遺稿
梶井基次郎
●目次
闇の書
海 断片
温泉
闇の書
一
私は村の街道を若い母と歩いていた。この弟達の母は紫色の衣服を着ているので私には種々のちがった女性に見えるのだった。第一に彼女は私の娘であるような気を起こさせた。それは昔彼女の父が不幸のなかでどんなに酷(ひど)く彼女を窘(いじ)めたか、母はよくその話をするのであるが、すると私は穉(おさな)い母の姿を空想しながら涙を流し、しまいには私がその昔の彼女の父であったかのような幻覚に陥ってしまうのが常だったから。母はまた私に兄のような、ときには弟のような気を起こさせることがあった。そして私は母が姉であり得るような空間や妹であり得るような時間を、空を見るときや海を見るときにいつも想い描くのだった。
燕のいなくなった街道の家の軒には藁で編んだ唐がらしが下っていた。貼りかえられた白い障子に照っている日の弱さはもう冬だった。家並をはずれたところで私達はとまった。散歩する者の本能である眺望がそこに打ち展けていたのである。
遠い山々からわけ出て来た二つの溪(たに)が私達の眼の下で落ち合っていた。溪にせまっている山々はもう傾いた陽の下で深い陰と日表にわかたれてしまっていた。日表にことさら明るんで見えるのは季節を染め出した雑木山枯茅山であった。山のおおかたを被っている杉林はむしろ日陰を誇張していた。蔭になった溪(たに)に死のような静寂を与えていた。
「まあ柿がずいぶん赤いのね」若い母が言った。
「あの遠くの柿の木を御覧なさい。まるで柿の色をした花が咲いているようでしょう」私が言った。
「そうね」
「僕はいつでもあれくらいの遠さにあるやつを花だと思って見るのです。その方がずっと美しく見えるでしょう。すると木蓮によく似た架空的な匂いまでわかるような気がするんです」
「あなたはいつでもそうね。わたしは柿はやっぱり柿の方がいいわ。食べられるんですもの」と言って母は媚(なまめ)かしく笑った。
「ところがあれやみんな渋柿だ。みな干柿にするんですよ」と私も笑った。
柿の傍には青々とした柚(ゆず)の木がもう黄色い実をのぞかせていた。それは日に熟(う)んだ柿に比べて、眼覚めるような冷たさで私の眼を射るのだった。そのあたりはすこしばかりの平地で稲の刈り乾されてある山田。それに続いた桑畑が、晩秋蚕もすんでしまったいま、もう霜に打たれるばかりの葉を残して日に照らされていた。雑木と枯茅でおおわれた大きな山腹がその桑畑へ傾斜して来ていた。山裾に沿って細い路がついていた。その路はしばらくすると暗い杉林のなかへは入ってゆくのだったが、打ち展けた平地と大らかに明るい傾斜に沿っているあいだ、それはいかにも空想の豊かな路に見えるのだった。
「ちょっとあすこをご覧なさい」私は若い母に指して見せた。背負い枠(わく)を背負った村の娘が杉林から出て来てその路にさしかかったのである。
「いまあの路へ人が出て来たでしょう。あれは誰だかわかりますか。昨夜湯へ来ていた娘ですよ」
私は若い母が感興を動かすかどうかを見ようとした。しかしその美しい眼はなんの輝きもあらわさなかった。
「僕はここへ来るといつもあの路を眺めることにしているんです。あすこを人が通ってゆくのを見ているのです。僕はあの路を不思議な路だと思うんです」
「どんなふうに不思議なの」
母はややたたみかけるような私の語調に困ったような眼をした。
「どんなふうにって、そうだな、たとえば遠くの人を望遠鏡で見るでしょう。すると遠くでわからなかったその人の身体つきや表情が見えて、その人がいまどんなことを考えているかどんな感情に支配されているかというようなことまでが眼鏡のなかへは入(い)って来るでしょう。ちょうどそれと同じなんです。あの路を通っている人を見るとつい私はそんなことを考えるんです。あれは通る人の運命を暴露(ばくろ)して見せる路だ」
背負い枠の娘はもうその路をあるききって、葉の落ち尽した胡桃(くるみ)の枝のなかを歩いていた。
「ご覧なさい。人がいなくなるとあの路はどれくらいの大きさに見えて人が通っていたかもわからなくなるでしょう。あんなふうにしてあの路は人を待ってるんだ」
私は不思議な情熱が私の胸を圧して来るのを感じながら、凝っとその路に見入っていた。父の妻、私の娘、美しい母、紫色の着物をきた人。苦しい種々の表象が私の心のなかを紛乱して通った。突然、私は母に向かって言った。
「あの路へ歩いてゆきましょう。あの路へ歩いて出ましょう。私達はどんなに見えるでしょう」
「ええ、歩いてゆきましょう」華(はな)やかに母は言った。「でも私達がどんなにちいさく見えるかというのは誰が見るの」
腹立たしくなって私は声を荒らげた。
「ああ、そんなことはどうだっていいんです」
そして私達は街道のそこから溪(たに)の方へおりる電光形の路へ歩を移したのであったが、なんという無様な! さきの路へゆこうとする意志は、私にはもうなくなってしまっていた。
海 断片
……らすほどそのなかから赤や青や朽葉(くちば)の色が湧いて来る。今にもその岸にある温泉や港町がメダイヨンのなかに彫り込まれた風景のように見えて来るのじゃないかと思うくらいだ。海の静かさは山から来る。町の後ろの山へ廻った陽がその影を徐々に海へ拡げてゆく。町も磯も今は休息のなかにある。その色はだんだん遠く海を染め分けてゆく。沖へ出てゆく漁船がその影の領分のなかから、日向のなかへ出て行くのをじっと待っているのも楽しみなものだ。オレンジの混った弱い日光がさっと船を漁師を染める。見ている自分もほーっと染まる。
「そんな病弱な、サナトリウム臭い風景なんて、俺は大嫌いなんだ」
「雲とともに変わって行く海の色を褒(ほ)めた人もある。海の上を行き来する雲を一日眺めているのもいいじゃないか。また僕は君が一度こんなことを言ったのを覚えているが、そういう空想を楽しむ気持も今の君にはないのかい。君は言った。わずか数浬(カイリ)の遠さに過ぎない水平線を見て、『空と海とのたゆたいに』などと言って縹渺(ひょうびょう)とした無限感を起こしてしまうなんぞはコロンブス以前だ。われわれが海を愛し空想を愛するというなら一切はその水平線の彼方(かなた)にある。水平線を境としてそのあちら側へ滑り下りてゆく球面からほんとうに美しい海ははじまるんだ。君は言ったね。
布哇(ハワイ)が見える。印度(インド)洋が見える。月光に洗われたべンガル湾が見える。現在眼の前の海なんてものはそれに比べたらラフな素材にしか過ぎない。ただ地図を見てではこんな空想は浮かばないから、必要欠くべからざるという功績だけはあるが……多分そんな趣旨だったね。ご高説だったが……
「——君は僕の気を悪くしようと思っているのか。そう言えば君の顔は僕が毎晩夢のなかで大声をあげて追払うえびす[#「えびす」に傍点]三郎に似ている。そういう俗悪な精神になるのは止し給(たま)え。
僕の思っている海はそんな海じゃないんだ。そんな既に結核に冒されてしまったような風景でもなければ、思いあがった詩人めかした海でもない。おそらくこれは近年僕の最も真面目になった瞬間だ。よく聞いていてくれ給(たま)え。
それは実に明るい、快活な、生き生きした海なんだ。未(いま)だかつて疲労にも憂愁にも汚されたことのない純粋に明色の海なんだ。遊覧客や病人の眼に触れ過ぎて甘ったるいポートワインのようになってしまった海ではない。酢っぱくって渋くって泡の立つ葡萄酒のような、コクの強い、野蕃な海なんだ。波のしぶきが降って来る。腹を刔(えぐ)るような海藻の匂いがする。そのプツプツした空気、野獣のような匂い、大気へというよりも海へ射し込んで来るような明らかな光線——ああ今僕はとうてい落ちついてそれらのことを語ることができない。何故といって、そのヴィジョンはいつも僕を悩ましながら、ごく稀なまったく思いもつかない瞬間にしか顕われて来ないんだから。それは岩のような現実が突然に劈開(へきかい)してその劈開面をチラッと見せてくれるような瞬間だ。
そういうようなものを今の僕がどうして精密に描き出すことができよう。だから僕は今しばらくその海の由来を君に話すことにしよう。そこは僕達の家がほんのしばらくの間だけれども住んでいた土地なんだ。
そこは有名な暗礁や島の多いところだ。その島の小学児童は毎朝勢揃いして一艘の船を仕立てて港の小学校へやって来る。帰りにも待ち合わせてその船に乗って帰る。彼らは雨にも風にもめげずにやって来る。一番近い島でも十八町ある。いったいそんな島で育ったらどんなだろう。島の人というとどこか風俗にも違ったところがあった。女の人が時々家へも来ることがあったが、その人は着物の着つぶしたのや端(は)ぎれを持って帰るのだ。そのかわりそんなきれを鼻緒に巻いた藁草履やわかめ[#「わかめ」に傍点]などを置いて行ってくれる。ぐみ[#「ぐみ」に傍点]ややまもも[#「やままも」に傍点]の枝なりをもらったこともあった。しかしその女の人はなによりも色濃い島の雰囲気を持って来た。僕たちはいつも強い好奇心で、その人の謙遜な身なりを嗅ぎ、その人の謙遜な話に聞き惚れた。しかしそんなに思っていても僕達は一度も島へ行ったことがなかった。ある年の夏その島の一つに赤痢が流行(はや)ったことがあった。近くの島だったので病人を入れるバラックの建つのがこちらからよく見えた。いつもなにかを燃している、その火が夜は気味悪く物凄かった。海で泳ぐものは一人もない。波の間に枕などが浮いていると恐ろしいもののような気がした。その島には井戸が一つしかなかった。
暗礁については一度こんなことがあった。ある年の秋、ある晩、夜のひき明けにかけてひどい暴風雨があった。明方物凄い雨風の音のなかにけたたましい鉄工所の非常汽笛が鳴り響いた。そのときの悲壮な気持を僕は今もよく覚えている。家は騒ぎ出した。人が飛んで来た。港の入口の暗礁へ一隻の駆逐艦(くちくかん)が打(ぶ)つかって沈んでしまったのだ。鉄工所の人は小さなランチヘ波の凌(しの)ぎに長い竹竿を用意して荒天のなかを救助に向かった。しかし現場へ行って見ても小さなランチは波に揉まれるばかりで結局かえって邪魔をしに行ったようなことになってしまった。働いたのは島の海女(あま)で、激浪のなかを潜っては屍体を引き揚げ、大きな焚火(たきび)を焚(た)いてそばで冷え凍えた水兵の身体を自分らの肌で温めたのだ。大部分の水兵は溺死した。その溺死体の爪は残酷なことにはみな剥(は)がれていたという。
それは岩へ掻きついては波に持ってゆかれた恐ろしい努力を語るものだった。
暗礁に乗りあげた駆逐艦の残骸は、山へあがって見ると干潮時の遠い沖合に姿を現わしていることがあった。
温泉
断片 一
夜になるとその谷間は真黒な闇に呑まれてしまう。闇の底をごうごうと溪(たに)が流れている。私の毎夜下りてゆく浴場はその溪ぎわにあった。
浴場は石とセメントで築きあげた、地下牢のような感じの共同湯であった。その巌丈(がんじょう)な石の壁は豪雨のたびごとに汎濫する溪の水を支えとめるためで、その壁に刳(く)り抜かれた溪ぎわへの一つの出口がまた牢門そっくりなのであった。昼間その温泉に涵(ひた)りながら「牢門」のそとを眺めていると、明るい日光の下で白く白く高まっている瀬のたぎりが眼の高さに見えた。差し出ている楓(かえで)の枝が見えた。そのアーチ形の風景のなかを弾丸のように川烏(かわう)が飛び抜けた。
また夕方、溪ぎわへ出ていた人があたりの暗くなったのに驚いてその門へ引返して来ようとするとき、ふと眼の前に——その牢門のなかに——楽しく電燈がともり、濛々(もうもう)と立ち罩(こ)めた湯気のなかに、賑やかに男や女の肢体が浮動しているのを見る。そんなとき人は、今まで自然[#「自然」に傍点]のなかで忘れ去っていた人間仲間[#「人間仲間」に傍点]の楽しさを切なく胸に染めるのである。そしてそんなこともこのアーチ形の牢門のさせるわざ[#「わざ」に傍点]なのであった。
私が寐る前に入浴するのはいつも人々の寝しずまった真夜中であった。その時刻にはもう誰も来ない。ごうごうと鳴り響く溪の音ばかりが耳について、おきまりの恐怖が変に私を落着かせないのである。もっとも恐怖とはいうものの、私はそれを文字通りに感じていたのではない。文字通りの気持から言えば、身体に一種の抵抗(リフラクシオン)を感じるのであった。だから夜更けて湯へゆくことはその抵抗だけのエネルギーを余分に持って行かなければならないといつも考えていた。またそう考えることは定まらない不安定な、埓(らち)のない恐怖にある限界を与えることになるのであった。しかしそうやって毎夜おそく湯へ下りてゆくのがたび重なるとともに、私は自分の恐怖があるきまった形を持っているのに気がつくようになった。それを言って見ればこうである。
その浴場は非常に広くて真中で二つに仕切られていた。一つは村の共同湯に、一つは旅館の客にあててあった。私がそのどちらかにはいっていると、きまってもう一つの方の湯に何かが来ている気がするのである。村の方の湯にはいっているときには、きまって客の湯の方に男女のぽそぽそ話しをする声がきこえる。私はその声のもと[#「もと」に傍点]を知っていた。それは浴場についている水口で、絶えず清水がほとばしり出ているのである。また男女という想像の由(よ)って来るところもわかっていた。それは溪の上にだるま茶屋があって、そこの女が客と夜更けて湯へやって来ることがありうべきことだったのである。そういうことがわかっていながらやはり変に気になるのである。男女の話声が水口の水の音だとわかっていながら、不可抗的に実体をまとい出す。その実体がまた変に幽霊のような性質のものに思えて来る。いよいよそうなって来ると私はどうでも一度隣の湯を覗(のぞ)いて見てそれを確めないではいられなくなる。それで私はほんとうにそんな人達が来ているときには自分の顔が変な顔をしていないようにその用意をしながら、とりあいの窓のところまで行ってその硝子(ガラス)戸を開けて見るのである。しかし案の定なんにもいない。
次は客の湯の方へはいっているときである。例によって村の湯の方がどうも気になる。今度は男女の話声ではない。気になるのはさっきの溪への出口なのである。そこから変な奴がはいって来そうな気がしてならない。変な奴ってどんな奴なんだと人はきくにちがいない。それが実にいやな変な奴なのである。陰鬱な顔をしている。河鹿(かじか)のような膚をしている。そいつが毎夜極った時刻に溪から湯へ漬かりに来るのである。プフウ! なんという馬鹿げた空想をしたもんだろう。しかし私はそいつが、別にあたりを見廻すというのでもなく、いかにも毎夜のことのように陰鬱な表情で溪からはいって来る姿に、ふと私が隣の湯を覗いた瞬間、私の視線にぶつかるような気がしてならなかったのである。
あるとき一人の女の客が私に話をした。
「私も眠れなくて夜中に一度湯へはいるのですが、なんだか気味が悪るござんしてね。隣の湯へ溪から何かがはいって来るような気がして——」
私は別にそれがどんなものかは聞きはしなかった。彼女の言葉に同感の意を表して、やはり自分のあれは本当なんだなと思ったのである。ときどき私はその「牢門」から溪へ出て見ることがあった。轟々たる瀬のたぎりは白蛇の尾を引いて川下の闇へ消えていた。向こう岸には闇よりも濃い樹の闇、山の闇がもくもくと空へ押しのぼっていた。そのなかで一本椋(むく)の樹の幹だけがほの白く闇のなかから浮かんで見えるのであった。
これはすばらしい銅板画のモテイイフである。黙々とした茅屋(ぼうおく)の黒い影。銀色に浮かび出ている竹藪の闇。それだけ。わけもなく簡単な黒と白のイメイジである。しかしなんという言いあらわしがたい感情に包まれた風景か。その銅板画にはここに人が棲んでいる。戸を鎖し眠りに入っている。星空の下に、闇黒のなかに。彼らはなにも知らない。この星空も、この闇黒も。虚無から彼らを衛(まも)っているのは家である。その忍苦の表情を見よ。彼は虚無に対抗している。重圧する畏怖(いふ)の下に、黙々と憐れな人間の意図を衛っている。
一番はしの家はよそから流れて来た浄瑠璃語りの家である。宵のうちはその障子に人影が写り「デデンデン」という三味線の撥音と下手な鳴咽の歌が聞こえて来る。
その次は「角屋」の婆さんと言われている年寄っただるま茶屋の女が、古くからいたその「角屋」からとび出して一人で汁粉屋をはじめている家である。客の来ているのは見たことがない。婆さんはいつでも「滝屋」という別のだるま屋の囲爐裡の傍で「角屋」の悪口を言っては、硝子戸越しに街道を通る人に媚を送っている。
その隣りは木地屋である。背の高いお人好の主人は猫背で聾(つんぼ)である。その猫背は彼が永年盆や膳を削(けず)って来た刳物台(くりものだい)のせいである。夜彼が細君と一緒に温泉へやって来るときの恰好を見るがいい。長い頸(くび)を斜に突き出し丸く背を曲げて胸を凹(へこ)ましている。まるで病人のようである。しかし刳物台に坐っているときの彼のなんとがっしりしていることよ。彼はまるで獲物を捕った虎のように刳物台を抑え込んでしまっている。人は彼が聾であって無類のお人好であることすら忘れてしまうのである。往来へ出て来た彼は、だから機械から外して来たクランクのようなものである。少しばかり恰好の滑稽なのは仕方がないのである。彼は滅多に口を利かない。その代りいつでもにこにこしている。おそらくこれが人の好い聾の態度とでもいうのだろう。だから商売は細君まかせである。細君は醜い女であるがしっかり者である。やはりお人好のお婆さんと二人でせっせと盆に生漆(きうるし)を塗り戸棚へしまい込む。なにも知らない温泉客が亭主の笑顔から値段の応対を強取しようとでもするときには、彼女は言うのである。
「この人はちっと眠むがってるでな……」
これはちっとも可笑(おか)しくない! 彼ら二人は実にいい夫婦なのである。
彼らは家の間(ま)の一つを「商人宿」にしている。ここも按摩が住んでいるのである。この「宗さん」という按摩は浄瑠璃屋の常連の一人で、尺八も吹く。木地屋から聞こえて来る尺八は宗さんのひま[#「ひま」に傍点]でいる証拠である。
家の入口には二軒の百姓家が向い合って立っている。家の前庭はひろく砥石(といし)のように美しい。ダリヤや薔薇(ばら)が縁を飾っていて、舞台のように街道から築きあげられている。田舎には珍しいダリヤや薔薇だと思って眺めている人は、そこへこの家の娘が顔を出せばもう一度驚くにちがいない。グレートヘンである。評判の美人である。彼女は前庭の日なたで繭(まゆ)を※(に)ながら、実際グレートヘンのように糸繰車を廻していることがある。そうかと思うと小舎ほどもある枯萱を「背負枠」で背負って山から帰って来ることもある。夜になると弟を連れて温泉へやって来る。すこやかな裸体。まるで希臘(ギリシャ)の水瓶である。エマニュエル・ド・ファッリャをしてシャコンヌ舞曲を作らしめよ!
この家はこの娘のためになんとなく幸福そうに見える。一群の鶏も、数匹の白兎も、ダリヤの根方で舌を出している赤犬に至るまで。
しかし向かいの百姓家はそれにひきかえなんとなしに陰気臭い。それは東京へ出て苦学していたその家の二男が最近骨になって帰って来たからである。その青年は新聞配達夫をしていた。風邪で死んだというが肺結核だったらしい。こんな奇麗な前庭を持っている、そのうえ堂々とした筧(かけひ)の水溜りさえある立派な家の伜(せがれ)が、何故また新聞の配達夫というようなひどい労働へはいって行ったのだろう。なんと楽しげな生活がこの溪間にはあるではないか。森林の伐採。杉苗の植付。夏の蔓切。枯萱を刈って山を焼く。春になると蕨(わらび)。蕗(ふき)の薹(とう)。夏になると溪を鮎がのぼって来る。彼らはいちはやく水中眼鏡と鉤針を用意する。瀬や淵へ潜り込む。あがって来るときは口のなかへ一ぴき、手に一ぴき、針に一ぴき! そんな溪の水で冷え切った身体は岩間の温泉で温める。馬にさえ「馬の温泉」というものがある。田植で泥塗れになった動物がピカピカに光って街道を帰ってゆく。それからまた晩秋の自然薯(じねんじょ)掘り。夕方山から土に塗れて帰って来る彼らを見るがよい。背に二貫三貫の自然薯(じねんじょ)を背負っている。杖にしている木の枝には赤裸に皮を剥(は)がれた蝮(まむし)が縛りつけられている。食うのだ。彼らはまた朝早くから四里も五里も山の中の山葵沢(わさびざわ)へ出掛けて行く。楢(なら)や櫟(くぬぎ)を切り仆(たお)して椎茸のぼた[#「ぼた」に傍点]木を作る。山葵や椎茸にはどんな水や空気や光線が必要か彼らよりよく知っているものはないのだ。
しかしこんな田園詩(イデイイル)のなかにも生活の鉄則は横たわっている。彼らはなにも「白い手」の嘆賞のためにかくも見事に鎌を使っているのではない。「食えない!」それで村の二男や三男達はどこかよそへ出て行かなければならないのだ。ある者は半島の他の温泉場で板場になっている。ある者はトラックの運転手をしている。都会へ出て大工や指物師になっている者もある。杉や欅の出る土地柄だからだ。しかしこの百姪家の二男は東京へ出て新聞配達になった。真面目な青年だったそうだ。苦学というからには募集広告の講談社的な偽瞞にひっかかったのにちがいない。それにしても死ぬまで東京にいるとは! おそらく死に際の幻覚には目にたてて見る塵もない自分の家の前庭や、したたり集って来る苔の水が水晶のように美しい筧(かけひ)の水溜りが彼を悲しませたであろう。
これがこの小さな字である。
断片 二
温泉は街道から幾折れかの石段で溪ぎわまで下りて行かなければならなかった。街道もそこまでは乗合自動車がやって来た。溪もそこまでは——というとすこし比較が可笑(おか)しくなるが——鮎が上って来た。そしてその乗合自動車のやって来る起点は、ちょうどまたこの溪の下流のK川が半町ほどの幅になって流れているこの半島の入口の温泉地なのだった。
温泉の浴場は溪ぎわから厚い石とセメントの壁で高く囲まれていた。これは豪雨のときに氾濫する虞(おそ)れの多い溪の水からこの温泉を守る防壁で、片側はその壁、片側は崖の壁で、その上に人々が衣服を脱いだり一服したりする三十畳敷くらいの木造建築がとりつけてあった。そしてこれが村の人達の共同の所有になっているセコノタキ温泉なのだった。
浴漕は中で二つに仕切られていた。それは一方が村の人の共同湯に、一方がこの温泉の旅館の客がはいりに来る客湯になっていたためで、村の人達の湯が広く何十人もはいれるのに反して、客湯はごく狭くそのかわり白いタイルが張ってあったりした。村の人達の湯にはまた溪ぎわへ出る拱門型に刳(く)った出口がその厚い壁の横側にあいていて、湯に漬って眺めていると、そのアーチ型の空間を眼の高さにたかまって白い瀬のたぎりが見え、溪ぎわから差し出ている楓(かえで)の枝が見え、ときには弾丸のように擦過して行く川烏(かわう)の姿が見えた。
断片 三
温泉は街道から幾折にもなった石段で溪の脇まで降りて行かなければならなかった。そこに殺風景な木造の建築がある。その階下が浴場になっていた。
浴場は溪ぎわから石とセメントで築きあげられた部厚な壁を溪に向かって回(めぐ)らされていた。それは豪雨のために氾濫する虞(おそ)れのある溪の水を防ぐためで、溪ぎわへ出る一つの出口がある切りで、その浴場に地下牢のような感じを与えるのに成功していた。
何年か前まではこの温泉もほんの茅葺(かやぶき)屋根の吹き曝(さら)しの温泉で、桜の花も散り込んで来たし、溪の眺めも眺められたし、というのが古くからこの温泉を知っている浴客のいつもの懐旧談であったが、多少牢門じみた感じながら、その溪へ出口のアーチのなかへは溪の楓が枝を差し伸べているのが見えたし,瀬のたぎりの白い高まりが眼の高さに見えたし、時にはそこを弾丸のように擦過してゆく川烏の姿も見えた。
また壁と壁の支えあげている天井との間のわずかの隙間からは、夜になると星も見えたし、桜の花片だって散り込んで来ないことはなかったし、ときには懸巣(かけす)の美しい色の羽毛がそこから散り込んで来ることさえあった。
●表記について
本文中の※は、底本では次のような漢字(JIS外字)が使われている。
繭(まゆ)を※(に)ながら
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※作品中には、現在差別的な表現として扱われる語が含まれています。しかし、作品が書かれた時代背景、及び著者が差別助長の意図で使用していないことなどを考慮し、あえて発表時のままとしました。
底本:旺文社文庫『檸檬・ある心の風景』
1972(昭和47)年12月10日初版発行
1974(昭和49)年第4刷
入力:j.utiyama
校正:Juki(闇の書・海) 二宮知美(温泉)
ファイル作成:野口英司
1998年12月14日公開
1999年8月22日修正
青空文庫作成ファイル:
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