もう数ヶ月前のことになってしまいましが、6月14日に谷岡ヤスジ先生が逝去されてしまいました。咽頭ガンとのこと。まだ56歳の若さでしたが……。
私がこの世界に入って10年ほどたちますが、直接面識のあるマンガ家さんが亡くなられてしまったのは、じつは谷岡さんが初めてです。よりによってどうして谷岡さんなのだろうか……、と正直ショックです。
ほんの短いお付き合いでしたが、谷岡さんはこの業界に限らず私がいままでに出会った人たちのなかで、一番カッコイイ人でした。
88年に某週刊マンガ誌の編集部でアルバイトを始めたのが、私がこの仕事に関わる第一歩でした。その雑誌で谷岡さんが連載されていました。
谷岡さんの仕事のスタイルというのは、締め切り当日になって編集者が仕事場に来てから、ヨーイドンで原稿を書き始める、というものでした。編集者は出来上がるまで4、5時間待つことになります。ショートギャグ作品だからこそ可能なやり方ですね。
当然、谷岡さんにはちゃんと担当編集者がいるわけですが、毎週毎週詰めるのはさすがにキツイものがありますから、2,3週に一度は私のところにお鉢がまわってきました。ひたすら待つだけですから、バイトでも差し支えないわけです。
谷岡さんの仕事場は、小田急線の豪徳寺でした。どこにでもあるような、公団住宅風のマンションです(本当に公団だったのかもしれませんが)。
お邪魔する時間は、だいたいお昼ごろ。応接室に通されてソファに座って待っていると、まず谷岡さんが最初にすることは、冷蔵庫からビールを出してくること(笑)。必ずキリンラガー(だったと思います)のビンを持ってきて、「まあ、飲みなさい」と私にすすめるのです。アルコールに弱い私ですが、断るわけにはいきません。コップ数杯はグイッとあけるのですが、このとき谷岡さん本人はまったく口にしません。このへんは、私などより先輩編集者の方々がお詳しいことですが、谷岡さんは若い頃相当な酒豪だったけど、大きな病気をされてからはタバコやアルコールを絶ったりして、健康に細心の注意を払っていたようです。その代わり、人に飲ませるのが好きだったようで(笑)、未だかつて原稿取りに行ってビールを飲んだ仕事場は、谷岡さんのところしか経験したことありません(笑)。
そのまましばらくは雑談タイムとなりますが、やがて谷岡さんは「タンメン食おうか」と言って、近所の中華料理店に出前を頼むのです。注文するのは、なぜか必ずタンメンです(笑)。
で、届いたタンメンに『酢』をドボドボと入れるのです。『小さじ何杯』とかのレベルではありません。ほんとにドバドバーッと流し込むのです。タンメン数杯食べるだけで、ミツカン酢のビンが1本空になってしまうくらいの量です(笑)。酢は体に良いといいますから、それでなのでしょうが……。
そして、ビールのときと同じような口調で「ん〜、キミも入れなさい」(笑)。
最初は恐る恐るだったのですが、いや、これが慣れてくると旨いのなんのって(笑)。酢の物が苦手な私ですが、今でもタンメンを食べるときだけは酢を入れないと気がすまない体に調教されてしまいました(笑)。
食べ終わると、谷岡さんは原稿を描くために、ふすま1枚隔てた隣の仕事部屋に籠もるのですが、このときにまたビールを出してきて、「ま、これでも飲んで寝ながら待っててくれ〜」。まだ1本目のビールも空いてないっちゅうのに(笑)。
「寝ながら待っててくれ」というのは、要するに変なプレッシャーをかけられるのが嫌だから黙って待っててくれ、という意味だと思うのですが、いや〜、これがホントに寝てしまうんですね(笑)。
ビール2本を目の前に置かれて、やっぱり残すと申し訳ないから、がんばってちびちびと飲むわけです。しかももし飲みが足りないと、トイレに行くためなどで通りかかった谷岡さんが、「ん〜、なんだぬるくなってるね〜」と、わざわざ新しいのに取り替えてくださるから必死です(笑)。結果、もともとアルコールに弱い体質のうえに、その応接室はじつに日射しがいい感じの村(ソン)のような部屋で、もうとっても気持ち良くて(笑)、1時間もすると極楽気分で確実にうとうと居眠りしてしまいます。
気が付くと数時間たっていて、目の前で谷岡さんが「ん〜、起きたかね。原稿できたよ〜」と待っていたことも何度かありました。でも、別に怒ってはいないのです。ほんとに寝て待っていて正解だったらしいです。
こんなことも、谷岡さんのところでしか経験したことありません(笑)。
いつもは原稿をいただくとそのまま失礼するのですが、一度だけ、谷岡さんももう自宅に帰るというので、愛車のジープで送っていただいたことがあります。
以下次号――。
テキスト/香山弘幸
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