金色夜叉(こんじきやしや)

尾崎紅葉




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     第 一 章

 未(ま)だ宵ながら松立てる門は一様に鎖籠(さしこ)めて、真直(ますぐ)に長く東より西に横(よこた)はれる大道(だいどう)は掃きたるやうに物の影を留(とど)めず、いと寂(さびし)くも往来(ゆきき)の絶えたるに、例ならず繁(しげ)き車輪(くるま)の輾(きしり)は、或(あるひ)は忙(せはし)かりし、或(あるひ)は飲過ぎし年賀の帰来(かへり)なるべく、疎(まばら)に寄する獅子太鼓(ししだいこ)の遠響(とほひびき)は、はや今日に尽きぬる三箇日(さんがにち)を惜むが如く、その哀切(あはれさ)に小(ちひさ)き膓(はらわた)は断(たた)れぬべし。
 元日快晴、二日快晴、三日快晴と誌(しる)されたる日記を涜(けが)して、この黄昏(たそがれ)より凩(こがらし)は戦出(そよぎい)でぬ。今は「風吹くな、なあ吹くな」と優き声の宥(なだ)むる者無きより、憤(いかり)をも増したるやうに飾竹(かざりだけ)を吹靡(ふきなび)けつつ、乾(から)びたる葉を粗(はした)なげに鳴して、吼(ほ)えては走行(はしりゆ)き、狂ひては引返し、揉(も)みに揉んで独(ひと)り散々に騒げり。微曇(ほのぐも)りし空はこれが為に眠(ねむり)を覚(さま)されたる気色(けしき)にて、銀梨子地(ぎんなしぢ)の如く無数の星を顕(あらは)して、鋭く沍(さ)えたる光は寒気(かんき)を発(はな)つかと想(おも)はしむるまでに、その薄明(うすあかり)に曝(さら)さるる夜の街(ちまた)は殆(ほとん)ど氷らんとすなり。
 人この裏(うち)に立ちて寥々冥々(りようりようめいめい)たる四望の間に、争(いかで)か那(な)の世間あり、社会あり、都あり、町あることを想得べき、九重(きゆうちよう)の天、八際(はつさい)の地、始めて混沌(こんとん)の境(さかひ)を出(い)でたりといへども、万物未(いま)だ尽(ことごと)く化生(かせい)せず、風は試(こころみ)に吹き、星は新に輝ける一大荒原の、何等の旨意も、秩序も、趣味も無くて、唯濫(ただみだり)に※(ひろ)く横(よこた)はれるに過ぎざる哉(かな)。日の中(うち)は宛然(さながら)沸くが如く楽み、謳(うた)ひ、酔(ゑ)ひ、戯(たはむ)れ、歓(よろこ)び、笑ひ、語り、興ぜし人々よ、彼等は儚(はかな)くも夏果てし孑孑(ぼうふり)の形を歛(をさ)めて、今将(いまはた)何処(いづく)に如何(いか)にして在るかを疑はざらんとするも難(かた)からずや。多時(しばらく)静なりし後(のち)、遙(はるか)に拍子木の音は聞えぬ。その響の消ゆる頃忽(たちま)ち一点の燈火(ともしび)は見え初(そ)めしが、揺々(ゆらゆら)と町の尽頭(はづれ)を横截(よこぎ)りて失(う)せぬ。再び寒き風は寂(さびし)き星月夜を擅(ほしいまま)に吹くのみなりけり。唯有(とあ)る小路の湯屋は仕舞を急ぎて、廂間(ひあはひ)の下水口より噴出(ふきい)づる湯気は一団の白き雲を舞立てて、心地悪き微温(ぬくもり)の四方に溢(あふ)るるとともに、垢臭(あかくさ)き悪気の盛(さかん)に迸(ほとばし)るに遭(あ)へる綱引の車あり。勢ひで角(かど)より曲り来にければ、避くべき遑無(いとまな)くてその中を駈抜(かけぬ)けたり。
「うむ、臭い」
 車の上に声して行過ぎし跡には、葉巻の吸殻の捨てたるが赤く見えて煙れり。
「もう湯は抜けるのかな」
「へい、松の内は早仕舞でございます」
 車夫のかく答へし後は語(ことば)絶えて、車は驀直(ましぐら)に走れり、紳士は二重外套(にじゆうがいとう)の袖(そで)を犇(ひし)と掻合(かきあは)せて、獺(かはうそ)の衿皮(えりかは)の内に耳より深く面(おもて)を埋(うづ)めたり。灰色の毛皮の敷物の端(はし)を車の後に垂れて、横縞(よこじま)の華麗(はなやか)なる浮波織(ふはおり)の蔽膝(ひざかけ)して、提灯(ちようちん)の徽章(しるし)はTの花文字を二個(ふたつ)組合せたるなり。行き行きて車はこの小路の尽頭(はづれ)を北に折れ、稍(やや)広き街(とほり)に出(い)でしを、僅(わづか)に走りて又西に入(い)り、その南側の半程(なかほど)に箕輪(みのわ)と記(しる)したる軒燈(のきラムプ)を掲げて、※竹(そぎだけ)を飾れる門構(もんがまへ)の内に挽入(ひきい)れたり。玄関の障子に燈影(ひかげ)の映(さ)しながら、格子(こうし)は鎖固(さしかた)めたるを、車夫は打叩(うちたた)きて、
「頼む、頼む」
 奥の方(かた)なる響動(どよみ)の劇(はげし)きに紛れて、取合はんともせざりければ、二人の車夫は声を合せて訪(おとな)ひつつ、格子戸を連打(つづけうち)にすれば、やがて急足(いそぎあし)の音立てて人は出(い)で来(き)ぬ。
 円髷(まるわげ)に結ひたる四十ばかりの小(ちひさ)く痩(や)せて色白き女の、茶微塵(ちやみじん)の糸織の小袖(こそで)に黒の奉書紬(ほうしよつむぎ)の紋付の羽織着たるは、この家の内儀(ないぎ)なるべし。彼の忙(せは)しげに格子を啓(あく)るを待ちて、紳士は優然と内に入(い)らんとせしが、土間の一面に充満(みちみち)たる履物(はきもの)の杖(つゑ)を立つべき地さへあらざるに遅(ためら)へるを、彼は虚(すか)さず勤篤(まめやか)に下立(おりた)ちて、この敬ふべき賓(まらうど)の為に辛(から)くも一条の道を開けり。かくて紳士の脱捨てし駒下駄(こまげた)のみは独(ひと)り障子の内に取入れられたり。

     (一) の 二

 箕輪(みのわ)の奥は十畳の客間と八畳の中の間(ま)とを打抜きて、広間の十個処(じつかしよ)に真鍮(しんちゆう)の燭台(しよくだい)を据ゑ、五十目掛(めかけ)の蝋燭(ろうそく)は沖の漁火(いさりび)の如く燃えたるに、間毎(まごと)の天井に白銅鍍(ニッケルめつき)の空気ラムプを点(とも)したれば、四辺(あたり)は真昼より明(あきらか)に、人顔も眩(まばゆ)きまでに耀(かがや)き遍(わた)れり。三十人に余んぬる若き男女(なんによ)は二分(ふたわかれ)に輪作りて、今を盛(さかり)と歌留多遊(かるたあそび)を為(す)るなりけり。蝋燭の焔(ほのほ)と炭火の熱と多人数(たにんず)の熱蒸(いきれ)と混じたる一種の温気(うんき)は殆(ほとん)ど凝りて動かざる一間の内を、莨(たばこ)の煙(けふり)と燈火(ともしび)の油煙とは更(たがひ)に縺(もつ)れて渦巻きつつ立迷へり。込合へる人々の面(おもて)は皆赤うなりて、白粉(おしろい)の薄剥(うすは)げたるあり、髪の解(ほつ)れたるあり、衣(きぬ)の乱次(しどな)く着頽(きくづ)れたるあり。女は粧(よそほ)ひ飾りたれば、取乱したるが特(こと)に著るく見ゆるなり。男はシャツの腋(わき)の裂けたるも知らで胴衣(ちよつき)ばかりになれるあり、羽織を脱ぎて帯の解けたる尻を突出すもあり、十の指をば四(よつ)まで紙にて結(ゆ)ひたるもあり。さしも息苦き温気(うんき)も、咽(むせ)ばさるる煙(けふり)の渦も、皆狂して知らざる如く、寧(むし)ろ喜びて罵(ののし)り喚(わめ)く声、笑頽(わらひくづ)るる声、捩合(ねぢあ)ひ、踏破(ふみしだ)く犇(ひしめ)き、一斉に揚ぐる響動(どよみ)など、絶間無き騒動の中(うち)に狼藉(ろうぜき)として戯(たはむ)れ遊ぶ為体(ていたらく)は三綱五常(さんこうごじよう)も糸瓜(へちま)の皮と地に塗(まび)れて、唯(ただ)これ修羅道(しゆらどう)を打覆(ぶつくりかへ)したるばかりなり。
 海上風波の難に遭(あ)へる時、若干(そくばく)の油を取りて航路に澆(そそ)げば、浪(なみ)は奇(くし)くも忽(たちま)ち鎮(しづま)りて、船は九死を出(い)づべしとよ。今この如何(いかに)とも為(す)べからざる乱脈の座中をば、その油の勢力をもて支配せる女王(によおう)あり。猛(たけ)びに猛ぶ男たちの心もその人の前には和(やはら)ぎて、終(つひ)に崇拝せざるはあらず。女たちは皆猜(そね)みつつも畏(おそれ)を懐(いだ)けり。中の間なる団欒(まどゐ)の柱側(はしらわき)に座を占めて、重(おも)げに戴(いただ)ける夜会結(やかいむすび)に淡紫(うすむらさき)のリボン飾(かざり)して、小豆鼠(あづきねずみ)の縮緬(ちりめん)の羽織を着たるが、人の打騒ぐを興あるやうに涼き目を※(みは)りて躬(みづから)は淑(しとや)かに引繕(ひきつくろ)へる娘あり。粧飾(つくり)より相貌(かほだち)まで水際立(みづぎはた)ちて、凡(ただ)ならず媚(こび)を含めるは、色を売るものの仮の姿したるにはあらずやと、始めて彼を見るものは皆疑へり。一番の勝負の果てぬ間に、宮といふ名は普(あまね)く知られぬ。娘も数多(あまた)居たり。醜(みにく)きは、子守の借着したるか、茶番の姫君の戸惑(とまどひ)せるかと覚(おぼし)きもあれど、中には二十人並、五十人並優れたるもありき。服装(みなり)は宮より数等(すとう)立派なるは数多(あまた)あり。彼はその点にては中の位に過ぎず。貴族院議員の愛娘(まなむすめ)とて、最も不器量(ふきりよう)を極(きは)めて遺憾(いかん)なしと見えたるが、最も綺羅(きら)を飾りて、その起肩(いかりがた)に紋御召(もんおめし)の三枚襲(さんまいがさね)を被(かつ)ぎて、帯は紫根(しこん)の七糸(しちん)に百合(ゆり)の折枝(をりえだ)を縒金(よりきん)の盛上(もりあげ)にしたる、人々これが為に目も眩(く)れ、心も消えて眉(まゆ)を皺(しわ)めぬ。この外種々(さまざま)色々の絢爛(きらびやか)なる中に立交(たちまじ)らひては、宮の装(よそほひ)は纔(わづか)に暁の星の光を保つに過ぎざれども、彼の色の白さは如何(いか)なる美(うつくし)き染色(そめいろ)をも奪ひて、彼の整へる面(おもて)は如何なる麗(うるはし)き織物よりも文章(あや)ありて、醜き人たちは如何に着飾らんともその醜きを蔽(おほ)ふ能(あた)はざるが如く、彼は如何に飾らざるもその美きを害せざるなり。
 袋棚(ふくろだな)と障子との片隅(かたすみ)に手炉(てあぶり)を囲みて、蜜柑(みかん)を剥(む)きつつ語(かたら)ふ男の一個(ひとり)は、彼の横顔を恍惚(ほれぼれ)と遙(はるか)に見入りたりしが、遂(つひ)に思堪(おもひた)へざらんやうに呻(うめ)き出(いだ)せり。
好(い)い、好い、全く好い! 馬士(まご)にも衣裳(いしよう)と謂(い)ふけれど、美(うつくし)いのは衣裳には及ばんね。物それ自(みづか)らが美いのだもの、着物などはどうでも可(い)い、実は何も着てをらんでも可い」
「裸体なら猶(なほ)結構だ!」
 この強き合槌(あひづち)撃つは、美術学校の学生なり。
 綱曳(つなひき)にて駈着(かけつ)けし紳士は姑(しばら)く休息の後内儀に導かれて入来(いりきた)りつ。その後(うしろ)には、今まで居間に潜みたりし主(あるじ)の箕輪亮輔(みのわりようすけ)も附添ひたり。席上は入乱れて、ここを先途(せんど)と激(はげし)き勝負の最中なれば、彼等の来(きた)れるに心着きしは稀(まれ)なりけれど、片隅に物語れる二人は逸早(いちはや)く目を側(そば)めて紳士の風采(ふうさい)を視(み)たり。
 広間の燈影(ひかげ)は入口に立てる三人(みたり)の姿を鮮(あざや)かに照せり。色白の小(ちひさ)き内儀の口は疳(かん)の為に引歪(ひきゆが)みて、その夫の額際(ひたひぎは)より赭禿(あかは)げたる頭顱(つむり)は滑(なめら)かに光れり。妻は尋常(ひとなみ)より小きに、夫は勝(すぐ)れたる大兵(だいひよう)肥満にて、彼の常に心遣(こころづかひ)ありげの面色(おももち)なるに引替へて、生きながら布袋(ほてい)を見る如き福相したり。
 紳士は年歯(としのころ)二十六七なるべく、長高(たけたか)く、好き程に肥えて、色は玉のやうなるに頬(ほほ)の辺(あたり)には薄紅(うすくれなゐ)を帯びて、額厚く、口大きく、腮(あぎと)は左右に蔓(はびこ)りて、面積の広き顔は稍(やや)正方形を成(な)せり。緩(ゆる)く波打てる髪を左の小鬢(こびん)より一文字に撫付(なでつ)けて、少しは油を塗りたり。濃(こ)からぬ口髭(くちひげ)を生(はや)して、小(ちひさ)からぬ鼻に金縁(きんぶち)の目鏡(めがね)を挾(はさ)み、五紋(いつつもん)の黒塩瀬(くろしほぜ)の羽織に華紋織(かもんおり)の小袖(こそで)を裾長(すそなが)に着做(きな)したるが、六寸の七糸帯(しちんおび)に金鏈子(きんぐさり)を垂れつつ、大様(おほやう)に面(おもて)を挙げて座中を※(みまは)したる容(かたち)は、実(げ)に光を発(はな)つらんやうに四辺(あたり)を払ひて見えぬ。この団欒(まどゐ)の中に彼の如く色白く、身奇麗に、しかも美々(びび)しく装(よそほ)ひたるはあらざるなり。
「何だ、あれは?」
 例の二人の一個(ひとり)はさも憎さげに呟(つぶや)けり。
可厭(いや)な奴!」
 唾(つば)吐くやうに言ひて学生はわざと面(おもて)を背(そむ)けつ。
「お俊(しゆん)や、一寸(ちよいと)」と内儀は群集(くんじゆ)の中よりその娘を手招きぬ。
 お俊は両親の紳士を伴へるを見るより、慌忙(あわただし)く起ちて来(きた)れるが、顔好くはあらねど愛嬌(あいきよう)深く、いと善く父に肖(に)たり。高島田に結(ゆ)ひて、肉色縮緬(にくいろちりめん)の羽織に撮(つま)みたるほどの肩揚したり。顔を赧(あか)めつつ紳士の前に跪(ひざまづ)きて、慇懃(いんぎん)に頭(かしら)を低(さぐ)れば、彼は纔(わづか)に小腰を屈(かが)めしのみ。
「どうぞ此方(こちら)へ」
 娘は案内せんと待構へけれど、紳士はさして好ましからぬやうに頷(うなづ)けり。母は歪(ゆが)める口を怪しげに動して、
「あの、見事な、まあ、御年玉を御戴きだよ」
 お俊は再び頭(かしら)を低(さ)げぬ。紳士は笑(ゑみ)を含みて目礼せり。
「さあ、まあ、いらつしやいまし」
 主(あるじ)の勧むる傍(そば)より、妻はお俊を促して、お俊は紳士を案内(あない)して、客間の床柱の前なる火鉢(ひばち)在る方(かた)に伴(つ)れぬ。妻は其処(そこ)まで介添(かいぞへ)に附きたり。二人は家内(かない)の紳士を遇(あつか)ふことの極(きは)めて鄭重(ていちよう)なるを訝(いぶか)りて、彼の行くより坐るまで一挙一動も見脱(みのが)さざりけり。その行く時彼の姿はあたかも左の半面を見せて、団欒(まどゐ)の間を過ぎたりしが、無名指(むめいし)に輝ける物の凡(ただ)ならず強き光は燈火(ともしび)に照添(てりそ)ひて、殆(ほとん)ど正(ただし)く見る能(あた)はざるまでに眼(まなこ)を射られたるに呆(あき)れ惑へり。天上の最も明(あきらか)なる星は我手(わがて)に在りと言はまほしげに、紳士は彼等の未(いま)だ曾(かつ)て見ざりし大(おほき)さの金剛石(ダイアモンド)を飾れる黄金(きん)の指環を穿(は)めたるなり。
 お俊は骨牌(かるた)の席に復(かへ)ると※(ひとし)く密(ひそか)に隣の娘の膝(ひざ)を衝(つ)きて口早に※(ささや)きぬ。彼は忙々(いそがはし)く顔を擡(もた)げて紳士の方(かた)を見たりしが、その人よりはその指に耀(かがや)く物の異常なるに駭(おどろ)かされたる体(てい)にて、
「まあ、あの指環は! 一寸(ちよいと)、金剛石(ダイアモンド)?」
「さうよ」
「大きいのねえ」
「三百円だつて」
 お俊の説明を聞きて彼は漫(そぞろ)に身毛(みのけ)の弥立(よだ)つを覚えつつ、
「まあ! 好いのねえ」
 ※(ごまめ)の目ほどの真珠を附けたる指環をだに、この幾歳(いくとせ)か念懸(ねんが)くれども未(いま)だ容易に許されざる娘の胸は、忽(たちま)ち或事を思ひ浮べて攻皷(せめつづみ)の如く轟(とどろ)けり。彼は惘然(ぼうぜん)として殆ど我を失へる間(ま)に、電光の如く隣より伸来(のびきた)れる猿臂(えんぴ)は鼻の前(さき)なる一枚の骨牌(かるた)を引攫(ひきさら)へば、
「あら、貴女(あなた)どうしたのよ」
 お俊は苛立(いらだ)ちて彼の横膝(よこひざ)を続けさまに拊(はた)きぬ。
可(よ)くつてよ、可くつてよ、以来(これから)もう可くつてよ」
 彼は始めて空想の夢を覚(さま)して、及ばざる身(み)の分(ぶん)を諦(あきら)めたりけれども、一旦金剛石(ダイアモンド)の強き光に焼かれたる心は幾分の知覚を失ひけんやうにて、さしも目覚(めざまし)かりける手腕(てなみ)の程も見る見る漸(やうや)く四途乱(しどろ)になりて、彼は敢無(あへな)くもこの時よりお俊の為に頼み難(がたな)き味方となれり。
 かくしてかれよりこれに伝へ、甲より乙に通じて、
金剛石(ダイアモンド)!」
「うむ、金剛石だ」
「金剛石??」
「成程金剛石!」
「まあ、金剛石よ」
「あれが金剛石?」
「見給へ、金剛石」
「あら、まあ金剛石??」
可感(すばらし)い金剛石」
可恐(おそろし)い光るのね、金剛石」
「三百円の金剛石」
 瞬(またた)く間(ひま)に三十余人は相呼び相応じて紳士の富を謳(うた)へり。
 彼は人々の更互(かたみがはり)におのれの方(かた)を眺(なが)むるを見て、その手に形好く葉巻(シガア)を持たせて、右手(めて)を袖口(そでぐち)に差入れ、少し懈(たゆ)げに床柱に靠(もた)れて、目鏡の下より下界を見遍(みわた)すらんやうに目配(めくばり)してゐたり。
 かかる目印ある人の名は誰(たれ)しも問はであるべきにあらず、洩(も)れしはお俊の口よりなるべし。彼は富山唯継(とみやまただつぐ)とて、一代分限(ぶげん)ながら下谷(したや)区に聞ゆる資産家の家督なり。同じ区なる富山銀行はその父の私設する所にして、市会議員の中(うち)にも富山重平(じゆうへい)の名は見出(みいだ)さるべし。
 宮の名の男の方(かた)に持囃(もてはや)さるる如く、富山と知れたる彼の名は直(ただち)に女の口々に誦(ずん)ぜられぬ。あはれ一度(ひとたび)はこの紳士と組みて、世に愛(めで)たき宝石に咫尺(しせき)するの栄を得ばや、と彼等の心々(こころごころ)に冀(こひねが)はざるは希(まれ)なりき。人若(も)し彼に咫尺するの栄を得ば、啻(ただ)にその目の類無(たぐひな)く楽(たのしま)さるるのみならで、その鼻までも菫花(ヴァイオレット)の多く※(か)ぐべからざる異香(いきよう)に薫(くん)ぜらるるの幸(さいはひ)を受くべきなり。
 男たちは自(おのづ)から荒(すさ)められて、女の挙(こぞ)りて金剛石(ダイアモンド)に心牽(こころひか)さるる気色(けしき)なるを、或(あるひ)は妬(ねた)く、或は浅ましく、多少の興を冷(さま)さざるはあらざりけり。独(ひと)り宮のみは騒げる体(てい)も無くて、その清(すずし)き眼色(まなざし)はさしもの金剛石と光を争はんやうに、用意深(たしなみふか)く、心様(こころざま)も幽(ゆかし)く振舞へるを、崇拝者は益々懽(よろこ)びて、我等の慕ひ参らする効(かひ)はあるよ、偏(ひとへ)にこの君を奉じて孤忠(こちゆう)を全うし、美と富との勝負を唯一戦に決して、紳士の憎き面(つら)の皮を引剥(ひきむ)かん、と手薬煉(てぐすね)引いて待ちかけたり。されば宮と富山との勢(いきほひ)はあたかも日月(じつげつ)を並懸(ならべか)けたるやうなり。宮は誰(たれ)と組み、富山は誰と組むらんとは、人々の最も懸念(けねん)するところなりけるが、鬮(くじ)の結果は驚くべき予想外にて、目指されし紳士と美人とは他の三人(みたり)とともに一組になりぬ。始め二つに輪作りし人数(にんず)はこの時合併して一(いつ)の大(おほい)なる団欒(まどゐ)に成されたるなり。しかも富山と宮とは隣合(となりあひ)に坐りければ、夜と昼との一時(いちじ)に来にけんやうに皆狼狽(うろたへ)騒ぎて、忽(たちま)ちその隣に自ら社会党と称(とな)ふる一組を出(いだ)せり。彼等の主義は不平にして、その目的は破壊なり。則(すなは)ち彼等は専(もつぱ)ら腕力を用ゐて或組の果報と安寧(あんねい)とを妨害せんと為るなり。又その前面(むかひ)には一人の女に内を守らしめて、屈強の男四人左右に遠征軍を組織し、左翼を狼藉組(ろうぜきぐみ)と称し、右翼を蹂躙隊(じゆうりんたい)と称するも、実は金剛石の鼻柱を挫(くじ)かんと大童(おほわらは)になれるに外(ほか)ならざるなり。果せる哉(かな)、件(くだん)の組はこの勝負に蓬(きたな)き大敗を取りて、人も無げなる紳士もさすがに鼻白(はなしろ)み、美き人は顔を赧(あか)めて、座にも堪(た)ふべからざるばかりの面皮(めんぴ)を欠(かか)されたり。この一番にて紳士の姿は不知(いつか)見えずなりぬ。男たちは万歳を唱へけれども、女の中には掌(たなぞこ)の玉を失へる心地(ここち)したるも多かりき。散々に破壊され、狼藉され、蹂躙されし富山は、余りにこの文明的ならざる遊戯に怖(おそれ)をなして、密(ひそか)に主(あるじ)の居間に逃帰れるなりけり。
 鬘(かつら)を被(き)たるやうに梳(くしけづ)りたりし彼の髪は棕櫚箒(しゆろぼうき)の如く乱れて、環(かん)の隻(かたかた)※(も)げたる羽織の紐(ひも)は、手長猿(てながざる)の月を捉(とら)へんとする状(かたち)して揺曳(ぶらぶら)と垂(さが)れり。主は見るよりさも慌(あわ)てたる顔して、
「どう遊ばしました。おお、お手から血が出てをります」
 彼はやにはに煙管(きせる)を捨てて、忽(ゆるがせ)にすべからざらんやうに急遽(とつかは)と身を起せり。
「ああ、酷(ひど)い目に遭(あ)つた。どうもああ乱暴ぢや為様が無い。火事装束ででも出掛けなくつちやとても立切(たちき)れないよ。馬鹿にしてゐる! 頭を二つばかり撲(ぶた)れた」
 手の甲の血を吮(す)ひつつ富山は不快なる面色(おももち)して設(まうけ)の席に着きぬ。予(かね)て用意したれば、海老茶(えびちや)の紋縮緬(もんちりめん)の※(しとね)の傍(かたはら)に七宝焼(しちほうやき)の小判形(こばんがた)の大手炉(おほてあぶり)を置きて、蒔絵(まきゑ)の吸物膳(すひものぜん)をさへ据ゑたるなり。主は手を打鳴して婢(をんな)を呼び、大急(おほいそぎ)に銚子と料理とを誂(あつら)へて、
「それはどうも飛でもない事を。外(ほか)に何処(どこ)もお怪我(けが)はございませんでしたか」
「そんなに有られて耐(たま)るものかね」
 為(せ)う事無さに主も苦笑(にがわらひ)せり。
唯今(ただいま)絆創膏(ばんそうこう)を差上げます。何しろ皆書生でございますから随分乱暴でございませう。故々(わざわざ)御招(おまねき)申しまして甚(はなは)だ恐入りました。もう彼地(あつち)へは御出陣にならんが宜(よろし)うございます。何もございませんがここで何卒(どうぞ)御寛(ごゆる)り」
「ところがもう一遍行つて見やうかとも思ふの」
「へえ、又いらつしやいますか」
 物は言はで打笑(うちゑ)める富山の腮(あぎと)は愈(いよいよ)展(ひろが)れり。早くもその意を得てや破顔(はがん)せる主(あるじ)の目は、薄(すすき)の切疵(きりきず)の如くほとほと有か無きかになりぬ。
「では御意(ぎよい)に召したのが、へえ?」
 富山は益(ますます)笑(ゑみ)を湛(ただ)へたり。
「ございましたらう、さうでございませうとも」
何故(なぜ)な」
「何故も無いものでございます。十目(じゆうもく)の見るところぢやございませんか」
 富山は頷(うなづ)きつつ、
「さうだらうね」
「あれは宜(よろし)うございませう」
一寸(ちよいと)好いね」
「まづその御意(おつもり)でお熱いところをお一盞(ひとつ)。不満家(むづかしや)の貴方(あなた)が一寸好いと有仰(おつしや)る位では、余程(よつぽど)尤物(まれもの)と思はなければなりません。全く寡(すくな)うございます」
 倉皇(あたふた)入来(いりきた)れる内儀は思ひも懸けず富山を見て、
「おや、此方(こちら)にお在(いで)あそばしたのでございますか」
 彼は先の程より台所に詰(つめ)きりて、中入(なかいり)の食物の指図(さしづ)などしてゐたるなりき。
酷(ひど)く負けて迯(に)げて来ました」
「それは好く迯げていらつしやいました」
 例の歪(ゆが)める口を窄(すぼ)めて内儀は空々(そらぞら)しく笑ひしが、忽(たちま)ち彼の羽織の紐(ひも)の偏(かたかた)断(ちぎ)れたるを見尤(みとが)めて、環(かん)の失せたりと知るより、慌(あわ)て驚きて起たんとせり、如何(いか)にとなればその環は純金製のものなればなり。富山は事も無げに、
「なあに、宜(よろし)い」
「宜いではございません。純金(きん)では大変でございます」
「なあに、可(い)いと言ふのに」と聞きも訖(をは)らで彼は広間の方(かた)へ出(い)でて行けり。
「時にあれの身分はどうかね」
「さやう、悪い事はございませんが……」
「が、どうしたのさ」
「が、大(たい)した事はございませんです」
「それはさうだらう。然(しか)し凡(およ)そどんなものかね」
旧(もと)は農商務省に勤めてをりましたが、唯今(ただいま)では地所や家作(かさく)などで暮してゐるやうでございます。どうか小金も有るやうな話で、鴫沢隆三(しぎさわりゆうぞう)と申して、直(ぢき)隣町(となりちよう)に居りまするが、極(ごく)手堅く小体(こてい)に遣(や)つてをるのでございます」
「はあ、知れたもんだね」
 我(われ)は顔(がほ)に頤(おとがひ)を掻撫(かいな)づれば、例の金剛石(ダイアモンド)は燦然(きらり)と光れり。
「それでも可いさ。然し嫁(く)れやうか、嗣子(あととり)ぢやないかい」
「さやう、一人娘のやうに思ひましたが」
「それぢや窮(こま)るぢやないか」
私(わたくし)は悉(くはし)い事は存じませんから、一つ聞いて見ませうで」
 程無く内儀は環を捜得(さがしえ)て帰来(かへりき)にけるが、誰(た)が悪戯(いたづら)とも知らで耳掻(みみかき)の如く引展(ひきのば)されたり。主は彼に向ひて宮の家内(かない)の様子を訊(たづ)ねけるに、知れる一遍(ひととほり)は語りけれど、娘は猶能(なほよ)く知るらんを、後(のち)に招きて聴くべしとて、夫婦は頻(しきり)に觴(さかづき)を侑(すす)めけり。
 富山唯継の今宵ここに来(きた)りしは、年賀にあらず、骨牌遊(かるたあそび)にあらず、娘の多く聚(あつま)れるを機として、嫁選(よめえらみ)せんとてなり。彼は一昨年(をととし)の冬英吉利(イギリス)より帰朝するや否や、八方に手分(てわけ)して嫁を求めけれども、器量望(のぞみ)の太甚(はなはだ)しければ、二十余件の縁談皆意に称(かな)はで、今日が日までもなほその事に齷齪(あくさく)して已(や)まざるなり。当時取急ぎて普請せし芝(しば)の新宅は、未(いま)だ人の住着かざるに、はや日に黒(くろ)み、或所は雨に朽ちて、薄暗き一間に留守居の老夫婦の額を鳩(あつ)めては、寂しげに彼等の昔を語るのみ。

     第 二 章

 骨牌(かるた)の会は十二時に※(およ)びて終りぬ。十時頃より一人起ち、二人起ちて、見る間に人数(にんず)の三分の一強を失ひけれども、猶(なほ)飽かで残れるものは景気好く勝負を続けたり。富山の姿を隠したりと知らざる者は、彼敗走して帰りしならんと想へり。宮は会の終まで居たり。彼若(もし)疾(と)く還(かへ)りたらんには、恐(おそら)く踏留るは三分の一弱に過ぎざりけんを、と我物顔に富山は主と語合へり。
 彼に心を寄せし輩(やから)は皆彼が夜深(よふけ)の帰途(かへり)の程を気遣(きづか)ひて、我願(ねがは)くは何処(いづく)までも送らんと、絶(したた)か念(おも)ひに念ひけれど、彼等の深切(しんせつ)は無用にも、宮の帰る時一人の男附添ひたり。その人は高等中学の制服を着たる二十四五の学生なり。金剛石(ダイアモンド)に亜(つ)いでは彼の挙動の目指(めざさ)れしは、座中に宮と懇意に見えたるは彼一人なりければなり。この一事の外(ほか)は人目を牽(ひ)くべき点も無く、彼は多く語らず、又は躁(さわ)がず、始終慎(つつまし)くしてゐたり。終までこの両個(ふたり)の同伴(つれ)なりとは露顕せざりき。さあらんには余所々々(よそよそ)しさに過ぎたればなり。彼等の打連れて門(かど)を出(い)づるを見て、始めて失望せしもの寡(すくな)からず。
 宮は鳩羽鼠(はとばねずみ)の頭巾(ずきん)を被(かぶ)りて、濃浅黄地(こいあさぎぢ)に白く中形(ちゆうがた)模様ある毛織のシォールを絡(まと)ひ、学生は焦茶の外套(オバコオト)を着たるが、身を窄(すぼ)めて吹来る凩(こがらし)を遣過(やりすご)しつつ、遅れし宮の辿着(たどりつ)くを待ちて言出せり。
宮(みい)さん、あの金剛石(ダイアモンド)の指環を穿(は)めてゐた奴はどうだい、可厭(いや)に気取つた奴ぢやないか」
「さうねえ、だけれど衆(みんな)があの人を目の敵(かたき)にして乱暴するので気の毒だつたわ。隣合つてゐたもんだから私まで酷(ひど)い目に遭(あは)されてよ」
「うむ、彼奴(あいつ)が高慢な顔をしてゐるからさ。実は僕も横腹(よこつぱら)を二つばかり突いて遣つた」
「まあ、酷いのね」
「ああ云ふ奴は男の目から見ると反吐(へど)が出るやうだけれど、女にはどうだらうね、あんなのが女の気に入るのぢやないか」
「私は可厭(いや)だわ」
芬々(ぷんぷん)と香水の匂(にほひ)がして、金剛石(ダイアモンド)の金の指環を穿めて、殿様然たる服装(なり)をして、好(い)いに違無(ちがひな)いさ」
 学生は嘲(あざ)むが如く笑へり。
「私は可厭よ」
「可厭なものが組になるものか」
「組は鬮(くじ)だから為方(しかた)が無いわ」
「鬮だけれど、組に成つて可厭さうな様子も見えなかつたもの」
「そんな無理な事を言つて!」
「三百円の金剛石ぢや到底僕等の及ぶところにあらずだ」
「知らない!」
 宮はシォールを揺上(ゆりあ)げて鼻の半(なかば)まで掩隠(おほひかく)しつ。
「ああ寒い!」
 男は肩を峙(そばだ)てて直(ひた)と彼に寄添へり。宮は猶(なほ)黙して歩めり。
「ああ寒い!!」
 宮はなほ答へず。
「ああ寒い!!!」
 彼はこの時始めて男の方(かた)を見向きて、
「どうしたの」
「ああ寒い」
「あら可厭ね、どうしたの」
「寒くて耐(たま)らんからその中へ一処(いつしよ)に入れ給へ」
「どの中へ」
「シォールの中へ」
可笑(をかし)い、可厭だわ」
 男は逸早(いちはや)く彼の押へしシォールの片端(かたはし)を奪ひて、その中(うち)に身を容(い)れたり。宮(みや)は歩み得ぬまでに笑ひて、
「あら貫一(かんいつ)さん。これぢや切なくて歩けやしない。ああ、前面(むかふ)から人が来てよ」
 かかる戯(たはむれ)を作(な)して憚(はばか)らず、女も為すままに信(まか)せて咎(とが)めざる彼等の関繋(かんけい)は抑(そもそ)も如何(いかに)。事情ありて十年来鴫沢に寄寓(きぐう)せるこの間貫一(はざまかんいち)は、此年(ことし)の夏大学に入(い)るを待ちて、宮が妻(めあは)せらるべき人なり。

     第 三 章

 間貫一の十年来鴫沢の家に寄寓せるは、怙(よ)る所無くて養はるるなり。母は彼の幼(いとけな)かりし頃世を去りて、父は彼の尋常中学を卒業するを見るに及ばずして病死せしより、彼は哀嘆(なげき)の中に父を葬るとともに、己(おのれ)が前途の望をさへ葬らざる可(べ)からざる不幸に遭(あ)へり。父在りし日さへ月謝の支出の血を絞るばかりに苦(くるし)き痩世帯(やせじよたい)なりけるを、当時彼なほ十五歳ながら間の戸主は学ぶに先(さきだ)ちて食(くら)ふべき急に迫られぬ。幼き戸主の学ぶに先ちては食ふべきの急、食ふべきに先ちては葬(はうむり)すべき急、猶(なほ)これに先ちては看護医薬の急ありしにあらずや。自活すべくもあらぬ幼(をさな)き者の如何(いか)にしてこれ等の急を救得(すくひえ)しか。固(もと)より貫一が力の能(あた)ふべきにあらず、鴫沢隆三の身一個(ひとつ)に引承(ひきう)けて万端の世話せしに因(よ)るなり。孤児(みなしご)の父は隆三の恩人にて、彼は聊(いささ)かその旧徳に報ゆるが為に、啻(ただ)にその病めりし時に扶助せしのみならず、常に心着(こころづ)けては貫一の月謝をさへ間(まま)支弁したり。かくて貧き父を亡(うしな)ひし孤児(みなしご)は富める後見(うしろみ)を得て鴫沢の家に引取られぬ。隆三は恩人に報ゆるにその短き生時(せいじ)を以(もつ)て慊(あきた)らず思ひければ、とかくはその忘形見を天晴(あつぱれ)人と成して、彼の一日も忘れざりし志を継がんとせるなり。
 亡(な)き人常に言ひけるは、苟(いやし)くも侍の家に生れながら、何の面目(めんぼく)ありて我子貫一をも人に侮(あなど)らすべきや。彼は学士となして、願くは再び四民(しみん)の上(かみ)に立たしめん。貫一は不断にこの言(ことば)を以(も)て警(いまし)められ、隆三は会ふ毎にまたこの言を以(も)て喞(かこ)たれしなり。彼は言(ものい)ふ遑(いとま)だに無くて暴(にはか)に歿(みまか)りけれども、その前常に口にせしところは明かに彼の遺言なるべきのみ。
 されば貫一が鴫沢の家内に於ける境遇は、決して厄介者として陰(ひそか)に疎(うと)まるる如き憂目(うきめ)に遭(あ)ふにはあらざりき。憖(なまじ)ひ継子(ままこ)などに生れたらんよりは、かくて在りなんこそ幾許(いかばかり)か幸(さいはひ)は多からんよ、と知る人は噂(うはさ)し合へり。隆三夫婦は実(げ)に彼を恩人の忘形見として疎(おろそか)ならず取扱ひけるなり。さばかり彼の愛せらるるを見て、彼等は貫一をば娘の婿にせむとすならんと想へる者もありしかど、当時彼等は構へてさる心ありしにはあらざりけるも、彼の篤学なるを見るに及びて、漸(やうや)くその心は出(い)で来(き)て、彼の高等中学校に入(い)りし時、彼等の了簡は始めて定りぬ。
 貫一は篤学のみならず、性質も直(すぐ)に、行(おこなひ)も正(ただし)かりければ、この人物を以つて学士の冠を戴(いただ)かんには、誠に獲易(えやす)からざる婿なるべし、と夫婦は私(ひそか)に喜びたり。この身代(しんだい)を譲られたりとて、他姓(たせい)を冒(をか)して得謂(えい)はれぬ屈辱を忍ばんは、彼の屑(いさぎよ)しと為ざるところなれども、美き宮を妻に為るを得ば、この身代も屈辱も何か有らんと、彼はなかなか夫婦に増したる懽(よろこび)を懐(いだ)きて、益(ますます)学問を励みたり。宮も貫一をば憎からず思へり。されど恐くは貫一の思へる半(なかば)には過ぎざらん。彼は自らその色好(いろよき)を知ればなり。世間の女の誰(たれ)か自らその色好を知らざるべき、憂ふるところは自ら知るに過(すぐ)るに在り。謂(い)ふ可くんば、宮は己(おのれ)が美しさの幾何(いかばかり)値するかを当然に知れるなり。彼の美しさを以てして纔(わづか)に箇程(かほど)の資産を嗣(つ)ぎ、類多き学士風情(ふぜい)を夫に有たんは、決して彼が所望(のぞみ)の絶頂にはあらざりき。彼は貴人の奥方の微賤(びせん)より出(い)でし例(ためし)寡(すくな)からざるを見たり。又は富人の醜き妻を厭(いと)ひて、美き妾(めかけ)に親むを見たり。才だにあらば男立身は思のままなる如く、女は色をもて富貴(ふうき)を得べしと信じたり。なほ彼は色を以て富貴を得たる人たちの若干(そくばく)を見たりしに、その容(かたち)の己(おのれ)に如(し)かざるものの多きを見出(みいだ)せり。剰(あまつさ)へ彼は行く所にその美しさを唱はれざるはあらざりき。なほ一件(ひとつ)最も彼の意を強うせし事あり。そは彼が十七の歳(とし)に起りし事なり。当時彼は明治音楽院に通ひたりしに、ヴァイオリンのプロフェッサアなる独逸(ドイツ)人は彼の愛らしき袂(たもと)に艶書(えんしよ)を投入れぬ。これ素(もと)より仇(あだ)なる恋にはあらで、女夫(めをと)の契(ちぎり)を望みしなり。殆(ほとん)ど同時に、院長の某(なにがし)は年四十を踰(こ)えたるに、先年その妻を喪(うしな)ひしをもて再び彼を娶(めと)らんとて、密(ひそか)に一室に招きて切なる心を打明かせし事あり。
 この時彼の小(ちひさ)き胸は破れんとするばかり轟(とどろ)けり。半(なかば)は曾(かつ)て覚えざる可羞(はづかしさ)の為に、半は遽(にはか)に大(おほい)なる希望(のぞみ)の宿りたるが為に。彼はここに始めて己(おのれ)の美しさの寡(すくな)くとも奏任以上の地位ある名流をその夫(つま)に値(あた)ひすべきを信じたるなり。彼を美く見たるは彼の教師と院長とのみならで、牆(かき)を隣れる男子部(だんじぶ)の諸生の常に彼を見んとて打騒ぐをも、宮は知らざりしにあらず。
 若(もし)かのプロフェッサアに添はんか、或(あるひ)は四十の院長に従はんか、彼の栄誉ある地位は、学士を婿にして鴫沢の後を嗣(つ)ぐの比にはあらざらんをと、一旦抱(いだ)ける希望(のぞみ)は年と共に太りて、彼は始終昼ながら夢みつつ、今にも貴き人又は富める人又は名ある人の己(おのれ)を見出(みいだ)して、玉の輿(こし)を舁(かか)せて迎に来(きた)るべき天縁の、必ず廻到(めぐりいた)らんことを信じて疑はざりき。彼のさまでに深く貫一を思はざりしは全くこれが為のみ。されども決して彼を嫌(きら)へるにはあらず、彼と添はばさすがに楽(たのし)からんとは念(おも)へるなり。如此(かくのごと)く決定(さだか)にそれとは無けれど又有りとし見ゆる箒木(ははきぎ)の好運を望みつつも、彼は怠らず貫一を愛してゐたり。貫一は彼の己を愛する外にはその胸の中に何もあらじとのみ思へるなりけり。

     第 四 章

 漆の如き闇(やみ)の中(うち)に貫一の書斎の枕時計は十時を打ちぬ。彼は午後四時より向島(むこうじま)の八百松(やおまつ)に新年会ありとて未(いま)だ還(かへ)らざるなり。
 宮は奥より手ラムプを持ちて入来(いりき)にけるが、机の上なる書燈を点(とも)し了(をは)れる時、婢(をんな)は台十能に火を盛りたるを持来(もちきた)れり。宮はこれを火鉢(ひばち)に移して、
「さうして奥のお鉄瓶(てつ)も持つて来ておくれ。ああ、もう彼方(あちら)は御寝(おやすみ)になるのだから」
 久(ひさし)く人気(ひとけ)の絶えたりし一間の寒(さむさ)は、今俄(にはか)に人の温き肉を得たるを喜びて、直(ただ)ちに咬(か)まんとするが如く膚(はだへ)に薄(せま)れり。宮は慌忙(あわただし)く火鉢に取付きつつ、目を挙げて書棚(しよだな)に飾れる時計を見たり。
 夜の闇(くら)く静なるに、燈(ともし)の光の独(ひと)り美き顔を照したる、限無く艶(えん)なり。松の内とて彼は常より着飾れるに、化粧をさへしたれば、露を帯びたる花の梢(こずゑ)に月のうつろへるが如く、背後(うしろ)の壁に映れる黒き影さへ香滴(にほひこぼ)るるやうなり。
 金剛石(ダイアモンド)と光を争ひし目は惜気(をしげ)も無く※(みは)りて時計の秒(セコンド)を刻むを打目戍(うちまも)れり。火に翳(かざ)せる彼の手を見よ、玉の如くなり。さらば友禅模様ある紫縮緬(むらさきちりめん)の半襟(はんえり)に韜(つつ)まれたる彼の胸を想へ。その胸の中(うち)に彼は今如何(いか)なる事を思へるかを想へ。彼は憎からぬ人の帰来(かへり)を待佗(まちわ)ぶるなりけり。
 一時(ひとしきり)又寒(さむさ)の太甚(はなはだし)きを覚えて、彼は時計より目を放つとともに起ちて、火鉢の対面(むかふ)なる貫一が※(しとね)の上に座を移せり。こは彼の手に縫ひしを貫一の常に敷くなり、貫一の敷くをば今夜彼の敷くなり。
 若(もし)やと聞着けし車の音は漸(やうや)く近(ちかづ)きて、益(ますます)轟(とどろ)きて、竟(つひ)に我門(わがかど)に停(とどま)りぬ。宮は疑無(うたがひな)しと思ひて起たんとする時、客はいと酔(ゑ)ひたる声して物言へり。貫一は生下戸(きげこ)なれば嘗(かつ)て酔(ゑ)ひて帰りし事あらざれば、宮は力無く又坐りつ。時計を見れば早や十一時に垂(なんな)んとす。
 門(かど)の戸引啓(ひきあ)けて、酔ひたる足音の土間に踏入りたるに、宮は何事とも分かず唯慌(ただあわ)ててラムプを持ちて出(い)でぬ。台所より婢(をんな)も、出合(いであ)へり。
 足の踏所(ふみど)も覚束無(おぼつかな)げに酔ひて、帽は落ちなんばかりに打傾(うちかたむ)き、ハンカチイフに裹(つつ)みたる折を左に挈(さ)げて、山車(だし)人形のやうに揺々(ゆらゆら)と立てるは貫一なり。面(おもて)は今にも破れぬべく紅(くれなゐ)に熱して、舌の乾(かわ)くに堪(た)へかねて連(しきり)に空唾(からつば)を吐きつつ、
「遅かつたかね。さあ御土産(おみやげ)です。還(かへ)つてこれを細君に遣(おく)る。何ぞ仁(じん)なるや」
「まあ、大変酔つて! どうしたの」
「酔つて了(しま)つた」
「あら、貫一(かんいつ)さん、こんな所に寐(ね)ちや困るわ。さあ、早くお上りなさいよ」
「かう見えても靴が脱げない。ああ酔つた」
 仰様(のけさま)に倒れたる貫一の脚(あし)を掻抱(かきいだ)きて、宮は辛(から)くもその靴を取去りぬ。
「起きる、ああ、今起きる。さあ、起きた。起きたけれど、手を牽(ひ)いてくれなければ僕には歩けませんよ」
 宮は婢(をんな)に燈(ともし)を把(と)らせ、自らは貫一の手を牽かんとせしに、彼は踉(よろめ)きつつ肩に縋(すが)りて遂(つひ)に放さざりければ、宮はその身一つさへ危(あやふ)きに、やうやう扶(たす)けて書斎に入(い)りぬ。
 ※(しとね)の上に舁下(かきおろ)されし貫一は頽(くづ)るる体(たい)を机に支へて、打仰(うちあふ)ぎつつ微吟せり。
「君に勧む、金縷(きんる)の衣(ころも)を惜むなかれ。君に勧む、須(すべから)く少年の時を惜むべし。花有り折るに堪(た)へなば直(ただち)に折る須(べ)し。花無きを待つて空(むなし)く枝を折ることなかれ」
「貫一さん、どうしてそんなに酔つたの?」
「酔つてゐるでせう、僕は。ねえ、宮(みい)さん、非常に酔つてゐるでせう」
「酔つてゐるわ。苦(くるし)いでせう」
然矣(しかり)、苦いほど酔つてゐる。こんなに酔つてゐるに就(つ)いては大(おほ)いに訳が有るのだ。さうして又宮さんなるものが大いに介抱して可い訳が有るのだ。宮さん!」
可厭(いや)よ、私は、そんなに酔つてゐちや。不断嫌(きら)ひの癖に何故(なぜ)そんなに飲んだの。誰に飲(のま)されたの。端山(はやま)さんだの、荒尾さんだの、白瀬さんだのが附いてゐながら、酷(ひど)いわね、こんなに酔(よは)して。十時にはきつと帰ると云ふから私は待つてゐたのに、もう十一時過よ」
「本当に待つてゐてくれたのかい、宮(みい)さん。謝(しや)、多謝(たしや)! 若(もし)それが事実であるならばだ、僕はこのまま死んでも恨みません。こんなに酔されたのも、実はそれなのだ」
 彼は宮の手を取りて、情に堪へざる如く握緊(にぎりし)めつ。
「二人の事は荒尾より外に知る者は無いのだ。荒尾が又決して喋(しやべ)る男ぢやない。それがどうして知れたのか、衆(みんな)が知つてゐて……僕は実に驚いた。四方八方から祝盃(しゆくはい)だ祝盃だと、十も二十も一度に猪口(ちよく)を差されたのだ。祝盃などを受ける覚(おぼえ)は無いと言つて、手を引籠(ひつこ)めてゐたけれど、なかなか衆(みんな)聴かないぢやないか」
 宮は窃(ひそか)に笑(ゑみ)を帯びて余念なく聴きゐたり。
「それぢや祝盃の主意を変へて、仮初(かりそめ)にもああ云ふ美人と一所(いつしよ)に居て寝食を倶(とも)にすると云ふのが既に可羨(うらやまし)い。そこを祝すのだ。次には、君も男児(をとこ)なら、更に一歩を進めて、妻君に為るやうに十分運動したまへ。十年も一所に居てから、今更人に奪(と)られるやうな事があつたら、独(ひと)り間貫一一(いつ)個人の恥辱ばかりではない、我々朋友(ほうゆう)全体の面目にも関する事だ。我々朋友ばかりではない、延(ひ)いて高等中学の名折(なをれ)にもなるのだから、是非あの美人を君が妻君にするやうに、これは我々が心を一(いつ)にして結(むすぶ)の神に祷(いの)つた酒だから、辞退するのは礼ではない。受けなかつたら却(かへ)つて神罰が有ると、弄謔(からかひ)とは知れてゐるけれど、言草(いひぐさ)が面白かつたから、片端(かたつぱし)から引受けて呷々(ぐひぐひ)遣付(やつつ)けた。
 宮さんと夫婦に成れなかつたら、はははははは高等中学の名折になるのだと。恐入つたものだ。何分宜(よろし)く願ひます」
可厭(いや)よ、もう貫一さんは」
「友達中にもさう知れて見ると、立派に夫婦にならなければ、弥(いよい)よ僕の男が立たない義(わけ)だ」
「もう極(きま)つてゐるものを、今更……」
「さうでないです。この頃翁(をぢ)さんや姨(をば)さんの様子を見るのに、どうも僕は……」
「そんな事は決(け)して無いわ、邪推だわ」
「実は翁さんや姨さんの了簡(りようけん)はどうでも可い、宮さんの心一つなのだ」
「私の心は極つてゐるわ」
「さうかしらん?」
「さうかしらんて、それぢや余(あんま)りだわ」
 貫一は酔(ゑひ)を支へかねて宮が膝(ひざ)を枕に倒れぬ。宮は彼が火の如き頬(ほほ)に、額に、手を加へて、
「水を上げませう。あれ、又寐(ね)ちや……貫一さん、貫一さん」
 寔(まこと)に愛の潔(いさぎよ)き哉(かな)、この時は宮が胸の中にも例の汚れたる希望(のぞみ)は跡を絶ちて彼の美き目は他に見るべきもののあらざらんやうに、その力を貫一の寐顔に鍾(あつ)めて、富も貴きも、乃至(ないし)有(あら)ゆる利慾の念は、その膝に覚ゆる一団の微温の為に溶(とろか)されて、彼は唯妙(ただたへ)に香(かうばし)き甘露(かんろ)の夢に酔(ゑ)ひて前後をも知らざるなりけり。
 諸(もろもろ)の可忌(いまはし)き妄想(もうぞう)はこの夜の如く眼(まなこ)を閉ぢて、この一間(ひとま)に彼等の二人よりは在らざる如く、彼は世間に別人の影を見ずして、又この明(あきらか)なる燈火(ともしび)の光の如きものありて、特(こと)に彼等をのみ照すやうに感ずるなり。

     第 五 章

 或日箕輪(みのわ)の内儀は思も懸けず訪来(とひきた)りぬ。その娘のお俊と宮とは学校朋輩(ほうばい)にて常に往来(ゆきき)したりけれども、未(いま)だ家(うち)と家との交際はあらざるなり。彼等の通学せし頃さへ親々は互に識(し)らで過ぎたりしに、今は二人の往来(おうらい)も漸(やうや)く踈(うと)くなりけるに及びて、俄(にはか)にその母の来(きた)れるは、如何(いか)なる故(ゆゑ)にか、と宮も両親(ふたおや)も怪(あやし)き事に念(おも)へり。
 凡(およ)そ三時間の後彼は帰行(かへりゆ)きぬ。
 先に怪みし家内は彼の来りしよりもその用事の更に思懸(おもひが)けざるに驚けり。貫一は不在なりしかばこの珍(めづらし)き客来(きやくらい)のありしを知らず、宮もまた敢(あへ)て告げずして、二日と過ぎ、三日と過ぎぬ。その日より宮は少(すこし)く食して、多く眠らずなりぬ。貫一は知らず、宮はいよいよ告げんとは為(せ)ざりき。この間に両親(ふたおや)は幾度(いくたび)と無く談合しては、その事を決しかねてゐたり。
 彼の陰に在りて起れる事、又は見るべからざる人の心に浮べる事どもは、貫一の知る因(よし)もあらねど、片時(へんじ)もその目の忘れざる宮の様子の常に変れるを見出(みいだ)さんは難(かた)き事にあらず。さも無かりし人の顔の色の遽(にはか)に光を失ひたるやうにて、振舞(ふるまひ)など別(わ)けて力無く、笑ふさへいと打湿(うちしめ)りたるを。
 宮が居間と謂(い)ふまでにはあらねど、彼の箪笥(たんす)手道具等(など)置きたる小座敷あり。ここには火燵(こたつ)の炉を切りて、用無き人の来ては迭(かたみ)に冬籠(ふゆごもり)する所にも用ゐらる。彼は常にここに居て針仕事するなり。倦(う)めば琴(こと)をも弾(ひ)くなり。彼が手玩(てすさみ)と見ゆる狗子柳(いのこやなぎ)のはや根を弛(ゆる)み、真(しん)の打傾きたるが、鮟鱇切(あんこうぎり)の水に埃(ほこり)を浮べて小机の傍(かたへ)に在り。庭に向へる肱懸窓(ひぢかけまど)の明(あかる)きに敷紙(しきがみ)を披(ひろ)げて、宮は膝(ひざ)の上に紅絹(もみ)の引解(ひきとき)を載せたれど、針は持たで、懶(ものう)げに火燵に靠(もた)れたり。
 彼は少(すこし)く食して多く眠らずなりてよりは、好みてこの一間に入(い)りて、深く物思ふなりけり。両親(ふたおや)は仔細(しさい)を知れるにや、この様子をば怪まんともせで、唯彼の為(な)すままに委(まか)せたり。
 この日貫一は授業始(はじめ)の式のみにて早く帰来(かへりき)にけるが、下(した)座敷には誰(たれ)も見えで、火燵(こたつ)の間に宮の咳(しはぶ)く声して、後は静に、我が帰りしを知らざるよと思ひければ、忍足に窺寄(うかがひよ)りぬ。襖(ふすま)の僅(わづか)に啓(あ)きたる隙(ひま)より差覗(さしのぞ)けば、宮は火燵に倚(よ)りて硝子(ガラス)障子を眺(なが)めては俯目(ふしめ)になり、又胸痛きやうに仰ぎては太息吐(ためいきつ)きて、忽(たちま)ち物の音を聞澄すが如く、美き目を瞠(みは)るは、何をか思凝(おもひこら)すなるべし。人の窺(うかが)ふと知らねば、彼は口もて訴ふるばかりに心の苦悶(くもん)をその状(かたち)に顕(あらは)して憚(はばか)らざるなり。
 貫一は異(あやし)みつつも息を潜めて、猶(なほ)彼の為(せ)んやうを見んとしたり。宮は少時(しばし)ありて火燵に入りけるが、遂(つひ)に櫓(やぐら)に打俯(うちふ)しぬ。
 柱に身を倚せて、斜(ななめ)に内を窺ひつつ貫一は眉(まゆ)を顰(ひそ)めて思惑(おもひまど)へり。
 彼は如何(いか)なる事ありてさばかり案じ煩(わづら)ふならん。さばかり案じ煩ふべき事を如何なれば我に明さざるならん。その故(ゆゑ)のあるべく覚えざるとともに、案じ煩ふ事のあるべきをも彼は信じ得ざるなりけり。
 かく又案じ煩へる彼の面(おもて)も自(おのづか)ら俯(うつむ)きぬ。問はずして知るべきにあらずと思定(おもひさだ)めて、再び内を差覗(さしのぞ)きけるに、宮は猶打俯してゐたり。何時(いつ)か落ちけむ、蒔絵(まきゑ)の櫛(くし)の零(こぼ)れたるも知らで。
 人の気勢(けはひ)に驚きて宮の振仰ぐ時、貫一は既にその傍(かたはら)に在り。彼は慌(あわ)てて思頽(おもひくづを)るる気色(けしき)を蔽(おほ)はんとしたるが如し。
「ああ、吃驚(びつくら)した。何時(いつ)御帰んなすつて」
「今帰つたの」
「さう。些(ちつと)も知らなかつた」
 宮はおのれの顔の頻(しきり)に眺めらるるを眩(まば)ゆがりて、
「何をそんなに視(み)るの、可厭(いや)、私は」
 されども彼は猶目を放たず、宮はわざと打背(うちそむ)きて、裁片畳(きれたたふ)の内を撈(かきさが)せり。
宮(みい)さん、お前さんどうしたの。ええ、何処(どこ)か不快(わるい)のかい」
「何ともないのよ。何故(なぜ)?」
 かく言ひつつ益(ますます)急に撈(かきさが)せり。貫一は帽を冠(かぶ)りたるまま火燵に片肱掛(かたひぢか)けて、斜(ななめ)に彼の顔を見遣(みや)りつつ、
「だから僕は始終水臭いと言ふんだ。さう言へば、直(ぢき)に疑深(うたぐりぶか)いの、神経質だのと言ふけれど、それに違無いぢやないか」
「だつて何ともありもしないものを……」
「何ともないものが、惘然(ぼんやり)考へたり、太息(ためいき)を吐(つ)いたりして鬱(ふさ)いでゐるものか。僕は先之(さつき)から唐紙(からかみ)の外で立つて見てゐたんだよ。病気かい、心配でもあるのかい。言つて聞(きか)したつて可いぢやないか」
 宮は言ふところを知らず、纔(わづか)に膝の上なる紅絹(もみ)を手弄(てまさぐ)るのみ。
「病気なのかい」
 彼は僅(わづか)に頭(かしら)を掉(ふ)りぬ。
「それぢや心配でもあるのかい」
 彼はなほ頭を掉れば、
「ぢやどうしたと云ふのさ」
 宮は唯胸の中(うち)を車輪(くるま)などの廻(めぐ)るやうに覚ゆるのみにて、誠にも詐(いつはり)にも言(ことば)を出(いだ)すべき術(すべ)を知らざりき。彼は犯せる罪の終(つひ)に秘(つつ)む能(あた)はざるを悟れる如き恐怖(おそれ)の為に心慄(こころをのの)けるなり。如何(いか)に答へんとさへ惑へるに、傍(かたはら)には貫一の益詰(なじ)らんと待つよと思へば、身は搾(しぼ)らるるやうに迫来(せまりく)る息の隙(ひま)を、得も謂(い)はれず冷(ひやや)かなる汗の流れ流れぬ。
「それぢやどうしたのだと言ふのに」
 貫一の声音(こわね)は漸(やうや)く苛立(いらだ)ちぬ。彼の得言はぬを怪しと思へばなり。宮は驚きて不覚(そぞろ)に言出(いひいだ)せり。
「どうしたのだか私にも解らないけれど、……私はこの二三日どうしたのだか……変に色々な事を考へて、何だか世の中がつまらなくなつて、唯悲くなつて来るのよ」
 呆(あき)れたる貫一は瞬(またたき)もせで耳を傾(かたぶ)けぬ。
「人間と云ふものは今日かうして生きてゐても、何時(いつ)死んで了(しま)ふか解らないのね。かうしてゐれば、可楽(たのしみ)な事もある代(かはり)に辛(つら)い事や、悲い事や、苦(くるし)い事なんぞが有つて、二つ好い事は無し、考れば考るほど私は世の中が心細いわ。不図(ふつと)さう思出(おもひだ)したら、毎日そんな事ばかり考へて、可厭(いや)な心地(こころもち)になつて、自分でもどうか為(し)たのかしらんと思ふけれど、私病気のやうに見えて?」
 目を閉ぢて聴(きき)ゐし貫一は徐(しづか)に※(まぶた)を開くとともに眉(まゆ)を顰(ひそ)めて、
「それは病気だ!」
 宮は打萎(うちしを)れて頭(かしら)を垂れぬ。
然(しか)し心配する事は無いさ。気に為ては可かんよ。可いかい」
「ええ、心配しはしません」
 異(あやし)く沈みたるその声の寂しさを、如何(いか)に貫一は聴きたりしぞ。
「それは病気の所為(せゐ)だ、脳でも不良(わるい)のだよ。そんな事を考へた日には、一日だつて笑つて暮せる日は有りはしない。固(もと)より世の中と云ふものはさう面白い義(わけ)のものぢやないので、又人の身の上ほど解らないものは無い。それはそれに違無いのだけれど、衆(みんな)が皆(みんな)そんな了簡(りようけん)を起して御覧な、世界中御寺ばかりになつて了(しま)ふ。儚(はかな)いのが世の中と覚悟した上で、その儚い、つまらない中で切(せめ)ては楽(たのしみ)を求めやうとして、究竟(つまり)我々が働いてゐるのだ。考へて鬱(ふさ)いだところで、つまらない世の中に儚い人間と生れて来た以上は、どうも今更為方が無いぢやないか。だから、つまらない世の中を幾分(いくら)か面白く暮さうと考へるより外は無いのさ。面白く暮すには、何か楽(たのしみ)が無ければならない。一事(ひとつ)かうと云ふ楽があつたら決して世の中はつまらんものではないよ。宮(みい)さんはそれでは楽と云ふものが無いのだね。この楽があればこそ生きてゐると思ふ程の楽は無いのだね」
 宮は美き目を挙げて、求むるところあるが如く偸(ひそか)に男の顔を見たり。
「きつと無いのだね」
 彼は笑(ゑみ)を含みぬ。されども苦しげに見えたり。
「無い?」
 宮の肩頭(かたさき)を捉(と)りて貫一は此方(こなた)に引向けんとすれば、為(な)すままに彼は緩(ゆる)く身を廻(めぐら)したれど、顔のみは可羞(はぢがまし)く背(そむ)けてゐたり。
「さあ、無いのか、有るのかよ」
 肩に懸けたる手をば放さで連(しきり)に揺(ゆすら)るるを、宮は銕(くろがね)の槌(つち)もて撃懲(うちこら)さるるやうに覚えて、安き心もあらず。冷(ひややか)なる汗は又一時(ひとしきり)流出(ながれい)でぬ。
「これは怪(け)しからん!」
 宮は危(あやぶ)みつつ彼の顔色を候(うかが)ひぬ。常の如く戯るるなるべし。その面(おもて)は和(やはら)ぎて一点の怒気だにあらず、寧(むし)ろ唇頭(くちもと)には笑を包めるなり。
「僕などは一件(ひとつ)大きな大きな楽があるので、世の中が愉快で愉快で耐(たま)らんの。一日が経(た)つて行くのが惜くて惜くてね。僕は世の中がつまらない為にその楽を拵(こしら)へたのではなくて、その楽の為にこの世の中に活きてゐるのだ。若(も)しこの世の中からその楽を取去つたら、世の中は無い! 貫一といふ者も無い! 僕はその楽と生死(しようし)を倶(とも)にするのだ。宮(みい)さん、可羨(うらやまし)いだらう」
 宮は忽(たちま)ち全身の血の氷れるばかりの寒さに堪(た)へかねて打顫(うちふる)ひしが、この心の中を覚(さと)られじと思へば、弱る力を励して、
可羨(うらやまし)いわ」
「可羨ければ、お前さんの事だから分けてあげやう」
何卒(どうぞ)」
「ええ悉皆(みんな)遣(や)つて了(しま)へ!」
 彼は外套(オバコオト)の衣兜(かくし)より一袋のボンボンを取出(とりいだ)して火燵(こたつ)の上に置けば、余力(はずみ)に袋の口は弛(ゆる)みて、紅白の玉は珊々(さらさら)と乱出(みだれい)でぬ。こは宮の最も好める菓子なり。

     第 六 章

 その翌々日なりき、宮は貫一に勧められて行きて医の診察を受けしに、胃病なりとて一瓶(いちびん)の水薬(すいやく)を与へられぬ。貫一は信(まこと)に胃病なるべしと思へり。患者は必ずさる事あらじと思ひつつもその薬を服したり。懊悩(おうのう)として憂(うき)に堪(た)へざらんやうなる彼の容体(ようたい)に幾許(いくばく)の変も見えざりけれど、その心に水と火の如きものありて相剋(あひこく)する苦痛は、益(ますます)募りて止(やま)ざるなり。
 貫一は彼の憎からぬ人ならずや。怪(あやし)むべし、彼はこの日頃さしも憎からぬ人を見ることを懼(おそ)れぬ。見ねばさすがに見まほしく思ひながら、面(おもて)を合すれば冷汗(ひやあせ)も出づべき恐怖(おそれ)を生ずるなり。彼の情有(なさけあ)る言(ことば)を聞けば、身をも斫(き)らるるやうに覚ゆるなり。宮は彼の優き心根(こころね)を見ることを恐れたり。宮が心地勝(すぐ)れずなりてより、彼に対する貫一の優しさはその平生(へいぜい)に一層を加へたれば、彼は死を覓(もと)むれども得ず、生を求むれども得ざらんやうに、悩乱してほとほとその堪(た)ふべからざる限に至りぬ。
 遂(つひ)に彼はこの苦(くるしみ)を両親に訴へしにやあらん、一日(あるひ)母と娘とは遽(にはか)に身支度して、忙々(いそがはし)く車に乗りて出でぬ。彼等は小(ちひさ)からぬ一個(ひとつ)の旅鞄(たびかばん)を携へたり。
 大風(おほかぜ)の凪(な)ぎたる迹(あと)に孤屋(ひとつや)の立てるが如く、侘(わび)しげに留守せる主(あるじ)の隆三は独(ひと)り碁盤に向ひて碁経(きけい)を披(ひら)きゐたり。齢(よはひ)はなほ六十に遠けれど、頭(かしら)は夥(おびただし)き白髪(しらが)にて、長く生ひたる髯(ひげ)なども六分は白く、容(かたち)は痩(や)せたれど未(いま)だ老の衰(おとろへ)も見えず、眉目温厚(びもくおんこう)にして頗(すこぶ)る古井(こせい)波無きの風あり。
 やがて帰来(かへりき)にける貫一は二人の在らざるを怪みて主(あるじ)に訊(たづ)ねぬ。彼は徐(しづか)に長き髯を撫(な)でて片笑みつつ、
「二人はの、今朝新聞を見ると急に思着いて、熱海へ出掛けたよ。何でも昨日(きのふ)医者が湯治が良いと言うて切(しきり)に勧めたらしいのだ。いや、もう急の思着(おもひつき)で、脚下(あしもと)から鳥の起(た)つやうな騒をして、十二時三十分の※車(きしや)で。ああ、独(ひとり)で寂いところ、まあ茶でも淹(い)れやう」
 貫一は有る可からざる事のやうに疑へり。
「はあ、それは。何だか夢のやうですな」
「はあ、私(わし)もそんな塩梅(あんばい)で」
然(しか)し、湯治は良いでございませう。幾日(いくか)ほど逗留(とうりゆう)のお心算(つもり)で?」
「まあどんなだか四五日と云ふので、些(ほん)の着のままで出掛けたのだが、なあに直(ぢき)に飽きて了(しま)うて、四五日も居られるものか、出(で)養生より内(うち)養生の方が楽だ。何か旨(うま)い物でも食べやうぢやないか、二人で、なう」
 貫一は着更(きか)へんとて書斎に還りぬ。宮の遺(のこ)したる筆の蹟(あと)などあらんかと思ひて、求めけれども見えず。彼の居間をも尋ねけれど在らず。急ぎ出でしなればさもあるべし、明日は必ず便(たより)あらんと思飜(おもひかへ)せしが、さすがに心楽まざりき。彼の六時間学校に在りて帰来(かへりきた)れるは、心の痩(や)するばかり美き俤(おもかげ)に饑(う)ゑて帰来れるなり。彼は空(むなし)く饑ゑたる心を抱(いだ)きて慰むべくもあらぬ机に向へり。
「実に水臭いな。幾許(いくら)急いで出掛けたつて、何とか一言(ひとこと)ぐらゐ言遺(いひお)いて行(い)きさうなものぢやないか。一寸(ちよつと)其処(そこ)へ行つたのぢやなし、四五日でも旅だ。第一言遺く、言遺かないよりは、湯治に行くなら行くと、始(はじめ)に話が有りさうなものだ。急に思着いた? 急に思着いたつて、急に行かなければならん所ぢやあるまい。俺の帰るのを待つて、話をして、明日(あした)行くと云ふのが順序だらう。四五日ぐらゐの離別(わかれ)には顔を見ずに行つても、あの人は平気なのかしらん。
 女と云ふ者は一体男よりは情が濃(こまやか)であるべきなのだ。それが濃でないと為れば、愛してをらんと考へるより外は無い。豈(まさか)にあの人が愛してをらんとは考へられん。又万々(ばんばん)そんな事は無い。けれども十分に愛してをると云ふほど濃ではないな。
 元来あの人の性質は冷淡さ。それだから所謂(いはゆる)『娘らしい』ところが余り無い。自分の思ふやうに情が濃でないのもその所為(せゐ)か知らんて。子供の時分から成程さう云ふ傾向(かたむき)は有(も)つてゐたけれど、今のやうに太甚(はなはだし)くはなかつたやうに考へるがな。子供の時分にさうであつたなら、今ぢや猶更(なほさら)でなければならんのだ。それを考へると疑ふよ、疑はざるを得ない!
 それに引替へて自分だ、自分の愛してゐる度は実に非常なもの、殆(ほとん)ど……殆どではない、全くだ、全く溺(おぼ)れてゐるのだ。自分でもどうしてこんなだらうと思ふほど溺れてゐる!
 これ程自分の思つてゐるのに対しても、も少し情が篤(あつ)くなければならんのだ。或時などは実に水臭い事がある。今日の事なども随分酷(ひど)い話だ。これが互に愛してゐる間(なか)の仕草だらうか。深く愛してゐるだけにかう云ふ事を為(さ)れると実に憎い。
 小説的かも知れんけれど、八犬伝(はつけんでん)の浜路(はまじ)だ、信乃(しの)が明朝(あした)は立つて了ふと云ふので、親の目を忍んで夜更(よふけ)に逢(あ)ひに来る、あの情合(じやうあひ)でなければならない。いや、妙だ! 自分の身の上も信乃に似てゐる。幼少から親に別れてこの鴫沢の世話になつてゐて、其処(そこ)の娘と許嫁(いひなづけ)……似てゐる、似てゐる。
 然し内の浜路は困る、信乃にばかり気を揉(もま)して、余り憎いな、そでない為方(しかた)だ。これから手紙を書いて思ふさま言つて遣(や)らうか。憎いは憎いけれど病気ではあるし、病人に心配させるのも可哀(かあい)さうだ。
 自分は又神経質に過るから、思過(おもひすごし)を為るところも大きにあるのだ。それにあの人からも不断言はれる、けれども自分が思過(おもひすごし)であるか、あの人が情(じよう)が薄いのかは一件(ひとつ)の疑問だ。
 時々さう思ふ事がある、あの人の水臭い仕打の有るのは、多少(いくら)か自分を侮(あなど)つてゐるのではあるまいか。自分は此家(ここ)の厄介者、あの人は家附の娘だ。そこで自(おのづか)ら主(しゆう)と家来と云ふやうな考が始終有つて、……否(いや)、それもあの人に能(よ)く言れる事だ、それくらゐなら始から許しはしない、好いと思へばこそかう云ふ訳に、……さうだ、さうだ、それを言出すと太(ひど)く慍(おこ)られるのだ、一番それを慍るよ。勿論(もちろん)そんな様子の些少(すこし)でも見えた事は無い。自分の僻見(ひがみ)に過ぎんのだけれども、気が済まないから愚痴も出るのだ。然し、若(もし)もあの人の心にそんな根性が爪の垢(あか)ほどでも有つたらば、自分は潔くこの縁は切つて了ふ。立派に切つて見せる! 自分は愛情の俘(とりこ)とはなつても、未(ま)だ奴隷になる気は無い。或(あるひ)はこの縁を切つたなら自分はあの人を忘れかねて焦死(こがれじに)に死ぬかも知れん。死なんまでも発狂するかも知れん。かまはん! どうならうと切れて了ふ。切れずに措(お)くものか。
 それは自分の僻見(ひがみ)で、あの人に限つてはそんな心は微塵(みじん)も無いのだ。その点は自分も能(よ)く知つてゐる。けれども情が濃(こまやか)でないのは事実だ、冷淡なのは事実だ。だから、冷淡であるから情が濃でないのか。自分に対する愛情がその冷淡を打壊(うちこは)すほどに熱しないのか。或(あるひ)は熱し能(あた)はざるのが冷淡の人の愛情であるのか。これが、研究すべき問題だ」
 彼は意(こころ)に満たぬ事ある毎に、必ずこの問題を研究せざるなけれども、未だ曾(かつ)て解釈し得ざるなりけり。今日はや如何(いか)に解釈せんとすらん。

     (六) の 二

 翌日果して熱海より便(たより)はありけれど、僅(わづか)に一枚の端書(はがき)をもて途中の無事と宿とを通知せるに過ぎざりき。宛名は隆三と貫一とを並べて、宮の手蹟(しゆせき)なり。貫一は読了(よみをは)ると斉(ひと)しく片々(きれきれ)に引裂きて捨ててけり。宮の在らば如何(いか)にとも言解くなるべし。彼の親(したし)く言解(いひと)かば、如何に打腹立(うちはらだ)ちたりとも貫一の心の釈(と)けざることはあらじ。宮の前には常に彼は慍(いかり)をも、恨をも、憂(うれひ)をも忘るるなり。今は可懐(なつかし)き顔を見る能はざる失望に加ふるに、この不平に遭(あ)ひて、しかも言解く者のあらざれば、彼の慍(いかり)は野火の飽くこと知らで燎(や)くやうなり。
 この夕(ゆふべ)隆三は彼に食後の茶を薦(すす)めぬ。一人佗(わび)しければ留(とど)めて物語(ものがたら)はんとてなるべし。されども貫一の屈托顔(くつたくがほ)して絶えず思の非(あら)ぬ方(かた)に馳(は)する気色(けしき)なるを、
「お前どうぞ為(し)なすつたか。うむ、元気が無いの」
「はあ、少し胸が痛みますので」
「それは好くない。劇(ひど)く痛みでもするかな」
「いえ、なに、もう宜(よろし)いのでございます」
「それぢや茶は可(い)くまい」
頂戴(ちようだい)します」
 かかる浅ましき慍(いかり)を人に移さんは、甚(はなは)だ謂無(いはれな)き事なり、と自ら制して、書斎に帰りて憖(なまじ)ひ心を傷めんより、人に対して姑(しばら)く憂(うさ)を忘るるに如(し)かじと思ひければ、彼は努めて寛(くつろ)がんとしたれども、動(やや)もすれば心は空(そら)になりて、主(あるじ)の語(ことば)を聞逸(ききそら)さむとす。
 今日文(ふみ)の来て細々(こまごま)と優き事など書聯(かきつら)ねたらば、如何(いか)に我は嬉(うれし)からん。なかなか同じ処に居て飽かず顔を見るに易(か)へて、その楽(たのしみ)は深かるべきを。さては出行(いでゆ)きし恨も忘られて、二夜三夜(ふたよみよ)は遠(とほざ)かりて、せめてその文を形見に思続けんもをかしかるべきを。
 彼はその身の卒(にはか)に出行(いでゆ)きしを、如何(いか)に本意無(ほいな)く我の思ふらんかは能(よ)く知るべきに。それを知らば一筆(ひとふで)書きて、など我を慰めんとは為(せ)ざる。その一筆を如何に我の嬉く思ふらんかをも能く知るべきに。我を可憐(いと)しと思へる人の何故(なにゆゑ)にさは為(せ)ざるにやあらん。かくまでに情篤(なさけあつ)からぬ恋の世に在るべきか。疑ふべし、疑ふべし、と貫一の胸は又乱れぬ。主の声に驚かされて、彼は忽(たちま)ちその事を忘るべき吾(われ)に復(かへ)れり。
「ちと話したい事があるのだが、や、誠に妙な話で、なう」
 笑ふにもあらず、顰(ひそ)むにもあらず、稍(やや)自ら嘲(あざ)むに似たる隆三の顔は、燈火(ともしび)に照されて、常には見ざる異(あやし)き相を顕(あらは)せるやうに、貫一は覚ゆるなりき。
「はあ、どういふ御話ですか」
 彼は長き髯(ひげ)を忙(せはし)く揉(も)みては、又頤(おとがひ)の辺(あたり)より徐(しづか)に撫下(なでおろ)して、先(まづ)打出(うちいだ)さん語(ことば)を案じたり。
「お前の一身上の事に就(つ)いてだがの」
 纔(わづか)にかく言ひしのみにて、彼は又遅(ためら)ひぬ、その髯(ひげ)は虻(あぶ)に苦しむ馬の尾のやうに揮(ふる)はれつつ、
「いよいよお前も今年の卒業だつたの」
 貫一は遽(にはか)に敬はるる心地して自(おのづ)と膝(ひざ)を正せり。
「で、私(わし)もまあ一安心したと云ふもので、幾分かこれでお前の御父様(おとつさん)に対して恩返(おんがへし)も出来たやうな訳、就いてはお前も益(ますます)勉強してくれんでは困るなう。未だこの先大学を卒業して、それから社会へ出て相応の地位を得るまでに仕上げなければ、私も鼻は高くないのだ。どうか洋行の一つも為(さ)せて、指折の人物に為(し)たいと考へてゐるくらゐ、未(ま)だ未だこれから両肌(りようはだ)を脱いで世話をしなければならんお前の体だ、なう」
 これを聞(き)ける貫一は鉄繩(てつじよう)をもて縛(いまし)められたるやうに、身の重きに堪(た)へず、心の転(うた)た苦(くるし)きを感じたり。その恩の余りに大いなるが為に、彼はその中(うち)に在りてその中に在ることを忘れんと為る平生(へいぜい)を省みたるなり。
「はい。非常な御恩に預りまして、考へて見ますると、口では御礼の申しやうもございません。愚父(おやぢ)がどれ程の事を致したか知りませんが、なかなかこんな御恩返を受けるほどの事が出来るものでは有りません。愚父の事は措(お)きまして、私は私で、この御恩はどうか立派に御返し申したいと念(おも)つてをります。愚父の亡(なくな)りましたあの時に、此方(こちら)で引取つて戴(いただ)かなかつたら、私は今頃何に成つてをりますか、それを思ひますと、世間に私ほど幸(さいはひ)なものは恐(おそら)く無いでございませう」
 彼は十五の少年の驚くまでに大人びたる己(おのれ)を見て、その着たる衣(きぬ)を見て、その坐れる※(しとね)を見て、やがて美き宮と共にこの家の主(ぬし)となるべきその身を思ひて、漫(そぞろ)に涙を催せり。実(げ)に七千円の粧奩(そうれん)を随へて、百万金も購(あがな)ふ可からざる恋女房を得べき学士よ。彼は小買の米を風呂敷に提げて、その影の如く痩せたる犬とともに月夜を走りし少年なるをや。
「お前がさう思うてくれれば私(わし)も張合がある。就いては改めてお前に頼(たのみ)があるのだが、聴いてくれるか」
「どういふ事ですか、私で出来ます事ならば、何なりと致します」
 彼はかく潔く答ふるに憚(はばか)らざりけれど、心の底には危むところ無きにしもあらざりき。人のかかる言(ことば)を出(いだ)す時は、多く能(あた)はざる事を強(し)ふる例(ためし)なればなり。
「外でも無いがの、宮の事だ、宮を嫁に遣(や)らうかと思つて」
 見るに堪(た)へざる貫一の驚愕(おどろき)をば、せめて乱さんと彼は慌忙(あわただし)く語(ことば)を次ぎぬ。
「これに就いては私も種々(いろいろ)と考へたけれど、大きに思ふところもあるで、いつそあれは遣つて了(しま)うての、お前はも少(すこ)しの事だから大学を卒業して、四五年も欧羅巴(エウロッパ)へ留学して、全然(すつかり)仕上げたところで身を固めるとしたらどうかな」
 汝(なんぢ)の命を与へよと逼(せま)らるる事あらば、その時の人の思は如何(いか)なるべき! 可恐(おそろし)きまでに色を失へる貫一は空(むなし)く隆三の面(おもて)を打目戍(うちまも)るのみ。彼は太(いた)く困(こう)じたる体(てい)にて、長き髯をば揉みに揉みたり。
「お前に約束をして置いて、今更変換(へんがへ)を為るのは、何とも気の毒だが、これに就いては私も大きに考へたところがあるので、必ずお前の為にも悪いやうには計はんから、可いかい、宮は嫁に遣る事にしてくれ、なう」
 待てども貫一の言(ことば)を出(いだ)さざれば、主(あるじ)は寡(すくな)からず惑へり。
「なう、悪く取つてくれては困るよ、あれを嫁に遣るから、それで我家(うち)とお前との縁を切つて了ふと云ふのではない、可いかい。大(たい)した事は無いがこの家は全然(そつくり)お前に譲るのだ、お前は矢張(やはり)私の家督よ、なう。で、洋行も為せやうと思ふのだ。必ず悪く取つては困るよ。
 約束をした宮をの、余所(よそ)へ遣ると云へば、何かお前に不足でもあるやうに聞えるけれど、決してさうした訳ではないのだから、其処(そこ)はお前が能(よ)く承知してくれんければ困る、誤解されては困る。又お前にしても、学問を仕上げて、なう、天晴(あつぱれ)の人物に成るのが第一の希望(のぞみ)であらう。その志を遂(と)げさへ為れば、宮と一所になる、ならんはどれ程の事でもないのだ。なう、さうだらう、然(しか)しこれは理窟(りくつ)で、お前も不服かも知れん。不服と思ふから私も頼むのだ。お前に頼(たのみ)が有ると言うたのはこの事だ。
 従来(これまで)もお前を世話した、後来(これから)も益世話をせうからなう、其処(そこ)に免じて、お前もこの頼は聴いてくれ」
 貫一は戦(をのの)く唇(くちびる)を咬緊(くひし)めつつ、故(ことさ)ら緩舒(ゆるやか)に出(いだ)せる声音(こわね)は、怪(あやし)くも常に変れり。
「それぢや翁様(をぢさん)の御都合で、どうしても宮(みい)さんは私に下さる訳には参らんのですか」
「さあ、断(た)つて遣れんと云ふ次第ではないが、お前の意はどうだ。私の頼は聴ずとも、又自分の修業の邪魔にならうとも、そんな貪着(とんちやく)は無しに、何でもかでも宮が欲しいと云ふのかな」
「…………」
「さうではあるまい」
「…………」
 得言はぬ貫一が胸には、理(ことわり)に似たる彼の理不尽を憤りて、責むべき事、詰(なじ)るべき事、罵(ののし)るべき、言破るべき事、辱(はぢし)むべき事の数々は沸(わ)くが如く充満(みちみ)ちたれど、彼は神にも勝(まさ)れる恩人なり。理非を問はずその言(ことば)には逆ふべからずと思へば、血出づるまで舌を咬(か)みても、敢(あへ)て言はじと覚悟せるなり。
 彼は又思へり。恩人は恩を枷(かせ)に如此(かくのごと)く逼(せま)れども、我はこの枷の為に屈せらるべきも、彼は如何(いか)なる斧(をの)を以てか宮の愛をば割かんとすらん。宮が情(なさけ)は我が思ふままに濃(こまやか)ならずとも、我を棄つるが如きさばかり薄き情にはあらざるを。彼だに我を棄てざらんには、枷も理不尽も恐るべきかは。頼むべきは宮が心なり。頼まるるも宮が心也(なり)と、彼は可憐(いとし)き宮を思ひて、その父に対する慍(いかり)を和(やはら)げんと勉(つと)めたり。
 我は常に宮が情(なさけ)の濃(こまやか)ならざるを疑へり。あだかも好しこの理不尽ぞ彼が愛の力を試むるに足るなる。善し善し、盤根錯節(ばんこんさくせつ)に遇(あ)はずんば。
「嫁に遣ると有仰(おつしや)るのは、何方(どちら)へ御遣(おつかは)しになるのですか」
「それは未(ま)だ確(しか)とは極(きま)らんがの、下谷(したや)に富山銀行と云ふのがある、それ、富山重平な、あれの息子の嫁に欲いと云ふ話があるので」
 それぞ箕輪の骨牌会(かるたかい)に三百円の金剛石(ダイアモンド)を※(ひけら)かせし男にあらずやと、貫一は陰(ひそか)に嘲笑(あざわら)へり。されど又余りにその人の意外なるに駭(おどろ)きて、やがて又彼は自ら笑ひぬ。これ必ずしも意外ならず、苟(いやし)くも吾が宮の如く美きを、目あり心あるものの誰(たれ)かは恋ひざらん。独(ひと)り怪しとも怪きは隆三の意(こころ)なる哉(かな)。我(わが)十年の約は軽々(かろがろし)く破るべきにあらず、猶(なほ)謂無(いはれな)きは、一人娘を出(いだ)して嫁(か)せしめんとするなり。戯(たはむ)るるにはあらずや、心狂へるにはあらずや。貫一は寧(むし)ろかく疑ふをば、事の彼の真意に出でしを疑はんより邇(ちか)かるべしと信じたりき。
 彼は競争者の金剛石(ダイアモンド)なるを聞きて、一度(ひとたび)は汚(けが)され、辱(はづかし)められたらんやうにも怒(いかり)を作(な)せしかど、既に勝負は分明(ぶんめい)にして、我は手を束(つか)ねてこの弱敵の自ら僵(たふ)るるを看(み)んと思へば、心稍(やや)落ゐぬ。
「は、はあ、富山重平、聞いてをります、偉い財産家で」
 この一言に隆三の面(おもて)は熱くなりぬ。
「これに就いては私(わし)も大きに考へたのだ、何(なに)に為(し)ろ、お前との約束もあるものなり、又一人娘の事でもあり、然(しか)し、お前の後来(こうらい)に就(つ)いても、宮の一身に就いてもの、又私たちは段々取る年であつて見れば、その老後だの、それ等の事を考へて見ると、この鴫沢の家には、お前も知つての通り、かうと云ふ親類も無いで、何かに就けて誠に心細いわ、なう。私たちは追々年を取るばかり、お前たちは若(わか)しと云ふもので、ここに可頼(たのもし)い親類が有れば、どれ程心丈夫だか知れんて、なう。そこで富山ならば親類に持つても可愧(はづかし)からん家格(いへがら)だ。気の毒な思をしてお前との約束を変易(へんがへ)するのも、私たちが一人娘を他(よそ)へ遣つて了ふのも、究竟(つまり)は銘々の為に行末好かれと思ふより外は無いのだ。
 それに、富山からは切(た)つての懇望で、無理に一人娘を貰ふと云ふ事であれば、息子夫婦は鴫沢の子同様に、富山も鴫沢も一家(いつけ)のつもりで、決して鴫沢家を疎(おろそか)には為(せ)まい。娘が内に居なくなつて不都合があるならば、どの様にもその不都合の無いやうには計はうからと、なう、それは随分事を分けた話で。
 決して慾ではないが、良(い)い親類を持つと云ふものは、人で謂(い)へば取(とり)も直(なほ)さず良い友達で、お前にしてもさうだらう、良い友達が有れば、万事の話合手になる、何かの力になる、なう、謂はば親類は一家(いつか)の友達だ。
 お前がこれから世の中に出るにしても、大相(たいそう)な便宜になるといふもの。それやこれや考へて見ると、内に置かうよりは、遣つた方が、誰(たれ)の為彼の為ではない。四方八方が好いのだから、私(わし)も決心して、いつそ遣らうと思ふのだ。
 私の了簡(りようけん)はかう云ふのだから、必ず悪く取つてくれては困るよ、なう。私だとて年効(としがひ)も無く事を好んで、何為(なにし)に若いものの不為(ふため)になれと思ふものかな。お前も能(よ)く其処(そこ)を考へて見てくれ。
 私もかうして頼むからは、お前の方の頼も聴かう。今年卒業したら直(すぐ)に洋行でもしたいと思ふなら、又さう云ふ事に私も一番(ひとつ)奮発しやうではないか。明日にも宮と一処になつて、私たちを安心さしてくれるよりは、お前も私もも少(すこ)しのところを辛抱して、いつその事博士(はかせ)になつて喜ばしてくれんか」
 彼はさも思ひのままに説完(ときおほ)せたる面色(おももち)して、寛(ゆたか)に髯(ひげ)を撫(な)でてゐたり。
 貫一は彼の説進むに従ひて、漸(やうや)くその心事の火を覩(み)るより明(あきらか)なるを得たり。彼が千言万語の舌を弄(ろう)して倦(う)まざるは、畢竟(ひつきよう)利の一字を掩(おほ)はんが為のみ。貧する者の盗むは世の習ながら、貧せざるもなほ盗まんとするか。我も穢(けが)れたるこの世に生れたれば、穢れたりとは自ら知らで、或(あるひ)は穢れたる念を起し、或は穢れたる行(おこなひ)を為(な)すことあらむ。されど自ら穢れたりと知りて自ら穢すべきや。妻を売りて博士を買ふ! これ豈(あに)穢れたるの最も大なる者ならずや。
 世は穢れ、人は穢れたれども、我は常に我恩人の独(ひと)り汚(けがれ)に染(そ)みざるを信じて疑はざりき。過ぐれば夢より淡き小恩をも忘れずして、貧き孤子(みなしご)を養へる志は、これを証して余(あまり)あるを。人の浅ましきか、我の愚なるか、恩人は酷(むご)くも我を欺きぬ。今は世を挙げて皆穢れたるよ。悲めばとて既に穢れたる世をいかにせん。我はこの時この穢れたる世を喜ばんか。さしもこの穢れたる世に唯(ただ)一つ穢れざるものあり。喜ぶべきものあるにあらずや。貫一は可憐(いとし)き宮が事を思へるなり。
 我の愛か、死をもて脅(おびやか)すとも得て屈すべからず。宮が愛か、某(なにがし)の帝(みかど)の冠(かむり)を飾れると聞く世界無双(ぶそう)の大金剛石(だいこんごうせき)をもて購(あがな)はんとすとも、争(いか)でか動し得べき。我と彼との愛こそ淤泥(おでい)の中(うち)に輝く玉の如きものなれ、我はこの一つの穢れざるを抱(いだ)きて、この世の渾(すべ)て穢れたるを忘れん。
 貫一はかく自ら慰めて、さすがに彼の巧言を憎し可恨(うらめ)しとは思ひつつも、枉(ま)げてさあらぬ体(てい)に聴きゐたるなりけり。
「それで、この話は宮(みい)さんも知つてゐるのですか」
薄々(うすうす)は知つてゐる」
「では未(ま)だ宮(みい)さんの意見は御聞にならんので?」
「それは、何だ、一寸(ちよつと)聞いたがの」
「宮さんはどう申してをりました」
「宮か、宮は別にどうといふ事は無いのだ。御父様(おとつさん)や御母様(おつかさん)の宜(よろし)いやうにと云ふので、宮の方には異存は無いのだ、あれにもすつかり訳を説いて聞かしたところが、さう云ふ次第ならばと、漸(やうや)く得心がいつたのだ」
 断じて詐(いつはり)なるべしと思ひながらも、貫一の胸は跳(をど)りぬ。
「はあ、宮さんは承知を為ましたので?」
「さう、異存は無いのだ。で、お前も承知してくれ、なう。一寸聞けば無理のやうではあるが、その実少しも無理ではないのだ。私(わし)の今話した訳はお前にも能く解つたらうが、なう」
「はい」
「その訳が解つたら、お前も快く承知してくれ、なう。なう、貫一」
「はい」
「それではお前も承知をしてくれるな。それで私も多きに安心した。悉(くはし)い事は何(いづ)れ又寛緩(ゆつくり)話を為やう。さうしてお前の頼も聴かうから、まあ能く種々(いろいろ)考へて置くが可(い)いの」
「はい」

     第 七 章

 熱海は東京に比して温きこと十余度なれば、今日漸(やうや)く一月の半(なかば)を過ぎぬるに、梅林(ばいりん)の花は二千本の梢(こずゑ)に咲乱れて、日に映(うつろ)へる光は玲瓏(れいろう)として人の面(おもて)を照し、路(みち)を埋(うづ)むる幾斗(いくと)の清香(せいこう)は凝(こ)りて掬(むす)ぶに堪(た)へたり。梅の外(ほか)には一木(いちぼく)無く、処々(ところどころ)の乱石の低く横(よこた)はるのみにて、地は坦(たひらか)に氈(せん)を鋪(し)きたるやうの芝生(しばふ)の園の中(うち)を、玉の砕けて迸(ほとばし)り、練(ねりぎぬ)の裂けて飜(ひるがへ)る如き早瀬の流ありて横さまに貫けり。後に負へる松杉の緑は麗(うららか)に霽(は)れたる空を攅(さ)してその頂(いただき)に方(あた)りて懶(ものう)げに懸(かか)れる雲は眠(ねむ)るに似たり。習(そよ)との風もあらぬに花は頻(しきり)に散りぬ。散る時に軽(かろ)く舞ふを鶯(うぐひす)は争ひて歌へり。
 宮は母親と連立ちて入来(いりきた)りぬ。彼等は橋を渡りて、船板の牀几(しようぎ)を据ゑたる木(こ)の下(もと)を指して緩(ゆる)く歩めり。彼の病は未(いま)だ快からぬにや、薄仮粧(うすげしやう)したる顔色も散りたる葩(はなびら)のやうに衰へて、足の運(はこび)も怠(たゆ)げに、動(とも)すれば頭(かしら)の低(た)るるを、思出(おもひいだ)しては努めて梢を眺(なが)むるなりけり。彼の常として物案(ものあんじ)すれば必ず唇(くちびる)を咬(か)むなり。彼は今頻(しきり)に唇を咬みたりしが、
御母(おつか)さん、どうしませうねえ」
 いと好く咲きたる枝を飽かず見上げし母の目は、この時漸く娘に転(うつ)りぬ。
「どうせうたつて、お前の心一つぢやないか。初発(はじめ)にお前が適(い)きたいといふから、かう云ふ話にしたのぢやないかね。それを今更……」
「それはさうだけれど、どうも貫一(かんいつ)さんの事が気になつて。御父(おとつ)さんはもう貫一さんに話を為(な)すつたらうか、ねえ御母(おつか)さん」
「ああ、もう為すつたらうとも」
 宮は又唇を咬みぬ。
「私は、御母さん、貫一さんに顔が合されないわね。だから若(も)し適(ゆ)くのなら、もう逢(あ)はずに直(ずつ)と行つて了(しま)ひたいのだから、さう云ふ都合にして下さいな。私はもう逢はずに行くわ」
 声は低くなりて、美き目は湿(うるほ)へり。彼は忘れざるべし、その涙を拭(ぬぐ)へるハンカチイフは再び逢はざらんとする人の形見なるを。
「お前がそれ程に思ふのなら、何で自分から適(い)きたいとお言ひなのだえ。さう何時(いつ)までも気が迷つてゐては困るぢやないか。一日経(た)てば一日だけ話が運ぶのだから、本当にどうとも確然(しつかり)極(き)めなくては可(い)けないよ。お前が可厭(いや)なものを無理にお出(いで)といふのぢやないのだから、断るものなら早く断らなければ、だけれど、今になつて断ると云つたつて……」
可(い)いわ。私は適くことは適くのだけれど、貫一さんの事を考へると情無くなつて……」
 貫一が事は母の寝覚にも苦むところなれば、娘のその名を言ふ度(たび)に、犯せる罪をも歌はるる心地して、この良縁の喜ぶべきを思ひつつも、さすがに胸を開きて喜ぶを得ざるなり。彼は強(し)ひて宮を慰めんと試みつ。兼ねては自ら慰むるなるべし。
「お父(とつ)さんからお話があつて、貫一さんもそれで得心がいけば、済む事だし、又お前が彼方(あちら)へ適つて、末々まで貫一さんの力になれば、お互の仕合(しあはせ)と云ふものだから、其処(そこ)を考へれば、貫一さんだつて……、それに男と云ふものは思切(おもひきり)が好いから、お前が心配してゐるやうなものではないよ。これなり遇(あ)はずに行くなんて、それはお前却(かへ)つて善くないから、矢張(やつぱり)逢つて、丁(ちやん)と話をして、さうして清く別れるのさ。この後とも末長く兄弟で往来(ゆきかよひ)をしなければならないのだもの。
 いづれ今日か明日(あした)には御音信(おたより)があつて、様子が解らうから、さうしたら還つて、早く支度に掛らなければ」
 宮は牀几(しようぎ)に倚(よ)りて、半(なかば)は聴き、半は思ひつつ、膝(ひざ)に散来る葩(はなびら)を拾ひては、おのれの唇に代へて連(しきり)に咬砕(かみくだ)きぬ。鶯(うぐひす)の声の絶間を流の音は咽(むせ)びて止まず。
 宮は何心無く面(おもて)を挙(あぐ)るとともに稍(やや)隔てたる木(こ)の間隠(まがくれ)に男の漫行(そぞろあるき)する姿を認めたり。彼は忽(たちま)ち眼(まなこ)を着けて、木立は垣の如く、花は幕の如くに遮(さへぎ)る隙(ひま)を縫ひつつ、姑(しばら)くその影を逐(お)ひたりしが、遂(つひ)に誰(たれ)をや見出(みいだ)しけん。慌忙(あわただし)く母親に※(ささや)けり。彼は急に牀几を離れて五六歩(いつあしむあし)進行(すすみゆ)きしが、彼方(あなた)よりも見付けて、逸早(いちはや)く呼びぬ。
其処(そこ)に御出(おいで)でしたか」
 その声は静なる林を動して響きぬ。宮は聞くと斉(ひとし)く、恐れたる風情(ふぜい)にて牀几の端(はし)に竦(すくま)りつ。
「はい、唯今(ただいま)し方(がた)参つたばかりでございます。好くお出掛でございましたこと」
 母はかく挨拶(あいさつ)しつつ彼を迎へて立てり。宮は其方(そなた)を見向きもやらで、彼の急足(いそぎあし)に近(ちかづ)く音を聞けり。
 母子(おやこ)の前に顕(あらは)れたる若き紳士は、その誰(たれ)なるやを説かずもあらなん。目覚(めざまし)く大(おほい)なる金剛石(ダイアモンド)の指環を輝かせるよ。柄(にぎり)には緑色の玉(ぎよく)を獅子頭(ししがしら)に彫(きざ)みて、象牙(ぞうげ)の如く瑩潤(つややか)に白き杖(つゑ)を携へたるが、その尾(さき)をもて低き梢の花を打落し打落し、
「今お留守へ行きまして、此処(ここ)だといふのを聞いて追懸(おつか)けて来た訳です。熱いぢやないですか」
 宮はやうやう面(おもて)を向けて、さて淑(しとやか)に起ちて、恭(うやうやし)く礼するを、唯継は世にも嬉しげなる目して受けながら、なほ飽くまでも倨(おご)り高(たかぶ)るを忘れざりき。その張りたる腮(あぎと)と、への字に結べる薄唇(うすくちびる)と、尤異(けやけ)き金縁(きんぶち)の目鏡(めがね)とは彼が尊大の風に尠(すくな)からざる光彩を添ふるや疑(うたがひ)無し。
「おや、さやうでございましたか、それはまあ。余り好い御天気でございますから、ぶらぶらと出掛けて見ました。真(ほん)に今日(こんにち)はお熱いくらゐでございます。まあこれへお掛遊ばして」
 母は牀几を払へば、宮は路(みち)を開きて傍(かたはら)に佇(たたず)めり。
貴方(あなた)がたもお掛けなさいましな。今朝です、東京から手紙で、急用があるから早速帰るやうに——と云ふのは、今度私が一寸した会社を建てるのです。外国へ此方(こちら)の塗物を売込む会社。これは去年中からの計画で、いよいよこの三四月頃には立派に出来上る訳でありますから、私も今は随分忙(せはし)い体(からだ)、なにしろ社長ですからな。それで私が行かなければ解らん事があるので、呼びに来た。で、翌(あす)の朝立たなければならんのであります」
「おや、それは急な事で」
「貴方がたも一所(いつしよ)にお立ちなさらんか」
 彼は宮の顔を偸視(ぬすみみ)つ。宮は物言はん気色(けしき)もなくて又母の答へぬ。
「はい、難有(ありがた)う存じます」
「それとも未(ま)だ御在(おいで)ですか。宿屋に居るのも不自由で、面白くもないぢやありませんか。来年あたりは一つ別荘でも建てませう。何の難(わけ)は無い事です。地面を広く取つてその中に風流な田舎家(ゐなかや)を造るです。食物などは東京から取寄せて、それでなくては実は保養には成らん。家が出来てから寛緩(ゆつくり)遊びに来るです」
「結構でございますね」
「お宮さんは、何ですか、かう云ふ田舎の静な所が御好なの?」
 宮は笑(ゑみ)を含みて言はざるを、母は傍(かたはら)より、
「これはもう遊ぶ事なら嫌(きらひ)はございませんので」
「はははははは誰もさうです。それでは以後(これから)盛(さかん)にお遊(あす)びなさい。どうせ毎日用は無いのだから、田舎でも、東京でも西京(さいきよう)でも、好きな所へ行つて遊ぶのです。船は御嫌(おきらひ)ですか、ははあ。船が平気だと、支那(しな)から亜米利加(アメリカ)の方を見物がてら今度旅行を為て来るのも面白いけれど。日本の内ぢや遊山(ゆさん)に行(ある)いたところで知れたもの。どんなに贅沢(ぜいたく)を為たからと云つて」
御帰(おかへり)になつたら一日赤坂の別荘の方へ遊びにお出下(いでくだ)さい、ねえ。梅が好いのであります。それは大きな梅林が有つて、一本々々種の違ふのを集めて二百本もあるが、皆老木ばかり。この梅などは全(まる)で為方(しかた)が無い! こんな若い野梅(のうめ)、薪(まき)のやうなもので、庭に植ゑられる花ぢやない。これで熱海の梅林も凄(すさまし)い。是非内のをお目に懸けたいでありますね、一日遊びに来て下さい。御馳走(ごちそう)を為ますよ。お宮さんは何が所好(すき)ですか、ええ、一番所好なものは?」
 彼は陰(ひそか)に宮と語らんことを望めるなり、宮はなほ言はずして可羞(はづか)しげに打笑(うちゑ)めり。
「で、何日(いつ)御帰でありますか。明朝(あした)一所に御発足(おたち)にはなりませんか。此地(こつち)にさう長く居なければならんと云ふ次第ではないのでせう、そんなら一所にお立ちなすつたらどうであります」
「はい、難有(ありがた)うございますが、少々宅の方の都合がございまして、二三日内(うち)には音信(たより)がございます筈(はず)で、その音信(たより)を待ちまして、実は帰ることに致してございますものですから、折角の仰せですが、はい」
「ははあ、それぢやどうもな」
 唯継は例の倨(おご)りて天を睨(にら)むやうに打仰(うちあふ)ぎて、杖の獅子頭(ししがしら)を撫廻(なでまは)しつつ、少時(しばらく)思案する体(てい)なりしが、やをら白羽二重(しろはぶたへ)のハンカチイフを取出(とりいだ)して、片手に一揮(ひとふり)揮(ふ)るよと見れば鼻(はな)を拭(ぬぐ)へり。菫花(ヴァイオレット)の香(かをり)を咽(むせ)ばさるるばかりに薫(くん)じ遍(わた)りぬ。
 宮も母もその鋭き匂(にほひ)に驚けるなり。
「ああと、私これから少し散歩しやうと思ふのであります。これから出て、流に沿(つ)いて、田圃(たんぼ)の方を。私未(ま)だ知らんけれども、余程景色が好いさう。御一所にと云ふのだが、大分跡程(みち)が有るから、貴方(あなた)は御迷惑でありませう。二時間ばかりお宮さんを御貸し下さいな。私一人で歩いてもつまらない。お宮さんは胃が不良(わるい)のだから散歩は極(きは)めて薬、これから行つて見ませう、ねえ」
 彼は杖を取直してはや立たんとす。
「はい。難有(ありがた)うございます。お前お供をお為(し)かい」
 宮の遅(ためら)ふを見て、唯継は故(ことさら)に座を起(た)てり。
「さあ行つて見ませう、ええ、胃病の薬です。さう因循(いんじゆん)してゐては可(い)けない」
 つと寄りて軽(かろ)く宮の肩を拊(う)ちぬ。宮は忽(たちま)ち面(おもて)を紅(あか)めて、如何(いか)にとも為(せ)ん術(すべ)を知らざらんやうに立惑(たちまど)ひてゐたり。母の前をも憚(はばか)らぬ男の馴々(なれなれ)しさを、憎しとにはあらねど、己(おのれ)の仂(はした)なきやうに慙(は)づるなりけり。
 得も謂(い)はれぬその仇無(あどな)さの身に浸遍(しみわた)るに堪(た)へざる思は、漫(そぞろ)に唯継の目の中(うち)に顕(あらは)れて異(あやし)き独笑(ひとりゑみ)となりぬ。この仇無(あどな)き※(いと)しらしき、美き娘の柔(やはらか)き手を携へて、人無き野道の長閑(のどか)なるを語(かたら)ひつつ行かば、如何(いか)ばかり楽からんよと、彼ははや心も空(そら)になりて、
「さあ、行つて見ませう。御母(おつか)さんから御許(おゆるし)が出たから可いではありませんか、ねえ、貴方(あなた)、宜(よろし)いでありませう」
 母は宮の猶羞(なほは)づるを見て、
「お前お出(いで)かい、どうお為(し)だえ」
「貴方、お出かいなどと有仰(おつしや)つちや可けません。お出なさいと命令を為(な)すつて下さい」
 宮も母も思はず笑へり。唯継も後(おく)れじと笑へり。
 又人の入来(いりく)る気勢(けはひ)なるを宮は心着きて窺(うかが)ひしに、姿は見えずして靴の音のみを聞けり。梅見る人か、あらぬか、用ありげに忙(せはし)く踏立つる足音なりき。
「ではお前(まい)お供をおしな」
「さあ、行きませう。直(ぢき)其処(そこ)まででありますよ」
 宮は小(ちひさ)き声して、
御母(おつか)さんも一処に御出(おいで)なさいな」
「私かい、まあお前お供をおしな」
 母親を伴ひては大いに風流ならず、頗(すこぶ)る妙ならずと思へば、唯継は飽くまでこれを防がんと、
「いや、御母さんには却(かへ)つて御迷惑です。道が良くないから御母さんにはとても可けますまい。実際貴方には切(た)つてお勧め申されない。御迷惑は知れてゐる。何も遠方へ行くのではないのだから、御母さんが一処でなくても可いぢやありませんか、ねえ。私折角思立つたものでありますから、それでは一寸其処までで可いから附合つて下さい。貴女が可厭(いや)だつたら直(すぐ)に帰りますよ、ねえ。それはなかなか好い景色だから、まあ私に騙(だま)されたと思つて来て御覧なさいな、ねえ」
 この時忙(せは)しげに聞えし靴音ははや止(や)みたり。人は出去(いでさ)りしにあらで、七八間彼方(あなた)なる木蔭に足を停(とど)めて、忍びやかに様子を窺ふなるを、此方(こなた)の三人(みたり)は誰(たれ)も知らず。彳(たたず)める人は高等中学の制服の上に焦茶の外套(オバコオト)を着て、肩には古りたる象皮の学校鞄(かばん)を掛けたり。彼は間貫一にあらずや。
 再び靴音は高く響きぬ。その驟(にはか)なると近きとに驚きて、三人(みたり)は始めて音する方(かた)を見遣(みや)りつ。
 花の散りかかる中を進来(すすみき)つつ学生は帽を取りて、
姨(をば)さん、参りましたよ」
 母子(おやこ)は動顛(どうてん)して殆(ほとん)ど人心地(ひとごこち)を失ひぬ。母親は物を見るべき力もあらず呆(あき)れ果てたる目をば空(むなし)く※(みは)りて少時(しばし)は石の如く動かず、宮は、あはれ生きてあらんより忽(たちま)ち消えてこの土と成了(なりをは)らんことの、せめて心易(こころやす)さを思ひつつ、その淡白(うすじろ)き唇(くちびる)を啖裂(くひさ)かんとすばかりに咬(か)みて咬みて止(や)まざりき。
 想ふに彼等の驚愕(おどろき)と恐怖(おそれ)とはその殺せし人の計らずも今生きて来(きた)れるに会へるが如きものならん。気も不覚(そぞろ)なれば母は譫語(うはごと)のやうに言出(いひいだ)せり。
「おや、お出(いで)なの」
 宮は些少(わづか)なりともおのれの姿の多く彼の目に触れざらんやうにと冀(ねが)へる如く、木蔭(こかげ)に身を側(そば)めて、打過(うちはず)む呼吸(いき)を人に聞かれじとハンカチイフに口元を掩(おほ)ひて、見るは苦(くるし)けれども、見ざるも辛(つら)き貫一の顔を、俯(ふ)したる額越(ひたひごし)に窺(うかが)ひては、又唯継の気色(けしき)をも気遣(きづか)へり。
 唯継は彼等の心々にさばかりの大波瀾(だいはらん)ありとは知らざれば、聞及びたる鴫沢の食客(しよくかく)の来(きた)れるよと、例の金剛石(ダイアモンド)の手を見よがしに杖を立てて、誇りかに梢を仰ぐ腮(あぎと)を張れり。
 貫一は今回(こたび)の事も知れり、彼の唯継なる事も知れり、既にこの場の様子をも知らざるにはあらねど、言ふべき事は後にぞ犇(ひし)と言はん、今は姑(しばら)く色にも出さじと、裂けもしぬべき無念の胸をやうやう鎮(しづ)めて、苦(くるし)き笑顔(ゑがほ)を作りてゐたり。
宮(みい)さんの病気はどうでございます」
 宮は耐(たま)りかねて窃(ひそか)にハンカチイフを咬緊(かみし)めたり。
「ああ、大きに良いので、もう二三日内(うち)には帰らうと思つてね。お前さん能(よ)く来られましたね。学校の方は?」
「教場の普請を為るところがあるので、今日半日と明日(あす)明後日(あさつて)と休課(やすみ)になつたものですから」
「おや、さうかい」
 唯継と貫一とを左右に受けたる母親の絶体絶命は、過(あやま)ちて野中の古井(ふるゐ)に落ちたる人の、沈みも果てず、上(あが)りも得為(えせ)ず、命の綱と危(あやふ)くも取縋(とりすが)りたる草の根を、鼠(ねずみ)の来(きた)りて噛(か)むに遭(あ)ふと云へる比喩(たとへ)に最能(いとよ)く似たり。如何(いか)に為べきかと或(あるひ)は懼(おそ)れ、或は惑ひたりしが、終(つひ)にその免(まぬが)るまじきを知りて、彼はやうやう胸を定めつ。
「丁度宅から人が参りましてございますから、甚(はなは)だ勝手がましうございますが、私等(ども)はこれから宿へ帰りますでございますから、いづれ後程伺ひに出ますでございますが……」
「ははあ、それでは何でありますか、明朝(あす)は御一所に帰れるやうな都合になりますな」
「はい、話の模様に因(よ)りましては、さやう願はれるかも知れませんので、いづれ後程には是非伺ひまして、……」
「成程、それでは残念ですが、私も散歩は罷(や)めます。散歩は罷めてこれから帰ります。帰つてお待申してゐますから、後に是非お出下(いでくだ)さいよ。宜(よろし)いですか、お宮さん、それでは後にきつとお出(いで)なさいよ。誠に今日は残念でありますな」
 彼は行かんとして、更に宮の傍(そば)近く寄来(よりき)て、
貴方(あなた)、きつと後(のち)にお出(いで)なさいよ、ええ」
 貫一は瞬(まばたき)も為(せ)で視(み)てゐたり。宮は窮して彼に会釈さへ為(し)かねつ。娘気の可羞(はづかしさ)にかくあるとのみ思へる唯継は、益(ますます)寄添ひつつ、舌怠(したたる)きまでに語(ことば)を和(やはら)げて、
宜(よろし)いですか、来なくては可けませんよ。私待つてゐますから」
 貫一の眼(まなこ)は燃ゆるが如き色を作(な)して、宮の横顔を睨着(ねめつ)けたり。彼は懼(おそ)れて傍目(わきめ)をも転(ふ)らざりけれど、必ずさあるべきを想ひて独(ひと)り心を慄(をのの)かせしが、猶(なほ)唯継の如何(いか)なることを言出でんも知られずと思へば、とにもかくにもその場を繕ひぬ。母子の為には幾許(いかばかり)の幸(さいはひ)なりけん。彼は貫一に就いて半点の疑ひをも容(い)れず、唯※(あ)くまでも※(いとし)き宮に心を遺(のこ)して行けり。
 その後影(うしろかげ)を透(とほ)すばかりに目戍(まも)れる貫一は我を忘れて姑(しばら)く佇(たたず)めり。両個(ふたり)はその心を測りかねて、言(ことば)も出(い)でず、息をさへ凝して、空(むなし)く早瀬の音の聒(かしまし)きを聴くのみなりけり。
 やがて此方(こなた)を向きたる貫一は、尋常(ただ)ならず激して血の色を失へる面上(おもて)に、多からんとすれども能(あた)はずと見ゆる微少(わづか)の笑(ゑみ)を漏して、
宮(みい)さん、今の奴(やつ)はこの間の骨牌(かるた)に来てゐた金剛石(ダイアモンド)だね」
 宮は俯(うつむ)きて唇を咬みぬ。母は聞かざる為(まね)して、折しも啼(な)ける鶯(うぐひす)の木(こ)の間(ま)を窺(うかが)へり。貫一はこの体(てい)を見て更に嗤笑(あざわら)ひつ。
「夜見たらそれ程でもなかつたが、昼間見ると実に気障(きざ)な奴だね、さうしてどうだ、あの高慢ちきの面(つら)は!」
「貫一さん」母は卒(にはか)に呼びかけたり。
「はい」
「お前さん翁(をぢ)さんから話はお聞きでせうね、今度の話は」
「はい」
「ああ、そんなら可いけれど。不断のお前さんにも似合はない、そんな人の悪口(あつこう)などを言ふものぢやありませんよ」
「はい」
「さあ、もう帰りませう。お前さんもお草臥(くたびれ)だらうから、お湯にでも入つて、さうして未(ま)だ御午餐(おひる)前なのでせう」
「いえ、※車(きしや)の中で鮨(すし)を食べました」
 三人(みたり)は倶(とも)に歩始(あゆみはじ)めぬ。貫一は外套(オバコオト)の肩を払はれて、後(うしろ)を捻向(ねぢむ)けば宮と面(おもて)を合せたり。
其処(そこ)に花が粘(つ)いてゐたから取つたのよ」
「それは難有(ありがた)う!!!」

     第 八 章

 打霞(うちかす)みたる空ながら、月の色の匂滴(にほひこぼ)るるやうにして、微白(ほのじろ)き海は縹渺(ひようびよう)として限を知らず、譬(たと)へば無邪気なる夢を敷けるに似たり。寄せては返す波の音も眠(ねむ)げに怠りて、吹来る風は人を酔はしめんとす。打連れてこの浜辺を逍遙(しようよう)せるは貫一と宮となりけり。
「僕は唯(ただ)胸が一杯で、何も言ふことが出来ない」
 五歩六歩(いつあしむあし)行きし後宮はやうやう言出でつ。
堪忍(かんにん)して下さい」
「何も今更謝(あやま)ることは無いよ。一体今度の事は翁(をぢ)さん姨(をば)さんの意から出たのか、又はお前さんも得心であるのか、それを聞けば可(い)いのだから」
「…………」
此地(こつち)へ来るまでは、僕は十分信じてをつた、お前さんに限つてそんな了簡(りようけん)のあるべき筈(はず)は無いと。実は信じるも信じないも有りはしない、夫婦の間(なか)で、知れきつた話だ。
 昨夜(ゆふべ)翁さんから悉(くはし)く話があつて、その上に頼むといふ御言(おことば)だ」
 差含(さしぐ)む涙に彼の声は顫(ふる)ひぬ。
「大恩を受けてゐる翁さん姨さんの事だから、頼むと言はれた日には、僕の体(からだ)は火水(ひみづ)の中へでも飛込まなければならないのだ。翁さん姨さんの頼なら、無論僕は火水の中へでも飛込む精神だ。火水の中へなら飛込むがこの頼ばかりは僕も聴くことは出来ないと思つた。火水の中へ飛込めと云ふよりは、もつと無理な、余り無理な頼ではないかと、僕は済まないけれど翁さんを恨んでゐる。
 さうして、言ふ事も有らうに、この頼を聴いてくれれば洋行さして遣(や)るとお言ひのだ。い……い……いかに貫一は乞食士族の孤児(みなしご)でも、女房を売つた銭で洋行せうとは思はん!」
 貫一は蹈留(ふみとどま)りて海に向ひて泣けり。宮はこの時始めて彼に寄添ひて、気遣(きづかは)しげにその顔を差覗(さしのぞ)きぬ。
「堪忍して下さいよ、皆(みんな)私が……どうぞ堪忍して下さい」
 貫一の手に縋(すが)りて、忽(たちま)ちその肩に面(おもて)を推当(おしあ)つると見れば、彼も泣音(なくね)を洩(もら)すなりけり。波は漾々(ようよう)として遠く烟(けむ)り、月は朧(おぼろ)に一湾の真砂(まさご)を照して、空も汀(みぎは)も淡白(うすじろ)き中に、立尽せる二人の姿は墨の滴(したた)りたるやうの影を作れり。
「それで僕は考へたのだ、これは一方には翁(をぢ)さんが僕を説いて、お前さんの方は姨(をば)さんが説得しやうと云ふので、無理に此処(ここ)へ連出したに違無い。翁さん姨さんの頼と有つて見れば、僕は不承知を言ふことの出来ない身分だから、唯々(はいはい)と言つて聞いてゐたけれど、宮(みい)さんは幾多(いくら)でも剛情を張つて差支(さしつかへ)無いのだ。どうあつても可厭(いや)だとお前さんさへ言通せば、この縁談はそれで破れて了(しま)ふのだ。僕が傍(そば)に居ると智慧(ちゑ)を付けて邪魔を為(す)ると思ふものだから、遠くへ連出して無理往生に納得させる計(はかりごと)だなと考着くと、さあ心配で心配で僕は昨夜(ゆふべ)は夜一夜(よつぴて)寐(ね)はしない、そんな事は万々(ばんばん)有るまいけれど、種々(いろいろ)言はれる為に可厭(いや)と言はれない義理になつて、若(もし)や承諾するやうな事があつては大変だと思つて、家(うち)は学校へ出る積(つもり)で、僕はわざわざ様子を見に来たのだ。
 馬鹿な、馬鹿な! 貫一ほどの大馬鹿者が世界中を捜して何処(どこ)に在る!! 僕はこれ程自分が大馬鹿とは、二十五歳の今日まで知(し)……知……知らなかつた」
 宮は可悲(かなしさ)と可懼(おそろしさ)に襲はれて少(すこし)く声さへ立てて泣きぬ。
 憤(いかり)を抑(おさ)ふる貫一の呼吸は漸(やうや)く乱れたり。
宮(みい)さん、お前は好くも僕を欺いたね」
 宮は覚えず慄(をのの)けり。
「病気と云つてここへ来たのは、富山と逢ふ為だらう」
「まあ、そればつかりは……」
「おおそればつかりは?」
余(あんま)り邪推が過ぎるわ、余り酷(ひど)いわ。何ぼ何でも余り酷い事を」
 泣入る宮を尻目に挂(か)けて、
「お前でも酷いと云ふ事を知つてゐるのかい、宮さん。これが酷いと云つて泣く程なら、大馬鹿者にされた貫一は……貫一は……貫一は血の涙を流しても足りは為(せ)んよ。
 お前が得心せんものなら、此地(ここ)へ来るに就いて僕に一言(いちごん)も言はんと云ふ法は無からう。家を出るのが突然で、その暇が無かつたなら、後から手紙を寄来(よこ)すが可いぢやないか。出抜(だしぬ)いて家を出るばかりか、何の便(たより)も為んところを見れば、始から富山と出会ふ手筈(てはず)になつてゐたのだ。或(あるひ)は一所に来たのか知れはしない。宮さん、お前は奸婦(かんぷ)だよ。姦通(かんつう)したも同じだよ」
「そんな酷いことを、貫一さん、余(あんま)りだわ、余りだわ」
 彼は正体も無く泣頽(なきくづ)れつつ、寄らんとするを貫一は突退(つきの)けて、
操(みさを)を破れば奸婦ぢやあるまいか」
何時(いつ)私が操を破つて?」
幾許(いくら)大馬鹿者の貫一でも、おのれの妻(さい)が操を破る傍(そば)に付いて見てゐるものかい! 貫一と云ふ歴(れき)とした夫を持ちながら、その夫を出抜いて、余所(よそ)の男と湯治に来てゐたら、姦通してゐないといふ証拠が何処(どこ)に在る?」
「さう言はれて了(しま)ふと、私は何とも言へないけれど、富山さんと逢ふの、約束してあつたのと云ふのは、それは全く貫一さんの邪推よ。私等(わたしたち)が此地(こつち)に来てゐるのを聞いて、富山さんが後から尋ねて来たのだわ」
「何で富山が後から尋ねて来たのだ」
 宮はその唇(くちびる)に釘(くぎ)打たれたるやうに再び言(ことば)は出(い)でざりき。貫一は、かく詰責せる間に彼の必ず過(あやまち)を悔い、罪を詫(わ)びて、その身は未(おろ)か命までも己(おのれ)の欲するままならんことを誓ふべしと信じたりしなり。よし信ぜざりけんも、心陰(こころひそか)に望みたりしならん。如何(いか)にぞや、彼は露ばかりもさせる気色(けしき)は無くて、引けども朝顔の垣を離るまじき一図の心変(こころがはり)を、貫一はなかなか信(まこと)しからず覚ゆるまでに呆(あき)れたり。
 宮は我を棄てたるよ。我は我妻を人に奪はれたるよ。我命にも換へて最愛(いとをし)みし人は芥(あくた)の如く我を悪(にく)めるよ。恨は彼の骨に徹し、憤(いかり)は彼の胸を劈(つんざ)きて、ほとほと身も世も忘れたる貫一は、あはれ奸婦の肉を啖(くら)ひて、この熱膓(ねつちよう)を冷(さま)さんとも思へり。忽(たちま)ち彼は頭脳の裂けんとするを覚えて、苦痛に得堪(えた)へずして尻居に僵(たふ)れたり。
 宮は見るより驚く遑(いとま)もあらず、諸共(もろとも)に砂に塗(まび)れて掻抱(かきいだ)けば、閉ぢたる眼(まなこ)より乱落(はふりお)つる涙に浸れる灰色の頬(ほほ)を、月の光は悲しげに彷徨(さまよ)ひて、迫れる息は凄(すさまし)く波打つ胸の響を伝ふ。宮は彼の背後(うしろ)より取縋(とりすが)り、抱緊(いだきし)め、撼動(ゆりうごか)して、戦(をのの)く声を励せば、励す声は更に戦きぬ。
「どうして、貫一さん、どうしたのよう!」
 貫一は力無げに宮の手を執れり。宮は涙に汚れたる男の顔をいと懇(ねんごろ)に拭(ぬぐ)ひたり。
吁(ああ)、宮(みい)さんかうして二人が一処に居るのも今夜ぎりだ。お前が僕の介抱をしてくれるのも今夜ぎり、僕がお前に物を言ふのも今夜ぎりだよ。一月の十七日、宮さん、善く覚えてお置き。来年の今月今夜は、貫一は何処(どこ)でこの月を見るのだか! 再来年(さらいねん)の今月今夜……十年後(のち)の今月今夜……一生を通して僕は今月今夜を忘れん、忘れるものか、死んでも僕は忘れんよ! 可いか、宮さん、一月の十七日だ。来年の今月今夜になつたならば、僕の涙で必ず月は曇らして見せるから、月が……月が……月が……曇つたらば、宮さん、貫一は何処かでお前を恨んで、今夜のやうに泣いてゐると思つてくれ」
 宮は挫(ひし)ぐばかりに貫一に取着きて、物狂(ものぐるはし)う咽入(むせびい)りぬ。
「そんな悲い事をいはずに、ねえ貫一さん、私も考へた事があるのだから、それは腹も立たうけれど、どうぞ堪忍して、少し辛抱してゐて下さいな。私はお肚(なか)の中には言ひたい事が沢山あるのだけれど、余(あんま)り言難(いひにく)い事ばかりだから、口へは出さないけれど、唯一言(たつたひとこと)いひたいのは、私は貴方(あなた)の事は忘れはしないわ——私は生涯忘れはしないわ」
「聞きたくない! 忘れんくらゐなら何故見棄てた」
「だから、私は決して見棄てはしないわ」
「何、見棄てない? 見棄てないものが嫁に帰(ゆ)くかい、馬鹿な! 二人の夫が有てるかい」
「だから、私は考へてゐる事があるのだから、も少(すこ)し辛抱してそれを——私の心を見て下さいな。きつと貴方の事を忘れない証拠を私は見せるわ」
「ええ、狼狽(うろた)へてくだらんことを言ふな。食ふに窮(こま)つて身を売らなければならんのぢやなし、何を苦んで嫁に帰(ゆ)くのだ。内には七千円も財産が在つて、お前は其処(そこ)の一人娘ぢやないか、さうして婿まで極(きま)つてゐるのぢやないか。その婿も四五年の後には学士になると、末の見込も着いてゐるのだ。しかもお前はその婿を生涯忘れないほどに思つてゐると云ふぢやないか。それに何の不足が有つて、無理にも嫁に帰(ゆ)かなければならんのだ。天下にこれくらゐ理(わけ)の解らん話が有らうか。どう考へても、嫁に帰(ゆ)くべき必用の無いものが、無理に算段をして嫁に帰(ゆ)かうと為るには、必ず何ぞ事情が無ければ成らない。
 婿が不足なのか、金持と縁を組みたいのか、主意は決してこの二件(ふたつ)の外にはあるまい。言つて聞かしてくれ。遠慮は要(い)らない。さあ、さあ、宮さん、遠慮することは無いよ。一旦夫に定めたものを振捨てるくらゐの無遠慮なものが、こんな事に遠慮も何も要るものか」
「私が悪いのだから堪忍して下さい」
「それぢや婿が不足なのだね」
「貫一さん、それは余(あんま)りだわ。そんなに疑ふのなら、私はどんな事でもして、さうして証拠を見せるわ」
「婿に不足は無い? それぢや富山が財(かね)があるからか、して見るとこの結婚は慾からだね、僕の離縁も慾からだね。で、この結婚はお前も承知をしたのだね、ええ?
 翁(をぢ)さん姨(をば)さんに迫られて、余義無くお前も承知をしたのならば、僕の考で破談にする方(ほう)は幾許(いくら)もある。僕一人が悪者になれば、翁さん姨さんを始めお前の迷惑にもならずに打壊(ぶちこは)して了ふことは出来る、だからお前の心持を聞いた上で手段があるのだが、お前も適(い)つて見る気は有るのかい」
 貫一の眼(まなこ)はその全身の力を聚(あつ)めて、思悩める宮が顔を鋭く打目戍(うちまも)れり。五歩行き、七歩行き、十歩を行けども、彼の答はあらざりき。貫一は空を仰ぎて太息(ためいき)したり。
宜(よろし)い、もう宜い。お前の心は能く解つた」
 今ははや言ふも益無ければ、重ねて口を開かざらんかと打按(うちあん)じつつも、彼は乱るる胸を寛(ゆる)うせんが為に、強(し)ひて目を放ちて海の方(かた)を眺めたりしが、なほ得堪へずやありけん、又言はんとして顧れば、宮は傍(かたはら)に在らずして、六七間後(あと)なる波打際(なみうちぎは)に面(おもて)を掩(おほ)ひて泣けるなり。
 可悩(なやま)しげなる姿の月に照され、風に吹れて、あはれ消えもしぬべく立ち迷へるに、※々(びようびよう)たる海の端(はし)の白く頽(くづ)れて波と打寄せたる、艶(えん)に哀(あはれ)を尽せる風情(ふぜい)に、貫一は憤(いかり)をも恨をも忘れて、少時(しばし)は画を看(み)る如き心地もしつ。更に、この美き人も今は我物ならずと思へば、なかなか夢かとも疑へり。
「夢だ夢だ、長い夢を見たのだ!」
 彼は頭(かしら)を低(た)れて足の向ふままに汀(みぎは)の方(かた)へ進行きしが、泣く泣く歩来(あゆみきた)れる宮と互に知らで行合ひたり。
「宮さん、何を泣くのだ。お前は些(ちつと)も泣くことは無いぢやないか。空涙!」
「どうせさうよ」
 殆(ほとん)ど聞得べからざるまでにその声は涙に乱れたり。
「宮さん、お前に限つてはさう云ふ了簡は無からうと、僕は自分を信じるほどに信じてゐたが、それぢややつぱりお前の心は慾だね、財(かね)なのだね。如何(いか)に何でも余り情無い、宮さん、お前はそれで自分に愛相(あいそう)は尽きないかい。
 好(い)い出世をして、さぞ栄耀(えよう)も出来て、お前はそれで可からうけれど、財(かね)に見換へられて棄てられた僕の身になつて見るが可い。無念と謂(い)はうか、口惜(くちをし)いと謂はうか、宮さん、僕はお前を刺殺(さしころ)して——驚くことは無い! ——いつそ死んで了ひたいのだ。それを怺(こら)へてお前を人に奪(とら)れるのを手出しも為(せ)ずに見てゐる僕の心地(こころもち)は、どんなだと思ふ、どんなだと思ふよ! 自分さへ好ければ他(ひと)はどうならうともお前はかまはんのかい。一体貫一はお前の何だよ。何だと思ふのだよ。鴫沢の家には厄介者の居候(ゐさふらふ)でも、お前の為には夫ぢやないかい。僕はお前の男妾(をとこめかけ)になつた覚(おぼえ)は無いよ、宮さん、お前は貫一を玩弄物(なぐさみもの)にしたのだね。平生(へいぜい)お前の仕打が水臭い水臭いと思つたも道理だ、始から僕を一時の玩弄物の意(つもり)で、本当の愛情は無かつたのだ。さうとは知らずに僕は自分の身よりもお前を愛してゐた。お前の外には何の楽(たのしみ)も無いほどにお前の事を思つてゐた。それ程までに思つてゐる貫一を、宮さん、お前はどうしても棄てる気かい。
 それは無論金力の点では、僕と富山とは比較(くらべもの)にはならない。彼方(あつち)は屈指の財産家、僕は固(もと)より一介の書生だ。けれども善く宮さん考へて御覧、ねえ、人間の幸福ばかりは決して財(かね)で買へるものぢやないよ。幸福と財とは全く別物だよ。人の幸福の第一は家内の平和だ、家内の平和は何か、夫婦が互に深く愛すると云ふ外は無い。お前を深く愛する点では、富山如きが百人寄つても到底僕の十分の一だけでも愛することは出来まい、富山が財産で誇るなら、僕は彼等の夢想することも出来んこの愛情で争つて見せる。夫婦の幸福は全くこの愛情の力、愛情が無ければ既に夫婦は無いのだ。
 己(おのれ)の身に換へてお前を思つてゐる程の愛情を有(も)つてゐる貫一を棄てて、夫婦間の幸福には何の益も無い、寧(むし)ろ害になり易(やす)い、その財産を目的に結婚を為るのは、宮さん、どういふ心得なのだ。
 然し財(かね)といふものは人の心を迷はすもので、智者の学者の豪傑のと、千万人に勝(すぐ)れた立派な立派な男子さへ、財の為には随分甚(ひど)い事も為るのだ。それを考へれば、お前が偶然(ふつと)気の変つたのも、或(あるひ)は無理も無いのだらう。からして僕はそれは咎(とが)めない、但(ただ)もう一遍、宮さん善く考へて御覧な、その財が——富山の財産がお前の夫婦間にどれ程の効力があるのかと謂(い)ふことを。
 雀(すずめ)が米を食ふのは僅(わづ)か十粒(とつぶ)か二十粒だ、俵で置いてあつたつて、一度に一俵食へるものぢやない、僕は鴫沢の財産を譲つてもらはんでも、十粒か二十粒の米に事を欠いて、お前に餒(ひもじ)い思を為せるやうな、そんな意気地(いくぢ)の無い男でもない。若し間違つて、その十粒か二十粒の工面が出来なかつたら、僕は自分は食はんでも、決してお前に不自由は為せん。宮さん、僕はこれ……これ程までにお前の事を思つてゐる!」
 貫一は雫(しづく)する涙を払ひて、
「お前が富山へ嫁(ゆ)く、それは立派な生活をして、栄耀(えよう)も出来やうし、楽も出来やう、けれどもあれだけの財産は決して息子の嫁の為に費さうとて作られた財産ではない、と云ふ事をお前考へなければならんよ。愛情の無い夫婦の間に、立派な生活が何だ! 栄耀が何だ! 世間には、馬車に乗つて心配さうな青い顔をして、夜会へ招(よば)れて行く人もあれば、自分の妻子(つまこ)を車に載せて、それを自分が挽(ひ)いて花見に出掛ける車夫もある。富山へ嫁(ゆ)けば、家内も多ければ人出入(ひとでいり)も、劇(はげ)しし、従つて気兼も苦労も一通の事ぢやなからう。その中へ入つて、気を傷(いた)めながら愛してもをらん夫を持つて、それでお前は何を楽(たのしみ)に生きてゐるのだ。さうして勤めてゐれば、末にはあの財産がお前の物になるのかい、富山の奥様と云へば立派かも知れんけれど、食ふところは今の雀の十粒か二十粒に過ぎんのぢやないか。よしんばあの財産がお前の自由になるとしたところで、女の身に何十万と云ふ金がどうなる、何十万の金を女の身で面白く費(つか)へるかい。雀に一俵の米を一度に食へと云ふやうなものぢやないか。男を持たなければ女の身は立てないものなら、一生の苦楽他人に頼(よ)るで、女の宝とするのはその夫ではないか。何百万の財(かね)が有らうと、その夫が宝と為るに足らんものであつたら、女の心細さは、なかなか車に載せて花見に連れられる車夫の女房には及ばんぢやあるまいか。
 聞けばあの富山の父と云ふものは、内に二人外(おもて)に三人も妾を置いてゐると云ふ話だ。財の有る者は大方そんな真似(まね)をして、妻は些(ほん)の床の置物にされて、謂(い)はば棄てられてゐるのだ。棄てられてゐながらその愛されてゐる妾よりは、責任も重く、苦労も多く、苦(くるしみ)ばかりで楽(たのしみ)は無いと謂つて可い。お前の嫁(ゆ)く唯継だつて、固(もと)より所望(のぞみ)でお前を迎(もら)ふのだから、当座は随分愛しも為るだらうが、それが長く続くものか、財(かね)が有るから好きな真似も出来る、他(ほか)の楽(たのしみ)に気が移つて、直(ぢき)にお前の恋は冷(さま)されて了ふのは判つてゐる。その時になつて、お前の心地(こころもち)を考へて御覧、あの富山の財産がその苦(くるしみ)を拯(すく)ふかい。家に沢山の財が在れば、夫に棄てられて床の置物になつてゐても、お前はそれで楽(たのしみ)かい、満足かい。
 僕が人にお前を奪(と)られる無念は謂(い)ふまでも無いけれど、三年の後のお前の後悔が目に見えて、心変(こころがはり)をした憎いお前ぢやあるけれど、やつぱり可哀(かあい)さうでならんから、僕は真実で言ふのだ。
 僕に飽きて富山に惚(ほ)れてお前が嫁くのなら、僕は未練らしく何も言はんけれど、宮さん、お前は唯立派なところへ嫁くといふそればかりに迷はされてゐるのだから、それは過(あやま)つてゐる、それは実に過(あやま)つてゐる、愛情の無い結婚は究竟(つまり)自他の後悔だよ。今夜この場のお前の分別(ふんべつ)一つで、お前の一生の苦楽は定るのだから、宮さん、お前も自分の身が大事と思ふなら、又貫一が不便(ふびん)だと思つて、頼む! 頼むから、もう一度分別を為直(しなお)してくれないか。
 七千円の財産と貫一が学士とは、二人の幸福を保つには十分だよ。今でさへも随分二人は幸福ではないか。男の僕でさへ、お前が在れば富山の財産などを可羨(うらやまし)いとは更に思はんのに、宮さん、お前はどうしたのだ! 僕を忘れたのかい、僕を可愛(かはゆ)くは思はんのかい」
 彼は危(あやふ)きを拯(すく)はんとする如く犇(ひし)と宮に取着きて匂滴(にほひこぼ)るる頸元(えりもと)に沸(に)ゆる涙を濺(そそ)ぎつつ、蘆(あし)の枯葉の風に揉(もま)るるやうに身を顫(ふるは)せり。宮も離れじと抱緊(いだきし)めて諸共(もろとも)に顫ひつつ、貫一が臂(ひぢ)を咬(か)みて咽泣(むせびなき)に泣けり。
嗚呼(ああ)、私はどうしたら可からう! 若し私が彼方(あつち)へ嫁(い)つたら、貫一さんはどうするの、それを聞かして下さいな」
 木を裂く如く貫一は宮を突放して、
「それぢや断然(いよいよ)お前は嫁く気だね! これまでに僕が言つても聴いてくれんのだね。ちええ、膓(はらわた)の腐つた女! 姦婦(かんぷ)!!」
 その声とともに貫一は脚(あし)を挙げて宮の弱腰をはたと※(け)たり。地響して横様(よこさま)に転(まろ)びしが、なかなか声をも立てず苦痛を忍びて、彼はそのまま砂の上に泣伏したり。貫一は猛獣などを撃ちたるやうに、彼の身動も得為(えせ)ず弱々(よわよわ)と僵(たふ)れたるを、なほ憎さげに見遣(みや)りつつ、
「宮、おのれ、おのれ姦婦、やい! 貴様のな、心変をしたばかりに間貫一の男一匹(いつぴき)はな、失望の極発狂して、大事の一生を誤つて了(しま)ふのだ。学問も何ももう廃(やめ)だ。この恨の為に貫一は生きながら悪魔になつて、貴様のやうな畜生の肉を啖(くら)つて遣る覚悟だ。富山の令……令夫……令夫人! もう一生お目には掛らんから、その顔を挙げて、真人間で居る内の貫一の面(つら)を好く見て置かないかい。長々の御恩に預つた翁(をぢ)さん姨(をば)さんには一目会つて段々の御礼を申上げなければ済まんのでありますけれど、仔細(しさい)あつて貫一はこのまま長の御暇(おいとま)を致しますから、随分お達者で御機嫌(ごきげん)よろしう……宮(みい)さん、お前から好くさう言つておくれ、よ、若(も)し貫一はどうしたとお訊(たづ)ねなすつたら、あの大馬鹿者は一月十七日の晩に気が違つて、熱海の浜辺から行方(ゆくへ)知れずになつて了つたと……」
 宮はやにはに蹶起(はねお)きて、立たんと為れば脚の痛(いたみ)に脆(もろ)くも倒れて効無(かひな)きを、漸(やうや)く這寄(はひよ)りて貫一の脚に縋付(すがりつ)き、声と涙とを争ひて、
「貫一さん、ま……ま……待つて下さい。貴方(あなた)これから何(ど)……何処(どこ)へ行くのよ」
 貫一はさすがに驚けり、宮が衣(きぬ)の披(はだ)けて雪(ゆき)可羞(はづかし)く露(あらは)せる膝頭(ひざがしら)は、夥(おびただし)く血に染みて顫ふなりき。
「や、怪我(けが)をしたか」
 寄らんとするを宮は支へて、
「ええ、こんな事はかまはないから、貴方は何処へ行くのよ、話があるから今夜は一所に帰つて下さい、よう、貫一さん、後生だから」
「話が有(あ)ればここで聞かう」
「ここぢや私は可厭(いや)よ」
「ええ、何の話が有るものか。さあここを放さないか」
「私は放さない」
「剛情張ると蹴飛(けとば)すぞ」
「蹴られても可いわ」
 貫一は力を極(きは)めて振断(ふりちぎ)れば、宮は無残に伏転(ふしまろ)びぬ。
「貫一さん」
「貫一ははや幾間を急行(いそぎゆ)きたり。宮は見るより必死と起上りて、脚の傷(いたみ)に幾度(いくたび)か仆(たふ)れんとしつつも後を慕ひて、
「貫一さん、それぢやもう留めないから、もう一度、もう一度……私は言遺(いひのこ)した事がある」
 遂(つひ)に倒れし宮は再び起(た)つべき力も失せて、唯声を頼(たのみ)に彼の名を呼ぶのみ。漸(やうや)く朧(おぼろ)になれる貫一の影が一散に岡を登るが見えぬ。宮は身悶(みもだえ)して猶(なほ)呼続けつ。やがてその黒き影の岡の頂(いただき)に立てるは、此方(こなた)を目戍(まも)れるならんと、宮は声の限に呼べば、男の声も遙(はるか)に来りぬ。
宮(みい)さん!」
「あ、あ、あ、貫一(かんいつ)さん!」
 首を延べて※(みまは)せども目を※(みは)りて眺むれども、声せし後(のち)は黒き影の掻消(かきけ)す如く失(う)せて、それかと思ひし木立の寂しげに動かず、波は悲き音を寄せて、一月十七日の月は白く愁ひぬ。
 宮は再び恋(こひし)き貫一の名を呼びたりき。



底本:「金色夜叉」新潮文庫、新潮社
   1969(昭和44)年11月10日 第1刷発行
   1998(平成10)年1月15日 第39刷発行
入力:柴田卓治
校正:かとうかおり
ファイル作成:かとうかおり
2000年2月23日公開
青空文庫作成ファイル:
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【表記について】

本文中の※は、底本では次のような漢字(JIS外字)が使われている。
※(ひろ)く
※竹(そぎだけ)
涼き目を※(みは)りて
惜気(をしげ)も無く※(みは)りて
空(むなし)く※(みは)りて
目を※(みは)りて眺むれども
座中を※(みまは)したる
首を延べて※(みまは)せども
※(ひとし)く
口早に※(ささや)きぬ
母親に※(ささや)けり
※(ごまめ)
※(か)ぐべからざる
※(も)げたる
※(しとね)の傍(かたはら)に
貫一が※(しとね)の上に
※(しとね)の上に舁下(かきおろ)されし
その坐れる※(しとね)を見て
十二時に※(およ)びて
※(まぶた)を開くとともに
十二時三十分の※車(きしや)で
※車(きしや)の中で
※(ひけら)かせし
※(いと)しらしき
※(いとし)き宮に
※(あ)くまでも
※々(びようびよう)たる
はたと※(け)たり