|
青空文庫
Blue Sky Collection
|
No.
|
:
|
|
著者名
|
:
|
岡本綺堂
|
書籍名
|
:
|
ゆず湯
|
底本
|
:
|
「岡本綺堂読物選集3 巷談編」青蛙房
1969(昭和44)年9月5日発行
|
底本の親本
|
:
|
「十番随筆」新作社
1924(大正13)年4月刊
|
入力者名
|
:
|
『鳩よ!』編集部
|
校正者名
|
:
|
『鳩よ!』編集部、富田倫生
|
作品について:江戸から東京へと変貌を遂げた街にあって、社会に入れられずに消えていった、ある左官屋一家を見つめた随筆。小説とも読める。綺堂の作品からは、御一新を前後しても時間は連続して流れ、その中で人の暮らしが、変わることの痛みを時に生じさせながら、移ろったと教えられることが多い。変わり者として世に臨まざるを得なかった一家の背後に、生き場所を失った江戸っ子の〈粋〉を浮かび上がらせた本作品からは、消えていく時代に殉じるしかなかった者の哀しみの声が伝わってくる。
|
著者について:1872.10.15〜1939.3.1。劇作家、小説家。本名は敬二、別号に狂綺堂。イギリス公使館に勤めていた元徳川家後家人、敬之助の長男として、東京高輪に生まれ、江戸さながらの武家屋敷で育つ。幼くして歌舞伎に親しみ、父の影響を受けて英語も能くした。東京府立一中を終える前の1890(明治23)年に東京日日新聞に入社。以来、中央新聞社、絵入日報社などを経て、24年間を新聞記者として過ごす。この間、1896(明治29)年には処女戯曲『紫宸殿』を発表。岡鬼太郎と合作した『金鯱噂高浪(こがねのしゃちうわさのたかなみ)』は、1902(明治35)年に歌舞伎座で上演された。江戸から明治にかけて、歌舞伎の台本は劇場付きの台本作家によって書かれてきたが、明治半ばからは、坪内逍遥ら、演劇界革新の担い手に新作をあおいだ〈新歌舞伎〉が台頭する。二世市川左団次に書いた『維新前夜』(1908年)、『修善寺物語』(1911年)の成功によって、綺堂は新歌舞伎を代表する劇作家となった。1913(大正2)年以降は作家活動に専念し、生涯に196篇の戯曲を残す。コナン・ドイルのシャーロック・ホームズ物を原著でまとめて読んだのをきっかけに、江戸を舞台とした探偵小説の構想を得、1916(大正5)年からは『半七捕物帳』を書き始めた。
|
|