日本山岳景の特色
小島烏水
私たちが学生旅行をした時代には、日本の名山と言えば、殆んど火山に限られたように思われていた、富士山にさえ登り得らるれば、あとはみんな、それよりも低く、浅く、小さい山であるから、造作はないぐらいに考えていた、そのころ、今日でいう日本アルプス系の大山嶺で、私が名を知っていたものは、立山御嶽などいう火山の外には、木曾の駒ヶ岳(大部分黒雲母花崗岩より成る)ぐらいなものであった、いま憶い出しても笑わずにはいられないのは、その時代、或(ある)地理書の山岳高度表で、富士山の次に、白峰だの赤石山だのという、よほど高そうな山の名を見て何処(どこ)にある山岳だか、一向見当がつかない、学校の教員も友人も、誰も知っていたものはなかった。
私は讃岐(さぬき)の産れで、国には崇徳上皇の御陵のある白峰という阜陵(ふりょう)がある、上田秋成の『雨月物語』や、露伴氏の作として、かなり評判のあった『二日物語』は、この白峰に取材がしてあるが、まさか、あの白峰じゃあなかろうと、真面目になって考えこんだものである。
志賀重昂氏の『日本風景論』を読み耽(ふけ)るようになった時分は、山の名ぐらいは、おかげで少し知って来たが、この本は、火山岩や火成岩の山岳ばかりを書いて、水成岩のそれを、全部省略してあるため、白峰や赤石山については、やはり何も知るところがなかった、もっとも同書の「花崗岩の山岳」という章に、「日本の山岳中、火山岩に次ぎ、高邁(こうまい)なるは花崗岩に属し(秩父岩より組成せる甲斐の白根[#「白根」に白丸傍点]山系を除く)」とあるのを読んで、甲斐に白根なんていう山があるかしらんと思った、この白根と白峰とは、同一山で赤石山系中の最高点を占めていることは、今日は多少山岳地理に注意するぐらいの人は、誰でも知っている、これは私と同時代同年輩の人たちが、古来著名の火山以外、山岳についての知識は、至って貧弱で、これほどまでに迂闊(うかつ)であったという一例として、挙げて置くのである。
しかし今日では、日本アルプス大山系も、南は赤石白峰連嶺、中央は木曾山脈、北は濃飛高原からかけて、飛騨山脈に至るまで、参謀本部の陸地測量部員や、日本山岳会会員によって、縦走せられて、前人未踏などいう聖地も、処女の森林も、先ず絶無になり、参謀本部の五万分一図も、これらの日本アルプス地方をはじめ、山岳の部に属する地図が、一番売行が早いという話を、聞くようになって来ると、前とは反対に、一部の登山家連中には、登山ということは、水成岩もしくは火成岩の、蜿蜒(えんえん)とした大山系や大連嶺に限られたかのようになって、火山は浅薄で張合のないものとして顧みられなくなった傾向がある、そこで私は「火山風景論」を草して、火山風景の特色に説き及んだが、私から言わせると、火山に登って、始めて日本アルプスの壮大が了解せられ、日本アルプスに分け入って、始めて火山の美麗が承認せられるわけである。
それどころじゃない、日本山岳風景の最も著しい特色は、日本アルプス系の山岳と富士帯の火山と、錯綜して、各自三千米突(メートル)前後の大岳を、鋼鉄やプラチナの大鎖のように、綯(な)い交(ま)ぜたところに存するので、ヒマラヤ型や、アルプス式の山岳地と、比較すると、向うにあるもので、こっちにないものもあるが、またそれと反対に、こっちにあって、向うにないものもある、その向うにないものは何であるかというに、引ッ括(くる)めて言えば、水成火成、または変成の大岩塊に、火山、もしくは火山の建設または破壊作用によって、構成された火山式の地貌が、合体して、組成したところに存するのであるから、ここに日本山岳景の特色があるという高札を立てても、大概差支えはなかろうと信ずるのである。
ヒマラヤ型や、アルプス式の山のように、地球の皮の凝固した皺(しわ)から成り立ったものは、土地が屈曲したり、転倒したりすることが絶えない限りは、到るところに、大小高低の差別こそあれ散見することが出来るが、火山ばかりは、今日限定せられているところの火山線の、通過する筋道でなければ、先ず噴出しないのである、日本が火山国と言っても、火山が排列しているところはやはり決まっている、畿内や山陽道や四国(或部分を除けば)などは、火山岩の噴出はあっても、火山として目すべきものは、いくらもない、そこで日本の火山線の最も大なるものは言うまでもない富士帯で、富士帯の大幹とも根柢ともいうべき富士山は、南に伊豆函根の諸山を放って海に入っているが、北は茅ヶ岳、金ヶ岳、八ヶ岳と蜒(う)ねって、その間に千曲川の断層を挟んで、日本南アルプスの白峰山脈、または甲斐駒山脈と並行している、この大火山線、純粋なる水成岩の大山脈(白峰山脈)と両々対峙(たいじ)しているところは、日本山岳景でも、他に比類のないほど、水火両岩の区別が鮮明に、かつ両岩の特相が著しく対照されているところで、赤石白峰山脈は、日本北アルプスや、またはその山麓のように、火山灰などで被覆されたりしていないから、地層も比較的分明で、地質年代の考定に必要な、化石の発見なども、比較的容易に出来はしまいかと思われる、ただ今日までのところ、人がいくらも入って来ていないから、それが知られていないのであるが、今日信州あたりの博物学者が、嗟嘆するように、火山灰のために、化石という地史上唯一の証券が埋没されて、手もつけられないというような患(うれ)いは、先ずなかろうと思われる、然るに富士帯の火山線は、甲斐駒ヶ岳山脈の支脈、釜無山脈になると、混じ合って、更に北の方、飛騨山脈となると、名にし負う御嶽乗鞍の大火山が噴出して、日本北アルプス系の、火成岩や、水成岩と、紛糾錯綜して、そこに日本山岳景に独特な風景[#「日本山岳景に独特な風景」に白丸傍点]、語を換えて言えば、地球の屋棟と言われているヒマラヤ山にも、または山岳という山岳の、種々相を、殆んど無数に、無類に具備しているというアルプス山にも、絶無な風景を作っている。
私は従来の風景論者のように、火山ばかりを抽(ぬ)き出して、他の山岳から離隔して、それを特色とすることを好まない、またこの頃の一部の若い人たちのように、日本アルプスからとかく、火山を継子扱いにして扉の外に突き出すことにも、与(く)みされない。
火山の特徴として、何人にも気が注(つ)かれるのは、その端厳なる形式の美しさである、アルプス式の山岳に、氷雪と、光線の美しさがあるとすれば、火山の山岳には、岩石の輪廓と、色彩の美しさがある、アルプス式山岳に登るのは、場所によっては氷や雪の上をばかり、踏まされるような感じのするところもあるが、日本の火山は、赤裸々として、全くの岩石登り Rockclimbing である、土に執著があるならば、岩石に執著があるならば、アルプスのように、氷雪の上を釘靴(ネイルド・ブーツ)や、カンジキを穿(は)き、アルパイン・スチックを突き立て、二重服三重足袋の旅行をするよりも、草鞋(わらじ)で岩石をザクザクやりながら、手ずから火口壁の赭褐(しゃかつ)色なる大塊を握(つか)むべきである、そこに地心の十万億土から迸発(ほうはつ)した、赤焼のした、しかしながら今は凝固した、冷たい胆汁(たんじゅう)に触れることが出来るのである。
しかも火山を絶対に美しく、完全に美しく見せるのはその輪廓である、私はラスキンをかなり読んだ方だが、火山を知らない人の風景論は、私には異なれる言語で、話しかけられるような、まだるッこさを感じないでもない、あの人の『ヴェニスの石』の第一巻「装飾の材料」で、シャモニイ渓谷の或山で見た氷河、それはアルプスの氷河としては、第二流に属するに過ぎないものであるそうだが、一哩(マイル)の四分の三ぐらいの長さの線を、今までの生涯(第一巻の出版は彼が三十三歳の時である)中に見た、最も美しい、最も単純な線であると讃嘆しているが、私は「ラスキンは不仕合せな男だなあ」と、いまだに思っている、北斎や広重の版画を見ずにしまった彼は、富士山の線の美しさを、夢想にもしなかったらしい、東海道の吉原から、岩淵あたりで仰ぎ見る富士山の大斜線は、向って左の肩、海抜三七八八米突から、海岸の水平線近く、虚空を縫って引き落している、秋から冬にかけた乾空には、硬く強く鋼線のように、からからと鳴るかと思われ、春から夏にかけて、水蒸気の多い時分には、柔々(やわやわ)と消え入るように、または凧(たこ)の糸のように、のんびりしている。地平線と水平線とを別として、我が日本国において見らるべき、有(あ)らゆる斜線と曲線の中で、これこそ最大最高の線であろうと、いつも東海道を通行するたびに、汽車の窓から仰ぎ見て、そう思わないことはない。
私はいつか浅間山の追分ヶ原に遊んだことがあった、そこに若い学生が、浅間山を写生していた、すると今まで静かに茶褐色の天鵞絨(ビロード)に包まれて、寝ていたかと思われる浅間山が、出し抜けに起き出してでも来るように、ドンドンと物を抛(な)げ出す響きにつれて、紫陽花(あじさい)の大弁を、累(かさ)ねて打っ違えたような、むくむくと鱗形をした硫煙が、火孔から天に冲(ちゅう)したかとおもうと、山体は渋面をつくって、むせッぽい鼠色に変化した、スケッチをしていた人は、この瞬間とも刹那とも言いようのない、迅速な変化に、呆(あき)れ返って、写生の手を丸ッきり休めてしまった、そうしてひょい[#「ひょい」に傍点]と私と顔を見合せて、両方で決(き)まりの悪いような、話の解(わか)ったような、微笑を交換した、瞬間の変化は晴れた空のおとなしい光線にもあるが、このような、あわただしく、激しい変化が、液体なら知らず、固体のどこにあろうか。
まことに火山ぐらい、神経の尖(とが)って、感受性の鋭敏なものは、無機物殊(こと)に固体の中では、見出されまいかとおもう、たとえば物に感触しやすい人々の皮膚の下に、青白い筋が立ったり、顔色がすぐ変ったりするように、火山の皮膚も、柔かい砂や、灰や、礫(こいし)が、ざわついているため、水の流れた痕(あと)も、雪の辷(すべ)った筋道も、鮮やかな美しい線条や斑紋を織り成す、富士の八百九沢に見らるる大日沢であるとか、桜沢であるとかいうのは、みんな流水や、墜雪の浸蝕した痕跡であるが、あの御殿場口から登り初めると、宝永山の火山礫を冠った二箇の砂山が、山腹から約百尺も顔をもちあげて、裾を南へ引いているのを見るであろう、あれは二ツ塚という二子式の火山で、しかも側火山(学者によっては、寄生火山という言葉を用いているが、寄生植物のように、別種のものが、他種の本体に倚(よ)りかかっているのでないから、これを寄生というのは、いかがかと思う)であるが、この二ツ塚などには、山から吹きおろす風の斑紋までが、分明に黒砂に描き出されている。火山の中は凡(す)べてが「大きな単純」であるから、注意して観察すれば、風の描いた紋も解るのである、もっともこういう現象は、火山とのみ限られることではないが、火山のような柔らかい印象を受けやすい皮膚であればこそ、それを劃然と、鮮明に残しているのである。
以上は、火山を、それ自ら単独のものとして、観察したのであるが、このような能動的な、積極的な、神経が尖って、触覚が鋭敏な火山が、日本アルプスの大山系に潜ぐり込み、そこから赤裸になって躍(おど)り出したところに、いかばかり特色のある山岳景を作り出したか、私は次にこれを言って見たいのである。
日本北アルプスの中、槍ヶ岳山脈へ登山する根拠地として、年々の夏は、多数の人が入浴がてら、往(ゆ)くところは、信州神河内(上高地)温泉である、ここは石英斑岩だの、花崗岩だのという堅硬な火成岩の大塊が、山岳としては、壮年期ともいうべき、最も成熟し切った発達を遂げている、これらの大岩壁は、日本本州の脊髄骨ともなり、または日本本州という大館を支える鉄骨ともなって、海抜一万尺前後の標高を示して谷地(河内という称呼はおのずから谷地を暗示している)の四周に、あるいは尖塔(ピンネークル)となり、あるいは円頂塔(ドーム)となって、簇(むら)がり立っているが、神河内は、その大山峻立の底に、落ち窪んでいる平坦地という以外に、森と水の美しさを有している、その緑※(りょくてん)色の水と、青々とした森の美しさは、この河内が、かつて湖水であったという事実を、四囲の地形と共に、暗示しているばかりか、その湖水の成因は、火山の活動に帰せられているのである。
ここには日本アルプス中、唯一の活火山硫黄岳(御嶽火山脈に属し、乗鞍岳の尾根つづきに当る)があって、硫黄岳(別名焼岳)の一峰、白谷火山は、梓川の断層地に、割谷火山は、花崗岩と秩父古生層の接触線に沿うて、いずれも噴出を始め、硫黄岳と共に、この乱峰の間を回転する流水の行き途に立ちふさがり、流水を停滞させて、随分と深い湖水を作ったらしく、その湖水を作る以前は、飛騨の高原川(越中に入って神通川)と連続して、谿水が北流していたのではあるまいかという想像が、或地質学者によって、容(い)れられてある。
然(しか)るに前述のように、硫黄岳火山彙(かざんい)の噴起で、閉塞されて大湖水となったが、湖水それ自らの浸蝕によって、後に一方を欠開し、今日見られるように高原川(神通川)とは別な、梓川(越後に入って信濃川)となり、硫黄岳は今日では、両川分水嶺の一座になっているが、湖底が乾いて洲となり、河原となり、残丘となって、今の神河内を作った後までも、硫黄岳火山は、間断なくこの高原に作用をして、火山の泥流は更に水を堰(せ)き止めて、神苑のような田代池などいう後成的の湖水を作って、殊に秋ともなれば、湖畔の草を、さやさやと靡かせ、金の如き水楊のわくら葉を振り乱して、鳧(かも)が幾十羽となく、群(むらが)って魚を喰べに来るというほどの、静かな谷になって、青々とした森林は、肥沃な新火山岩の分解した土が、その根を培(つち)かっている、今日神河内温泉宿の二階で、浴衣がけの人たちが、足を投げ出しながら、穂高岳や霞沢岳の大岩壁を仰いで、食物のまずいのだけを、傷にするような安楽を言えるのは、火山の作った敷石や甃(たたき)のあるおかげであることを、忘れてはならぬ。
ひとり神河内ばかりではない、日本アルプスを欧洲アルプスと比較すると、我に氷河のないのを物足らなく思うものの、火山は或意味と或方面とにおいて、日本アルプスのために氷河の欠乏を補うだけの、働きをしてくれているのである、瑞土(スイス)アルプスなどは、殊に氷河の造った山湖に富んでいるが、日本アルプスでは、御嶽の五個の池や、乗鞍岳の大池と丹生池や、立山のミドリヶ池及(および)ミクリヶ池など、いずれも火山の産物で、標高においては、遥かに欧洲アルプスの、湖水を凌いでいる、たとい湖の面積深度は、浅小でも、止水の明浄なことにおいては、彼に克(か)っている、殊に槍ヶ岳山脈の北翼、鷲羽(わしば)岳の南腹にある鷲の池などは、大花崗岩塊の傍(かたわ)らに生じた噴火口に、水が溜まって湖になっているので、今でも湖岸に黒焦(こ)げのした熔岩(ラヴァ)の塊が、珊瑚礁における、珊瑚片のように散乱している、これらは他の大山脈に多く見られない現象で、日本アルプス山岳景の特色と言っても、大した差支(さしつかえ)はなかろうかと思われる。
欧洲アルプスに有って、日本アルプスにないものは、石灰岩質の大山嶺である、石灰岩が、地下の伏流や、地上から滲透する水などのために、含有している炭酸を溶解され、内部から同地質の岩石を分解して、内部は広く外部は狭い洞窟などを作っていることは、秩父山地などに、最も多く見られるところであるが、日本アルプス地方では、梓川に近い白骨(しらほね)温泉に「ついとおし」という石橋だの、「鬼ヶ城」という鍾乳洞を見ることが出来るが、そんな小技巧は、山岳景に重きを加えるほどのものではないとして、石灰岩質の大山岳は、日本アルプスには見ることが到底出来ない、随って欧洲アルプスなどで最も純粋の紫や、孔雀(くじゃく)の羽のような濃厚深秘な妖色(ようしょく)を示すことのある、伊太利(イタリー)ドロマイト(白雲岩)に比べ得べき秀麗な山岳は絶えて見られないのであるが、幸いに御嶽や、乗鞍岳や、また日本アルプスの区域以外ではあるが、加賀白山のような秀麗な火山があるので、ちょうど欧洲アルプスでは瑞土の粗剛(Swiss Ruggedness)に、伊太利の典雅(Italian Grace)とが、程よく配合されて、壮大な山岳景を作っているように、日本アルプスでは、花崗岩や石英斑石のような、堅硬で兀々(ごつごつ)した火成岩塊に、火山岩の柔和な曲線や、斉整せる輪廓を配合して、ここに世にも稀なる線と色彩のシムフホニイ[#「ホ」は小文字]を奏でている。
そうして火山岩と火成岩とが、日本北アルプスに交錯して、噴出したり迸発(ほうはつ)したりした結果、北アルプスの山形は、槍ヶ岳や鹿島鎗ヶ岳(ただし鹿島鎗ヶ岳は観方にもよるが)のような、孤剣空を削るような、尖鋭な峻峰もあるが、概して花崗岩は塊状を呈し、火山は円錐形に盛りあがるものであるから、山岳は穹窿(ドーム)形の高塔を築き上げて、人類の起工した大伽藍の荘厳を憶い起させる、穂高岳、霞沢岳、笠ヶ岳、蓮華岳、常念岳、大天井岳、剣岳などは、いずれも肩幅が濶(ひろ)く胛肉(こうじゅう)隆々として勃起している、山形分類を行えば、先ず穹窿(ドーム)形の部に入るべきであろう。
しかも北から南までを通じての日本アルプスを、統御する威厳と運命とを備えているものは、畢竟(ひっきょう)するに日本山岳の欽仰(きんぎょう)すベき大徳の女王、富士山で、高さにおいては言うまでもないこと、その秀麗の山貌と、優美の色彩と、典雅の儀容とにおいて、群山から超絶している、むしろ統御の別席をしつらえるために、ことさらにアルプス大山系を回避して、太平洋岸に独歩特立して、一段と超越した高御座(たかみくら)を築き上げたかのように見える、日本アルプス大山系の地質構造史において、富士帯の大火山線が、重要なる関係を有しているように、山岳景においてもまたそうである、そうであらねばならぬのである、誰か偉大なる富士山を除外するような僭越と非礼と亡状を敢えてして、日本山岳論の特色を論ずることが出来よう。
底本:「山岳紀行文集 日本アルプス」岩波文庫、岩波書店
1992(平成4)年7月16日第1版発行
1994(平成6)年5月16日第5刷発行
底本の親本:「小島烏水全集」全14巻、大修館書店(1979年9月〜1987年9月)
入力:大野晋
校正:地田尚
ファイル作成:野口英司
1999年9月20日公開
青空文庫作成ファイル:
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●表記について
本文中の※は、底本では次のような漢字(JIS外字)が使われている。
緑※(りょくてん)色
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