一
むかし、花(はな)のき村(むら)に、五人組(にんぐみ)の盗人(ぬすびと)がやって来(き)ました。
それは、若竹(わかたけ)が、あちこちの空(そら)に、かぼそく、ういういしい緑色(みどりいろ)の芽(め)をのばしている初夏(しょか)のひるで、松林(まつばやし)では松蝉(まつぜみ)が、ジイジイジイイと鳴(な)いていました。
盗人(ぬすびと)たちは、北(きた)から川(かわ)に沿(そ)ってやって来(き)ました。花(はな)のき村(むら)の入(い)り口(ぐち)のあたりは、すかんぽやうまごやしの生(は)えた緑(みどり)の野原(のはら)で、子供(こども)や牛(うし)が遊(あそ)んでおりました。これだけを見(み)ても、この村(むら)が平和(へいわ)な村(むら)であることが、盗人(ぬすびと)たちにはわかりました。そして、こんな村(むら)には、お金(かね)やいい着物(きもの)を持(も)った家(いえ)があるに違(ちが)いないと、もう喜(よろこ)んだのでありました。
川(かわ)は藪(やぶ)の下(した)を流(なが)れ、そこにかかっている一つの水車(すいしゃ)をゴトンゴトンとまわして、村(むら)の奥深(おくふか)くはいっていきました。
藪(やぶ)のところまで来(く)ると、盗人(ぬすびと)のうちのかしらが、いいました。
「それでは、わしはこの藪(やぶ)のかげで待(ま)っているから、おまえらは、村(むら)のなかへはいっていって様子(ようす)を見(み)て来(こ)い。なにぶん、おまえらは盗人(ぬすびと)になったばかりだから、へまをしないように気(き)をつけるんだぞ。金(かね)のありそうな家(いえ)を見(み)たら、そこの家(いえ)のどの窓(まど)がやぶれそうか、そこの家(いえ)に犬(いぬ)がいるかどうか、よっくしらべるのだぞ。いいか釜右ヱ門(かまえもん)。」
「へえ。」
と釜右ヱ門(かまえもん)が答(こた)えました。これは昨日(きのう)まで旅(たび)あるきの釜師(かまし)で、釜(かま)や茶釜(ちゃがま)をつくっていたのでありました。
「いいか、海老之丞(えびのじょう)。」
「へえ。」
と海老之丞(えびのじょう)が答(こた)えました。これは昨日(きのう)まで錠前屋(じょうまえや)で、家々(いえいえ)の倉(くら)や長持(ながもち)などの錠(じょう)をつくっていたのでありました。
「いいか角兵ヱ(かくべえ)。」
「へえ。」
とまだ少年(しょうねん)の角兵ヱ(かくべえ)が答(こた)えました。これは越後(えちご)から来(き)た角兵ヱ獅子(かくべえじし)で、昨日(きのう)までは、家々(いえいえ)の閾(しきい)の外(そと)で、逆立(さかだ)ちしたり、とんぼがえりをうったりして、一文(もん)二文(もん)の銭(ぜに)を貰(もら)っていたのでありました。
「いいか鉋太郎(かんなたろう)。」
「へえ。」
と鉋太郎(かんなたろう)が答(こた)えました。これは、江戸(えど)から来(き)た大工(だいく)の息子(むすこ)で、昨日(きのう)までは諸国(しょこく)のお寺(てら)や神社(じんじゃ)の門(もん)などのつくりを見(み)て廻(まわ)り、大工(だいく)の修業(しゅぎょう)を[#「を」は底本にはなし]していたのでありました。
「さあ、みんな、いけ。わしは親方(おやかた)だから、ここで一服(いっぷく)すいながらまっている。」
そこで盗人(ぬすびと)の弟子(でし)たちが、釜右ヱ門(かまえもん)は釜師(かまし)のふりをし、海老之丞(えびのじょう)は錠前屋(じょうまえや)のふりをし、角兵ヱ(かくべえ)は獅子(しし)まいのように笛(ふえ)をヒャラヒャラ鳴(な)らし、鉋太郎(かんなたろう)は大工(だいく)のふりをして、花(はな)のき村(むら)にはいりこんでいきました。
かしらは弟子(でし)どもがいってしまうと、どっかと川(かわ)ばたの草(くさ)の上(うえ)に腰(こし)をおろし、弟子(でし)どもに話(はな)したとおり、たばこをスッパ、スッパとすいながら、盗人(ぬすびと)のような顔(かお)つきをしていました。これは、ずっとまえから火(ひ)つけや盗人(ぬすびと)をして来(き)たほんとうの盗人(ぬすびと)でありました。
「わしも昨日(きのう)までは、ひとりぼっちの盗人(ぬすびと)であったが、今日(きょう)は、はじめて盗人(ぬすびと)の親方(おやかた)というものになってしまった。だが、親方(おやかた)になって見(み)ると、これはなかなかいいもんだわい。仕事(しごと)は弟子(でし)どもがして来(き)てくれるから、こうして寝(ね)ころんで待(ま)っておればいいわけである。」
とかしらは、することがないので、そんなつまらないひとりごとをいってみたりしていました。
やがて弟子(でし)の釜右ヱ門(かまえもん)が戻(もど)って来(き)ました。
「おかしら、おかしら。」
かしらは、ぴょこんとあざみの花(はな)のそばから体(からだ)を起(お)こしました。
「えいくそッ、びっくりした。おかしらなどと呼(よ)ぶんじゃねえ、魚(さかな)の頭(あたま)のように聞(き)こえるじゃねえか。ただかしらといえ。」
盗人(ぬすびと)になりたての弟子(でし)は、
「まことに相(あい)すみません。」
とあやまりました。
「どうだ、村(むら)の中(なか)の様子(ようす)は。」
とかしらがききました。
「へえ、すばらしいですよ、かしら。ありました、ありました。」
「何(なに)が。」
「大(おお)きい家(いえ)がありましてね、そこの飯炊(めした)き釜(がま)は、まず三斗(と)ぐらいは炊(た)ける大釜(おおがま)でした。あれはえらい銭(ぜに)になります。それから、お寺(てら)に吊(つ)ってあった鐘(かね)も、なかなか大(おお)きなもので、あれをつぶせば、まず茶釜(ちゃがま)が五十はできます。なあに、あっしの眼(め)に狂(くる)いはありません。嘘(うそ)だと思(おも)うなら、あっしが造(つく)って見(み)せましょう。」
「馬鹿馬鹿(ばかばか)しいことに威張(いば)るのはやめろ。」
とかしらは弟子(でし)を叱(しか)りつけました。
「きさまは、まだ釜師根性(かましこんじょう)がぬけんからだめだ。そんな飯炊(めした)き釜(がま)や吊(つ)り鐘(がね)などばかり見(み)てくるやつがあるか。それに何(なん)だ、その手(て)に持(も)っている、穴(あな)のあいた鍋(なべ)は。」
「へえ、これは、その、或(あ)る家(いえ)の前(まえ)を通(とお)りますと、槙(まき)の木(き)の生(い)け垣(がき)にこれがかけて干(ほ)してありました。見(み)るとこの、尻(しり)に穴(あな)があいていたのです。それを見(み)たら、じぶんが盗人(ぬすびと)であることをつい忘(わす)れてしまって、この鍋(なべ)、二十文(もん)でなおしましょう、とそこのおかみさんにいってしまったのです。」
「何(なん)というまぬけだ。じぶんのしょうばいは盗人(ぬすびと)だということをしっかり肚(はら)にいれておらんから、そんなことだ。」
と、かしらはかしららしく、弟子(でし)に教(おし)えました。そして、
「もういっぺん、村(むら)にもぐりこんで、しっかり見(み)なおして来(こ)い。」
と命(めい)じました。釜右ヱ門(かまえもん)は、穴(あな)のあいた鍋(なべ)をぶらんぶらんとふりながら、また村(むら)にはいっていきました。
こんどは海老之丞(えびのじょう)がもどって来(き)ました。
「かしら、ここの村(むら)はこりゃだめですね。」
と海老之丞(えびのじょう)は力(ちから)なくいいました。
「どうして。」
「どの倉(くら)にも、錠(じょう)らしい錠(じょう)は、ついておりません。子供(こども)でもねじきれそうな錠(じょう)が、ついておるだけです。あれじゃ、こっちのしょうばいにゃなりません。」
「こっちのしょうばいというのは何(なん)だ。」
「へえ、……錠前(じょうまえ)……屋(や)。」
「きさまもまだ根性(こんじょう)がかわっておらんッ。」
とかしらはどなりつけました。
「へえ、相(あい)すみません。」
「そういう村(むら)こそ、こっちのしょうばいになるじゃないかッ。倉(くら)があって、子供(こども)でもねじきれそうな錠(じょう)しかついておらんというほど、こっちのしょうばいに都合(つごう)のよいことがあるか。まぬけめが。もういっぺん、見(み)なおして来(こ)い。」
「なるほどね。こういう村(むら)こそしょうばいになるのですね。」
と海老之丞(えびのじょう)は、感心(かんしん)しながら、また村(むら)にはいっていきました。
次(つぎ)にかえって来(き)たのは、少年(しょうねん)の角兵ヱ(かくべえ)でありました。角兵ヱ(かくべえ)は、笛(ふえ)を吹(ふ)きながら来(き)たので、まだ藪(やぶ)の向(む)こうで姿(すがた)の見(み)えないうちから、わかりました。
「いつまで、ヒャラヒャラと鳴(な)らしておるのか。盗人(ぬすびと)はなるべく音(おと)をたてぬようにしておるものだ。」
とかしらは叱(しか)りました。角兵ヱ(かくべえ)は吹(ふ)くのをやめました。
「それで、きさまは何(なに)を見(み)て来(き)たのか。」
「川(かわ)についてどんどん行(い)きましたら、花菖蒲(はなしょうぶ)を庭(にわ)いちめんに咲(さ)かせた小(ちい)さい家(いえ)がありました。」
「うん、それから?」
「その家(いえ)の軒下(のきした)に、頭(あたま)の毛(け)も眉毛(まゆげ)もあごひげもまっしろな爺(じい)さんがいました。」
「うん、その爺(じい)さんが、小判(こばん)のはいった壺(つぼ)でも縁(えん)の下(した)に隠(かく)していそうな様子(ようす)だったか。」
「そのお爺(じい)さんが竹笛(たけぶえ)を吹(ふ)いておりました。ちょっとした、つまらない竹笛(たけぶえ)だが、とてもええ音(ね)がしておりました。あんな、不思議(ふしぎ)に美(うつく)しい音(ね)ははじめてききました。おれがききとれていたら、爺(じい)さんはにこにこしながら、三つ長(なが)い曲(きょく)をきかしてくれました。おれは、お礼(れい)に、とんぼがえりを七へん、つづけざまにやって見(み)せました。」
「やれやれだ。それから?」
「おれが、その笛(ふえ)はいい笛(ふえ)だといったら、笛竹(ふえたけ)の生(は)えている竹藪(たけやぶ)を教(おし)えてくれました。そこの竹(たけ)で作(つく)った笛(ふえ)だそうです。それで、お爺(じい)さんの教(おし)えてくれた竹藪(たけやぶ)へいって見(み)ました。ほんとうにええ笛竹(ふえたけ)が、何(なん)百すじも、すいすいと生(は)えておりました。」
「昔(むかし)、竹(たけ)の中(なか)から、金(きん)の光(ひかり)がさしたという話(はなし)があるが、どうだ、小判(こばん)でも落(お)ちていたか。」
「それから、また川(かわ)をどんどんくだっていくと小(ちい)さい尼寺(あまでら)がありました。そこで花(はな)の撓(とう)がありました。お庭(にわ)にいっぱい人(ひと)がいて、おれの笛(ふえ)くらいの大(おお)きさのお釈迦(しゃか)さまに、あま茶(ちゃ)の湯(ゆ)をかけておりました。おれもいっぱいかけて、それからいっぱい飲(の)ましてもらって来(き)ました。茶(ちゃ)わんがあるならかしらにも持(も)って来(き)てあげましたのに。」
「やれやれ、何(なん)という罪(つみ)のねえ盗人(ぬすびと)だ。そういう人(ひと)ごみの中(なか)では、人(ひと)のふところや袂(たもと)に気(き)をつけるものだ。とんまめが、もういっぺんきさまもやりなおして来(こ)い。その笛(ふえ)はここへ置(お)いていけ。」
角兵ヱ(かくべえ)は叱(しか)られて、笛(ふえ)を草(くさ)の中(なか)へおき、また村(むら)にはいっていきました。
おしまいに帰(かえ)って来(き)たのは鉋太郎(かんなたろう)でした。
「きさまも、ろくなものは見(み)て来(こ)なかったろう。」
と、きかないさきから、かしらがいいました。
「いや、金持(かねも)ちがありました、金持(かねも)ちが。」
と鉋太郎(かんなたろう)は声(こえ)をはずませていいました。金持(かねも)ちときいて、かしらはにこにことしました。
「おお、金持(かねも)ちか。」
「金持(かねも)ちです、金持(かねも)ちです。すばらしいりっぱな家(いえ)でした。」
「うむ。」
「その座敷(ざしき)の天井(てんじょう)と来(き)たら、さつま杉(すぎ)の一枚板(いちまいいた)なんで、こんなのを見(み)たら、うちの親父(おやじ)はどんなに喜(よろこ)ぶかも知(し)れない、と思(おも)って、あっしは見(み)とれていました。」
「へっ、面白(おもしろ)くもねえ。それで、その天井(てんじょう)をはずしてでも来(く)る気(き)かい。」
鉋太郎(かんなたろう)は、じぶんが盗人(ぬすびと)の弟子(でし)であったことを思(おも)い出(だ)しました。盗人(ぬすびと)の弟子(でし)としては、あまり気(き)が利(き)かなかったことがわかり、鉋太郎(かんなたろう)はバツのわるい顔(かお)をしてうつむいてしまいました。
そこで鉋太郎(かんなたろう)も、もういちどやりなおしに村(むら)にはいっていきました。
「やれやれだ。」
と、ひとりになったかしらは、草(くさ)の中(なか)へ仰向(あおむ)けにひっくりかえっていいました。
「盗人(ぬすびと)のかしらというのもあんがい楽(らく)なしょうばいではないて。」
二
とつぜん、
「ぬすとだッ。」
「ぬすとだッ。」
「そら、やっちまえッ。」
という、おおぜいの子供(こども)の声(こえ)がしました。子供(こども)の声(こえ)でも、こういうことを聞(き)いては、盗人(ぬすびと)としてびっくりしないわけにはいかないので、かしらはひょこんと跳(と)びあがりました。そして、川(かわ)にとびこんで向(む)こう岸(ぎし)へ逃(に)げようか、藪(やぶ)の中(なか)にもぐりこんで、姿(すがた)をくらまそうか、と、とっさのあいだに考(かんが)えたのであります。
しかし子供達(こどもたち)は、縄切(なわき)れや、おもちゃの十手(じって)をふりまわしながら、あちらへ走(はし)っていきました。子供達(こどもたち)は盗人(ぬすびと)ごっこをしていたのでした。
「なんだ、子供達(こどもたち)の遊(あそ)びごとか。」
とかしらは張(は)り合(あ)いがぬけていいました。
「遊(あそ)びごとにしても、盗人(ぬすびと)ごっことはよくない遊(あそ)びだ。いまどきの子供(こども)はろくなことをしなくなった。あれじゃ、さきが思(おも)いやられる。」
じぶんが盗人(ぬすびと)のくせに、かしらはそんなひとりごとをいいながら、また草(くさ)の中(なか)にねころがろうとしたのでありました。そのときうしろから、
「おじさん。」
と声(こえ)をかけられました。ふりかえって見(み)ると、七歳(さい)くらいの、かわいらしい男(おとこ)の子(こ)が牛(うし)の仔(こ)をつれて立(た)っていました。顔(かお)だちの品(ひん)のいいところや、手足(てあし)の白(しろ)いところを見(み)ると、百姓(ひゃくしょう)の子供(こども)とは思(おも)われません。旦那衆(だんなしゅう)の坊(ぼ)っちゃんが、下男(げなん)について野(の)あそびに来(き)て、下男(げなん)にせがんで仔牛(こうし)を持(も)たせてもらったのかも知(し)れません。だがおかしいのは、遠(とお)くへでもいく人(ひと)のように、白(しろ)い小(ちい)さい足(あし)に、小(ちい)さい草鞋(わらじ)をはいていることでした。
「この牛(うし)、持(も)っていてね。」
かしらが何(なに)もいわないさきに、子供(こども)はそういって、ついとそばに来(き)て、赤(あか)い手綱(たづな)をかしらの手(て)にあずけました。
かしらはそこで、何(なに)かいおうとして口(くち)をもぐもぐやりましたが、まだいい出(だ)さないうちに子供(こども)は、あちらの子供(こども)たちのあとを追(お)って走(はし)っていってしまいました。あの子供(こども)たちの仲間(なかま)になるために、この草鞋(わらじ)をはいた子供(こども)はあとをも見(み)ずにいってしまいました。
ぼけんとしているあいだに牛(うし)の仔(こ)を持(も)たされてしまったかしらは、くッくッと笑(わら)いながら牛(うし)の仔(こ)を見(み)ました。
たいてい牛(うし)の仔(こ)というものは、そこらをぴょんぴょんはねまわって、持(も)っているのがやっかいなものですが、この牛(うし)の仔(こ)はまたたいそうおとなしく、ぬれたうるんだ大(おお)きな眼(め)をしばたたきながら、かしらのそばに無心(むしん)に立(た)っているのでした。
「くッくッくッ。」
とかしらは、笑(わら)いが腹(はら)の中(なか)からこみあげてくるのが、とまりませんでした。
「これで弟子(でし)たちに自慢(じまん)ができるて。きさまたちが馬鹿(ばか)づらさげて、村(むら)の中(なか)をあるいているあいだに、わしはもう牛(うし)の仔(こ)をいっぴき盗(ぬす)んだ、といって。」
そしてまた、くッくッくッと笑(わら)いました。あんまり笑(わら)ったので、こんどは涙(なみだ)が出(で)て来(き)ました。
「ああ、おかしい。あんまり笑(わら)ったんで涙(なみだ)が出(で)て来(き)やがった。」
ところが、その涙(なみだ)が、流(なが)れて流(なが)れてとまらないのでありました。
「いや、はや、これはどうしたことだい、わしが涙(なみだ)を流(なが)すなんて、これじゃ、まるで泣(な)いてるのと同(おな)じじゃないか。」
そうです。ほんとうに、盗人(ぬすびと)のかしらは泣(な)いていたのであります。——かしらは嬉(うれ)しかったのです。じぶんは今(いま)まで、人(ひと)から冷(つめ)たい眼(め)でばかり見(み)られて来(き)ました。じぶんが通(とお)ると、人々(ひとびと)はそら変(へん)なやつが来(き)たといわんばかりに、窓(まど)をしめたり、すだれをおろしたりしました。じぶんが声(こえ)をかけると、笑(わら)いながら話(はな)しあっていた人(ひと)たちも、きゅうに仕事(しごと)のことを思(おも)い出(だ)したように向(む)こうをむいてしまうのでありました。池(いけ)の面(おもて)にうかんでいる鯉(こい)でさえも、じぶんが岸(きし)に立(た)つと、がばッと体(たい)をひるがえしてしずんでいくのでありました。あるとき猿廻(さるまわ)しの背中(せなか)に負(お)われている猿(さる)に、柿(かき)の実(み)をくれてやったら、一口(ひとくち)もたべずに地(じ)べたにすててしまいました。みんながじぶんを嫌(きら)っていたのです。みんながじぶんを信用(しんよう)してはくれなかったのです。ところが、この草鞋(わらじ)をはいた子供(こども)は、盗人(ぬすびと)であるじぶんに牛(うし)の仔(こ)をあずけてくれました。じぶんをいい人間(にんげん)であると思(おも)ってくれたのでした。またこの仔牛(こうし)も、じぶんをちっともいやがらず、おとなしくしております。じぶんが母牛(ははうし)ででもあるかのように、そばにすりよっています。子供(こども)も仔牛(こうし)も、じぶんを信用(しんよう)しているのです。こんなことは、盗人(ぬすびと)のじぶんには、はじめてのことであります。人(ひと)に信用(しんよう)されるというのは、何(なん)といううれしいことでありましょう。……
そこで、かしらはいま、美(うつく)しい心(こころ)になっているのでありました。子供(こども)のころにはそういう心(こころ)になったことがありましたが、あれから長(なが)い間(あいだ)、わるい汚(きたな)い心(こころ)でずっといたのです。久(ひさ)しぶりでかしらは美(うつく)しい心(こころ)になりました。これはちょうど、垢(あか)まみれの汚(きたな)い着物(きもの)を、きゅうに晴(は)れ着(ぎ)にきせかえられたように、奇妙(きみょう)なぐあいでありました。
——かしらの眼(め)から涙(なみだ)が流(なが)れてとまらないのはそういうわけなのでした。
やがて夕方(ゆうがた)になりました。松蝉(まつぜみ)は鳴(な)きやみました。村(むら)からは白(しろ)い夕(ゆう)もやがひっそりと流(なが)れだして、野(の)の上(うえ)にひろがっていきました。子供(こども)たちは遠(とお)くへいき、「もういいかい。」「まあだだよ。」という声(こえ)が、ほかのもの音(おと)とまじりあって、ききわけにくくなりました。
かしらは、もうあの子供(こども)が帰(かえ)って来(く)るじぶんだと思(おも)って待(ま)っていました。あの子供(こども)が来(き)たら、「おいしょ。」と、盗人(ぬすびと)と思(おも)われぬよう、こころよく仔牛(こうし)をかえしてやろう、と考(かんが)えていました。
だが、子供(こども)たちの声(こえ)は、村(むら)の中(なか)へ消(き)えていってしまいました。草鞋(わらじ)の子供(こども)は帰(かえ)って来(き)ませんでした。村(むら)の上(うえ)にかかっていた月(つき)が、かがみ職人(しょくにん)の磨(みが)いたばかりの鏡(かがみ)のように、ひかりはじめました。あちらの森(もり)でふくろうが、二声(ふたこえ)ずつくぎって鳴(な)きはじめました。
仔牛(こうし)はお腹(なか)がすいて来(き)たのか、からだをかしらにすりよせました。
「だって、しようがねえよ。わしからは乳(ちち)は出(で)ねえよ。」
そういってかしらは、仔牛(こうし)のぶちの背中(せなか)をなでていました。まだ眼(め)から涙(なみだ)が出(で)ていました。
そこへ四人(にん)の弟子(でし)がいっしょに帰(かえ)って来(き)ました。
三
「かしら、ただいま戻(もど)りました。おや、この仔牛(こうし)はどうしたのですか。ははア、やっぱりかしらはただの盗人(ぬすびと)じゃない。おれたちが村(むら)を探(さぐ)りにいっていたあいだに、もうひと仕事(しごと)しちゃったのだね。」
釜右ヱ門(かまえもん)が仔牛(こうし)を見(み)ていいました。かしらは涙(なみだ)にぬれた顔(かお)を見(み)られまいとして横(よこ)をむいたまま、
「うむ、そういってきさまたちに自慢(じまん)しようと思(おも)っていたんだが、じつはそうじゃねえのだ。これにはわけがあるのだ。」
といいました。
「おや、かしら、涙(なみだ)……じゃございませんか。」
と海老之丞(えびのじょう)が声(こえ)を落(お)としてききました。
「この、涙(なみだ)てものは、出(で)はじめると出(で)るもんだな。」
といって、かしらは袖(そで)で眼(め)をこすりました。
「かしら、喜(よろこ)んで下(くだ)せえ、こんどこそは、おれたち四人(にん)、しっかり盗人根性(ぬすっとこんじょう)になって探(さぐ)って参(まい)りました。釜右ヱ門(かまえもん)は金(きん)の茶釜(ちゃがま)のある家(いえ)を五軒(けん)見(み)とどけますし、海老之丞(えびのじょう)は、五つの土蔵(どぞう)の錠(じょう)をよくしらべて、曲(ま)がった釘(くぎ)一本(ぽん)であけられることをたしかめますし、大工(だいく)のあッしは、この鋸(のこぎり)で難(なん)なく切(き)れる家尻(やじり)を五つ見(み)て来(き)ましたし、角兵ヱ(かくべえ)は角兵ヱ(かくべえ)でまた、足駄(あしだ)ばきで跳(と)び越(こ)えられる塀(へい)を五つ見(み)て来(き)ました。かしら、おれたちはほめて頂(いただ)きとうございます。」
と鉋太郎(かんなたろう)が意気(いき)ごんでいいました。しかしかしらは、それに答(こた)えないで、
「わしはこの仔牛(こうし)をあずけられたのだ。ところが、いまだに、取(と)りに来(こ)ないので弱(よわ)っているところだ。すまねえが、おまえら、手(て)わけして、預(あず)けていった子供(こども)を探(さが)してくれねえか。」
「かしら、あずかった仔牛(こうし)をかえすのですか。」
と釜右ヱ門(かまえもん)が、のみこめないような顔(かお)でいいました。
「そうだ。」
「盗人(ぬすびと)でもそんなことをするのでごぜえますか。」
「それにはわけがあるのだ。これだけはかえすのだ。」
「かしら、もっとしっかり盗人根性(ぬすっとこんじょう)になって下(くだ)せえよ。」
と鉋太郎(かんなたろう)がいいました。
かしらは苦笑(にがわら)いしながら、弟子(でし)たちにわけをこまかく話(はな)してきかせました。わけをきいて見(み)れば、みんなにはかしらの心持(こころも)ちがよくわかりました。
そこで弟子(でし)たちは、こんどは子供(こども)をさがしにいくことになりました。
「草鞋(わらじ)をはいた、かわいらしい、七つぐれえの男坊主(おとこぼうず)なんですね。」
とねんをおして、四人(にん)の弟子(でし)は散(ち)っていきました。かしらも、もうじっとしておれなくて、仔牛(こうし)をひきながら、さがしにいきました。
月(つき)のあかりに、野茨(のいばら)とうつぎの白(しろ)い花(はな)がほのかに見(み)えている村(むら)の夜(よる)を、五人(にん)の大人(おとな)の盗人(ぬすびと)が、一匹(ぴき)の仔牛(こうし)をひきながら、子供(こども)をさがして歩(ある)いていくのでありました。
かくれんぼのつづきで、まだあの子供(こども)がどこかにかくれているかも知(し)れないというので、盗人(ぬすびと)たちは、みみずの鳴(な)いている辻堂(つじどう)の縁(えん)の下(した)や柿(かき)の木(き)の上(うえ)や、物置(ものおき)の中(なか)や、いい匂(にお)いのする蜜柑(みかん)の木(き)のかげを探(さが)してみたのでした。人(ひと)にきいてもみたのでした。
しかし、ついにあの子供(こども)は見(み)あたりませんでした。百姓達(ひゃくしょうたち)は堤燈(ちょうちん)に火(ひ)を入(い)れて来(き)て、仔牛(こうし)をてらして見(み)たのですが、こんな仔牛(こうし)はこの辺(あた)りでは見(み)たことがないというのでした。
「かしら、こりゃ夜(よ)っぴて探(さが)してもむだらしい、もう止(よ)しましょう。」
と海老之丞(えびのじょう)がくたびれたように、道(みち)ばたの石(いし)に腰(こし)をおろしていいました。
「いや、どうしても探(さが)し出(だ)して、あの子供(こども)にかえしたいのだ。」
とかしらはききませんでした。
「もう、てだてがありませんよ。ただひとつ残(のこ)っているてだては、村役人(むらやくにん)のところへ訴(うった)えることだが、かしらもまさかあそこへは行(い)きたくないでしょう。」
と釜右ヱ門(かまえもん)がいいました。村役人(むらやくにん)というのは、いまでいえば駐在巡査(ちゅうざいじゅんさ)のようなものであります。
「うむ、そうか。」
とかしらは考(かんが)えこみました。そしてしばらく仔牛(こうし)の頭(あたま)をなでていましたが、やがて、
「じゃ、そこへ行(い)こう。」
といいました。そしてもう歩(ある)きだしました。弟子(でし)たちはびっくりしましたが、ついていくよりしかたがありませんでした。
たずねて村役人(むらやくにん)の家(いえ)へいくと、あらわれたのは、鼻(はな)の先(さき)に落(お)ちかかるように眼鏡(めがね)をかけた老人(ろうじん)でしたので、盗人(ぬすびと)たちはまず安心(あんしん)しました。これなら、いざというときに、つきとばして逃(に)げてしまえばいいと思(おも)ったからであります。
かしらが、子供(こども)のことを話(はな)して、
「わしら、その子供(こども)を見失(みうしな)って困(こま)っております。」
といいました。
老人(ろうじん)は五人(にん)の顔(かお)を見(み)まわして、
「いっこう、このあたりで見受(みう)けぬ人(ひと)ばかりだが、どちらから参(まい)った。」
とききました。
「わしら、江戸(えど)から西(にし)の方(ほう)へいくものです。」
「まさか盗人(ぬすびと)ではあるまいの。」
「いや、とんでもない。わしらはみな旅(たび)の職人(しょくにん)です。釜師(かまし)や大工(だいく)や錠前屋(じょうまえや)などです。」
とかしらはあわてていいました。
「うむ、いや、変(へん)なことをいってすまなかった。お前達(まえたち)は盗人(ぬすびと)ではない。盗人(ぬすびと)が物(もの)をかえすわけがないでの。盗人(ぬすびと)なら、物(もの)をあずかれば、これさいわいとくすねていってしまうはずだ。いや、せっかくよい心(こころ)で、そうして届(とど)けに来(き)たのを、変(へん)なことを申(もう)してすまなかった。いや、わしは役目(やくめ)がら、人(ひと)を疑(うたが)うくせになっているのじゃ。人(ひと)を見(み)さえすれば、こいつ、かたりじゃないか、すりじゃないかと思(おも)うようなわけさ。ま、わるく思(おも)わないでくれ。」
と老人(ろうじん)はいいわけをしてあやまりました。そして、仔牛(こうし)はあずかっておくことにして、下男(げなん)に物置(ものおき)の方(ほう)へつれていかせました。
「旅(たび)で、みなさんお疲(つか)れじゃろ、わしはいまいい酒(さけ)をひとびん西(にし)の館(やかた)の太郎(たろう)どんからもらったので、月(つき)を見(み)ながら縁側(えんがわ)でやろうとしていたのじゃ。いいとこへみなさんこられた。ひとつつきあいなされ。」
ひとの善(よ)い老人(ろうじん)はそういって、五人(にん)の盗人(ぬすびと)を縁側(えんがわ)につれていきました。
そこで酒(さけ)をのみはじめましたが、五人(にん)の盗人(ぬすびと)と一人(ひとり)の村役人(むらやくにん)はすっかり、くつろいで、十年(ねん)もまえからの知(し)り合(あ)いのように、ゆかいに笑(わら)ったり話(はな)したりしたのでありました。
するとまた、盗人(ぬすびと)のかしらはじぶんの眼(め)が涙(なみだ)をこぼしていることに気(き)がつきました。それを見(み)た老人(ろうじん)の役人(やくにん)は、
「おまえさんは泣(な)き上戸(じょうご)と見(み)える。わしは笑(わら)い上戸(じょうご)で、泣(な)いている人(ひと)を見(み)るとよけい笑(わら)えて来(く)る。どうか悪(わる)く思(おも)わんでくだされや、笑(わら)うから。」
といって、口(くち)をあけて笑(わら)うのでした。
「いや、この、涙(なみだ)というやつは、まことにとめどなく出(で)るものだね。」
とかしらは、眼(め)をしばたきながらいいました。
それから五人(にん)の盗人(ぬすびと)は、お礼(れい)をいって村役人(むらやくにん)の家(いえ)を出(で)ました。
門(もん)を出(で)て、柿(かき)の木(き)のそばまで来(く)ると、何(なに)か思(おも)い出(だ)したように、かしらが立(た)ちどまりました。
「かしら、何(なに)か忘(わす)れものでもしましたか。」
と鉋太郎(かんなたろう)がききました。
「うむ、忘(わす)れもんがある。おまえらも、いっしょにもういっぺん来(こ)い。」
といって、かしらは弟子(でし)をつれて、また役人(やくにん)の家(いえ)にはいっていきました。
「御老人(ごろうじん)。」
とかしらは縁側(えんがわ)に手(て)をついていいました。
「何(なん)だね、しんみりと。泣(な)き上戸(じょうご)のおくの手(て)が出(で)るかな。ははは。」
と老人(ろうじん)は笑(わら)いました。
「わしらはじつは盗人(ぬすびと)です。わしがかしらでこれらは弟子(でし)です。」
それをきくと老人(ろうじん)は眼(め)をまるくしました。
「いや、びっくりなさるのはごもっともです。わしはこんなことを白状(はくじょう)するつもりじゃありませんでした。しかし御老人(ごろうじん)が心(こころ)のよいお方(かた)で、わしらをまっとうな人間(にんげん)のように信(しん)じていて下(くだ)さるのを見(み)ては、わしはもう御老人(ごろうじん)をあざむいていることができなくなりました。」
そういって盗人(ぬすびと)のかしらは今(いま)までして来(き)たわるいことをみな白状(はくじょう)してしまいました。そしておしまいに、
「だが、これらは、昨日(きのう)わしの弟子(でし)になったばかりで、まだ何(なに)も悪(わる)いことはしておりません。お慈悲(じひ)で、どうぞ、これらだけは許(ゆる)してやって下(くだ)さい。」
といいました。
次(つぎ)の朝(あさ)、花(はな)のき村(むら)から、釜師(かまし)と錠前屋(じょうまえや)と大工(だいく)と角兵ヱ獅子(かくべえじし)とが、それぞれべつの方(ほう)へ出(で)ていきました。四人(にん)はうつむきがちに、歩(ある)いていきました。かれらはかしらのことを考(かんが)えていました。よいかしらであったと思(おも)っておりました。よいかしらだから、最後(さいご)にかしらが「盗人(ぬすびと)にはもうけっしてなるな。」といったことばを、守(まも)らなければならないと思(おも)っておりました。
角兵ヱ(かくべえ)は川(かわ)のふちの草(くさ)の中(なか)から笛(ふえ)を拾(ひろ)ってヒャラヒャラと鳴(な)らしていきました。
四
こうして五人(にん)の盗人(ぬすびと)は、改心(かいしん)したのでしたが、そのもとになったあの子供(こども)はいったい誰(だれ)だったのでしょう。花(はな)のき村(むら)の人々(ひとびと)は、村(むら)を盗人(ぬすびと)の難(なん)から救(すく)ってくれた、その子供(こども)を探(さが)して見(み)たのですが、けっきょくわからなくて、ついには、こういうことにきまりました、——それは、土橋(どばし)のたもとにむかしからある小(ちい)さい地蔵(じぞう)さんだろう。草鞋(わらじ)をはいていたというのがしょうこである。なぜなら、どういうわけか、この地蔵(じぞう)さんには村人(むらびと)たちがよく草鞋(わらじ)をあげるので、ちょうどその日(ひ)も新(あたら)しい小(ちい)さい草鞋(わらじ)が地蔵(じぞう)さんの足(あし)もとにあげられてあったのである。——というのでした。
地蔵(じぞう)さんが草鞋(わらじ)をはいて歩(ある)いたというのは不思議(ふしぎ)なことですが、世(よ)の中(なか)にはこれくらいの不思議(ふしぎ)はあってもよいと思(おも)われます。それに、これはもうむかしのことなのですから、どうだって、いいわけです。でもこれがもしほんとうだったとすれば、花(はな)のき村(むら)の人々(ひとびと)がみな心(こころ)の善(よ)い人々(ひとびと)だったので、地蔵(じぞう)さんが盗人(ぬすびと)から救(すく)ってくれたのです。そうならば、また、村(むら)というものは、心(こころ)のよい人々(ひとびと)が住(す)まねばならぬということにもなるのであります。