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青空文庫
Blue Sky Collection
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No.
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著者名
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三遊亭圓朝
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校訂者名
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鈴木行三
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書籍名
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後の業平文治
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底本
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「圓朝全集 巻の四」近代文芸・資料複刻叢書、世界文庫
1963(昭和38)年9月10日発行
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底本の親本
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「圓朝全集 巻の四」春陽堂
1927(昭和2)年6月28日発行
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入力者名
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小林繁雄
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校正者名
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かとうかおり
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作品について:『業平文治漂流奇談』の続編。前編において、希代の悪党、大伴蟠龍軒を討ち逃した業平文治が、三宅島への流刑、小笠原への漂流など、艱難辛苦の末に仇敵に迫る。花見客の蝟集する向島にて、父の敵、蟠龍軒についに対峙した文治とその妻お町による、仇討ちの首尾や如何。本編、冒頭の演者による紹介にあるとおり、この作は圓朝の噺を速記に起こしたものではない。前編の最後で概略のみ示した後段を、圓朝は公にせぬままに終わる。師没後の明治36(1903)年、弟子の圓橘は、圓朝遺稿として後編を演じる。これが速記に起こされ、時事新報に連載されて、本作となった。圓橘は、生前師匠が語る「後の文治の筋々を親しく小耳に挟んで居」たという。その記憶に基づき、師の残した粗筋の要所要所を繋いだ本作の展開は、実にめまぐるしく、いささか構成に破調をきたしているところも見られる。お町の窮地を救う熊の、いかにも都合のよい出現。海賊の頭目を討った後、代わりに首領の座におさまったのか否か、はっきりとしない蟠龍軒。かつてはぐるとなって悪事を働いた、蟠龍軒とお瀧のそらぞらしい再会。二度の大嵐を経るとはいえ、新潟沖から出て小笠原諸島に漂着するというのも、尋常ではない。後に全集が編まれるなどつゆ知らぬ圓朝が、前編の最後に示した概略からも、後段の展開は大きく外れている。だがともかくも、本編を得て、文治、お町の昔年の恨みは晴される。
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著者について:1839.4.1〜1900.8.11。江戸から明治への転換期にあって、伝統的な話芸に新たな可能性を開いた落語家。本名は出淵次郎吉(いずぶちじろきち)。二代三遊亭圓生門下の音曲師、橘屋圓太郎(出淵長藏)の子として江戸湯島に生まれ、7歳の時、子圓太を名乗って見よう見まねの芸で高座にあがる。後にあらためて、父の師の圓生に入門。母と義兄の反対にあっていったんは落語を離れ、商家に奉公し、転じて歌川国芳のもとで画家の修行を積むなどしたが、後に芸界に復帰。17歳で芸名を圓朝に改め、真打ちとなる。まずは派手な衣装や道具を使い、歌舞伎の雰囲気を盛り込んだ芝居噺で人気を博すが、援助出演を乞うた師匠に準備していた演目を先にかける仕打ちを受けたのを機に、「人のする話は決してなすまじ」と心に決める。以降、自作自演の怪談噺や、取材にもとづいた実録人情噺で独自の境地を開き、海外文学作品の翻案にも取り組んだ。生まれて間もない日本語速記術によって、圓朝の噺は速記本に仕立てられ、新聞に連載されるなどして人気を博す。これが二葉亭四迷らに影響を与え、文芸における言文一致の台頭を促した。大看板となった圓朝は、朝野の名士の知遇を得、禅を通じて山岡鉄舟に師事した。
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