愛野いずみ
「そうか…ここはエヴァ小屋じゃないんだ。もう、エヴァの世話しなくていいんだ…」
そう呟いて、シンジは今更ながら自分の両の手を見つめるのでした。
それから立ち上がり、着替える事にしました。クローゼットの中には、今までシンジが観たことも、着た事もないような豪華な衣装が並んでいます。シンジはその中から1着を選び、着替えて散歩する事にしました。
「う〜ん、まだ朝もやが…。やっぱり早起きはいいなぁ。あ…ここは綾波の薔薇園だ…花がみんな朝露に濡れてキラキラして」
シンジは朝露の中で芳香を放つ薔薇の間をゆっくりと進んで行きました。そこにある薔薇はみんな、真っ白い花びらを持ち、真ん中はうっすらと緑に色づいているのでした。
「おはよう、碇くん。随分早いのね…」
薔薇の中から聞き慣れた声、綾波レイの声がしました。
「あ、綾波…。お、おはよう…」
「昨夜はよく眠れた?」
「う、うん…お陰様でグッスリ眠れたよ…」
「そ。良かったわね」
レイはそれだけ言うと、また黙々と薔薇の世話に熱中するのでした。シンジは自分の存在を無視された様な気がして、レイと会話を繋げる言葉を探しました。
「あ、綾波…あの、ここにある薔薇の種類は?ボク、こんな種類見た事ないよ」
「スウィート・シンジ」
「は、はぁ…」
………困ったな、綾波と会話が繋がらない。タブラートさんとはいくらでも話が弾むのに。
レイはスウィート・シンジを一輪切り取ると、シンジの目の前に差し出しました。
「あのっ…、これは…?」
「あげるわ」
「あ、…ありがとう…。大切にするよ」
「…」
シンジは、白い薔薇とレイの顔を見比べました。どちらも抜けるように白く
なめらかな表面を保っています。
…ボクのお母さんも、きっと綾波のように白くてすべすべの肌だったのかな?
「綾波って、母さんみたいだ…」
唐突なシンジの言葉に、レイは俯きました。その頬は、白い陶器に桜色の薄絹を掛けたようです。レイの薄い唇からは、
「何を言うのよ…」
という一言だけが漏れました。どうやら、レイは恥ずかしがっているようでした。普段、人形のように感情を面に表さないレイの、こんな表情はシンジも初めて目にしたのでした。
微笑ましい気持ちで見つめるシンジの視線を振り払うように、レイは
「明日、あなたのお披露目会があるわ。渚家では由緒あるセミ狩りよ。今日は早く寝て、明日に備えた方がいいわ…。じゃ、さよなら」
これだけ言うと、レイはむせ返るような薔薇の馨りの中に消えて行きました。
早く寝ろって言われても、今起きたばっかりなのに…(笑)
シンジは部屋に帰って、早速スウィート・シンジを花瓶に刺しました。
「キレイ…」
シンジは薔薇の中に、レイの顔を思い描きました。ベルベットを思わせる花弁は病的と言えるほど蒼白で、レイの膚にも似ています。
「ボクの母さんも、綾波みたいな女性だったのかな…」
シンジは未だ見ぬ母像を、いつしかレイに重ねて観るようになっていました。
それでいて、丘の上の王子様にもどことなく似ているレイ…。今にして思えば、この第三新東京市に来て以来、レイはいつでもシンジの頭の片隅に居ました。
綾波が丘の上の王子様と似ているから?
「最初は確かにそうだった。何となく、あの人と感じが似ているから…。でも、それだけじゃない、今はそれだけじゃあ……」
じゃあ、綾波がキレイだから?
「そんな、そんなの理由にならない」
じゃあ、綾波がシンジに優しくしてくれるから?
「そ、それは………」
だって、あなたはいつだって他人から優しくされたかったんじゃないの?
「そ、そうだけど…」
そういうあなたに、綾波はうってつけの相手だったんじゃないの?
「違う…」
あなたは優しくしてくれるなら、誰でも良かったんだ!
「違う!」
自分の寂しさを紛らわせたいだけだったんだ。その寂しさを埋めてくれる人なら、誰でもいいんだ!
「違う!違う、違う、違う!!そんなんで綾波が好きなんじゃない!ボクは純粋に綾波が好きなんだ!」
じゃあ、タブラートって人は何なの?あの人との事は?あれは寂しさを紛らせる行為じゃないの?
「ち、違う!ボクは綾波が好きなんだ!…でも、どうして?寂しいって思っちゃイケナイの?優しくされたいって思っちゃイケナイの?みんな、ボクに優しくしてくれなかったんだ!ボクに優しくしてよ!ボクを構ってよ!ボクを、ボクを……」
じゃあ、あなたはずぅっと他人から優しくされるのを待ってるの?
「ああ、そうだよ」
「なら、そうすれば?…」
シンジに問掛けた声は、いつの間にかレイに変わっていました。白い薔薇に囲まれた、白い面…そのレイの顔は、シンジの目前で薔薇の中に埋もれて消えていくのです。シンジがレイに手を差し伸べようとしても、その手はレイに永遠に届かず…
「綾波ィッッッ!!!!」
伸ばしたシンジの手は虚空を掴み、周りには小鳥のさえずりが響いていました。
「あ…朝か…。いつの間にか眠ってしまってたんだ…」
それにしてもあの夢は…?そう思いながらシンジは頭を抱えて、その指の隙から覗くように部屋を見回しました。
と、そのシンジの視界に入ったのは、重く頭(こうべ)を垂れたスウィート・シンジでした。あの、レイの膚を思わせる白い花弁には、老婆の膚のように無数の茶色いシミが浮き上がってます。その何枚かは花瓶の根元に散らばり…
「スウィート・シンジがっ!昨日はあんなにキレイに咲いていたのに…!!」
何か、良くない事が起こるんじゃあ…??
ともすればシンジの心を支配しそうになる、黒い靄(もや)をシンジはかぶりを振って払おうとしました。
「コンコン!」 そんなシンジにはタイミングよくドアが開きました。
「おっはよ〜、シンちゃん!今日はシンちゃんのお披露目ねぇ〜」
そこにはミサトとリツコ、レイも居ました。
「あ、おはようございます…」
「なぁ〜によ、まだそんな格好してるのぉ?さっ、早くコレに着替えてよん。私達で選んだんだからぁ〜」
シンジに大きな衣装ケースを差し出すミサトに、リツコが
「アナタ、自分も服を買いたいからって、シンジくんの服を観に行ったんじゃないの」
と横槍を入れました。
「ウルサイわね…。ど〜お?この服〜。お高かったんだから〜ん」
「あ、はい、よく似合います。ステキです…」
「…さ、碇くん、支度して。もう時間よ」
やっと口を開いたレイに促されて、シンジも着替える事にしました。ミサトから受け取った衣装は、渚家の正装だそうです。それは、遠い春の日に、丘の上で出会った王子様と同じ衣装なのでした。もっとも、シンジのは白と青のコントラストが爽やかで、王子様の様に重厚な感じはしませんでしたが。
そして、シンジはセミ狩りの会場に赴きました。エスコート役は、レイ・ミサト・リツコです。この華やかな主役の登場に、一族の者達はどよめきました。
「さ、挨拶をしなさい」
当主であるカヲル大おじさまが挨拶するべきところで、キール大おばさまが挨拶していました。と、いう事は、カヲル大おじさまは今日もお見えになってないという事です。シンジは渚家の養子にしてもらってから、まだ1度もカヲル大おじさまにお目にかかった事がありませんでした。今日は会えるかもしれない、と希望を胸に抱いていたのですが、それも早崩れさってしまいました。
「は、初めまして…、碇シンジです。不束者ですが、ヨロシクお願いします」
とだけ言って、チョコンと頭を下げました。これがシンジには精一杯だったのです。
そのシンジを明らかに敵意を込めて見つめる人間が居ました。トウジとケンスケです。
「よぉ、綾波、わいと一緒に廻らんか?」
トウジが黒いエヴァに乗り、レイに声を掛けました。レイのエヴァは青。レイは静かにトウジの方を一瞥すると
「今日は碇くんをエスコートするから…」
とだけ言い放ちました。トウジは紫色のエヴァに乗ったシンジに向かって
「せいぜいエヴァから落ちんように気ぃつけるこっちゃ!」
と、明らかに悔し紛れに叫びました。シンジも
「トウジの参号機もシンクロ率悪そうだから気をつけて。暴走するかもしれないよ!」
そう叫んで、走り去って行く参号機を微笑んで見ていました。
「碇くん、セミ狩りは渚家に古くから伝わる行事なの。何かお祝い事がある時は、この行事をして祝ったわ。ただ、エヴァに乗るから油断は禁物なの。一歩間違うと、命を落とすわ」
2人きりになった時、レイはセミ狩りについて説明してくれました。
「そんなに危険な事なの?だ、大丈夫かなぁ…。ミサトさんやリツコさんは?」
「リツコは私達とエヴァの状態を見てくれてるわ。ミサトは戦略を立てる。私達は、あの2人のアドヴァイスを聞いて行動すればいいわ」
「そうか、なら安心かな…」
「それに…」
「え?」
シンジが聞き返して答えるレイの声は、静かでしたが今までシンジが聞いた事もないような、凛とした口調でした。
「あなたは死なないわ。あなたは、私が護るもの…」
それが、シンジが聞いたレイの最後の言葉でした…
続くわよ〜ん(笑)
★渚家の養子となり、そのお祝いの席である伝統的なセミ狩り。そこで聞いたレイの言葉。なぜレイの言葉が最後になったのか? レイの身に何が起こったのか?そして、それからシンジは? 渚家は涙の色に染められる… 次はタブラートさん登場よん(っつーか、出ないと私が欲求不満(笑)) 次回、『シンジの価値は?』次回もサービスサービスゥ(笑) |