図書カード
青空文庫
Blue Sky Collection
No.
著者名 岡本綺堂
書籍名 半七捕物帳 広重と河獺
底本 「時代推理小説 半七捕物帳(一)」光文社、光文社文庫
1985(昭和60)年11月20日初版第1刷発行
底本の親本
入力者名 tatsuki
校正者名 菅野朋子

作品について:葉桜どきの昼下がり、浅草から向島まで隅田川沿いを歩きながら、半七老人が聞き手の青年に、界隈の昔の事件を語るという趣向の作品で、二つの独立した物語からなっている。
「広重」:安政5(1858)年正月17日の朝、浅草袖摺稲荷そばの旗本黒沼家の大屋根の上に、三、四歳くらいの女の子の死骸が横たわっているのが発見された。身許は不明、屋敷内の者にも全く心当たりがなく、結局八丁堀にもその詮議が依頼される。同心の命を受けた半七は、子分の庄太を意外な場所へと誘う。「十万坪まで附き合わねえか?」遠く深川の向こう、砂村新田の稲荷社まで、半七は一体何をしにいこうというのか?
「河獺」:弘化4(1847)年9月の秋雨の降る夜、本所中の郷の荒物屋に血だらけで転げ込んで来た男がいた。暗い中で突然傘の上から何かが襲ってきたというのだ。荒物屋の亭主は河獺の仕業だと言って、彼を介抱してやった。翌日、下谷の道具屋の隠居十右衛門から、中の郷の川っぺりで何者かに襲われ、五十両入りの財布を奪われたという届け出。十右衛門は、自分が囲っているお元の従弟と称する政吉が、河獺の仕業に見せかけて自分を襲ったのではないかと半七にほのめかす…。(ぷんきゅのちち)
ぷんきゅのちちさんによる、より詳細な解説はこちら
著者について:1872.10.15〜1939.3.1。劇作家、小説家。本名は敬二、別号に狂綺堂。イギリス公使館に勤めていた元徳川家後家人、敬之助の長男として、東京高輪に生まれ、江戸さながらの武家屋敷で育つ。幼くして歌舞伎に親しみ、父の影響を受けて英語も能くした。東京府立一中を終える前の1890(明治23)年に東京日日新聞に入社。以来、中央新聞社、絵入日報社などを経て、24年間を新聞記者として過ごす。この間、1896(明治29)年には処女戯曲『紫宸殿』を発表。岡鬼太郎と合作した『金鯱噂高浪(こがねのしゃちうわさのたかなみ)』は、1902(明治35)年に歌舞伎座で上演された。江戸から明治にかけて、歌舞伎の台本は劇場付きの台本作家によって書かれてきたが、明治半ばからは、坪内逍遥ら、演劇界革新の担い手に新作をあおいだ〈新歌舞伎〉が台頭する。二世市川左団次に書いた『維新前夜』(1908年)、『修善寺物語』(1911年)の成功によって、綺堂は新歌舞伎を代表する劇作家となった。1913(大正2)年以降は作家活動に専念し、生涯に196篇の戯曲を残す。コナン・ドイルのシャーロック・ホームズ物を原著でまとめて読んだのをきっかけに、江戸を舞台とした探偵小説の構想を得、1916(大正5)年からは『半七捕物帳』を書き始めた。

★大久保友博さんが作られた「半七捕物帳 執筆順リンク」はこちら

★ぷんきゅのちちさんによる「半七捕物帳の世界」はこちら


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