夏目漱石 評論集
夏目漱石
目次
コンラッドの描きたる自然について
田山花袋君に答う
文壇の趨勢
明治座の所感を虚子君に問れて
虚子君へ
コンラッドの描きたる自然について
一月二十七日の読売新聞で日高未徹君は、余の国民記者に話した、コンラッドの小説は自然に重きをおき過ぎるの結果主客顛倒(てんとう)の傾(かたむき)があると云う所見を非難せられた。
日高君の説によると、コンラッドは背景として自然を用いたのではない、自然を人間と対等に取扱ったのである、自然の活動が人間の活動と相交渉し、相対立する場合を写した作物である。これを主客顛倒と見るのは始めから自然は客であるべきはずとの僻目(ひがめ)から起るのである。——まあこういうのが非難の要点である。
いかにもごもっともな御説で、余はこれに反対すると云わんよりは、むしろ大賛成を表したいくらいである。せんだってもある人がコンラッドのようなものを描いてどこが面白いかと聞いたから、余は、自然の経過は人情の経過と同じような興味をもって読む事のできるものだ、普通のが人情小説なら、コンラッドのは自然情小説だと答えたくらいだから、余は日高君よりは一歩極端に走って、自然と人間を対等に取扱う境を通り越して、自然を主、人間を客と見た面白味をさえ解しているつもりである。
現にタイフーンのごときまた、舟火事(名前を忘れたり)のごときは単にタイフーンを写し、単に舟火事を写したものとして立派な雄篇である。首尾一貫前後相待って渾然(こんぜん)と出来上がっている。なぜかと云うと、篇中に出て来る人間の心状、及び動作がことごとくタイフーンと舟火事なる自然力を離れずに、どこまでも密接な関係をもって展化進行するから、自然と人間が打って一丸となされて、偉大なる自然力の裏に副(そ)え物(もの)として人間が調子よく活動するからである。
ところが同じ船と海の事を書たものでも、船長が眼病で、船の操縦ができないのを、眼の見えるふりでどこまでも押し通す様子などになると、筋は海を離れて、船長自身の個人の身の上話しに移ってしまう。だからこういう場合にいくら海が活動してもそれほど役に立たない。それよりか船長の一身上の生活の行路の方が気にかかる、その方を旨(うま)く取り扱ってくれる方が極力海を描出するよりも大切であり、かつ読者にありがたいのである。余の見るところではコンラッドはその調子を取らない。
これではまだ日高君は首肯されないかも知れないからもっとも著(いちじる)しい例を挙(あ)げると、ゼ・ニガー・オブ・ゼ・ナーシッサスのようなものである。これは一人の黒奴が、ナーシッサスと云う船に乗り込んで航海の途中に病死する物語であるが、黒奴の船中生活を叙したものとしては、いかにも幼稚で、できが悪い。しかし航海の描写としては例の通り雄健蒼勁(ゆうけんそうけい)の極を尽したものである。だから、余の希望から云うと、なまじいに普通の小説じみた黒奴という主人公の経歴はやめて、全くの航海描写としたらば好かろうと思うのである。しからざればいらざる風濤(ふうとう)の描写を割(さ)いて、主人公の身辺に起る波瀾(はらん)成行をもう少し上手に手際(てぎわ)よく叙したらば好かろうと思う。
普通の小説のような脚色がありながら、その方の筋はいっこうできていないで、かえって自然力の活動ばかり目醒(めざま)しいので、余はこれを主客顛倒(てんとう)と評したのである。ところが短かい談話で、国民文学記者にコンラッドだけを詳(くわ)しく話す余地がなかったので、ついと日高君の誤解を招くに至ったのは残念である。
要するに日高君の御説ははなはだごもっともなのである。けれども余のコンラッドを非難した意味、及びこの意味において非難すべき作物をコンラッドが書いたと云う事も、日高君が承認されん事を希望する。
この答弁は日高君に対してのみならず、世間の読者のうちで、まだコンラッドを知らずして、余の説と日高君の説の矛盾だけを見てその調和に苦しむ人のために草したのである。
田山花袋君に答う
本月の「趣味」に田山花袋君が小生に関してこんな事を云われた。——「夏目漱石君はズーデルマンの『カッツェンステッヒ』を評して、そのますます序を逐(お)うて迫り来るがごとき点をひどく感服しておられる。氏の近作『三四郎』はこの筆法で往くつもりだとか聞いている。しかし云々」
小生はいまだかつて『三四郎』をズーデルマンの筆法で書くと云った覚えなし。誰かの話し違か、花袋君の聞違だろう。疎忽(そこつ)なものが花袋君の文を読むと、小生がズーデルマンの真似(まね)でもしているようで聞苦しい。『三四郎』は拙作かも知れないが、模擬踏襲(もぎとうしゅう)の作ではない。
花袋君は六年前にカッツェンステッヒを翻訳せられて、翻訳の当時は非常に感服せられたが、今日から見ると、作為の痕迹(こんせき)ばかりで、全篇作者の拵(こしら)えものに過ぎないと貶(へん)せられた。褒貶(ほうへん)は固(もと)より花袋君の自由である。しかし今日より六年後に、小生の趣味が現今の花袋君の趣味に達すると、達せざるとも固より小生の自由である。これも疎忽(そこつ)ものが読むと、花袋君と小生の嗜好(しこう)が一直線の上において六年の相違があるように受取られるから、御断りを致しておきたい。
花袋君がカッツェンステッヒに心酔せられた時分、同書を独歩君に見せたら、拵らえものじゃないかと云って通読しなかったと云って、痛く独歩君の眼識に敬服しておられる。花袋君が独歩君に敬服せらるると云う意味を漱石が独歩君に敬服すると云う意味に解釈するものはないからこの点は安心である。
愚見によると、独歩君の作物は「巡査」を除くのほかことごとく拵えものである。(小生の読んだものについて云う)ただしズーデルマンのカッツェンステッヒより下手な拵えものである。花袋君の「蒲団(ふとん)」も拵えものである。「生」は「蒲団」ほど拵えておられない。その代り満谷国四郎君の「車夫の家」のような出来栄えである。
拵えものを苦(く)にせらるるよりも、活きているとしか思えぬ人間や、自然としか思えぬ脚色を拵える[#「拵える」に丸傍点]方を苦心したら、どうだろう。拵らえた人間が活きているとしか思えなくって、拵らえた脚色が自然としか思えぬならば、拵えた作者は一種のクリーエーターである。拵えた事を誇りと心得る方が当然である。ただ下手でしかも巧妙に拵えた作物(例えばジューマのブラック・チューリップのごときもの)は花袋君の御注意を待たずして駄目である。同時にいくら糊細工(のりざいく)の臭味(くさみ)が少くても、すべての点において存在を認むるに足らぬ事実や実際の人間を書くのは、同等の程度において駄目(だめ)である。花袋君も御同感だろうと思う。
小生は小説を作る男である。そうしてところどころで悪口を云われる男である。自分が悪口を云われる口惜(くや)し紛(まぎ)れに他人の悪口を云うように取られては、悪口の功力(くりき)がないと心得て今日まで謹慎の意を表していた。しかし花袋君の説を拝見してちょっと弁解する必要が生じたついでに、端(はし)なく独歩花袋両君の作物に妄評(もうひょう)を加えたのは恐縮である。
小生は日本の文芸雑誌をことごとく通読する余裕と勇気に乏しいものである。現に花袋君の主宰しておらるる「文章世界」のごときも拝見しておらん。向後花袋君及びその他の諸君の高説に対して、一々御答弁を致す機会を逸するかも知れない。その時漱石は花袋君及びその他の諸君の高説に御答弁ができかねるほど感服したなと誤解する疎忽(そこつ)ものがあると困る。ついでをもって、必ずしもしからざる旨(むね)をあらかじめ天下に広告しておく。
文壇の趨勢
近頃は大分方々の雑誌から談話をしろしろと責められて、頭ががらん胴になったから、当分品切れの看板でも懸(か)けたいくらいに思っています。現に今日も一軒断わりました。向後日本の文壇はどう変化するかなどという大問題はなかなか分りにくい。いわんや二三日前まで『文学評論[#「文学評論」に傍点]』の訂正をしていて、頭が痺(しび)れたように疲れているから、早速(さっそく)に分別も浮びません。それに似寄った事をせんだってごく簡略に『秀才文壇[#「秀才文壇」に傍点]』の人に話してしまった。あいにくこの方面も種切れです。が、まあせっかくだから——いつおいでになっても、私の談話が御役に立った試がないようだから——つまらん事でも責任逃れに話しましょう。
私が小説を書き出したのは、何年前からか確(しか)と覚えてもいないが、けっして古くはない。見方によればごく近頃であると云ってもよろしい。しかるに我が文壇の潮流は非常に急なもので、私よりあとから、小説家として、世にあらわれ、また一般から作家として認められたものが大分ある。今も続々出つつあるように思われる。私は多忙な身だから、ほかの人の作を一々通読する暇がない。たてこんで来ると、つい読み損って、それぎりにする事もあるが、できるだけは参考のため、研究のため、あるいは興味のため、目を通して見る。ところが年一年と日を経るに従って、みんな面白い。だんだん老熟の手腕が短篇のうちに行き渡って来たように思われる。妙な比較をするようだけれども近来日本の雑誌に出る創作物の価値は、英国の通俗雑誌に掲載せられる短篇ものよりも、ずっと程度の高いものと自分は信じている。だから日本の文壇は前途多望、大いに楽観すべき現象に充(み)ちていると思います。
そこで今云った通り新参の私のあとから、すでに四五人の新進作家が出るくらいだから、そのあとからもまた出て来るに違ない。現に出つつあるんでしょう。また未来に出ようとして待ち構えている人も定めて多い事だろうと思います。して見るとこれらの四五の新進作家——必ずしもこれらの人に限る必要はないが——はまた新らしい競争者を得らるる事と信ずる。
この競争者の出かたである。出かたに二た通りある。一つは自分の縄張(なわばり)うちへ這入(はい)って来て、似寄った武器と、同種の兵法剣術で競争をやる。元来競争となるとたいていの場合は同種同類に限るようです。同種同類でないと、本当の比較ができないからでもあるし、ひとつ、あいつを乗り越してやろうと云う時は、裏道があってもかえって気がつかないで、やっぱり当の敵の向うに見える本街道をあとを慕って走(か)け出すのが心理的に普通な状態であります。すると同圏内で競争が起ります。この競争の刺激によって、作物がだんだん深さを増して来る。種類が同じだから深さ以外に競争のしようがないのであります。
今一つの競争は圏外に新手が出る事であります。これから新たに文壇に顔を出そうと機を覗(ねら)っている人、もしくはすでに打って出た人のうちで、今までのものとは径路を同じゅうする事を好まない事がないとも限らない。これは今までの作物に飽き足らぬか、もしくは、おれはおれだから是非一派を立てて見せると自己の特色に自信をおくか、または世間の注意を惹(ひ)くには何か異様な武者ぶりを見せないと効力が少ないとか、いろいろの動機から起るだろうが、要するに模擬者(もぎしゃ)でもなければ、同圏内の競争者でもない。すなわち圏外の敵である。この種の競争者が出て来ると、文壇の刺激は種類と種類の間に起る。種類が多ければ多いほど文壇は多趣多様になって、互に競(せ)り合(あい)が始まる訳である。
もしこの二種類の競争すなわち圏の内外に互に競争が同時に起るとすると、向後吾人の受くる作物は、この両個の刺激からして、在来のはますます在来の方向で深く発達したもの、新興のは新興の領分で出来得る限りを開拓して変化を添えるようなものになる。もっとも圏外の競争が烈(はげ)しくなると、圏内の競争は比較的穏かになる。また圏内の競争が烈しい時は、比較的圏外が平和である。
圏内の競争が烈しくなるか、圏外の競争が烈しくなるか、どちらに傾くかは、読書界の傾向で大部きめられる問題であります。もし読書界が把住性が強くって、在来の作物からなお或物を予期しつつある間は、圏内の競争の方が烈しい。また読書界が推移性に支配されつつあって、何か新発展を希望する場合には圏外に優勢なものがあらわれ勝になる。もし読書界が両分されて半々になるときは圏内圏外共に相応の競争があって、相応の読者を有する訳になります。私は実際の作物にあたって、とかくの評をする事をしない。したがって向後の読書界がどういう作物をどう歓迎するかも云えない。ただ形式ばかりの話ではなはだつまらないが、各自この形式を実地にあてはめて見たらいろいろな鑑定ができるだろうと思う。
競争はとうてい免(まぬ)がれない。また競争がなければ作物は進歩しない。今日の作物がこれまで進歩したのは作家の天分にもよるだろうけれども大部分は競争の賜物だろうと考えます。英国の政党が立憲政治の始まった時から二派に分れている。あれは偶然のような必然のような歴史を有しているが相互に相互を研究し啓発すると云う大原則を政治上にうまく応用したものであります。もっともこれは圏外の競争の意味である。そうして、日本の作物が輓近(ばんきん)四五年間に大変進歩したのは、全くこの圏外の競争心の結果ではなかろうかと思われる。
圏外の競争は一方において反撥(はんぱつ)を意味している。けれどもその反撥の裏面には同化の芽を含んでいる。反撥すると云う事がすでに対者を知らねばできない事になる。対者を知るためには一種の研究をしなければならない。その研究をして反撥し合っているうちに対者の立場やら長所やらを自然と認めなければならないようになる。その時にある程度の同化はどうしても起るべきはずである。文壇がこの期に達した時には混戦の状態に陥(おち)いる。混戦の状態に陥ると一騎打の競争よりほかになくなってしまう。日本の文壇がすでに混戦時代に達したか、あるいは達せんとしつつあるかは読者の判断に任せておきます。
いわゆる文明社界に住む人の特色は何だと纏(まと)めて云って御覧なさい。私にはこう見える。いわゆる文明社会に住む人は誰を捉(つか)まえてもたいてい同じである。教育の程度、知識の範囲、その他いろいろの資格において、ほぼ似通っている。だから誰かれの差別はない。皆同じである。が同時に一方から見ると文明社会に住む人ほど個人主義なものはない。どこまでも我は我で通している。人の威圧やら束縛をけっして肯(うけが)わない。信仰の点においても、趣味の点においても、あらゆる意見においても、かつて雷同附和の必要を認めない。また阿諛迎合(あゆげいごう)の必要を認めない。してみるといわゆる文明社界に生息している人間ほど平等的なるものはなく、また個人的なるものはない。すでに平等的である以上は圏を画して圏内圏外の別を説く必要はない。英国の二大政党のごときは単に採決に便宜(べんぎ)なる約束的の団隊と見傚(みな)して差支(さしつかえ)ない。またすでに個人的である以上はどこまでも自己の特色を自己の特色として保存する必要がある。
文壇の諸公をいわゆる文明社会に住む人と見傚せば、勢いこの性質を具していなければならない。人間としてこの性質を帯びている以上は作物の上にも早晩この性質を発揮するのが天下の趨勢(すうせい)である。いわゆる混戦時代が始まって、彼我(ひが)相通じ、しかも彼我相守り、自己の特色を失わざると共に、同圏異圏の臭味を帯びざるようになった暁が、わが文壇の歴史に一段落を告げる時ではなかろうかと思います。
明治座の所感を虚子君に問れて
○虚子に誘われて珍らしく明治座を見に行った。芝居というものには全く無知無識であるから、どんな印象を受けるか自分にもまるで分らなかった。虚子もそこが聞きたいので、わざわざ誘ったのである。もっとも幼少の頃は沢村田之助とか訥升(とっしょう)とかいう名をしばしば耳にした事を覚えている。それから猿若町(さるわかちょう)に芝居小屋がたくさんあったかのように、何となく夢ながら承知している。しかも、あとから聞くと訥升が贔屓(ひいき)だったという話であるから驚ろく。それはおおかた嘘(うそ)だろうと思う。物心がついてからは全く芝居には足を入れなかった。しかし自分の兄共は揃(そろい)も揃って芝居好で、家にいると不断仮色(こわいろ)などを使っているから、自分はこの仮色を通して役者を知っていた。それから今日までに団十郎をたった一遍見た事があるばかりである。もっとも新派劇は帰朝後三四遍見たが、けっして好じゃない。いつでも虚子に誘われて行くだけで、行ったあとでは大いに辟易(へきえき)するくらいである。
○それで明治座へ行って、自分の枡(ます)へ這入(はい)ってみると、ただ四方八方ざわざわしていろいろな色彩が眼に映る感じが一番強かった。もっともこれは能とさほど性質において差違はないが、正面の舞台で女の生首を抱いたり箱へ入れたりしているのにその所作(しょさ)には一向同情がない。万事余計な事をしているように思われる。まるで西洋人が始めて日本の芝居を見たら、こうだろうと想像されるくらい妙な心持であった。全く魚の陸見物(おかけんぶつ)である。
○それからだんだん慣れて来たら、ようやく役者の主意の存するところもほぼ分って来たので、幾分か彼我の胸裏(きょうり)に呼応する或ものを認める事ができたが、いかんせん、彼らのやっている事は、とうてい今日の開明に伴った筋を演じていないのだからはなはだ気の毒な心持がした。
○その特色を一言で概括したら、どうなるだろうと考えると、——固(もと)よりいろいろあり、また例のごとく長々と説明したくなるが——極めて低級に属する頭脳をもった人類で、同時に比較的芸術心に富んだ人類が、同程度の人類の要求に応ずるために作ったものをやってるからだろうと思う。例を挙(あ)げると、いくらもあるが、丸橋忠弥とかいう男が、酒に酔いながら、濠(ほり)の中へ石を抛(な)げて、水の深浅を測(はか)るところが、いかにも大事件であるごとく、またいかにも豪(えら)そうな態度で、またいかにも天下の智者でなくっちゃ、こんな真似(まね)はできないぞと云わぬばかりにもったいぶってやる。そのもったいぶるところを見物がわっと喝采(かっさい)するのである。が、常識から判断すれば誰にでも考えつく事で、誰にでもやれる事で、やったってしようのない事である。だからもったいぶり方はいくら芸術的にうまくできたって、うまくできればできるほどおかしくするだけである。それを心から感心して見るのは、どうしたって、本町の生薬屋(きぐすりや)の御神(おかみ)さんと同程度の頭脳である。こんな謀反人(むほんにん)なら幾百人出て来たって、徳川の天下は今日までつづいているはずである。松平伊豆守なんてえ男もこれと同程度である。番傘(ばんがさ)を忠弥に差し懸(か)けて見たりなんかして、まるで利口ぶった十五六の少年ぐらいな頭脳しかもっていない。だから、これらはまるで野蛮人の芸術である。子供がまま事に天下を取(と)り競(くら)をしているところを書いた脚本である。世間見ずの坊ちゃんの浅薄愚劣なる世界観を、さもさも大人ぶって表白した筋書である。こんなものを演ぜねばならぬ役者はさぞかし迷惑な事だろうと思う。あの芸は、あれより数十倍利用のできる芸である。
○油屋御こんなどもむやみに刀をすり更(か)えたり、手紙を奪い合ったり、まるで真面目(まじめ)な顔をして、いたずらをして見せると同じである。
○祐天(ゆうてん)なぞでも、あれだけの思いつきがあれば、もう少しハイカラにできる訳だ。不動の御利益(ごりやく)が蛮からなんじゃない。神が出ても仏が出てもいっこう差支(さしつかえ)ないが、たかが如是我聞(にょぜがもん)の一二句で、あれ程の人騒がせをやるのみならず、不動様まで騒がせるのは、開明の今日(こんにち)はなはだ穏かならぬ事と思う。あれじゃ不動様が安っぽくなるばかりだ。不動をあらたか[#「あらたか」に傍点]にしようと思ったら、もう少し深い事情を原因におかなくっちゃいけない。その上祐天がちっとも愚鈍らしくない。いやに色気があって、そうして黄色い声を出す。のみならずむやみに泣いて愚痴(ぐち)ばかり並べている。あの山を上るところなどは一起一仆(いっきいっぷ)ことごとく誇張と虚偽である。鬘(かつら)の上から水などを何杯浴びたって、ちっとも同情は起らない。あれを真面目に見ているのは、虚偽の因襲に囚(とら)われた愚かな見物である。
○立ち廻りとか、だんまり[#「だんまり」に傍点]とか号するものは、前後の筋に関係なき、独立したる体操、もしくは滑稽踊(こっけいおどり)として賞翫(しょうがん)されているらしい。筋の発展もしくは危機切逼(せっぱく)という点から見たら、いかにも常識を欠いた暢気(のんき)な行動である。もしくは過長の運動である。その代り単なる体操もしくは踊として見ればなかなか発達したものである。
○御俊(おしゅん)伝兵衛は大層面白かった。あれは他(ほか)のもののように馬鹿気(ばかげ)た点がない。芸術と、人情と、頭脳が、平均を保っている。また渾然融合(こんぜんゆうごう)している。幕の開いた時の感じもよかった。幕の閉まる時の人物の位置態度も大変よかった。そうして御俊も伝兵衛も綺麗(きれい)であった。ただ与次郎なるものが少々やりすぎる。今一歩うち場に控えればあんな厭味(いやみ)は出ないはずである。
○しまいの踊は綺麗で愉快だった。見ていて人情も頭脳もいらない。ただ芸術的に眼を喜ばせる単純なものであるから、そこが自分にはすこぶる結構であった。
○最後に一言するが、自分は午後の一時から、夜の十一時まで明治座の中で暮した。時間から云うと大変なものである。これは日本の芝居が安過ぎるか、または見物が慾張り過ぎる証拠(しょうこ)である。実を云うと自分はもっと早くすむ方が便利であった。ただ、まだあるものを途中で出るのはもったいないから、消極的に慾張ってしまいまでいたのである。自分と同感の人も大分あるだろうと思う。しかし見物が積極的に、この長時間に比例するほど慾張るが故、役者もやむをえず働らくとすれば役者ははなはだ気の毒である。同盟してもっと見物賃を上げるが好い。牛肉でも葱(ねぎ)でも外の諸式はもっとぐっと高くなりつつある。
虚子君へ
昨日は失敬。こう続けざまに芝居を見るのは私の生涯(しょうがい)において未曾有(みぞう)の珍象ですが、私が、私に固有な因循(いんじゅん)極まる在来の軌道をぐれ出して、ちょっとでも陽気な御交際(おつきあい)をするのは全くあなたのせいですよ。それにも飽(あ)き足らず、この上相撲(すもう)へ連れて行って、それから招魂社の能へ誘うと云うんだから、あなたは偉い。実際善人か悪人か分らない。
私は妙な性質(たち)で、寄席(よせ)興行その他娯楽を目的とする場所へ行って坐(すわ)っていると、その間に一種荒涼な感じが起るんです。左右前後の綺羅(きら)が頭の中へ反映して、心理学にいわゆる反照聯想(はんしょうれんそう)を起すためかとも思いますが、全くそうでもないらしいです。あんな場所で周囲の人の顔や様子を見ていると、みんな浮いて見えます。男でも女でもさも得意です。その時ふとこの顔とこの様子から、自分の住む現在の社会が成立しているのだという考がどこからか出て来て急に不安になるのです。そうして早々自分の穴へ帰りたくなるんです。
そのときはまだ好いが、次にきっと自分も人から見れば、やっぱり浮いた顔をして、得意な調子をふりまわしているんだろうと気がつくのです。そうするといかにも自分に対して面目なくなります。その次には、自分の浮気や得意はこの場限りで、もう少しすると平生の我に帰るのだが、ほかの人のは、これが常態であって、家へ帰っても、職務に従事しても、あれでやっているんだと己惚(うぬぼ)れます。すると自分はどうしてもここにいるべきではないとなる。宅(うち)へ帰って、一二時間黙坐して見たいなんて気が起ります。
そのくせ周囲の空気には名状すべからざる派出(はで)な刺激があって、一方からいうと前後を忘れ、自我を没して、この派出な刺激を痛切に味いたいのだから困ります。その意味からいうと、美々しい女や華奢(きゃしゃ)な男が、天地神明を忘れて、当面の春色に酔って、優越な都会人種をもって任ずる様や、あるいは天下をわがもの顔に得意にふるまうのが羨(うらや)ましいのです。そうかと云ってこの人造世界に向って猪進(ちょしん)する勇気は無論ないです。年来の生活状態からして、私は始終(しじゅう)山の手の竹藪(たけやぶ)の中へ招かれている。のみならず、この竹藪や書物のなかに、まるで趣の違った巣を食って生きて来たのです。その方が私の性(しょう)に合う。それから直接に官能に訴える人巧的な刺激を除くと、この巣の方が遥(はる)かに意義があるように思われるんだから、四辺の空気に快よく耽溺(たんでき)する事ができないで迷っちまいます。こんな中腰(ちゅうごし)の態度で、芝居を見物する原因は複雑のようですが、その五割乃至(ないし)七割は舞台で演ずる劇そのものに帰着するのかも知れません。あの劇がね、私の巣の中の世界とはまるで別物で、しかもあまり上等でないからだろうと思うんです。こう云うと、役者や見物を一概に罵倒するようでわるいから、ちょっと説明します。
この間帝国座の二宮君が来て、あなたの明治座の所感と云うものを読んだが、我々の神経は痲痺(まひ)しているせいだか何だかあなたの口にするような非難はとうてい持ち出す余地がない、芝居になれたものの眼から見ると、筋なぞはどんなに無理だって、妙だって、まるで忘れて見ていますと云いました。なるほどそれが僕の素人(しろうと)であるところかも知れないと答えたようなものの、私は二宮君にこんな事を反問しました。僕は芝居は分らないが小説は君よりも分っている。その僕が小説を読んで、第一に感ずるのは大体の筋すなわち構造である。筋なんかどうでも、局部に面白い所があれば構わないと云う気にはとてもなれない。したがって僕がいかほど芝居通になったところで、全然君と同じ観察点に立って、芝居を見得るかどうだか疑問であるが、その辺はどうだろう。——話は要領を得ずにすんでしまったが、私にはやッぱり構造、譬(たと)えば波瀾(はらん)、衝突から起る因果(いんが)とか、この因果と、あの因果の関係とか云うものが第一番に眼につくんです。ところがそれがあんまり善(よ)くできていないじゃありませんか。あるものは私の理性を愚弄(ぐろう)するために作ったと思われますね。太功記(たいこうき)などは全くそうだ。あるものは平板のべつ、のっぺらぽうでしょう。楠なんとかいうのは、誰が見たってのっぺらぽうに違ない。あるものに至っては、私の人情を傷(きずつ)けようと思って故意に残酷に拵(こしら)えさしたと思われるくらいです。きられ与三郎の——そう、もっともこれは純然たる筋じゃないが、まあ残酷なところがゆすりの原因になっているでしょう。
生涯(しょうがい)の大勢は構わないその日その日を面白く暮して行けば好いという人があるように、芝居も大体の構造なんか眼中におく必要がない、局部局部を断片的に賞翫(しょうがん)すればよいという説——二宮君のような説ですが、まあその説に同意してみたらどんなものでしょう。
それでも賞翫はできますが、それを賞翫するに、局部の内容を賞翫するのと、その内容を発現するために用うる役者の芸を賞翫するのと、ほとんど内容を離れた、内容の発現には比較的効能のない役者の芸を賞翫するのと三つあるようですね。
こうなっても芝居の好な人は、やっぱり内容に重きをおいていないようじゃありませんか。お富が海へ飛び込むところなぞは内容として、私には見るに堪(た)えない。演(や)り方が旨(うま)いとか下手(まず)いとか云う芸術上の鑑賞の余地がないくらい厭(いや)です。中村不折が隣りにいて、あのとき芸術上の批評を加えていたのを聞いて実に意外に思いました。ところが芝居の好きな人には私の厭(いや)だと思うところはいっこう応(こた)えないように見えますがどうでしょう。
光秀が妹から刀を受取って一人で引込むところは、内容として不都合がない。だから芸術上の上手下手を云う余地があったのです。あすこはあなたがたも旨いと云った。私も旨いと思います。ただし、あすこの芸術は内容を発現するための芸術でしょう。
第三の、内容とは比較的関係のない芸術になると、妙ですな。内容を賞翫して好いんだか、芸術を賞翫して好いんだか分りません。十段目に、初菊が、あんまり聞えぬ光よし様とか何とかいうところで品(しな)をしていると、私の隣の枡(ます)にいた御婆さんが誠実に泣いてたには感心しました。あのくらい単純な内容で泣ける人が今の世にもあるかと思ったらありがたかった。我々はもっとずっと、擦(す)れてるから始末が悪い。と云ってあすこがつまらないんじゃない。かなり面白かった。けれどもその面白味はあの初菊という女の胴や手が蛇(へび)のように三味線につれて、ひなひなするから面白かったんで、人情の発現として泣く了簡(りょうけん)は毛頭(もうとう)なかったんです。この点において私と芝居通の諸君と一致しているかどうだか伺います。御婆さんに賛成なさるか、私に同意なさるかで事はきまります。
忘れました。局部内容発現の芸術でもっとも旨かったのは蝙蝠安(こうもりやす)ですな。あれは旨い。本当にできてる。ゆすりをした経験のある男が正業について役者になったんでなければ、ああは行くまいと思いました。顔もごろつきそうな顔でしょう。あれが髭(ひげ)を生(は)やして狩衣(かりぎぬ)を着て楠正成の家来になってたから驚いた。
次に内容と全く独立した。と云うより内容のない芸術がありますが、あれは私にも少々分る。鷺娘(さぎむすめ)がむやみに踊ったり、それから吉原仲(なか)の町(ちょう)へ男性、中性、女性の三性が出て来て各々(おのおの)特色を発揮する運動をやったりするのはいいですね。運動術としては男性が一番旨(うま)いんだそうですが、私はあの女性が好きだ、好い恰好(かっこう)をしているじゃありませんか。それに色彩が好い。
色彩は私には大変な影響を及ぼします。太功記(たいこうき)の色彩などははなはだ不調和極まって見えます。加藤清正が金釦(きんボタン)のシャツを着ていましたが、おかしかったですよ。光秀のうちは長屋ですな。あの中にあんな綺麗(きれい)な着物を着た御嫁さんなんかがいるんだから、もったいない。光秀はなぜ百姓みたように竹槍(たけやり)を製造するんですか。
木更津(きさらづ)汐干(しおひ)の場の色彩はごちゃごちゃして一見厭(いや)になりました。御成街道(おなりかいどう)にペンキ屋の長い看板があるから見て、御覧なさい。
楠一族の色彩ははなはだよろしい。第一調和しているようです。正成の細君は品があってよござんす、あの子も好い。みんな好い色だ。
私の厭なところと、好(すき)なところを性質から区別して並べて御覧に入れました。これで私が芝居を見ている時の順慶流の気持が少し説明ができたつもりですが、まだこのほかにもなかなかあります。それは他日御面会の節に譲ります。不折は男性、女性、中性を見ずに帰りましたね。不折は奴的(やっこてき)の画が好きなんだろうと思います。凡鳥君によろしく。以上。
六月十二日
底本:「夏目漱石全集10」ちくま文庫、筑摩書房
1988(昭和63)年7月26日第1刷発行
底本の親本:「筑摩全集類聚版夏目漱石全集」筑摩書房
1971(昭和46)年4月〜1972(昭和47)年1月にかけて刊行
入力:柴田卓治
校正:大野晋
ファイル作成:野口英司
1999年6月14日公開
1999年8月30日修正
青空文庫作成ファイル:
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