虞美人草
夏目漱石
十二
貧乏を十七字に標榜(ひょうぼう)して、馬の糞、馬の尿(いばり)を得意気に咏(えい)ずる発句(ほっく)と云うがある。芭蕉(ばしょう)が古池に蛙(かわず)を飛び込ますと、蕪村(ぶそん)が傘(からかさ)を担(かつ)いで紅葉(もみじ)を見に行く。明治になっては子規(しき)と云う男が脊髄病(せきずいびょう)を煩(わずら)って糸瓜(へちま)の水を取った。貧に誇る風流は今日(こんにち)に至っても尽きぬ。ただ小野さんはこれを卑(いや)しとする。
仙人は流霞(りゅうか)を餐(さん)し、朝※(ちょうこう)を吸う。詩人の食物は想像である。美くしき想像に耽(ふけ)るためには余裕がなくてはならぬ。美くしき想像を実現するためには財産がなくてはならぬ。二十世紀の詩趣と元禄の風流とは別物である。
文明の詩は金剛石(ダイヤモンド)より成る。紫(むらさき)より成る。薔薇(ばら)の香(か)と、葡萄(ぶどう)の酒と、琥珀(こはく)の盃(さかずき)より成る。冬は斑入(ふいり)の大理石を四角に組んで、漆(うるし)に似たる石炭に絹足袋(きぬたび)の底を煖(あたた)めるところにある。夏は氷盤(ひょうばん)に莓(いちご)を盛って、旨(あま)き血を、クリームの白きなかに溶(とか)し込むところにある。あるときは熱帯の奇蘭(きらん)を見よがしに匂わする温室にある。野路(のじ)や空、月のなかなる花野(はなの)を惜気(おしげ)も無く織り込んだ綴(つづれ)の丸帯にある。唐錦(からにしき)小袖(こそで)振袖(ふりそで)の擦(す)れ違うところにある。——文明の詩は金にある。小野さんは詩人の本分を完(まっと)うするために金を得ねばならぬ。
詩を作るより田を作れと云う。詩人にして産を成したものは古今を傾けて幾人もない。ことに文明の民は詩人の歌よりも詩人の行(おこない)を愛する。彼らは日ごと夜ごとに文明の詩を実現して、花に月に富貴(ふうき)の実生活を詩化しつつある。小野さんの詩は一文にもならぬ。
詩人ほど金にならん商買(しょうばい)はない。同時に詩人ほど金のいる商買もない。文明の詩人は是非共他(ひと)の金で詩を作り、他の金で美的生活を送らねばならぬ事となる。小野さんがわが本領を解する藤尾(ふじお)に頼(たより)たくなるのは自然の数(すう)である。あすこには中以上の恒産(こうさん)があると聞く。腹違の妹を片づけるにただの箪笥(たんす)と長持で承知するような母親ではない。ことに欽吾(きんご)は多病である。実の娘に婿(むこ)を取って、かかる気がないとも限らぬ。折々に、解いて見ろと、わざとらしく結ぶ辻占(つじうら)があたればいつも吉(きち)である。急(せ)いては事を仕損ずる。小野さんはおとなしくして事件の発展を、自(おのずか)ら開くべき優曇華(うどんげ)の未来に待ち暮していた。小野さんは進んで仕掛けるような相撲(すもう)をとらぬ、またとれぬ男である。
天地はこの有望の青年に対して悠久(ゆうきゅう)であった。春は九十日の東風(とうふう)を限りなく得意の額(ひたい)に吹くように思われた。小野さんは優(やさ)しい、物に逆(さから)わぬ、気の長い男であった。——ところへ過去が押し寄せて来た。二十七年の長い夢と背(そびら)を向けて、西の国へさらりと流したはずの昔から、一滴の墨汁(ぼくじゅう)にも較(くら)ぶべきほどの暗い小(ちさ)い点が、明かなる都まで押し寄せて来た。押されるものは出る気がなくても前へのめりたがる。おとなしく時機を待つ覚悟を気長にきめた詩人も未来を急がねばならぬ。黒い点は頭の上にぴたりと留(とどま)っている。仰ぐとぐるぐる旋転(せんてん)しそうに見える。ぱっと散れば白雨(ゆうだち)が一度にくる。小野さんは首を縮めて馳(か)け出したくなる。
四五日は孤堂(こどう)先生の世話やら用事やらで甲野(こうの)の方へ足を向ける事も出来なかった。昨夜(ゆうべ)は出来ぬ工夫を無理にして、旧師への義理立てに、先生と小夜子(さよこ)を博覧会へ案内した。恩は昔受けても今受けても恩である。恩を忘れるような不人情な詩人ではない。一飯漂母(いっぱんひょうぼ)を徳とすと云う故事を孤堂先生から教わった事さえある。先生のためならばこれから先どこまでも力になるつもりでいる。人の難儀を救うのは美くしい詩人の義務である。この義務を果して、濃(こま)やかな人情を、得意の現在に、わが歴史の一部として、思出の詩料に残すのは温厚なる小野さんにもっとも恰好(かっこう)な優しい振舞である。ただ何事も金がなくては出来ぬ。金は藤尾と結婚せねば出来ぬ。結婚が一日早く成立すれば、一日早く孤堂先生の世話が思うように出来る。——小野さんは机の前でこう云う論理を発明した。
小夜子を捨てるためではない、孤堂先生の世話が出来るために、早く藤尾と結婚してしまわなければならぬ。——小野さんは自分の考(かんがえ)に間違はないはずだと思う。人が聞けば立派に弁解が立つと思う。小野さんは頭脳の明暸(めいりょう)な男である。
ここまで考えた小野さんはやがて机の上に置いてある、茶の表紙に豊かな金文字を入れた厚い書物を開(あ)けた。中からヌーボー式に青い柳を染めて赤瓦の屋根が少し見える栞(しおり)があらわれる。小野さんは左の手に栞を滑(すべ)らして、細かい活字を金縁の眼鏡(めがね)の奥から読み始める。五分(ごふん)ばかりは無事であったが、しばらくすると、いつの間(ま)にやら、黒い眼は頁(ページ)を離れて、筋違(すじかい)に日脚(ひあし)の伸びた障子(しょうじ)の桟(さん)を見詰めている。——四五日藤尾に逢(あ)わぬ、きっと何とか思っているに違ない。ただの時なら四五日が十日(とおか)でもさして心配にはならぬ。過去に追いつかれた今の身には梳(くしけず)る間も千金である。逢えば逢うたびに願の的(まと)は近くなる。逢わねば元の君と我にたぐり寄すべき恋の綱の寸分だも縮まる縁(えにし)はない。のみならず、魔は節穴(ふしあな)の隙(すき)にも射す。逢わぬ半日に日が落ちぬとも限らぬ、籠(こも)る一夜(ひとよ)に月は入(い)る。等閑(なおざり)のこの四五日に藤尾の眉(まゆ)にいかな稲妻(いなずま)が差しているかは夢測(はか)りがたい。論文を書くための勉強は無論大切である。しかし藤尾は論文よりも大切である。小野さんはぱたりと書物を伏せた。
芭蕉布(ばしょうふ)の襖(ふすま)を開けると、押入の上段は夜具、下には柳行李(やなぎこうり)が見える。小野さんは行李の上に畳んである背広(せびろ)を出して手早く着換(きか)え終る。帽子は壁に主(ぬし)を待つ。がらりと障子を明けて、赤い鼻緒(はなお)の上草履(うわぞうり)に、カシミヤの靴足袋(くつたび)を無理に突き込んだ時、下女が来る。
「おや御出掛。少し御待ちなさいよ」
「何だ」と草履から顔を上げる。下女は笑っている。
「何か用かい」
「ええ」とやっぱり笑っている。
「何だ。冗談(じょうだん)か」と行こうとすると、卸(おろ)し立ての草履が片方(かたかた)足を離れて、拭き込んだ廊下を洋灯(ランプ)部屋の方へ滑って行く。
「ホホホホ余(あん)まり周章(あわて)るもんだから。御客様ですよ」
「誰だい」
「あら待ってた癖に空っとぼけて……」
「待ってた? 何を」
「ホホホホ大変真面目(まじめ)ですね」と笑いながら、返事も待たず、入口へ引き返す。小野さんは気掛(きがかり)な顔をして障子の傍(そば)に上草履を揃(そろ)えたまま廊下の突き当りを眺(なが)めている。何が出てくるかと思う。焦茶(こげちゃ)の中折が鴨居(かもい)を越すほどの高い背を伸(の)して、薄暗い廊下のはずれに折目正しく着こなした背広の地味なだけに、胸開(むなあき)の狭い胴衣(チョッキ)から白い襯衣(シャツ)と白い襟(えり)が著るしく上品に見える。小野さんは姿よく着こなした衣裳(いしょう)を、見栄(みばえ)のせぬ廊下の片隅に、中ぶらりんに落ちつけて、光る眼鏡を斜めに、突き当りを眺めている。何が出てくるのかと思いながら眺めている。両手を洋袴(ズボン)の隠袋(かくし)に挿(さ)し込むのは落ちつかぬ時の、落ちついた姿である。
「そこを曲(まが)ると真直です」と云う下女の声が聞えたと思うと、すらりと小夜子の姿が廊下の端(はじ)にあらわれた。海老茶色(えびちゃいろ)の緞子(どんす)の片側が竜紋(りょうもん)の所だけ異様に光線を射返して見える。在来(ありきた)りの銘仙(めいせん)の袷(あわせ)を、白足袋(しろたび)の甲を隠さぬほどに着て、きりりと角を曲った時、長襦袢(ながじゅばん)らしいものがちらと色めいた。同時に遮(さえ)ぎるものもない中廊下に七歩の間隔を置いて、男女(なんにょ)の視線は御互の顔の上に落ちる。
男はおやと思う。姿勢だけは崩(くず)さない。女ははっと躊躇(ためら)う。やがて頬に差す紅(くれない)を一度にかくして、乱るる笑顔を肩共に落す。油を注(さ)さぬ黒髪に、漣(さざなみ)の琥珀(こはく)に寄る幅広の絹の色が鮮(あざやか)な翼を片鬢(かたびん)に張る。
「さあ」と小野さんは隔たる人を近く誘うような挨拶(あいさつ)をする。
「どちらへか御出掛で……」と立ちながら両手を前に重ねた女は、落した肩を、少しく浮かしたままで、気の毒そうに動かない。
「いえ何……まあ御這入(おはい)んなさい。さあ」と片足を部屋のうちへ引く。
「御免」と云いながら、手を重ねたまま擦足(すりあし)に廊下を滑(すべ)って来る。
男は全く部屋の中へ引き込んだ。女もつづいて這入(はい)る。明かなる日永の窓は若き二人に若き対話を促(うな)がす。
「昨夜は御忙(おいそが)しいところを……」と女は入口に近く手をつかえる。
「いえ、さぞ御疲でしたろう。どうです、御気分は。もうすっかり好いですか」
「はあ、御蔭(おかげ)さまで」と云う顔は何となく窶(やつ)れている。男はちょっと真面目になった。女はすぐ弁解する。
「あんな人込(ひとごみ)へは滅多(めった)に出つけた事がないもんですから」
文明の民は驚ろいて喜ぶために博覧会を開く。過去の人は驚ろいて怖(こわ)がるためにイルミネーションを見る。
「先生はどうですか」
小夜子は返事を控えて淋(さみ)しく笑った。
「先生も雑沓(ざっとう)する所が嫌(きらい)でしたね」
「どうも年を取ったもんですから」と気の毒そうに、相手から眼を外(はず)して、畳の上に置いてある埋木(うもれぎ)の茶托を眺(なが)める。京焼の染付茶碗(そめつけぢゃわん)はさっきから膝頭(ひざがしら)に載(の)っている。
「御迷惑でしたろう」と小野さんは隠袋(ポッケット)から煙草入を取り出す。闇(やみ)を照す月の色に富士と三保の松原が細かに彫ってある。その松に緑の絵の具を使ったのは詩人の持物としては少しく俗である。派出(はで)を好む藤尾の贈物かも知れない。
「いえ、迷惑だなんて。こっちから願って置いて」と小夜子は頭から小野さんの言葉を打ち消した。男は煙草入を開く。裏は一面の鍍金(ときん)に、銀(しろかね)の冴(さ)えたる上を、花やかにぱっと流す。淋しき女は見事だと思う。
「先生だけなら、もっと閑静な所へ案内した方が好かったかも知れませんね」
忙しがる小野を無理に都合させて、好(す)かぬ人込へわざわざ出掛けるのも皆(みんな)自分が可愛いからである。済まぬ事には人込は自分も嫌である。せっかくの思に、袖(そで)振り交わして、長閑(のどか)な歩(あゆみ)を、春の宵(よい)に併(なら)んで移す当人は、依然として近寄れない。小夜子は何と返事をしていいか躊躇(ためら)った。相手の親切に気兼をして、先方の心持を悪くさせまいと云う世態(せたい)染みた料簡(りょうけん)からではない。小夜子の躊躇ったのには、もう少し切ない意味が籠(こも)っている。
「先生にはやはり京都の方が好くはないですか」と女の躊躇った気色(けしき)をどう解釈したか、小野さんは再び問い掛けた。
「東京へ来る前は、しきりに早く移りたいように云ってたんですけれども、来て見るとやはり住み馴(な)れた所が好いそうで」
「そうですか」と小野さんはおとなしく受けたが、心の中(うち)ではそれほど性(しょう)に合わない所へなぜ出て来たのかと、自分の都合を考えて多少馬鹿らしい気もする。
「あなたは」と聞いて見る。
小夜子はまた口籠(くちごも)る。東京が好いか悪いかは、目の前に、西洋の臭(におい)のする煙草を燻(くゆ)らしている青年の心掛一つできまる問題である。船頭が客人に、あなたは船が好きですかと聞いた時、好きも嫌(きらい)も御前の舵(かじ)の取りよう一つさと答えなければならない場合がある。責任のある船頭にこんな質問を掛けられるほど腹の立つ事はないように、自分の好悪(こうお)を支配する人間から、素知らぬ顔ですき[#「すき」に傍点]かきらい[#「きらい」に傍点]かを尋ねられるのは恨(うら)めしい。小夜子はまた口籠る。小野さんはなぜこう豁達(はきはき)せぬのかと思う。
胴衣(チョッキ)の隠袋(かくし)から時計を出して見る。
「どちらへか御出掛で」と女はすぐ悟った。
「ええ、ちょっと」と旨(うま)い具合に渡し込む。
女はまた口籠る。男は少し焦慮(じれった)くなる。藤尾が待っているだろう。——しばらくは無言である。
「実は父が……」と小夜子はやっとの思で口を切った。
「はあ、何か御用ですか」
「いろいろ買物がしたいんですが……」
「なるほど」
「もし、御閑(おひま)ならば、小野さんにいっしょに行っていただいて勧工場(かんこうば)ででも買って来いと申しましたから」
「はあ、そうですか。そりゃ、残念な事で。ちょうど今から急いで出なければならない所があるもんですからね。——じゃ、こうしましょう。品物の名を聞いて置いて、私(わたし)が帰りに買って晩に持って行きましょう」
「それでは御気の毒で……」
「何構いません」
父の好意は再び水泡(すいほう)に帰した。小夜子は悄然(しょうぜん)として帰る。小野さんは、脱いだ帽子を頭へ載(の)せて手早く表へ出る。——同時に逝(ゆ)く春の舞台は廻る。
紫を辛夷(こぶし)の弁(はなびら)に洗う雨重なりて、花はようやく茶に朽(く)ちかかる椽(えん)に、干(ほ)す髪の帯を隠して、動かせば背に陽炎(かげろう)が立つ。黒きを外に、風が嬲(なぶ)り、日が嬲り、つい今しがたは黄な蝶(ちょう)がひらひらと嬲りに来た。知らぬ顔の藤尾は、内側を向いている。くっきりと肉の締った横顔は、後(うし)ろからさす日の影に、耳を蔽(おお)うて肩に流す鬢(びん)の影に、しっとりとして仄(ほのか)である。千筋(ちすじ)にぎらついて深き菫(すみれ)を一面に浴せる肩を通り越して、向う側はと覗(のぞ)き込むとき、眩(まば)ゆき眼はしんと静まる。夕暮にそれかと思う蓼(たで)の花の、白きを人は潜むと云った。髪多く余る光を椽にこぼすこなたの影に、有るか無きかの細(ほっそ)りした顔のなかを、濃く引き残したる眉の尾のみがたしかである。眉の下なる切長の黒い眼は何を語るか分らない。藤尾は寄木(よせき)の小机に肱(ひじ)を持たせて俯向(うつむ)いている。
心臓の扉を黄金(こがね)の鎚(つち)に敲(たた)いて、青春の盃(さかずき)に恋の血潮を盛る。飲まずと口を背(そむ)けるものは片輪である。月傾いて山を慕い、人老いて妄(みだ)りに道を説く。若き空には星の乱れ、若き地(つち)には花吹雪(はなふぶき)、一年を重ねて二十に至って愛の神は今が盛(さかり)である。緑濃き黒髪を婆娑(ばさ)とさばいて春風(はるかぜ)に織る羅(うすもの)を、蜘蛛(くも)の囲(い)と五彩の軒に懸けて、自(みずから)と引き掛(かか)る男を待つ。引き掛った男は夜光の璧(たま)を迷宮に尋ねて、紫に輝やく糸の十字万字に、魂を逆(さかしま)にして、後(のち)の世までの心を乱す。女はただ心地よげに見やる。耶蘇教(ヤソきょう)の牧師は救われよという。臨済(りんざい)、黄檗(おうばく)は悟れと云う。この女は迷えとのみ黒い眸(ひとみ)を動かす。迷わぬものはすべてこの女の敵(かたき)である。迷うて、苦しんで、狂うて、躍(おど)る時、始めて女の御意はめでたい。欄干(らんかん)に繊(ほそ)い手を出してわん[#「わん」に傍点]と云えという。わん[#「わん」に傍点]と云えばまたわん[#「わん」に傍点]と云えと云う。犬は続け様にわん[#「わん」に傍点]と云う。女は片頬(かたほ)に笑(えみ)を含む。犬はわん[#「わん」に傍点]と云い、わん[#「わん」に傍点]と云いながら右へ左へ走る。女は黙っている。犬は尾を逆(さかしま)にして狂う。女はますます得意である。——藤尾の解釈した愛はこれである。
石仏(せきぶつ)に愛なし、色は出来ぬものと始から覚悟をきめているからである。愛は愛せらるる資格ありとの自信に基(もとづ)いて起る。ただし愛せらるるの資格ありと自信して、愛するの資格なきに気のつかぬものがある。この両資格は多くの場合において反比例する。愛せらるるの資格を標榜(ひょうぼう)して憚(はば)からぬものは、いかなる犠牲をも相手に逼(せま)る。相手を愛するの資格を具(そな)えざるがためである。※(へん)たる美目(びもく)に魂を打ち込むものは必ず食われる。小野さんは危(あやう)い。倩(せん)たる巧笑にわが命を托するものは必ず人を殺す。藤尾は丙午(ひのえうま)である。藤尾は己(おの)れのためにする愛を解する。人のためにする愛の、存在し得るやと考えた事もない。詩趣はある。道義はない。
愛の対象は玩具(おもちゃ)である。神聖なる玩具である。普通の玩具は弄(もてあそ)ばるるだけが能である。愛の玩具は互に弄ぶをもって原則とする。藤尾は男を弄ぶ。一毫(いちごう)も男から弄ばるる事を許さぬ。藤尾は愛の女王である。成立つものは原則を外(はず)れた恋でなければならぬ。愛せらるる事を専門にするものと、愛する事のみを念頭に置くものとが、春風(はるかぜ)の吹き回しで、旨(あま)い潮の満干(みちひき)で、はたりと天地の前に行き逢(あ)った時、この変則の愛は成就する。
我(が)を立てて恋をするのは、火事頭巾(かじずきん)を被(かぶ)って、甘酒を飲むようなものである。調子がわるい。恋はすべてを溶(と)かす。角張(かどば)った絵紙鳶(えだこ)も飴細工(あめざいく)であるからは必ず流れ出す。我は愛の水に浸して、三日三晩の長きに渉(わた)ってもふやける[#「ふやける」に傍点]気色(けしき)を見せぬ。どこまでも堅く控えている。我を立てて恋をするものは氷砂糖である。
沙翁(シェクスピア)は女を評して脆(もろ)きは汝が名なりと云った。脆きが中に我を通す昂(あが)れる恋は、炊(かし)ぎたる飯の柔らかきに御影(みかげ)の砂を振り敷いて、心を許す奥歯をがりがりと寒からしむ。噛(か)み締めるものに護謨(ゴム)の弾力がなくては無事には行かぬ。我の強い藤尾は恋をするために我のない小野さんを択(えら)んだ。蜘蛛の囲にかかる油蝉(あぶらぜみ)はかかっても暴れて行かぬ。時によると網を破って逃げる事がある。宗近(むねちか)君を捕(と)るは容易である。宗近君を馴(な)らすは藤尾といえども困難である。我(が)の女は顋(あご)で相図をすれば、すぐ来るものを喜ぶ。小野さんはすぐ来るのみならず、来る時は必ず詩歌(しいか)の璧(たま)を懐(ふところ)に抱(いだ)いて来る。夢にだもわれを弄(もてあそ)ぶの意思なくして、満腔(まんこう)の誠を捧げてわが玩具(おもちゃ)となるを栄誉と思う。彼を愛するの資格をわれに求むる事は露知らず、ただ愛せらるべき資格を、わが眼に、わが眉(まゆ)に、わが唇(くちびる)に、さてはわが才に認めてひたすらに渇仰(かつごう)する。藤尾の恋は小野さんでなくてはならぬ。
唯々(いい)として来(く)るべきはずの小野さんが四五日見えぬ。藤尾は薄き粧(よそおい)を日ごとにして我(が)の角(かど)を鏡の裡(うち)に隠していた。その五日目の昨夕(ゆうべ)! 驚くうちは楽(たのしみ)がある! 女は仕合せなものだ! 嘲(あざけり)の鈴(れい)はいまだに耳の底に鳴っている。小机に肱(ひじ)を持たしたまま、燃ゆる黒髪を照る日に打たして身動もせぬ。背を椽(えん)に、顔を影なる居住(いずまい)は、考え事に明海(あかるみ)を忌(い)む、昔からの掟(おきて)である。
縄なくて十重(とえ)に括(くく)る虜(とりこ)は、捕われたるを誇顔(ほこりがお)に、麾(さしまね)けば来り、指(ゆびさ)せば走るを、他意なしとのみ弄びたるに、奇麗な葉を裏返せば毛虫がいる。思う人と併(なら)んで姿見に向った時、大丈夫写るは君と我のみと、神懸(か)けて疑わぬを、見れば間違った。男はそのままの男に、寄り添うは見た事もない他人である。驚くうちは楽がある! 女は仕合せなものだ!
冴(さ)えぬ白さに青味を含む憂顔(うれいがお)を、三五の卓を隔てて電灯の下(もと)に眺めた時は、——わが傍(かたえ)ならでは、若き美くしき女に近づくまじきはずの男が、気遣(きづか)わし気(げ)に、また親し気に、この人と半々に洋卓(テーブル)の角を回って向き合っていた時は、——撞木(しゅもく)で心臓をすぽりと敲(たた)かれたような気がした。拍子(ひょうし)に胸の血はことごとく頬に潮(さ)す。紅(くれない)は云う、赫(かっ)としてここに躍(おど)り上がると。
我は猛然として立つ。その儀ならばと云う。振り向いてもならぬ。不審を打ってもならぬ。一字の批評も不見識である。有(あれ)ども無きがごとくに装(よそお)え。昂然(こうぜん)として水準以下に取り扱え。——気がついた男は面目を失うに違ない。これが復讐(ふくしゅう)である。
我の女はいざと云う間際(まぎわ)まで心細い顔をせぬ。恨(うら)むと云うは頼る人に見替られた時に云う。侮(あなどり)に対する適当な言葉は怒(いかり)である。無念と嫉妬(しっと)を交(ま)ぜ合せた怒である。文明の淑女は人を馬鹿にするを第一義とする。人に馬鹿にされるのを死に優(まさ)る不面目と思う。小野さんはたしかに淑女を辱(はずか)しめた。
愛は信仰より成る。信仰は二つの神を念ずるを許さぬ。愛せらるべき、わが資格に、帰依(きえ)の頭(こうべ)を下げながら、二心(ふたごころ)の背を軽薄の街(ちまた)に向けて、何の社(やしろ)の鈴を鳴らす。牛頭(ごず)、馬骨(ばこつ)、祭るは人の勝手である。ただ小野さんは勝手な神に恋の御賽銭(おさいせん)を投げて、波か字かの辻占(つじうら)を見てはならぬ。小野さんは、この黒い眼から早速(さそく)に放つ、見えぬ光りに、空かけて織りなした無紋の網に引き掛った餌食(えじき)である。外へはやられぬ。神聖なる玩具として生涯(しょうがい)大事にせねばならぬ。
神聖とは自分一人が玩具(おもちゃ)にして、外の人には指もささせぬと云う意味である。昨夕(ゆうべ)から小野さんは神聖でなくなった。それのみか向うでこっちを玩具にしているかも知れぬ。——肱(ひじ)を持たして、俯向(うつむ)くままの藤尾の眉が活きて来る。
玩具にされたのならこのままでは置かぬ。我(が)は愛を八(や)つ裂(ざき)にする。面当(つらあて)はいくらもある。貧乏は恋を乾干(ひぼし)にする。富貴(ふうき)は恋を贅沢(ぜいたく)にする。功名は恋を犠牲にする。我は未練な恋を踏みつける。尖(とが)る錐(きり)に自分の股(もも)を刺し通して、それ見ろと人に示すものは我である。自己がもっとも価(あたい)ありと思うものを捨てて得意なものは我である。我が立てば、虚栄の市にわが命さえ屠(ほふ)る。逆(さか)しまに天国を辞して奈落の暗きに落つるセータンの耳を切る地獄の風は我(プライド)! 我(プライド)! と叫ぶ。——藤尾は俯向(うつむき)ながら下唇を噛(か)んだ。
逢(あ)わぬ四五日は手紙でも出そうかと思っていた。昨夕(ゆうべ)帰ってからすぐ書きかけて見たが、五六行かいた後で何をとずたずたに引き裂いた。けっして書くまい。頭を下げて先方から折れて出るのを待っている。だまっていればきっと出てくる。出てくれば謝罪(あやま)らせる。出て来なければ? 我はちょっと困った。手の届かぬところに我を立てようがない。——なに来る、きっと来る、と藤尾は口の中(うち)で云う。知らぬ小野さんははたして我に引かれつつある。来つつある。
よし来ても昨夜(ゆうべ)の女の事は聞くまい。聞けばあの女を眼中に置く事になる。昨夕食卓で兄と宗近が妙な合言葉を使っていた。あの女と小野の関係を聞えよがしに、自分を焦(じ)らす料簡(りょうけん)だろう。頭を下げて聞き出しては我が折れる。二人で寄ってたかって人を馬鹿にするつもりならそれでよい。二人が仄(ほのめ)かした事実の反証を挙げて鼻をあかしてやる。
小野はどうしても詫(あやま)らせなければならぬ。つらく当って詫らせなければならぬ。同時に兄と宗近も詫らせなければならぬ。小野は全然わがもので、調戯面(からかいづら)にあてつけた二人の悪戯(いたずら)は何の役にも立たなかった、見ろこの通りと親しいところを見せつけて、鼻をあかして詫らせなければならぬ。——藤尾は矛盾した両面を我の一字で貫(つらぬ)こうと、洗髪(あらいがみ)の後(うしろ)に顔を埋(うず)めて考えている。
静かな椽(えん)に足音がする。背の高い影がのっと現われた。絣(かすり)の袷(あわせ)の前が開いて、肌につけた鼠色(ねずみいろ)の毛織の襯衣(シャツ)が、長い三角を逆様(さかさま)にして胸に映(うつ)る上に、長い頸(くび)がある、長い顔がある。顔の色は蒼(あお)い。髪は渦(うず)を捲(ま)いて、二三ヵ月は刈らぬと見える。四五日は櫛(くし)を入れないとも思われる。美くしいのは濃い眉(まゆ)と口髭(くちひげ)である。髭の質(たち)は極(きわ)めて黒く、極めて細い。手を入れぬままに自然の趣を具(そな)えて何となく人柄に見える。腰は汚(よご)れた白縮緬(しろちりめん)を二重(ふたえ)に周(まわ)して、長過ぎる端(はじ)を、だらりと、猫じゃらしに、右の袂(たもと)の下で結んでいる。裾(すそ)は固(もと)より合わない。引き掛けた法衣(ころも)のようにふわついた下から黒足袋(くろたび)が見える。足袋だけは新らしい。嗅(か)げば紺(こん)の匂がしそうである。古い頭に新らしい足の欽吾(きんご)は、世を逆様に歩いて、ふらりと椽側(えんがわ)へ出た。
拭き込んだ細かい柾目(まさめ)の板が、雲斎底(うんさいぞこ)の影を写すほどに、軽く足音を受けた時に、藤尾の背中に背負(せお)った黒い髪はさらりと動いた。途端に椽に落ちた紺足袋が女の眼に這入(はい)る。足袋の主は見なくても知れている。
紺足袋は静かに歩いて来た。
「藤尾」
声は後(うしろ)でする。雨戸の溝(みぞ)をすっくと仕切った栂(つが)の柱を背に、欽吾は留ったらしい。藤尾は黙っている。
「また夢か」と欽吾は立ったまま、癖のない洗髪(あらいがみ)を見下(みおろ)した。
「何です」と云いなり女は、顔を向け直した。赤棟蛇(やまかがし)の首を擡(もた)げた時のようである。黒い髪に陽炎(かげろう)を砕く。
男は、眼さえ動かさない。蒼(あお)い顔で見下(みおろ)している。向き直った女の額をじっと見下している。
「昨夕(ゆうべ)は面白かったかい」
女は答える前に熱い団子をぐいと嚥(の)み下(くだ)した。
「ええ」と極めて冷淡な挨拶(あいさつ)をする。
「それは好かった」と落ちつき払って云う。
女は急(せ)いて来る。勝気な女は受太刀だなと気がつけば、すぐ急いて来る。相手が落ちついていればなお急いて来る。汗を流して斬り込むならまだしも、斬り込んで置きながら悠々(ゆうゆう)として柱に倚(よ)って人を見下しているのは、酒を飲みつつ胡坐(あぐら)をかいて追剥(おいはぎ)をすると同様、ちと虫がよすぎる。
「驚くうちは楽(たのしみ)があるんでしょう」
女は逆(さか)に寄せ返した。男は動じた様子もなく依然として上から見下している。意味が通じた気色(けしき)さえ見えぬ。欽吾の日記に云う。——ある人は十銭をもって一円の十分一(じゅうぶいち)と解釈し、ある人は十銭をもって一銭の十倍と解釈すと。同じ言葉が人に依って高くも低くもなる。言葉を用いる人の見識次第である。欽吾と藤尾の間にはこれだけの差がある。段が違うものが喧嘩(けんか)をすると妙な現象が起る。
姿勢を変えるさえ嬾(もの)うく見えた男はただ
「そうさ」と云ったのみである。
「兄さんのように学者になると驚きたくっても、驚ろけないから楽がないでしょう」
「楽(たのしみ)?」と聞いた。楽の意味が分ってるのかと云わぬばかりの挨拶と藤尾は思う。兄はやがて云う。
「楽はそうないさ。その代り安心だ」
「なぜ」
「楽のないものは自殺する気遣(きづかい)がない」
藤尾には兄の云う事がまるで分らない。蒼い顔は依然として見下している。なぜと聞くのは不見識だから黙っている。
「御前のように楽(たのしみ)の多いものは危ないよ」
藤尾は思わず黒髪に波を打たした。きっと見上げる上から兄は分ったかとやはり見下(みおろ)している。何事とも知らず「埃及(エジプト)の御代(みよ)しろし召す人の最後ぞ、かくありてこそ」と云う句を明かに思い出す。
「小野は相変らず来るかい」
藤尾の眼は火打石を金槌(かなづち)の先で敲(たた)いたような火花を射る。構わぬ兄は
「来ないかい」と云う。
藤尾はぎりぎりと歯を噛(か)んだ。兄は談話を控えた。しかし依然として柱に倚(よ)っている。
「兄さん」
「何だい」とまた見下す。
「あの金時計は、あなたには渡しません」
「おれに渡さなければ誰に渡す」
「当分私(わたし)があずかって置きます」
「当分御前があずかる? それもよかろう。しかしあれは宗近にやる約束をしたから……」
「宗近さんに上げる時には私から上げます」
「御前から」と兄は少し顔を低くして妹の方へ眼を近寄せた。
「私から——ええ私から——私から誰かに上げます」と寄木(よせき)の机に凭(もた)せた肘(ひじ)を跳(は)ねて、すっくり立ち上がる。紺と、濃い黄と、木賊(とくさ)と海老茶(えびちゃ)の棒縞(ぼうじま)が、棒のごとく揃(そろ)って立ち上がる。裾(すそ)だけが四色(よいろ)の波のうねりを打って白足袋の鞐(こはぜ)を隠す。
「そうか」
と兄は雲斎底(うんさいぞこ)の踵(かかと)を見せて、向(むこう)へ行ってしまった。
甲野さんが幽霊のごとく現われて、幽霊のごとく消える間に、小野さんは近づいて来る。いくたびの降る雨に、土に籠(こも)る青味を蒸(む)し返して、湿(しめ)りながらに暖かき大地を踏んで近づいて来る。磨(みが)き上げた山羊(やぎ)の皮に被(かむ)る埃(ほこり)さえ目につかぬほどの奇麗(きれい)な靴を、刻み足に運ばして甲野家の門に近づいて来る。
世を投(な)げ(や)りのだらりとした姿の上に、義理に着る羽織の紐(ひも)を丸打に結んで、細い杖に本来空(ほんらいくう)の手持無沙汰(てもちぶさた)を紛(まぎ)らす甲野さんと、近づいてくる小野さんは塀(へい)の側(そば)でぱたりと逢った。自然は対照を好む。
「どこへ」と小野さんは帽に手を懸けて、笑いながら寄ってくる。
「やあ」と受け応(こたえ)があった。そのまま洋杖(ステッキ)は動かなくなる。本来は洋杖さえ手持無沙汰なものである。
「今、ちょっと行こうと思って……」
「行きたまえ。藤尾はいる」と甲野さんは素直に相手を通す気である。小野さんは躊躇(ちゅうちょ)する。
「君はどこへ」とまた聞き直す。君の妹には用があるが、君はどうなっても構わないと云う態度は小野さんの取るに忍びざるところである。
「僕か、僕はどこへ行くか分らない。僕がこの杖を引っ張り廻すように、何かが僕を引っ張り廻すだけだ」
「ハハハハだいぶ哲学的だね。——散歩?」と下から覗(のぞ)き込(こ)んだ。
「ええ、まあ……好い天気だね」
「好い天気だ。——散歩より博覧会はどうだい」
「博覧会か——博覧会は——昨夕(ゆうべ)見た」
「昨夕行ったって?」と小野さんの眼は一時に坐る。
「ああ」
小野さんはああ[#「ああ」に傍点]の後から何か出て来るだろうと思って、控えている。時鳥(ほととぎす)は一声で雲に入ったらしい。
「一人で行ったのかい」と今度はこちらから聞いて見る。
「いいや。誘われたから行った」
甲野さんにははたして連(つれ)があった。小野さんはもう少し進んで見なければ済まないようになる。
「そうかい、奇麗だったろう」とまず繋(つな)ぎに出して置いて、そのうちに次の問を考える事にする。ところが甲野さんは簡単に
「うん」の一句で答をしてしまう。こっちは考のまとまらないうち、すぐ何とか付けなければならぬ。始めは「誰と?」と聞こうとしたが、聞かぬ前にいや「何時(なんじ)頃?」の方が便宜(べんぎ)ではあるまいかと思う。いっそ「僕も行った」と打って出ようか知ら、そうしたら先方の答次第で万事が明暸(めいりょう)になる。しかしそれもいらぬ事だ。——小野さんは胸の上、咽喉(のど)の奥でしばらく押問答をする。その間に甲野さんは細い杖の先を一尺ばかり動かした。杖のあとに動くものは足である。この相図をちらりと見て取った小野さんはもう駄目だ、よそうと咽喉の奥でせっかくの計画をほごしてしまう。爪の垢(あか)ほど先(せん)を制せられても、取り返しをつけようと意思を働かせない人は、教育の力では翻(ひるが)えす事の出来ぬ宿命論者である。
「まあ行きたまえ」とまた甲野さんが云う。催促されるような気持がする。運命が左へと指図(さしず)をしたらしく感じた時、後(うしろ)から押すものがあれば、すぐ前へ出る。
「じゃあ……」と小野さんは帽子をとる。
「そうか、じゃあ失敬」と細い杖は空間を二尺ばかり小野さんから遠退(とおの)いた。一歩門へ近寄った小野さんの靴は同時に一歩杖に牽(ひ)かれて故(もと)へ帰る。運命は無限の空間に甲野さんの杖と小野さんの足を置いて、一尺の間隔を争わしている。この杖とこの靴は人格である。我らの魂は時あって靴の踵(かかと)に宿り、時あって杖の先に潜む。魂を描(えが)く事を知らぬ小説家は杖と靴とを描く。
一歩の空間を行き尽した靴は、光る頭(こうべ)を回(めぐ)らして、棄身(すてみ)に細い体を大地に托した杖に問いかけた。
「藤尾さんも、昨夕いっしょに行ったのかい」
棒のごとく真直(まっすぐ)に立ち上がった杖は答える。
「ああ、藤尾も行った。——ことに因(よ)ると今日は下読が出来ていないかも知れない」
細い杖は地に着くがごとく、また地を離るるがごとく、立つと思えば傾むき、傾むくと思えば立ち、無限の空間を刻んで行く。光る靴は突き込んだ頭に薄い泥を心持わるく被(かぶ)ったまま、遠慮勝に門内の砂利を踏んで玄関に掛(か)かる。
小野さんが玄関に掛かると同時に、藤尾は椽の柱に倚(よ)りながら、席に返らぬ爪先(つまさき)を、雨戸引く溝の上に翳(かざ)して、手広く囲い込んだ庭の面を眺(なが)めている。藤尾が椽の柱に倚りかかるよほど前から、謎(なぞ)の女は立て切った一間(ひとま)のうちで、鳴る鉄瓶(てつびん)を相手に、行く春の行き尽さぬ間(ま)を、根限(こんかぎ)り考えている。
欽吾はわが腹を痛めぬ子である。——謎の女の考(かんがえ)は、すべてこの一句から出立する。この一句を布衍(ふえん)すると謎の女の人生観になる。人生観を増補すると宇宙観が出来る。謎の女は毎日鉄瓶の音(ね)を聞いては、六畳敷の人生観を作り宇宙観を作っている。人生観を作り宇宙観を作るものは閑(ひま)のある人に限る。謎の女は絹布団の上でその日その日を送る果報な身分である。
居住(いずまい)は心を正す。端然(たんねん)と恋に焦(こが)れたもう雛(ひいな)は、虫が喰うて鼻が欠けても上品である。謎の女はしとやかに坐る。六畳敷の人生観もまたしとやかでなくてはならぬ。
老いて夫(おっと)なきは心細い。かかるべき子なきはなおさら心細い。かかる子が他人なるは心細い上に忌(いま)わしい。かかるべき子を持ちながら、他人にかからねばならぬ掟(おきて)は忌わしいのみか情(なさ)けない。謎の女は自(みずから)を情ない不幸の人と信じている。
他人でも合わぬとは限らぬ。醤油(しょうゆ)と味淋(みりん)は昔から交っている。しかし酒と煙草をいっしょに呑(の)めば咳が出る。親の器(うつわ)の方円に応じて、盛らるる水の調子を合わせる欽吾ではない。日を経(へ)れば日を重ねて隔(へだた)りの関が出来る。この頃は江戸の敵(かたき)に長崎で巡(めぐ)り逢(あ)ったような心持がする。学問は立身出世の道具である。親の機嫌に逆(さから)って、師走(しわす)正月の拍子(ひょうし)をはずすための修業ではあるまい。金を掛けてわざわざ変人になって、学校を出ると世間に通用しなくなるのは不名誉である。外聞がわるい。嗣子(しし)としては不都合と思う。こんなものに死水(しにみず)を取って貰う気もないし、また取るほどの働のあるはずがない。
幸(さいわい)と藤尾がいる。冬を凌(しの)ぐ女竹(めだけ)の、吹き寄せて夜(よ)を積る粉雪(こゆき)をぴんと撥(は)ねる力もある。十目(じゅうもく)を街頭に集むる春の姿に、蝶(ちょう)を縫い花を浮かした派出(はで)な衣裳(いしょう)も着せてある。わが子として押し出す世間は広い。晴れた天下を、晴れやかに練り行くを、迷うは人の随意である。三国一の婿(むこ)と名乗る誰彼を、迷わしてこそ、焦(じ)らしてこそ、育て上げた母の面目は揚(あが)る。海鼠(なまこ)の氷ったような他人にかかるよりは、羨(うらやま)しがられて華麗(はなやか)に暮れては明ける実の娘の月日に添うて墓に入るのが順路である。
蘭(らん)は幽谷(ゆうこく)に生じ、剣は烈士に帰す。美くしき娘には、名ある聟(むこ)を取らねばならぬ。申込はたくさんあるが、娘の気に入らぬものは、自分の気に入らぬものは、役に立たぬ。指の太さに合わぬ指輪は貰っても捨てるばかりである。大き過ぎても小さ過ぎても聟には出来ぬ。したがって聟は今日(こんにち)まで出来ずにいた。燦(さん)として群がるもののうちにただ一人小野さんが残っている。小野さんは大変学問のできる人だと云う。恩賜の時計をいただいたと云う。もう少し立つと博士になると云う。のみならず愛嬌(あいきょう)があって親切である。上品で調子がいい。藤尾の聟として恥ずかしくはあるまい。世話になっても心持がよかろう。
小野さんは申分(もうしぶん)のない聟である。ただ財産のないのが欠点である。しかし聟の財産で世話になるのは、いかに気に入った男でも幅が利(き)かぬ。無一物の某(それがし)を入れて、おとなしく嫁姑(よめしゅうとめ)を大事にさせるのが、藤尾の都合にもなる、自分のためでもある。一つ困る事はその財産である。夫(おっと)が外国で死んだ四ヵ月後の今日は当然欽吾の所有に帰(き)してしまった。魂胆はここから始まる。
欽吾は一文の財産もいらぬと云う。家も藤尾にやると云う。義理の着物を脱いで便利の赤裸(はだか)になれるものなら、降って湧(わ)いた温泉へ得たり賢こしと飛び込む気にもなる。しかし体裁に着る衣裳(いしょう)はそう無雑作(むぞうさ)に剥(は)ぎ取れるものではない。降りそうだから傘(かさ)をやろうと投げ出した時、二本あれば遠慮をせぬが世間であるが、見す見すくれる人が濡(ぬ)れるのを構わずにわがままな手を出すのは人の思(おも)わくもある。そこに謎(なぞ)が出来る。くれると云うのは本気で云う嘘(うそ)で、取らぬ顔つきを見せるのも隣近所への申訳に過ぎない。欽吾の財産を欽吾の方から無理に藤尾に譲るのを、厭々(いやいや)ながら受取った顔つきに、文明の手前を繕(つくろ)わねばならぬ。そこで謎が解(と)ける。くれると云うのを、くれたくない意味と解いて、貰う料簡(りょうけん)で貰わないと主張するのが謎の女である。六畳敷の人生観はすこぶる複雑である。
謎の女は問題の解決に苦しんでとうとう六畳敷を出た。貰いたいものを飽(あ)くまで貰わないと主張して、しかも一日も早く貰ってしまう方法は微分積分でも容易に発見の出来ぬ方法である。謎の女が苦し紛(まぎ)れの屈託顔に六畳敷を出たのは、焦慮(じれった)いが高(こう)じて、布団の上に坐(い)たたまれないからである。出て見ると春の日は存外長閑(のどか)で、平気に鬢(びん)を嬲(なぶ)る温風はいやに人を馬鹿にする。謎の女はいよいよ気色(きしょく)が悪くなった。
椽(えん)を左に突き当れば西洋館で、応接間につづく一部屋は欽吾が書斎に使っている。右は鍵(かぎ)の手に折れて、折れたはずれの南に突き出した六畳が藤尾の居間となる。
菱餅(ひしもち)の底を渡る気で真直(まっすぐ)な向う角を見ると藤尾が立っている。濡色(ぬれいろ)に捌(さば)いた濃き鬢(びん)のあたりを、栂(つが)の柱に圧(お)しつけて、斜めに持たした艶(えん)な姿の中ほどに、帯深く差し込んだ手頸(てくび)だけが白く見える。萩に伏し薄(すすき)に靡(なび)く故里(ふるさと)を流離人(さすらいびと)はこんな風に眺(なが)める事がある。故里を離れぬ藤尾は何を眺めているか分らない。母は椽を曲って近寄った。
「何を考えているの」
「おや、御母(おっか)さん」と斜(なな)めな身体を柱から離す。振り返った眼つきには愁(うれい)の影さえもない。我(が)の女と謎の女は互に顔を見合した。実の親子である。
「どうかしたのかい」と謎が云う。
「なぜ」と我(が)が聞き返す。
「だって、何だか考え込んでいるからさ」
「何にも考えていやしません。庭の景色を見ていたんです」
「そう」と謎は意味のある顔つきをした。
「池の緋鯉(ひごい)が跳(は)ねますよ」と我は飽くまでも主張する。なるほど濁った水のなかで、ぽちゃりと云う音がした。
「おやおや。——御母(おっか)さんの部屋では少しも聞えないよ」
聞えないんではない。謎で夢中になっていたのである。
「そう」と今度は我の方で意味のある顔つきをする。世はさまざまである。
「おや、もう蓮(はす)の葉が出たね」
「ええ。まだ気がつかなかったの」
「いいえ。今始(はじめ)て」と謎が云う。謎ばかり考えているものは迂濶(うかつ)である。欽吾と藤尾の事を引き抜くと頭は真空になる。蓮の葉どころではない。
蓮の葉が出たあとには蓮の花が咲く。蓮の花が咲いたあとには蚊帳(かや)を畳んで蔵へ入れる。それから蟋蟀(こおろぎ)が鳴く。時雨(しぐ)れる。木枯(こがらし)が吹く。……謎の女が謎の解決に苦しんでいるうちに世の中は変ってしまう。それでも謎の女は一つ所に坐(すわ)って謎を解くつもりでいる。謎の女は世の中で自分ほど賢いものはないと思っている。迂濶だなどとは夢にも考えない。
緋鯉ががぽちゃりとまた跳ねる。薄濁(うすにごり)のする水に、泥は沈んで、上皮だけは軽く温(ぬる)む底から、朦朧(もうろう)と朱(あか)い影が静かな土を動かして、浮いて来る。滑(なめ)らかな波にきらりと射す日影を崩(くず)さぬほどに、尾を揺(ゆ)っているかと思うと、思い切ってぽんと水を敲(たた)いて飛びあがる。一面に揚(あが)る泥の濃きうちに、幽(かす)かなる朱いものが影を潜めて行く。温い水を背に押し分けて去る痕(あと)は、一筋のうねりを見せて、去年の蘆(あし)を風なきに嬲(なぶ)る。甲野さんの日記には鳥入(とりいって)雲無迹(くもにあとなく)、魚行(うおゆいて)水有紋(みずにもんあり)と云う一聯が律にも絶句にもならず、そのまま楷書(かいしょ)でかいてある。春光は天地を蔽(おお)わず、任意に人の心を悦(よろこ)ばしむ。ただ謎の女には幸(さいわい)せぬ。
「何だって、あんなに跳ねるんだろうね」と聞いた。謎の女が謎を考えるごとく、緋鯉もむやみに跳ねるのであろう。酔狂(すいきょう)と云えば双方とも酔狂である。藤尾は何とも答えなかった。
浮き立ての蓮の葉を称して支那の詩人は青銭(せいせん)を畳むと云った。銭(ぜに)のような重い感じは無論ない。しかし水際に始めて昨日、今日の嫩(わか)い命を托して、娑婆(しゃば)の風に薄い顔を曝(さら)すうちは銭のごとく細かである。色も全く青いとは云えぬ。美濃紙(みのがみ)の薄きに過ぎて、重苦しと碧(みどり)を厭(いと)う柔らかき茶に、日ごとに冒(おか)す緑青(ろくしょう)を交ぜた葉の上には、鯉の躍(おど)った、春の名残が、吹けば飛ぶ、置けば崩れぬ珠(たま)となって転がっている。——答をせぬ藤尾はただ眼前の景色を眺(なが)める。鯉はまた躍った。
母は無意味に池の上を※(みつめ)ていたが、やがて気を換えて
「近頃、小野さんは来ないようだね。どうかしたのかい」と聞いて見る。
藤尾は屹(きっ)と向き直った。
「どうしたんですか」とじっと母を見た上で、澄してまた庭の方へ眸(ひとみ)を反(そ)らす。母はおやと思う。さっきの鯉が薄赤く浮葉の下を通る。葉は気軽に動く。
「来ないなら、何とか云って来そうなもんだね。病気でもしているんじゃないか」
「病気だって?」と藤尾の声は疳走(かんばし)るほどに高かった。
「いいえさ。病気じゃないか[#「ないか」に傍点]と聞くのさ」
「病気なもんですか」
清水(きよみず)の舞台から飛び降りたような語勢は鼻の先でふふんと留った。母はまたおやと思う。
「あの人はいつ博士になるんだろうね」
「いつですか」とよそごとのように云う。
「御前(おまい)——あの人と喧嘩(けんか)でもしたのかい」
「小野さんに喧嘩が出来るもんですか」
「そうさ、ただ教えて貰やしまいし、相当の礼をしているんだから」
謎の女にはこれより以上の解釈は出来ないのである。藤尾は返事を見合せた。
昨夕(ゆうべ)の事を打ち明けてこれこれであったと話してしまえばそれまでである。母は無論躍起(やっき)になって、こっちに同情するに違ない。打ち明けて都合が悪いとは露思わぬが、進んで同情を求めるのは、餓(うえ)に逼(せま)って、知らぬ人の門口(かどぐち)に、一銭二銭の憐(あわれみ)を乞うのと大した相違はない。同情は我(が)の敵である。昨日(きのう)まで舞台に躍る操人形(あやつりにんぎょう)のように、物云うも懶(ものう)きわが小指の先で、意のごとく立たしたり、寝かしたり、果(はて)は笑わしたり、焦(じ)らしたり、どぎまぎ[#「どぎまぎ」に傍点]さして、面白く興じていた手柄顔を、母も天晴(あっぱ)れと、うごめかす鼻の先に、得意の見栄(みえ)をぴくつかせていたものを、——あれは、ほんの表向で、内実の昨夕(ゆうべ)を見たら、招く薄(すすき)は向(むこう)へ靡(なび)く。知らぬ顔の美しい人と、睦(むつま)じく御茶を飲んでいたと、心外な蓋(ふた)をとれば、母の手前で器量が下がる。我が承知が出来ぬと云う。外(そ)れた鷹(たか)なら見限(みきり)をつけてもういらぬと話す。あとを跟(つ)けて鼻を鳴らさぬような犬ならば打ちやった後で、捨てて来たと公言する。小野さんの不心得はそこまでは進んでおらぬ。放って置けば帰るかも知れない。いや帰るに違ないと、小夜子と自分を比較した我が証言してくれる。帰って来た時に辛(から)い目に逢(あ)わせる。辛い目に逢わせた後で、立たしたり、寝かしたりする。笑わしたり、焦らしたり、どぎまぎ[#「どぎまぎ」に傍点]さしたりする。そうして、面白そうな手柄顔(てがらがお)を、母に見せれば母への面目は立つ。兄と一(はじめ)に見せれば、両人(ふたり)への意趣返(いしゅがえ)しになる。——それまでは話すまい。藤尾は返事を見合せた。母は自分の誤解を悟る機会を永久に失った。
「さっき欽吾が来やしないか」と母はまた質問を掛ける。鯉は躍(おど)る。蓮(はす)は芽(め)を吹く、芝生はしだいに青くなる、辛夷(こぶし)は朽(く)ちた。謎の女はそんな事に頓着(とんじゃく)はない。日となく夜となく欽吾の幽霊で苦しめられている。書斎におれば何をしているかと思い、考えておれば何を考えているかと思い、藤尾の所へ来れば、どんな話をしに来たのかと思う。欽吾は腹を痛めぬ子である。腹を痛めぬ子に油断は出来ぬ。これが謎の女の先天的に教わった大真理である。この真理を発見すると共に謎の女は神経衰弱に罹(かか)った。神経衰弱は文明の流行病である。自分の神経衰弱を濫用(らんよう)すると、わが子までも神経衰弱にしてしまう。そうしてあれの病気にも困り切りますと云う。感染したものこそいい迷惑である。困り切るのはどっちの云い分か分らない。ただ謎の女の方では、飽くまでも欽吾に困り切っている。
「さっき欽吾が来やしないか」と云う。
「来たわ」
「どうだい様子は」
「やっぱり相変らずですわ」
「あれにも、本当に……」で薄く八の字を寄せたが、
「困り者だね」と切った時、八の字は見る見る深くなった。
「何でも奥歯に物の挟(はさま)ったような皮肉ばかり云うんですよ」
「皮肉なら好いけれども、時々気の知れない囈語(ねごと)を云うにゃ困るじゃないか。何でもこの頃は様子が少し変だよ」
「あれが哲学なんでしょう」
「哲学だか何だか知らないけれども。——さっき何か云ったかい」
「ええまた時計の事を……」
「返せって云うのかい。一(はじめ)にやろうがやるまいが余計な御世話じゃないか」
「今どっかへ出掛けたでしょう」
「どこへ行ったんだろう」
「きっと宗近へ行ったんですよ」
対話がここまで進んだ時、小野さんがいらっしゃいましたと下女が両手をつかえる。母は自分の部屋へ引き取った。
椽側(えんがわ)を曲って母の影が障子(しょうじ)のうちに消えたとき、小野さんは内玄関(ないげんかん)の方から、茶の間の横を通って、次の六畳を、廊下へ廻らず抜けて来る。
磬(けい)を打って入室相見(にゅうしつしょうけん)の時、足音を聞いただけで、公案の工夫(くふう)が出来たか、出来ないか、手に取るようにわかるものじゃと云った和尚(おしょう)がある。気の引けるときは歩き方にも現われる。獣(けもの)にさえ屠所(としょ)のあゆみと云う諺(ことわざ)がある。参禅(さんぜん)の衲子(のうし)に限った現象とは認められぬ。応用は才人小野さんの上にも利(き)く。小野さんは常から世の中に気兼をし過ぎる。今日は一入(ひとしお)変である。落人(おちゅうど)は戦(そよ)ぐ芒(すすき)に安からず、小野さんは軽く踏む青畳に、そと落す靴足袋(くつたび)の黒き爪先(つまさき)に憚(はばか)り気を置いて這入(はい)って来た。
一睛(いっせい)を暗所(あんしょ)に点ぜず、藤尾は眼を上げなかった。ただ畳に落す靴足袋の先をちらりと見ただけでははあと悟った。小野さんは座に着かぬ先から、もう舐(な)められている。
「今日(こんにち)は……」と座りながら笑いかける。
「いらっしゃい」と真面目な顔をして、始めて相手をまともに見る。見られた小野さんの眸(ひとみ)はぐらついた。
「御無沙汰(ごぶさた)をしました」とすぐ言訳を添える。
「いいえ」と女は遮(さえぎ)った。ただしそれぎりである。
男は出鼻を挫(くじ)かれた気持で、どこから出直そうかと考える。座敷は例のごとく静である。
「だいぶ暖(あった)かになりました」
「ええ」
座敷のなかにこの二句を点じただけで、後(あと)は故(もと)のごとく静になる。ところへ鯉(こい)がぽちゃりとまた跳(はね)る。池は東側で、小野さんの背中に当る。小野さんはちょっと振り向いて鯉が[#「鯉が」に傍点]と云おうとして、女の方を見ると、相手の眼は南側の辛夷(こぶし)に注(つ)いている。——壺(つぼ)のごとく長い弁(はなびら)から、濃い紫(むらさき)が春を追うて抜け出した後は、残骸(なきがら)に空(むな)しき茶の汚染(しみ)を皺立(しわだ)てて、あるものはぽきりと絶えた萼(うてな)のみあらわである。
鯉が[#「鯉が」に傍点]と云おうとした小野さんはまた廃(や)めた。女の顔は前よりも寄りつけない。——女は御無沙汰をした男から、御無沙汰をした訳を云わせる気で、ただいいえ[#「いいえ」に傍点]と受けた。男は仕損(しま)ったと心得て、だいぶ暖(あったか)になりましたと気を換えて見たが、それでも験(げん)が見えぬので、鯉が[#「鯉が」に傍点]の方へ移ろうとしたのである。男は踏み留(とど)まれるところまで滑(すべ)って行く気で、気を揉(も)んでいるのに、女は依然として故の所に坐って動かない。知らぬ小野さんはまた考えなければならぬ。
四五日来なかったのが気に入らないなら、どうでもなる。昨夕(ゆうべ)博覧会で見つかったなら少し面倒である。それにしても弁解の道はいくらでもつく。しかし藤尾がはたして自分と小夜子を、ぞろぞろ動く黒い影の絶間なく入れ代るうちで認めたろうか。認められたらそれまでである。認められないのに、こちらから思い切って持ち出すのは、肌を脱いで汚(むさ)い腫物(しゅもつ)を知らぬ人の鼻の前(さき)に臭(にお)わせると同じ事になる。
若い女と連れ立って路を行くは当世である。ただ歩くだけなら名誉になろうとも瑕疵(きず)とは云わせぬ。今宵限(こよいかぎり)の朧(おぼろ)だものと、即興にそそのかされて、他生(たしょう)の縁の袖(そで)と袂(たもと)を、今宵限り擦(す)り合せて、あとは知らぬ世の、黒い波のざわつく中に、西東首を埋(うず)めて、あかの他人と化けてしまう。それならば差支(さしつかえ)ない。進んでこうと話もする。残念な事には、小夜子と自分は、碁盤の上に、訳もなく併(なら)べられた二つの石の引っ付くような浅い関係ではない。こちらから逃げ延びた五年の永き年月(としつき)を、向(むこう)では離れじと、日(ひ)の間(ま)とも夜の間ともなく、繰り出す糸の、誠は赤き縁(えにし)の色に、細くともこれまで繋(つな)ぎ留(と)められた仲である。
ただの女と云い切れば済まぬ事もない。その代り、人も嫌い自分も好かぬ嘘(うそ)となる。嘘は河豚汁(ふぐじる)である。その場限りで祟(たたり)がなければこれほど旨(うま)いものはない。しかし中毒(あたっ)たが最後苦しい血も吐かねばならぬ。その上嘘は実(まこと)を手繰寄(たぐりよ)せる。黙っていれば悟られずに、行き抜ける便(たより)もあるに、隠そうとする身繕(みづくろい)、名繕、さては素性(すじょう)繕に、疑(うたがい)の眸(ひとみ)の征矢(そや)はてっきり的(まと)と集りやすい。繕は綻(ほころ)びるを持前とする。綻びた下から醜い正体が、それ見た事かと、現われた時こそ、身の※(さび)は生涯(しょうがい)洗われない。——小野さんはこれほどの分別を持った、利害の関係には暗からぬ利巧者(りこうもの)である。西東隔たる京を縫うて、五年の長き思の糸に括(くく)られているわが情実は、目の前にすねて坐った当人には話したくない。少なくとも新らしい血に通(かよ)うこの頃の恋の脈が、調子を合せて、天下晴れての夫婦ぞと、二人の手頸(てくび)に暖たかく打つまでは話したくない。この情実を話すまいとすると、ただの女と不知(しら)を切る当座の嘘は吐(つ)きたくない。嘘を吐くまいとすると、小夜子の事は名前さえも打ち明けたくない。——小野さんはしきりに藤尾の様子を眺めている。
「昨夕(ゆうべ)博覧会へ御出(おいで)に……」とまで思い切った小野さんは、御出になりましたか[#「御出になりましたか」に傍点]にしようか、御出になったそうですね[#「御出になったそうですね」に傍点]にしようかのところでちょっとごとついた。
「ええ、行きました」
迷っている男の鼻面(はなづら)を掠(かす)めて、黒い影が颯(さっ)と横切って過ぎた。男はあっと思う間(ま)に先(せん)を越されてしまう。仕方がないから、
「奇麗(きれい)でしたろう」とつける。奇麗でしたろうは詩人として余り平凡である。口に出した当人も、これはひどいと自覚した。
「奇麗でした」と女は明確(きっぱり)受け留める。後(あと)から
「人間もだいぶ奇麗でした」と浴びせるように付け加えた。小野さんは思わず藤尾の顔を見る。少し見当(けんとう)がつき兼ねるので
「そうでしたか」と云った。当(あた)り障(さわ)りのない答は大抵の場合において愚(ぐ)な答である。弱身のある時は、いかなる詩人も愚をもって自ら甘んずる。
「奇麗な人間もだいぶ見ましたよ[#「見ましたよ」に傍点]」と藤尾は鋭どく繰り返した。何となく物騒な句である。なんだか無事に通り抜けられそうにない。男は仕方なしに口を緘(つぐ)んだ。女も留ったまま動かない。まだ白状しない気かと云う眼つきをして小野さんを見ている。宗盛(むねもり)と云う人は刀を突きつけられてさえ腹を切らなかったと云う。利害を重んずる文明の民が、そう軽卒に自分の損になる事を陳述する訳がない。小野さんはもう少し敵の動静を審(つまびらか)にする必要がある。
「誰か御伴(おつれ)がありましたか」と何気なく聴いて見る。
今度は女の返事がない。どこまでも一つ関所を守っている。
「今、門の所で甲野さんに逢ったら、甲野さんもいっしょに行ったそうですね」
「それほど知っていらっしゃる癖に、何で御尋ねになるの」と女はつんと拗(す)ねた。
「いえ、別に御伴でもあったのかと思って」と小野さんは、うまく逃げる。
「兄の外(ほか)にですか」
「ええ」
「兄に聞いて御覧になればいいのに」
機嫌は依然として悪いが、うまくすると、どうか、こうか渦(うず)の中を漕(こ)ぎ抜けられそうだ。向うの言葉にぶら下がって、往ったり来たりするうちに、いつの間(ま)にやら平地(ひらち)へ出る事がある。小野さんは今まで毎度この手で成功している。
「甲野君に聞こうと思ったんですけれども、早く上がろうとして急いだもんですから」
「ホホホ」と突然藤尾は高く笑った。男はぎょっとする。その隙(すき)に
「そんなに忙(いそが)しいものが、何で四五日無届欠席をしたんです」と飛んで来た。
「いえ、四五日大変忙しくって、どうしても来られなかったんです」
「昼間も」と女は肩を後(うしろ)へ引く。長い髪が一筋ごとに活(い)きているように動く。
「ええ?」と変な顔をする。
「昼間もそんなに忙しいんですか」
「昼間って……」
「ホホホホまだ分らないんですか」と今度はまた庭まで響くほどに疳高(かんだか)く笑う。女は自由自在に笑う事が出来る。男は茫然(ぼうぜん)としている。
「小野さん、昼間もイルミネーションがありますか」と云って、両手をおとなしく膝の上に重ねた。燦(さん)たる金剛石(ダイヤモンド)がぎらりと痛く、小野さんの眼に飛び込んで来る。小野さんは竹箆(しっぺい)でぴしゃりと頬辺(ほおぺた)を叩(たた)かれた。同時に頭の底で見られた[#「見られた」に傍点]と云う音がする。
「あんまり、勉強なさるとかえって金時計が取れませんよ」と女は澄した顔で畳み掛ける。男の陣立は総崩(そうくずれ)となる。
「実は一週間前に京都から故(もと)の先生が出て来たものですから……」
「おや、そう、ちっとも知らなかったわ。それじゃ御忙い訳ね。そうですか。そうとも知らずに、飛んだ失礼を申しまして」と嘯(うそぶ)きながら頭を低(た)れた。緑の髪がまた動く。
「京都におった時、大変世話になったものですから……」
「だから、いいじゃありませんか、大事にして上げたら。——私はね。昨夕(ゆうべ)兄と一(はじめ)さんと糸子さんといっしょに、イルミネーションを見に行ったんですよ」
「ああ、そうですか」
「ええ、そうして、あの池の辺(ふち)に亀屋(かめや)の出店があるでしょう。——ねえ知っていらっしゃるでしょう、小野さん」
「ええ——知って——います」
「知っていらっしゃる。——いらっしゃるでしょう。あすこで皆(みんな)して御茶を飲んだんです」
男は席を立ちたくなった。女はわざと落ちついた風を、飽(あ)くまでも粧(よそお)う。
「大変旨(おいし)い御茶でした事。あなた、まだ御這入(おはいり)になった事はないの」
小野さんは黙っている。
「まだ御這入にならないなら、今度(こんだ)是非その京都の先生を御案内なさい。私もまた一さんに連れて行って貰うつもりですから」
藤尾は一さん[#「一さん」に傍点]と云う名前を妙に響かした。
春の影は傾(かたぶ)く。永き日は、永くとも二人の専有ではない。床に飾ったマジョリカの置時計が絶えざる対話をこの一句にちん[#「ちん」に傍点]と切った。三十分ほどしてから小野さんは門外へ出る。その夜(よ)の夢に藤尾は、驚くうちは楽(たのしみ)がある! 女は仕合(しあわせ)なものだ! と云う嘲(あざけり)の鈴(れい)を聴かなかった。
十三
太い角柱を二本立てて門と云う。扉はあるかないか分らない。夜中郵便(やちゅうゆうびん)と書いて板塀(いたべい)に穴があいているところを見ると夜は締(しま)りをするらしい。正面に芝生(しばふ)を土饅頭(どまんじゅう)に盛り上げて市(いち)を遮(さえ)ぎる翠(みどり)を傘(からかさ)と張る松を格(かた)のごとく植える。松を廻れば、弧線を描(えが)いて、頭の上に合う玄関の廂(ひさし)に、浮彫の波が見える。障子は明け放ったままである。呑気(のんき)な白襖(しろぶすま)に舞楽の面ほどな草体を、大雅堂(たいがどう)流の筆勢で、無残(むざん)に書き散らして、座敷との仕切(しきり)とする。
甲野(こうの)さんは玄関を右に切れて、下駄箱の透(す)いて見える格子(こうし)をそろりと明けた。細い杖(つえ)の先で合土(たたき)の上をこちこち叩(たた)いて立っている。頼むとも何とも云わぬ。無論応ずるものはない。屋敷のなかは人の住む気合(けわい)も見えぬほどにしんとしている。門前を通る車の方がかえって賑(にぎ)やかに聞える。細い杖の先がこちこち鳴る。
やがて静かなうちで、すうと唐紙(からかみ)が明く音がする。清(きよ)や清やと下女を呼ぶ。下女はいないらしい。足音は勝手の方に近づいて来た。杖の先はこちこちと云う。足音は勝手から内玄関の方へ抜け出した。障子があく。糸子(いとこ)と甲野さんは顔を見合せて立った。
下女もおり書生も置く身は、気軽く構えても滅多(めった)に取次に出る事はない。出ようと思う間(ま)に、立てかけた膝(ひざ)をおろして、一針でも二針でも縫糸が先へ出るが常である。重たき琵琶(びわ)の抱(だ)き心地と云う永い昼が、永きに堪(た)えず崩れんとするを、鳴く※(あぶ)にうっとりと夢を支えて、清を呼べば、清は裏へでも行ったらしい。からりとした勝手には茶釜(ちゃがま)ばかりが静かに光っている。黒田さんは例のごとく、書生部屋で、坊主頭を腕の中に埋(うず)めて、机の上に猫のように寝ているだろう。立(た)ち退(の)いた空屋敷(あきやしき)とも思わるるなかに、内玄関(ないげんかん)でこちこち音がする。はてなと何気なく障子を明けると——広い世界にたった一人の甲野さんが立っている。格子(こうし)から差す戸外(そと)の日影を背に受けて、薄暗く高い身を、合土(たたき)の真中に動かしもせず、しきりに杖を鳴らしている。
「あら」
同時に杖の音(ね)はとまる。甲野さんは帽の廂(ひさし)の下から女の顔を久しぶりのように見た。女は急に眼をはずして、細い杖の先を眺める。杖の先から熱いものが上(のぼ)って、顔がぽうとほてる。油を抜いて、なすがままにふくらました髪を、落すがごとく前に、糸子は腰を折った。
「御出(おいで)?」と甲野さんは言葉の尻を上げて簡単に聞く。
「今ちょっと」と答えたのみで、苦のない二重瞼(ふたえまぶた)に愛嬌(あいきょう)の波が寄った。
「御留守ですか。——阿爺(おとっ)さんは」
「父は謡(うたい)の会で朝から出ました」
「そう」と男は長い体躯(からだ)を、半分回して、横顔を糸子の方へ向けた。
「まあ、御這入(おはいり)、——兄はもう帰りましょう」
「ありがとう」と甲野さんは壁に物を云う。
「どうぞ」と誘い込むように片足を後(あと)へ引いた。着物はあらい縞(しま)の銘仙(めいせん)である。
「ありがとう」
「どうぞ」
「どこへ行ったんです」と甲野さんは壁に向けた顔を、少し女の方へ振り直す。後(うしろ)から掠(かす)めて来る日影に、蒼(あお)い頬が、気のせいか、昨日(きのう)より少し瘠(こ)けたようだ。
「散歩でしょう」と女は首を傾けて云う。
「私(わたし)も今散歩した帰りだ。だいぶ歩いて疲れてしまって……」
「じゃ、少し上がって休んでいらっしゃい。もう帰る時分ですから」
話は少しずつ延びる。話の延びるのは気の延びた証拠である。甲野さんは粗柾(あらまさ)の俎下駄(まないたげた)を脱いで座敷へ上がる。
長押作(なげしづく)りに重い釘隠(くぎかくし)を打って、動かぬ春の床(とこ)には、常信(つねのぶ)の雲竜(うんりゅう)の図を奥深く掛けてある。薄黒く墨を流した絹の色を、角(かく)に取り巻く紋緞子(もんどんす)の藍(あい)に、寂(さ)びたる時代は、象牙(ぞうげ)の軸さえも落ちついている。唐獅子(からじし)を青磁(せいじ)に鋳(い)る、口ばかりなる香炉(こうろ)を、どっかと据(す)えた尺余の卓は、木理(はだ)に光沢(つや)ある膏(あぶら)を吹いて、茶を紫に、紫を黒に渡る、胡麻(ごま)濃(こま)やかな紫檀(したん)である。
椽(えん)に遅日(ちじつ)多し、世をひたすらに寒がる人は、端近く絣(かすり)の前を合せる。乱菊に襟(えり)晴れがましきを豊(ゆたか)なる顎(あご)に圧(お)しつけて、面と向う障子の明(あきらか)なるを眩(まばゆ)く思う女は入口に控える。八畳の座敷は眇(びょう)たる二人を離れ離れに容(い)れて広過ぎる。間は六尺もある。
忽然(こつぜん)として黒田さんが現れた。小倉(こくら)の襞(ひだ)を飽くまで潰(つぶ)した袴(はかま)の裾(すそ)から赭黒(あかぐろ)い足をにょきにょきと運ばして、茶を持って来る。煙草盆(たばこぼん)を持って来る。菓子鉢を持って来る。六尺の距離は格(かた)のごとく埋(うず)められて、主客の位地は辛うじて、接待の道具で繋(つな)がれる。忽然(こつぜん)として午睡の夢から起きた黒田さんは器械的に縁(えにし)の糸を二人の間に渡したまま、朦朧(もうろう)たる精神を毬栗頭(いがぐりあたま)の中に封じ込めて、再び書生部屋へ引き下がる。あとは故(もと)の空屋敷(あきやしき)となる。
「昨夕(ゆうべ)は、どうでした。疲れましたろう」
「いいえ」
「疲れない? 私(わたし)より丈夫だね」と甲野さんは少し笑い掛けた。
「だって、往復(ゆきかえり)共電車ですもの」
「電車は疲れるもんですがね」
「どうして」
「あの人で。あの人で疲れます。そうでも無いですか」
糸子は丸い頬に片靨(かたえくぼ)を見せたばかりである。返事はしなかった。
「面白かったですか」と甲野さんが聞く。
「ええ」
「何が面白かったですか。イルミネーションがですか」
「ええ、イルミネーションも面白かったけれども……」
「イルミネーションのほかに何か面白いものが有ったんですか」
「ええ」
「何が」
「でもおかしいわ」と首を傾(かた)げて愛らしく笑っている。要領を得ぬ甲野さんも何となく笑いたくなる。
「何ですかその面白かったものは」
「云って見ましょうか」
「云って御覧なさい」
「あの、皆(みんな)して御茶を飲んだでしょう」
「ええ、あの御茶が面白かったんですか」
「御茶じゃないんです。御茶じゃないんですけれどもね」
「ああ」
「あの時小野さんがいらしったでしょう」
「ええ、いました」
「美しい方(かた)を連れていらしったでしょう」
「美しい? そう。若い人といっしょのようでしたね」
「あの方を御存じでしょう」
「いいえ、知らない」
「あら。だって兄がそう云いましたわ」
「そりゃ顔を知ってると云う意味なんでしょう。話をした事は一遍もありません」
「でも知っていらっしゃるでしょう」
「ハハハハ。どうしても知ってなければならないんですか。実は逢(あ)った事は何遍もあります」
「だから、そう云ったんですわ」
「だから何と」
「面白かったって」
「なぜ」
「なぜでも」
二重瞼(ふたえまぶた)に寄る波は、寄りては崩(くず)れ、崩れては寄り、黒い眸(ひとみ)を、見よがしに弄(もてあそ)ぶ。繁(しげ)き若葉を洩(も)る日影の、錯落(さくらく)と大地に鋪(し)くを、風は枝頭(しとう)を揺(うご)かして、ちらつく苔(こけ)の定かならぬようである。甲野さんは糸子の顔を見たまま、なぜの説明を求めなかった。糸子も進んでなぜの訳を話さなかった。なぜ[#「なぜ」に傍点]は愛嬌(あいきょう)のうちに溺(おぼ)れて、要領を得る前に、行方(ゆくえ)を隠してしまった。
塗り立てて瓢箪形(ひょうたんなり)の池浅く、焙烙(ほうろく)に熬(い)る玉子の黄味に、朝夕を楽しく暮す金魚の世は、尾を振り立てて藻(も)に潜(もぐ)るとも、起つ波に身を攫(さらわ)るる憂(うれい)はない。鳴戸(なると)を抜ける鯛(たい)の骨は潮に揉(も)まれて年々(としどし)に硬くなる。荒海の下は地獄へ底抜けの、行くも帰るも徒事(いたずらごと)では通れない。ただ広海(ひろうみ)の荒魚(あらうお)も、三つ尾の丸(まる)っ子(こ)も、同じ箱に入れられれば、水族館に隣合(となりあわせ)の友となる。隔たりの関は見えぬが、仕切る硝子(ガラス)は透(す)き通りながら、突き抜けようとすれば鼻頭(はなづら)を痛めるばかりである。海を知らぬ糸子に、海の話は出来ぬ。甲野さんはしばらく瓢箪形に応対をしている。
「あの女はそんなに美人でしょうかね」
「私は美いと思いますわ」
「そうかな」と甲野さんは椽側(えんがわ)の方を見た。野面(のづら)の御影(みかげ)に、乾かぬ露が降りて、いつまでも湿(しっ)とりと眺(なが)められる径(わたし)二尺の、縁(ふち)を択(えら)んで、鷺草(さぎそう)とも菫(すみれ)とも片づかぬ花が、数を乏しく、行く春を偸(ぬす)んで、ひそかに咲いている。
「美しい花が咲いている」
「どこに」
糸子の目には正面の赤松と根方(ねがた)にあしらった熊笹(くまざさ)が見えるのみである。
「どこに」と暖い顎(あご)を延ばして向(むこう)を眺める。
「あすこに。——そこからは見えない」
糸子は少し腰を上げた。長い袖(そで)をふらつかせながら、二三歩膝頭(ひざがしら)で椽(えん)に近く擦(す)り寄って来る。二人の距離が鼻の先に逼(せま)ると共に微(かす)かな花は見えた。
「あら」と女は留(とま)る。
「奇麗でしょう」
「ええ」
「知らなかったんですか」
「いいえ、ちっとも」
「あんまり小さいから気がつかない。いつ咲いて、いつ消えるか分らない」
「やっぱり桃や桜の方が奇麗でいいのね」
甲野さんは返事をせずに、ただ口のうちで
「憐れな花だ」と云った。糸子は黙っている。
「昨夜(ゆうべ)の女のような花だ」と甲野さんは重ねた。
「どうして」と女は不審そうに聞く。男は長い眼を翻(ひるが)えしてじっと女の顔を見ていたが、やがて、
「あなたは気楽でいい」と真面目に云う。
「そうでしょうか」と真面目に答える。
賞(ほ)められたのか、腐(くさ)されたのか分らない。気楽か気楽でないか知らない。気楽がいいものか、わるいものか解(かい)しにくい。ただ甲野さんを信じている。信じている人が真面目(まじめ)に云うから、真面目にそうでしょうかと云うよりほかに道はない。
文(あや)は人の目を奪う。巧は人の目を掠(かす)める。質は人の目を明かにする。そうでしょうか[#「そうでしょうか」に傍点]を聞いた時、甲野さんは何となくありがたい心持がした。直下(じきげ)に人の魂を見るとき、哲学者は理解(りげ)の頭(かしら)を下げて、無念とも何とも思わぬ。
「いいですよ。それでいい。それで無くっちゃ駄目だ。いつまでもそれでなくっちゃ駄目だ」
糸子は美くしい歯を露(あら)わした。
「どうせこうですわ。いつまで立ったって、こうですわ」
「そうは行かない」
「だって、これが生れつきなんだから、いつまで立ったって、変りようがないわ」
「変ります。——阿爺(おとっさん)と兄さんの傍(そば)を離れると変ります」
「どうしてでしょうか」
「離れると、もっと利口に変ります」
「私(わたし)もっと利口になりたいと思ってるんですわ。利口に変れば変る方がいいんでしょう。どうかして藤尾(ふじお)さんのようになりたいと思うんですけれども、こんな馬鹿だものだから……」
甲野さんは世に気の毒な顔をして糸子のあどけない口元を見ている。
「藤尾がそんなに羨(うらやま)しいんですか」
「ええ、本当に羨ましいわ」
「糸子さん」と男は突然優しい調子になった。
「なに」と糸子は打ち解けている。
「藤尾のような女は今の世に有過ぎて困るんですよ。気をつけないと危(あぶ)ない」
女は依然として、肉余る瞼(まぶた)を二重(ふたえ)に、愛嬌(あいきょう)の露を大きな眸(ひとみ)の上に滴(したたら)しているのみである。危ないという気色(けしき)は影さえ見えぬ。
「藤尾が一人出ると昨夕(ゆうべ)のような女を五人殺します」
鮮(あざや)かな眸に滴るものはぱっと散った。表情はとっさに変る。殺す[#「殺す」に傍点]と云う言葉はさほどに怖(おそろ)しい。——その他の意味は無論分らぬ。
「あなたはそれで結構だ。動くと変ります。動いてはいけない」
「動くと?」
「ええ、恋をすると変ります」
女は咽喉(のど)から飛び出しそうなものを、ぐっと嚥(の)み下(くだ)した。顔は真赤(まっか)になる。
「嫁に行くと変ります」
女は俯向(うつむ)いた。
「それで結構だ。嫁に行くのはもったいない」
可愛らしい二重瞼がつづけ様に二三度またたいた。結んだ口元をちょろちょろと雨竜(あまりょう)の影が渡る。鷺草(さぎそう)とも菫(すみれ)とも片づかぬ花は依然として春を乏(とも)しく咲いている。
十四
電車が赤い札を卸(おろ)して、ぶうと鳴って来る。入れ代って後(うしろ)から町内の風を鉄軌(レール)の上に追い捲(ま)くって去る。按摩(あんま)が隙(すき)を見計って恐る恐る向側(むこうがわ)へ渡る。茶屋の小僧が臼(うす)を挽(ひ)きながら笑う。旗振(はたふり)の着るヘル地の織目は、埃(ほこり)がいっぱい溜って、黄色にぼけている。古本屋から洋服が出て来る。鳥打帽が寄席(よせ)の前に立っている。今晩の語り物が塗板に白くかいてある。空は針線(はりがね)だらけである。一羽の鳶(とび)も見えぬ。上の静なるだけに下はすこぶる雑駁(ざっぱく)な世界である。
「おいおい」と大きな声で後から呼ぶ。
二十四五の夫人がちょっと振り向いたまま行く。
「おい」
今度は印絆天(しるしばんてん)が向いた。
呼ばれた本人は、知らぬ気(げ)に、来る人を避(よ)けて早足に行く。抜き競(くら)をして飛んで来た二輛(りょう)の人力(じんりき)に遮(さえ)ぎられて、間はますます遠くなる。宗近(むねちか)君は胸を出して馳(か)け出した。寛(ゆる)く着た袷(あわせ)と羽織が、足を下(おろ)すたんびに躍(おどり)を踊る。
「おい」と後(うしろ)から手を懸(か)ける。肩がぴたりと留まると共に、小野さんの細面(ほそおもて)が斜(なな)めに見えた。両手は塞(ふさ)がっている。
「おい」と手を懸けたまま肩をゆす振る。小野さんはゆす振られながら向き直った。
「誰かと思ったら……失敬」
小野さんは帽子のまま鄭寧(ていねい)に会釈(えしゃく)した。両手は塞(ふさ)がっている。
「何を考えてるんだ。いくら呼んでも聴(きこ)えない」
「そうでしたか。ちっとも気がつかなかった」
「急いでるようで、しかも地面の上を歩いていないようで、少し妙だよ」
「何が」
「君の歩行方(あるきかた)がさ」
「二十世紀だから、ハハハハ」
「それが新式の歩行方か。何だか片足が新で片足が旧のようだ」
「実際こう云うものを提(さ)げていると歩行にくいから……」
小野さんは両手を前の方へ出して、この通りと云わぬばかりに、自分から下の方へ眼を着けて見せる。宗近君も自然と腰から下へ視線を移す。
「何だい、それは」
「こっちが紙屑籠(かみくずかご)、こっちが洋灯(ランプ)の台」
「そんなハイカラな形姿(なり)をして、大きな紙屑籠なんぞを提げてるから妙なんだよ」
「妙でも仕方がない、頼まれものだから」
「頼まれて妙になるのは感心だ。君に紙屑籠を提(さ)げて往来を歩くだけの義侠心があるとは思わなかった」
小野さんは黙って笑ながら御辞儀(おじぎ)をした。
「時にどこへ行くんだね」
「これを持って……」
「それを持って帰るのかね」
「いいえ。頼まれたから買って行ってやるんです。君は?」
「僕はどっちへでも行く」
小野さんは内心少々当惑した。急いでいるようで、しかも地面の上を歩行(あるい)ていないようだと、宗近君が云ったのは、まさに現下の状態によく適合(あてはま)った小野評である。靴に踏む大地は広くもある、堅くもある、しかし何となく踏み心地が確かでない。にもかかわらず急ぎたい。気楽な宗近君などに逢(あ)っては立話をするのさえ難義である。いっしょにあるこうと云われるとなおさら困る。
常でさえ宗近君に捕(つら)まると何となく不安である。宗近君と藤尾(ふじお)の関係を知るような知らぬような間(ま)に、自分と藤尾との関係は成り立ってしまった。表向(おもてむき)人の許嫁(いいなずけ)を盗んだほどの罪は犯さぬつもりであるが、宗近君の心は聞かんでも知れている。露骨な人の立居振舞の折々にも、気のあるところはそれと推測が出来る。それを裏から壊しに掛ったとまでは行かぬにしても、事実は宗近君の望を、われ故(ゆえ)に、永久に鎖した訳になる。人情としては気の毒である。
気の毒はこれだけで気の毒である上に、宗近君が気楽に構えて、毫(ごう)も自分と藤尾の仲を苦にしていないのがなおさらの気の毒になる。逢えば隔意なく話をする。冗談(じょうだん)を云う。笑う。男子の本領を説く。東洋の経綸を論ずる。もっとも恋の事は余り語らぬ。語らぬと云わんよりむしろ語れぬのかも知れぬ。宗近君は恐らく恋の真相を解(げ)せぬ男だろう。藤尾の夫(おっと)には不足である。それにもかかわらず気の毒は依然として気の毒である。
気の毒とは自我を没した言葉である。自我を没した言葉であるからありがたい。小野さんは心のうちで宗近君に気の毒だと思っている。しかしこの気の毒のうちに大いなる己(おのれ)を含んでいる。悪戯(いたずら)をして親の前へ出るときの心持を考えて見るとわかる。気の毒だったと親のために悔ゆる了見(りょうけん)よりは何となく物騒だと云う感じが重(おも)である。わが悪戯が、己れと掛け離れた別人の頭の上に落した迷惑はともかくも、この迷惑が反響して自分の頭ががんと鳴るのが気味が悪い。雷(らい)の嫌(きらい)なものが、雷を封じた雲の峰の前へ出ると、少しく逡巡(しゅんじゅん)するのと一般である。ただの気の毒とはよほど趣(おもむき)が違う。けれども小野さんはこれを称して気の毒と云っている。小野さんは自分の感じを気の毒以下に分解するのを好まぬからであろう。
「散歩ですか」と小野さんは鄭寧(ていねい)に聞いた。
「うん。今、その角(かど)で電車を下りたばかりだ。だから、どっちへ行ってもいい」
この答は少々論理に叶(かな)わないと、小野さんは思った。しかし論理はどうでも構わない。
「僕は少し急ぐから……」
「僕も急いで差支(さしつかえ)ない。少し君の歩く方角へ急いでいっしょに行こう。——その紙屑籠(かみくずかご)を出せ。持ってやるから」
「なにいいです。見っともない」
「まあ、出しなさい。なるほど嵩張(かさば)る割に軽いもんだね。見っともないと云うのは小野さんの事だ」と宗近君は屑籠を揺(ふ)りながら歩き出す。
「そう云う風に提(さ)げるとさも軽そうだ」
「物は提げ様一つさ。ハハハハ。こりゃ勧工場(かんこうば)で買ったのかい。だいぶ精巧なものだね。紙屑を入れるのはもったいない」
「だから、まあ往来を持って歩けるんだ。本当の紙屑が這入(はい)っていちゃ……」
「なに持って歩けるよ。電車は人屑をいっぱい詰めて威張って往来を歩いてるじゃないか」
「ハハハハすると君は屑籠の運転手と云う事になる」
「君が屑籠の社長で、頼んだ男は株主か。滅多(めった)な屑は入れられない」
「歌反古(うたほご)とか、五車(ごしゃ)反古と云うようなものを入れちゃ、どうです」
「そんなものは要(い)らない。紙幣(しへい)の反古をたくさん入れて貰いたい」
「ただの反古を入れて置いて、催眠術を掛けて貰う方が早そうだ」
「まず人間の方で先に反古(ほご)になる訳だな。乞う隗(かい)より始めよか。人間の反古なら催眠術を掛けなくてもたくさんいる。なぜこう隗より始めたがるのかな」
「なかなか隗より始めたがらないですよ。人間の反故が自分で屑籠の中へ這入ってくれると都合がいいんだけれども」
「自働屑籠を発明したら好かろう。そうしたら人間の反故がみんな自分で飛び込むだろう」
「一つ専売でも取るか」
「アハハハハ好かろう。知ったもののうちで飛び込ましたい人間でもあるかね」
「あるかも知れません」と小野さんは切り抜けた。
「時に君は昨夕(ゆうべ)妙な伴(つれ)とイルミネーションを見に行ったね」
見物に行った事はさっき露見してしまった。今更(いまさら)隠す必要はない。
「ええ、君らも行ったそうですね」と小野さんは何気なく答えた。甲野(こうの)さんは見つけても知らぬ顔をしている。藤尾は知らぬ顔をして、しかも是非共こちらから白状させようとする。宗近君は向(むこう)から正面に質問してくる。小野さんは何気なく答えながら、心のうちになるほどと思った。
「あれは君の何だい」
「少し猛烈ですね。——故(もと)の先生です」
「あの女は、それじゃ恩師の令嬢だね」
「まあ、そんなものです」
「ああやって、いっしょに茶を飲んでいるところを見ると、他人とは見えない」
「兄妹と見えますか」
「夫婦さ。好い夫婦だ」
「恐れ入ります」と小野さんはちょっと笑ったがすぐ眼を外(そら)した。向側(むこうがわ)の硝子戸(ガラスど)のなかに金文字入の洋書が燦爛(さんらん)と詩人の注意を促(うな)がしている。
「君、あすこにだいぶ新刊の書物が来ているようだが、見ようじゃありませんか」
「書物か。何か買うのかい」
「面白いものがあれば買ってもいいが」
「屑籠を買って、書物を買うのはすこぶるアイロニーだ」
「なぜ」
宗近君は返事をする前に、屑籠を提げたまま、電車の間を向側へ馳(か)け抜けた。小野さんも小走(こばしり)に跟(つ)いて来る。
「はあだいぶ奇麗な本が陳列している。どうだい欲しいものがあるかい」
「さよう」と小野さんは腰を屈めながら金縁の眼鏡(めがね)を硝子窓に擦(す)り寄せて余念なく見取れている。
小羊(ラム)の皮を柔らかに鞣(なめ)して、木賊色(とくさいろ)の濃き真中に、水蓮(すいれん)を細く金に描(えが)いて、弁(はなびら)の尽くる萼(うてな)のあたりから、直なる線を底まで通して、ぐるりと表紙の周囲を回(まわ)らしたのがある。背を平らに截(た)って、深き紅(くれない)に金髪を一面に這(は)わせたような模様がある。堅き真鍮版(しんちゅうばん)に、どっかと布(クロース)の目を潰(つぶ)して、重たき箔(はく)を楯形(たてがた)に置いたのがある。素気(すげ)なきカーフの背を鈍色(にびいろ)に緑に上下(うえした)に区切って、双方に文字だけを鏤(ちりば)めたのがある。ざら目の紙に、品(ひん)よく朱の書名を配置した扉(とびら)も見える。
「みんな欲しそうだね」と宗近君は書物を見ずに、小野さんの眼鏡ばかり見ている。
「みんな新式な装釘(バインジング)だ。どうも」
「表紙だけ奇麗にして、内容の保険をつけた気なのかな」
「あなた方のほうと違って文学書だから」
「文学書だから上部(うわべ)を奇麗にする必要があるのかね。それじゃ文学者だから金縁の眼鏡を掛ける必要が起るんだね」
「どうも、きびしい。しかしある意味で云えば、文学者も多少美術品でしょう」と小野さんはようやく窓を離れた。
「美術品で結構だが、金縁眼鏡だけで保険をつけてるのは情(なさけ)ない」
「とかく眼鏡が祟(たた)るようだ。——宗近君は近視眼じゃないんですか」
「勉強しないから、なりたくてもなれない」
「遠視眼でもないんですか」
「冗談(じょうだん)を云っちゃいけない。——さあ好加減(いいかげん)に歩こう」
二人は肩を比(なら)べてまた歩き出した。
「君、鵜(う)と云う鳥を知ってるだろう」と宗近君が歩きながら云う。
「ええ。鵜がどうかしたんですか」
「あの鳥は魚をせっかく呑んだと思うと吐いてしまう。つまらない」
「つまらない。しかし魚は漁夫(りょうし)の魚籃(びく)の中に這入(はい)るから、いいじゃないですか」
「だからアイロニーさ。せっかく本を読むかと思うとすぐ屑籠(くずかご)のなかへ入れてしまう。学者と云うものは本を吐いて暮している。なんにも自分の滋養にゃならない。得(とく)の行くのは屑籠ばかりだ」
「そう云われると学者も気の毒だ。何をしたら好いか分らなくなる」
「行為(アクション)さ。本を読むばかりで何にも出来ないのは、皿に盛った牡丹餅(ぼたもち)を画(え)にかいた牡丹餅と間違えておとなしく眺(なが)めているのと同様だ。ことに文学者なんてものは奇麗な事を吐く割に、奇麗な事をしないものだ。どうだい小野さん、西洋の詩人なんかによくそんなのがあるようじゃないか」
「さよう」と小野さんは間(ま)を延ばして答えたが、
「例(たと)えば」と聞き返した。
「名前なんか忘れたが、何でも女をごまかしたり、女房をうっちゃったりしたのがいるぜ」
「そんなのはいないでしょう」
「なにいる、たしかにいる」
「そうかな。僕もよく覚えていないが……」
「専門家が覚えていなくっちゃ困る。——そりゃそうと昨夜(ゆうべ)の女ね」
小野さんの腋(わき)の下が何だかじめじめする。
「あれは僕よく知ってるぜ」
琴(こと)の事件なら糸子から聞いた。その外(ほか)に何も知るはずがない。
「蔦屋(つたや)の裏にいたでしょう」と一躍して先へ出てしまった。
「琴を弾いていた」
「なかなか旨(うま)いでしょう」と小野さんは容易に悄然(しょげ)ない。藤尾に逢った時とは少々様子が違う。
「旨いんだろう、何となく眠気(ねむけ)を催したから」
「ハハハハそれこそアイロニーだ」と小野さんは笑った。小野さんの笑い声はいかなる場合でも静の一字を離れない。その上色彩(つや)がある。
「冷やかすんじゃない。真面目(まじめ)なところだ。かりそめにも君の恩師の令嬢を馬鹿にしちゃ済まない」
「しかし眠気を催しちゃ困りますね」
「眠気を催おすところが好いんだ。人間でもそうだ。眠気を催おすような人間はどこか尊(たっ)といところがある」
「古くって尊といんでしょう」
「君のような新式な男はどうしても眠くならない」
「だから尊とくない」
「ばかりじゃない。ことに依ると、尊とい人間を時候後(おく)れだなどとけなしたがる」
「今日は何だか攻撃ばかりされている。ここいらで御分れにしましょうか」と小野さんは少し苦しいところを、わざと笑って、立ち留る。同時に右の手を出す。紙屑籠を受取ろうと云う謎(なぞ)である。
「いや、もう少し持ってやる。どうせ暇なんだから」
二人はまた歩き出す。二人が二人の心を並べたままいっしょに歩き出す。双方で双方を軽蔑(けいべつ)している。
「君は毎日暇のようですね」
「僕か? 本はあんまり読まないね」
「ほかにだって、あまり忙がしい事がありそうには見えませんよ」
「そう忙がしがる必要を認めないからさ」
「結構です」
「結構に出来る間は結構にして置かんと、いざと云う時に困る」
「臨時応急の結構。いよいよ結構ですハハハハ」
「君、相変らず甲野へ行くかい」
「今行って来たんです」
「甲野へ行ったり、恩師を案内したり、忙がしいだろう」
「甲野の方は四五日休みました」
「論文は」
「ハハハハいつの事やら」
「急いで出すが好い。いつの事やらじゃせっかく忙がしがる甲斐(かい)がない」
「まあ臨時応急にやりましょう」
「時にあの恩師の令嬢はね」
「ええ」
「あの令嬢についてよっぽど面白い話があるがね」
小野さんは急にどきんとした。何の話か分らない。眼鏡の縁(ふち)から、斜めに宗近君を見ると、相変らず、紙屑籠(かみくずかご)を揺(ふ)って、揚々(ようよう)と正面を向いて歩いている。
「どんな……」と聞き返した時は何となく勢(せい)がなかった。
「どんなって、よっぽど深い因縁(いんねん)と見える」
「誰が」
「僕らとあの令嬢がさ」
小野さんは少し安心した。しかし何だか引っ掛っている。浅かれ深かれ宗近君と孤堂(こどう)先生との関係をぷすりと切って棄てたい。しかし自然が結んだものは、いくら能才でも天才でも、どうする訳にも行かない。京の宿屋は何百軒とあるに、何で蔦屋(つたや)へ泊り込んだものだろうと思う。泊らんでも済むだろうにと思う。わざわざ三条へ梶棒(かじぼう)を卸(おろ)して、わざわざ蔦屋へ泊るのはいらざる事だと思う。酔興(すいきょう)だと思う。余計な悪戯(いたずら)だと思う。先方に益(えき)もないのに好んで人を苦しめる泊り方だと思う。しかしいくら、どう思っても仕方がないと思う。小野さんは返事をする元気も出なかった。
「あの令嬢がね。小野さん」
「ええ」
「あの令嬢がねじゃいけない。あの令嬢をだ。——見たよ」
「宿の二階からですか」
「二階からも見た」
も[#「も」に傍点]の字が少し気になる。春雨の欄に出て、連翹(れんぎょう)の花もろともに古い庭を見下(みくだ)された事は、とくの昔に知っている。今更引合(ひきあい)に出されても驚ろきはしない。しかし二階からも[#「も」に傍点]となると剣呑(けんのん)だ。そのほかにまだ見られた事があるにきまっている。不断なら進んで聞くところだが、何となく空景気(からけいき)を着けるような心持がして、どこで[#「どこで」に傍点]と押を強く出損(でそく)なったまま、二三歩あるく。
「嵐山(らんざん)へ行くところも見た」
「見ただけですか」
「知らない人に話は出来ない。見ただけさ」
「話して見れば好かったのに」
小野さんは突然冗談(じょうだん)を云う。にわかに景気が好くなった。
「団子を食っているところも見た」
「どこで」
「やっぱり嵐山(らんざん)だ」
「それっ切りですか」
「まだ有る。京都から東京までいっしょに来た」
「なるほど勘定して見ると同じ汽車でしたね」
「君が停車場(ステーション)へ迎えに行ったところも見た」
「そうでしたか」と小野さんは苦笑した。
「あの人は東京ものだそうだね」
「誰が……」と云い掛けて、小野さんは、眼鏡の珠(たま)のはずれから、変に相手の横顔を覗(のぞ)き込んだ。
「誰が? 誰がとは」
「誰が話したんです」
小野さんの調子は存外落ついている。
「宿屋の下女が話した」
「宿屋の下女が? 蔦屋(つたや)の?」
念を押したような、後(あと)が聞きたいような、後がないのを確かめたいような様子である。
「うん」と宗近君は云った。
「蔦屋の下女は……」
「そっちへ曲るのかい」
「もう少し、どうです、散歩は」
「もう好い加減に引き返そう。さあ大事の紙屑籠。落さないように持って行くがいい」
小野さんは恭(うやうや)しく屑籠を受取った。宗近君は飄然(ひょうぜん)として去る。
一人になると急ぎたくなる。急げば早く孤堂先生の家(うち)へ着く。着くのはありがたくない。孤堂先生の家へ急ぎたいのではない。小野さんは何だか急ぎたいのである。両手は塞(ふさが)っている。足は動いている。恩賜の時計は胴衣(チョッキ)のなかで鳴っている。往来は賑(にぎや)かである。——すべてのものを忘れて、小野さんの頭は急いでいる。早くしなければならん。しかしどうして早くして好いか分らない。ただ一昼夜が十二時間に縮まって、運命の車が思う方角へ全速力で廻転してくれるよりほかに致し方はない。進んで自然の法則を破るほどな不料簡(ふりょうけん)は起さぬつもりである。しかし自然の方で、少しは事情を斟酌(しんしゃく)して、自分の味方になって働らいてくれても好さそうなものだ。そうなる事は受合だと保証がつけば、観音(かんのん)様へ御百度を踏んでも構わない。不動様へ護摩(ごま)を上げても宜(よろ)しい。耶蘇教(ヤソきょう)の信者には無論なる。小野さんは歩きながら神の必要を感じた。
宗近と云う男は学問も出来ない、勉強もしない。詩趣も解しない。あれで将来何になる気かと不思議に思う事がある。何が出来るものかと軽蔑(さげす)む事もある。露骨でいやになる事もある。しかし今更のように考えて見ると、あの態度は自分にはとうてい出来ない態度である。出来ないからこちらが劣っていると結論はせん。世の中には出来もせぬが、またしたくもない事がある。箸(はし)の先で皿を廻す芸当は出来るより出来ない方が上品だと思う。宗近の言語動作は無論自分には出来にくい。しかし出来にくいから、かえって自分の名誉だと今までは心得ていた。あの男の前へ出ると何だか圧迫を受ける。不愉快である。個人の義務は相手に愉快を与えるが専一と思う。宗近は社交の第一要義にも通じておらん。あんな男はただの世の中でも成功は出来ん。外交官の試験に落第するのは当り前である。
しかしあの男の前へ出て感じる圧迫は一種妙である。露骨から来るのか、単調から来るのか、いわゆる昔風の率直から来るのか、いまだに解剖して見ようと企てた事はないがとにかく妙である。故意に自分を圧(お)しつけようとしている景色(けしき)が寸毫(すんごう)も先方に見えないのにこちらは何となく感じてくる。ただ会釈(えしゃく)もなく思うままを随意に振舞っている自然のなかから、どうだと云わぬばかりに圧迫が顔を出す。自分はなんだか気が引ける。あの男に対しては済まぬ裏面の義理もあるから、それが祟(たた)って、徳義が制裁を加えるとのみ思い通して来たがそればかりではけっしてない。例(たと)えば天を憚(はば)からず地を憚からぬ山の、無頓着(むとんじゃく)に聳(そび)えて、面白からぬと云わんよりは、美くしく思えぬ感じである。星から墜(お)つる露を、蕊(ずい)に受けて、可憐の弁(はなびら)を、折々は、風の音信(たより)と小川へ流す。自分はこんな景色でなければ楽しいとは思えぬ。要するに宗近と自分とは檜山(ひのきやま)と花圃(はなばたけ)の差(ちがい)で、本来から性(しょう)が合わぬから妙な感じがするに違ない。
性(しょう)が合わぬ人を、合わねばそれまでと澄していた事もある。気の毒だと考えた事もある。情(なさけ)ないと軽蔑(さげす)んだ事もある。しかし今日ほど羨(うらやま)しく感じた事はない。高尚だから、上品だから、自分の理想に近いから、羨ましいとは夢にも思わぬ。ただあんな気分になれたらさぞよかろうと、今の苦しみに引(ひ)き較(くら)べて、急に羨ましくなった。
藤尾には小夜子(さよこ)と自分の関係を云い切ってしまった。あるとは云い切らない。世話になった昔の人に、心細く附き添う小(ち)さき影を、逢(あ)わぬ五年を霞(かすみ)と隔てて、再び逢(お)うたばかりの朦朧(ぼんやり)した間柄と云い切ってしまった。恩を着るは情(なさけ)の肌、師に渥(あつ)きは弟子(ていし)の分、そのほかには鳥と魚との関係だにないと云い切ってしまった。できるならばと辛防(しんぼう)して来た嘘(うそ)はとうとう吐(つ)いてしまった。ようやくの思で吐いた嘘は、嘘でも立てなければならぬ。嘘を実(まこと)と偽(いつ)わる料簡(りょうけん)はなくとも、吐くからは嘘に対して義務がある、責任が出る。あからさまに云えば嘘に対して一生の利害が伴なって来る。もう嘘は吐けぬ。二重の嘘は神も嫌(きらい)だと聞く。今日からは是非共嘘を実と通用させなければならぬ。
それが何となく苦しい。これから先生の所へ行けばきっと二重の嘘を吐かねばならぬような話を持ちかけられるに違ない。切り抜ける手はいくらもあるが、手詰(えづめ)に出られると跳(は)ねつける勇気はない。もう少し冷刻に生れていれば何の雑作(ぞうさ)もない。法律上の問題になるような不都合はしておらんつもりだから、判然(はっきり)断わってしまえばそれまでである。しかしそれでは恩人に済まぬ。恩人から逼(せま)られぬうちに、自分の嘘が発覚せぬうちに、自然が早く廻転して、自分と藤尾が公然結婚するように運ばなければならん。——後(あと)は? 後は後から考える。事実は何よりも有効である。結婚と云う事実が成立すれば、万事はこの新事実を土台にして考え直さなければならん。この新事実を一般から認められれば、あとはどんな不都合な犠牲でもする。どんなにつらい考え直し方でもする。
ただ機一髪と云う間際(まぎわ)で、煩悶(はんもん)する。どうする事も出来ぬ心が急(せ)く。進むのが怖(こわ)い。退(しり)ぞくのが厭(いや)だ。早く事件が発展すればと念じながら、発展するのが不安心である。したがって気楽な宗近が羨ましい。万事を商量するものは一本調子の人を羨ましがる。
春は行く。行く春は暮れる。絹のごとき浅黄(あさぎ)の幕はふわりふわりと幾枚も空を離れて地の上に被(かぶ)さってくる。払い退(の)ける風も見えぬ往来は、夕暮のなすがままに静まり返って、蒼然(そうぜん)たる大地の色は刻々に蔓(はびこ)って来る。西の果(はて)に用もなく薄焼けていた雲はようやく紫に変った。
蕎麦屋(そばや)の看板におかめの顔が薄暗く膨(ふく)れて、後(うしろ)から点(つ)ける灯(ひ)を今やと赤い頬に待つ向横町(むこうよこちょう)は、二間足らずの狭い往来になる。黄昏(たそがれ)は細長く家と家の間に落ちて、鎖(とざ)さぬ門(かど)を戸ごとにくぐる。部屋のなかはなおさら暗いだろう。
曲って左側の三軒目まで来た。門構と云う名はつけられない。往来をわずかに仕切る格子戸(こうしど)をそろりと明けると、なかは、ほのくらく近づく宵(よい)を、一段と刻んで下へ降りたような心持がする。
「御免」と云う。
静かな声は落ついた春の調子を乱さぬほどに穏(おだやか)である。幅一尺の揚板(あげいた)に、菱形(ひしがた)の黒い穴が、椽(えん)の下へ抜けているのを眺(なが)めながら取次をおとなしく待つ。返事はやがてした。うん[#「うん」に傍点]と云うのか、ああ[#「ああ」に傍点]と云うのかはい[#「はい」に傍点]と云うのか、さらに要領を得ぬ声である。小野さんはやはり菱形の黒い穴を覗(のぞ)きながら取次を待っている。やがて障子(しょうじ)の向(むこう)でずしんと誰か跳(は)ね起きた様子である。怪しい普請(ふしん)と見えて根太(ねだ)の鳴る音が手に取るように聞える。例の壁紙模様の襖(ふすま)が開(あ)く。二畳の玄関へ出て来たなと思う間(ま)もなく、薄暗い障子の影に、肉の落ちた孤堂先生の顔が髯(ひげ)もろともに現われた。
平生からあまり丈夫には見えない。骨が細く、躯(からだ)が細く、顔はことさら細く出来上ったうえに、取る年は争われぬ雨と風と苦労とを吹きつけて、辛(から)い浮世に、辛くも取り留めた心さえ細くなるばかりである。今日は一層(ひとしお)顔色が悪い。得意の髯さえも尋常には見えぬ。黒い隙間(すきま)を白いのが埋(うず)めて、白い隙間を風が通る。
古(いにしえ)の人は顎(あご)の下まで影が薄い。一本ずつ吟味して見ると先生の髯は一本ごとにひょろひょろしている。小野さんは鄭寧(ていねい)に帽を脱いで、無言のまま挨拶(あいさつ)をする。英吉利刈(イギリスがり)の新式な頭は、眇然(びょうぜん)たる「過去」の前に落ちた。
径(さしわたし)何十尺の円を描(えが)いて、周囲に鉄の格子を嵌(は)めた箱をいくつとなくさげる。運命の玩弄児(がんろうじ)はわれ先にとこの箱へ這入(はい)る。円は廻り出す。この箱にいるものが青空へ近く昇る時、あの箱にいるものは、すべてを吸い尽す大地へそろりそろりと落ちて行く。観覧車を発明したものは皮肉な哲学者である。
英吉利式(イギリスしき)の頭は、この箱の中でこれから雲へ昇ろうとする。心細い髯(ひげ)に、世を佗(わ)び古りた記念のためと、大事に胡麻塩(ごましお)を振り懸けている先生は、あの箱の中でこれから暗い所へ落ちつこうとする。片々(かたかた)が一尺昇れば片々は一尺下がるように運命は出来上っている。
昇るものは、昇りつつある自覚を抱いて、降(くだ)りつつ夜に行くものの前に鄭寧(ていねい)な頭(こうべ)を惜気もなく下げた。これを神の作れるアイロニーと云う。
「やあ、これは」と先生は機嫌が好い。運命の車で降りるものが、昇るものに出合うと自然に機嫌がよくなる。
「さあ御上り」とたちまち座敷へ取って返す。小野さんは靴の紐(ひも)を解く。解き終らぬ先に先生はまた出てくる。
「さあ御上り」
座敷の真中に、昼を厭(いと)わず延べた床(とこ)を、壁際へ押しやったあとに、新調の座布団が敷いてある。
「どうか、なさいましたか」
「何だか、今朝から心持が悪くってね。それでも朝のうちは我慢していたが、午(ひる)からとうとう寝てしまった。今ちょうどうとうとしていたところへ君が来たので、待たして御気の毒だった」
「いえ、今格子を開(あ)けたばかりです」
「そうかい。何でも誰か来たようだから驚いて出て見た」
「そうですか、それは御邪魔をしました。寝ていらっしゃれば好かったですね」
「なに大した事はないから。——それに小夜も婆さんもいないものだから」
「どこかへ……」
「ちょっと風呂に行った。買物かたがた」
床の抜殻は、こんもり高く、這(は)い出した穴を障子に向けている。影になった方が、薄暗く夜着の模様を暈(ぼか)す上に、投げ懸けた羽織の裏が、乏しき光線(ひかり)をきらきらと聚(あつ)める。裏は鼠(ねずみ)の甲斐絹(かいき)である。
「少しぞくぞくするようだ。羽織でも着よう」と先生は立ち上がる。
「寝ていらしったら好いでしょう」
「いや少し起きて見よう」
「何ですかね」
「風邪(かぜ)でもないようだが、——なに大した事もあるまい」
「昨夕(ゆうべ)御出(おで)になったのが悪かったですかね」
「いえ、なに。——時に昨夕は大きに御厄介」
「いいえ」
「小夜も大変喜んで。御蔭(おかげ)で好い保養をした」
「もう少し閑(ひま)だと、方々へ御供をする事が出来るんですが……」
「忙がしいだろうからね。いや忙がしいのは結構だ」
「どうも御気の毒で……」
「いや、そんな心配はちっとも要(い)らない。君の忙がしいのは、つまり我々の幸福(しあわせ)なんだから」
小野さんは黙った。部屋はしだいに暗くなる。
「時に飯は食ったかね」と先生が聞く。
「ええ」
「食った?——食わなければ御上り。何にもないが茶漬ならあるだろう」とふらふらと立ち懸(か)ける。締め切った障子に黒い長い影が出来る。
「先生、もう好いんです。飯は済まして来たんです」
「本当かい。遠慮しちゃいかん」
「遠慮しやしません」
黒い影は折れて故(もと)のごとく低くなる。えがらっぽい[#「えがらっぽい」に傍点]咳が二つ三つ出る。
「咳が出ますか」
「から——からっ咳が出て……」と云い懸(か)ける途端(とたん)にまた二つ三つ込み上げる。小野さんは憮然(ぶぜん)として咳の終るを待つ。
「横になって温(あった)まっていらしったら好いでしょう。冷えると毒です」
「いえ、もう大丈夫。出だすと一時(いちじ)いけないんだがね。——年を取ると意気地がなくなって——何でも若いうちの事だよ」
若いうちの事だとは今まで毎度聞いた言葉である。しかし孤堂先生の口から聞いたのは今が始めてである。骨ばかりこの世に取り残されたかと思う人の、疎(まば)らな髯(ひげ)を風塵(ふうじん)に託して、残喘(ざんせん)に一昔と二昔を、互違(たがいちがい)に呼吸する口から聞いたのは、少なくとも今が始めてである。子(ね)の鐘は陰(いん)に響いてぼうんと鳴る。薄暗い部屋のなかで、薄暗い人からこの言葉を聞いた小野さんは、つくづく若いうちの事だと思った。若いうちは二度とないと思った。若いうち旨(うま)くやらないと生涯(しょうがい)の損だと思った。
生涯の損をしてこの先生のように老朽した時の心持は定めて淋(さび)しかろう。よくよくつまらないだろう。しかし恩のある人に済まぬ不義理をして死ぬまで寝醒(ねざめ)が悪いのは、損をした昔を思い出すより欝陶(うっとう)しいかも知れぬ。いずれにしても若いうちは二度とは来ない。二度と来ない若いうちにきめた事は生涯きまってしまう。生涯きまってしまう事を、自分は今どっちかにきめなければならぬ。今日藤尾に逢う前に先生の所へ来たら、あの嘘を当分見合せたかも知れぬ。しかし嘘を吐(つ)いてしまった今となって見ると致し方はない。将来の運命は藤尾に任せたと云って差(さ)し支(つかえ)ない。——小野さんは心中でこう云う言訳をした。
「東京は変ったね」と先生が云う。
「烈(はげ)しい所で、毎日変っています」
「恐ろしいくらいだ。昨夜(ゆうべ)もだいぶ驚いたよ」
「随分人が出ましたから」
「出たねえ。あれでも知った人には滅多(めった)に逢(あ)わないだろうね」
「そうですね」と瞹眛(あいまい)に受ける。
「逢うかね」
小野さんは「まあ……」と濁しかけたが「まあ、逢わない方ですね」と思い切ってしまった。
「逢わない。なるほど広い所に違ない」と先生は大いに感心している。なんだか田舎染(いなかじ)みて見える。小野さんは光沢(つや)の悪い先生の顔から眼を放して、自分の膝元を眺めた。カフスは真白である。七宝(しっぽう)の夫婦釦(めおとボタン)は滑(なめらか)な淡紅色(ときいろ)を緑の上に浮かして、華奢(きゃしゃ)な金縁のなかに暖かく包まれている。背広(せびろ)の地は品(ひん)の好い英吉利織(イギリスおり)である。自己をまのあたりに物色した時、小野さんは自己の住むべき世界を卒然と自覚した。先生に釣り込まれそうな際(きわ)どいところで急に忘れ物を思い出したような気分になる。先生には無論分らぬ。
「いっしょにあるいたのも久しぶりだね。今年でちょうど五年目になるかい」とさも可懐(なつかし)げに話しかける。
「ええ五年目です」
「五年目でも、十年目でも、こうして一つ所に住むようになれば結構さ。——小夜も喜んでいる」と後から継(つ)ぎ足したように一句を付け添えた。小野さんは早速(さそく)の返事を忘れて、暗い部屋のなかに竦(すくま)るような気がした。
「さっき御嬢さんが御出(おいで)でした」と仕方がないから渡し込む。
「ああ、——なに急ぐ事でも無かったんだが、もしや暇があったらいっしょに連れて行って買物をして貰おうと思ってね」
「あいにく出掛(でが)けだったものですから」
「そうだってね。飛んだ御邪魔をしたろう。どこぞ急用でもあったのかい」
「いえ——急用でもなかったんですが」と相手は少々言い淀(よど)む。先生は追窮しない。
「はあ、そうかい。そりゃあ」と漠々(ばくばく)たる挨拶(あいさつ)をした。挨拶が漠々たると共に、部屋のなかも朦朧(もうろう)と取締(とりしまり)がなくなって来る。今宵は月だ。月だが、まだ間(ま)がある。のに日は落ちた。床(とこ)は一間を申訳のために濃い藍(あい)の砂壁に塗り立てた奥には、先生が秘蔵の義董(ぎとう)の幅(ふく)が掛かっていた。唐代の衣冠(いかん)に蹣跚(まんさん)の履(くつ)を危うく踏んで、だらしなく腕に巻きつけた長い袖を、童子の肩に凭(もた)した酔態は、この家の淋(さび)しさに似ず、春王(はるおう)の四月に叶(かな)う楽天家である。仰せのごとく額をかくす冠(かんむり)の、黒い色が著るしく目についたのは今先の事であったに、ふと見ると、纓(ひも)か飾か、紋切形に左右に流す幅広の絹さえ、ぼんやりと近づく宵(よい)を迎えて、来る夜に紛(まぎ)れ込もうとする。先生も自分もぐずぐずすると一つ穴へはまって、影のように消えて行きそうだ。
「先生、御頼(おたのみ)の洋灯(ランプ)の台を買って来ました」
「それはありがたい。どれ」
小野さんは薄暗いなかを玄関へ出て、台と屑籠(くずかご)を持ってくる。
「はあ——何だか暗くってよく見えない。灯火(あかり)を点(つ)けてから緩(ゆっ)くり拝見しよう」
「私が点(つ)けましょう。洋灯(ランプ)はどこにありますか」
「気の毒だね。もう帰って来る時分だが。じゃ椽側へ出ると右の戸袋のなかにあるから頼もう。掃除はもうしてあるはずだ」
薄暗い影が一つ立って、障子(しょうじ)をすうと明ける。残る影はひそかに手を拱(こまぬ)いて動かぬほどを、夜は襲(おそ)って来る。六畳の座敷は淋(さみ)しい人を陰気に封じ込めた。ごほんごほんと咳をせく。
やがて椽(えん)の片隅で擦(す)る燐寸(マッチ)の音と共に、咳はやんだ。明るいものは室(へや)のなかに動いて来る。小野さんは洋袴(ズボン)の膝を折って、五分心(ごぶじん)を新らしい台の上に載(の)せる。
「ちょうどよく合うね。据(すわ)りがいい。紫檀(したん)かい」
「模擬(まがい)でしょう」
「模擬でも立派なものだ。代は?」
「何ようござんす」
「よくはない。いくらかね」
「両方で四円少しです」
「四円。なるほど東京は物が高いね。——少しばかりの恩給でやって行くには京都の方が遥(はる)かに好いようだ」
二三年前と違って、先生は些額(さがく)の恩給とわずかな貯蓄から上がる利子とで生活して行かねばならぬ。小野さんの世話をした時とはだいぶ違う。事に依れば小野さんの方から幾分か貢(みつ)いで貰いたいようにも見える。小野さんは畏(かしこ)まって控えている。
「なに小夜さえなければ、京都にいても差(さ)し支(つかえ)ないんだが、若い娘を持つとなかなか心配なもので……」と途中でちょっと休んで見せる。小野さんは畏まったまま応じなかった。
「私(わたし)などはどこの果(はて)で死のうが同じ事だが、後に残った小夜がたった一人で可哀想(かわいそう)だからこの年になって、わざわざ東京まで出掛けて来たのさ。——いかな故郷でももう出てから二十年にもなる。知合も交際(つきあい)もない。まるで他国と同様だ。それに来て見ると、砂が立つ、埃(ほこり)が立つ。雑沓(ざっとう)はする、物価(もの)は貴(たか)し、けっして住み好いとは思わない。……」
「住み好い所ではありませんね」
「これでも昔は親類も二三軒はあったんだが、長い間音信不通(いんしんふつう)にしていたものだから、今では居所も分らない。不断はさほどにも思わないが、こうやって、半日でも寝ると考えるね。何となく心細い」
「なるほど」
「まあ御前が傍(そば)にいてくれるのが何よりの依頼(たより)だ」
「御役にも立ちませんで……」
「いえ、いろいろ親切にしてくれてまことにありがたい。忙(いそが)しいところを……」
「論文の方がないと、まだ閑(ひま)なんですが」
「論文。博士論文だね」
「ええ、まあそうです」
「いつ出すのかね」
いつ出すのか分らなかった。早く出さなければならないと思う。こんな引っ掛りがなければ、もうよほど書けたろうにと思う。口では
「今一生懸命に書いてるところです」と云う。
先生は襦袢(じゅばん)の袖(そで)から手を抜いて、素肌の懐(ふところ)に肘(ひじ)まで収めたまま、二三度肩をゆすって
「どうも、ぞくぞくする」と細長い髯(ひげ)を襟(えり)のなかに埋(うず)めた。
「御寝(おやす)みなさい。起きていらっしゃると毒ですから。私はもう御暇(おいとま)をします」
「なに、まあ御話し。もう小夜が帰る時分だから。寝たければ私(わたし)の方で御免蒙(ごめんこうむ)って寝る。それにまだ話も残っているから」
先生は急に胸の中から、手を出して膝(ひざ)の上へ乗せて、双方を一度に打った。
「まあ緩(ゆっ)くりするが好い。今暮れたばかりだ」
迷惑のうちにも小野さんはさすが気の毒に思った。これほどまでに自分を引き留めたいのは、ただ当年の可懐味(なつかしみ)や、一夕(いっせき)の無聊(ぶりょう)ではない。よくよく行く先が案じられて、亡き後の安心を片時(へんじ)も早く、脈の打つ手に握りたいからであろう。
実は夕食(めし)もまだ食わない。いれば耳を傾けたくない話が出る。腰だけはとうから宙に浮いている。しかし先生の様子を見ると無理に洋袴(ズボン)の膝を伸(のば)す訳にもいかない。老人は病を力(つと)めて、わがために強いて元気をつけている。親しみやすき蒲団(ふとん)は片寄せられて、穴ばかりになった。温気(ぬくもり)は昔の事である。
「時に小夜の事だがね」と先生は洋灯(ランプ)の灯(ひ)を見ながら云う。五分心(ごぶじん)を蒲鉾形(かまぼこなり)に点(とも)る火屋(ほや)のなかは、壺(つぼ)に充(みつ)る油を、物言わず吸い上げて、穏かな※(ほのお)の舌が、暮れたばかりの春を、動かず守る。人佗(わび)て淋(さみ)しき宵(よい)を、ただ一点の明(あか)きに償(つぐの)う。燈灯(ともしび)は希望(のぞみ)の影を招く。
「時に小夜の事だがね。知っての通りああ云う内気な性質(たち)ではあるし、今の女学生のようにハイカラな教育もないからとうてい気にもいるまいが、……」まで来て先生は洋灯から眼を放した。眼は小野さんの方に向う。何とか取り合わなければならない。
「いいえ——どうして——」と受けて、ちょっと句を切って見せたが、先生は依然として、こっちの顔から眸(ひとみ)を動かさない。その上口を開(き)かずに何だか待っている。
「気にいらんなんて——そんな事が——あるはずがないですが」とぽつぽつに答える。ようやくに納得(なっとく)した先生は先へ進む。
「あれも不憫(ふびん)だからね」
小野さんは、そうだとも、そうでないとも云わなかった。手は膝(ひざ)の上にある。眼は手の上にある。
「私(わたし)がこうして、どうかこうかしているうちは好い。好いがこの通りの身体だから、いつ何時(なんどき)どんな事がないとも限らない。その時が困る。兼(かね)ての約束はあるし、御前も約束を反故(ほご)にするような軽薄な男ではないから、小夜の事は私がいない後(あと)でも世話はしてくれるだろうが……」
「そりゃ勿論(もちろん)です」と云わなければならない。
「そこは私も安心している。しかし女は気の狭いものでね。アハハハハ困るよ」
何だか無理に笑ったように聞える。先生の顔は笑ったためにいよいよ淋(さみ)しくなった。
「そんなに御心配なさる事も要(い)らんでしょう」と覚束(おぼつか)なく云う。言葉の腰がふらふらしている。
「私はいいが、小夜がさ」
小野さんは右の手で洋服の膝を摩(こす)り始めた。しばらくは二人とも無言である。心なき灯火(ともしび)が双方を半分(はんぶ)ずつ照らす。
「御前の方にもいろいろな都合はあるだろう。しかし都合はいくら立ったって片づくものじゃない」
「そうでも無いです。もう少しです」
「だって卒業して二年になるじゃないか」
「ええ。しかしもう少しの間は……」
「少しって、いつまでの事かい。そこが判然(はっきり)していれば待っても好いさ。小夜にも私からよく話して置く。しかしただ少しでは困る。いくら親でも子に対して幾分か責任があるから。——少しって云うのは博士論文でも書き上げてしまうまでかい」
「ええ、まずそうです」
「だいぶ久しく書いているようだが、まあいつごろ済むつもりかね。大体(おおよそ)」
「なるべく早く書いてしまおうと思って骨を折っているんですが。何分問題が大きいものですから」
「しかし大体の見当は着くだろう」
「もう少しです」
「来月くらいかい」
「そう早くは……」
「来々月(さらいげつ)はどうだね」
「どうも……」
「じゃ、結婚をしてからにしたら好かろう、結婚をしたから論文が書けなくなったと云う理由も出て来そうにない」
「ですが、責任が重くなるから」
「いいじゃないか、今まで通りに働いてさえいれば。当分の間、我々は経済上、君の世話にならんでもいいから」
小野さんは返事のしようがなかった。
「収入は今どのくらいあるのかね」
「わずかです」
「わずかとは」
「みんなで六十円ばかりです。一人がようようです」
「下宿をして?」
「ええ」
「そりゃ馬鹿気(ばかげ)ている。一人で六十円使うのはもったいない。家を持っても楽に暮せる」
小野さんはまた返事のしようがなかった。
東京は物価(もの)が高いと云いながら、東京と京都の区別を知らない。鳴海絞(なるみしぼり)の兵児帯(へこおび)を締めて芋粥(いもがい)に寒さを凌(しの)いだ時代と、大学を卒業して相当の尊敬を衣帽(いぼう)の末に払わねばならぬ今の境遇とを比較する事を知らない。書物は学者に取って命から二代目である。按摩(あんま)の杖と同じく、無くっては世渡りが出来ぬほどに大切な道具である。その書物は机の上へ湧(わ)いてでも出る事か、中には人の驚くような奮発をして集めている。先生はそんな費用が、どれくらいかかるかまるで一切空(いっさいくう)である。したがって、おいそれと簡単な返事が出来ない。
小野さんは何を思ったか、左手を畳へつかえると、右を伸(のば)して洋灯(ランプ)の心(しん)をぱっと出した。六畳の小地球が急に東の方へ廻転したように、一度は明るくなる。先生の世界観が瞬(またたき)と共に変るように明るくなる。小野さんはまだ螺旋(ねじ)から手を放さない。
「もう好い。そのくらいで好い。あんまり出すと危ない」と先生が云う。
小野さんは手を放した。手を引くときに、自分でカフスの奥を腕まで覗(のぞ)いて見る。やがて背広(せびろ)の表隠袋(おもてかくし)から、真白な手巾(ハンケチ)を撮(つま)み出して丁寧に指頭(ゆびさき)の油を拭き取った。
「少し灯(ひ)が曲っているから……」と小野さんは拭き取った指頭を鼻の先へ持って来てふんふんと二三度嗅(か)いだ。
「あの婆さんが切るといつでも曲る」と先生は股(また)の開いた灯を見ながら云う。
「時にあの婆さんはどうです、御間に合いますか」
「そう、まだ礼も云わなかったね。だんだん御手数(おてすう)を掛けて……」
「いいえ。実は年を取ってるから働らけるかと思ったんですが」
「まあ、あれで結構だ。だんだん慣(な)れてくる様子だから」
「そうですか、そりゃ好い按排(あんばい)でした。実はどうかと思って心配していたんですが。その代り人間はたしかだそうです。浅井が受合って行ったんですから」
「そうかい。時に浅井と云えば、どうしたい。まだ帰らないかい」
「もう帰る時分ですが。ことに因(よ)ると今日くらいの汽車で帰って来るかも知れません」
「一昨(おととい)かの手紙には、二三日中に帰るとあったよ」
「はあ、そうでしたか」と云ったぎり、小野さんは捩(ね)じ上げた五分心(ごぶじん)の頭を無心に眺(なが)めている。浅井の帰京と五分心の関係を見極(みきわ)めんと思索するごとくに眸子(ぼうし)は一点に集った。
「先生」と云う。顔は先生の方へ向け易(か)えた。例になく口の角(かど)にいささかの決心を齎(もたら)している。
「何だい」
「今の御話ですね」
「うん」
「もう二三日待って下さいませんか」
「もう二三日」
「つまり要領を得た御返事をする前にいろいろ考えて見たいですから」
「そりゃ好いとも。三日でも四日でも、——一週間でも好い。事が判然(はっきり)さえすれば安心して待っている。じゃ小夜にもそう話して置こう」
「ええ、どうか」と云いながら恩賜の時計を出す。夏に向う永い日影が落ちてから、夜(よ)の針は疾(と)く回るらしい。
「じゃ、今夜は失礼します」
「まあ好いじゃないか。もう帰って来る」
「また、すぐ来ますから」
「それでは——御疎怱(おそうそう)であった」
小野さんはすっきりと立つ。先生は洋灯(ランプ)を執(と)る。
「もう、どうぞ。分ります」と云いつつ玄関へ出る。
「やあ、月夜だね」と洋灯を肩の高さに支えた先生がいう。
「ええ穏(おだやか)な晩です」と小野さんは靴の紐(ひも)を締めつつ格子(こうし)から往来を見る。
「京都はなお穏だよ」
屈(こご)んでいた小野さんはようやく沓脱(くつぬぎ)に立った。格子が明(あ)く。華奢(きゃしゃ)な体躯(からだ)が半分ばかり往来へ出る。
「清三」と先生は洋灯の影から呼び留めた。
「ええ」と小野さんは月のさす方から振り向いた。
「なに別段用じゃない。——こうして東京へ出掛けて来たのは、小夜の事を早く片づけてしまいたいからだと思ってくれ。分ったろうな」と云う。
小野さんは恭(うやうや)しく帽子を脱ぐ。先生の影は洋灯と共に消えた。
外は朧(おぼろ)である。半(なか)ば世を照らし、半ば世を鎖(とざ)す光が空に懸(かか)る。空は高きがごとく低きがごとく据(すわ)らぬ腰を、更(ふ)けぬ宵(よい)に浮かしている。懸るものはなおさらふわふわする。丸い縁(ふち)に黄を帯びた輪をぼんやり膨(ふく)らまして輪廓も確(たしか)でない。黄な帯は外囲(そとい)に近く色を失って、黒ずんだ藍(あい)のなかに煮染出(にじみだ)す。流れれば月も消えそうに見える。月は空に、人は地に紛(まぎ)れやすい晩である。
小野さんの靴は、湿(しめ)っぽい光を憚(はば)かるごとく、地に落す踵(かかと)を洋袴(ズボン)の裾(すそ)に隠して、小路(こうじ)を蕎麦屋(そばや)の行灯(あんどん)まで抜け出して左へ折れた。往来は人の香(におい)がする。地に※(し)く影は長くはない。丸まって動いて来る。こんもりと揺(ゆ)れて去る。下駄の音は朧(おぼろ)に包まれて、霜(しも)のようには冴(さ)えぬ。撫(な)でて通る電信柱に白い模様が見えた。すかす眸(ひとみ)を不審と据(す)えると白墨の相々傘(あいあいがさ)が映(うつ)る。それほどの浅い夜を、昼から引っ越して来た霞(かすみ)が立て籠(こ)める。行く人も来る人も何となく要領を得ぬ。逃れば靄(もや)のなか、出(いず)れば月の世界である。小野さんは夢のように歩(ほ)を移して来た。※々(くく)として独(ひと)り行くと云う句に似ている。
実は夕食(ゆうめし)もまだ食わない。いつもなら通りへ出ると、すぐ西洋料理へでも飛び込む料簡(りょうけん)で、得意な襞(ひだ)の正しい洋袴を、誇り顔に運ぶはずである。今宵(こよい)はいつまで立っても腹も減らない。牛乳(ミルク)さえ飲む気にならん。陽気は暖か過ぎる。胃は重い。引く足は千鳥にはならんが、確(しか)と踏答(ふみごた)えがないような心持である。そと卸(おろ)すせいかも知れぬ。さればとて、こつりと大地へ当てる気にはならん。巡査のようにあるけたなら世に朧は要(い)らぬ。次に心配は要らぬ。巡査だから、ああも歩ける。小野さんには——ことに今夜の小野さんには——巡査の真似は出来ない。
なぜこう気が弱いだろう——小野さんは考えながら、ふらふら歩いている。——なぜこう気が弱いだろう。頭脳も人には負けぬ。学問も級友の倍はある。挙止動作から衣服(きもの)の着こなし方に至って、ことごとく粋(すい)を尽くしていると自信している。ただ気が弱い。気が弱いために損をする。損をするだけならいいが乗(の)っ引(ぴ)きならぬ羽目(はめ)に陥(おち)る。水に溺(おぼ)れるものは水を蹴(け)ると何かの本にあった。背に腹は替えられぬ今の場合、と諦(あきら)めて蹴ってしまえばそれまでである。が……
女の話し声がする。人影は二つ、路の向う側をこちらへ近づいて来る。吾妻下駄(あずまげた)と駒下駄の音が調子を揃(そろ)えて生温(なまぬる)く宵を刻んで寛(ゆたか)なるなかに、話し声は聞える。
「洋灯(ランプ)の台を買って来て下さったでしょうか」と一人が云う。「そうさね」と一人が応(こた)える。「今頃は来ていらっしゃるかも知れませんよ」と前の声がまた云う。「どうだか」と後(あと)の声がまた応(こた)える。「でも買って行くとおっしゃったんでしょう」と押す。「ああ。——何だか暖(あった)か過ぎる晩だこと」と逃げる。「御湯のせいでござんすよ。薬湯は温(あった)まりますから」と説明する。
二人の話はここで小野さんの向側(むこうがわ)を通り越した。見送ると並ぶ軒下から頭の影だけが斜(はす)に出て、蕎麦屋の方へ動いて行く。しばらく首を捩(ね)じ向けて、立ち留っていた小野さんは、また歩き出した。
浅井のように気の毒気の少ないものなら、すぐ片づける事も出来る。宗近(むねちか)のような平気な男なら、苦もなくどうかするだろう。甲野(こうの)なら超然として板挟(いたばさ)みになっているかも知れぬ。しかし自分には出来ない。向(むこう)へ行って一歩深く陥(はま)り、こっちへ来て一歩深く陥る。双方へ気兼をして、片足ずつ双方へ取られてしまう。つまりは人情に絡(から)んで意思に乏しいからである。利害? 利害の念は人情の土台の上に、後(あと)から被(かぶ)せた景気の皮である。自分を動かす第一の力はと聞かれれば、すぐ人情だと答える。利害の念は第三にも第四にも、ことによったら全くなくっても、自分はやはり同様の結果に陥(おちい)るだろうと思う。——小野さんはこう考えて歩いて行く。
いかに人情でも、こんなに優柔ではいけまい。手を拱(こまぬ)いて、自然の為(な)すがままにして置いたら、事件はどう発展するか分らない。想像すると怖(おそろ)しくなる。人情に屈託していればいるほど、怖しい発展を、眼(ま)のあたりに見るようになるかもしれぬ。是非ここで、どうかせねばならん。しかし、まだ二三日の余裕はある。二三日よく考えた上で決断しても遅くはない。二三日立って善(よ)い智慧(ちえ)が出なければ、その時こそ仕方がない。浅井を捕(つらま)えて、孤堂先生への談判を頼んでしまう。実はさっきもその考で、浅井の帰りを勘定に入れて、二三日の猶予をと云った。こんな事は人情に拘泥(こうでい)しない浅井に限る。自分のような情に篤(あつ)いものはとうてい断わり切れない。——小野さんはこう考えて歩いて行く。
月はまだ天(そら)のなかにいる。流れんとして流るる気色(けしき)も見えぬ。地に落つる光は、冴(さ)ゆる暇なきを、重たき温気(おんき)に封じ込められて、限りなき大夢を半空に曳(ひ)く。乏しい星は雲を潜(くぐ)って向側(むこうがわ)へ抜けそうに見える。綿のなかに砲弾を打ち込んだのが辛(かろ)うじて輝やくようだ。静かに重い宵である。小野さんはこのなかを考えながら歩いて行く。今夜は半鐘も鳴るまい。
底本:「夏目漱石全集4」ちくま文庫、筑摩書房
1988(昭和63)年1月26日第1刷発行
底本の親本:「筑摩全集類聚版夏目漱石全集」筑摩書房
1971(昭和46)年4月〜1972(昭和47)年1月にかけて刊行
入力:柴田卓治
校正:伊藤時也
ファイル作成:野口英司
1999年4月3日公開
1999年8月30日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
●表記について
本文中の※は、底本では次のような漢字(JIS外字)が使われている。
朝※(ちょうこう)
|
|
※(へん)たる美目(びもく)に
|
|
池の上を※(みつめ)て
|
|
※(さび)
|
|
※(あぶ)
|
|
※(ほのお)
|
|
地に※(し)く影は
|
|
※々(くく)として
|
|