金色夜叉(こんじきやしや)

尾崎紅葉




 後   編




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     第 一 章

 翌々日の諸新聞は坂町(さかまち)に於ける高利貸(アイス)遭難の一件を報道せり。中(うち)に間(はざま)貫一を誤りて鰐淵直行(わにぶちただゆき)と為(せ)るもありしが、負傷者は翌日大学第二医院に入院したりとのみは、一様に事実の真を伝ふるなりけり。されどその人を誤れる報道は決して何等の不都合をも生ぜざるべし。彼等を識(し)らざる読者は湯屋の喧嘩(けんか)も同じく、三ノ面記事の常套(じようとう)として看過(みすご)すべく、何の遑(いとま)かその敵手(あひて)の誰々(たれたれ)なるを問はん。識れる者は恐くは、貫一も鰐淵も一つに足腰の利(き)かずなるまで撃※(うちのめ)されざりしを本意無(ほいな)く思へるなるべし。又或者は彼の即死せざりしをも物足らず覚ゆるなるべし。下手人は不明なれども、察するに貸借上の遺趣より為(な)せる業(わざ)ならんとは、諸新聞の記(しる)せる如く、人も皆思ふところなりけり。
 直行は今朝病院へ見舞に行きて、妻は患者の容体を案じつつ留守せるなり。夫婦は心を協(あは)せて貫一の災難を悲(かなし)み、何程の費(つひえ)をも吝(をし)まず手宛(てあて)の限を加へて、少小(すこし)の瘢(きず)をも遺(のこ)さざらんと祈るなりき。
 股肱(ここう)と恃(たの)み、我子とも思へる貫一の遭難を、主人はなかなかその身に受けし闇打(やみうち)のやうに覚えて、無念の止み難く、かばかりの事に屈する鰐淵ならぬ令見(みせしめ)の為に、彼が入院中を目覚(めざまし)くも厚く賄(まかな)ひて、再び手出しもならざらんやう、陰(かげ)ながら卑怯者(ひきようもの)の息の根を遏(と)めんと、気も狂(くるはし)く力を竭(つく)せり。
 彼の妻は又、やがてはかかる不慮の事の夫の身にも出(い)で来(きた)るべきを思過(おもひすご)して、若(も)しさるべからんには如何(いか)にか為(す)べき、この悲しさ、この口惜(くちを)しさ、この心細さにては止(や)まじと思ふに就けて、空可恐(そらおそろし)く胸の打騒ぐを禁(とど)め得ず。奉公大事ゆゑに怨(うらみ)を結びて、憂き目に遭(あ)ひし貫一は、夫の禍(わざはひ)を転じて身の仇(あだ)とせし可憫(あはれ)さを、日頃の手柄に増して浸々(しみじみ)難有(ありがた)く、かれを念(おも)ひ、これを思ひて、絶(したたか)に心弱くのみ成行くほどに、裏に愧(は)づること、懼(おそ)るること、疚(やまし)きことなどの常に抑(おさ)へたるが、忽(たちま)ち涌立(わきた)ち、跳出(をどりい)でて、その身を責むる痛苦に堪(た)へざるなりき。
 年久く飼(かは)るる老猫(ろうみよう)の凡(およ)そ子狗(こいぬ)ほどなるが、棄てたる雪の塊(かたまり)のやうに長火鉢(ながひばち)の猫板(ねこいた)の上に蹲(うづくま)りて、前足の隻落(かたしおと)して爪頭(つまさき)の灰に埋(うづも)るるをも知らず、※(いびき)をさへ掻(か)きて熟睡(うまい)したり。妻はその夜の騒擾(とりこみ)、次の日の気労(きづかれ)に、血の道を悩める心地(ここち)にて、※々(うつらうつら)となりては驚かされつつありける耳元に、格子(こうし)の鐸(ベル)の轟(とどろ)きければ、はや夫の帰来(かへり)かと疑ひも果てぬに、紙門(ふすま)を開きて顕(あらは)せる姿は、年紀(としのころ)二十六七と見えて、身材(たけ)は高からず、色やや蒼(あを)き痩顔(やせがほ)の険(むづか)しげに口髭逞(くちひげたくまし)く、髪の生(お)ひ乱れたるに深々(ふかふか)と紺ネルトンの二重外套(にじゆうまわし)の襟(えり)を立てて、黒の中折帽を脱ぎて手にしつ。高き鼻に鼈甲縁(べつこうぶち)の眼鏡を挿(はさ)みて、稜(かど)ある眼色(まなざし)は見る物毎に恨あるが如し。
 妻は思設けぬ面色(おももち)の中に喜を漾(たた)へて、
「まあ直道(ただみち)かい、好くお出(いで)だね」
 片隅(かたすみ)に外套(がいとう)を脱捨つれば、彼は黒綾(くろあや)のモオニングの新(あたらし)からぬに、濃納戸地(こいなんどじ)に黒縞(くろじま)の穿袴(ズボン)の寛(ゆたか)なるを着けて、清(きよら)ならぬ護謨(ゴム)のカラ、カフ、鼠色(ねずみいろ)の紋繻子(もんじゆす)の頸飾(えりかざり)したり。妻は得々(いそいそ)起ちて、その外套を柱の折釘(をりくぎ)に懸けつ。
「どうも取んだ事で、阿父(おとつ)さんの様子はどんな? 今朝新聞を見ると愕(おどろ)いて飛んで来たのです。容体(ようだい)はどうです」
 彼は時儀を叙(の)ぶるに※(およ)ばずして忙(せは)しげにかく問出(とひい)でぬ。
「ああ新聞で、さうだつたかい。なあに阿父さんはどうも作(なさ)りはしないわね」
「はあ? 坂町で大怪我(おほけが)を為(なす)つて、病院へ入つたと云ふのは?」
「あれは間(はざま)さ。阿父さんだとお思ひなの? 可厭(いや)だね、どうしたと云ふのだらう」
「いや、さうですか。でも、新聞には歴然(ちやん)とさう出てゐましたよ」
「それぢやその新聞が違つてゐるのだよ。阿父さんは先之(さつき)病院へ見舞にお出掛だから、間も無くお帰来(かへり)だらう。まあ寛々(ゆつくり)してお在(いで)な」
 かくと聞ける直道は余(あまり)の不意に拍子抜して、喜びも得為(えせ)ず唖然(あぜん)たるのみ。
「ああ、さうですか、間が遣(や)られたのですか」
「ああ、間が可哀(かあい)さうにねえ、取んだ災難で、大怪我をしたのだよ」
「どんなです、新聞には余程劇(ひど)いやうに出てゐましたが」
「新聞に在る通だけれど、不具(かたは)になるやうな事も無いさうだが、全然(すつかり)快(よ)くなるには三月(みつき)ぐらゐはどんな事をしても要(かか)るといふ話だよ。誠に気の毒な、それで、阿父(おとつ)さんも大抵な心配ぢやないの。まあ、ね、病院も上等へ入れて手宛(てあて)は十分にしてあるのだから、決して気遣(きづかひ)は無いやうなものだけれど、何しろ大怪我だからね。左の肩の骨が少し摧(くだ)けたとかで、手が緩縦(ぶらぶら)になつて了(しま)つたの、その外紫色の痣(あざ)だの、蚯蚓腫(めめずばれ)だの、打切(ぶつき)れたり、擦毀(すりこは)したやうな負傷(きず)は、お前、体一面なのさ。それに気絶するほど頭部(あたま)を撲(ぶた)れたのだから、脳病でも出なければ可いつて、お医者様もさう言つてお在(いで)ださうだけれど、今のところではそんな塩梅(あんばい)も無いさうだよ。何しろその晩内へ舁込(かつぎこ)んだ時は半死半生で、些(ほん)の虫の息が通つてゐるばかり、私(わたし)は一目見ると、これはとても助るまいと想つたけれど、割合に人間といふものは丈夫なものだね」
「それは災難な、気の毒な事をしましたな。まあ十分に手宛をして遣るが可いです。さうして阿父さんは何と言つてゐました」
「何ととは?」
「間が闇打(やみうち)にされた事を」
「いづれ敵手(あひて)は貸金(かしきん)の事から遺趣を持つて、その悔し紛(まぎれ)に無法な真似(まね)をしたのだらうつて、大相腹を立ててお在(いで)なのだよ。全くね、間はああ云ふ不断の大人(おとなし)い人だから、つまらない喧嘩(けんか)なぞを為る気遣(きづかひ)はなし、何でもそれに違は無いのさ。それだから猶更(なほさら)気の毒で、何とも謂(い)ひやうが無い」
「間は若いから、それでも助るのです、阿父(おとつ)さんであつたら命は有りませんよ、阿母(おつか)さん」
「まあ可厭(いや)なことをお言ひでないな!」
 浸々(しみじみ)思入りたりし直道は徐(しづか)にその恨(うらめし)き目を挙げて、
「阿母さん、阿父さんは未(ま)だこの家業をお廃(や)めなさる様子は無いのですかね」
 母は苦しげに鈍り鈍りて、
「さうねえ……別に何とも……私(わたし)には能(よ)く解らないね……」
「もう今に応報(むくい)は阿父さんにも……。阿母さん、間があんな目に遭(あ)つたのは、決して人事ぢやありませんよ」
「お前又阿父さんの前でそんな事をお言ひでないよ」
「言ひます! 今日は是非言はなければならない」
「それは言ふも可いけれど、従来(これまで)も随分お言ひだけれど、あの気性だから阿父さんは些(ちつと)もお聴きではないぢやないか。とても他(ひと)の言ふことなんぞは聴かない人なのだから、まあ、もう少しお前も目を瞑(つぶ)つてお在(いで)よ、よ」
私(わたし)だつて親に向つて言ひたくはありません。大概の事なら目を瞑(つぶ)つてゐたいのだけれど、実にこればかりは目を瞑つてゐられないのですから。始終さう思ひます。私は外に何も苦労といふものは無い、唯これだけが苦労で、考出すと夜も寝られないのです。外にどんな苦労が在つても可いから、どうかこの苦労だけは没(なくな)して了(しま)ひたいと熟(つくづ)く思ふのです。噫(ああ)、こんな事なら未(ま)だ親子で乞食をした方が夐(はるか)に可い」
 彼は涙を浮べて倆(うつむ)きぬ。母はその身も倶(とも)に責めらるる想して、或(あるひ)は可慚(はづかし)く、或は可忌(いまはし)く、この苦(くるし)き位置に在るに堪(た)へかねつつ、言解かん術(すべ)さへ無けれど、とにもかくにも言はで已(や)むべき折ならねば、辛(からう)じて打出(うちいだ)しつ。
「それはもうお前の言ふのは尤(もつとも)だけれど、お前と阿父(おとつ)さんとは全(まる)で気合(きあひ)が違ふのだから、万事考量(かんがへ)が別々で、お前の言ふ事は阿父さんの肚(はら)には入らず、ね、又阿父さんの為る事はお前には不承知と謂(い)ふので、その中へ入つて私も困るわね。内も今では相応にお財(かね)も出来たのだから、かう云ふ家業は廃(や)めて、楽隠居になつて、お前に嫁を貰(もら)つて、孫の顔でも見たい、とさう思ふのだけれど、ああ云ふ気の阿父さんだから、そんなことを言出さうものなら、どんなに慍(おこ)られるだらうと、それが見え透いてゐるから、漫然(うつかり)した事は言はれずさ、お前の心を察して見れば可哀(かあい)さうではあり、さうかと云つて何方(どつち)をどうすることも出来ず、陰で心配するばかりで、何の役にも立たないながら、これでなかなか苦いのは私の身だよ。
 さぞお前は気も済まなからうけれど、とても今のところでは何と言つたところが、応と承知をしさうな様子は無いのだから、憖(なまじ)ひ言合つてお互に心持を悪くするのが果(おち)だから、……それは、お前、何と云つたつて親一人子一人の中だもの、阿父さんだつて心ぢやどんなにお前が便(たより)だか知れやしないのだから、究竟(つまり)はお前の言ふ事も聴くのは知れてゐるのだし、阿父さんだつて現在の子のそんなにまで思つてゐるのを、決して心に掛けないのではないけれども、又阿父(おとつ)さんの方にも其処(そこ)には了簡(りようけん)があつて、一概にお前の言ふ通にも成りかねるのだらう。
 それに今日あたりは、間の事で大変気が立つてゐるところだから、お前が何か言ふと却(かへ)つて善くないから、今日は窃(そつ)として措(お)いておくれ、よ、本当に私が頼むから、ねえ直道」
 実(げ)に母は自ら言へりし如く、板挾(いたばさみ)の難局に立てるなれば、ひたすら事あらせじと、誠の一図に直道を諭(さと)すなりき。彼は涙の催すに堪(た)へずして、鼻目鏡(はなめがね)を取捨てて目を推拭(おしぬぐ)ひつつ猶咽(むせ)びゐたりしが、
阿母(おつか)さんにさう言れるから、私は不断は怺(こら)へてゐるのです。今日ばかり存分に言はして下さい。今日言はなかつたら言ふ時は有りませんよ。間のそんな目に遭(あ)つたのは天罰です、この天罰は阿父さんも今に免れんことは知れてゐるから、言ふのなら今、今言はんくらゐなら私はもう一生言ひません」
 母はその一念に脅(おびやか)されけんやうにて漫(そぞろ)寒きを覚えたり。洟打去(はなうちか)みて直道は語(ことば)を継ぎぬ。
「然し私(わたし)の仕打も善くはありません、阿父さんの方にも言分は有らうと、それは自分で思つてゐます。阿父さんの家業が気に入らん、意見をしても用ゐない、こんな汚(けが)れた家業を為るのを見てゐるのが可厭(いや)だ、と親を棄てて別居してゐると云ふのは、如何(いか)にも情合の無い話で、実に私も心苦いのです。決して人の子たる道ではない、さぞ不孝者と阿父さん始阿母さんもさう思つてお在(いで)でせう」
「さうは思ひはしないよ。お前の方にも理はあるのだから、さうは思ひはしないけれど、一処(いつしよ)に居たらさぞ好からうとは……」
「それは、私は猶(なほ)の事です。こんな内に居るのは可厭(いや)だ、別居して独(ひとり)で遣る、と我儘(わがまま)を言つて、どうなりかうなり自分で暮して行けるのも、それまでに教育して貰つたのは誰(たれ)のお陰かと謂へば、皆(みんな)親の恩。それもこれも知つてゐながら、阿父(おとつ)さんを踏付にしたやうな行(おこなひ)を為るのは、阿母(おつか)さん能々(よくよく)の事だと思つて下さい。私は親に悖(さから)ふのぢやない、阿父さんと一処に居るのを嫌(きら)ふのぢやないが、私は金貸などと云ふ賤(いやし)い家業が大嫌(だいきらひ)なのです。人を悩(なや)めて己(おのれ)を肥(こや)す——浅ましい家業です!」
 身を顫(ふる)はして彼は涙に掻昏(かきく)れたり。母は居久(いたたま)らぬまでに惑へるなり。
「親を過(すご)すほどの芸も無くて、生意気な事ばかり言つて実は面目(めんぼく)も無いのです。然し不自由を辛抱してさへ下されば、両親ぐらゐに乾(ひもじ)い思はきつと為(さ)せませんから、破屋(あばらや)でも可いから親子三人一所に暮して、人に後指を差(ささ)れず、罪も作らず、怨(うらみ)も受けずに、清く暮したいぢやありませんか。世の中は貨(かね)が有つたから、それで可い訳のものぢやありませんよ。まして非道をして拵(こしら)へた貨(かね)、そんな貨(かね)が何の頼(たのみ)になるものですか、必ず悪銭身に附かずです。無理に仕上げた身上(しんじよう)は一代持たずに滅びます。因果の報う例(ためし)は恐るべきものだから、一日でも早くこんな家業は廃(や)めるに越した事はありません。噫(ああ)、末が見えてゐるのに、情無い事ですなあ!」
 積悪の応報覿面(てきめん)の末を憂(うれ)ひて措(お)かざる直道が心の眼(まなこ)は、無残にも怨(うらみ)の刃(やいば)に劈(つんざか)れて、路上に横死(おうし)の恥を暴(さら)せる父が死顔の、犬に※(け)られ、泥に塗(まみ)れて、古蓆(ふるむしろ)の陰に枕(まくら)せるを、怪くも歴々(まざまざ)と見て、恐くは我が至誠の鑑(かがみ)は父が未然を宛然(さながら)映し出(いだ)して謬(あやま)らざるにあらざるかと、事の目前(まのあたり)の真にあらざるを知りつつも、余りの浅ましさに我を忘れてつと迸(ほとばし)る哭声(なきごゑ)は、咬緊(くひし)むる歯をさへ漏れて出づるを、母は驚き、途方に昏(く)れたる折しも、門(かど)に俥(くるま)の駐(とどま)りて、格子の鐸(ベル)の鳴るは夫の帰来(かへり)か、次手(ついで)悪しと胸を轟(とどろ)かして、直道の肩を揺り動(うごか)しつつ、声を潜めて口早に、
「直道、阿父さんのお帰来(かへり)だから、泣いてゐちや可けないよ、早く彼方(あつち)へ行つて、……よ、今日は後生だから何も言はずに……」
 はや足音は次の間に来(きた)りぬ。母は慌(あわ)てて出迎に起(た)てば、一足遅れに紙門(ふすま)は外より開れて主(あるじ)直行の高く幅たき躯(からだ)は岸然(のつそり)とお峯の肩越(かたごし)に顕(あらは)れぬ。

     (一) の 二

「おお、直道か珍いの。何時(いつ)来たのか」
 かく言ひつつ彼は艶々(つやつや)と赭(あから)みたる鉢割(はちわれ)の広き額の陰に小く点せる金壺眼(かねつぼまなこ)を心快(こころよ)げに※(みひら)きて、妻が例の如く外套(がいとう)を脱(ぬが)するままに立てり。お峯は直道が言(ことば)に稜(かど)あらんことを慮(おもひはか)りて、さり気無く自ら代りて答へつ。
「もう少し先(さつき)でした。貴君(あなた)は大相お早かつたぢやありませんか、丁度好(よ)ございましたこと。さうして間の容体はどんなですね」
「いや、仕合(しあはせ)と想うたよりは軽くての、まあ、ま、あの分なら心配は無いて」
 黒一楽(くろいちらく)の三紋(みつもん)付けたる綿入羽織(わたいればおり)の衣紋(えもん)を直して、彼は機嫌(きげん)好く火鉢(ひばち)の傍(そば)に歩み寄る時、直道は漸(やうや)く面(おもて)を抗(あ)げて礼を作(な)せり。
「お前、どうした、ああ、妙な顔をしてをるでないか」
 梭櫚(しゆろ)の毛を植ゑたりやとも見ゆる口髭(くちひげ)か掻拈(かいひね)りて、太短(ふとみじか)なる眉(まゆ)を顰(ひそ)むれば、聞ゐる妻は呀(はつ)とばかり、刃(やいば)を踏める心地も為めり。直道は屹(き)と振仰ぐとともに両手を胸に組合せて、居長高(ゐたけだか)になりけるが、父の面(おもて)を見し目を伏せて、さて徐(しづか)に口を開きぬ。
「今朝新聞を見ましたところが、阿父(おとつ)さんが、大怪我を為(なす)つたと出てをつたので、早速お見舞に参つたのです」
 白髪(しらが)を交(まじ)へたる茶褐色(ちやかつしよく)の髪の頭(かしら)に置余るばかりなるを撫(な)でて、直行は、
「何新聞か知らんけれど、それは間の間違ぢやが。俺(おれ)ならそんな場合に出会うたて、唯々(おめおめ)打(うた)れちやをりやせん。何の先は二人でないかい、五人までは敵手(あひて)にしてくれるが」
 直道の隣に居たる母は密(ひそか)に彼のコオトの裾(すそ)を引きて、言(ことば)を返させじと心着(づく)るなり。これが為に彼は少しく遅(ためら)ひぬ。
本(ほん)にお前どうした、顔色(かほつき)が良うないが」
「さうですか。余り貴方(あなた)の事が心配になるからです」
「何じや?」
「阿父さん、度々(たびたび)言ふ事ですが、もう金貸は廃(や)めて下さいな」
「又! もう言ふな。言ふな。廃める時分には廃めるわ」
「廃めなければならんやうになつて廃めるのは見(みつ)ともない。今朝貴方(あなた)が半死半生の怪我をしたといふ新聞を見た時、私(わたし)はどんなにしても早くこの家業をお廃めなさるやうに為(さ)せなかつたのを熟(つくづ)く後悔したのです。幸(さいはひ)に貴方は無事であつた、から猶更(なほさら)今日は私の意見を用ゐて貰(もら)はなければならんのです。今に阿父さんも間のやうな災難を必ず受けるですよ。それが可恐(おそろし)いから廃めると謂ふのぢやありません、正(ただし)い事で争つて殞(おと)す命ならば、決(け)して辞することは無いけれど、金銭づくの事で怨(うらみ)を受けて、それ故(ゆゑ)に無法な目に遭(あ)ふのは、如何(いか)にも恥曝(はぢさら)しではないですか。一つ間違へば命も失はなければならん、不具(かたは)にも為(さ)れなければならん、阿父さんの身の上を考へると、私は夜も寝られんのですよ。
 こんな家業を為(せ)んでは生活が出来んのではなし、阿父さん阿母さん二人なら、一生安楽に過せるほどの資産は既に有るのでせう、それに何を苦んで人には怨まれ、世間からは指弾(つまはぢき)をされて、無理な財(かね)を拵(こしら)へんければならんのですか。何でそんなに金が要(い)るのですか。誰にしても自身に足りる以外の財(かね)は、子孫に遺(のこ)さうと謂ふより外は無いのでせう。貴方には私が一人子(ひとりつこ)、その私は一銭たりとも貴方の財は譲られません! 欲くないのです。さうすれば、貴方は今日(こんにち)無用の財を貯(たくは)へる為に、人の怨を受けたり、世に誚(そし)られたり、さうして現在の親子が讐(かたき)のやうになつて、貴方にしてもこんな家業を決して名誉と思つて楽んで為(なす)つてゐるのではないでせう。
 私のやうなものでも可愛(かはい)いと思つて下さるなら、財産を遺(のこ)して下さる代(かはり)に私の意見を聴いて下さい。意見とは言ひません、私の願です。一生の願ですからどうぞ聴いて下さい」
 父が前に頭(かしら)を低(た)れて、輙(たやす)く抗(あ)げぬ彼の面(おもて)は熱き涙に蔽(おほは)るるなりき。
 些(さ)も動ずる色無き直行は却(かへ)つて微笑を帯びて、語(ことば)をさへ和(やはら)げつ。
「俺の身を思うてそんなに言うてくれるのは嬉(うれし)いけど、お前のはそれは杞憂(きゆう)と謂ふんじや。俺と違うてお前は神経家ぢやからそんなに思ふんぢやけど、世間と謂ふものはの、お前の考へとるやうなものではない。学問の好きな頭脳(あたま)で実業を遣る者の仕事を責むるのは、それは可かん。人の怨の、世の誚(そしり)のと言ふけどの、我々同業者に対する人の怨などと云ふのは、面々の手前勝手の愚痴に過ぎんのじや。世の誚と云ふのは、多くは嫉(そねみ)、その証拠は、働の無い奴が貧乏しとれば愍(あはれ)まるるじや。何家業に限らず、財(かね)を拵(こしら)へる奴は必ず世間から何とか攻撃を受くる、さうぢやらう。財(かね)の有る奴で評判の好(え)えものは一人も無い、その通じやが。お前は学者ぢやから自(おのづか)ら心持も違うて、財(かね)などをさう貴(たつと)いものに思うてをらん。学者はさうなけりやならんけど、世間は皆学者ではないぞ、可(え)えか。実業家の精神は唯財(ただかね)じや、世の中の奴の慾も財より外には無い。それほどに、のう、人の欲(ほし)がる財じや、何ぞ好(え)えところが無くてはならんぢやらう。何処(どこ)が好(え)えのか、何でそんなに好(え)えのかは学者には解らん。
 お前は自身に供給するに足るほどの財(かね)があつたら、その上に望む必要は無いと言ふのぢやな、それが学者の考量(かんがへ)じやと謂ふんじやが。自身に足るほどの物があつたら、それで可(え)えと満足して了うてからに手を退(ひ)くやうな了簡(りようけん)であつたら、国は忽(たちま)ち亡(ほろぶ)るじや——社会の事業は発達せんじや。さうして国中(こくちゆう)若隠居ばかりになつて了うたと為れば、お前どうするか、あ。慾にきりの無いのが国民の生命なんじや。
 俺にそんなに財(かね)を拵(こしら)へてどうするか、とお前は不審するじやね。俺はどうも為(せ)ん、財は余計にあるだけ愉快なんじや。究竟(つまり)財を拵へるが極(きは)めて面白いんじや。お前の学問するのが面白い如く、俺は財の出来るが面白いんじや。お前に本を読むのを好(え)え加減に為(せ)い、一人前の学問が有つたらその上望む必要は有るまいと言うたら、お前何と答へる、あ。
 お前は能(よ)うこの家業を不正ぢやの、汚(けがらはし)いのと言ふけど、財を儲(まう)くるに君子の道を行うてゆく商売が何処(どこ)に在るか。我々が高利の金を貸す、如何(いか)にも高利じや、何為(なぜ)高利か、可(え)えか、無抵当じや、そりや。借る方に無抵当といふ便利を与ふるから、その便利に対する報酬として利が高いのぢやらう。それで我々は決して利の高い金を安いと詐(いつは)つて貸しはせんぞ。無抵当で貸すぢやから利が高い、それを承知で皆借るんじや。それが何で不正か、何で汚(けがらはし)いか。利が高うて不当と思ふなら、始から借らんが可え、そんな高利を借りても急を拯(すく)はにや措(おか)れんくらゐの困難が様々にある今の社会じや、高利貸を不正と謂ふなら、その不正の高利貸を作つた社会が不正なんじや。必要の上から借る者があるで、貸す者がある。なんぼ貸したうても借る者が無けりや、我々の家業は成立ちは為ん。その必要を見込んで仕事を為るが則(すなは)ち営業の魂(たましひ)なんじや。
 財(かね)といふものは誰でも愛して、皆獲やうと念(おも)うとる、獲たら離すまいと為(し)とる、のう。その財を人より多く持たうと云ふぢやもの、尋常一様の手段で行くものではない。合意の上で貸借して、それで儲くるのが不正なら、総(すべ)ての商業は皆不正でないか。学者の目からは、金儲(かねまうけ)する者は皆不正な事をしとるんじや」
 太(いた)くもこの弁論に感じたる彼の妻は、屡(しばし)ば直道の顔を偸視(ぬすみみ)て、あはれ彼が理窟(りくつ)もこれが為に挫(くじ)けて、気遣(きづか)ひたりし口論も無くて止みぬべきを想ひて私(ひそか)に懽(よろこ)べり。
 直道は先(ま)づ厳(おごそか)に頭(かしら)を掉(ふ)りて、
「学者でも商業家でも同じ人間です。人間である以上は人間たる道は誰にしても守らんければなりません。私(わたし)は決して金儲を為るのを悪いと言ふのではない、いくら儲けても可いから、正当に儲けるのです。人の弱みに付入(つけい)つて高利を貸すのは、断じて正当でない。そんな事が営業の魂などとは……! 譬(たと)へば間が災難に遭(あ)つた。あれは先は二人で、しかも不意打を吃(くは)したのでせう、貴方はあの所業を何とお考へなさる。男らしい遺趣返(いしゆがへし)の為方とお思ひなさるか。卑劣極(きはま)る奴等だと、さぞ無念にお思ひでせう?」
 彼は声を昂(あ)げて逼(せま)れり。されども父は他を顧て何等の答をも与へざりければ、再び声を鎮(しづ)めて、
「どうですか」
勿論(もちろん)」
「勿論? 勿論ですとも! 何奴(なにやつ)か知らんけれど、実に陋(きたな)い根性、劣(けち)な奴等です。然し、怨を返すといふ点から謂つたら、奴等は立派に目的を達したのですね。さうでせう、設(たと)ひその手段は如何(いか)にあらうとも」
 父は騒がず、笑(ゑみ)を含みて赤き髭(ひげ)を弄(まさぐ)りたり。
「卑劣と言れやうが、陋(きたな)いと言れやうが、思ふさま遺趣返をした奴等は目的を達してさぞ満足してをるでせう。それを掴殺(つかみころ)しても遣りたいほど悔(くやし)いのは此方(こつち)ばかり。
 阿父(おとつ)さんの営業の主意も、彼等の為方と少しも違はんぢやありませんか。間の事に就いて無念だと貴方(あなた)がお思ひなさるなら、貴方から金を借りて苦められる者は、やはり貴方を恨まずにはゐませんよ」
 又しても感じ入りたるは彼の母なり。かくては如何なる言(ことば)をもて夫はこれに答へんとすらん、我はこの理(ことわり)の覿面(てきめん)当然なるに口を開かんやうも無きにと、心慌(あわ)てつつ夫の気色を密(ひそか)に窺(うかが)ひたり。彼は自若として、却(かへ)つてその子の善く論ずるを心に愛(め)づらんやうの面色(おももち)にて、転(うた)た微笑を弄(ろう)するのみ。されども妻は能(よ)く知れり、彼の微笑を弄するは、必ずしも、人のこれを弄するにあらざる時に於いて屡(しばしば)するを。彼は今それか非(あら)ぬかを疑へるなり。
 蒼(あを)く羸(やつ)れたる直道が顔は可忌(いまはし)くも白き色に変じ、声は甲高(かんだか)に細りて、膝(ひざ)に置ける手頭(てさき)は連(しき)りに震ひぬ。
「いくら論じたところで、解りきつた理窟なのですから、もう言ひますまい。言へば唯阿父さんの心持を悪くするに過ぎんのです。然し、従来(これまで)も度々(たびたび)言ひましたし、又今日こんなに言ふのも、皆阿父(おとつ)さんの身を案じるからで、これに就いては陰でどれほど私が始終苦心してゐるか知つてお在(いで)は無からうけれど、考出(かんがへだ)すと勉強するのも何も可厭(いや)になつて、吁(ああ)、いつそ山の中へでも引籠(ひつこ)んで了はうかと思ひます。阿父さんはこの家業を不正でないとお言ひなさるが、実に世間でも地獄の獄卒のやうに憎み賤(いやし)んで、附合ふのも耻(はぢ)にしてゐるのですよ。世間なんぞはかまふものか、と貴方はお言ひでせうが、子としてそれを聞(きか)される心苦しさを察して下さい。貴方はかまはんと謂ふその世間も、やはり我々が渡つて行かなければならん世間です。その世間に肩身が狭くなつて終(つひ)には容(い)れられなくなるのは、男の面目ではありませんよ。私はそれが何より悲い。此方(こつち)に大見識があつて、それが世間と衝突して、その為に憎まれるとか、棄てられるとか謂ふなら、世間は私を棄てんでも、私は喜んで阿父さんと一処に世間に棄てられます。親子棄てられて路辺(みちばた)に餓死(かつゑじに)するのを、私は親子の名誉、家の名誉と思ふのです。今我々親子の世間から疎(うとま)れてゐるのは、自業自得の致すところで、不名誉の極です!」
 眼(まなこ)は痛恨の涙を湧(わか)して、彼は覚えず父の面(おもて)を睨(にら)みたり。直行は例の嘯(うそぶ)けり。
 直道は今日を限と思入りたるやうに飽くまで言(ことば)を止(や)めず。
「今度の事を見ても、如何(いか)に間が恨まれてゐるかが解りませう。貴方(あなた)の手代でさへあの通ではありませんか、して見れば貴方の受けてゐる恨、憎(にくみ)はどんなであるか言ふに忍びない」
 父は忽(たちま)ち遮(さへぎ)りて、
「善し、解つた。能(よ)う解つた」
「では私の言(ことば)を用ゐて下さるか」
「まあ可(え)え。解つた、解つたから……」
「解つたとお言ひなさるからはきつと用ゐて下さるのでせうな」
「お前の言ふ事は能う解つたさ。然(しか)し、爾(なんぢ)は爾たり、吾は吾たりじや」
 直道は怺(こら)へかねて犇(ひし)と拳(こぶし)を握れり。
「まだ若い、若い。書物ばかり見とるぢや可かん、少しは世間も見い。なるほど子の情として親の身を案じてくれる、その点は空(あだ)には思はん。お前の心中も察する、意見も解つた。然し、俺は俺で又自ら信ずるところあつて遣るんぢやから、折角の忠告ぢやからと謂うて、枉(ま)げて従ふ訳にはいかんで、のう。今度間がああ云ふ目に遭うたから、俺は猶更(なほさら)劇(えら)い目に遭はうと謂うて、心配してくれるんか、あ?」
 はや言ふも益無しと観念して直道は口を開かず。
「そりや辱(かたじけな)いが、ま、当分俺の躯(からだ)は俺に委(まか)して置いてくれ」
 彼は徐(しづか)に立上りて、
些(ちよつ)とこれから行(い)て来にやならん処があるで、寛(ゆつく)りして行くが可(え)え」
 忽忙(そそくさ)と二重外套(にじゆうまわし)を打被(うちかつ)ぎて出(い)づる後より、帽子を持ちて送(おく)れる妻は密(ひそか)に出先を問へるなり。彼は大いなる鼻を皺(しわ)めて、
「俺が居ると面倒ぢやから、些(ちよつ)と出て来る。可(え)えやうに言うての、還(かへ)してくれい」
「へえ? そりや困りますよ。貴方(あなた)、私(わたし)だつてそれは困るぢやありませんか」
「まあ可えが」
可(よ)くはありません、私は困りますよ」
 お峯は足摩(あしずり)して迷惑を訴ふるなりけり。
「お前なら居ても可え。さうして、もう還るぢやらうから」
「それぢや貴方還るまでゐらしつて下さいな」
「俺が居ては還らんからじやが。早う行けよ」
 さすがに争ひかねてお峯の渋々佇(たたず)めるを、見も返らで夫は驀地(まつしぐら)に門(かど)を出でぬ。母は直道の勢に怖(おそ)れて先にも増してさぞや苛(さいな)まるるならんと想へば、虎(とら)の尾をも履(ふ)むらんやうに覚えつつ帰り来にけり。唯(と)見れば、直道は手を拱(こまぬ)き、頭(かしら)を低(た)れて、在りけるままに凝然と坐したり。
「もうお中食(ひる)だが、お前何をお上りだ」
 彼は身転(みじろぎ)も為(せ)ざるなり。重ねて、
「直道」と呼べば、始めて覚束(おぼつか)なげに顔を挙(あ)げて、
阿母(おつか)さん!」
 その術無(じゆつな)き声は謂知(いひし)らず母の胸を刺せり。彼はこの子の幼くて善く病める枕頭(まくらもと)に居たりし心地をそのままに覚えて、ほとほとつと寄らんとしたり。
「それぢや私はもう帰ります」
「あれ何だね、未だ可いよ」
 異(あやし)くも遽(にはか)に名残(なごり)の惜(をしま)れて、今は得も放(はな)たじと心牽(こころひか)るるなり。
「もうお中食(ひる)だから、久しぶりで御膳(ごぜん)を食べて……」
「御膳も吭(のど)へは通りませんから……」

     第 二 章

 主人公なる間貫一が大学第二医院の病室にありて、昼夜を重傷に悩める外(ほか)、身辺に事あらざる暇(いとま)に乗じて、富山に嫁ぎたる宮がその後の消息を伝ふべし。
 一月十七日をもて彼は熱海の月下に貫一に別れ、その三月三日を択(えら)びて富山の家に輿入(こしいれ)したりき。その場より貫一の失踪(しつそう)せしは、鴫沢一家(しぎさわいつけ)の為に物化(もつけ)の邪魔払(じやまばらひ)たりしには疑無(うたがひな)かりけれど、家内(かない)は挙(こぞ)りてさすがに騒動しき。その父よりも母よりも宮は更に切なる誠を籠(こ)めて心痛せり。彼はただに棄てざる恋を棄てにし悔に泣くのみならで、寄辺(よるべ)あらぬ貫一が身の安否を慮(おもひはか)りて措(お)く能(あた)はざりしなり。
 気強くは別れにけれど、やがて帰り来(こ)んと頼めし心待も、終(つひ)に空(あだ)なるを暁(さと)りし後、さりとも今一度は仮初(かりそめ)にも相見んことを願ひ、又その心の奥には、必ずさばかりの逢瀬(あふせ)は有るべきを、おのれと契りけるに、彼の行方(ゆくへ)は知られずして、その身の家を出(い)づべき日は潮(うしほ)の如く迫れるに、遣方(やるかた)も無く漫(そぞろ)惑ひては、常に鈍(おぞまし)う思ひ下せる卜者(ぼくしや)にも問ひて、後には廻合(めぐりあ)ふべきも、今はなかなか文(ふみ)に便(たより)もあらじと教へられしを、筆持つは篤(まめ)なる人なれば、長き長き怨言(うらみ)などは告来(つげこ)さんと、それのみは掌(たなごころ)を指すばかりに待ちたりしも、疑ひし卜者の言(ことば)は不幸にも過(あやま)たで、宮は彼の怨言(うらみ)をだに聞くを得ざりしなり。
 とにもかくにも今一目見ずば動かじと始に念(おも)ひ、それは※(かな)はずなりてより、せめて一筆(ひとふで)の便(たより)聞かずばと更に念ひしに、事は心と渾(すべ)て違(たが)ひて、さしも願はぬ一事(いちじ)のみは玉を転ずらんやうに何等の障(さはり)も無く捗取(はかど)りて、彼が空(むなし)く貫一の便(たより)を望みし一日にも似ず、三月三日は忽(たちま)ち頭(かしら)の上に跳(をど)り来(きた)れるなりき。彼は終(つひ)に心を許し肌身(はだみ)を許せし初恋(はつごひ)を擲(なげう)ちて、絶痛絶苦の悶々(もんもん)の中(うち)に一生最も楽(たのし)かるべき大礼を挙げ畢(をは)んぬ。
 宮は実に貫一に別れてより、始めて己(おのれ)の如何(いか)ばかり彼に恋せしかを知りけるなり。
 彼の出(い)でて帰らざる恋しさに堪(た)へかねたる夕(ゆふべ)、宮はその机に倚(よ)りて思ひ、その衣(きぬ)の人香(ひとか)を嗅(か)ぎて悶(もだ)え、その写真に頬摩(ほほずり)して憧(あくが)れ、彼若(も)し己(おのれ)を容(い)れて、ここに優き便(たより)をだに聞(きか)せなば、親をも家をも振捨てて、直(ただち)に彼に奔(はし)るべきものをと念へり。結納(ゆいのう)の交(かは)されし日も宮は富山唯継を夫(つま)と定めたる心はつゆ起らざりき。されど、己は終(つひ)にその家に適(ゆ)くべき身たるを忘れざりしなり。
 ほとほと自らその緒(いとぐち)を索(もと)むる能(あた)はざるまでに宮は心を乱しぬ。彼は別れし後の貫一をばさばかり慕ひて止まざりしかど、過(あやまち)を改め、操(みさを)を守り、覚悟してその恋を全うせんとは計らざりけるよ。真(まこと)に彼の胸に恃(たの)める覚悟とてはあらざりき。恋佗(わ)びつつも心を貫かんとにはあらず、由無き縁を組まんとしたるよと思ひつつも、強(し)ひて今更否(いな)まんとするにもあらず、彼方(かなた)の恋(こひし)きを思ひ、こなたの富めるを愛(をし)み、自ら決するところ無く、為すところ無くして空(むなし)き迷(まよひ)に弄(もてあそ)ばれつつ、終に移すべからざる三月三日の来(きた)るに会へるなり。
 この日よ、この夕(ゆふべ)よ、更(ふ)けて床盃(とこさかづき)のその期(ご)に※(およ)びても怪(あやし)むべし、宮は決して富山唯継を夫(つま)と定めたる心は起らざるにぞありける、止(ただ)この人を夫(つま)と定めざるべからざる我身なるを忘れざりしかど。彼は自ら謂(おも)へり、この心は始より貫一に許したるを、縁ありて身は唯継に委(まか)すなり。故(ゆゑ)に身は唯継に委すとも、心は長く貫一を忘れずと、かく謂(おも)へる宮はこの心事の不徳なるを知れり、されどこの不徳のその身に免(まぬか)る能(あた)はざる約束なるべきを信じて、寧(むし)ろ深く怪むにもあらざりき。如此(かくのごとく)にして宮は唯継の妻となりぬ。
 花聟君(はなむこぎみ)は彼を愛するに二念無く、彼を遇するに全力を挙(あ)げたり。宮はその身の上の日毎輝き勝(まさ)るままに、いよいよ意中の人と私(わたくし)すべき陰無くなりゆくを見て、愈(いよい)よ楽まざる心は、夫(つま)の愛を承くるに慵(ものう)くて、唯(ただ)機械の如く事(つか)ふるに過ぎざりしも、唯継は彼の言(ものい)ふ花の姿、温き玉の容(かたち)を一向(ひたぶる)に愛(め)で悦(よろこ)ぶ余に、冷(ひやや)かに空(むなし)き器(うつは)を抱(いだ)くに異らざる妻を擁して、殆(ほとん)ど憎むべきまでに得意の頤(おとがひ)を撫(な)づるなりき。彼が一段の得意は、二箇月の後最愛の妻は妊(みごも)りて、翌年の春美き男子(なんし)を挙げぬ。宮は我とも覚えず浅ましがりて、産後を三月ばかり重く病みけるが、その癒(い)ゆる日を竣(ま)たで、初子(うひご)はいと弱くて肺炎の為に歿(みまか)りにけり。
 子を生みし後も宮が色香はつゆ移(うつろ)はずして、自(おのづか)ら可悩(なやまし)き風情(ふぜい)の添(そは)りたるに、夫(つま)が愛護の念は益(ますます)深く、寵(ちよう)は人目の見苦(みぐるし)きばかり弥(いよい)よ加(くはは)るのみ。彼はその妻の常に楽(たのし)まざる故(ゆゑ)を毫(つゆ)も暁(さと)らず、始より唯その色を見て、打沈(うちしづ)みたる生得(うまれ)と独合点(ひとりがてん)して多く問はざるなりけり。
 かく怜(いとし)まれつつも宮が初一念は動かんともせで、難有(ありがた)き人の情(なさけ)に負(そむ)きて、ここに嫁(とつ)ぎし罪をさへ歎きて止まざりしに、思はぬ子まで成せし過(あやまち)は如何(いか)にすべきと、躬(みづか)らその容(ゆる)し難きを慙(は)ぢて、悲むこと太甚(はなはだし)かりしが、実(げ)に親の所憎(にくしみ)にや堪(た)へざりけん。その子の失(う)せし後、彼は再び唯継の子をば生まじ、と固く心に誓ひしなり。二年(ふたとせ)の後(のち)、三年(みとせ)の後、四年(よとせ)の後まで異(あやし)くも宮はこの誓を全うせり。
 次第に彼の心は楽まずなりて、今は何の故にその嫁ぎたるかを自ら知るに苦(くるし)めるなりき。機械の如く夫を守り置物のやうに内に据られ、絶えて人の妻たる効(かひ)も思出もあらで、空(むなし)く籠鳥(ろうちよう)の雲を望める身には、それのみの願なりし裕(ゆたか)なる生活も、富める家計も、土の如く顧るに足らず、却(かへ)りてこの四年(よとせ)が間思ひに思ふばかりにて、熱海より行方(ゆくへ)知れざりし人の姿を田鶴見(たずみ)の邸内に見てしまで、彼は全く音沙汰(おとさた)をも聞かざりしなり。生家(さと)なる鴫沢(しぎさわ)にては薄々知らざるにもあらざりしかど、さる由無(よしな)き事を告ぐるが如き愚(おろか)なる親にもあらねば、宮のこれを知るべき便(たより)は絶れたりしなり。
 計らずもその夢寐(むび)に忘れざる姿を見たりし彼が思は幾計(いかばかり)なりけんよ。饑(う)ゑたる者の貪(むさぼ)り食(くら)ふらんやうに、彼はその一目にして四年(よとせ)の求むるところを求めんとしたり。※(あ)かず、※かず、彼の慾はこの日より益急になりて、既に自ら心事の不徳を以つて許せる身を投じて、唯快く万事を一事に換へて已(や)まん、と深くも念じたり。
 五番町なる鰐淵(わにぶち)といふ方(かた)に住める由は、静緒(しずお)より聞きつれど、むざとは文(ふみ)も通はせ難く、道は遠からねど、独(ひと)り出でて彷徨(さまよ)ふべき身にもあらぬなど、克(かな)はぬ事のみなるに苦(くるし)かりけれど、安否を分(わ)かざりし幾年(いくとせ)の思に較(くら)ぶれば、はや嚢(ふくろ)の物を捜(さぐ)るに等しかるをと、その一筋に慰められつつも彼は日毎の徒然(つれづれ)を憂きに堪へざる余(あまり)、我心を遺(のこ)る方(かた)無く明すべき長き長き文を書かんと思立ちぬ。そは折を得て送らんとにもあらず、又逢うては言ふ能はざるを言はしめんとにもあらで、止(た)だかくも儚(はかな)き身の上と切なき胸の内とを独(ひとり)自ら愬(うつた)へんとてなり。

     (二) の 二

 宮は貫一が事を忘れざるとともに、又長く熱海の悲き別を忘るる能(あた)はざるなり。更に見よ。歳々(としどし)廻来(めぐりく)る一月十七日なる日は、その悲き別を忘れざる胸に烙(やきがね)して、彼の悔を新にするにあらずや。
「十年後(のち)の今月今夜も、僕の涙で月は曇らして見せるから、月が曇つたらば、貫一は何処(どこ)かでお前を恨んで、今夜のやうに泣いてゐると想ふが可い」
 掩(おほ)へども宮が耳は常にこの声を聞かざるなし。彼はその日のその夜に会ふ毎に、果して月の曇るか、あらぬかを試(こころみ)しに、曾(かつ)てその人の余所(よそ)に泣ける徴(しるし)もあらざりければ、さすがに恨は忘られしかと、それには心安きにつけて、諸共(もろとも)に今は我をも思はでや、さては何処(いづこ)に如何(いか)にしてなど、更に打歎(うちなげ)かるるなりき。
 例のその日は四(よ)たび廻(めぐ)りて今日しも来(きた)りぬ。晴れたりし空は午後より曇りて少(すこし)く吹出(ふきい)でたる風のいと寒く、凡(ただ)ならず冷(ひ)ゆる日なり。宮は毎(いつ)よりも心煩(こころわづらはし)きこの日なれば、かの筆採りて書続けんと為(し)たりしが、余(あまり)に思乱るればさるべき力も無くて、いとどしく紛れかねてゐたり。
 益(ますま)す寒威の募るに堪へざりければ、遽(にはか)に煖炉(だんろ)を調ぜしめて、彼は西洋間に徙(うつ)りぬ。尽(ことごと)く窓帷(カアテン)を引きたる十畳の間(ま)は寸隙(すんげき)もあらず裹(つつ)まれて、火気の漸(やうや)く春を蒸すところに、宮は体(たい)を胖(ゆたか)に友禅縮緬(ゆうぜんちりめん)の長襦袢(ながじゆばん)の褄(つま)を蹈披(ふみひら)きて、緋(ひ)の紋緞子(もんどんす)張の楽椅子(らくいす)に凭(よ)りて、心の影の其処(そこ)に映るを眺(なが)むらんやうに、その美き目をば唯白く坦(たひら)なる天井に注ぎたり。
 夫の留守にはこの家の主(あるじ)として、彼は事(つか)ふべき舅姑(きゆうこ)を戴(いただ)かず、気兼すべき小姑(こじうと)を抱(かか)へず、足手絡(あしてまとひ)の幼きも未(ま)だ有らずして、一箇(ひとり)の仲働(なかばたらき)と両箇(ふたり)の下婢(かひ)とに万般(よろづ)の煩(わづらはし)きを委(まか)せ、一日何の為(な)すべき事も無くて、出(い)づるに車あり、膳(ぜん)には肉あり、しかも言ふことは皆聴れ、為すことは皆悦(よろこ)ばるる夫を持てるなど、彼は今若き妻の黄金時代をば夢むる如く楽めるなり。実(げ)に世間の娘の想ひに想ひ、望みに望める絶頂は正(まさ)に己(おのれ)のこの身の上なる哉(かな)、と宮は不覚(そぞろ)胸に浮べたるなり。
 嗟乎(ああ)、おのれもこの身の上を願ひに願ひし余(あまり)に、再び得難き恋人を棄てにしよ。されども、この身の上に窮(きは)めし楽(たのしみ)も、五年(いつとせ)の昔なりける今日の日に窮(きは)めし悲(かなしみ)に易(か)ふべきものはあらざりしを、と彼は苦しげに太息(ためいき)したり。今にして彼は始めて悟りぬ。おのれのこの身の上を願ひしは、その恋人と倶(とも)に同じき楽(たのしみ)を享(う)けんと願ひしに外ならざるを。若(も)し身の楽(たのしみ)と心の楽(たのしみ)とを併享(あはせう)くべき幸無(さちな)くて、必ずその一つを択(えら)ぶべきものならば、孰(いづれ)を取るべきかを知ることの晩(おそ)かりしを、遣方(やるかた)も無く悔ゆるなりけり。
 この寒き日をこの煖(あたたか)き室(しつ)に、この焦るる身をこの意中の人に並べて、この誠をもてこの恋しさを語らば如何(いか)に、と思到れる時、宮は殆(ほとん)ど裂けぬべく胸を苦く覚えて、今の待つ身は待たざる人を待つ身なる、その口惜(くちを)しさを悶(もだ)えては、在るにも在られぬ椅子を離れて、歩み寄りたる窓の外面(そとも)を何心無く打見遣(うちみや)れば、いつしか雪の降出でて、薄白く庭に敷けるなり。一月十七日なる感はいと劇(はげし)く動きて、宮は降頻(ふりしき)る雪に或言(あることば)を聴くが如く佇(たたず)めり。折から唯継は還来(かへりきた)りぬ。静に啓(あ)けたる闥(ドア)の響は絶(したたか)に物思へる宮の耳には入(い)らざりき。氷の如く冷徹(ひえわた)りたる手をわりなく懐(ふところ)に差入れらるるに驚き、咄嗟(あなや)と見向かんとすれば、後より緊(しか)と抱(かか)へられたれど、夫の常に飭(たしな)める香水の薫(かをり)は隠るべくもあらず。
「おや、お帰来(かへり)でございましたか」
「寒かつたよ」
「大相降つて参りました、さぞお困りでしたらう」
「何だか知らんが、むちやくちやに寒かつた」
 宮は楽椅子を夫に勧めて、躬(みづから)は煖炉(ストオブ)の薪(たきぎ)を※(く)べたり。今の今まで貫一が事を思窮(おもひつ)めたりし心には、夫なる唯継にかく事(つか)ふるも、なかなか道ならぬやうにて屑(いさぎよ)からず覚ゆるなり。窓の外に降る雪、風に乱るる雪、梢(こずゑ)に宿れる雪、庭に布(し)く雪、見ゆる限の白妙(しらたへ)は、我身に積める人の怨(うらみ)の丈(たけ)かとも思ふに、かくてあることの疚(やま)しさ、切なさは、脂(あぶら)を搾(しぼ)らるるやうにも忍び難かり。されども、この美人の前にこの雪を得たる夫の得意は限無くて、その脚(あし)を八文字に踏展(ふみはだ)け、漸(やうや)く煖まれる頤(おとがひ)を突反(つきそら)して、
「ああ、降る降る、面白い。かう云ふ日は寄鍋(よせなべ)で飲むんだね。寄鍋を取つて貰(もら)はう、寄鍋が好い。それから珈琲(カフヒイ)を一つ拵(こしら)へてくれ、コニャックを些(ち)と余計に入れて」
 宮の行かんとするを、
「お前、行かんでも可いぢやないか、要(い)る物を取寄せてここで拵へなさい」
 彼の電鈴(でんれい)を鳴して、火の傍(そば)に寄来ると斉(ひとし)く、唯継はその手を取りて小脇(こわき)に挾(はさ)みつ。宮は懌(よろこ)べる気色も無くて、彼の為すに任するのみ。
「おまへどうした、何を鬱(ふさ)いでゐるのかね」
 引寄せられし宮はほとほと仆(たふ)れんとして椅子に交へられたるを、唯継は鼻も摩(す)るばかりにその顔を差覗(さしのぞ)きて余念も無く見入りつつ、
「顔の色が甚(はなは)だ悪いよ。雪で寒いんで、胸でも痛むんか、頭痛でもするんか、さうも無い? どうしたんだな。それぢや、もつと爽然(はつきり)してくれんぢや困るぢやないか。さう陰気だと情合(じようあひ)が薄いやうに想はれるよ。一体お前は夫婦の情が薄いんぢやあるまいかと疑ふよ。ええ? そんなことは無いかね」
 忽(たちま)ち闥(ドア)の啓(あ)くと見れば、仲働(なかばたらき)の命ぜし物を持来(もちきた)れるなり。人目を憚(はばか)らずその妻を愛するは唯継が常なるを、見苦しと思ふ宮はその傍(そば)を退(の)かんとすれど、放たざるを例の事とて仲働は見ぬ風(ふり)しつつ、器具と壜(ボトル)とをテエブルに置きて、直(ぢき)に退(まか)り出(い)でぬ。かく執念(しゆうね)く愛せらるるを、宮はなかなか憂(う)くも浅ましくも思ふなりけり。
 雪は風を添へて掻乱(かきみだ)し掻乱し降頻(ふりしき)りつつ、はや日暮れなんとするに、楽き夜の漸(やうや)く来(きた)れるが最辱(いとかたじけな)き唯継の目尻なり。
「近頃はお前別して鬱いでをるやうぢやないか、俺(おれ)にはさう見えるがね。さうして内にばかり引籠(ひつこ)んでをるのが宜(よろし)くないよ。この頃は些(ちよつ)とも出掛けんぢやないか。さう因循(いんじゆん)してをるから、益(ますま)す陰気になつて了ふのだ。この間も鳥柴(としば)の奥さんに会つたら、さう言つてゐたよ。何為(なぜ)近頃は奥さんは些(ちよつ)ともお見えなさらんのだらう。芝居ぐらゐにはお出掛になつても可ささうなものだが、全然(まるつきり)影も形もお見せなさらん。なんぼお大事になさるつて、そんなに仕舞(しまひ)込んでお置きなさるものぢやございません。慈善の為に少しは衆(ひと)にも見せてお遣(や)んなさい、なんぞと非常に遣られたぢやないか。それからね、知つてをる通り、今度の選挙には実業家として福積(ふくづみ)が当選したらう。俺も大(おほ)いに与(あづか)つて尽力したんさ。それで近日当選祝があつて、それが済次第(すみしだい)別に慰労会と云ふやうな名で、格別尽力した連中(れんじゆう)を招待するんだ。その席へは令夫人携帯といふ訳なんだから、是非お前も出なければならん。驚くよ。俺の社会では富山の細君と来たら評判なもんだ。会つたことの無い奴まで、お前の事は知つてをるんさ。そこで、俺は実は自慢でね、さう評判になつて見ると、軽々しく出行(である)かれるのも面白くない、余り顔を見せん方が見識が好(よ)いけれど、然し、近頃のやうに籠(こも)つてばかり居(を)るのは、第一衛生におまへ良くない。実は俺は日曜毎にお前を連れて出たいんさ。おまへの来た当座はさうであつたぢやないかね。子供を産んでから、さう、あれから半年(はんとし)ばかり経(た)つてからだよ。余り出なくなつたのは。それでも随分彼地此地(あちこち)出たぢやないかね。
 善し、珈琲(カフヒイ)出来たか。うう熱い、旨(うま)い。お前もお飲み、これを半分上げやうか。沢山だ? それだからお前は冷淡で可かんと謂ふんさ。ぢや、酒の入らんのを飲むと可い。寄鍋は未(まだ)か。うむ、彼方(あつち)に支度がしてあるから、来たら言ひに来る? それは善い、西洋室の寄鍋なんかは風流でない、あれは長火鉢(ながひばち)の相対(さしむかひ)に限るんさ。
 可いかね、福積の招待(しようだい)には吃驚(びつくり)させるほど美(うつくし)くして出て貰はなけりやならん。それで、着物だ、何か欲ければ早速拵(こしら)へやう。おまへが、これならば十分と思ふ服装(なり)で、隆(りゆう)として推出すんだね。さうしてお前この頃は余り服装(なり)にかまはんぢやないか、可かんよ。いつでもこの小紋の羽織の寐恍(ねぼ)けたのばかりは恐れるね。何為(なぜ)あの被風(ひふ)を着ないのかね、あれは好く似合ふにな。
 明後日(あさつて)は日曜だ、何処(どこ)かへ行かうよ。その着物を見に三井へでも行かうか。いや、さうさう、柏原(かしわばら)の奥さんが、お前の写真を是非欲いと言つて、会ふ度(たび)に聒(やかまし)く催促するんで克(かな)はんよ。明日(あした)は用が有つて行かなければならんのだから、持つて行かんと拙(まづ)いて。未だ有つたね、無い? そりや可かん。一枚も無いんか、そりや可かん。それぢや、明後日(あさつて)写しに行かう。直(ずつ)と若返つて二人で写すなんぞも可いぢやないか。
 善し、寄鍋が来た? さあ行かう」
 夫に引添ひて宮はこの室を出でんとして、思ふところありげに姑(しばら)く窓の外面(そとも)を窺(うかが)ひたりしが、
「どうしてこんなに降るのでせう」
「何を下(くだ)らんことを言ふんだ。さあ、行かう行かう」

     第 三 章

 宮は既に富むと裕(ゆたか)なるとに※(あ)きぬ抑(そもそ)も彼がこの家に嫁(とつ)ぎしは、惑深(まどひふか)き娘気の一図に、栄耀(えいよう)栄華の欲するままなる身分を願ふを旨とするなりければ、始より夫の愛情の如きは、有るも善し、有らざるも更に善しと、殆(ほとん)ど無用の物のやうに軽(かろし)めたりき。今やその願足りて、しかも遂(つひ)に※きたる彼は弥(いよい)よ※(まつは)らるる愛情の煩(わづらはし)きに堪(た)へずして、寧(むし)ろ影を追ふよりも儚(はかな)き昔の恋を思ひて、私(ひそか)に楽むの味(あぢはひ)あるを覚ゆるなり。
 かくなりてより彼は自(おのづか)ら唯継の面前を厭(いと)ひて、寂く垂籠(たれこ)めては、随意に物思ふを懌(よろこ)びたりしが、図らずも田鶴見(たずみ)の邸内(やしきうち)に貫一を見しより、彼のさして昔に変らぬ一介の書生風なるを見しより、一度(ひとたび)は絶えし恋ながら、なほ冥々(めいめい)に行末望あるが如く、さるは、彼が昔のままの容(かたち)なるを、今もその独(ひとり)を守りて、時の到るを待つらんやうに思做(おもひな)さるるなりけり。
 その時は果して到るべきものなるか。宮は躬(みづから)の心の底を叩(たた)きて、答を得るに沮(はば)みつつも、さすがに又己(おのれ)にも知れざる秘密の潜める心地(ここち)して、一面には覚束(おぼつか)なくも、又一面にはとにもかくにも信ぜらるるなり。
 便(すなは)ち宮の夫の愛を受くるを難堪(たへがた)く苦しと思知りたるは、彼の写真の鏡面(レンズ)の前に悶絶(もんぜつ)せし日よりにて、その恋しさに取迫(とりつ)めては、いでや、この富めるに※き裕(ゆたか)なるに倦(う)める家を棄つべきか、棄てよとならば遅(ためら)はじと思へるも屡々(しばしば)なりき。唯敢(ただあへ)てこれを為(せ)ざるは、窃(ひそか)に望は繋(か)けながらも、行くべき方(かた)の怨(うらみ)を解かざるを虞(おそ)るる故(ゆゑ)のみ。
 素(もと)より宮は唯継を愛せざりしかど、決してこれを憎むとにはあらざりき。されど今はしも正にその念は起れるなり。自ら謂(おも)へらく、吾夫(わがをつと)こそ当時恋と富との値(あたひ)を知らざりし己を欺き、空(むなし)く輝ける富を示して、售(う)るべくもあらざりし恋を奪ひけるよ、と悔の余はかかる恨をも他(ひと)に被(き)せて、彼は己を過(あやま)りしをば、全く夫の罪と為(な)せり。
 この心なる宮はこの一月十七日に会ひて、この一月十七日の雪に会ひて、いとどしく貫一が事の忍(しの)ばるるに就(つ)けて転(うた)た悪人の夫を厭ふこと甚(はなはだし)かり。無辜(むこ)の唯継はかかる今宵の楽(たのしみ)を授(さづく)るこの美き妻を拝するばかりに、有程(あるほど)の誠を捧げて、蜜(みつ)よりも甘き言(ことば)の数々を※(ささや)きて止まざれど、宮が耳には人の声は聞えずして、雪の音のみぞいと能(よ)く響きたる。
 その雪は明方になりて歇(や)みぬ。乾坤(けんこん)の白きに漂ひて華麗(はなやか)に差出でたる日影は、漲(みなぎ)るばかりに暖き光を鋪(し)きて終日(ひねもす)輝きければ、七分の雪はその日に解けて、はや翌日は往来(ゆきき)の妨碍(さまたげ)もあらず、処々(ところどころ)の泥濘(ぬかるみ)は打続く快晴の天(そら)に曝(さら)されて、刻々に乾(かわ)き行くなり。
 この雪の為に外出(そとで)を封ぜられし人は、この日和(ひより)とこの道とを見て、皆怺(こら)へかねて昨日(きのふ)より出でしも多かるべし。まして今日となりては、手置の宜(よろし)からぬ横町、不性なる裏通、屋敷町の小路などの氷れる雪の九十九折(つづらをり)、或(ある)は捏返(こねかへ)せし汁粉(しるこ)の海の、差掛りて難儀を極(きは)むるとは知らず、見渡す町通(まちとほり)の乾々干(からからほし)に固(かたま)れるに唆(そその)かされて、控へたりし人の出でざるはあらざらんやうに、往来(ゆきき)の常より頻(しきり)なる午前十一時といふ頃、屈(かが)み勝に疲れたる車夫は、泥の粉衣(ころも)掛けたる車輪を可悩(なやま)しげに転(まろば)して、黒綾(くろあや)の吾妻(あづま)コオト着て、鉄色縮緬(てついろちりめん)の頭巾(づきん)を領(えり)に巻きたる五十路(いそぢ)に近き賤(いやし)からぬ婦人を載せたるが、南の方(かた)より芝飯倉通(しばいいぐらとおり)に来かかりぬ。
 唯有(とあ)る横町を西に切れて、某(なにがし)の神社の石の玉垣(たまがき)に沿ひて、だらだらと上(のぼ)る道狭く、繁(しげ)き木立に南を塞(ふさ)がれて、残れる雪の夥多(おびただし)きが泥交(どろまじり)に踏散されたるを、件(くだん)の車は曳々(えいえい)と挽上(ひきあ)げて、取着(とつき)に土塀(どべい)を由々(ゆゆ)しく構へて、門(かど)には電燈を掲げたる方(かた)にぞ入(い)りける。
 こは富山唯継が住居(すまひ)にて、その女客は宮が母なり。主(あるじ)は疾(とく)に会社に出勤せし後にて、例刻に来(きた)れる髪結の今方帰行(かへりゆ)きて、まだその跡も掃かぬ程なり。紋羽二重(もんはぶたへ)の肉色鹿子(にくいろがのこ)を掛けたる大円髷(おほまるわげ)より水は滴(た)るばかりに、玉の如き喉(のど)を白絹のハンカチイフに巻きて、風邪気(かぜけ)などにや、連(しきり)に打咳(うちしはぶ)きつつ、宮は奥より出迎に見えぬ。その故(ゆゑ)とも覚えず余(あまり)に著(しる)き面羸(おもやつれ)は、唯一目に母が心を驚(おどろか)せり。
 閑(ひま)ある身なれば、宮は月々生家(さと)なる両親を見舞ひ、母も同じほど訪(と)ひ音づるるをば、此上無(こよな)き隠居の保養と為るなり。信(まこと)に女親の心は、娘の身の定りて、その家栄え、その身安泰に、しかもいみじう出世したる姿を見るに増して楽まさるる事はあらざらん。彼は宮を見る毎に大(おほい)なる手柄をも成したらんやうに吾が識(し)れるほどの親といふ親は、皆才覚無く、仕合(しあはせ)薄くて、有様(ありよう)は気の毒なる人達哉(かな)、と漫(そぞろ)に己の誇らるるなりけり。されば月毎に彼が富山の門(かど)を入るは、正(まさ)に人の母たる成功の凱旋門(がいせんもん)を過(すぐ)る心地もすなるべし。
 可懐(なつかし)きと、嬉きと、猶(なほ)今一つとにて、母は得々(いそいそ)と奥に導れぬ。久く垂籠(たれこ)めて友欲き宮は、拯(すくひ)を得たるやうに覚えて、有るまじき事ながら、或は密(ひそか)に貫一の報を齎(もたら)せるにはあらずやなど、枉(ま)げても念じつつ、せめては愁(うれひ)に閉ぢたる胸を姑(しばら)くも寛(ゆる)うせんとするなり。
 母は語るべき事の日頃蓄へたる数々を措(お)きて、先づ宮が血色の気遣(きづかはし)く衰へたる故を詰(なじ)りぬ。同じ事を夫にさへ問れしを思合せて、彼はさまでに己の羸(やつ)れたるを惧(おそ)れつつも、
「さう? でも、何処(どこ)も悪い所なんぞ有りはしません。余(あんま)り体を動(いご)かさないから、その所為(せゐ)かも知れません。けれども、この頃は時々気が鬱(ふさ)いで鬱いで耐(たま)らない事があるの。あれは血の道と謂(い)ふんでせうね」
「ああ、それは血の道さ。私なんぞも持病にあるのだから、やつぱりさうだらうよ。それでも、それで痩せるやうぢや良くないのだから、お医者に診(み)てもらふ方が可いよ、放つて措(お)くから畢竟(ひつきよう)持病にもなるのさ」
 宮は唯頷(うなづ)きぬ。
 母は不図思起してや、さも慌忙(あわただ)しげに、
「後が出来たのぢやないかい」
 宮は打笑(うちゑ)みつ。されども例の可羞(はづか)しとにはあらで傍痛(かたはらいた)き余を微見(ほのみ)せしやうなり。
「そんな事はありはしませんわ」
「さう何日(いつ)までも沙汰(さた)が無くちや困るぢやないか。本当に未(ま)だそんな様子は無いのかえ」
「有りはしませんよ」
「無いのを手柄にでもしてゐるやうに、何だね、一人はもう無くてどうするのだらう、先へ寄つて御覧、後悔を為るから。本当なら二人ぐらゐ有つて好い時分なのに、あれきり後が出来ないところを見ると、やつぱり体が弱いのだね。今の内養生して、丈夫にならなくちや可けないよ。お前はさうして平気で、いつまでも若くて居る気なのだらうけれど、本宅の方なんぞでも後が後がつて、どんなに待兼ねてお在(いで)だか知れはしないのだよ。内ぢや又阿父(おとつ)さんは、あれはどうしたと謂ふんだらう、情無い奴だ。子を生み得ないのは女の恥だつて、慍(おこ)りきつてゐなさるくらゐだのに、当人のお前と云つたら、可厭(いや)に落着いてゐるから、憎らしくてなりはしない。さうして、お前は先(せん)の内は子供が所好(すき)だつた癖に、自分の子は欲くないのかね」
 宮もさすがに当惑しつつ、
「欲くない事はありはしませんけれど、出来ないものは為方が無いわ」
「だから、何でも養生して、体を丈夫にするのが専(せん)だよ」
「体が弱いとお言ひだけれど、自分には別段ここが悪いと思ふところも無いから、診(み)てもらふのも変だし……けれどもね、阿母(おつか)さん、私は疾(とう)から言はう言はうと思つてゐたのですけれど、実は気に懸る事があつてね、それで始終何だか心持が快(よ)くないの。その所為(せゐ)で自然と体も良くないのかしらんと思ふのよ」
 母のその目は※(みは)り、その膝(ひざ)は前(すす)み、その胸は潰(つぶ)れたり。
「どうしたのさ!」
 宮は俯(うつむ)きたりし顔を寂しげに起して、
私(わたし)ね、去年の秋、貫一(かんいつ)さんに逢つてね……」
「さうかい!」
 己だに聞くを憚(はばか)る秘密の如く、母はその応(こた)ふる声をも潜めて、まして四辺(あたり)には油断もあらぬ気勢(けはひ)なり。
何処(どこ)で」
「内の方へも全然(まるきり)爾来(あれから)の様子は知れないの?」
「ああ」
些(ちつと)も?」
「ああ」
「どうしてゐると云ふやうな話も?」
「ああ」
 かく纔(わづか)に応ふるのみにて、母は自ら湧(わか)せる万感の渦の裏(うち)に陥りてぞゐたる。
「さう? 阿父(おとつ)さんは内証で知つてお在(いで)ぢやなくて?」
「いいえ、そんな事は無いよ。何処で逢つたのだえ」
 宮はその梗概(あらまし)を語れり。聴ゐる母は、彼の事無くその場を遁(のが)れ得てし始末を詳(つまびら)かにするを俟(ま)ちて、始めて重荷を下したるやうに※(ほ)と息を咆(つ)きぬ実(げ)に彼は熱海の梅園にて膩汗(あぶらあせ)を搾(しぼ)られし次手(ついで)悪さを思合せて、憂き目を重ねし宮が不幸を、不愍(ふびん)とも、惨(いぢら)しとも、今更に親心を傷(いた)むるなりけり。されども過ぎしその事よりは、為に宮が前途に一大障礙(しようげ)の或(あるひ)は来(きた)るべきを案じて、母はなかなか心穏(こころおだやか)ならず、
「さうして貫一はどうしたえ」
「お互に知らん顔をして別れて了つたけれど……」
「ああそれから?」
「それきりなのだけれど、私は気になつてね。それも出世して立派になつてゐるのなら、さうも思はないけれど、つまらない風采(なり)をして、何だか大変羸(やつ)れて、私も極(きまり)が悪かつたから、能くは見なかつたけれど、気の毒のやうに身窄(みすぼらし)い様子だつたわ。それに、聞けばね、番町の方の鰐淵(わにぶち)とかいふ、地面や家作なんぞの世話をしてゐる内に使はれて、やつぱり其処(そこ)に居るらしいのだから、好い事は無いのでせう、ああして子供の内から一処(いつしよ)に居た人が、あんなになつてゐるかと思ふと、昔の事を考へ出して、私は何だか情無くなつて……」
 彼は襦袢(じゆばん)の袖(そで)の端(はし)に窃(そ)と※(まぶた)を※(す)りて
「好い心持はしないわ、ねえ」
「へええ、そんなになつてゐるのかね」
 母の顔色も異(あやし)き寒さにや襲はるると見えぬ。
「それまでだつて、憶出(おもひだ)さない事は無いけれど、去年逢つてからは、毎日のやうに気になつて、可厭(いや)な夢なんぞを度々(たびたび)見るの。阿父(おとつ)さんや、阿母(おつか)さんに会ふ度に、今度は話さう、今度は話さうと思ひながら、私の口からは何と無く話し難(にく)いやうで、実は今まで言はずにゐたのだけれど、その事が初中終(しよつちゆう)苦になる所為(せゐ)で気を傷(いた)めるから体にも障(さは)るのぢやないかと、さう想ふのです」
 思凝(おもひこら)せるやうに母は或方を見据ゑつつ、言(ことば)は無くて頷(うなづ)きゐたり。
「それで、私は阿母さんに相談して、貫一さんをどうかして上げたいの——あの時にそんな話も有つたのでせう。さうして依旧(やつぱり)鴫沢(しぎさわ)の跡は貫一さんに取(とら)して下さいよ、それでなくては私の気が済まないから。今までは行方(ゆきがた)が知れなかつたから為方がないけれど、聞合せれば直(ぢき)に分るのだから、それを抛(はふ)つて措(お)いちや此方(こつち)が悪いから、阿父さんにでも会つて貰(もら)つて、何とか話を付けるやうにして下さいな。さうして従来通(これまでどほり)に内で世話をして、どんなにもあの人の目的を達しさして、立派に吾家(うち)の跡を取して下さい。私はさうしたら兄弟の盃(さかづき)をして、何処までも生家(さと)の兄さんで、末始終力になつて欲いわ」
 宮がこの言(ことば)は決して内に自ら欺き、又敢て外に他(ひと)を欺くにはあらざりき。影とも儚(はかな)く隔(へだて)の関の遠き恋人として余所(よそ)に朽さんより、近き他人の前に己を殺さんぞ、同く受くべき苦痛ならば、その忍び易きに就かんと冀(こひねが)へるなり。
「それはさうでもあらうけれど、随分考へ物だよ。あのひとの事なら、内でも時々話が出て、何処にどうしてゐるかしらんつて、案じないぢやないけれど、阿父さんも能(よ)くお言ひのさ、如何(いか)に何だつて、余り貫一の仕打が憎いつて。成程それは、お前との約束ね、それを反古(ほご)にしたと云ふので、齢(とし)の若いものの事だから腹も立たう、立たうけれど、お前自分の身の上も些(ちつと)は考へて見るが可いわね。子供の内からああして世話になつて、全く内のお蔭でともかくもあれだけにもなつたのぢやないか、その恩も有れば、義理も有るのだらう。そこ所(どこ)を些(ちつ)と考へたら、あれぎり家出をして了ふなんて、あんなまあ面抵(つらあて)がましい仕打振をするつてが有るものかね。
 それぢやあの約束を反古にして、もうお前には用は無いからどうでも独(ひとり)で勝手に為るが可い、と云ふやうな不人情なことを仮初(かりそめ)にも為たのぢやなし、鴫沢の家は譲らうし、所望(のぞみ)なら洋行も為(さ)せやうとまで言ふのぢやないか。それは一時は腹も立たうけれど、好く了簡して前後を考へて見たら、万更訳の解らない話をしてゐるのぢやないのだもの、私達の顔を立ててくれたつて、そんなに罰(ばち)も当りはしまいと思ふのさ。さうしてお剰(まけ)に、阿父さんから十分に訳を言つて、頭を低(さ)げないばかりにして頼んだのぢやないかね。だから此方(こつち)には少しも無理は無い筈(はず)だのに、貫一が余(あんま)り身の程を知らな過(すぎ)るよ。
 それはね、阿父さんが昔あの人の親の世話になつた事があるさうさ、その恩返(おんがへし)なら、行処(ゆきどこ)の無い躯(からだ)を十五の時から引取つて、高等学校を卒業するまでに仕上げたから、それで十分だらうぢやないか。
 全く、お前、貫一の為方(しかた)は増長してゐるのだよ。それだから、阿父さんだつて、私だつて、ああされて見ると決して可愛(かはゆ)くはないのだからね、今更此方(こつち)から捜出して、とやかう言ふほどの事はありはしないよ。それぢや何ぼ何でも不見識とやらぢやないか」
 その不見識とやらを嫌(きら)ふよりは、別に嫌ふべく、懼(おそ)るべく、警(いまし)むべき事あらずや、と母は私(ひそか)に慮(おもひはか)れるなり。
阿父(おとつ)さんや阿母(おつか)さんの身になつたら、さう思ふのは無理も無いけれど、どうもこのままぢや私が気が済まないんですもの。今になつて考へて見ると、貫一さんが悪いのでなし、阿父さん阿母さんが悪いのでなし、全く私一人が悪かつたばかりに、貫一さんには阿父さん阿母さんを恨ませるし、阿父さん阿母さんには貫一さんを悪く思はせたのだから、やつぱり私が仲へ入つて、元々通に為なければ済まないと思ふんですから、貫一さんの悪いのは、どうぞ私に免じて、今までの事は水に流して了つて、改めて貫一さんを内の養子にして下さいな。若しさうなれば、私もそれで苦労が滅(なくな)るのだから、きつと体も丈夫になるに違無いから、是非さう云ふ事に阿父さんにも頼んで下さいな、ねえ、阿母さん。さうして下さらないと、私は段々体を悪くするわ」
 かく言出でし宮が胸は、ここに尽(ことごと)くその罪を懺悔(ざんげ)したらんやうに、多少の涼きを覚ゆるなりき。
「そんなに言ふのなら、還(かへ)つて阿父さんに話をして見やうけれど、何もその所為(せゐ)で体が弱くなると云ふ訳も無かりさうなものぢやないか」
「いいえ、全くその所為よ。始終そればかり苦になつて、時々考込むと、実に耐(たま)らない心持になることがあるんですもの、この間逢ふ前まではそんなでもなかつたのだけれど、あれから急に——さうね、何と謂(い)つたら可いのだらう——私があんなに不仕合(ふしあはせ)な身分にして了(しま)つたとさう思つて、さぞ恨んでゐるだらうと、気の毒のやうな、可恐(おそろし)いやうな、さうして、何と無く私は悲くてね。外(ほか)には何も望は無いから、どうかあの人だけは元のやうにして、あの優い気立で、末始終阿父さんや阿母さんの世話をして貰つたら、どんなに嬉(うれし)からうと、そんな事ばかり考へては鬱(ふさ)いでゐるのです。いづれ私からも阿父さんに話をしますけれど、差当(さしあたり)阿母さんから好くこの訳をさう言つて、本当に頼んで下さいな。私二三日の内に行きますから」
 されども母は投首(なげくび)して、
「私の考量(かんがへ)ぢや、どうも今更ねえ……」
「阿母さんは! 何もそんなに貫一さんを悪く思はなくたつて可いわ。折角話をして貰はうと思ふ阿母さんがさう云ふ気ぢや、とても阿父さんだつて承知をしては下さるまいから……」
「お前がそれまでに言ふものだから、私は不承知とは言はないけれど……」
「可いの、不承知なのよ。阿父さんもやつぱり貫一さんが憎くて、大方不承知なんでせうから、私は※拠(あて)にはしないから、不承知なら不承知でも可いの」
 涙含(なみだぐ)みつつ宮が焦心(せきごころ)になれるを、母は打惑ひて、
「まあ、お聞きよ。それは、ね、……」
「阿母さん、可いわ——私、可いの」
可(よ)かないよ」
「可かなくつても可いわ」
「あれ、まあ、……何だね」
「どうせ可いわ。私の事はかまつてはおくれでないのだから……」
 我にもあらで迸(ほとばし)る泣声を、つと袖に抑(おさ)へても、宮は急来(せきく)る涙を止(とど)めかねたり。
「何もお前、泣くことは無いぢやないか。可笑(をかし)な人だよ、だからお前の言ふことは解つてゐるから、内へ帰つて、善く話をした上で……」
「可いわ。そんなら、さうで私にも了簡(りようけん)があるから、どうとも私は自分で為るわ」
「自分でそんな事を為るなんて、それは可くないよ。かう云ふ事は決してお前が自分で為ることぢやないのだから、それは可けませんよ」
「…………」
「帰つたら阿父(おとつ)さんに善く話を為やうから、……泣くほどの事は無いぢやないかね」
「だから、阿母(おつか)さんは私の心を知らないのだから、頼効(たのみがひ)が無い、と謂(い)ふのよ」
多度(たんと)お言ひな」
「言ふわ」
 真顔作れる母は火鉢(ひばち)の縁(ふち)に丁(とん)と煙管(きせる)を撃(はた)けば、他行持(よそゆきもち)の暫(しばら)く乾(から)されて弛(ゆる)みし雁首(がんくび)はほつくり脱けて灰の中に舞込みぬ。

     第 四 章

 頭部に受けし貫一が挫傷(ざしよう)は、危(あやふ)くも脳膜炎を続発せしむべかりしを、肢体(したい)に数個所(すかしよ)の傷部とともに、その免るべからざる若干(そくばく)の疾患を得たりしのみにて、今や日増に康復(こうふく)の歩を趁(お)ひて、可艱(なやま)しげにも自ら起居(たちゐ)を扶(たす)け得る身となりければ、一日一夜を為(な)す事も無く、ベッドの上に静養を勉(つと)めざるべからざる病院の無聊(ぶりよう)をば、殆(ほとん)ど生きながら葬られたらんやうに倦(う)み困(こう)じつつ、彼は更にこの病と相関する如く、関せざる如く併発したる別様の苦悩の為に侵さるるなりき。
 主治医も、助手も、看護婦も、附添婆(つきそひばば)も、受附も、小使も、乃至(ないし)患者の幾人も、皆目を側(そば)めて彼と最も密なる関係あるべきを疑はざるまでに、満枝の頻繁(しげしげ)病(やまひ)を訪ひ来るなり。三月にわたる久きをかの美き姿の絶えず出入(しゆつにゆう)するなれば、噂(うはさ)は自(おのづ)から院内に播(ひろま)りて、博士の某(ぼう)さへ終(つひ)に唆(そそのか)されて、垣間見(かいまみ)の歩をここに枉(ま)げられしとぞ伝へ侍(はべ)る。始の程は何者の美形(びけい)とも得知れざりしを、医員の中に例の困(くるし)められしがありて、名著(なうて)の美人(びじ)クリイムと洩(もら)せしより、いとど人の耳を驚かし、目を悦(よろこば)す種とはなりて、貫一が浮名もこれに伴ひて唱はれけり。
 さりとは彼の暁(さと)るべき由無けれど、何の廉(かど)もあらむに足近く訪はるるを心憂く思ふ余に、一度ならず満枝に向ひて言ひし事もありけれど、見舞といふを陽(おもて)にして訪ひ来るなれば、理として好意を拒絶すべきにあらず。さは謂(い)へ、こは情(なさけ)の掛※(かけわな)と知れば、又甘んじて受くべきにもあらず、しかのみならで、彼は素より満枝の為人(ひととなり)を悪(にく)みて、その貌(かたち)の美きを見ず、その思切(おもひせつ)なるを汲まんともせざるに、猶(なほ)かつ主(ぬし)ある身の謬(あやま)りて仇名(あだな)もや立たばなど気遣(きづか)はるるに就けて、貫一は彼の入来(いりく)るに会へば、冷き汗の湧出(わきい)づるとともに、創所(きずしよ)の遽(にはか)に疼(うづ)き立ちて、唯異(ただあやし)くも己(おのれ)なる者の全く痺(しび)らさるるに似たるを、吾ながら心弱しと尤(とが)むれども効(かひ)無かりけり。実(げ)に彼は日頃この煩(わづらひ)を逃れん為に、努めてこの敵を避けてぞ過せし。今彼の身は第二医院の一室に密封せられて、しかも隠るる所無きベッドの上に横(よこた)はれれば、宛然(さながら)爼板(まないた)に上れる魚(うを)の如く、空(むなし)く他の為すに委(まか)するのみなる仕合(しあはせ)を、掻※(かきむし)らんとばかりに悶(もだ)ゆるなり。
 かかる苦(くるし)き枕頭(まくらもと)に彼は又驚くべき事実を見出(みいだ)しつつ、飜(ひるが)へつて己を顧れば、測らざる累の既に逮(およ)べる迷惑は、その藁蒲団(わらぶとん)の内に針(はり)の包れたる心地して、今なほ彼の病むと謂はば、恐くは外に三分(さんぶ)を患(わづら)ひて、内に却(かへ)つて七分(しちぶ)を憂ふるにあらざらんや。貫一もそれをこそ懸念(けねん)せしが、果して鰐淵(わにぶち)は彼と満枝との間を疑ひ初めき。彼は又鰐淵の疑へるに由りて、その人と満枝との間をも略(ほぼ)推(すい)し得たるなり。
 例の煩(わづらし)き人は今日も訪(と)ひ来(き)つ、しかも仇(あだ)ならず意(こころ)を籠(こ)めたりと覚(おぼし)き見舞物など持ちて。はや一時間余を過せども、彼は枕頭に起ちつ、居つして、なかなか帰り行くべくも見えず。貫一は寄付(よせつ)けじとやうに彼方(あなた)を向きて、覚めながら目を塞(ふさ)ぎていと静に臥(ふ)したり。附添婆(つきそひばば)の折から出行(いでゆ)きしを候(うかが)ひて、満枝は椅子を躙(にじ)り寄せつつ、
間(はざま)さん、間さん。貴方(あなた)、貴方」
 と枕の端(はし)を指もて音なへど、眠れるにもあらぬ貫一は何の答をも与へず、満枝は起ちてベッドの彼方(あなた)へ廻り行きて、彼の寐顔(ねがほ)を差覗(さしのぞ)きつ。
「間さん」
 猶答へざりけるを、軽く肩の辺(あたり)を撼(うごか)せば、貫一はさるをも知らざる為(まね)はしかねて、始めて目を開きぬ。彼はかく覚めたれど、満枝はなほ覚めざりし先の可懐(なつか)しげに差寄りたる態(かたち)を改めずして、その手を彼の肩に置き、その顔を彼の枕に近けたるまま、
私(わたくし)貴方に些(ちよつ)とお話をして置かなければならない事があるのでございますから、お聞き下さいまし」
「あ、まだ在(ゐら)しつたのですか」
「いつも長居を致して、さぞ御迷惑でございませう」
「…………」
「外でもございませんが……」
 彼の隔(へだて)無く身近に狎(な)るるを可忌(うとま)しと思へば、貫一はわざと寐返(ねがへ)りて、椅子を置きたる方(かた)に向直り、
「どうぞ此方(こちら)へ」
 この心を暁(さと)れる満枝は、飽くまで憎き事為るよと、持てるハンカチイフにベッドを打ちて、かくまでに遇(あつか)はれながら、なほこの人を慕はでは已(や)まぬ我身かと、効(かひ)無くも余に軽く弄(もてあそ)ばるるを可愧(はづかし)うて佇(たたず)みたり。されども貫一は直(すぐ)に席を移さざる満枝の為に、再び言(ことば)を費さんとも為(せ)ざりけり。
 気嵩(きがさ)なる彼は胸に余して、聞えよがしに、
※(ああ)、貴方には軽蔑(けいべつ)されてゐる事を知りながら、何為(なぜ)私(わたくし)腹を立てることが出来ないのでせう。実に貴方は!」
 満枝は彼の枕を捉(とら)へて顫(ふる)ひしが、貫一の寂然(せきぜん)として眼(まなこ)を閉ぢたるに益(ますます)苛(いらだ)ちて、
余(あんま)り酷(ひど)うございますよ。間さん、何とか有仰(おつしや)つて下さいましな」
 彼は堪へざらんやうに苦(にが)りたる口元を引歪(ひきゆが)めて、
「別に言ふ事はありません。第一貴方のお見舞下さるのは難有(ありがた)迷惑で……」
「何と有仰(おつしや)います!」
「以来はお見舞にお出で下さるのを御辞退します」
「貴方、何と……!!」
 満枝は眉(まゆ)を昂(あ)げて詰寄せたり。貫一は仰ぎて眼(まなこ)を塞(ふた)ぎぬ。
 素(もと)より彼の無愛相なるを満枝は知れり。彼の無愛相の己(おのれ)に対しては更に甚(はなはだし)きを加ふるをも善く知れり。満枝が手管(てくだ)は、今その外(おもて)に顕(あらは)せるやうに決(け)して内に怺(こら)へかねたるにはあらず、かくしてその人と諍(いさか)ふも、また※(かな)はざる恋の内に聊(いささ)か楽む道なるを思へるなり。涙微紅(ほのあか)めたる※(まぶた)に耀(かがや)きて、いつか宿せる暁(あかつき)の葩(はなびら)に露の津々(しとど)なる。
「お内にも御病人の在るのに、早く帰つて上げたが可いぢやありませんか。私(わたくし)も貴方に度々(たびたび)来て戴くのは甚(はなは)だ迷惑なのですから」
「御迷惑は始から存じてをります」
「いいや、未だ外にこの頃のがあるのです」
「ああ! 鰐淵さんの事ではございませんか」
「まあ、さうです」
「それだから、私お話が有ると申したのではございませんか。それを貴方は、私と謂ふと何でも鬱陶(うつと)しがつて、如何(いか)に何でもそんなに作(なさ)るものぢやございませんよ。その事ならば、貴方が御迷惑遊ばしてゐらつしやるばかりぢやございません。私だつてどんなに窮(こま)つてをるか知れは致しません。この間も鰐淵さんが可厭(いや)なことを有仰(おつしや)つたのです。私些(ちつと)もかまひは致しませんけれど、さうでもない、貴方がこの先御迷惑あそばすやうな事があつてはと存じて、私それを心配致してをるくらゐなのでございます」
 聴ゐざるにはあらねど、貫一は絶えて応答(うけこたへ)だに為(せ)ざるなり。
「実は疾(とう)からお話を申さうとは存じたのでございますけれど、そんな可厭(いや)な事を自分の口から吹聴らしく、却(かへ)つて何も御存じない方が可からうと存じて、何も申上げずにをつたのでございますが、鰐淵様(さん)のかれこれ有仰(おつしや)るのは今に始つた事ではないので、もう私実に窮(こま)つてをるのでございます。始終好い加減なことを申しては遁(に)げてをるのですけれど、鰐淵さんは私が貴方をこんなに……と云ふ事は御存じなかつたのですから、それで済んでをりましたけれど、貴方が御入院あそばしてから、私かうして始終お訪ね申しますし、鰐淵さんも頻繁(しげしげ)いらつしやるので、度々(たびたび)お目に懸るところから、何とかお想ひなすつたのでございませう。それで、この間は到頭それを有仰(おつしや)つて、訳が有るなら有るで、隠さずに話をしろと有仰るのぢやございませんか。私為方がありませんから、お約束をしたと申して了(しま)ひました」
「え!」と貫一は繃帯(ほうたい)したる頭を擡(もた)げて、彼の有為顔(したりがほ)を赦(ゆる)し難く打目戍(うちまも)れり。満枝はさすが過(あやまち)を悔いたる風情(ふぜい)にて、やをら左の袂(たもと)を膝(ひざ)に掻載(かきの)せ、牡丹(ぼたん)の莟(つぼみ)の如く揃(そろ)へる紅絹裏(もみうら)の振(ふり)を弄(まさぐ)りつつ、彼の咎(とがめ)を懼(おそ)るる目遣(めづかひ)してゐたり。
「実に怪(け)しからん! ※(ばか)なことを有仰(おつしや)つたものです」
 萎(しを)るる満枝を尻目に掛けて、
「もう可いから、早くお還り下さい」
 彼を喝(かつ)せし怒(いかり)に任せて、半(なかば)起したりし体(たい)を投倒せば、腰部(ようぶ)の創所(きずしよ)を強く抵(あ)てて、得堪(えた)へず呻(うめ)き苦むを、不意なりければ満枝は殊(こと)に惑(まど)ひて、
「どう遊ばして? 何処(どこ)ぞお痛みですか」
 手早く夜着(よぎ)を揚げんとすれば、払退(はらひの)けて、
「もうお還り下さい」
 言放ちて貫一は例の背(そびら)を差向けて、遽(にはか)に打鎮(うちしづま)りゐたり。
私(わたくし)還りません! 貴方がさう酷く有仰(おつしや)れば、以上還りません。いつまでも居られる躯(からだ)ではないのでございますから、順(おとなし)く還るやうにして還して下さいまし」
 いとはしたなくて立てる満枝は闥(ドア)の啓(あ)くに驚かされぬ。入来(いりきた)れるは、附添婆(つきそひばば)か、あらず。看護婦か、あらず。国手(ドクトル)の回診か、あらず。小使か、あらず。あらず!
 胡麻塩羅紗(ごましほらしや)の地厚なる二重外套(にじゆうまわし)を絡(まと)へる魁肥(かいひ)の老紳士は悠然(ゆうぜん)として入来(いりきた)りしが、内の光景(ありさま)を見ると斉(ひとし)く胸悪き色はつとその面(おもて)に出(い)でぬ。満枝は心に少(すこ)く慌(あわ)てたれど、さしも顕(あらは)さで、雍(しとや)かに小腰を屈(かが)めて、
「おや、お出(いで)あそばしまし」
「ほほ、これは、毎度お見舞下さつて」
 同く慇懃(いんぎん)に会釈はすれど、疑も無く反対の意を示せる金壺眼(かなつぼまなこ)は光を逞(たくまし)う女の横顔を瞥見(べつけん)せり。静に臥(ふ)したる貫一は発作(パロキシマ)の来(きた)れる如き苦悩を感じつつ、身を起して直行(ただゆき)を迎ふれば、
「どうぢやな。好(え)え方がお見舞に来てをつて下さるで、可(え)えの」
 打付(うちつけ)に過ぎし言(ことば)を二人ともに快からず思へば、頓(とみ)に答(いらへ)は無くて、その場の白(しら)けたるを、さこそと謂(い)はんやうに直行の独(ひと)り笑ふなりき。如何(いか)に答ふべきか。如何に言釈(いひと)くべきか、如何に処すべきかを思煩(おもひわづら)へる貫一は艱(むづか)しげなる顔を稍(やや)内向けたるに、今はなかなか悪怯(わるび)れもせで満枝は椅子の前なる手炉(てあぶり)に寄りぬ。
「然しお宅の御都合もあるぢやらうし、又お忙(せはし)いところを度々お見舞下されては痛入(いたみい)ります。それにこれの病気も最早快(よ)うなるばかりじやで御心配には及ばんで、以来お出(い)で下さるのは何分お断り申しまする」
 言黒(いひくろ)めたる邪魔立を満枝は面憎(つらにく)がりて、
「いいえ、もうどう致しまして、この御近辺まで毎々次手(ついで)がありますのでございますから、その御心配には及びません」
 直行の眼(まなこ)は再び輝けり。貫一は憖(なまじひ)に彼を窘(くるし)めじと、傍(かたはら)より言(ことば)を添へぬ。
「毎度お訪ね下さるので、却(かへ)つて私(わたくし)は迷惑致すのですから、どうか貴方から可然(しかるべく)御断り下さるやうに」
「当人もお気の毒に思うてあの様に申すで、折角ではありますけど、決して御心配下さらんやうに、のう」
「お見舞に上りましてはお邪魔になりまする事ならば、私(わたくし)差控へませう」
 満枝は色を作(な)して直行を打見遣(うちみや)りつつ、その面(おもて)を引廻(ひきめぐら)して、やがて非(あら)ぬ方(かた)を目戍(まも)りたり。
「いや、いや、な、決(け)して、そんな訳ぢや……」
余(あんま)りな御挨拶で! 女だと思召(おぼしめ)して有仰(おつしや)るのかは存じませんが、それまでのお指図(さしづ)は受けませんで宜(よろし)うございます」
「いや、そんなに悪う取られては甚(はなは)だ困る、畢竟(ひつきよう)貴方(あんた)の為を思ひますじやに因(よ)つて……」
「何と有仰います。お見舞に出ますのが、何で私(わたくし)の不為(ふため)になるのでございませう」
「それにお心着(こころづき)が無い?」
 その能く用ゐる微笑を弄(ろう)して、直行は巧(たくみ)に温顔を作れるなり。
 満枝は稍(やや)急立(せきた)ちぬ。
「ございません」
「それは、お若いでさう有らう。甚だ失敬ながら、すいぢや申して見やう。な。貴方もお若けりや間も若い。若い男の所へ若い女子(をなご)が度々出入(でいり)したら、そんな事は無うても、人がかれこれ言ひ易(やす)い、可(え)えですか、そしたら、間はとにかくじや、赤樫様(あかがしさん)と云ふ者のある貴方の躯(からだ)に疵(きず)が付く。そりや、不為ぢやありますまいか、ああ」
 陰には己(おのれ)自ら更に甚(はなはだし)き不為を強(し)ひながら、人の口といふもののかくまでに重宝なるが可笑(をか)し、と満枝は思ひつつも、
「それは御深切に難有(ありがた)う存じます。私はとにかく、間さんはこれからお美(うつくし)い御妻君をお持ち遊ばす大事のお躯(からだ)でゐらつしやるのを、私のやうな者の為に御迷惑遊ばすやうな事が御座いましては何とも済みませんですから、私自今(これから)慎(つつし)みますでございます」
「これは太(えら)い失敬なことを申しましたに、早速お用ゐなさつて難有い。然し、間も貴方のやうな方と嘘(うそ)にもかれこれ言(いは)るるんぢやから、どんなにも嬉(うれし)いぢやらう、私(わし)のやうな老人ぢやつたら、死ぬほどの病気したて、赤樫さんは訪ねても下さりや為(す)まいにな」
 貫一は苦々しさに聞かざる為(まね)してゐたり。
「そんな事が有るものでございますか、お見舞に上りますとも」
「さやうかな。然し、こんなに度々来ては下さりやすまい」
「それこそ、御妻君が在(ゐら)つしやるのですから、余り頻繁(しげしげ)上りますと……」
 後は得言はで打笑める目元の媚(こび)、ハンカチイフを口蔽(くちおほひ)にしたる羞含(はぢがま)しさなど、直行はふと目を奪はれて、飽かず覚ゆるなりき。
「はッ、はッ、はッ、すぢや細君が無いで、ここへは安心してお出(いで)かな。私(わし)は赤樫さんの処へ行つて言ひますぞ」
「はい、有仰(おつしや)つて下さいまし。私(わたくし)此方(こなた)へ度々お見舞に出ますことは、宅でも存じてをるのでございますから、唯今も貴方(あなた)から御注意を受けたのでございますが、私も用を抱へてをる体でかうして上りますのは、お見舞に出なければ済まないと考へまする訳がございますからで、その実、上りますれば、間さんは却(かへ)つて私の伺ふのを懊悩(うるさ)く思召(おぼしめ)してゐらつしやるのですから、それは私のやうな者が余り参つてはお目障(めざはり)か知れませんけれど、外の事ではなし、お見舞に上るのでございますから、そんなに作(なさ)らなくても宜(よろし)いではございませんか。
 然し、それでも私気に懸つて、かうして上るのは、でございます、宅(たく)へお出(いで)になつた御帰途(おかへりみち)にこの御怪我(おけが)なんでございませう。それに、未(ま)だ私済みません事は、あの時大通の方をお帰りあそばすと有仰つたのを、津守坂(つのかみざか)へお出(いで)なさる方がお近いとさう申してお勧め申すと、その途(みち)でこの御災難でございませう。で私考へるほど申訳が無くて、宅でも大相気に致して、勉めてお見舞に出なければ済まないと申すので、その心持で毎度上るのでございますから、唯今のやうな御忠告を伺ひますと、私実に心外なのでございます。そんなにして上れば、間さんは間さんでお喜(よろこび)が無いのでございませう」
 彼はいと辛(つら)しとやうに、恨(うらめ)しとやうに、さては悲しとやうにも直行を視(み)るなりけり。直行は又その辛し、恨し、悲しとやうの情に堪へざらんとする満枝が顔をば、窃(ひそか)に金壺眼(かなつぼまなこ)の一角を溶(とろか)しつつ眺入(ながめい)るにぞありける。
「さやうかな。如何(いか)さま、それで善う解りましたじや。太(えら)い御深切な事で、間もさぞ満足ぢやらうと思ひまする。又私(わし)からも、そりや厚うお礼を申しまするじや、で、な、お礼はお礼、今の御忠告は御忠告じや、悪う取つて下さつては困る。貴方がそんなに念(おも)うて、毎々お訪ね下さると思や、私も実に嬉いで、折角の御好意をな、どうか卻(しりぞく)るやうな、失敬なことは決して言ひたうはないんじや、言ふのはお為を念ふからで、これもやつぱり年寄役なんぢやから、捨てて措(お)けんで。年寄と云ふ者は、これでとかく嫌(きら)はるるじや。貴方もやつぱり年寄はお嫌ひぢやらう。ああ、どうですか、ああ」
 赤髭(あかひげ)を拈(ひね)り拈りて、直行は女の気色(けしき)を偸視(ぬすみみ)つ。
「さやうでございます。お年寄は勿論(もちろん)結構でございますけれど、どう致しても若いものは若い同士の方が気が合ひまして宜いやうでございますね」
「すぢやて、お宅の赤樫さんも年寄でせうが」
「それでございますから、もうもう口喧(くちやかまし)くてなりませんのです」
「ぢや、口喧うも、気難(きむづかし)うもなうたら、どうありますか」
「それでも私好きませんでございますね」
「それでも好かん? 太(えら)う嫌うたもんですな」
尤(もつと)も年寄だから嫌ふ、若いから一概に好くと申す訳には参りませんでございます。いくら此方(こつち)から好きましても、他(さき)で嫌はれましては、何の効(かひ)もございませんわ」
「さやう、な。けど、貴方(あんた)のやうな方が此方(こつち)から好いたと言うたら、どんな者でも可厭(いや)言ふ者は、そりや無い」
「あんな事を有仰(おつしや)つて! 如何(いかが)でございますか、私そんな覚はございませんから、一向存じませんでございます」
「さやうかな。はッはッ。さやうかな。はッはッはッ」
 椅子も傾くばかりに身を反(そら)して、彼はわざとらしく揺上(ゆりあ)げ揺上げて笑ひたりしが、
「間、どうぢやらう。赤樫さんはああ言うてをらるるが、さうかの」
如何(いかが)ですか、さう云ふ事は」
 誰(たれ)か烏(からす)の雌雄(しゆう)を知らんとやうに、貫一は冷然として嘯(うそぶ)けり。
「お前も知らんかな、はッはッはッはッ」
「私が自分にさへ存じませんものを、間さんが御承知有らう筈(はず)はございませんわ。ほほほほほほほほ」
 そのわざとらしさは彼にも遜(ゆづ)らじとばかり、満枝は笑ひ囃(はや)せり。
 直行が眼(まなこ)は誰を見るとしも無くて独(ひと)り耀(かがや)けり。
「それでは私もうお暇(いとま)を致します」
「ほう、もう、お帰去(かへり)かな。私(わし)もはや行かん成らんで、其所(そこ)まで御一処に」
「いえ、私些(ちよつ)と、あの、西黒門町(にしくろもんちよう)へ寄りますでございますから、甚(はなは)だ失礼でございますが……」
「まあ、宜(よろし)い。其処(そこ)まで」
「いえ、本当に今日(こんにち)は……」
「まあ、宜いが、実は、何じや、あの旭座(あさひざ)の株式一件な、あれがつい纏(まとま)りさうぢやで、この際お打合(うちあはせ)をして置かんと、『琴吹(ことぶき)』の収債(とりたて)が面白うない。お目に掛つたのが幸(さいはひ)ぢやから、些(ちよつ)とそのお話を」
「では、明日(みようにち)にでも又、今日は些(ち)と急ぎますでございますから」
「そんなに急にお急ぎにならんでも宜いがな。商売上には年寄も若い者も無い、さう嫌はれてはどうもならん」
 姑(しばら)く推(おし)問答の末彼は終(つひ)に満枝を拉(らつ)し去れり。迹(あと)に貫一は悪夢の覚めたる如く連(しきり)に太息(ためいき)※(つ)いたりしが、やがて為(せ)ん方無げに枕(まくら)に就きてよりは、見るべき物もあらぬ方(かた)に、止(た)だ果無(はてしな)く目を奪れゐたり。

     第 五 章

 檜葉(ひば)、樅(もみ)などの古葉貧しげなるを望むべき窓の外に、庭ともあらず打荒れたる広場は、唯麗(うららか)なる日影のみぞ饒(ゆたか)に置余(おきあま)して、そこらの梅の点々(ぼちぼち)と咲初めたるも、自(おのづか)ら怠り勝に風情(ふぜい)作らずと見ゆれど、春の色香(いろか)に出(い)でたるは憐(あはれ)むべく、打霞(うちかす)める空に来馴(きな)るる鵯(ひよ)のいとどしく鳴頻(なきしき)りて、午後二時を過ぎぬる院内の寂々(せきせき)たるに、たまたま響くは患者の廊下を緩(ゆる)う行くなり。
 枕の上の徒然(つれづれ)は、この時人を圧して殆(ほとん)ど重きを覚えしめんとす。書見せると見えし貫一は辛(から)うじて夢を結びゐたり。彼は実(げ)に夢ならでは有得べからざる怪(あやし)き夢に弄(もてあそ)ばれて、躬(みづから)も夢と知り、夢と覚さんとしつつ、なほ睡(ねむり)の中に囚(とらは)れしを、端無(はしな)く人の呼ぶに駭(おどろか)されて、漸(やうや)く慵(ものう)き枕を欹(そばだ)てつ。
 愕然(がくぜん)として彼は瞳(ひとみ)を凝(こら)せり。ベッドの傍(かたはら)に立てるは、その怪き夢の中に顕(あらは)れて、終始相離(あひはな)れざりし主人公その人ならずや。打返し打返し視(み)れども訪来(とひきた)れる満枝に紛(まぎれ)あらざりき。とは謂(い)へ、彼は夢か、あらぬかを疑ひて止まず。さるはその真ならんよりなほ夢の中(うち)なるべきを信ずるの当れるを思へるなり、美しさも常に増して、夢に見るべき姿などのやうに四辺(あたり)も可輝(かがやかし)く、五六歳(いつつむつ)ばかりも若(わかや)ぎて、その人の妹なりやとも見えぬ。まして、六十路(むそぢ)に余れる夫有(つまも)てる身と誰(たれ)かは想ふべき。
 髪を台湾銀杏(たいわんいちよう)といふに結びて、飾(かざり)とてはわざと本甲蒔絵(ほんこうまきゑ)の櫛(くし)のみを挿(さ)したり。黒縮緬(くろちりめん)の羽織に夢想裏(むそううら)に光琳風(こうりんふう)の春の野を色入(いろいり)に染めて、納戸縞(なんどじま)の御召の下に濃小豆(こいあづき)の更紗縮緬(さらさちりめん)、紫根七糸(しこんしちん)に楽器尽(がつきつくし)の昼夜帯して、半襟(はんえり)は色糸の縫(ぬひ)ある肉色なるが、頸(えり)の白きを匂(にほ)はすやうにて、化粧などもやや濃く、例の腕環のみは燦爛(きらきら)と煩(うるさ)し。今日は殊(こと)に推(お)して来にけるを、得堪(えた)へず心の尤(とが)むらん風情(ふぜい)にて佇(たたず)める姿(すがた)限無(かぎりな)く嬌(なまめ)きて見ゆ。
「お寝(やすみ)のところを飛んだ失礼を致しました。私(わたくし)上(あが)る筈(はず)ではないのでございますけれど、是非申上げなければなりません事がございますので、些(ちよつ)と伺ひましたのでございますから、今日(こんにち)のところはどうか御堪忍(ごかんにん)あそばして」
 彼の許(ゆるし)を得んまでは席に着くをだに憚(はばか)る如く、満枝は漂(ただよは)しげになほ立てるなり。
「はあ、さやうですか。一昨々日あれ程申上げたのに……」
 内に燃ゆる憤(いかり)を抑(おさ)ふるとともに貫一の言(ことば)は絶えぬ。
「鰐淵さんの事なのでございますの。私困りまして、どういたしたら宜(よろし)いのでございませう……間さん、かうなのでございますよ」
「いや、その事なら伺ふ必要は無いのです」
「あら、そんなことを有仰(おつしや)らずに……」
「失礼します。今日(こんにち)は腰の傷部(きず)が又痛みますので」
「おや、それは、お劇(きつ)いことはお在(あん)なさらないのでございますか」
「いえ、なに」
「どうぞお楽に在(ゐら)しつて」
 貫一は無雑作に郡内縞(ぐんないじま)の掻巻(かいまき)引被(ひきか)けて臥(ふ)しけるを、疎略あらせじと満枝は勤篤(まめやか)に冊(かしづ)きて、やがて己(おのれ)も始めて椅子に倚(よ)れり。
貴方(あなた)の前でこんな事は私申上げ難(にく)いのでございますけれど、実は、あの一昨々日でございますね、ああ云ふ訳で鰐淵さんと御一処に参りましたところが、御飯を食べるから何でも附合へと有仰(おつしや)るので、湯島(ゆしま)の天神の茶屋へ寄りましたのでございます。さう致すと、案の定可厭(いやらし)い事をもうもう執濃(しつこ)く有仰るのでございます。さうして飽くまで貴方の事を疑(うたぐ)つて、始終それを有仰るので、私一番それには困りました。あの方もお年効(としがひ)の無い、物の道理がお解りにならないにも程の有つたもので、一体私を何と思召(おぼしめ)してゐらつしやるのか存じませんが、客商売でもしてをる者に戯(たはむ)れるやうな事を、それも一度や二度ではないのでございますから、私残念で、一昨々日なども泣いたのでございます。で、この後二度とそんな事の有仰れないやうに、私その場で十分に申したことは申しましたけれど、変に気を廻してゐらつしやる方の事でございますから、取(と)んだ八当(やつあたり)で貴方へ御迷惑が懸りますやうでは、何とも私申訳がございませんから、どうぞそれだけお含み置き下さいまして、悪(あし)からず……。
 今度お会ひあそばしたら、鰐淵さんが何とか有仰るかも知れません。さぞ御迷惑でゐらつしやいませうけれど、そこは宜(よろし)いやうに有仰つて置いて下さいまし。それも貴方が何とか些(ちよつと)でも思召してゐらつしやる方とならば、そんな事を有仰られるのもまた何でございませうけれど、嫌抜(きらひぬ)いてお在(いで)あそばす私(わたくし)のやうな者と訳でもあるやうに有仰(おつしや)られるのは、さぞお辛くてゐらつしやいませうけれど、私のやうな者に見込れたのが因果とお諦(あきら)め遊ばしまし。
 貴方も因果なれば、私も……私は猶(なほ)因果なのでございますよ。かう云ふのが実に因果と謂(い)ふのでございませうね」
 金煙管(きんぎせる)の莨(たばこ)の独(ひと)り杳眇(ほのぼの)と燻(くゆ)るを手にせるまま、満枝は儚(はかな)さの遣方無(やるかたな)げに萎(しを)れゐたり。さるをも見向かず、答(いら)へず、頑(がん)として石の如く横(よこた)はれる貫一。
「貴方もお諦め下さいまし、全く因果なのでございますから、切(せめ)てさうと諦めてでもゐて下されば、それだけでも私幾分か思が透(とほ)つたやうな気が致すのでございます。
 間さん。貴方は過日(いつぞや)私がこんなに思つてゐることを何日(いつ)までもお忘れないやうにと申上げたら、お志は決して忘れんと有仰いましたね。お覚えあそばしてゐらつしやいませう。ねえ、貴方、よもやお忘れは無いでせう。如何(いかが)なのでございますよ」
 勢ひて問詰むれば、極(きは)めて事も無げに、
「忘れません」
 満枝は彼の面(おもて)を絶(したたか)に怨視(うらみみ)て瞬(またたき)も為(せ)ず、その時人声して闥(ドア)は徐(しづか)に啓(あ)きぬ。
 案内せる附添の婆(ばば)は戸口の外に立ちて請じ入れんとすれば、客はその老に似気なく、今更内の様子を心惑(こころまどひ)せらるる体(てい)にて、彼にさへ可慎(つつまし)う小声に言付けつつ名刺を渡せり。
 満枝は如何なる人かと瞥(ちら)と見るに、白髪交(しらがまじ)りの髯(ひげ)は長く胸の辺(あたり)に垂れて、篤実の面貌痩(おもざしや)せたれども賤(いやし)からず、長(たけ)は高しとにあらねど、素(もと)より※(ゆたか)にもあらざりし肉の自(おのづか)ら齢(よはひ)の衰(おとろへ)に削れたれば、冬枯の峰に抽(ぬ)けるやうに聳(そび)えても見ゆ。衣服などさる可く、程を守りたるが奥幽(おくゆかし)くて、誰とも知らねどさすがに疎(おろそか)ならず覚えて、彼は早くもこの賓(まらうど)の席を設けて待てるなりき。
 貫一は婆の示せる名刺を取りて、何心無く打見れば、鴫沢隆三(しぎさわりゆうぞう)と誌(しる)したり。色を失へる貫一はその堪へかぬる驚愕(おどろき)に駆れて、忽(たちま)ち身を飜(ひるがへ)して其方(そなた)を見向かんとせしが、幾(ほとん)ど同時に又枕して、終(つひ)に動かず。狂ひ出でんずる息を厳(きびし)く閉ぢて、燃(もゆ)るばかりに瞋(いか)れる眼(まなこ)は放たず名刺を見入りたりしが、さしも内なる千万無量の思を裹(つつ)める一点の涙は不覚に滾(まろ)び出(い)でぬ。こは怪しと思ひつつも婆は、
此方(こちら)へお通し申しませうで……」
「知らん!」
「はい?」
「こんな人は知らん」
 人目あらずば引裂き棄つべき名刺よ、涜(けがらは)しと投返せば床の上に落ちぬ。彼は強(し)ひて目を塞(ふさ)ぎ、身の顫(ふる)ふをば吾と吾手に抱窘(だきすく)めて、恨は忘れずとも憤(いかり)は忍ぶべしと、撻(むちう)たんやうにも己を制すれば、髪は逆竪(さかだ)ち蠢(うごめ)きて、頭脳の裏(うち)に沸騰(わきのぼ)る血はその欲するままに注ぐところを求めて、心も狂へと乱螫(みだれさ)すなり。彼はこれと争ひて猶(なほ)も抑へぬ。面色は漸(やうや)く変じて灰の如し。婆は懼(おそ)れたる目色(めざし)を客の方へ忍ばせて、
「御存じないお方なので?」
「一向知らん。人違だらうから、断(ことわ)つて返すが可い」
「さやうでございますか。それでも、貴方様のお名前を有仰(おつしや)つてお尋ね……」
「ああ、何でも可いから早く断つて」
「さやうでございますか、それではお断り申しませうかね」

     (五) の 二

 婆は鴫沢(しぎさわ)の前にその趣を述べて、投棄てられし名刺を返さんとすれば、手を後様(うしろさま)に束(つか)ねたるままに受取らで、強(し)ひて面(おもて)を和(やはら)ぐるも苦しげに見えぬ。
「ああ、さやうかね、御承知の無い訳は無いのだ。ははは、大分(だいぶ)久い前の事だから、お忘れになつたのか知れん、それでは宜(よろし)い。私(わし)が直(ぢか)にお目に掛らう。この部屋は間貫一さんだね、ああ、それでは間違無い」
 屹(き)と思案せる鴫沢の椅子ある方(かた)に進み寄れば、満枝は座を起ち、会釈して、席を薦(すす)めぬ。
「貫一さん、私(わし)だよ。久う会はんので忘れられたかのう」
 室の隅(すみ)に婆が茶の支度せんとするを、満枝は自ら行きて手を下し、或(あるひ)は指図もし、又自ら持来(もちきた)りて薦むるなど尋常の見舞客にはあらじと、鴫沢は始めてこの女に注目せるなり。貫一は知らざる如く、彼方(あなた)を向きて答へず。仔細(しさい)こそあれとは覚ゆれど、例のこの人の無愛想よ、と満枝は傍(よそ)に見つつも憫(あはれ)に可笑(をかし)かりき。
「貫一さんや、私(わし)だ。疾(とう)にも訪ねたいのであつたが、何にしろ居所が全然(さつぱり)知れんので。一昨日(おとつひ)ふと聞出したから不取敢(とりあへず)かうして出向いたのだが、病気はどうかのう。何か、大怪我(おほけが)ださうではないか」
 猶(なほ)も答のあらざるを腹立(はらだたし)くは思へど、満枝の居るを幸(さいはひ)に、
睡(ね)てをりますですかな」
「はい、如何(いかが)でございますか」
 彼はこの長者の窘(くるし)めるを傍(よそ)に見かねて、貫一が枕に近く差寄りて窺(うかが)へば、涙の顔を褥(しとね)に擦付(すりつ)けて、急上(せきあ)げ急上げ肩息(かたいき)してゐたり。何事とも覚えず驚(おどろか)されしを、色にも見せず、怪まるるをも言(ことば)に出(いだ)さず、些(ちと)の心着さへあらぬやうに擬(もてな)して、
「お客様がいらつしやいましたよ」
「今も言ひました通り、一向識(し)らん方なのですから、お還し申して下さい」
 彼は面(おもて)を伏せて又言はず、満枝は早くもその意を推(すい)して、また多くは問はず席に復(かへ)りて、
「お人違ではございませんでせうか、どうも御覚が無いと有仰(おつしや)るのでございます」
 長き髯(ひげ)を推揉(おしも)みつつ鴫沢は為方無(せんかたな)さに苦笑(にがわらひ)して、
「人違とは如何(いか)なことでも! 五年や七年会はんでも私(わし)は未(ま)だそれほど老耄(ろうもう)はせんのだ。然し覚が無いと言へばそれまでの話、覚もあらうし、人違でもなからうと思へばこそ、かうして折角会ひにも来たらうと謂ふもの。老人の私がわざわざかうして出向いて来たのでのう、そこに免じて、些(ちよつ)とでも会うて貰ひませう」
 挨拶(あいさつ)如何にと待てども、貫一は音だに立てざるなり。
「それぢや、何かい、こんなに言うても不承してはくれんのかの。ああ、さやうか、是非が無い。
 然し、貫一さん、能(よ)う考へて御覧、まあ、私たちの事をどう思うてゐらるるか知らんが、お前さんの爾来(これまで)の為方(しかた)、又今日のこの始末は、ちと妥当(おだやか)ならんではあるまいか。とにかく鴫沢の翁(をぢ)に対してかう為たものではなからうと思ふがどうであらうの。成程お前さんの方にも言分はあらう、それも聞きに来た。私の方にも少(すこし)く言分の無いではない。それも聞かせたい。然し、かうしてわざわざ尋ねて来たものであるから、此方(こちら)では既に折れて出てゐるのだ。さうしてお前さんに会うて話と謂ふは、決(けつ)して身勝手な事を言ひに来たぢやない、やはり其方(そちら)の身の上に就いて善かれと計ひたい老婆心切(ろうばしんせつ)。私の方ではその当時に在つてもお前さんを棄てた覚は無し、又今日(こんにち)も五年前も同じ考量(かんがへ)で居るのだ。それを、まあ、若い人の血気と謂ふのであらう。唯一図に思ひ込んで誤解されたのか、私は如何にも残念でならん。今日(こんにち)までも誤解されてゐるのは愈(いよい)よ心外だで、お前さんの住所の知れ次第早速出掛けて来たのだ。凡(およ)そ此方(こちら)の了簡(りようけん)を誤解されてゐるほど心苦い事は無い。人の為に謀(はか)つて、さうして僅(わづか)の行違(ゆきちがひ)から恨まれる、恩に被(き)せうとて謀つたではないが、恨まれやうとは誰(たれ)にしても思はん。で、ああして睦(むつまし)う一家族で居つて、私たちも死水を取つて貰ふ意(つもり)であつたものを、僅の行違から音信不通(いんしんふつう)の間(なか)になつて了ふと謂ふは、何ともはや浅ましい次第で、私(わし)も誠に寐覚(ねざめ)が悪からうと謂ふもの、実に姨(をば)とも言暮してゐるのだ。私の方では何処(どこ)までも旧通(もとどほ)りになつて貰うて、早く隠居でもしたいのだ。それも然しお前さんの了簡が釈(と)けんでは話が出来ん。その話は二の次としても、差当り誤解されてゐる一条だ。会うて篤と話をしたら直(ぢき)に訳は分らうと思ふで、是非一通りは聞いて貰ひたい。その上でも心が釈けん事なら、どうもそれまで。私はお前さんの親御の墓へ詣(まゐ)つて、のう、抑(そもそ)もお前さんを引取つてから今日(こんにち)までの来歴を在様陳(ありようの)べて、鴫沢はこれこれの事を為、かうかう思ひまする、けれども成行でかう云ふ始末になりましたのは、残念ながら致方が無い、と丁(ちやん)とお分疏(ことわり)を言うて、そして私は私の一分(いちぶん)を立ててから立派に縁を切りたいのだ。のう。はや五年も便(たより)を為(せ)んのだから、お前さんは縁を切つた気であらうが、私の方では未だ縁は切らんのだ。
 私は考へる、たとへばこの鴫沢の翁(をぢ)の為た事が不都合であらうか知れん、けれども間貫一たる者は唯一度の不都合ぐらゐは如何(いか)にも我慢をしてくれんければ成るまいかと思ふのだ。又その我慢が成らんならば、も少し妥当(おだやか)に事を為てもらひたかつた。私の方に言分のあると謂ふのは其処(そこ)だ。言はせればその通り私にも言分はある。然し、そんな事を言ひに来たではない、私の方にも如何様(いかさま)手落があつたで、その詫(わび)も言はうし、又昔も今も此方(こちら)には心持に異変(かはり)は無いのだから、それが第一に知らせたい。翁が久しぶりで来たのだ、のう、貫一さん、今日(こんにち)は何も言はずに清う会うてくれ」
 曾(かつ)て聞かざりし恋人が身の上の秘密よ、と満枝は奇(あやし)き興を覚えて耳を傾けぬ。
 我強(がづよ)くも貫一のなほ言(ものい)はんとはせざるに、漸(やうや)く怺(こら)へかねたる鴫沢の翁はやにはに椅子を起ちて、強(し)ひてもその顔見んと歩み寄れり。事の由は知るべきやう無けれど、この客の言(ことば)を尽せるにも理(ことわり)聞えて、無下(むげ)に打(うち)も棄てられず、されども貫一が唯涙を流して一語を出(いだ)さず、いと善く識るらん人をば覚無しと言へる、これにもなかなか所謂(いはれ)はあらんと推測(おしはから)るれば、一も二も無く満枝は恋人に与(くみ)してこの場の急を拯(すく)はんと思へるなり。
 枕頭(まくらもと)を窺(うかが)ひつつ危む如く眉を攅(あつ)めて、鴫沢の未(いま)だ言出でざる時、
私(わたくし)看病に参つてをります者でございますが、何方様(どなたさま)でゐらつしやいますか存じませんが、この一両日(いちりようにち)病人は熱の気味で始終昏々(うとうと)いたして、時々譫語(うはごと)のやうな事を申して、泣いたり、慍(おこ)つたり致すのでございますが、……」
 頭を捻向(ねぢむ)けて満枝に対せる鴫沢の顔の色は、この時故(ことさら)に解きたりと見えぬ。
「はあ、は、さやうですかな」
「先程から伺ひますれば、年来御懇意でゐらつしやるのを人違だとか申して、大相失礼を致してをるやうでございますが、やつぱり熱の加減で前後が解りませんのでございますから、どうぞお気にお懸け遊ばしませんやうに。この熱も直(ぢき)に除(と)れまするさうでございますから、又改めてお出(いで)を願ひたう存じます。今日(こんにち)は私御名刺を戴(いただ)いて置きまして、お軽快(こころよく)なり次第私から悉(くはし)くお話を致しますでございます」
「はあ、それはそれは」
「実は、何でございました。昨日もお見舞にお出で下すつたお方に変な事を申掛けまして、何も病気の事で為方(しかた)もございませんけれど、私弱りきりましたのでございます。今日(こんにち)は又如何(いかが)致したのでございますか、昨日とは全(まる)で反対であの通り黙りきつてをりますのですが、却つて無闇(むやみ)なことを申されるよりは始末が宜(よろし)いでございます」
 かくても始末は善しと謂ふかと、翁(をぢ)は打蹙(うちひそ)むべきを強(し)ひて易(か)へたるやうの笑(ゑみ)を洩(もら)せば、満枝はその言了(いひをは)せしを喜べるやうに笑ひぬ。彼は婆を呼びて湯を易へ、更に熱き茶を薦(すす)めて、再び客を席に着かしめぬ。
「さう云ふ訳では話も解りかねる。では又上る事に致しませう。手前は鴫沢隆三と申して——名刺を差上げて置きまする、これに住所も誌(しる)してあります——貴方は失礼ながらやはり鰐淵(わにぶち)さんの御親戚ででも?」
「はい、親戚ではございませんが、鰐淵さんとは父が極御懇意に致してをりますので、それに宅がこの近所でございますもので、ちよくちよくお見舞に上つてはお手伝を致してをります」
「はは、さやうで。手前は五年ほど掛違うて間とは会ひませんので、どうか去年あたり嫁を娶(もら)うたと聞きましたが、如何(いかが)いたしましたな」
 彼はこの美き看病人の素性知らまほしさに、あらぬ問をも設けたるなり。
「さやうな事はついに存じませんですが」
「はて、さうとばかり思うてをりましたに」
 容儀(かたち)人の娘とは見えず、妻とも見えず、しかも絢粲(きらきら)しう装飾(よそほひかざ)れる様は色を売る儔(たぐひ)にやと疑はれざるにはあらねど、言辞(ものごし)行儀の端々(はしはし)自(おのづか)らさにもあらざる、畢竟(ひつきよう)これ何者と、鴫沢は容易にその一斑(いつぱん)をも推(すい)し得ざるなりけり。されども、懇意と謂ふも、手伝と謂ふも、皆詐(いつはり)ならんとは想ひぬ。正(ただし)き筋の知辺(しるべ)にはあらで、人の娘にもあらず、又貫一が妻と謂ふにもあらずして、深き訳ある内証者なるべし。若(も)しさもあらば、貫一はその身の境遇とともに堕落して性根(しようね)も腐れ、身持も頽(くづ)れたるを想ふべし、とかくは好みて昔の縁を繋(つな)ぐべきものにあらず。如此(かくのごと)き輩(やから)を出入(でいり)せしむる鴫沢の家は、終(つひ)に不慮の禍(わざはひ)を招くに至らんも知るべからざるを、と彼は心中遽(にはか)に懼(おそれ)を生じて、さては彼の恨深く言(ことば)を容(い)れざるを幸(さいはひ)に、今日(こんにち)は一先(ひとまづ)立還(たちかへ)りて、尚(な)ほ一層の探索と一番の熟考とを遂(と)げて後、来(きた)る可(べ)くは再び来らんも晩(おそ)からず、と失望の裏(うち)別に幾分の得るところあるを私(ひそか)に喜べり。
「いや、これはどうも図らずお世話様に成りました。いづれ又近日改めてお目に掛りまするで、失礼ながらお名前を伺つて置きたうござりまするが」
「はい、私(わたくし)は」と紫根塩瀬(しこんしほぜ)の手提の中(うち)より小形の名刺を取出だして、
甚(はなは)だ失礼でございますが」
「はい、これは。赤樫満枝(あかがしみつえ)さまと有仰(おつしや)いますか」
 この女の素性に於(お)ける彼の疑は益(ますます)暗くなりぬ。夫有(つまも)てる身の我は顔に名刺を用意せるも似気無(にげな)し、まして裏面(うら)に横文字を入れたるは、猶可慎(なほつつまし)からず。応対の雍(しとやか)にして人馴(ひとな)れたる、服装(みなり)などの当世風に貴族的なる、或(あるひ)は欧羅巴(ヨウロッパ)的女子職業に自営せる人などならずや。但しその余(あまり)に色美(いろよ)きが、又さる際(きは)には相応(ふさはし)からずも覚えて、こは終(つひ)に一題の麗(うるはし)き謎(なぞ)を彼に与ふるに過ぎざりき。鴫沢の翁は貫一の冷遇(ぶあしらひ)に慍(いきどほ)るをも忘れて、この謎(なぞ)の為に苦められつつ病院を辞し去れり。
 客を送り出でて満枝の内に入来(いりきた)れば、ベッドの上に貫一の居丈高(ゐたけだか)に起直りて、痩尽(やせすが)れたる拳(こぶし)を握りつつ、咄々(とつとつ)、言はで忍びし無念に堪へずして、独(ひと)り疾視(しつし)の瞳(ひとみ)を凝(こら)すに会へり。

     第 六 章

 数日前(すじつぜん)より鰐淵(わにぶち)が家は燈点(あかしとも)る頃を期して、何処(いづこ)より来るとも知らぬ一人の老女(ろうによ)に訪(とは)るるが例となりぬ。その人は齢(よはひ)六十路(むそぢ)余に傾(かたふ)きて、顔は皺(しわ)みたれど膚清(はだへきよ)く、切髪(きりがみ)の容(かたち)などなかなか由(よし)ありげにて、風俗も見苦からず、唯(ただ)異様なるは茶微塵(ちやみじん)の御召縮緬(おめしちりめん)の被風(ひふ)をも着ながら、更紗(さらさ)の小風呂敷包に油紙の上掛(うはがけ)したるを矢筈(やはず)に負ひて、薄穢(うすきたな)き護謨底(ゴムぞこ)の運動靴を履(は)いたり。
 所用は折入つて主(あるじ)に会ひたしとなり。生憎(あいにく)にも来る度(たび)他出中なりけれど、本意無(ほいな)げにも見えで急ぎ帰り、飽きもせずして通ひ来るなりけり。お峯は漸(やうや)く怪しと思初(おもひそ)めぬ。
 彼のあだかも三日続けて来(きた)れる日、その挙動の常ならず、殊(こと)には眼色凄(まなざしすご)く、憚(はばかり)も無く人を目戍(まも)りては、時ならぬに独(ひと)り打笑(うちゑ)む顔の坐寒(すずろさむ)きまでに可恐(おそろし)きは、狂人なるべし、しかも夜に入(い)るを候(うかが)ひ、時をも差(たが)へず訪(おとな)ひ来るなど、我家に祟(たたり)を作(な)すにはあらずや、とお峯は遽(にはか)に懼(おそれ)を抱(いだ)きて、とても一度は会ひて、又と足踏せざらんやう、ひたすら直行にその始末を頼みければ、今日は用意して、四時頃にはや還(かへ)り来にけるなり。
「どうも貴方(あなた)、あれは気違ですよ。それでも品の良(い)いことは、些(ちよい)とまあ旗本か何かの隠居さんと謂(い)つたやうな、然し一体、鼻の高い、目の大きい、痩(や)せた面長(おもなが)な、怖(こは)い顔なんですね。戸外(おもて)へ来て案内する時のその声といふものが、実に無いんですよ。毎(いつ)でも極(きま)つて、『頼みます、はい頼みます』とかう雍(しとやか)に、緩(ゆつく)り二声言ふんで。もうもうその声を聞くと悚然(ぞつ)として、ああ可厭(いや)だ。何だつて又あんな気違なんぞが来出したんでせう。本当に縁起でもない!」
 お峯は柱なる時計を仰ぎぬ。燈(あかし)の点(とも)るには未だ間ありと見るなるべし。直行は可難(むづか)しげに眉(まゆ)を寄せ、唇(くちびる)を引結びて、
「何者か知らんて、一向心当(こころあたり)と謂うては無い。名は言はんて?」
「聞きましたけれど言ひませんの。あの様子ぢや名なんかも解りは為ますまい」
「さうして今晩来るのか」
「来られては困りますけれど、きつと来ますよ。あんなのが毎晩々々来られては耐(たま)りませんから、貴方本当に来ましたら、篤(とつく)り説諭して、もう来ないやうに作(なす)つて下さいよ」
「そりや受合へん。他(さき)が気違ぢやもの」
「気違だから私(わたし)も気味が悪いからお頼申すのぢやありませんか」
幾多(いくら)頼まれたてて、気違ぢやもの、俺(おれ)も為やうは無い」
 頼める夫(つま)のさしも思はで頼無(たのみな)き言(ことば)に、お峯は力落してかつは尠(すくな)からず心慌(あわつ)るなり。
「貴方でも可けないやうだつたらば、巡査にさう言つて引渡して遣(や)りませう」
 直行は打笑(うちわら)へり。
「まあ、そんなに騒がんとも可(え)え」
「騒ぎはしませんけれど、私は可厭ですもの」
「誰も気違の好(え)えものは無い」
「それ、御覧なさいな」
「何じや」
 知らず、その老女(ろうによ)は何者、狂か、あらざるか、合力(ごうりよく)か、物売か、将(はた)主(あるじ)の知人(しりびと)か、正体の顕(あらは)るべき時はかかる裏(うち)にも一分時毎に近(ちかづ)くなりき。
 終日(ひねもす)灰色に打曇りて、薄日をだに吝(をし)みて洩(もら)さざりし空は漸(やうや)く暮れんとして、弥増(いやま)す寒さは怪(けし)からず人に逼(せま)れば、幾分の凌(しの)ぎにもと家々の戸は例よりも早く鎖(ささ)れて、なほ稍明(ややあか)くその色厚氷(あつこほり)を懸けたる如き西の空より、隠々(いんいん)として寂き余光の遠く来(きた)れるが、遽(にはか)に去るに忍びざらんやうに彷徨(さまよ)へる巷(ちまた)の此処彼処(ここかしこ)に、軒ラムプは既に点じ了りて、新に白き焔(ほのほ)を放てり。
 一陣の風は砂を捲(ま)きて起りぬ。怪しの老女(ろうによ)はこの風に吹出(ふきいだ)されたるが如く姿を顕はせり。切髪は乱れ逆竪(さかだ)ちて、披払(はたはた)と飄(ひるがへ)る裾袂(すそたもと)に靡(なびか)されつつ漂(ただよは)しげに行きつ留りつ、町の南側を辿(たど)り辿りて、鰐淵が住へる横町に入(い)りぬ。銃槍(じゆうそう)の忍返(しのびがへし)を打ちたる石塀(いしべい)を溢(あふ)れて一本(ひともと)の梅の咲誇れるを、斜(ななめ)に軒ラムプの照せるがその門(かど)なり。
 彼は殆(ほとん)ど我家に帰り来(きた)れると見ゆる態度にて、※々(つかつか)と寄りて戸を啓(あ)けんとしたれど、啓かざりければ、かの雍(しとやか)に緩(ゆる)しと謂ふ声して、
「頼みます、はい、頼みます」
 風は※々(ひようひよう)と鳴りて過ぎぬ。この声を聞きしお峯は竦(すく)みて立たず。
「貴方、来ましたよ」
「うん、あれか」
 実(げ)に直行も気味好からぬ声とは思へり。小鍋立(こなべだて)せる火鉢(ひばち)の角(かど)に猪口(ちよく)を措(お)き、燈(あかし)を持(も)て来よと婢(をんな)に命じて、玄関に出でけるが、先(ま)づ戸の内より、
「はい何方(どなた)ですな」
旦那(だんな)はお宅でございませうか」
「居りますが、何方(どなた)で」
 答はあらで、呟(つぶや)くか、※(ささや)くか、小声ながら頻(しきり)に物言ふが聞ゆるのみ。
何方(どなた)ですか、お名前は何と有仰(おつしや)るな」
「お目に掛れば解ります。何に致せ、おおお、まあ、梅が好く咲きましたぢやございませんか。当日の挿花(はな)はやつぱりこの梅が宜(よろし)からうと存じます。さあ、どうぞ此方(こちら)へお入り下さいまし、御遠慮無しに、さあ」
 啓(あ)けんとせしに啓かざれば、彼は戸を打叩(うちたた)きて劇(はげし)く案内(あない)す。さては狂人なるよと直行も迷惑したれど、このままにては逐(お)ふとも立去るまじきに、一度(ひとたび)は会うてとにもかくにも為(せ)んと、心ならずも戸を開けば、聞きしに差(たが)はぬ老女(ろうによ)は入来(いりきた)れり。
「鰐淵は私(わし)じやが、何ぞ用かな」
「おお、おまへが鰐淵か!」
 つと乗出(のりいだ)してその面(おもて)に瞳(ひとみ)を据ゑられたる直行は、鬼気に襲はれて忽(たちま)ち寒く戦(をのの)けるなり。熟(つくづ)くと見入る眼(まなこ)を放つと共に、老女は皺手(しわで)に顔を掩(おほ)ひて潜々(さめざめ)と泣出(なきいだ)せり。呆(あき)れ果てたる直行は金壺眼(かなつぼまなこ)を凝(こら)してその泣くを眺むる外はあらざりけり。
 彼は泣きて泣きて止まず。
「解らんな! 一体どう云ふんか、ああ、私(わし)に用と云ふのは?」
 朽木の自(おのづか)ら頽(くづ)れ行くらんやうにも打萎(うちしを)れて見えし老女は、猛然(もうねん)として振仰ぎ、血声を搾(しぼ)りて、
「この大騙(おほかたり)め!」
「何ぢやと!」
「大、大悪人! おのれのやうな奴が懲役に行かずに、内の……内の……雅之(まさゆき)のやうな孝行者が……先祖を尋ぬれば、甲斐国(かいのくに)の住人武田大膳太夫(たけだだいぜんだゆう)信玄入道(しんげんにゆうどう)、田夫野人(でんぷやじん)の為に欺かれて、このまま断絶する家へ誰が嫁に来る。柏井(かしわい)の鈴(すう)ちやんがお嫁に来てくれれば、私(わたし)の仕合は言ふまでもない、雅之もどんなにか嬉からう。子を捨てる藪(やぶ)は有つても、懲役に遣る親は無いぞ。二十七にはなつても世間不見(みず)のあの雅之、能(よ)うも能うもおのれは瞞(だま)したな! さあ、さあさ讐(かたき)を討つから立合ひなさい」
 直行は舌を吐きて独語(ひとりご)ちぬ。
「あ、いよいよ気違じやわい」
 見る見る老女の怒(いかり)は激して、形相(ぎようそう)漸くおどろおどろしく、物怪(もののけ)などの※(つ)いたるやうに、一挙一動も全くその人ならず、足を踏鳴し踏鳴し、白歯の疎(まばら)なるを牙(きば)の如く露(あらは)して、一念の凝(こ)れる眸(まなじり)は直行の外(ほか)を見ず、
歿(なくな)られた良人(つれあひ)から懇々(くれぐれ)も頼まれた秘蔵の秘蔵の一人子(ひとりつこ)、それを瞞しておのれが懲役に遣つたのだ。此方(このほう)を女と侮(あなど)つてさやうな不埒(ふらち)を致したか。長刀(なぎなた)の一手も心得てゐるぞよ。恐入つたか」
 彼は忽(たちま)ちさも心地快(ここちよ)げに笑へり。
「さうあらうとも、赦(ゆる)します。内には鈴(すう)ちやんが今日を曠(はれ)と着飾つて、その美しさと謂ふものは! ほんにまああんな縹致(きりよう)と云ひ、気立と云ひ、諸芸も出来れば、読(よみ)、書(かき)、針仕事(はりしごと)、そんなことは言つてゐるところではない。頸(くび)を長くして待つてお在(いで)だのに、早く帰つて来ないと云ふ法が有るものですか。大きにまあお世話様でございましたね、さあさ、馬車を待たして置いたから、履物(はきもの)はここに在るよ。なあに、おまへ私はね、※車(きしや)で行くから訳は無いとも」
 かく言ふ間も忙(せは)しげに我が靴を脱ぎて、其処(そこ)に直すと見れば、背負ひし風呂敷包の中結(なかゆひ)を釈きて、直行が前に上掛(うはがけ)の油紙を披(ひろ)げたり。
「さあさ、お前の首をこの中へ入れるのだ。ころつと落して。直(ぢき)に落ちるから、早く落してお了ひなさい」
 さすがに持扱(もてあつか)ひて直行の途方に暮れたるを、老女は目を纖(ほそ)めて、何処(いづこ)より出づらんやとばかり世にも奇(あやし)き声を発(はな)ちて緩(ゆる)く笑ひぬ。彼は謂知(いひし)らぬ凄気(せいき)に打れて、覚えず肩を聳(そびや)かせり。
 懲役と言ひ、雅之と言ふに因(よ)りて、彼は始めてこの狂女の身元を思合せぬ。彼の債務者なる飽浦雅之(あくらまさゆき)は、私書偽造罪を以(も)つて彼の被告としてこの十数日前(ぜん)、罰金十円、重禁錮(じゆうきんこ)一箇年に処せられしなり。実(げ)にその母なり。その母はこれが為に乱心せしか。
 爾思(しかおも)へりしのみにて直行はその他に猶(なほ)も思ふべき事あるを思ふを欲せざりき。雅之の私書偽造罪をもて刑せられしは事実の表にして、その罪は裏面に彼の謀(はか)りて陥れたるなり。
 彼等の用ゐる悪手段の中(うち)に、人の借(か)るを求めて連帯者を得るに窮するあれば、その一判にても話合(はなしあひ)の上は貸さんと称(とな)へて先(ま)づ誘(いざな)ひ、然(しか)る後、但(ただ)し証書の体(てい)を成さしめんが為、例の如く連帯者の記名調印を要すればとて、仮に可然(しかるべ)き親族知己(しるべ)などの名義を私用して、在合ふ印章を捺(お)さしめ、固(もと)より懇意上の内約なればその偽(いつはり)なるを咎(とが)めず、と手軽に持掛けて、実は法律上有効の証書を造らしむるなり。借方もかかる所業の不義なるを知るといへども、一(いつ)は焦眉(しようび)の急に迫り、一(いつ)は期限内にだに返弁せば何事もあらじと姑息(こそく)して、この術中には陥るなりけり。
 期に※(およ)びて還さざらんか、彼は忽(たちま)ち爪牙(そうが)を露(あらは)し、陰に告訴の意を示してこれを脅(おびやか)し、散々に不当の利を貪(むさぼ)りて、その肉尽き、骨枯るるの後、猶(な)ほ※(あ)く無き慾は、更に件(くだん)の連帯者に対して寝耳に水の強制執行を加ふるなり。これを表沙汰(おもてざた)にせば債務者は論無う刑法の罪人たらざるべからず、ここに於(おい)て誰(たれ)か恐慌し、狼狽(ろうばい)し、悩乱し、号泣し、死力を竭(つく)して七所借(ななとこがり)の調達(ちようだつ)を計らざらん。この時魔の如き力は喉(のんど)を扼(やく)してその背を※(う)つ、人の死と生とは渾(すべ)て彼が手中に在りて緊握せらる、欲するところとして得られざるは無し。
 雅之もこの※(わな)に繋(かか)りて学友の父の名を仮りて連印者に私用したりき。事の破綻(はたん)に及びて、不幸にも相識れる学友は折から海外に遊学して在らず、しかも父なる人は彼を識らざりしより、その間の調停成らずして、彼の行為は終(つひ)に第二百十条の問ふところとなりぬ。
 法律は鉄腕の如く雅之を拉(らつ)し去りて、剰(あまつ)さへ杖(つゑ)に離れ、涙に蹌(よろぼ)ふ老母をば道の傍(かたはら)に※返(けかへ)して顧ざりけり。噫(ああ)、母は幾許(いかばかり)この子に思を繋(か)けたりけるよ。親に仕(つか)へて、此上無(こよな)う優かりしを、柏井(かしわい)の鈴(すず)とて美き娘をも見立てて、この秋には妻(めあは)すべかりしを、又この歳暮(くれ)には援(ひ)く方(かた)有りて、新に興るべき鉄道会社に好地位を得んと頼めしを、事は皆休(や)みぬ、彼は人の歯(よはひ)せざる国法の罪人となり了(をは)れり。耻辱(ちじよく)、憤恨、悲歎、憂愁、心を置惑ひてこの母は終に発狂せるなり。
 無益(むやく)に言(ことば)を用ゐんより、唯手柔(ただてやはらか)に撮(つま)み出すに如(し)かじと、直行は少しも逆(さから)はずして、
「ああ宜(よろし)いが。この首が欲いか、遣らうとも遣らうとも、ここでは可かんから外(おもて)へ行かう。さあ一処に来た」
 狂女は苦々しげに頭(かしら)を掉(ふ)りて、
「お前さんの云ふことは皆妄(うそ)だ。その手で雅之を瞞(だま)したのだらう。それ、それ見なさい、親孝行の、正直者の雅之を瞞着(だまくらか)して、散々金を取つた上に懲役に遣つたに相違無いと云ふ一札(いつさつ)をこの通り入れたぢやないか、これでも未(ま)だ※(しらじら)しい顔をしてゐるのか」
 打披(うちひろ)げたりし油紙を取りて直行の目先へ突付くれば、何を包みし移香(うつりが)にや、胸悪き一種の腥気(せいき)ありて夥(おびただし)く鼻を撲(う)ちぬ。直行は猶(なほ)も逆はで已(や)む無く面(おもて)を背(そむ)けたるを、狂女は目を※(みは)りつつ雀躍(こをどり)して、
「おおおお、あれあれ! これは嬉(うれし)い、自然とお前さんの首が段々細くなつて来る。ああ、それそれ、今にもう落ちる」
 地には落さじとやうに慌(あわ)て※(ふため)き、油紙もて承けんと為(せ)る、その利腕(ききうで)をやにはに捉(とら)へて直行は格子(こうし)の外へ※(おしだ)さんと為たり。彼は推(おさ)れながら格子に縋(すが)りて差理無理(しやりむり)争ひ、
「ええ、おのれは他(ひと)をこの崖(がけ)から突落す気だな。この老婦(としより)を騙討(だましうち)に為るのだな」
 喚(わめ)きつつ身を捻返(ねぢかへ)して、突掛けし力の怪き強さに、直行は踏辷(ふみすべ)らして尻居に倒るれば、彼は囃(はや)し立てて笑ふなり。忽(たちま)ち起上りし直行は彼の衿上(えりがみ)を掻掴(かいつか)みて、力まかせに外方(とのかた)へ突遣(つきや)り、手早く雨戸を引かんとせしに、軋(きし)みて動かざる間(ひま)に又駈戻(かけもど)りて、狂女はその凄(すさまし)き顔を戸口に顕(あら)はせり。余りの可恐(おそろ)しさに直行は吾を忘れてその顔をはたと撲(う)ち、痿(ひる)むところを得たりと鎖(とざ)せば、外より割るるばかりに戸を叩きて、
「さあ、首を渡せ。大事な証文も取上げて了つたな、大事な靴も取つたな。靴盗坊(くつどろぼう)、大騙(おほかたり)! 首を寄来(よこ)せ」
 直行は佇(たたず)みて様子を候(うかが)ひゐたり。抜足差足(ぬきあしさしあし)忍び来(きた)れる妻は、後より小声に呼びて、
「貴方、どうしました」
 夫は戸の外を指(ゆびさ)してなほ去らざるを示せり。お峯は土間に護謨靴(ゴムぐつ)と油紙との遺散(おちち)れるを見付けて、由無(よしな)き質を取りけるよと思(おも)ひ煩(わづら)へる折しも、
「頼みます、はい、頼みますよ」
 と例の声は聞えぬ。お峯は胴顫(どうぶるひ)して、長くここに留(とどま)るに堪へず、夫を勧めて奥に入(い)りにけり。
 戸叩く音は後(のち)も撓(たゆ)まず響きたりしが、直行の裏口より出でて窺(うかが)ひける時は、風吹荒(ふきすさ)ぶ門(かど)の梅の飛雪(ひせつ)の如く乱点して、燈火の微(ほのか)に照す処その影は見えざるなりき。
 次の日も例刻になれば狂女は又訪(と)ひ来れり。主(あるじ)は不在なりとて、婢(をんな)をして彼の遺(のこ)せし二品(ふたしな)を返さしめけるに、前夜の暴(あ)れに暴れし気色(けしき)はなくて、殊勝に聞分けて帰り行きぬ。
 お峯はその翌日も必ず来(きた)るべきを懼(おそ)れて夫の在宅を請ひけるが、果して来にけり。又試に婢(をんな)を出(いだ)して不在の由(よし)を言はしめしに、こたびは直(ぢき)に立去らで、
「それぢやお帰来(かへり)までここでお待ち申しませう。実はね、是非お受取申す品があるので、それを持つて帰りませんと都合が悪いのですから、幾日でもお待ち申しますよ」
 彼は戸口(かどぐち)に蹲(うづくま)りて動かず。婢は様々に言作(いひこしら)へて賺(すか)しけれど、一声も耳には入(い)らざらんやうに、石仏(いしぼとけ)の如く応ぜざるなり。彼は已(や)む無くこれを奥へ告げぬ。直行も為(せ)ん術(すべ)あらねば棄措(すてお)きたりしに、やや二時間も居て見えずなりぬ。
 お峯は心苦(こころぐるし)がりて、この上は唯警察の手を借らんなど噪(さわ)ぐを、直行は人を煩(わづらは)すべき事にはあらずとて聴かず。さらば又と来ざらんやうに逐払(おひはら)ふべき手立(てだて)のありやと責むるに、害を為(な)すにもあらねば、宿無犬(やどなしいぬ)の寝たると想ひて意(こころ)に介(かく)るなとのみ。意(こころ)に介(か)くまじき如きを故(ことさら)に夫には学ばじ、と彼は腹立(はらだたし)く思へり。この一事(いちじ)のみにあらず、お峯は常に夫の共に謀(はか)ると謂ふこと無くて、女童(をんなわらべ)と侮(あなど)れるやうに取合はぬ風あるを、口惜(くちをし)くも可恨(うらめし)くも、又或時は心細さの便無(たよりな)き余に、神を信ずる念は出でて、夫の頼むに足らざるところをば神明(しんめい)の冥護(みようご)に拠(よ)らんと、八百万(やほよろづ)の神といふ神は差別無(しやべつな)く敬神せるが中にも、ここに数年前(ぜん)より新に神道の一派を開きて、天尊教と称ふるあり。神体と崇(あが)めたるは、その光紫の一大明星(みようじよう)にて、御名(おんな)を大御明尊(おおみあかりのみこと)と申す。天地渾沌(てんちこんとん)として日月(じつげつ)も未(いま)だ成らざりし先高天原(たかまがはら)に出現ましませしに因(よ)りて、天上天下万物の司(つかさ)と仰ぎ、諸(もろもろ)の足らざるを補ひ、総(すべ)て欠けたるを完(まつた)うせしめんの大御誓(おほみちかひ)をもて国土百姓を寧(やすらけ)く恵ませ給ふとなり。彼は夙(つと)に起信して、この尊をば一身一家(いつけ)の守護神(まもりがみ)と敬ひ奉り、事と有れば祈念を凝(こら)して偏(ひとへ)に頼み聞ゆるにぞありける。
 この夜は別して身を浄(きよ)め、御燈(みあかし)の数を献(ささ)げて、災難即滅、怨敵退散(おんてきたいさん)の祈願を籠(こ)めたりしが、翌日(あくるひ)の点燈頃(ひともしごろ)ともなれば、又来にけり。夫は出でて未(いま)だ帰らざれば、今日若(も)し罵(ののし)り噪(さわ)ぎて、内に躍入(をどりい)ることもやあらば如何(いかに)せんと、前後の別(わかれ)知らぬばかりに動顛(どうてん)して、取次には婢を出(いだ)し遣(や)り、躬(みづから)は神棚(かみだな)の前に駈着(かけつ)け、顫声(ふるひごゑ)を打揚(うちあ)げ、丹精を抽(ぬきん)でて祝詞(のりと)を宣(の)りゐたり。狂女は不在と聞きて敢(あへ)て争はず、昨日(きのふ)の如く、ここにて帰来(かへり)を待たんとて、同(おなじ)き処に同き形して蹲(うづくま)れり。婢は格子を鎖(さ)し固めて内に入(い)りけるが、暫(しばら)くは音も為ざりしに、遽(にはか)に物語る如き、或(あるひ)は罵(ののし)る如き声の頻(しきり)に聞ゆるより主(あるじ)の知らで帰来(かへりき)て、捉(とら)へられたるにはあらずや、と台所の小窓より差覗(さしのぞ)けば、彼の外には人も在らぬに、在るが如く語るなり。その語るところは婢の耳に聞分けかねたれど、我子がここの主(あるじ)に欺かれて無実の罪に陥されし段々を、前後不揃(あとさきぶぞろひ)に泣いつ怒りつ訴ふるなり。

     第 七 章

 子の讐(かたき)なる直行が首を獲(え)んとして夕々(ゆふべゆふべ)に狂女の訪ひ来ること八日に※(およ)べり。浅ましとは思へど、逐(お)ひて去らしむべきにあらず、又門口(かどぐち)に居たりとて人を騒がすにもあらねば、とにもかくにも手を着けかねて棄措(すておか)るるなりき。直行が言へりし如く、畢竟(ひつきよう)彼は何等の害をも加ふるにあらざれば、犬の寝たると太(はなは)だ択(えら)ばざるべけれど、縮緬(ちりめん)の被風(ひふ)着たる人の形の黄昏(たそが)るる門の薄寒きに踞(つくば)ひて、灰色の剪髪(きりがみ)を掻乱(かきみだ)し、妖星(ようせい)の光にも似たる眼(まなこ)を睨反(ねめそら)して、笑ふかと見れば泣き、泣くかと見れば憤(いか)り、己(おのれ)の胸のやうに際(そこひ)も知らず黒く濁れる夕暮の空に向ひてその悲(かなしみ)と恨とを訴へ、腥(なまぐさ)き油紙を拈(ひね)りては人の首を獲んを待つなる狂女! よし今は何等の害を加へずとも、終(つひ)にはこの家に祟(たたり)を作(な)すべき望を繋(か)くるにあらずや。人の執着の一念は水をも火と成し、山をも海と成し、鉄を劈(つんざ)き、巌(いはほ)を砕くの例(ためし)、ましてや家を滅(めつ)し、人を鏖(みなごろし)にすなど、塵(ちり)を吹くよりも易(やす)かるべきに、可恐(おそろ)しや事無くてあれかしと、お峯は独(ひと)り謂知(いひし)らず心を傷(いた)むるなり。
 夫は決(け)して雅之の私書偽造を己(おのれ)の陥れし巧(たくみ)なりとは彼に告げざれば、悪は正(まさし)く狂女の子に在りて、此方(こなた)に恨を受くべき筋は無く、自(おのづか)らかかる事も出来(いでく)るは家業の上の勝負にて、又一方には貸倒(かしだふれ)の損耗あるを思へば、所詮(しよせん)仆(たふ)し、仆さるるは商(あきなひ)の習と、お峯は自(おのづか)ら意(こころ)を強うして、この老女(ろうによ)の狂(くるひ)を発せしを、夫の為(な)せる業(わざ)とは毫(つゆ)も思ひ寄(よす)るにあらざりき。さは謂(い)へ、人の親の切なる情(なさけ)を思へば、実(げ)にさぞと肝に徹(こた)ふる節無(ふしな)きにもあらざるめり。大方かかる筋より人は恨まれて、奇(あやし)き殃(わざはひ)にも遭(あ)ふなればと唯思過(ただおもひすご)されては窮無(きはまりな)き恐怖(おそれ)の募るのみ。
 日に日に狂女の忘れず通ひ来るは、陰ながら我等の命を絶たんが為にて、多時(しばらく)門(かど)に居て動かざるは、その妄執(もうしゆう)の念力(ねんりき)を籠(こ)めて夫婦を呪(のろ)ふにあらずや、とほとほと信ぜらるるまでにお峯が夕暮の心地は譬(たと)へん方無く悩されぬ。されば狂女の門(かど)に在る間は、大御明尊(おおみあかしのみこと)の御前(おんまへ)に打頻(うちしき)り祝詞(のりと)を唱ふるにあらざれば凌(しの)ぐ能(あた)はず。かかる中(うち)にも心に些(ちと)の弛(ゆるみ)あれば、煌々(こうこう)と耀(かがや)き遍(わた)れる御燈(みあかし)の影(かげ)遽(にはか)に晦(くら)み行きて、天尊(てんそん)の御像(みかたち)も朧(おぼろ)に消失(きえう)せなんと吾目(わがめ)に見ゆるは、納受(のうじゆ)の恵に泄(も)れ、擁護(おうご)の綱も切れ果つるやと、彼は身も世も忘るるばかりに念を籠(こ)め、烟(けむり)を立て、汗を流して神慮を驚かすにぞありける。槍(やり)は降りても必ず来(く)べし、と震摺(おぢおそ)れながら待たれし九日目の例刻になりぬれど、如何(いか)にしたりけん狂女は見えず。鋭く冱返(さえかへ)りたるこの日の寒気は鍼(はり)もて膚(はだへ)に霜を種(う)うらんやうに覚えしめぬ。外には烈風(はげしきかぜ)怒(いか)り号(さけ)びて、樹を鳴し、屋(いへ)を撼(うごか)し、砂を捲(ま)き、礫(こいし)を飛して、曇れる空ならねど吹揚げらるる埃(ほこり)に蔽(おほは)れて、一天晦(くら)く乱れ、日色(につしよく)黄(き)に濁りて、殊(こと)に物可恐(ものおそろし)き夕暮の気勢(けはひ)なり。
 鰐淵が門(かど)の燈(ともし)は硝子(ガラス)を二面まで吹落されて、火は消え、ラムプは覆(くつがへ)りたり。内の燈火(あかし)は常より鮮(あざやか)に主(あるじ)が晩酌の喫台(ちやぶだい)を照し、火鉢(ひばち)に架(か)けたる鍋(なべ)の物は沸々(ふつふつ)と薫(くん)じて、はや一銚子(ひとちようし)更(か)へたるに、未(いま)だ狂女の音容(おとづれ)はあらず。お峯は半(なかば)危みつつも幾分の安堵(あんど)の思を弄(もてあそ)び喜ぶ風情(ふぜい)にて、
「気違さんもこの風には弱つたと見えますね。もう毎(いつ)もきつと来るのに来ませんから、今夜は来やしますまい、何ぼ何でもこの風ぢや吹飛されて了(しま)ひませうから。ああ、真(ほん)に天尊様の御利益(ごりやく)があつたのだ」
 夫が差せる猪口(ちよく)を受けて、
「お相(あひ)をしませうかね。何は無くともこんな好い心持の時に戴(いただ)くとお美(いし)いものですね。いいえ、さう続けてはとても……まあ、貴方(あなた)。おやおやもう七時廻つたんですよ。そんなら断然(いよいよ)今晩は来ないと極(きま)りましたね。ぢや、戸締(とじまり)を為(さ)して了ひませうか、真(ほん)に今晩のやうな気の霽々(せいせい)した、心(しん)の底から好い心持の事はありませんよ。あの気違さんぢやどんなに寿(いのち)を短(ちぢ)めたか知れはしません。もうこれきり来なくなるやうに天尊様へお願ひ申しませう。はい、戴きませう。御酒(ごしゆ)もお美(いし)いものですね。なあにあの婆さんが唯怖(ただこは)いのぢやありませんよ。それは気味(きび)は悪うございますけれどもさ、怖いより、気味が悪いより、何と無く凄(すご)くて耐(たま)らないのです。あれが来ると、悚然(ぞつ)と、惣毛竪(そうけだ)つて体(からだ)が竦(すく)むのですもの、唯の怖いとは違ひますわね。それが、何だか、かう執着(とつつか)れでもするやうな気がして、あの、それ、能(よ)く夢で可恐(おそろし)い奴なんぞに追懸(おつか)けられると、迯(に)げるには迯げられず、声を出さうとしても出ないので、どうなる事かと思ふ事がありませう、とんとあんなやうな心持なんで。ああ、もうそんな話は止しませう。私は少し酔ひました」
 銚子を更(か)へて婢(をんな)の持来(もちきた)れば、
金(きん)や、今晩は到頭来ないね、気違さんさ」
「好い塩梅(あんばい)でございます」
「お前には後でお菓子を御褒美(ごほうび)に出すからね。貴方(あなた)、これはあの気違さんとこの頃懇意になつて了ひましてね。気違の取次は金に限るのです」
「あら可厭(いや)なことを有仰(おつしや)いまし」
 吹来(ふききた)り、吹去る風は大浪(おほなみ)の寄せては返す如く絶間無く轟(とどろ)きて、その劇(はげし)きは柱などをひちひちと鳴揺(なりゆる)がし、物打倒す犇(ひしめ)き、引断(ひきちぎ)る音、圧折(へしお)る響は此処彼処(ここかしこ)に聞えて、唯居るさへに胆(きも)は冷(ひや)されぬ。長火鉢には怠らず炭を加へ加へ、鉄瓶(てつびん)の湯気は雲を噴(は)くこと頻(しきり)なれど、更に背面を圧する寒(さむさ)は鉄板(てつぱん)などや負はさるるかと、飲めども多く酔(ゑ)ひ成さざるに、直行は後を牽(ひ)きて已(や)まず、お峯も心祝(こころいはひ)の数を過して、その地顔の赭(あか)きをば仮漆布(ニスし)きたるやうに照り耀(かがやか)して陶然たり。
 狂女は果して来(こ)ざりけり。歓(よろこ)び酔(ゑ)へるお峯も唯酔(ゑ)へる夫も、褒美貰(もら)ひし婢も、十時近き比(ころほひ)には皆寐鎮(ねしづま)りぬ。
 風は猶(なほ)も邪(よこしま)に吹募りて、高き梢(こずゑ)は箒(ははき)の掃くが如く撓(たわ)められ、疎(まばら)に散れる星の数は終(つひ)に吹下(ふきおろ)されぬべく、層々凝(こ)れる寒(さむさ)は殆(ほとん)ど有らん限の生気を吸尽して、さらぬだに陰森たる夜色は益(ますま)す冥(くら)く、益す凄(すさまじ)からんとす。忽(たちま)ちこの黒暗々を劈(つんざ)きて、鰐淵が裏木戸の辺(あたり)に一道(いちどう)の光は揚りぬ。低く発(おこ)りて物に遮(さへぎ)られたれば、何の火とも弁(わきま)へ難くて、その迸発(ほとばしり)の朱(あか)く烟(けむ)れる中に、母家(もや)と土蔵との影は朧(おぼろ)に顕(あらは)るるともなく奪はれて、瞬(またた)くばかりに消失せしは、風の強きに吹敷れたるなり。やや有りて、同じほどの火影の又映(うつろ)ふと見れば、早くも薄れ行きて、こたびは燃えも揚らず、消えも遣らで、少時(しばし)明(あかり)を保ちたりしが、風の僅(わづか)の絶間を偸(ぬす)みて、閃々(ひらひら)と納屋(なや)の板戸を伝ひ、始めて騰(のぼ)れる焔(ほのほ)は炳然(へいぜん)として四辺(あたり)を照せり。塀際(へいぎは)に添ひて人の形(かたち)動くと見えしが、なほ暗くて了然(さだか)ならず。
 数息(すそく)の間にして火の手は縦横に蔓(はびこ)りつつ、納屋の内に乱入れば、噴出(ふきい)づる黒烟(くろけふり)の渦は或(あるひ)は頽(くづ)れ、或は畳みて、その外を引※(ひきつつ)むとともに、見え遍(わた)りし家も土蔵も堆(うづたか)き黯※(あんたん)の底に没して、闇は焔に破られ、焔は烟(けふり)に揉立(もみた)てられ、烟(けむり)は更に風の為に砕かれつつも、蒸出す勢の夥(おびただし)ければ、猶ほ所狭(ところせ)く漲(みなぎ)りて、文目(あやめ)も分かず攪乱(かきみだ)れたる中より爆然と鳴りて、天も焦げよと納屋は一面の猛火と変じてけり。かの了然(さだか)ならざりし形はこの時明(あきらか)に輝かされぬ。宵に来(く)べかりし狂女の佇(たたず)めるなり。躍(をど)り狂ふ烟の下に自若として、面(おもて)も爛(ただ)れんとすばかりに照されたる姿は、この災を司る鬼女などの現れ出でにけるかと疑はしむ。実(げ)に彼は火の如何(いか)に焚(も)え、如何に燬(や)くや、と厳(おごそか)に監(み)るが如く眥(まなじり)を裂きて、その立てる処を一歩も移さず、風と烟と焔(ほのほ)との相雑(あひまじは)り、相争(あひあらそ)ひ、相勢(あひきほ)ひて、力の限を互に奮(ふる)ふをば、妙(いみじ)くも為(し)たりとや、漫(そぞろ)笑(ゑみ)を洩(もら)せる顔色(がんしよく)はこの世に匹(たぐ)ふべきものありとも知らず。
 風の暴頻(あれしき)る響動(どよみ)に紛れて、寝耳にこれを聞着(ききつく)る者も無かりければ、誰一人出(いで)て噪(さわ)がざる間に、火は烈々(めらめら)と下屋(げや)に延(し)きて、厨(くりや)の燃立つ底より一声叫喚(きようかん)せるは誰(たれ)、狂女は※々(きき)として高く笑ひぬ。

     (七) の 二

 人々出合ひて打騒(うちさわ)ぐ比(ころほひ)には、火元の建物の大半は烈火となりて、土蔵の窓々より焔(ほのほ)を出(いだ)し、はや如何(いか)にとも為んやうあらざるなり。さしもの強風(ごうふう)なりしかど、消防力(つと)めたりしに拠(よ)りて、三十幾戸を焼きしのみにて、午前二時に※(およ)びて鎮火するを得たり。雑踏の裏(うち)より怪き奴は早くも拘引せられしと伝へぬ。かの狂女の去りも遣(やら)ざりしが捕(とらは)れしなり。
 火元と認定せらるる鰐淵方(わにぶちかた)は塵一筋(ちりひとすぢ)だに持出(もちいだ)さずして、憐(あはれ)むべき一片の焦土を遺(のこ)したるのみ。家族の消息は直(ただ)ちに警察の訊問(じんもん)するところとなりぬ。婢(をんな)は命辛々(からがら)迯了(にげおほ)せけれども、目覚むると斉(ひとし)く頭面(まくらもと)は一面の火なるに仰天し、二声三声奥を呼捨(よびすて)にして走り出(い)でければ、主(あるじ)たちは如何(いか)になりけん、知らずと言ふ。夜明けぬれど夫婦の出で来ざりけるは、過(あやまち)など有りしにはあらずやと、警官は出張して捜索に及べり。
 熱灰(ねつかい)の下より一体の屍(かばね)の半(なかば)焦爛(こげただ)れたるが見出(みいだ)されぬ。目も当てられず、浅ましう悒(いぶせ)き限を尽したれど、主(あるじ)の妻と輙(たやす)く弁ぜらるべき面影(おもかげ)は焚残(やけのこ)れり。さてはとその邇(ちか)くを隈無(くまな)く掻起(かきおこ)しけれど、他に見当るものは無くて、倉前と覚(おぼし)き辺(あたり)より始めて焦壊(こげくづ)れたる人骨を掘出(ほりいだ)せり。酔(ゑ)ひて遁惑(にげまど)ひし故(ゆゑ)か、貪(むさぼ)りて身を忘れし故か、とにもかくにも主夫婦(あるじふうふ)はこの火の為に落命せしなり。家屋も土蔵も一夜の烟(けふり)となりて、鰐淵の跡とては赤土と灰との外に覓(もと)むべきものもあらず、風吹迷ふ長烟短焔(ちようえんたんえん)の紛糾する処に、独(ひと)り無事の形を留めたるは、主が居間に備へ付けたりし金庫のみ。
 別居せる直道(ただみち)は旅行中にて未(いま)だ還(かへ)らず、貫一はあだかもお峯の死体の出でし時病院より駈着(かけつ)けたり。彼は三日の後には退院すべき手筈(てはず)なりければ、今は全く癒(い)えて務を執るをも妨げざれど、事の極(きは)めて不慮なると、急激なると、瑣小(さしよう)ならざるとに心惑(こころまどひ)のみせられて、病後の身を以(も)てこれに当らんはいと苦(くるし)かりけるを、尽瘁(じんすい)して万端を処理しつつ、ひたすら直道の帰京を待てり。
 枕をも得挙(えあ)げざりし病人の今かく健(すこやか)に起きて、常に来ては親く慰められし人の頑(かたくな)にも強かりしを、空(むなし)く燼余(じんよ)の断骨に相見(あひみ)て、弔ふ言(ことば)だにあらざらんとは、貫一の遽(にはか)にその真(まこと)をば真とし能(あた)はざるところなりき。人は皆死ぬべきものと人は皆知れるなり。されどもその常に相見る人の死ぬべきを思ふ能はず。貫一はこの五年間の家族を迫(せ)めての一人も余さず、家倉と共に焚尽(やきつく)されて一夜の中に儚(はかな)くなり了(をは)れるに会ひては、おのれが懐裡(ふところ)の物の故無(ゆゑな)く消失せにけんやうにも頼み難く覚えて、かくては我身の上の今宵如何(いか)に成りなんをも料(はか)られざるをと、無常の愁は頻(しきり)に腸(はらわた)に沁(し)むなりけり。
 住むべき家の痕跡(あとかた)も無く焼失せたりと謂(い)ふだに、見果てぬ夢の如し、まして併(あは)せて頼めし主(あるじ)夫婦を喪(うしな)へるをや、音容(おんよう)幻(まぼろし)を去らずして、ほとほと幽明の界(さかひ)を弁ぜず、剰(あまつさ)へ久く病院の乾燥せる生活に困(こう)じて、この家を懐(おも)ふこと切なりければ、追慕の情は極(きはま)りて迷執し、迫(せ)めては得るところもありやと、夜の晩(おそ)きに貫一は市(いち)ヶ谷(や)なる立退所(たちのきじよ)を出でて、杖(つゑ)に扶(たす)けられつつ程遠からぬ焼跡を弔へり。
 連日風立ち、寒かりしに、この夜は遽(にはか)に緩(ゆる)みて、朧(おぼろ)の月の色も暖(あたたか)に、曇るともなく打霞(うちかす)める町筋は静に眠れり。燻臭(いぶりくさ)き悪気は四辺(あたり)に充満(みちみ)ちて、踏荒されし道は水に※(しと)り燼(もえがら)に埋(うづも)れ、焼杭(やけくひ)焼瓦(やけがはら)など所狭く積重ねたる空地(くうち)を、火元とて板囲(いたがこひ)も得為(えせ)ず、それとも分かぬ焼原の狼藉(ろうぜき)として、鰐淵が家居(いへゐ)は全く形を失へるなり。黒焦に削れたる幹(みき)のみ短く残れる一列(ひとつら)の立木の傍(かたはら)に、塊(つちくれ)堆(うづたか)く盛りたるは土蔵の名残(なごり)と踏み行けば、灰燼の熱気は未(いま)だ冷めずして、微(ほのか)に面(おもて)を撲(う)つ。貫一は前杖(まへづゑ)※(つ)いて悵然(ちようぜん)として佇(たたず)めり。その立てる二三歩の前は直行が遺骨を発(おこ)せし所なり。恨むと見ゆる死顔の月は、肉の片(きれ)の棄てられたるやうに朱(あか)く敷(し)ける満地の瓦を照して、目に入(い)るものは皆伏し、四望の空く寥々(りようりよう)たるに、黒く点せる人の影を、彼は自(おのづか)ら物凄(ものすご)く顧らるるなりき。
 立尽せる貫一が胸には、在りし家居の状(さま)の明かに映じて、赭(あか)く光れるお峯が顔も、苦(にが)き口付せる主(あるじ)が面(おもて)も眼に浮びて、歴々(まざまざ)と相対(さしむか)へる心地もするに、姑(しばら)くはその境に己(おのれ)を忘れたりしが、やがて徐(しづか)に仰ぎ、徐に俯(ふ)して、さて徐に一歩を行きては一歩を返しつつ、いとど思に沈みては、折々涙をも推拭(おしぬぐ)ひつ。彼は転(うた)た人生の凄涼(せいりよう)を感じて禁ずる能(あた)はざりき。苟(いやし)くもその親める者の半にして離れ乖(そむ)かざるはあらず。見よ或はかの棄てられし恨を遺(のこ)し、或はこの奪はれし悲(かなしみ)に遭(あ)ひ、前の恨の消えざるに又新なる悲を添ふ。棄つる者は去り、棄てざる者は逝(ゆ)き、※然(けいぜん)として吾独(われひと)り在り。在るが故に慶(よろこ)ぶべきか、亡(な)きが故に悼(いた)むべきか、在る者は積憂の中に活(い)き、亡き者は非命の下(もと)に殪(たふ)る。抑(そもそ)もこの活(かつ)とこの死とは孰(いづれ)を哀(あはれ)み、孰を悲(かなし)まん。
 吾が煩悶(はんもん)の活を見るに、彼等が惨憺(さんたん)の死と相同(あひおなじ)からざるなし、但殊(ただこと)にするところは去ると留るとのみ。彼等の死ありて聊(いささ)か吾が活の苦(くるし)きをも慰むべきか、吾が活ありて、始めて彼等が死の傷(いたまし)きを弔ふに足らんか。吾が腸(ちよう)は断たれ、吾が心は壊(やぶ)れたり、彼等が肉は爛(ただ)れ、彼等が骨は砕けたり。活きて爾苦(しかくるし)める身をも、なほさすがに魂(たましひ)も消(け)ぬべく打駭(うちおどろ)かしつる彼等が死状(しにざま)なるよ。産を失ひ、家を失ひ、猶(なほ)も身を失ふに尋常の終を得ずして、極悪の重罪の者といへども未(いま)だ曾(かつ)て如此(かくのごと)き虐刑の辱(はづかしめ)を受けず、犬畜生の末までも箇様(かよう)の業(ごう)は曝(さら)さざるに、天か、命(めい)か、或(ある)は応報か、然(しか)れども独(ひと)り吾が直行をもて世間に善を作(な)さざる者と為(な)すなかれ。人情は暗中に刃(やいば)を揮(ふる)ひ、世路(せいろ)は到る処に陥穽(かんせい)を設け、陰に陽に悪を行ひ、不善を作(な)さざるはなし。若(も)し吾が直行の行ふところをもて咎(とが)むべしと為さば、誰か有りて咎(とが)められざらん、しかも猶(なほ)甚(はなはだし)きを為して天も憎まず、命も薄(うす)んぜず、応報もこれを避(さく)るもの有るを見るにあらずや。彼等の惨死(さんし)を辱(はづかし)むるなかれ、適(たまた)ま奇禍を免れ得ざりしのみ。
 かく念(おも)へる貫一は生前(しようぜん)の誼深(よしみふか)かりし夫婦の死を歎きて、この永き別(わかれ)を遣方(やるかた)も無く悲み惜むなりき。さて何時(いつ)までかここに在らんと、主の遺骨を出(いだ)せし辺(あたり)を拝し、又妻の屍(かばね)の横(よこた)はりし処を拝して、心佗(こころわびし)く立去らんとしたりしに、彼は怪くも遽(にはか)に胸の内の掻乱(かきみだ)るる心地するとともに、失せし夫婦の弔ふ者もあらで闇路(やみぢ)の奥に打棄てられたるを悲く、あはれ猶(なほ)少時(しばし)留らずやと、いと迫(せ)めて乞ひ縋(すが)ると覚ゆるに、行くにも忍びず、又立還りて積みたる土に息(いこ)へり。
 実(げ)に彼も家の内に居て、遺骸(なきがら)の前に限知られず思ひ乱れんより、ここには亡き人の傍(そば)にも近く、遺言に似たる或る消息をも得るらん想(おもひ)して、立てたる杖に重き頭(かしら)を支へて、夫婦が地下に齎(もたら)せし念々を冥捜(めいそう)したり。やがて彼は何の得るところや有りけん、繁(しげ)き涙は滂沱(はらはら)と頬(ほほ)を伝ひて零(こぼ)れぬ。
 夜陰に轟(とどろ)く車ありて、一散に飛(とば)し来(きた)りけるが、焼場(やけば)の際(きは)に止(とどま)りて、翩(ひらり)と下立(おりた)ちし人は、直(ただ)ちに鰐淵が跡の前に尋ね行きて歩(あゆみ)を住(とど)めたり。
 焼瓦(やけがはら)の踏破(ふみしだ)かるる音に面(おもて)を擡(もた)げたる貫一は、件(くだん)の人影の近く進来(すすみく)るをば、誰ならんと認むる間(ひま)も無く、
「間さんですか」
「おお、貴方(あなた)は! お帰来(かへり)でしたか」
 その人は待ちに待たれし直道なり。貫一は忙(いそがはし)く出迎へぬ。向ひて立てる両箇(ふたり)は月明(つきあかり)に面(おもて)を見合ひけるが、各(おのおの)口吃(くちきつ)して卒(にはか)に言ふ能はざるなりき。
「何とも不慮な事で、申上げやうもございません」
「はい。この度(たび)は留守中と云ひ、別してお世話になりました」
私(わたくし)は事の起りました晩は未(ま)だ病院に居りまして、かう云ふ事とは一向存じませんで、夜明になつて漸(やうや)く駈着(かけつ)けたやうな始末、今更申したところが愚痴に過ぎんのですけれど、私が居りましたらまさかこんな事にはお為せ申さんかつたと、実に残念でなりません。又お二人にしても余り不覚な、それしきの事に狼狽(ろうばい)される方ではなかつたに、これまでの御寿命であつたか、残多(のこりおほ)い事を致しました」
 直道は塞(ふさ)ぎし眼(まなこ)を怠(たゆ)げに開きて、
「何もかも皆焼けましたらうな」
「唯一品(ひとしな)、金庫が助りました外には、すつかり焼いて了ひました」
「金庫が残りました? 何が入つてゐるのですか」
貨(かね)も少しは在りませうが、帳簿、証書の類が主(おも)でございます」
「貸金に関した?」
「さやうで」
「ええ、それが焼きたかつたのに!」
 口惜(くちを)しとの色は絶(したた)かその面(おもて)に上(のぼ)れり。貫一は彼が意見の父と相容(あひい)れずして、年来(としごろ)別居せる内情を詳(つまびら)かに知れば、迫(せ)めてその喜ぶべきをも、却(かへ)つてかく憂(うれひ)と為(な)す故(ゆゑ)を暁(さと)れるなり。
「家の焼けたの、土蔵の落ちたのは差支無(さしつかへな)いのです。寧(むし)ろ焼いて了はんければ成らんのでしたから、それは結構です。両親の歿(なくな)つたのも、私(わたくし)であれ、貴方であれ、かうして泣いて悲む者は、ここに居る二人きりで、世間に誰一人……さぞ衆(みんな)が喜んでゐるだらうと思ふと、唯親を喪(なくな)したのが情無(なさけな)いばかりではないのですよ」
 されども堰(せき)敢(あ)へず流るるは恩愛の涙なり。彼を憚(はばか)りし父と彼を畏(おそ)れし母とは、決して共に子として彼を慈(いつくし)むを忘れざりけり。その憚られ、畏れられし点を除きては、彼は他の憚られ、畏れられざる子よりも多く愛を被(かうむ)りき。生きてこそ争ひし父よ。亡くての今は、その聴(きか)れざりし恨より、親として事(つか)へざりし不孝の悔は直道の心を責むるなり。
 生暖(なまあたたか)き風は急に来(きた)りてその外套(がいとう)の翼を吹捲(ふきまく)りぬ。こはここに失せし母の賜ひしを、と端無(はしな)く彼は憶起(おもひおこ)して、さばかりは有(あり)のすさびに徳とも為ざりけるが、世間に量り知られぬ人の数の中に、誰か故無くして一紙(いつし)を与ふる者ぞ、我は今聘(へい)せられし測量地より帰来(かへりきた)れるなり。この学術とこの位置とを与へて恩と為ざりしは誰なるべき。外にこれを求むる能はず、重ねてこれを得べからざる父と母とは、相携へて杳(はるか)に迢(はるか)に隔つる世の人となりぬ。
 炎々たる猛火の裏(うち)に、その父と母とは苦(くるし)み悶(もだ)えて援(たすけ)を呼びけんは幾許(いかばかり)ぞ。彼等は果して誰をか呼びつらん。思ここに到りて、直道が哀咽(あいえつ)は渾身(こんしん)をして涙に化し了(をは)らしめんとするなり。
「喜ぶなら世間の奴は喜んだが可いです。貴方(あなた)一箇(ひとり)のお心持で御両親は御満足なさるのですから。こんな事を申上げては実に失礼ですけれども、貴方が今日(こんにち)まで御両親をお持ちになつてゐられたのは、私(わたくし)などの身から見ると何よりお可羨(うらやまし)いので、この世の中に親子の情愛ぐらゐ詐(いつはり)の無いものは決して御座いませんな、私は十五の歳(とし)から孤児(みなしご)になりましたのですが、それは、親が附いてをらんと見縊(みくび)られます。余り見縊られたのが自棄(やけ)の本(もと)で、遂(つひ)に私も真人間に成損(なりそこな)つて了つたやうな訳で。固(もと)より己(おのれ)の至らん罪ではありますけれど、抑(そもそ)も親の附いてをらんかつたのが非常な不仕合(ふしあはせ)で、そんな薄命な者もかうして在るのですから、それはもう幾歳(いくつ)になつたから親に別れて可いと謂(い)ふ理窟(りくつ)はありませんけれど、聊(いささ)か慰むるに足ると、まあ、思召(おぼしめ)さなければなりません」
 貫一のこの人に向ひて親く物言ふ今夜の如き例(ためし)はあらず、彼の物言はずとよりは、この人の悪(にく)み遠(とほざ)けたりしなり。故は、彼こそ父が不善の助手なれと、始より畜生視して、得べくば撲(う)つて殺さんとも念ずるなりければ、今彼が言(ことば)の端々(はしはし)に人がましき響あるを聞きて、いと異(あや)しと思へり。
「それでは、貴方真人間に成損(なりそこな)つたとお言ひのですな」
「さうでございます」
「さうすると、今は真人間ではないと謂ふ訳ですか」
勿論(もちろん)でございます」
 直道は俯(うつむ)きて言はざりき。
「いや貴方のやうな方に向つてこんな太腐(ふてくさ)れた事を申しては済みません。さあ、参りませうか」
 彼はなほ俯(うつむ)き、なほ言はずして、頷(うなづ)くのみ。
 夜は太(いた)く更(ふ)けにければ、さらでだに音を絶(た)てる寂静(しづかさ)はここに澄徹(すみわた)りて、深くも物を思入る苦しさに直道が蹂躙(ふみにじ)る靴の下に、瓦の脆(もろ)く割(わ)るるが鋭く響きぬ。地は荒れ、物は毀(こぼた)れたる中に一箇(ひとり)は立ち、一箇(ひとり)は偃(いこ)ひて、言(ことば)あらぬ姿の佗(わび)しげなるに照すとも無き月影の隠々と映添(さしそ)ひたる、既に彷彿(ほうふつ)として悲(かなしみ)の図を描成(ゑがきな)せり。
 かくて暫(しばら)く有りし後、直道は卒然言(ことば)を出(いだ)せり。
「貴方、真人間に成つてくれませんか」
 その声音(こわね)の可愁(うれはし)き底には情(なさけ)も籠(こも)れりと聞えぬ。貫一は粗(ほぼ)彼の意を暁(さと)れり。
「はい、難有(ありがた)うございます」
「どうですか」
「折角のお言(ことば)ではございますが、私(わたくし)はどうぞこのままにお措(お)き下さいまし」
「それは何為(なぜ)ですか」
「今更真人間に復(かへ)る必要も無いのです」
「さあ、必要は有りますまい。私も必要から貴方にお勧めするのではない。もう一度考へてから挨拶(あいさつ)をして下さいな」
「いや、お気に障(さは)りましたらお赦(ゆる)し下さいまし。貴方とは従来(これまで)浸々(しみじみ)お話を致した事もございませんで私といふ者はどんな人物であるか、御承知はございますまい。私の方では毎々お噂(うはさ)を伺つて、能(よ)く貴方を存じてをります。極潔(ごくきよ)いお方なので、精神的に傷(きずつ)いたところの無い御人物、さう云ふ方に対して我々などの心事を申上げるのは、実際恥入る次第で、言ふ事は一々曲つてゐるのですから、正(ただし)い、直(すぐ)なお耳へは入(い)らんところではない。逆ふのでございませう。で、潔い貴方と、拗(ねぢ)けた私とでは、始からお話は合はんのですから、それでお話を為る以上は、どうぞ何事もお聞流(ききながし)に願ひます」
「ああ、善く解りました」
「真人間になつてくれんかと有仰(おつしや)つて下すつたのが、私は非常に嬉(うれし)いのでございます。こんな商売は真人間の為る事ではない、と知つてゐながらかうして致してゐる私の心中、辛(つら)いのでございます。そんな思をしつつ何為(なぜ)してゐるか! 曰(いは)く言難(いひがた)しで、精神的に酷(ひど)く傷(きずつ)けられた反動と、先(ま)づ思召(おぼしめ)して下さいまし。私が酒が飲めたら自暴酒(やけざけ)でも吃(くら)つて、体(からだ)を毀(こは)して、それきりに成つたのかも知れませんけれど、酒は可(い)かず、腹を切る勇気は無し、究竟(つまり)は意気地の無いところから、こんな者に成つて了つたのであらうと考へられます」
 彼の潔(きよ)しと謂ふなる直道が潔き心の同情は、彼の微見(ほのめか)したる述懐の為に稍(やや)動されぬ。
「お話を聞いて見ると、貴方が今日(こんにち)の境遇になられたに就いては、余程深い御様子が有るやう、どう云ふのですか、悉(くはし)く聞(きか)して下さいませんか」
「極愚(ぐ)な話で、到底お聞せ申されるやうな者ではないのです。又自分もこの事は他(ひと)には語るまい、と堅く誓つてゐるのでありますから、どうも申上げられません。究竟(つまり)或事に就いて或者に欺かれたのでございます」
「はあ、それではお話はそれで措(お)きませう。で、貴方もあんな家業は真人間の為べき事ではない、と十分承知してゐらるる、父などは決して愧(は)づべき事ではない、と謂つて剛情を張り通した。実に浅ましい事だと思ふから、或時は不如(いつそ)父の前で死んで見せて、最後の意見を為るより外は無い、と決心したことも有つたのです。父は飽くまで聴かん、私も飽くまで棄てては措(お)かん精神、どんな事をしても是非改心させる覚悟で居つたところ、今度の災難で父を失つた、残念なのは、改心せずに死んでくれたのだ、これが一生の遺憾(いかん)で。一時に両親(ふたおや)に別れて、死目にも逢(あ)はず、その臨終と謂へば、気の毒とも何とも謂ひやうの無い……凡(およ)そ人の子としてこれより上の悲(かなしみ)が有らうか、察し給へ。それに就けても、改心せずに死なしたのが、愈(いよい)よ残念で、早く改心さへしてくれたらば、この災難は免(のが)れたに違無い。いや私はさう信じてゐる。然し、過ぎた事は今更為方が無いから、父の代(かはり)に是非貴方に改心して貰(もら)ひたい。今貴方が改心して下されば、私は父が改心したも同じと思つて、それで満足するのです。さうすれば、必ず父の罪も滅びる、私の念も霽(は)れる、貴方も正い道を行けば、心安く、楽く世に送られる。
 成程、お話の様子では、こんな家業に身を墜(おと)されたのも、已(や)むを得ざる事情の為とは承知してをりますが、父への追善、又その遺族の路頭に迷つてゐるのを救ふのと思つて、金を貸すのは罷(や)めて下さい。父に関した財産は一切貴方へお譲り申しますからそれを資本に何ぞ人をも益するやうな商売をして下されば、この上の喜(よろこび)は有りません。父は非常に貴方を愛してをつた、貴方も父を愛して下さるでせう。愛して下さるなら、父に代つて非を悛(あらた)めて下さい」
 聴ゐる貫一は露の晨(あした)の草の如く仰ぎ視(み)ず。語り訖(をは)れども猶仰ぎ視ず、如何(いか)にと問るるにも仰ぎ視ざるなりけり。
 忽(たちま)ち一閃(いつせん)の光ありて焼跡を貫く道の畔(ほとり)を照しけるが、その燈(ともしび)の此方(こなた)に向ひて近(ちかづ)くは、巡査の見尤(みとが)めて寄来(よりく)るなり。両箇(ふたり)は一様に※(みむか)へて、待つとしもなく動かずゐたりければ、その前に到れる角燈の光は隈無(くまな)く彼等を曝(さら)しぬ。巡査は如何(いか)に驚きけんよ、かれもこれも各(おのおの)惨として蒼(あを)き面(おもて)に涙垂れたり——しかもここは人の泣くべき処なるか、時は正(まさ)に午前二時半。



底本:「金色夜叉」新潮文庫、新潮社
   1969(昭和44)年11月10日 第1刷発行
   1998(平成10)年1月15日 第39刷発行
入力:柴田卓治
校正:かとうかおり
ファイル作成:かとうかおり
2000年2月23日公開
青空文庫作成ファイル:
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【表記について】

本文中の※は、底本では次のような漢字(JIS外字)が使われている。
撃※(うちのめ)されざりしを
※(いびき)
※々(うつらうつら)
叙(の)ぶるに※(およ)ばずして
その期(ご)に※(およ)びても
期に※(およ)びて還さざらんか
八日に※(およ)べり
午前二時に※(およ)びて
犬に※(け)られ
心快(こころよ)げに※(みひら)きて
その目は※(みは)り
狂女は目を※(みは)りつつ
※(かな)はずなりてより
※(かな)はざる恋の内に
※(あ)かず、※かず
 富むと裕(ゆたか)なるとに※(あ)きぬ
遂(つひ)に※きたる彼は
この富めるに※き
猶(な)ほ※(あ)く無き慾は
薪(たきぎ)を※(く)べたり
※(まつは)らるる
※(ささや)きて
※(ささや)くか
※(ほ)と息を咆(つ)きぬ
※(まぶた)を
※(まぶた)に
※(す)りて
※拠(あて)にはしないから
物怪(もののけ)などの※(つ)いたるやうに
掛※(かけわな)と知れば
※(わな)に繋(かか)りて
掻※(かきむし)らん
※(ああ)
※(ばか)なことを
太息(ためいき)※(つ)いたりしが
※(ゆたか)にもあらざりし
※々(つかつか)と
※々(ひようひよう)と
※車(きしや)
その背を※(う)つ
※返(けかへ)して
※(しらじら)しい
慌(あわ)て※(ふため)き
※(おしだ)さん
引※(ひきつつ)むとともに
黯※(あんたん)
※々(きき)として
水に※(しと)り
前杖(まへづゑ)※(つ)いて
※然(けいぜん)として
一様に※(みむか)へて