陣中日誌・他三篇

山中貞雄




陣中日誌(遺稿)附・戦線便り

[#以下「遺書」及び「従軍記」において、「○」及び「×」「◎」の見出し以外は、本文から1字下げ]

遺書

○陸軍歩兵伍長としてはこれ男子の本懐、申し置く事ナシ。

○日本映画監督協会の一員として一言。
「人情紙風船」が山中貞雄の遺作ではチトサビシイ。
負け惜しみに非ず。

○保険の金はそっくり井上金太郎氏にお渡しする事。

○井上さんにはとことん迄御世話をかけて済まんと思います。
僕のもろもろの借金を(P・C・Lからなるせ[#「なるせ」に傍点]からの払ッて下さい。)
多分足りません。そこ、うまく胡麻化しといて戴きます。

○万一余りましたら、協会と前進座で分けて下さい。

○最後に、先輩友人諸氏に一言
よい映画をこさえて下さい。     以上。

 昭和十三年四月十八日
                       山 中 貞 雄



従軍記

×・二八——
小津氏曰くの「靖国神社の門鑑」なるものを戴く。
小判型の真鍮に 歩× 歩×補 番六一と刻ンである。

[#ここに「註」が入る。これはこの「陣中日誌」が「中央公論 昭和十三年十二月号」に掲載された時の註と思われるが、誰が書いたのかわからないのでここでは割愛する。]

×・30
二日の出立が四五日延期となる。
月の七日の旅立ちとでも決まれば、我亦何をか言わンやである。
雨、しとど降る。

×・五
遂ニ×月「七日ノ旅立チ」ト決定スル
××ニ一泊シテ八日乗船トノ由。

MEMO セットは花園駅を後景ニシテ前景の宿ハ稲荷駅前ノ玉屋ヲモデルトスル事、宿デナク駅ノ商家(商売ヲ考究スル事)デモヨシ

[#以下の文、罫線囲み]
「おッ母アがお寺の和尚さんに頼ンで、写真の裏にこの通り俺の戒名書いて……」

エフェクト
万歳の声、汽車のボー
[#罫線囲み、ここまで]

○——少しキツクなる恐れあり止めても可[#左記の「少しキツクなる恐れあり」の部分は罫線囲み]

朝 お袋さんが訪れる
村で鼻が高い話
痔はどうかの話
息子クサル

◎ラスト 戦地からの手紙——
ボーゼストの、手と私の殺した男の、手とを再考スル

[#同じく、ここに「註」が入る。]

×・七
遂に七日の旅立ちです。
子供を背負ッて帯を除して、兵隊の横を小走りに行く女の人を見る。
駅頭の混乱
××着(×××荷物駅)×町を行進する。
京都の駅前でバンザイを叫んだ人と××の街頭でバンザイを叫ぶ人と顔色が違う。
叫ぶ人の悲劇 叫ばれる奴の悲劇。
喜劇かもしれない。
前進座の宮川氏来る。

[#同じく、ここに「註」が入る。]

×・八
朝から雨となる。土砂降りの雨。
第二突堤より運送船××丸にて出帆す。
乗船前三十分。
前進座の連中に逢う。

[#同じく、ここに「註」が入る。]

「日直上ト兵」
ワーイ
「食券持ってイモン袋取りに来い」

「オーイ、田中、田中、日直上ト兵ッ」
(居ない)
○紹介
船尾で寝ていた。
「書簡は各小隊でまとめて船長の所へ持って来い、わかったか、わかったら返事せんか」
ワーイ

「おい酔うて甲板へ出ると危いぞ」
「うん」
「海へ落ちるな、カマスゴに喰われるぞ」

○ゴムのパチンコで蝿を殺してる兵。

×月十一日——
三井物産の大谷氏の話。
××乗船ニ遅れた兵。事務長ガ無電ヲ神戸港ノ司令部ニ打ツ
兵来リテ汽車ニテ○○へ急グ
航行中ノ運送船ヨリ縄梯子ヲ降シ、モーターボートヨリ兵乗リウツル。
始末書ヲ書ク
上海ニテ司令官乗船、事務長ガ頼ム
司令官、兵ヲ事務長ノ室ヘ呼ブ
(夜)
始末書ヲ破ル、兵感激ス。
司令官、兵ニ破ッタ始末書ヲ渡シ、海ヘ捨テロト云フ
兵室ヲ出ル、消灯ラッパ聞コエル
兵戻ッテ来ル
司令官「遅レタ罪ダ」ト兵ヲ叱ル。
地ノ果テヲ行ク、参照スベシ

[#同じく、ここに「註」が入る。]

×月十五日
「儂の拳骨は鉄砲の弾丸だ 武士の情けだ」
モンモンの兵、鉢巻をするあり。
一二三で鉢巻をして手を叩く遊戯。

[#同じく、ここに「註」が入る。]

船酔いの男、寝ている。
「うーん、おい」
「どうした、確ッかりしろ」
「儂の背のうを取ッてくれ、中に紙に包ンで梅干がある筈だ」
「ウメボシ」
「あるか?」
「あった」
「それ、儂のヘソへ張ッて呉れ」
「船に弱い人は梅干をおヘソに張ッとくと、いくらゆれても平気だッて」
斯ンな意味の場面アレバヨシ

太沽沖十浬の処に到着したのが十三日夕方毎日せんぎりとかんぴょうを喰ッて、馬臭い船底に暮す
十七日、遂に伝馬に乗り換えて太沽上陸
初めて支那の土を踏む
(二カ月前に我軍の爆撃占領した支那の造船所、砲台、兵営)
至る処(河の両岸)英国の旗と日本の旗である。
太沽二泊、船で塘沽に至り、更に貨物列車で天津東站駅に到着
支那旧城内の南関大街の民家に宿営
狭くて手足を延ばしては寝むれない。

上着を間違えるギャグ(ラストシーンによし)
「煙草ないか」
「うん、ないンだ、おや、おいあッた、あッた」
われもわれもと煙草をとる
「おい○○ッ、お前誰の上衣着てるンだ」
「えッ、あ、そうか」
○上衣を探してる男を見て慌てる
「おーい旅団長、旅団長喜べ」
[#以下本文からの1字下げ無し]
旅団長と呼バレル男
ヒンパンに字を聞き乍ら手紙を書く

去る二十七日石家荘に到着。
南に向って行進する事三日。片桐部隊の屯する○○に至る。この辺の新しき土はホコリッぽくッて歩きにくい。
 前線部隊に編入。敵影を認めず。
   ————————————
将棋の歩にもいろいろあるが
敵の王頭にピシリッと捨身に打たれる歩もあれバ
亦、棋士が手に困ってひょいと突く香の上の端歩もある。
吾が○○部隊大原隊はあたかもハシ歩の様なもんである。
北支の原野に乗り出したものの、相対する敵、歩を突いて来んもんじゃから、マが持てん
そこで連日演習である、専ら童心にかえッて戦争ごッこをやッている
王手飛車があろうと桂馬のフンドシがあろうと端歩は動かんモノである。
   ————————————
貨物列車の中、夜、すしづめの兵隊
入口の扉の処に将校来る。[#1字下げ無しはここまで]
「一言注意して置く、此の辺り一帯は尚敗残兵が徘徊している。昨夜も此処から三ッ目の駅が襲撃を受けて数名の戦傷者を出して居る。皆弾薬を腰からはなしてはいけない。(装具をとッてはいけない)銃を側へ置く事。いいか若し襲撃を受けても命令がある迄出てはいけない」
○汽車の汽笛
描写若干
○ロングで月明の原野を走る列車
○貨物者の中、がやがやしている。
浪花節をやり出す。
「寒い」と上衣を着る
「おい、俺の上衣じゃ」
「儂のは」
「お前のは……」
○芝居の台詞を活弁の口調で言う兵
「近衛後備歩兵第一聯隊長須知源二郎聯隊を代表して謹んで奏上し奉る。臣等つとにチョケンを忝のうし、皇恩に浴する事、此処に年あり。
今や征露の大命を拝し、報恩の機正に至れるを喜び、昨十四日一同勇躍して常陸丸に投ず。而るに今朝来、濃霧四辺を閉ざしシセキを弁じ難き趣きありしが、正午前、玄海洋上に望みし時忽ち右舷に当り大艦影を認む。
偵察すればロシヤ、グロンボイ、リュウリックの三巡洋艦にして此の時既に我が友船泉丸は撃破せられ左渡又同じ運命に陥入らんとしつつあり」
突然に機関銃の音、
一同はッとなる。
静寂。
やがて都々逸を歌い出す。
歌の終った処で
原野走ル汽車。
銃声と汽笛。(F・O)

「おい親友、鉄カブトかぶれよ、危ねえぞ」
「何言ってやんでえ
可笑しくッて鉄カブトが冠れますかッてンだ」
「鉄砲の弾丸は頭ばかり当たるッて訳のもんでもあるめえ、手に当る事もありゃ足にも当らア鉄のテッ甲脚絆でもはめてきアがれ」

○帽子の中へ写真を入れて置く兵隊。
○鉢巻をしたがる兵隊。
坊主の二十の入墨してる。

「おや、帽子が変ッてるぞ、Aの奴だな」
「班長殿、A居ませんが、あの野郎、自分の帽子を間違えて、あ、それ」
「写真をもう一枚、送って貰うんだな」
煙草出す。呑まない。
たん架ではこばれて行くA。

「空には今日もアドバルンと来やがらア」
装甲自動車の列。
行軍する歩兵。
三分早い
三分ぐらい
三分あれば師団の編成が出来る。

「おい戦友、煙草一本呉れ」
他の部隊の兵隊と逢うといつも斯う云う。

彼奴は、煙いのなれとるよ
養子じゃもの

「北支の花と散ッた勇士の家庭訪問
○○○○氏厳父○左衛門、暗然として語る」
「よせやい」
「許婚○○さん、けなげにも語る」
「馬鹿よさねえか」
「あの人は……」
班長○○伍長又語る
「彼は……」
此の頃、現地より特電

○壁の戯書
チャカ、チャカで
 手まね、口まね
  チャン料理

散兵が歩く
  チャブチャブと水筒の水の音
  伏線として
  水筒を振ッて水を呑む

石家荘と書いたガス灯割れている。

○軍宣撫班の話
五色国旗を見せて、これは君たちの国の国旗か、然り
青天白日旗でワナイカ、違う
蒋の悪政を云ッて……
日本の軍隊ヲ恐れてはいけない
逃げる必要はない
家に居なさい
田畑を耕していた人は
その儘、仕事を続けなさい
宣撫班が部落民を集める前に、まづ子供を集めて、キャラメルとかチョコレートを与えている情景
タイアップによろし、
子供、チョコレートを持ッて、娘達の避難場所へ行く、
ヒロインの紹介
娘、チョコレートを喰う
嫌だい、皆くっちゃッて……
と云った芝居が、姉弟の間にあればよろし
宣ブ「わかりましたか、ミンパイ?」
民衆ミンパイ
宣撫班の話を熱心に聴いてミンパイと叫ぶ男、壁に凭れて日なたぼッこし乍ら、スパスパ煙草くゆらし、聴いてるのか、聴いとらんのか、いッこう、頼りない老人憎悪の眼で、壊れた土壁の中から兵隊の方を睨んでいる老婦あり
兵隊と仲よくなっている子供
シロジニアカクの歌を覚えて兵隊の帰る時アトから唄い乍らついて行く
第一分隊より一名、銃前哨
この方向にむかって警戒
交代は三十分、カイサン

城外の田畑を耕ス女子供土の上へ赤児を寝かしとく
匪賊、来襲、女と子供逃げる、赤児泣く
城門、女引返そうとする、止める
女、宣撫班を罵る
通訳に
「おい、あの女、何ンて云っているンだ」
「……………」
宣撫班、城下におどり出る
ヒロイン
赤児を救けて死ぬ

銃眼をのぞく女
見た眼の銃眼の彼方男走って切れる
女次の銃眼へ。(移動)
又見た眼、男行く、又切れる
女、次の銃眼へ。(機関銃の音)
男、出て来ない風景
女、up  Cut Back

「オーデがね」
「オーデッて何だ」
「俺の事支那語でオーデッて云うんだ」
「あ、そうか」
「おい、オーデ上等兵」
「オーデ上等兵? 何の事だ、それ」
「お前の事、オーデて云うンだろう」
「違うよ、オーデってのは、俺の事だよ」
「だから、お前は、オーデ上等兵じゃねえか」
「違うったら、オーデってのは、俺という支那語だよ、わからねえ野郎だな」
「何云ってやがんで、わからねえのは手前でえ」

小学校、授業中(first Sceneによし)[#この1行、見出し。1字下げ無し]
運動場ニ人影ナシ。(小使いさんが何かしてたい)
唱歌を合唱シテル
ブランコ、かすかにゆれてる
靴箱の情景
廊下
唱歌だんだん大きくなる
二階の教室
歌う子供
黒板
オルガンひく先生
喇叭と万歳の声、かすかに聞こえる
教室の窓と空
子供、キョロキョロ
歌、お留守になり始める
先生、アワテル
外の万歳と喇叭高くなる
子供、中腰・etc・
遂にドッと窓へ寄る
突然出発の命令が出て、ニワトリの毛を半分むいて捨てる。その半分、裸のかしわが、クックッと逃げる情景

支那の老婆が日向ぼっこして、麦わら細工を縫み乍ら兵隊の行軍を見ている。

軍馬の水をやる、ニイ小輩
五色旗を持つ

空、戦火、黒煙が夕立雲の様
荒れ果てた土の上の烏三羽



手紙


  (井上金太郎 宛)
 十六日の朝になってもまだいつ上陸するのか分りません。
 天気晴朗ですが波はべら棒に高いです。荷物船の底に馬と一緒に居るのでクサクて閉口です。此処まで来た以上早く支那の土を踏ンでせめて小便ぐらいしてやりたいと思います。(○○ニテ)

 今上陸命令が来ました。(十六日夜)

  (日本映画監督協会 宛)
 遂に僕も「戦争」に参加しました。そして悪運強くマメで居ます。御安心下さい。
 ○○の敵中上陸から北支派遣が上海派遣と早変りです。此処は南京豆と南京米とそして南京虫の本場です。

  (井上金太郎 宛)
 揚子江岸に上陸して南京入城に至る迄の一ケ月間はまことに、はや、タイヘンなもンでした。幸い悪運強くも無事で居ります。御安心下さい。
 煙草が無くなると、よもぎの枯葉をきせるにつめて喫います。なかなかよろしい。何処がよいかと言うとよもぎは道端と云わず山と云わず野と云わず南支至る処にあります。いくら喫っても無くならない。それに煙草は稀に一本喫うと直ぐに又喫いたくなる。こたえられません。処がよもぎは一度喫うと当分は喫う気がしません。真とに経済的に出来上ッとるです。欠点は煙草の味がしない事です。まっこう[#「まっこう」に白丸傍点]臭いです。
 酒《チュウ》はチャン酒《チュウ》をやります。チャン酒《チュウ》も内地のチャン料理にある老酒もありますが、所謂チャン酒と云うのが大部分です。此奴、アワモリの様なもんです。最初はくさくて飲めませんでしたが直ぐに平気で呑む様になりました。酒もある時には一石も二石もあって顔や手を洗ったりしますが、無いとなると全々無くなります。重いのでそう持って歩けません。水筒に一杯が精一パいです。砂糖をナメル事をオボエました。
 南京へ着いて酒保が一日開かれたので、早速一本二十銭のヨーカン五本買ってペロリと平らげて、まだ食いたい気がします。
 朝に駒形のドジョウを想い、夕べになるせ[#「なるせ」に傍点]の足を想う、いやもう、真とに食い気一方です。セツナシ!
 小津ちゃんから手紙が来ました。元気で結構です。
 内地の事は少しも分りません、早慶戦でKOが勝った事を一週間ばかり前に同盟通信のカメラマンに聞きました。

 なるせに、水府たばこときせると番茶を送る様に仰言って下さい。お頼みします。
 皆様によろしく
  十二月二十二日
 なるたき村へは手紙を出しません
 連中によろしく仰言って下さい

[#同じく、ここに「註」が入る。]

  (日本映画監督協会 宛)
 賀正              小津安二郎
 南京で会ってお互いの無事を喜んでいます
                 一月十二日
 悪運の強いのが生き残っとります
                 山中 貞雄

  (井上金太郎 宛)
 徐州攻撃続いて追撃戦、更に洪水の為各地を転々としてやっと落ちついたのが七月の半ば。そこで、やッと六ケ月振りに郵便物到着。同時に僕野戦病院入り、いつかニュース映画で兵隊が褌一ツで川を渡るのがありましたね。婦人席なんか大喜びで、あれは受けとッたよと当日のはなし。失礼な! 罰が当ります。
 僕の病気の原因は洪水で、あの恰好を一月ばかり毎日続けたからです。
 病名は急性腸炎、夕方から少し熱が出ます。六ケ月分の郵便物がぼつぼつ到着しますが慰問の小包なぞこの腹では到底コナセマセン。それに近頃余り呑みたくもなし、食いたくもなし、帰ッても清水大兄とともに貴方のサイダアのお相手をしたいようなもンです……。(中略)
 この体相当以上弱ッとりますので以前のような悪友どものお交際が出来るか、どうか、このところ、もう大変な弱気です。(詳記するを許されませんがこの六ケ月はコタエマシタ)
 近く病院が移動するらしいですから、その時また、お便りします。
 協会の諸兄によろしく(七月二十三日)

[#同じく、ここに「註」が入る。]

  (井上金太郎 宛)
 腹くだりで入院なぞと真とに不甲斐ない話のようですが僕としては、身体の続く限りやるだけの事はやった後でブッ倒れたのですから(入院の時軍医さんの前で文字通りヘタヘタと倒れました)俯仰天地に恥じません。結局活動屋の不衛生な日常生活がたたったのだと思います。
 僕は……野戦の病院に移されました。……(中略)……この辺りコレラが流行してますので、此処の患者は滅多に済南とか青島とかの病院へは送ってくれないそうです。
 僕、病勢は変りなく、熱はなくなりましたが下痢は酷くおもゆとミルクでアゴ伸びるばかり(お粥をちょいと食うともういけません、情けない腹になりやがったものです)けれど懸命に頑張って居りますから此の手紙がそちらへ着く頃には(それが一ケ月もかかるのでしたら)退院して本隊を追ッ掛けている筈です。御心配御無用。
 本隊は最近行動を開始した模様です。多分再び南支方面へ行くのだろうと思います。とても今年中には帰れますまい。……(中略)開封と云う町は想像以上に立派なところで、何でも町の有力者が支那軍の隊長に何万かの金を与えて軍隊を町から撤退させたので町も余り荒れてないそうです。支那で一二と云う支那料理店があると云う話です。退院の時は話の種に出掛けてやろうと思ッて居ります。熱が無くなると忽ち猛烈な食い気です。あれが喰いたいこれが食いたいと浅間しい。次にそのあれやこれやの一部分を書き並べます。急ぎません退院迄にも一度お便りしますからそれはお読みになってからで結構ですからお送り願います。(金は憲坊に頼みました)先づ平野屋のいもぼうの缶詰(ッてのがあるそうです)黒のとろろこぶ、花かつを、懐中じるこ、甘酒の素、なるせの漬物とほーじ茶。ふぐのひれの干したの(大丈夫ですかな?)            以上
 なるべく缶に入れて小包は厳重にお願いします。毎度、御面倒ばかりお掛けして相済みません。協会の諸兄によろしく(八月十五日)
 それから書き忘れましたが何か本を一冊(何か僕に「やッたらどうや」とお考えになるものがありましたら結構ですが……)
 これだけ書くのに便所へ油汗かきに行く事二回、これから第三回目に参ります。一回卅分はかかります。どうも汚ない話で、お許し下さい。

[#同じく、ここに「註」が入る。]

  (藤井滋司 宛)
 (一)将棋の【歩】にもいろいろあるが敵王頭にピシリと捨身に打って出る【歩】もあれば、マタ、棋士が手に詰まった時、ひょいと突く【香《ヤリ》】の上の【歩】もある。 王手飛車があろうと桂馬のフンドシがあろうとハシ【歩】は依然

  (荒井良平 宛)
 (二)としてハシ【歩】である。
 十月廿七日石家荘迄貨車で輸送されて、それから行軍三日、此の辺りの新しき土[#「新しき土」に傍点]はほこりっぽくッて困る。露村《ローソン》にて前線部隊に編入さる。
 気候は内地と余り変らないが、夜が冷える。

  (稲垣浩 宛)
 (三)(村長、村会を開き村民どもを集めよ)雨が滅多に降らないから空が澄み渡ッて綺麗である。朝、雁の渡るのを見る。お行儀よく並んで飛ンで行った。
 名将八幡太郎といえども枕を高くしてよい風景である。そこで我勇敢なる大原隊は来るべき

  (八尋不二 宛)
 (四) 戦に備えて日毎演習を行ッている。
 ボクも専ら童心にかえッて戦争ごッこに精を出している。米が少ないので毎日芋を喰わされる。三度々々芋である。兵隊はしきりにクサイ大砲を放ツ。
 酒は昨日一人四勺ほど(つまり寝てる子

  (三村伸太郎 宛)
 (五) を起こすほど)貰った。
 露村を後退して又石家荘から汽車で運ばれる事になッた。上海行だとも言うし又青島と言う噂もあるかと思うと確かに北満じゃとぬかす奴もある。丁と出ますか半と出ますかおあとはライシュウ。

  (滝沢英輔 宛)
 うだる暑さに閉口。
 其の後○○の野戦病院に来ている。熱は平熱となったが腹工合は依然悪く、まだ血便が少し出る。トタンに汚ない話で失礼。
 兎に角元気で頑張ってる。此の手紙がそちらへ着く頃には、多分退院して本隊を追ッ掛けてる筈。心配無用。
 本隊は最近移動する。南京から○○方面へ廻るから先ず年中は帰れんだろうと云う噂。
 建坊、キバッテ、エヽ写真、ツクッテヤ。
 戦争も一年になると、どうやら本当の戦争らしくなって来たようだ。戦争の感想なぞは、たいそれた[#「たいそれた」に傍点]……矢ッ張り戦争が済んで一年ぐらい経過してからで無いと言えるもンで無いと云う事を泌々思う。
 北支宣撫班のはなし[#「はなし」に傍点]を考えていたけれど、脚本の書ける自信が無くなって終った。
 爆撃でヒビ[#「ヒビ」に傍点]のイツ[#「イツ」に傍点]た病室の天井を睨み乍ら寝苦しい夜つれ/″\に考えた事、酒の席で武山オジサンにでも談して見て呉れ。

 三好氏の「襲われた町」? おもろいのなら儂に残して置いてほしい。
 「斬られの仙太」を大河内が演りたがッとッたが、三好氏さえよければやッてみたい。(大詰はこちらに案あり)
 時節柄大河内で西郷さんか、乃木さんの一代記八千ぐらいにまとめてやればどうやろか。
 また、演舞場で虎ちゃんが「太十」をやッたと云う新聞記事を見て、ふと前進座で光秀をやりたいとも思う。いッそエノケンの孫悟空と逃げて満州辺へロケに来てやろうかとも考えたり、とりとめが無い。
 次に食いたい物いろ/\と書く。
 わさび漬。味の素。うに。うなぎの蒲焼(鑵詰)ライスカレー(同上)あずきようかん(同)栗のきんとん(同)ほーじ茶、ココア、角砂糖(斯うたくさんは食えんわい)小包は厳重にして置いて呉れ。
 くだらん事、いろ/\と書いた。退院までにまた書くつもり。
 それから去る四月一日付をもって山中伍長は軍曹に進級しとるからそのつもりで。
 諸兄によろしく
  八月九日
   建 坊 大 兄

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五題

 ひとが電報まで打ッて厭じゃと断るものを無理に書けと言って寄こした旬報の曰くが「左記項目のうち御気に召した題を御選びの上御執筆下さいますよう茲に懇願いたす次第」と書いて題のところに「小説の映画化戯曲の映画化私感。内外優秀脚色家。好きな脚色家。僕の一番苦しむもの。他雑感」とある。眺め渡した処「御気に召した題」が一つも見つからぬので面倒臭くなって片っ端から一瀉千里に片付けてやる決心をする。
 先ず最初の小説及び戯曲の映画化私感。小説(若しくは戯曲)の映画化に際して僕は(ひとは知ら無い。私感とあるから僕の考えを書く)その構成をシナリオの構成にする、と云う事を第一に心掛けねばならないと思う。大へんわかりきった事で恐縮ですが、僕なぞ時々此のわかりきった事を失念してとんだ恥を晒します。僕の盤嶽の一生のシナリオは原作に忠実過ぎた為に——原作の構成をその侭シナリオの構成とした為に失敗しました。そのくせ物語の中の数多くの挿話の一つ一つや、一つの挿話から他の挿話へのツナガリ等には相当注意を払ったつもりでしたが、所詮は小刀細工です。あれは、最初の水道樋の挿話を物語の最後にするか、若しくは以後のいくつかの挿話を最初の挿話の中に織り混ぜるか、するのが本当でした。
 と、気がついたのが、あの写真をツクッて半年も経った後に、しかも先輩に教えられ初めて、それと悟りました。「シナリオは先ず構成」です。わかりきった事がわかる迄に随分苦労します。
 第二は、内外優秀脚色家。
冗談言ってはいけません。斯んな事は僕達より、旬報さん、あんた方の方がよく御存じです。
 第三は好きな脚色家。
アメリカのほん屋でオリヴァ・ギャレット、グロバー・ジョンス、ヴィンセント・ローレンスあたりです。
 序にあちらでは一本のシナリオを二人が、時としては三人四人が協同で書き上げているのを※々見受けますが、アメリカ映画のシナリオの明朗さ、洒落気、と云いますか、あの奔放自在に与太が乱れ飛ぶところは、勿論アメリカ人の国民性にも起因するでしょうが、あの数人が協同で脚色すると云う事にも、多少は原因して居るのでは無いかと思われます。
 実は先日、僕の住んで居る鳴滝村のホン屋連中が数名協同してシナリオを一本書き上げた時の事です。各人、随分得手勝手な、無責任極まる与太を飛ばしましたが、結果に於ては出来上ったシナリオが想像以上に明るく面白く、ギャグなぞも案外垢抜けのした奴がありました。
 この正月の休暇に八人会で旅をしますが、旅の間に一本書こうかとの話があります。八人の酔ッ払いがどんな与太を飛ばすだろうかと思うと今から旅が楽しみです。相当なナンセンス映画のシナリオが出来る筈です。
 第四は、僕の一番苦しむもの。
 苦しきことは余りにも多過ぎます。サイレントではタイトルを書く時の苦しみ、トーキーとなって台詞の書けぬ苦しさ。ロケーションと書けばその場所の選択に悩み、セットと書けばそのデザインに困る。
 ダイタイ活動写真をこさえる事は、決してナマ易しい事ではありません。
 第五は、その他雑感。
 昭和十年の目出度き春を迎えるに際しましてキネマ旬報誌に折入って懇願致したい事があります。
 それは、僕に二度と再び斯くの如き駄文と恥をかかせない事を約束して下さい。
 山中貞雄には、旬報さんよ、ダマッて活動写真だけを撮らせて置いて下さい。 以上

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気まま者の日記

ある日・1
 近頃、大衆小説を読んであまりこころよく思わないことがある。
 それは、往々にしてその作者が、自作の映画化を企図して書いていると思いなされる場合があるからだ。
 文壇の誰だったかが、
 「文学は文学、映画は映画と言う風に別々に進んだ方がいいのじゃないか」
 と言う意味のことを書いていたが、一応頷ける言い分ではあるまいか。
 僕等が文芸家側から求めるものは、在来の映画物語ではなく又シナリオ化された小説でもなく、僕等映画作家に映画製作への強い意欲と興奮を与えてくれ、オリジナルな内容を持った文学作品だ。
 どうかすると、文芸家仲間から、映画作家には自己内容が貧困していると言われる。
 又生活内容の貧困を言われる。
 然し、映画化を意図して書かれた作家の作品を読んで、それに盛られた内容と、映画作家の持つそれと、はたしてどれだけの懸隔があるかを疑わざるを得ない場合が多いのだ。その上、文芸家の作品を映画化することになった場合、
 「原作のままで行ってほしい」
と言われる場合がある。それがストーリーの上で言われるのなら黙って頷きもしようが、構成や殊に甚だしいのは表現技術に於てもそれが強要される様な場合、僕等はそれを敢然として拒絶しなければならぬことが多い。
 如何に、その構成が文芸家には映画的に出来ていると思われていても、(烏滸がましい偏見かも知れぬが)僕等の側から見ればどんなによく見ても頂戴しかねる。
 構成に、又、表現に関しては、文学の場合と映画の場合と技術原理が異うのだ。
 文学の目が如何に客観的であるとしても、キャメラの持つ様な純粋客観性は持ち得ないであろう。
 僕等はそのキャメラと共にものを見、それを語り、それを生かそうとして相当の年を喰って来た人間だ。
 そこで、僕等が文芸家に望むものは、映画構成や表現技術を教えられることではなく、より深い自己内容を、より新しい生活内容を供給してもらうことである。
 それは、唯単なる生活常識を注入してもらうことではなく、それを基調にした、明日の生活への自己内部のエネルギーを与えてもらうことなのである。

 ある日・2
 トーキー・シナリオを書くに当って、僕が特に苦しむのは台詞の点である。
 それは言語美学等の問題でではなく、台詞の一つ一つに真実を持たせたいからだ。
 「言語は哲学である」と言うが、客観的な気持でシナリオの台詞を書く場合、それが忘れられようとする。
 そして、それを忘れた時の台詞はきっと(映画)になった場合、浮いたものになる。
 外国の映画では、此の台詞の点実にねたましく感じる。
 煎じ詰めた、而も、たまらなく美感と滋味のこもった言葉が小癪なほど豊富に飛び出し、而もそれ等が一つ残らず(画面)の底にとけて流れて行く。
 あそこまで行かねば嘘だと、いつも歯痒く思う。
 そして、今さら、自己の生活体験の浅薄をしみじみとかこたざるを得ないのだ。

 これは余談になるが、新しい大衆小説から得る台詞の言葉より、古い講談本等に非常に味のある言葉が多い。
 古い民謡と、新民謡新流行歌とを対比する様に、現代人の言葉には非常に粉飾が多いが、昔の人の言葉には余分のものがない。
 直情的だ。
 それだけに短い言葉にも真実がある。短い言葉にも社会が反映しており、思想がこもっている。
 スピードが生命の映画では、欠くことの出来ない捨台詞は別として出来る限り無駄台詞をつつしまねばならぬことは誰も知っていることであろうが、そのくせなかなかむづかしいのだ。

 言葉の味のことで、ふと思いついたが、酒を飲む者の言葉には注意していると面白いものが多い。

 「山中の道楽は酒を飲むことと、映画を見ることだ。」
 と言われているのを耳にする。
 映画人が映画を見るのが何の道楽だ。
 映画人が映画を見、映画を作るのは仕事だ。
 酒の場合は?
 これにはどう答えてよいか。
 兎に角僕は心おきない人と盃を交すのが好きだ。
 そして静かなところで、ボツリボツリと話し合っているうちに、酒に酔うことを忘れていつしか相手の、又時には自分の言葉の味に酔っている。
 愛酒家の言葉……これが映画の中へ持って行って生かして使えるとなれば、飲酒も亦僕の仕事の一部と言えるのではあるまいか。
 呵々!

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雑録 ——前進座に就いて——


 率直に言えば僕は河原崎長十郎氏並びに前進座一党の諸氏が非常に好きだ。
Boys be ambitious! 前進座は多くを語らない。
 そして常に青年らしい野心を深く包んで黙々として芸道に精進している。
 それを此の度太秦発声で「清水次郎長」に出演している一党の態度を見て僕は一入感を深くした。
   ○
 前進座は芸道に於て非常に謙譲だ。
 此の徳は此の道に携わる者の誰もが持ちたいものだと思う。
 特に映画の場合にこの徳を失ったならば(少くとも僕の場合にだけは)ほんとうの映画は撮れないと思う。
 前進座は謙譲の徳を持っている。それは表面的のものでなく、芸熱心の故に自然と備わる徳である。
   ○
 前進座は家族的感情に統一されている。
 此の一党の人々から受ける感じはこの人は長十郎氏であるとか、此の人は翫右衛門氏であるとか云う個々な感情ではない。
 此の一党の人々は「此の人は前進座の人である」と言う感じから切り離して考えることが出来ない。即ち前進座なる一家の兄姉に対する感情であり、弟妹に対する感情である。
 僕は一つの仕事に熱情を傾けて携わる場合、いつも此の空気の中にいて働き度いと思う。
   ○
 僕は前進座の此のぴちぴちとした若々しさ——此の覇気を愛し、此の芸道に於ける謙譲の徳を讃え此の家族的な融合を羨ましく思うものだ。
 僕はこうした前進座に対する感情から、この一党と共にまじめな仕事をして見たいと考える様になり、僕から進んで前進座との仕事を申し出たわけだ。
 此の話が若しも具体化したならば僕は前進座の為めに全力を傾けて働く積りでいる。
 そしてきっと面白い仕事が出来るであろうと、ひとり今から興奮している次第である。



底本:「山中貞雄作品全集 全一巻」実業之日本社
   1998(平成10)年10月28日初版発行
入力:野村裕介
校正:伊藤時也
ファイル作成:野口英司
2000年2月18日公開
青空文庫作成ファイル:
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●表記について

本文中の/\は二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)。濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」。

本文中の※は、底本では次のような漢字(JIS外字)が使われている。

※々見受けますが