雪の白峰

小島烏水




 アルプスにAlpine Glow(山の栄光)という名詞がある、沈む日が山の陰へ落ちて、眼にも見えなくなり、谷の隅々隈々に幻の光が、夢のように彷徨(さまよ)い、また消えようとするとき、二、三分の間、雪の高嶺に、鮮やかな光が這(は)って、山の三角的天辺(てっぺん)が火で洗うように耀(かがや)く、山は自然の心臓から滴(た)れたかと思う純鮮血色で一杯に染まる、まことに山の光栄は落日である、さればラスキンも『近世画家論』第二巻に、渚へ寄する泡沫(ほうまつ)と、アルプス山頂の雪とは、海と山とを描いて、死活の岐(わか)れるところだというような意味で書いてある、落日より億万の光線を吸収して、その一本一本に磨きをかけるのは、山の雪である、アルプスばかりではない『甲斐国志』にも、白峰(しらね)の夕照は、八景の一なりとある、山の雪は烈しい圧迫のために、空気泡を含むことが少ないから、下界の雪のように、純白ではない、しかも三分の白色を失って、三分の氷藍色を加え、透明の微小結晶を作って、空気の海に、澄徹に沈んでいる、群山の中で、コバルト色の山が、空と一つに融ければとて、雪の一角は、判然(はっきり)と浮び上る、碧水の底から、一片の石英が光るように。
 蒼醒(あおざ)めて、純桔梗色に澄みかえる冬の富士を、武蔵野平原から眺めた人は、甲府平原またはその附近の高台地から白峰の三山が、天外に碧い空を抜いて、劃然(かっきり)と、白銀の玉座を高く据えたのを見て、その冴え冴えと振り翳(かざ)す白無垢衣(しろむくえ)の、皺(しわ)の折れ方までが、わけもなく魂を織り込もうとするのに魅せられるであろう、水を打ったように粛(し)んみりとした街道の樹も顫(ふる)え、田の面の水も、慄然(ぞっ)として震えるような気がするであろう。
 自分は甲斐精進(しょうじ)湖に遊んで、その近傍の山から、冬の白峰を見たことを、鮮やかに記憶している、空線の上に、夢みる巨人は、下界の水平線上、青春の国の炎の中で、夢を見ている自分と、向き合った、彼の夢には冷たけれども光があった、自分の夢は、彼に吸収されていつしか化石のような自分を融かしてしまった、自分は無意識に古人の言ったことを繰り返えす、「北に遠ざかりて雪白き山あり」もうそれでよい、ただ白峰でよい。
 雪によって名を得たものに、飛騨山脈の大蓮華山、また白馬岳があるし、蝶ヶ岳もある、しかし虚空に匂う白蓮華も、翅粉谷の水脈(みお)より長く曳く白蝶も、天馬空を行かず、止まって山の肌に刻印する白馬も、悉(ことごと)く収めて、白峰の二字に在る、「北に遠ざかりて(何等の神秘)雪白き山あり(何等の高潔)」即ち白峰である、何という透き通った感じのする山であろう、この外に美しい名もなければ、涼しい名もない、やさしい名もなければ、威厳ある名もない。
 自分は昨年塩山(えんざん)の停車場で、白ペンキ塗の広告板に、一の宮郷銘酒「白嶺」と読んで、これは「雪の白酒」ではあるまいか、さぞ芳烈な味がすることであろうと思った、また他で製糸所の看板に、白嶺社とあるのを見て、この社の糸の光には、天雪の輝きがあろう、衣に織ったらばさぞ、と考えたことがある。
 白峰は幾峰にも分れている、が殊に北の三山、北岳、間(あい)の岳(たけ)、農鳥(のうとり)山は高さにおいて、姿態において、白峰全山脈を代表している、その中でも農鳥山の名を忘れてはならぬ、一体甲府辺の人たちは、春の田植えや、また秋の麦蒔きなどを、「農をする」といっている、この二期には、山の雪が消え残ったり、また積もり初めるときで、綿の入った厚い峰の白妙衣(しろたえ)が、綻(ほころ)び出したり、また縫い初められる、そのとき鳥の形が、農鳥山の頂上より、直下、少しも左右に偏することなく、胸壁の上に印せられるので、この鳥形が見え初めると、農にかかるから、農鳥山の名を獲たともいう、殊に晩春から初夏へかけての鳥形は、実に分明なるものであるという、「農鳥」というのは、鶏の義であるそうだが、事実残雪は、鶏とは見えない、無風流な農夫は、自分に説明して、シャモの雄(お)ン鳥(どり)の立っているようで、段々雪が融けると、尾が消え、腹が※(むし)られ耡(すき)のような形をして、消えてしまうと語った、白い鳥は消えても、注意して見ると、岩壁厳(い)かめしい赭色(あかいろ)の農鳥は、いつ、いかなる時でも、おそらく山が存在する限りは、見えているだろう。(あるいは農鳥というのは、農鳥山の麓近い沢に、雪の消えた跡へ、黒く出る岩で、卵を三つも持って、現われるという、言い伝えもあるそうだ。)
 山の雪が動物の形態となって消え残ることは、何か因縁話があるのかは知らぬが、殊に中央日本の山に多いようである、自分の知った限りでも、前記の蝶ヶ岳、白馬、大蓮華の外に、先ず東海道から見た富士山の農男(馬琴の『覊旅漫録』巻の一、北斎の『富嶽百景』第三編に、その図が出ている、北斎のを茲(ここ)に透き写す、これで見ると、蝶や農鳥は、雪がその形をするのだが、農男は、雪に輪を取られた赭岩が、人物の格好に見えるらしい)は、名高いものであるが、甲府方面からは、富士の「豆蒔小僧」というのが見える、八十八夜を過ぎて、豆を蒔く頃になると、あの辺の農夫は、額に小手を翳して、この小僧を仰ぐものだそうな、それは小僧が二人連れ立って、一人は笠を冠り、一人は片手を挙げて、豆を蒔く形をしているので、同じく雪に輪廓を取られた岩が、そういう形に見えるのである。殊に越後には最も多い、妙高山の「農牛」は、甲斐鳳凰山(実は地蔵岳の方にあるので、牛は首を北に向け、尾の方を少し高くしている、甲府から見て、一間位の大きさに見えるそうである)と同じであるし、焼山の蝙蝠(こうもり)は、糸魚川(いといがわ)方面からは、分明に見えるというし、米山に鯉があらわれると、魚が漁(と)れないという諺もある、頸城(くびき)郡の黒姫山の寝牛、同じく白鳥山の鳥など、雪の国だけあって、山と雪の関係は、何か神話の材料にでもなりそうである。友人辻本工学士に拠ると信濃越中の国境に聳えている祖父(じい)ヶ岳は、「種蒔き爺さん」が笊(ざる)を持った具合に現われるので、山腹雪解の頃、偃松(はいまつ)が先ずその形に蔓(ひろが)って、出るのではないかという話である、偃松の仲間入は最もおもしろい。
 農鳥山の鳥形の美(うる)わしいことを、自分に説いてくれたのは、前に引合に出した友人N君である、N君は早稲田文科の出身で、創作に俊秀の才を抱きながら、今は暫く峡中で書を講ずるの人となっている、自分はN君の通信から、ここに二通を抜く、殊に手紙に添えて、送られたN君のスケッチは、頗(すこぶ)る緻密なもので、小さい雪の班点まで、洩(も)らされなかったのであるという。

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白峰より彼(かの)鳥を奪わば、白峰は形骸のみとならんとまで、この頃は飽かず、眺め居候(おりそうろう)、……白峰の霊を具体せるものは、誠にこの霊鳥の形に御座候、前山も何もあったものにあらず、東南富士と相対して、群山より超越せる彼巨人の額に、何ものの覆うものなく、露出せる鳥の姿、スカイラインよりは、僅(わずか)に一尺も低かるべきか、農鳥の農の字が平野的にて、気に入らず、また決して鶏とは見えず、首長きところよりも紛(まご)う方なき水鳥に侯、埴輪の遺品に同じ形の鳥と見給うべし、水掻きまであり、高さここより見て、一間も候べきか、甲府附近を、最も観望宜しき場処と存候。
誠に晩春より初夏へかけ(ここの赤裸々となるは、夏期わずかの間に候)最も歴々と仰がるべく、夏にても、形は明確に、白雪山を埋むる今にても、こを恋人とせる小生の目には、同じ雪に蔽(おお)われながらも、この鳥形のみは粗き[#「粗き」に傍点]山の膚(元より白色)の中に、滑らかに平に[#「滑らかに平に」に傍点]浮び出で居候が、認められ候。
白峰の壮観は、空気澄水の如き朝、明らかにて、正午よりは、淡き水蒸気に遮(さえぎ)られ候、但し日光の工合にて、かえって鳥だけは、朝よりも明瞭に仰がれ候(側は陰に入るより)、駒ヶ岳の孤峭(こしょう)は、槍ヶ岳を忍ばせ、木食(もくじき)仙の裸形の如く、雪の斑は、宛然(さながら)肋骨と頷(うなず)かれ候、八ヶ岳も、少し郊外に出づれば、頭を現わすべく、茅岳、金岳より、近き山々、皆冬枯の薄紫にて、淡き三色版そのまま、御阪山脈の方向は富士山なくんば見るに足らず、富士の雪は夕陽に映るとき、最も美しく候、ここはなお雪がふらず、白峰颪(おろし)は大抵一日おき位に、午後より夕まで、または夕より十二時頃まで、凄(すさ)まじき音をたて、この夜坤軸(こんじく)を砕く大雪崩の、岩角より火花を迸発(ほうはつ)する深山の景色を忍び居候。(十二月十八日甲府より)
別紙白峰の拙画は、今年初秋—四十年において、最も白峰を明瞭に仰ぎ得し日の午前写生せしものを、忠実に写し直せしものに御座候、赭色なるは雲なき頃とて、皺谷の赤膚を露出するもの、甚だ妙ならず侯えども、スカイラインと共に、山の皺は、いかにも興多きため、忠実に岐脈をも余さざりしつもりに侯、中央に鳥形の赤裸なるを御覧あるべく、これが埴輪の鳥形に候なり、これには脚なくして、二股の尾あるを見給うべきも、この図は、雪なきときの切崖の露出にて、雪少しにても降れば、この尾は消えて、脚を生じ、例の埴輪の鳥の如き形となるに候、いずれにせよ、鶏ならずして、立派な水鳥、小生の大好きなスワン(伝説に最も縁多き)の形に仰がれ候、図中、鳥形の左なるへ形[#「へ形」に傍点]の山は、もと白峰つづきの山かと存ぜしに、曇日などに白峰見えずとも、この山明かなるにて、別峰なることを知り候、今日この山に、非常の降雪ありしように候、雪降りては、農鳥より右は真白なれど、左は縦谷のみ白く仰がれ、膚は容易に、白くならぬように候。
これより右、地蔵鳳凰を越えて、槍ヶ岳の駒ヶ岳と、峭立しては、絶景の極、駒と並べて見て、白峰は益(ますま)す立派さを増すに候、農牛、農爺、蝶、白馬、これらが信甲駿の空に聳えて、相応ずる姿、鏡花の『高野聖』に、妖女が馬腹をくぐる時の文句に「周囲の山々は矗々(すくすく)と嘴(くちばし)を揃え、頭を擡(もた)げて、この月下の光景を、朧(おぼ)ろ朧ろと覗(のぞ)き込んだ」とやらありしを思い出で、何やら山に霊ありて、相語るが如く、身慄(ふる)いられ申候、昨夜は明月凄じきばかりなりしに、九時頃より一人、後(うしろ)の天守台に上り、夜霧の彼方に朧ろなる彼(か)の白色魔を眺め、気のまよいか、白鳥のあたりだけは、鮮やかなるようの心地いたし候。(十二月二十九日)
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 その後もN君は、数葉のスケッチを送られた、N君が初めて物の本から読んで知った、農鳥の形を見つけ出して校堂に説くに至ってから、初めは信ぜざりし鳥形が、誰の目にも立派に分るようになり、七、八歳の小童から、中学生まで、往来を通るにも、西の大壁を仰向いて、足を緩めるようになった、初めはくさしていた大人も、南向きの白鳥の、優しく、長く、延べた頸の、曲線の美しさに、恍惚とするようになったという。
 しかし農鳥山は、白峰の雪を代表したものではない、農鳥山は三山の中、最も南に寄っているから、雪は最も少量である、この神秘な白鳥が消えても、間(あい)の岳(たけ)は白銀の条(すじ)を入れている、間の岳は、登って見て解ったのであるが、全山裸出の懸崖と、絶壁とより成り、その上に一髪の山稜が北へと走っているので、焼刃の乱れたように、白くギラギラと輝いている、更に北岳は奥の奥だけあって山の胸にかけて、一里以上もある、凝れる氷を幾筋か白く引いている、自分は北方の白馬岳で、氷河的雪の壮観を説くのは、南の印度(インド)で、ジャングル的藪の美を説くのと同じく、当然と思っている、しかしながら偉なる哉(かな)、南方の雪[#「南方の雪」に白丸傍点]! 黒潮奔(はし)れる太平洋の海風を受けて、しかもラスキンのいわゆる、アルプスの魔女が紡(つむ)げる、千古の糸にも似た雪の白い山! 讃嘆せよ、讃嘆せよ、太平洋岸の表日本には、東に富士あり、西に我白峰がある。
 N君からは——ちょうど亜米利加(アメリカ)人が、ルーズベルトの一挙一動を、電報で知らせてよこすように、白峰山脈の一陰一晴を知らせて来る、「一昨日朝、初めて西山一帯に降雪あり、今晩半時ばかり、日出前——日出——日出後の山と、その空との、色彩の変化を観察す」(十一月十七日)とある、そうかと思うと「灰汁(あく)のような色の雪雲、日に夜叉神(やしゃじん)(峠の名)のあたりより、鳳凰、地蔵より縞目を作(な)して立ち昇り、白峰を見ざること久し」(十二月十七日)と渇(かつ)えた情を愬(うった)えて来る、「甲州は今雪の王国に御座候、四囲の山々、皆雪白、地蔵鳳凰の兀立(こつりつ)、殊に興趣あり、また雪ある山々の、相互の陰翳、頗る面白く侯、東の方の山々の中、夕日の加減にて、或山のみ常は凡々たるが、真紅に、鮮やかに浮き立つことあり、珍しく人目を惹(ひ)くさま、何かの象徴の如くに候」(一月十九日)と物思わせることもある、真夏の夕暮に、下のようなハガキも、舞い込んだ。「極暑九十七度九分、山々に未だ雪あるに呆れ侯、一昨夕、稀なる夕映、望遠鏡にて西山一帯を眺めいたるところ、駒ヶ岳の絶巓(ぜってん)、地蔵の頭、間の岳、農鳥の絶頂なる、各三角測量標を、歴々と発見いたし候」(七月十八日)、この時の感じは、何だか自分が観て、N君に知らせているような気がした。
 秋も末になった、白峰の山色を想っていると、N君から、馬上の旅客を描いた端書が来た。

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この月に入りては、甲斐が根颪一万尺余の絶巓より吹きなぐるに、目もあかれず、月の末あたりよりは、山男の鹿の片股、兎、猪の肉など、時々遥々とひさぎに参るべき由、さあらば、熊の皮の胴服などに、久しく無沙汰の芝居気取など致して見ばやと笑い居候、天長節より時雨つづき、雨やや上りて、雲がなき日の雪ある山の眺め、都人の想像及ばざるところに候、地蔵、鳳凰の淡き練絹(ねりぎぬ)纏いし姿は、さもあらばあれ、白峰甲斐駒の諸峰は、更に山の膚を見ず、ただ峻谷の雪かすかなる、朧銀の色をなして、鉛色なる空より浮き出で巨大なる蛇の舌閃(ひらめ)いて、空に躍れる如し、何等のミレージ、何等のミラクル、今朝はやや晴れ、白峰満山の白雪、朝日に映じて瑪瑙(めのう)に金を含む、群山黙として黒く下に参す、富士も大なる白色魔の如く、鈍き空に懸れり、兄(けい)を招じて驚嘆の叫び承わり度候、山を見ては、兄を思う、昨日今日の壮観黙って居られず[#「昨日今日の壮観黙って居られず」に白丸傍点]、かくは
   冬近き山家や屋根の石の数  (十一月六日)
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 これを読まされると、自分はもう堪(たま)らなくなる、ふと目を挙げて「北に遠ざかりて雪白き山あり……」……、往きたいなあと、拳(こぶし)に力を入れて、机をトンと叩いた。



底本:「山岳紀行文集 日本アルプス」岩波文庫、岩波書店
   1992(平成4)年7月16日第1版発行
   1994(平成6)年5月16日第5刷発行
底本の親本:「小島烏水全集」全14巻、大修館書店
   1979(昭和54)年9月〜1987(昭和62)年9月
入力:大野晋
校正:地田尚
ファイル作成:野口英司
1999年11月25日公開
青空文庫作成ファイル:
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●表記について

本文中の※は、底本では次のような漢字(JIS外字)が使われている。

腹が※(むし)られ