青水仙、赤水仙・黒い頭・白椿

海若藍平(かいじゃくらんぺい)(夢野久作)




青水仙、赤水仙



 うた子さんは友達に教わって、水仙の根を切り割って、赤い絵の具と青い絵の具を入れて、お庭の隅に埋めておきました。早く芽が出て、赤と青の水仙の花が咲けばいいと、毎日水をやっておりましたが、いつまでも芽が出ません。
 ある日、学校から帰ってすぐにお庭に来てみると、大変です。お父様がお庭中をすっかり掘り返して、畠にしておいでになります。そうしてうた子さんを見ると、
「やあ、うた子か。お父さんはうっかりして悪い事をした。お前の大切な水仙を二つとも鍬(くわ)で半分に切ってしまったから、裏の草原(くさはら)へ棄ててしまった。勘弁してくれ。その代り、今度水仙の花が咲く頃になったら、大きな支那水仙を買ってやるから」
 とおあやまりになりました。
 うた子さんは泣きたいのをやっと我慢して、裏の草原(くさはら)を探しましたが、もう見つかりませんでした。そうしてその晩蒲団(ふとん)の中で、「支那水仙は要らない。あの水仙が可愛いそうだ。もう水をやる事が出来ないのか」といろいろ考えながら泣いて寝ました。
 あくる日、学校から帰る時にうた子さんは、「もううちへ帰っても、水仙に水をやる事が出来ないからつまらないなあ」とシクシク泣きながら帰って来ますと、途中で二人の綺麗なお嬢さんが出て来て、なれなれしくそばへ寄って、
「あなた、なぜ泣いていらっしゃるの」
 とたずねました。うた子さんがわけを話すと、それでは私たちと遊んで下さいましなと親切に云いながら、連れ立っておうちへ帰りました。
 二人はほんとに静かな音なしい児でした。顔色は二人共雪のように白く、おさげに黄金の稲飾りを付けて、一人は赤の、一人は青のリボンを結んでおりました。うた子さんはすこし不思議に思って尋ねました。
「あなたたちはそんな薄い緑色の着物を着て、寒くはありませんか」
「いいえ、ちっとも」
「お名前は何とおっしゃるの」
「花子、玉子と申します」
「どこにいらっしゃるのですか」
 二人は顔を見合わせてにっこり笑いました。
「この頃御近所に来たのです。どうぞ遊んで下さいましね」
 うた子さんはそれから毎日、三人で温順(おとな)しく遊びました。本を見たり、絵や字をかいたり、お手玉をしたりして日が暮れると、二人は揃って、
「さようなら」
 と帰って行きました。お母さんは、
「ほんとに温順(おとな)しい、品のいいお嬢さんですこと。うた子と遊んでいると、うちにいるかいないかわからない位ですわね」
 とお父さんと話し合って喜んでおいでになりました。
 そのうちにお正月になりました。
 うた子さんは初夢を見ようと思って寝ますと、いつも来るお嬢さんが二人揃って枕元に来て、さもうれしそうに、
「今日はおわかれに来ました」
 と云いました。
 うた子さんはびっくりしましたが、これはきっと夢だと思いましたから安心して、
「まあ、どこへいらっしゃるの」
 と尋ねました。二人は極(きま)りわるそうに、
「今から裏の草原(くさはら)に行かねばなりません。どうぞ遊びに入らっして下さいね」
 と云ううちに、二人の姿は消えてしまいました。うた子さんはハッと眼をさましましたが、この時やっと気がつきまして、
「それじゃ、水仙の精が遊びに来てくれたのか」
 と、夜の明けるのを待ちかねて草原(くさはら)へ行ってみました。
 草原(くさはら)は黄色く枯れてしまっている中に、水仙が一本青々と延びていて、青と赤と二いろの花が美しく咲き並んでおりました。



黒い頭



 ヒイラ、フウラ、ミイラよ
 ミイラのおべべが赤と青
 そうしておかおが真黒け
 四つよく似たムクロージ
 五ついつまでねんねして
 六つむかしの夢を見て
 何千万何億年
 やっとこさあと眼がさめて
 九つことしはおめでとう
 とんだりはねたり躍ったり
 とうとう一貫借りました。
 花子さんは夢中になってお友達と羽子(はね)をついているうちに、羽子板のうらの美しい姉さんの顔の頬ぺたが、いつの間にか羽子のムクロジに当って、ポコンと凹(へこ)んでいるのを見つけました。
 花子さんはわっと泣き出して、おうちへ駈け込んで、お母さんの膝へ泣き伏しました。
「お母さん、堪忍(かんにん)して頂戴。羽子板の姉さんのお顔がこんなになりました」
 お母さんは背中を撫で、
「そうですか、構いません。これから大切になさい。もう日が暮れますから、御飯をたべておやすみなさい」
 と云われました。
 花子さんは羽子板の美しい姉さんの顔が可愛そうでなりませんでした。どうかしてもとの通りにならないかと思い、ひょいと顔を上げて枕元に置いた羽子板を見ると、ビックリしました。美しい姉さんは、いつの間にか羽子板を抜け出して枕元に座って、頬ペタの大きく凹んだ処を押えてシクシク泣いています。
 花子さんは思わず飛起(とびお)きて、飛び付きました。
「あら、姉様、堪忍して頂戴。妾(わたし)が悪いのですから」
 と泣き声を出してあやまりましたが、姉さんは中々眼をあけません。奇麗な袖で顔を押えて、シクシク泣いているばかりです。花子さんはどうしようかと思いました。
 ところへどこからか、
「それは花子さんが悪いのではない。私が悪いのです」
 と云うしわがれた声が聞えました。驚いて姉さんと花子さんとが顔を挙げてそちらを見ますと、それは恐ろしい、真黒い、骸骨のような木乃伊(ミイラ)でした。
 木乃伊は赤と青の美しい着物を引きずって、恐ろしさにふるえている姉さんと花子さんの傍へしずしずと近寄りながら、白い歯を出してニッコリ笑いました。
「御心配なさいますな。私が姉さんの頬の凹(へこ)んだ処はきっと直して上げます」
 と云ううちに二人を抱き上げて、赤と青の着物をパッと広げると、そのまま大空はるかに舞い上りました。
 二人は夢のようになって抱かれて行きますと、木乃伊の青と赤の着物は雲の中をひるがえりひるがえり、お太陽(てんと)様も星も月もはるか足の下にして飛んで行きます。やがて下の方に三角の塔や椰子(やし)の樹や大きな川や繁華な都が見えて来ました。木乃伊はそれを指して、
「あれが私の故郷のエジプトの都です。三角の塔はピラミッドで、川はナイル河という河です」
 と云う中(うち)に、都の中(うち)で一番大きな建て物の窓から中へ降りて行きました。その時気が付きますと、木乃伊はいつの間にか当り前の人間の、しかも立派な王様の姿にかわっておりました。
 王様はニッコリ笑って申しました。
「私はこのエジプトの王ラメスというものです。昨日、花子さんが私の生まれ代りの羽子のムクロジにあたたかい息を何べんもはきかけて下さいましたので、二千年も昔に生き返る事が出来たのです。その御礼(おんれい)に今日は国中の者を集めて御馳走をします」
 やがて三人は眼もまばゆい大広間に来ると、王様を真中に、姉さんは右に、花子さんは左に腰をかけました。
 先ずこの国第一のお医者が来て姉さんの鼻をフッと吹きますと、姉さんの頬ペタは忽ちもとの通りにふくらみました。それから、二人ではとても食べ切れぬ程の珍らしい御馳走をいただきました。それから、この国中の踊りの名人の舞踏を見せてもらいました。
 とうとうおしまいには王様も堪(たま)らなくなったとみえて、
「久し振りだからおれも一つ踊ろう」
 と飛び出して踊り出しました。
 その時王様はこう云って唄いました。
 ヒイラ、フウラ、ミイラよ
 ミイラの王様お眼ざめだ
 赤い青いおべべ着て
 黒いあたまをふり立てて
 はねたり飛んだりまわったり
 五ついつまでいつまでも
 むかしのまんまのひとおどり
 なんでもかんでも無我夢中
 やめずにとめずに九(ここの)とう
 とうとう日が暮れ夜が明けて
 いつまで経(た)っても松の内
 花子さんも羽子板の姉さんも夢中になって見ておりますと、王様の踊りはだんだんはげしくなって、次第次第に高く飛び上って、とうとう大広間の天井を突(つき)破って、虚空はるかに飛び上って、どこへ行ったか見えなくなってしまいました。
 ハッと思って気がつきますと、夜が明けて、花子さんは矢張り寝床の中にいて、羽子と羽子板をしっかりと抱いているのでした。
 羽子板の姉さんの頬はいつの間にか、またもとの通りにふっくらとなっておりました。



白椿



 ちえ子さんは可愛らしい奇麗な児でしたが、勉強がきらいで遊んでばかりいるので、学校を何べんも落第しました。そしてお父さんやお母さんに叱られる毎(ごと)に、「ああ、嫌だ嫌だ。どうかして勉強しないで学校がよく出来る工夫は無いかしらん」と、そればかり考えておりました。
 ある日、どうしてもしなくてはならぬ算術をやっておりましたが、どうしてもわからぬ上にねむくてたまりませんので、大きなあくびを一つしてお庭に出てみると、白い寒椿がたった一つ蕾(つぼみ)を開いておりました。ちえ子さんはそれを見ると、「ああ、こんな花になったらいいだろう。学校にも何にも行かずに、花が咲いて人から可愛がられる。ああ、花になりたい」と思いながら、その花に顔を近づけて香(にお)いを嗅(か)いでみました。
 その白椿の香気のいい事、眼も眩(くら)むようでした。思わず噎(む)せ返って、
「ハックシン」
 と大きなくしゃみを一つして、フッと眼を開いてみると、どうでしょう。自分はいつの間にか白い寒椿の花になっていて、眼の前にはちえ子さんそっくりの女の子が立ちながら自分を見上げております。
 ちえ子さんはびっくりしましたが、どうする事も出来ませんでした。只呆れてしまって、その児の様子を見ておりますと、その女の児は自分を見ながら、
「まあ、何という美しい花でしょう。そしてほんとにいいにおいだこと。これを一輪ざしに挿して勉強したいな。お母様に聞いて来ましょう」
 と云いながらバタバタと駈けて行きました。
 しばらくすると、ちえ子さんのお母さんが花鋏を持ってお庭に降りておいでになりました。
「まあ、お前が勉強をするなんて珍らしい事ねえ。お前が勉強さえしておくれだったら、椿の花くらい何でもありませんよ」
 と云いながら、ちえ子さんの白椿をパチンと鋏切って、一輪挿しにさして、ちえ子さんの机の上に置いておやりになりました。
 ちえ子さんは机の隅から見ていますと、女の児はさもうれしそうに可愛らしい眼で自分を見ておりましたが、やがて算術の手帳を出しておけいこを初めました。
 ちえ子さんの白椿は、真赤になりたい位極(きま)りが悪くなりました。算術の帳面には違った答えばかりで、処々にはつまらない絵なぞが書いてあります。女の児はそれをゴムで奇麗に消して、間違った答えをみんな直して、明日(あす)の宿題までも済ましてしまいました。それを見ているうちにちえ子さんは、算術のしかたがだんだんわかって来て面白くて堪らず、自分でやってみたくなりましたが、花になっているのですから仕方がありません。
 そのうちに女の児は算術を済まして、読本を開いて、本に小さく鉛筆でつけてある仮名を皆消してしまいました。おさらいと明日(あす)の下読が済むと、筆入やカバンを奇麗に掃除して、鉛筆を上手に削って、時間表に合せた書物や雑記帳と一所に入れて机の上に正しく置きました。それから机の抽斗(ひきだし)をあけてキチンと片づけて、押しこんだいたずら書きの紙屑や糸くずをちゃんと展(の)ばして、紙は帳面に作り、糸は糸巻きに巻きました。その間のちえ子さんの極りのわるさ! 消えてしまいたい位でした。
 女の児はそれから、台所で働いていらっしゃるお母様の処へ走って行って、手を突いて、
「お母さん、お手伝いさせて頂戴」
 と云いました。
 お母様はしばらくだまって女の児の顔を見ておいでになりましたが、濡れたままの手でいきなりしっかりと女の児を抱きしめて、
「まあ、お前はどうしてそんなによい子になったの」
 と云いながら、涙をハラハラとお流しになりました。
 白椿のちえ子さんは身を震わしてこの様子を見ておりました。ちえ子さんもお母さまからこんなにして可愛がられた事は今まで一度も無かったのです。あんまり羨ましくて情なくて口惜(くちお)しくて、思わずホロホロと水晶のような露を机の上に落しました。
 それからこの女の児がする事は、何一つとしてちえ子さんを感心させない事はありませんでした。
 遊びに誘いに来るわるいお友達はみんな、お母様にたのんで断って頂いて、よいお友達と遊ぶようにしました。
「ちえ子のちえ子の大馬鹿やい。ちえ子の知恵無し落第坊主、一年二度ずつエンヤラヤ、学校出るのに……ツーツータアカアセ」
 と悪い男の生徒がはやしても、家の中(うち)から笑っていました。
 そのほか勉強のひまには編物をお母さんから習いました。夜はお祖父さまの肩をもみました。お母様のお使い、お父様の御用向でも、ハイハイとはたらきました。そうして自分の事は何一つお母様やお祖母様に御迷惑をかけませんでした。
 お家の人は皆驚いて感心をして賞め千切って、いろいろのものを買って下さいました。しかし女の児はそれを大切にしまって、今までちえ子さんが使い古したものばかり使いました。
 けれどもお家の人よりも何よりも驚いたのは学校の先生でした。今までは何をきいてもうつむいてばかりいたちえ子が、今度は何を聞いてもすっかり勉強しておぼえていて、時々は先生も困る位よい質問を出します。
 そればかりでなく、今まで運動場で遊んでいても、直(すぐ)に泣いたり、おこったり、すねたり、よけいなにくまれ口をきいたりして嫌われていたちえ子が、急に親切にやさしくなって、どんな遊戯でもいやがらずに、それはそれは元気よく愉快に仲よく遊びますので、友達の出来る事出来る事。今まで寄り付かなかったよいお友達が、みんな遊びたがってお家にまで来るようになりました。
 女の児はいつもよいお友達と音なしく遊んで、音なしく勉強しました。
 来るお友達も来るお友達も、みんなちえ子さんの机の上の一輪ざしに生けてある白椿の花を賞めました。その時女の児はいつもこう答えました。
「あたしはこの白椿のようになりたいといつも思っています」
「ほんとにね」
 と友達は皆、女の児の清い心持ちに感心をしてため息をしました。
 ちえ子さんの白椿は日に増し淋しく悲しくなって来ました。「あたしのようなわるい児はこのまま散ってしまって、あの女の児が妾(あたし)の代りになっている方がどれ位みんなのしあわせになるかもしれない。どうぞ神様、妾の代りにあの女の児がしあわせでいるように、そうしていつまでもかわらずにいるように」と心から祈って、涙をホロホロと流しました。
 その中(うち)にだんだん気が遠くなって、ガックリとうなだれてしまいました。

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「まあちえ子さん、大変じゃないの。総甲を取っているのに、何だって今まで見たいに成績を隠すのです。お起きなさいってば、ちえ子さん。そんなに勉強ばかりして身体(からだ)に障りますよ」
 とお母さんの声がします。フッと眼をあけてみると、ちえ子さんは算術の本を開いてその上にうたた寝をしているのでした。
 眼の前の机の上の一輪挿しには椿の枝と葉ばかりが挿さっていて、花はしおれ返ったままうつ伏せに落ちておりました。



底本:「夢野久作全集1」ちくま文庫、筑摩書房
   1992(平成4)年5月22日 第1刷発行
入力:柴田卓治
校正:もりみつじゅんじ
ファイル作成:もりみつじゅんじ
2000年1月19日公開
青空文庫作成ファイル:このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。