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青空文庫
Blue Sky Collection
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No.
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著者名
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三遊亭圓朝
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校訂者名
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鈴木行三
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書籍名
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業平文治漂流奇談
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底本
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「圓朝全集 巻の四」近代文芸・資料複刻叢書、世界文庫
1963(昭和38)年9月10日発行
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底本の親本
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「圓朝全集 巻の四」春陽堂
1927(昭和2)年6月28日発行
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入力者名
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小林繁雄
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校正者名
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かとうかおり
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作品について:安永(1772〜1781)年間、本所業平村にあった侠客、浪島文治郎が悪を懲らしめんと縦横無尽に暴れ回る、活劇譚。業平文治とは、七人力で真影流の極意を究めたという、主人公のあざな。眼病を得て暮らしに窮する浪人、小野庄左衛門の美しい娘、おまちと婚礼した文治は、悪行を重ね、おまちをつけねらったあげく、庄左衛門を殺した大伴蟠龍軒を討たんとする。さて、その首尾や如何。表題にも関わらず、本作品には漂流のエピソードは現れない。義父の敵に迫る中、人を殺めた文治は、斬罪となるところを救われて遠島を申しつけられる。その船が漂流の後、小笠原に漂着。7年に渡って無人島に暮らした文治が、赦免を得て再び大伴蟠龍軒に迫るその後の経緯には、本作品の最後でわずかな言及がある。お楽しみは、『後の業平文治』にて。
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著者について:1839.4.1〜1900.8.11。江戸から明治への転換期にあって、伝統的な話芸に新たな可能性を開いた落語家。本名は出淵次郎吉(いずぶちじろきち)。二代三遊亭圓生門下の音曲師、橘屋圓太郎(出淵長藏)の子として江戸湯島に生まれ、7歳の時、子圓太を名乗って見よう見まねの芸で高座にあがる。後にあらためて、父の師の圓生に入門。母と義兄の反対にあっていったんは落語を離れ、商家に奉公し、転じて歌川国芳のもとで画家の修行を積むなどしたが、後に芸界に復帰。17歳で芸名を圓朝に改め、真打ちとなる。まずは派手な衣装や道具を使い、歌舞伎の雰囲気を盛り込んだ芝居噺で人気を博すが、援助出演を乞うた師匠に準備していた演目を先にかける仕打ちを受けたのを機に、「人のする話は決してなすまじ」と心に決める。以降、自作自演の怪談噺や、取材にもとづいた実録人情噺で独自の境地を開き、海外文学作品の翻案にも取り組んだ。生まれて間もない日本語速記術によって、圓朝の噺は速記本に仕立てられ、新聞に連載されるなどして人気を博す。これが二葉亭四迷らに影響を与え、文芸における言文一致の台頭を促した。大看板となった圓朝は、朝野の名士の知遇を得、禅を通じて山岡鉄舟に師事した。
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