐり)の綱を、ぷつりと切って、逆(さか)さまに投げ帰した。糸子はまだ悟らぬ。
「なぜ?」と首を傾ける。
 放つ矢のあたらぬはこちらの不手際(ふてぎわ)である。あたったのに手答(てごたえ)もなく装(よそお)わるるは不器量(ふきりょう)である。女は不手際よりは不器量を無念に思う。藤尾はちょっと下唇を噛(か)んだ。ここまで推(お)して来て停(とど)まるは、ただ勝つ事を知る藤尾には出来ない。
「あなたは私(わたし)の姉さんになりたくはなくって」と、素知らぬ顔で云う。
「あらっ」と糸子の頬に吾(われ)を忘れた色が出る。敵はそれ見ろと心の中(うち)で冷笑(あざわら)って引き上げる。
 甲野(こうの)さんと宗近(むねちか)君と相談の上取りきめた格言に云う。——第一義において活動せざるものは肝胆相照らすを得ずと。両人(ふたり)の妹は肝胆の外廓(そとぐるわ)で戦争をしている。肝胆の中に引き入れる戦争か、肝胆の外に追っ払う戦争か。哲学者は二十世紀の会話を評して肝胆相曇らす戦争と云った。
 ところへ小野さんが来る。小野さんは過去に追い懸(か)けられて、下宿の部屋のなかをぐるぐると廻った。何度廻っても逃げ延びられそうもない時、過去の友達に逢って、過去と現在との調停を試みた。調停は出来たような、出来ないような訳で、自己は依然として不安の状態にある。度胸を据えて、追っ懸けてくるものを取(と)っ押(つかま)える勇気は無論ない。小野さんはやむを得ず、未来を望んで馳(か)け込んで来た。袞竜(こんりょう)の袖に隠れると云う諺(ことわざ)がある。小野さんは未来の袖に隠れようとする。
 小野さんは蹌々踉々(そうそうろうろう)として来た。ただ蹌々踉々の意味を説明しがたいのが残念である。
「どうか、なすったの」と藤尾が聞いた。小野さんは心配の上に被(き)せる従容(しょうよう)の紋付を、まだ誂(あつら)えていない。二十世紀の人は皆この紋付(もんつき)を二三着ずつ用意すべしと先の哲学者が述べた事がある。
「大変御顔の色が悪い事ね」と糸子が云った。便(たよ)る未来が戈(ほこ)を逆(さかし)まにして、過去をほじり出そうとするのは情(なさ)けない。
「二三日寝られないんです」
「そう」と藤尾が云う。
「どう、なすって」と糸子が聞く。
「近頃論文を書いていらっしゃるの。——ねえそれででしょう」と藤尾が答弁と質問を兼ねた言葉使いをする。
「ええ」と小野さんは渡りに舟の返事をした。小野さんは、どんな舟でも御乗んなさいと云われれば、乗らずにはいられない。大抵(たいてい)の嘘(うそ)は渡頭(ととう)の舟である。あるから乗る。
「そう」と糸子は軽く答える。いかなる論文を書こうと家庭的の女子は関係しない。家庭的の女子はただ顔色の悪いところだけが気にかかる。
「卒業なすっても御忙いのね」
「卒業して銀時計を御頂きになったから、これから論文で金時計を御取りになるんですよ」
「結構ね」
「ねえ、そうでしょう。ねえ、小野さん」
 小野さんは微笑した。
「それじゃ、兄やこちらの欽吾(きんご)さんといっしょに京都へ遊びにいらっしゃらないはずね。——兄なんぞはそりゃ呑気(のんき)よ。少し寝られなくなればいいと思うわ」
「ホホホホそれでも家(うち)の兄より好いでしょう」
「欽吾さんの方がいくら好いか分かりゃしない」と糸子さんは、半分無意識に言って退(の)けたが、急に気がついて、羽二重(はぶたえ)の手巾(ハンケチ)を膝の上でくちゃくちゃに丸めた。
「ホホホホ」
 唇の動く間から前歯の角(かど)を彩(いろ)どる金の筋がすっと外界に映(うつ)る。敵は首尾よくわが術中に陥(おちい)った。藤尾は第二の凱歌を揚げる。
「まだ京都から御音信(おたより)はないですか」と今度は小野さんが聞き出した。
「いいえ」
「だって端書(はがき)ぐらい来そうなものですね」
「でも鉄砲玉だって云うじゃありませんか」
「だれがです」
「ほら、この間、母がそう云ったでしょう。二人共鉄砲玉だって——糸子さん、ことに宗近は大の鉄砲玉ですとさ」
「だれが? 御叔母(おば)さんが? 鉄砲玉でたくさんよ。だから早く御嫁を持たしてしまわないとどこへ飛んで行くか、心配でいけないんです」
「早く貰って御上げなさいよ。ねえ、小野さん。二人で好いのを見つけて上げようじゃありませんか」
 藤尾は意味有り気に小野さんを見た。小野さんの眼と、藤尾の眼が行き当ってぶるぶると顫(ふる)える。
「ええ好いのを一人周旋しましょう」と小野さんは、手巾(ハンケチ)を出して、薄い口髭(くちひげ)をちょっと撫(な)でる。幽(かす)かな香(におい)がぷんとする。強いのは下品だと云う。
「京都にはだいぶ御知合があるでしょう。京都の方(かた)を一(はじめ)さんに御世話なさいよ。京都には美人が多いそうじゃありませんか」
 小野さんの手巾はちょっと勢(いきおい)を失った。
「なに実際美しくはないんです。——帰ったら甲野君に聞いて見ると分ります」
「兄がそんな話をするものですか」
「それじゃ宗近君に」
「兄は大変美人が多いと申しておりますよ」
「宗近君は前にも京都へいらしった事があるんですか」
「いいえ、今度が始めてですけれども、手紙をくれまして」
「おや、それじゃ鉄砲玉じゃないのね。手紙が来たの」
「なに端書よ。都踊の端書をよこして、そのはじに京都の女はみんな奇麗(きれい)だと書いてあるのよ」
「そう。そんなに奇麗なの」
「何だか白い顔がたくさん並んでてちっとも分らないわ。ただ見たら好いかも知れないけれども」
「ただ見ても白い顔が並んどるばかりです。奇麗は奇麗ですけれども、表情がなくって、あまり面白くはないです」
「それから、まだ書いてあるんですよ」
無精(ぶしょう)に似合わない事ね。何と」
隣家(となり)の琴は御前より旨(うま)いって」
「ホホホ一さんに琴の批評は出来そうもありませんね」
「私にあてつけたんでしょう。琴がまずいから」
「ハハハハ宗近君もだいぶ人の悪い事をしますね」
「しかも、御前より別嬪(べっぴん)だと書いてあるんです。にくらしいわね」
「一さんは何でも露骨なんですよ。私なんぞも一さんに逢(あ)っちゃ叶(かな)わない」
「でも、あなたの事は褒(ほ)めてありますよ」
「おや、何と」
「御前より別嬪(べっぴん)だ、しかし藤尾さんより悪いって」
「まあ、いやだ事」
 藤尾は得意と軽侮の念を交(まじ)えたる眼を輝かして、すらりと首を後(うし)ろに引く。鬣(たてがみ)に比すべきものの波を起すばかりに見えたるなかに、玉虫貝の菫(すみれ)のみが星のごとく可憐(かれん)の光を放つ。
 小野さんの眼と藤尾の眼はこの時再び合った。糸子には意味が通ぜぬ。
「小野さん三条(さんじょう)に蔦屋(つたや)と云う宿屋がござんすか」
 底知れぬ黒き眼のなかに我を忘れて、縋(すが)る未来に全く吸い込まれたる人は、刹那(せつな)の戸板返(といたがえ)しにずどんと過去へ落ちた。
 追い懸けて来る過去を逃(の)がるるは雲紫(くもむらさき)に立ち騰(のぼ)る袖香炉(そでこうろ)の煙(けぶ)る影に、縹緲(ひょうびょう)の楽しみをこれぞと見極(みきわ)むるひまもなく、貪(むさ)ぼると云う名さえつけがたき、眼と眼のひたと行き逢いたる一拶(いっさつ)に、結ばぬ夢は醒(さ)めて、逆(さか)しまに、われは過去に向って投げ返される。草間蛇(そうかんだ)あり、容易に青(せい)を踏む事を許さずとある。
蔦屋(つたや)がどうかしたの」と藤尾は糸子に向う。
「なにその蔦屋にね、欽吾さんと兄さんが宿(とま)ってるんですって。だから、どんな所(とこ)かと思って、小野さんに伺って見たんです」
「小野さん知っていらしって」
「三条ですか。三条の蔦屋と。そうですね、有ったようにも覚えていますが……」
「それじゃ、そんな有名な旅屋(はたごや)じゃないんですね」と糸子は無邪気に小野さんの顔を見る。
「ええ」と小野さんは切なそうに答えた。今度は藤尾の番となる。
「有名でなくったって、好いじゃありませんか。裏座敷で琴が聴(きこ)えて——もっとも兄と一さんじゃ駄目ね。小野さんなら、きっと御気に入るでしょう。春雨がしとしと降ってる静かな日に、宿の隣家(おとなり)で美人が琴を弾(ひ)いてるのを、気楽に寝転(ねころ)んで聴いているのは、詩的でいいじゃありませんか」
 小野さんはいつになく黙っている。眼さえ、藤尾の方へは向けないで、床(とこ)の山吹を無意味に眺(なが)めている。
「好いわね」と糸子が代理に答える。
 詩を知らぬ人が、趣味の問題に立ち入る権利はない。家庭的の女子からいいわね[#「いいわね」に傍点]ぐらいの賛成を求めて満足するくらいなら始めから、春雨も、奥座敷も、琴の音(ね)も、口に出さぬところであった。藤尾は不平である。
「想像すると面白い画(え)が出来ますよ。どんな所としたらいいでしょう」
 家庭的の女子には、なぜこんな質問が出てくるのか、とんとその意を解(げ)しかねる。要(い)らぬ事と黙って控(ひか)えているより仕方がない。小野さんは是非共口を開かねばならぬ。
「あなたは、どんな所がいいと思います」
「私? 私はね、そうね——裏二階がいいわ——廻(まわ)り椽(えん)で、加茂川がすこし見えて——三条から加茂川が見えても好いんでしょう」
「ええ、所によれば見えます」
「加茂川の岸には柳がありますか」
「ええ、あります」
「その柳が、遠くに煙(けむ)るように見えるんです。その上に東山が——東山でしたね奇麗な丸(まある)い山は——あの山が、青い御供(おそなえ)のように、こんもりと霞(かす)んでるんです。そうして霞のなかに、薄く五重の塔が——あの塔の名は何と云いますか」
「どの塔です」
「どの塔って、東山の右の角に見えるじゃありませんか」
「ちょっと覚えませんね」と小野さんは首を傾(かた)げる。
「有るんです、きっとあります」と藤尾が云う。
「だって琴は隣りよ、あなた」と糸子が口を出す。
 女詩人(じょしじん)の空想はこの一句で破れた。家庭的の女は美くしい世をぶち壊しに生れて来たも同様である。藤尾は少しく眉を寄せる。
「大変御急ぎだ事」
「なに、面白く伺ってるのよ。それからその五重の塔がどうかするの」
 五重の塔がどうもする訳(わけ)はない。刺身を眺めただけで台所へ下げる人もある。五重の塔をどうかしたがる連中は、刺身を食わなければ我慢の出来ぬように教育された実用主義の人間である。
「それじゃ五重の塔はやめましょう」
「面白いんですよ。五重の塔が面白いのよ。ねえ小野さん」
 御機嫌に逆(さから)った時は、必ず人をもって詫(わび)を入れるのが世間である。女王の逆鱗(げきりん)は鍋(なべ)、釜(かま)、味噌漉(みそこし)の御供物(おくもつ)では直せない。役にも立たぬ五重の塔を霞(かすみ)のうちに腫物(はれもの)のように安置しなければならぬ。
「五重の塔はそれっきりよ。五重の塔がどうするものですかね」
 藤尾の眉(まゆ)はぴくりと動いた。糸子は泣きたくなる。
「御気に障(さわ)ったの——私が悪るかったわ。本当に五重の塔は面白いのよ。御世辞じゃない事よ」
 針鼠(はりねずみ)は撫(な)でれば撫でるほど針を立てる。小野さんは、破裂せぬ前にどうかしなければならぬ。
 五重の塔を持ち出せばなお怒(おこ)られる。琴の音(ね)は自分に取って禁物である。小野さんはどうして調停したら好かろうかと考えた。話が京都を離れれば自分には好都合だが、むやみに縁のない離し方をすると、糸子さん同様に軽蔑(けいべつ)を招く。向うの話題に着いて廻って、しかも自分に苦痛のないように発展させなければならぬ。銀時計の手際ではちとむずかし過ぎるようだ。
「小野さん、あなたには分るでしょう」と藤尾の方から切って出る。糸子は分らず屋として取り除(の)けられた。女二人を調停するのは眼の前に快(こころよ)からぬ言葉の果し合を見るのが厭(いや)だからである。文錦(あやにしき)やさしき眉(まゆ)に切り結ぶ火花の相手が、相手にならぬと見下げられれば、手を出す必要はない。取除者(とりのけもの)を仲間に入れてやる親切は、取除者の方で、うるさく絡(からま)ってくる時に限る。おとなしくさえしていれば、取り除けられようが、見下げられようが、当分自分の利害には関係せぬ。小野さんは糸子を眼中に置く必要がなくなった。切って出た藤尾にさえ調子(ばつ)を合せていれば間違はない。
「分りますとも。——詩の命は事実より確かです。しかしそう云う事が分らない人が世間にはだいぶありますね」と云った。小野さんは糸子を軽蔑(けいべつ)する料簡(りょうけん)ではない、ただ藤尾の御機嫌に重きを置いたまでである。しかもその答は真理である。ただ弱いものにつらく当る真理である。小野さんは詩のために愛のためにそのくらいの犠牲をあえてする。道義は弱いものの頭(かしら)に耀(かがや)かず、糸子は心細い気がした。藤尾の方はようやく胸が隙(す)く。
「それじゃ、その続をあなたに話して見ましょうか」
 人を呪(のろ)わば穴二つと云う。小野さんは是非共ええと答えなければならぬ。
「ええ」
「二階の下に飛石が三つばかり筋違(すじかい)に見えて、その先に井桁(いげた)があって、小米桜(こごめざくら)が擦(す)れ擦れに咲いていて、釣瓶(つるべ)が触るとほろほろ、井戸の中へこぼれそうなんです。……」
 糸子は黙って聴いている。小野さんも黙って聴いている。花曇りの空がだんだん擦(ず)り落ちて来る。重い雲がかさなり合って、弥生(やよい)をどんよりと抑えつける。昼はしだいに暗くなる。戸袋を五尺離れて、袖垣(そでがき)のはずれに幣辛夷(してこぶし)の花が怪しい色を併(なら)べて立っている。木立に透(す)かしてよく見ると、折々は二筋、三筋雨の糸が途切れ途切れに映(うつ)る。斜めにすうと見えたかと思うと、はや消える。空の中から降るとは受け取れぬ、地の上に落つるとはなおさら思えぬ。糸の命はわずかに尺余りである。
 居は気を移す。藤尾の想像は空と共に濃(こまや)かになる。
「小米桜を二階の欄干(てすり)から御覧になった事があって」と云う。
「まだ、ありません」
「雨の降る日に。——おや少し降って来たようですね」と庭の方を見る。空はなおさら暗くなる。
「それからね。——小米桜の後(うし)ろは建仁寺の垣根で、垣根の向うで琴の音(ね)がするんです」
 琴はいよいよ出て来た。糸子はなるほどと思う。小野さんはこれはと思う。
「二階の欄干から、見下すと隣家(となり)の庭がすっかり見えるんです。——ついでにその庭の作りも話しましょうか。ホホホホ」と藤尾は高く笑った。冷たい糸が辛夷の花をきらりと掠(かす)める。
「ホホホホ御厭(おいや)なの——何だか暗くなって来た事。花曇りが化(ば)け出しそうね」
 そこまで近寄って来た暗い雲は、そろそろ細い糸に変化する。すいと木立を横ぎった、あとから直(すぐ)すいと追懸(おいか)けて来る。見ているうちにすいすいと幾本もいっしょに通って行く。雨はようやく繁くなる。
「おや本降(ほんぶり)になりそうだ事」
私(わたし)失礼するわ、降って来たから。御話し中で失礼だけれども。大変面白かったわ」
 糸子は立ち上がる。話しは春雨と共に崩(くず)れた。


底本:「夏目漱石全集4」ちくま文庫、筑摩書房
   1988(昭和63)年1月26日第1刷発行
底本の親本:「筑摩全集類聚版夏目漱石全集」筑摩書房
   1971(昭和46)年4月〜1972(昭和47)年1月にかけて刊行
入力:柴田卓治
校正:伊藤時也
ファイル作成:野口英司
1999年4月3日公開
1999年8月30日修正
青空文庫作成ファイル:
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●表記について

本文中の※は、底本では次のような漢字(JIS外字)が使われている。

※然(ゆうぜん)
的※(てきれき)
瀲※(れんえん)
気※(きえん)
※(ほのお)
※頭(あごさき)
※(あご)
※(も)ぎ取る
※※(しょうしょう)
※(た)れて
※雨※風(せんうしゅうふう)
連※(れんぎょう)
※(きく)
※※(せんかい)
黒※郷裏(こくてんきょうり)
左右に※(めぐ)る流は、