砂漠の果て  第二章  ゲートウェイ                                  【トットの森】 −−−−−−    1   −−−−−−−−−  病院の集中治療室の隣に24のモニターで囲まれたブース がある。 ケイの様子を確認するための部屋だ。覚醒した人間にここ までの監視が必要だろうかとダンは首をかしげる。確かに、 極秘のプロジェクトが、外部に漏れるのは望ましくはないが、 彼女はただ、眠っていただけだ。  犯罪者でもなく、危険な女性でもない。ここまでの警戒が 必要だとは到底おもえない。  ケイのファイルケースがダンに回ってきた。ヒロ2001 での彼女の様子が記録されている。イザベルというかなりシ ャイな少女だったようだ。友人はほとんどなく、李清明とい う東洋系の医者にかかっていた。ケイもあまり、口数の多い 方ではなかった。  本質部分ではかなり共通点があるようだ。  ダンとケイが結婚した当時、彼女は小さなオーケストラの 団員で、本物のバイオリンを弾いていた。ソロを弾けるほど の腕だったはずだ。結婚してから、しばらくは続けていたが、 玲子が新しく家族になったことを期にオーケストラを退職し てしまった。背筋をピンと張って、舞台で音色を奏でる姿を みなくなって、どれほど時間がたっただろう。イザベルがコ ーラスグループに入っていたのは、遠ざかっていた音楽への 憧憬なのだろうか。  「すこしくらいは、自由に歩かせてやってもいいだろう。」  ダンはこのプロジェクトリーダーに言った。あの発作から 彼女はほとんど何も喋らなくなった。時々、空をみたがった が、いつもカーテンは閉ざされていた。  「せめて、窓をあけてやってくれ。」  「次のテストの結果がうまくいったら、退院だ。経過はか なりいい。テスト次第だ。」  医者はすげなく答えた。  「そんなことより、君は夫だろう。ケイの近くで昔話でも してやってくれ。記憶を定着させる手伝いに協力してくれれ ば、すぐにでも、退院できるさ。」  「ああ。」    その通りだった。しかし、あの発作から、彼女はダンが病 室に入ってもなんの反応もしなくなった。ケイに近づけば、 近づくほど、虚しさが増した。ほんとうに、これは、私の妻 なのだろうか。と疑ってしまうこともある。かなり落ち着い てきたというが、本当だろうか。  「また、来たよ。気分はどうだい。」  「大丈夫。問題ないわ。」  ダンの姿を見ずに、ケイ−イザベル−は答えた。  「頭痛はあれから、どうだい。」  「問題ないわ。」  「次のテストの結果がでたら、退院だそうだ。うまくいけば、 今日の午後にでも外にでれるよ。」  紫外線ライトに照らされた彼女の顔がパッと明るくなった。  「外にでれるの。」  「ああ、屋外だってみれるよ。街に入るまでは、ボクのチュ ーブカーだから。今日も外は晴れている。君の好きな空もみれ るよ。」  「磁場フィールド越しにね。」  「あれは、あまり、気にならないけどな。」  「でも、無色透明というわけじゃないわ。」  「トチョウ遺跡の回りは、磁場が歪んでいるから、時々、す っきりと遠くまでみれるよ。」  「玲子は学校なの、しばらくみないけど。」  「彼女は、ちょっと、検査にだしているんだ。定期的なヒュ ーマノイド検査だよ。少し無理をしすぎたみたいだ。」  「可哀想に。」  玲子は家族の一員として、結婚して五年目に購入したヒュー マノイドだ。 当時は呼吸権の獲得が難しく、子どもを望むことが不可能だ った。しかし、家族には子どもが必要だ。そういった若い夫婦 向けに、両方の遺伝的特徴を計算してオーダーメードで作って くれるアンドロイドが彼女だった。定期的に成長の要素を加味 するために、検査と加工が必要だが、その期間を除くとほぼ、 人間の子どもに近いものだった。  「退院して、しばらくしてからの話だけど。君が入院してい る間に、ボクはもう一人分の呼吸権を手に入れたんだ。新しい チューブカーはあきらめてね。」  「あのチューブカーはもう、いやだっていってたのに。」  「15年ものだからな。中古で手に入れたし。」  「ちゃんと、退院の日に動くのかしら。」  「きっと、大丈夫だよ。点検はしているから。音はひどいけ どね。」  退院の話をして、ケイーイザベルーはいつになく機嫌が良さ そうだった。  「そんなことより。」  「呼吸権の話ね。」  「ぼくたち、そろそろ、新しい家族をもってもいいんじゃな いかな。本物のはなしだよ。」  ケイは驚いたように目を見開いた。病院でする話ではないか もしれない。  「君が目覚めてから、ちょっと、調べてもらったんだが、ボ クの生殖能力は衰えてないようだし。(試してみるかい。)も う一人分の呼吸権は手に入れた。必要なら、君の卵子とボクの 精子はバンクに冷凍保存されているチェック済みのものをつか ってもいい。」  「玲子はどうなるの。」  「彼女はずっと、家族だよ。美人になってきたし。」  ダンはケイーイザベルーの髪をなでつけた。彼女は嫌がらな かった。  「君の体が回復してからの話だけどね。」  もう一度、家族をやりなおせるさとダンは自分にいいかせた。  「退院したら、どこへでもいけるようになるの。」  ケイーイザベルーが髪の毛に触れていた夫の手を取った。柔 らかな感触が伝わってきた。  「大丈夫だと思うよ。」  「植物園にいきたい。ブラックドリアンの木をみせて。」  「あの、長老の木か。」  「定期点検のたびにあなたが話してくれた、おじいさんの大 木」  ブラックドリアンの木はTOKYO・CITYに住むもので あれば、誰もが一度はその姿をみたがるものだ。  都市ができて、2000年、地上の植物が枯れ初め、酸素不 足が問題になり始めた頃、政府プロジェクトで作られた地下大 植物園は一度は死滅しかかった。植物群はほとんどすべて、有 害紫外線に壊滅的な被害をうけた。  呼吸権という概念ができたのはそのころだ。植物園が死滅し てしまえば、都市で生産できる酸素量を超えて、人工を増やす ことができなくなる。分解する水がなくなれば、生産する酸素 もなくなる。植物園の再生は、都市の生死をかけたプロジェク トだった。  その当時、全世界にあった植物という植物が移植された。  そのなかでも異彩をはなっていたのがブラックドリアンの木 だ。熱帯からもってきたものだが、移植された当時でも10m を超える高さがあった。独特の板根をはり、その表皮にたくさ んの寄生植物を付着させていた。熱帯雨林の中でもっとも高く なる種類だ。  移植された当初、木は一度は死んだ。葉は落ち、樹皮もパラ パラとめくれかえった。一度は、植物園全体が死滅したのだろ う。地上の窓を二重構造にして、紫外線を弱める工事が検討さ れ、人々は、終焉を感じ、都市に怪しげな宗教が蔓延した。海 水がフィルターとなって、紫外線を弱めていたが、それでも、 植物にとって有害なものがふりそそいでいたのだ。  工事が始まった頃、枯れて死んでしまったはずの、ブラック ドリアンの大木に異変があった。  この長老の木の板根から、新芽がチョロチョロと伸び始めた のだ。葉が張り始めると、それは、陰を作った。陰に隠れた寄 生植物が根を張った。毎年、少しずつ、ブラックドリアンの傘 は大きくなった。  この、偉大なる長老の木は奇跡的に再生したのだ。  ある意味で、地下都市の生命の象徴ともいえる。その木の枝 の下に新たに生態系が構成された。植物園は都市の生命維持に 欠かすことのできない場となった。その生態系を守るために、 職員以外の人間の立ち入りは禁止されている。ほとんどの人が ブラックドリアンを間近にみたことはないが、映像でその姿を 知っている。 現在は、彼の子孫達が植物園をまもっているが、初代のブラ ックドリアンもまだ、生きている。幹は割れ、勢いはなくなっ た。しかし、この街のなかで、自然信仰の対象となって、いま だ酸素を放出してくれているはずだ。  「ダクトにもぐりこめるくらいに元気になったらな。」  小声でダンは言った。  通常であれば、植物園に潜り込むことは、不可能だ。係員以 外は植物園には入れない。複雑にからまった生態系を壊す危険 があるからだ。一度、壊れてしまうと再生に何年かかるかわか らない。    ダンはこの街の電気工事のエンジニアだ。植物園内に温度調 節の点検のために入ることを許されている。もう一人、誰かを 秘密につれていくことぐらいは、できるだろう。通気口ダクト に隠れて、もぐりこむという方法もある。  「あなたがいつも言っていたあの長老にあって、子どものこ とは考えたいの。」  「まず、退院してからだ。テストの結果をきいてこよう。」  ケイーイザベルーを疲れさせてはいけないと早々に切り上げ るつもりで、立ち上がった。彼女は少しためらいながら、その 手を引いて、彼に耳打ちした。  「あなたの生殖能力の問題は、退院してから、十分にテスト して、結果を報告するわね。」  「そんな軽口をいつから叩けるようになったんだ。」  ダンは少し驚いた。彼の妻にひさしぶりに出会ったような気 がした。回復といっていいのだろうか。  「あなたと結婚してからよ。もう忘れたの。」  ケイは上目づかいにダンをからかった。  彼女は、和沼ケイとして定着したのだ。 −−−−−−−−−    2   −−−−−−−−−  クリーニング屋の勝手口に入って、作業服に着替えていると、 デシがやってきた。今までためたクレジットを取りだそうとし た、その時だった。  「ちょうど、13時半だな。」  「そうだね。」  なにくわぬ顔でタカシも時計を見上げるふりをした。いつも なら、デシが交代で昼食にでるはずだ。   「いいこった。時間が守れるってことは、一番大事なことだ って、おらの雇い主がいってた。」  デシは何を思ったかふいに、タカシの肩を叩いた。  重い手だった。タカシは彼の左腕が義手だと確信した。何か 金属製のものがはいっている。  「ぼくが続きをやるよ。メシでも食べに言ったら。」  なかなか、デシが動きださないので、タカシが促した。  「食べた。」  短くデシが答えた。外出はしないつもりだ。  それでは、店まで帰ってきた必要はないではないか。クレジ ットを取り出すことはあきらめなければならないと、タカシは 悟った。この男は、監視するつもりだ。彼が何かを受け取った ことをデシは知っている。  やはり、少年を殺したのは奴だ。  「午後からもプレスかい。」  「次は染み抜きでもしてもらおうか。おしえたよなあ。ああ、 おしえたはずだよな。最初に。」  「まず、ボタンをコーティングするって話だったけ。」  銀紙を小さくきって、薬剤に影響されやすい素材のボタンは それで包む。種類によっては、糸を切ってしまうこともある。 声に出しながら、手順を確認する。  一つ一つにデシは答えていた。これでいいとタカシは思った。 あの少年の死が誰かに確認されて、持ち物のなかにIDカー ドがないことに気づくまでにどのくらいの時間が残されている のだろう。  刻々と有効な時間はすぎていく。しかし、焦ってはだめだ。 まず、この得体のしれない男を油断させなければ、脱出するこ とは、できない。  「シルクはおらがやるからな。むずかしいんだ。」  白っぽいドレスを手にしたところで、デシがいった。  「これは、生き物だから、慎重にあつかってやらなきゃなん ないんだ。」  「じゃ、頼むよ。」  タカシは今、サイフの中にあるクレジットの枚数を数えた。 5千だ。どこかの安宿に泊まっても、10日はもたないだろう。 従業員専用のロッカーには8万クレジットほどあるはずだが、 ロッカーに近づくと、すぐにデシがやってきた。  警戒しているのかもしれない。何か適当な口実をつけて、外 にでられないものだろうか。少年から奪ったサイフの中にどの くらいクレジットが入っているだろう。できれば、磁場フィー ルドのゲートを通るために、チューブカーの免許証がほしい。 偽造されたものを買うとなると2千クレジットはかかるだろう。  贅沢をいっている場合ではない。あの少年のようになってし まえば、もう、逃げるチャンスもないんだ。何かを買い出しに いく必要はないだろうか。ダメだ。そんなことでは、彼は口実 をつけて、ついてくるだろう。  いつもより、よけいに汗が流れ落ちた。  何かデシでさえ、冷静さを失うような出来事がおこればいい。  「シルクはおらがやるから、しばらく、プレスをしてくれよ。」  デシが、近づいてきた。  青いプラスティックのかごには、午前中の客から預かったシ ャツが山積みされていた。ここは、デシよりも、店の出口に近 い。チャンスがあれば、一直線に走ればいい。うまくいけば、 カウンターにある店の売上を手に入れることもできそうだ。  その時、デシが店の奥から声をかけた。おなじみの台詞だ。  「手動プレス機は注意しろよ。」  「わかってるよ。」  その時、タカシには一つの残酷なアイディアが閃いた。しか し、確実な方法だ。    時間は限られている。これ以外の方法はない。彼は目をぎゅ っと閉じて、左手の小指に手動プレス機を押し当てた。  ぎゃーっと悲鳴をあげた。あまりの苦痛に床にのたうち回っ た。  「どうしたんだ。」デシが叫んだ。  「すぐに冷やさないと。なんてドジなんだ。」  デシは店の控え室にある冷蔵庫に向かって、ものすごい勢い で走っていった。  タカシは痛む左手を押さえて、苦痛に顔をゆがめながら立ち 上がった。そのまま、店のカウンターにある売上のはいった手 さげ金庫をとって表に出た。  焼け付いた指がびりびりと震えた。  どちらの方角に逃げよう。そう考えながら、路地にはいった。 このまま、走っていても、すぐに見つかってしまう。  焼けた指の痛みで、どうにかしないと、すぐに気を失ってし まいそうだ。安全にここから、できるだけ遠くに。どこかに方 法はみつかるはずだ。  どうすればいいんだ。  あたりに目をやった。  路肩に建築資材輸送用カートが5台止まっている。荷物は土 管らしい。3mほどの長さだ。十分にタカシが横になって入る ことができる。車高はかなり低い。ホロの高さも含めて1m程 度だ。土管の中まで、埃が舞い上がるが、人の目線よりずっと 低い。  これだ。    タカシは運を天にまかせて、その中に体を滑り込ませた。目 的地はどこなのだろう。すくなくとも、ガザレットタウンの中 で土管を必要とするような工事はなさそうだ。これから発展し ていく地域、街外れにいってくれることを期待した。    建築資材用カートが動き始めたときにはもうすでに、タカシ は気を失っていた。